森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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陸自イラク撤退の意味
イラクからの陸自撤退が6月末、大々的に報道された。いま一度、この問題を考えたい。
イラクから陸自撤退。これだけを受け取ると、いいじゃない! となりかねない。しかし、どうやら裏がありそうだ。
そもそも自衛隊のイラク派兵そのものが、アメリカの(イラクへの)先制攻撃戦争と占領に加担するものであった。日本国憲法にも、国連憲章にもこれは違反する。
ふりかえってみると、開戦の理由は「大量破壊兵器」であった。しかし、ついにこれは発見されなかった。「テロとのたたかい」という大義も崩れ、軍隊を派遣した国ぐにも次つぎに撤退したのが、この間の経過だろう。一方で、開戦から3年8カ月で民間人犠牲者は10万人以上にのぼる。なんという数字だ。米軍の撤退をイラク国民の多くが求めるなかで、自衛隊の撤退は当然といえる。
だが、問題はここからはじまる。
日本政府は、陸自を撤退させる一方で、航空自衛隊の活動を継続・拡大するという。政府は「人道復興支援」を優先することを建前とし、残りを「安全確保支援活動」(米軍主導の多国籍軍への支援活動)をおこなうとしてきた。実際も、陸上自衛隊の人員や生活物資、日本政府がイラクに供給する医療物資などを空輸することが中心だった。
朝日新聞社が実施した調査によれば、イラクへの自衛隊派遣が日本にとって「よかった」と思う人は49%、「よくなかった」の35%を上回った。また、陸上自衛隊の撤収が始まる一方で、航空自衛隊が輸送支援を続け、活動範囲を拡大することについては「反対」が55%にのぼり、「賛成」は33%だった。
http://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200606270566.html
航空自衛隊の活動継続について、男性は賛成41%、反対51%、女性は26%対58%で、女性の反対が強かった。自民支持層でも46%対42%と賛否が接近している。
陸自が撤退すると、「人道復興支援」は名目上もなくなる。よって、「安全確保支援活動」が残る。これを航空自衛隊に担わせようというのが政府のねらいだといえる。
だが、これは、「安全確保支援活動」の拡大と継続、つまりこの活動を固定化させること、むしろこの活動を主に置き換えることに目を向ける必要があるだろう。
掃討作戦をおこなう米軍への物資・兵員の空輸はどこからみても戦闘行為と切り離せない。
より米軍支援が強化される、ここに陸自撤退の核心が潜んでいる。
イラクから陸自撤退。これだけを受け取ると、いいじゃない! となりかねない。しかし、どうやら裏がありそうだ。
そもそも自衛隊のイラク派兵そのものが、アメリカの(イラクへの)先制攻撃戦争と占領に加担するものであった。日本国憲法にも、国連憲章にもこれは違反する。
ふりかえってみると、開戦の理由は「大量破壊兵器」であった。しかし、ついにこれは発見されなかった。「テロとのたたかい」という大義も崩れ、軍隊を派遣した国ぐにも次つぎに撤退したのが、この間の経過だろう。一方で、開戦から3年8カ月で民間人犠牲者は10万人以上にのぼる。なんという数字だ。米軍の撤退をイラク国民の多くが求めるなかで、自衛隊の撤退は当然といえる。
だが、問題はここからはじまる。
日本政府は、陸自を撤退させる一方で、航空自衛隊の活動を継続・拡大するという。政府は「人道復興支援」を優先することを建前とし、残りを「安全確保支援活動」(米軍主導の多国籍軍への支援活動)をおこなうとしてきた。実際も、陸上自衛隊の人員や生活物資、日本政府がイラクに供給する医療物資などを空輸することが中心だった。
朝日新聞社が実施した調査によれば、イラクへの自衛隊派遣が日本にとって「よかった」と思う人は49%、「よくなかった」の35%を上回った。また、陸上自衛隊の撤収が始まる一方で、航空自衛隊が輸送支援を続け、活動範囲を拡大することについては「反対」が55%にのぼり、「賛成」は33%だった。
http://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200606270566.html
航空自衛隊の活動継続について、男性は賛成41%、反対51%、女性は26%対58%で、女性の反対が強かった。自民支持層でも46%対42%と賛否が接近している。
