森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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安倍官房長官、8月15日は靖国参拝せず
安倍官房長官は終戦記念日の8月15日に靖国神社を参拝しない意向を固めた。自民党幹事長だった04年、幹事長代理だった05年には終戦記念日に参拝したが、党総裁選を控え「靖国」が突出した争点になるのを回避する狙いがある。ただ、春秋の例大祭時の参拝は否定しておらず、首相に選出された場合の対応には含みを残している。複数の関係者が明らかにした。
http://www.asahi.com/politics/update/0723/002.html
ポスト小泉のさまざまな動きのなか、安倍晋三は腹を固めた。固めたというのは、言い過ぎだ。極論すれば、この意向はマヌーバーにすぎない。首相にならんがための。
『朝日新聞』によれば、安倍氏は側近議員や学識経験者らの意見を踏まえ(1)総裁選などで靖国問題を争点化しない(2)参拝するかどうかは言わない(3)8月15日の参拝にはこだわらない――との方針を確認したという。
そうだとすると、昭和天皇の「不快感」メモはその「威力」を発揮したのか? これによって、首相はもとより、衆参議長、最高長官と、天皇にも靖国参拝をさせようという勢力の思惑が破綻したという指摘がある(『赤旗』)。管理人は別のエントリーで考えるところをのべたが、メモの公表が、靖国神社のA級戦犯合祀についての議論に「筋道」をつける意味ももっていたことをつけ加えなければならなかった。要は、総裁選を前に候補者は「靖国に参拝しない」という筋道で自民党内で調整がすんだということだ。すでに参拝に批判的だった福田康夫・元官房長官が不出馬を表明し、谷垣財務相は22日午前、靖国神社参拝について「当面は差し控えたい」と述べている。靖国は「総裁選レース」の争点にしないということだ。メモの公表はそれを暗示するものだったのではないか。
安倍晋三がすでに6月に「外交問題に発展する可能性があれば、そうならない努力をしなければいけない」と語るなど、靖国問題の争点化の回避を訴えてきたことから判断してもそのような気配を感じる。
だが、これも急場の判断にすぎない。安倍の腹のうちは、政治家になって以後のこれまでの言動をもってすれば明確だろう。もし彼が総裁に選ばれ、時がすぎれば参拝するにちがいない。人のうわさも75日。時間とはまったく便利なものだ。政治家は時間を大事にしないといけないのだ。
日本国民は、昭和天皇の「不快感」発言を契機に、あらためて戦争責任とは何か、戦後責任とは何かを考える機会を得たと考えるのがよかろう。考えれば考えるほど、昭和天皇の責任がいよいよ明白になるというレトりックもここに潜んでいる。
その意味で管理人は昭和天皇に感謝する。
http://www.asahi.com/politics/update/0723/002.html
ポスト小泉のさまざまな動きのなか、安倍晋三は腹を固めた。固めたというのは、言い過ぎだ。極論すれば、この意向はマヌーバーにすぎない。首相にならんがための。
『朝日新聞』によれば、安倍氏は側近議員や学識経験者らの意見を踏まえ(1)総裁選などで靖国問題を争点化しない(2)参拝するかどうかは言わない(3)8月15日の参拝にはこだわらない――との方針を確認したという。
そうだとすると、昭和天皇の「不快感」メモはその「威力」を発揮したのか? これによって、首相はもとより、衆参議長、最高長官と、天皇にも靖国参拝をさせようという勢力の思惑が破綻したという指摘がある(『赤旗』)。管理人は別のエントリーで考えるところをのべたが、メモの公表が、靖国神社のA級戦犯合祀についての議論に「筋道」をつける意味ももっていたことをつけ加えなければならなかった。要は、総裁選を前に候補者は「靖国に参拝しない」という筋道で自民党内で調整がすんだということだ。すでに参拝に批判的だった福田康夫・元官房長官が不出馬を表明し、谷垣財務相は22日午前、靖国神社参拝について「当面は差し控えたい」と述べている。靖国は「総裁選レース」の争点にしないということだ。メモの公表はそれを暗示するものだったのではないか。
