近所に美人と可愛いを兼ね備えた、掃き溜めに鶴のような独身女性が居る。何故独身なのか謎だけど、薪ストーブは良いなぁなどと言う。近くの河川敷で丸太を割ってたらその女性が犬を連れて通りかかった。
薪割り体験するかね、って感じで誘うと興味津々って感じで河川敷まで降りてきた。木はニセアカシヤで節さえ無ければとても割り易い木だ。試しに15cmくらいの丸太を割って貰うことにしたがこれが中々割れない。力を加減してるっていうか、途中で制御してしまうようだ。女の人はこういう馬鹿力を出すような機会が少ないからなのかな。憧れの薪ストーブ生活も非力な人にとってはハードルは高いようだ。
薪作りでは太い部分は切ってしまえば後の手間はあまりかからない。ところが木の上の方、枝の部分は入り組んでるので切り揃えるのにとても手間がかかる。なのでここを捨ててしまう人も居るし、俺も半分くらいは捨てていた。それでは鯨の油だけ取ってあとは捨ててしまった南蛮人と大差無い。鯨の全てを利用してきた日本人としては枝の部分も今度は丁寧に集めたい。
太い部分だけだと意外に少ないが、小枝も含めるとけっこうありそうだ。これはヨメが集めてくれた小枝。それにしても板や柱、杭にも使われず、いきなり燃やしてしまうってのも勿体無いなぁと思う。燃やした木は灰になって肥料としてリサイクルされるけど、サイクルの環が余りにも小さい。
スーパーと違ってエンドレスなので値引きはしにくいだろうなぁ。でも手間隙かけて作ったものが豚の餌ってのは勿体無いの極み。だけどコンビニ側は、24時間営業を止めても省エネにはならないなんて言ったこともある。
コンビニは配達なども含めて省エネの対極のような存在だと思う。それが仮に誤解としても深夜まで営業してることで子供が無駄にたむろする風潮を助長した。それと本屋などの廃業。本屋には色々な本があるが、雑誌以外の本だけではやってけない。なのにコンビニで雑誌売られてはたまらない。
都心から離れたら売ってるのは雑誌か売れ筋の文庫だけじゃぁ困る。子供の頃本屋に行くと難しい本があるなぁと思ったけど、今のコンビニの品揃えではそんな感想はまず出ない。コンビニは名前の通り便利だけど社会の質を落とす存在だと思うのだ。
コンビニは出かけた時にたまに使う。もう10年以上前の話だけど、山の中に一緒に遊びに行った友達が8mmのビデオテープを忘れた。街の電器屋に行ったら売ってない。まさかと思ったがコンビニにはあった。これじゃぁ街の電器屋も廃れるわけだと感心したことがある。それにしても近くにスーパーやホームセンターがあって値段も2~3割は高いのに成り立つコンビニって不思議だ。1円のために遠くのスーパーに行くなんて人も居るのを考えるとそこで良く買う人の方が不思議なのか。