陸自が撤退すると、「人道復興支援」は名目上もなくなる。よって、「安全確保支援活動」が残る。これを航空自衛隊に担わせようというのが政府のねらいだといえる。
だが、これは、「安全確保支援活動」の拡大と継続、つまりこの活動を固定化させること、むしろこの活動を主に置き換えることに目を向ける必要があるだろう。
掃討作戦をおこなう米軍への物資・兵員の空輸はどこからみても戦闘行為と切り離せない。
より米軍支援が強化される、ここに陸自撤退の核心が潜んでいる。
教室ではまちがえる権利がある - 国語教科書の思想
![](https://ecx.images-amazon.com/images/I/11ZGBPZB04L.jpg)
教室はまちがうことが許される空間である。もっと言えば、教室ではまちがえる権利がある。テストも同様だ。テストが教育の終わりなのではない。むしろ、テストは教育のはじまりなのだ。そのことがわかっていないから、テストでみんなが満点を取れるようにするのが「良い教育だ」という、とんでもない過ちを犯すのだ。 正解が出せなくてまちがってしまうレベルまで子供の可能性を試し、なぜまちがえたのかを考えることでその子供が人間として理解できる。それが教室のダイナミズムというものだ。
実社会に出て相当の歳月がたつが、この著者の言葉がきわめて新鮮に響く。実感できる。いわゆる解にめぐり会えた感じなのだ。 私を何十年も憑き物のようにとらえていた教室の意味づけ、いいかえれば教育の意味は、いまも厳然として世間に存在するのかもしれない。著者はそのことを懐疑し、本書『国語教科書の思想』で、国語教育のあり方を根本から問うている。
考えてみると、明治以来、教育は政治のとりこになってきたといえる。つねにいわゆる「国策」のなかで教育は右往左往してきた歴史なのだ。たとえば、最近でも、石原が指摘するように「ゆとり教育」が相当の論争の末、2002年導入された。だが、どうだろう。今度は、巻き返すかのように学力低下論争が起こった。そのなかで「陰山メソッド」なるものが脚光をあびることもあった。そして、日本に大きな波紋を投げかけることになるPISAの結果が2004年、公表されたのだ。この結果に驚いた政府与党は、「いままでの教育に欠けているものがあるとすれば、競い合う心や、切磋琢磨する精神だ」(中山成彬文科学省大臣)というコメントを残すのが精一杯だったともいえる。
しかし問題は実は他にあった。それを著者石原は鮮やかに我々に提示する。つまり、教育の現場で、偏差値で輪切りにされた「どの子も同じ」ように見える集団ではなく、従順な子や尖った子やじっくり型の子がまだらに集まった個性的な集団として受け入れられるかどうか、ということである。そうではなくて、これまでの日本の国語教育は道徳教育であって、国語ができるということは道徳が身に付いているということだと、石原は喝破する。別の言葉でいえば、これまでの国語教育は、著者の言葉を借りるとつぎのようになるのだ。 国語教育は「正しい生き方」を教える、「教訓」が付き物の「お説教」くさい科目でなければならない。
こんな日本の国語教育のありようを前に著者はつぎの提案を本書で披瀝する。2つある。1つは、まず文章を図や表から、できる限りニュートラルな「情報」だけを読み取り、それをできる限りニュートラルに記述する能力を育て、さらにその「情報」の意味について考え、そのことに関して意思表明できる能力をも育てる「リテラシー」という科目を立ち上げること。 第2に、文学的文章をできる限り「批評」的に読み、自分の「読み」をきちんと記述できるような能力を育てる「文学」という科目を立ち上げること これらはいずれも具体的で、しかも実践可能なものだと考えられる。 本書では、そのほか「一人ひとり」のレトリックがいかに危ういか、など興味あふれるテーマを扱っている。ともすれば、さらりと流れてしまいかねない国語教科書の中に潜む思想を抉り出し、それに対比して提案する著者の根源的姿勢が本書には示されている。
注:PISA 生徒の国際学習到達度調査 Program for International Student Assessment。経済協力開発機構が世界41カ国の15歳の子供たちに実施した。
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石原千秋『国語教科書の思想』(ちくま新書)
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