安倍晋三がすでに6月に「外交問題に発展する可能性があれば、そうならない努力をしなければいけない」と語るなど、靖国問題の争点化の回避を訴えてきたことから判断してもそのような気配を感じる。
だが、これも急場の判断にすぎない。安倍の腹のうちは、政治家になって以後のこれまでの言動をもってすれば明確だろう。もし彼が総裁に選ばれ、時がすぎれば参拝するにちがいない。人のうわさも75日。時間とはまったく便利なものだ。政治家は時間を大事にしないといけないのだ。
日本国民は、昭和天皇の「不快感」発言を契機に、あらためて戦争責任とは何か、戦後責任とは何かを考える機会を得たと考えるのがよかろう。考えれば考えるほど、昭和天皇の責任がいよいよ明白になるというレトりックもここに潜んでいる。
その意味で管理人は昭和天皇に感謝する。
人生を決めるのは遺伝か環境か
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/84/34cca5517fee5e8705f4c1308fa486e6.jpg)
自然を支配して生きようというわれわれ人間の生き方は、もしそれぞれの動物の生き方をその動物の「文化」と呼ぶとすれば、これはまさに人間の文化といえるものである。
著者がこうのべるとおり、人間の歴史は自然にむきあい、「支配」しようと挑みつづけてきたといえるだろう。この人間の生き方を決定するのは遺伝なのか。あるいは遺伝ではないのか。では、環境か。それとも遺伝と環境の両方なのか。
これを著者・日高敏隆は考察している。
遺伝の基礎が遺伝子にあることを誰もが知っている。しかし、遺伝子と「持って生まれた性質」である遺伝の関係は実はまだほとんど分かっていないらしい。一方で、「環境とは持って生まれたものではなく、生まれてからのちに出合う(ママ)ものだ」(日高)。
人間は遺伝か環境かというとき、持って生まれた性質としての遺伝と、一人の人間が生まれてのちに生育の過程でその人間を取り巻く環境の、どちらが大切かと我われは問うているのである。
著者はこの問いを、遺伝子プログラムとその具体化という視点から問い直そうというわけだ。
紹介されている話を読みすすむと、いつのまにか頭は先回りして遺伝子にからむ微妙な問題を想定してしまう。たとえば、「アヒルの足を誘導する形成体をニワトリの卵に植えた実験」や逆に「水かきのないニワトリの足の形成体をアヒルの卵に植える」などと聞かされると、いつのまにか優生学の世界を描いてしまうのだ。
本書には巻末に日高と佐倉統の対談が収められている。実は、そのなかでも遺伝子プログラム、特に人間に関する遺伝子プログラムを日高が強調する意味を、佐倉は、率直に問うている。
著者がいいたいのは、①種によって遺伝的プログラムがあること、②ただ、遺伝的プログラクがどう具体化されるかはまったく個人の問題。そこに遺伝と、環境や状況との関係が生じてくる、ということだ。要するに、遺伝的プログラムは大枠を決め、その中身を具体化するのは教育、環境、育ち方ということになろう。そういう意味では、「遺伝的プログラムがどう具体化されるかはまったく個人の問題」ではなく、社会の問題だともいえる。
それは、第3章にあるように人間は「集団で生き育つもの」だからである。
養老孟司の『いちばん大事なこと』も環境論であった。アプローチの方法はむろん異なるが、同じ「環境」を扱っている。解剖学者の手による環境論と、行動生物学者の日高のそれとを比較して読んでみると、そのちがいは歴然としている。そのちがいは専門外と専門のちがいに起因するだけではなかろうと思う。
現在の生物学の成果を素人が知るうえでよく整理され、インパクトもある書だ。
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日高敏隆『人間は遺伝か?環境か?遺伝的プログラム論』(文春新書)
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