オバカで売ってるタレントが本当にオバカなのかは知らないが、そんなタレントと同じような事を言う人がTVの外に居る。
大阪にある吹田市、これをヨメはフキタシと読んだ。「 バッカじゃないの、スイタシって読むんだよ 」 と俺が言うとヨメはこう反論した。「 吹くって字なのにすうなんておかしいじゃん 」 と。
俺は日本育ちの日本人、こういう地名は習って覚えてるわけでなく自然に何処かで覚えたわけだ。だから吹くって字なのにすうなんておかしいじゃん、と言われてるとまるで秘孔を突かれたように突然思考が停止する。もしかするとフキタシと読むのを俺はずっと勘違いしてたのかというえもいわれぬ不安に陥るのだ。しかも後遺症も残る。折角自然に覚えた事がこれ以降自信の無い記憶になってしまうのだ。
記事の題名にはうちのスザンヌとは書いたけど、うちのヨメは彼女のように若くもないし、美人でもない。ちなみにうちのスザンヌのお友達は皆スザンヌである。ある人は山で三角点の杭を見て 「 三角点って、四角いんですねぇ 」 と一言。
大阪にある吹田市、これをヨメはフキタシと読んだ。「 バッカじゃないの、スイタシって読むんだよ 」 と俺が言うとヨメはこう反論した。「 吹くって字なのにすうなんておかしいじゃん 」 と。
俺は日本育ちの日本人、こういう地名は習って覚えてるわけでなく自然に何処かで覚えたわけだ。だから吹くって字なのにすうなんておかしいじゃん、と言われてるとまるで秘孔を突かれたように突然思考が停止する。もしかするとフキタシと読むのを俺はずっと勘違いしてたのかというえもいわれぬ不安に陥るのだ。しかも後遺症も残る。折角自然に覚えた事がこれ以降自信の無い記憶になってしまうのだ。
記事の題名にはうちのスザンヌとは書いたけど、うちのヨメは彼女のように若くもないし、美人でもない。ちなみにうちのスザンヌのお友達は皆スザンヌである。ある人は山で三角点の杭を見て 「 三角点って、四角いんですねぇ 」 と一言。
タロの餌問題で鳥のササミはどうかって話を聞いたので茹でたのをやってみた。肉なんてと思ったらパクパク食べた。それはそれで良かったんだけど、こんなに食欲があるのなら食べなかった時期はさぞかし腹が空いただろう。それでも食べない、場合によっては衰弱するというのに何故食べなかったのだろう。それほどまでに食べ物として認識出来なかったんだろうか。
しかしもう1つの問題、それはシッコ問題。幸いな事にコンクリートの土間だから水で流せば済むものの1日に1~2回の掃除。すると人生修行の足りない身としては、犬に八つ当たりする事はなくなったものの平常心でいられない。ボケちゃった親が廊下でシッコしたりなんていう友達の話に比べれば遥かに小さな小さな問題だけに犬程度でこんな調子では困ったもんだ。
同じシッコでもドア際でされるのと上がり框の近くでは掃除の手間が大分違う。そこでシッコはもう仕方がない、だけどドア際でやって欲しいってことで簡単な柵を作った。それにしてももうこの程度の柵も乗り越えられないくらい足腰が衰えてしまったんだなぁ、と。
神社仏閣は修理しながらも何百年経っても平気なのに最近の住宅は数10年で寿命だとずっと前から言われてる。しかも古くなるほど味が出るどころか貧相になるのが昭和以降の建築物の特徴かな。ところが最近は100年大丈夫なんて謳ってる住宅CMがある。うちの豪邸を建てた工務店の謳い文句も何世代にも…っていうもの。それは良い傾向だ。
去年の暮れだったかな、居間の壁に水が垂れた跡を見つけた。担当者はベランダの排水溝の結露だろうと言っていた。ところがそれを確かめられない。天井に点検孔はあるがそこに行けない。どういうことなんだ?
天井を高くしたので梁が邪魔して人が入れない。何じゃそりゃ。高くした方が良いと勧めたのは工務店の社長で一級建築士。天井を高くした結果、点検孔があっても人が通れない天井裏になってしまった。
点検出来ない物=使い捨ての物である。何か起きるたびに天井を穴を開けたり壁を壊すような家、なんじゃそりゃって感じだ。しかもファイバースコープも持ってないと言う。結局大きな穴を開けて除いてみたら原因は予想してたものと全然違うのが分った。美観を損ねる役に立たない点検孔、大きな欠陥だしマヌケな設計だ。