いまだに
ぎっくり腰の後が
イマイチで
家の中は歩いているのですが
外出する自信が持てません。
昼間も時に
ごろごろ ごろごろ
ベッドにイモムシ状態で
怠けています。
その分
本はよく読めて
今は
「司馬遼太郎が考えたこと」
を読んでいますが
まったく
この方の身体全体が
言葉の宝庫なんじゃないかと思うくらい
文章の中に
いぶし銀の様な
言葉が
随所随所配置されています。
分厚い
この本に疲れて
ベッドからのっそりと起きてきて
テーブルで
「kotoba」
という雑誌を開きました。
明治大学文学部教授の
齋藤孝さんが書いておられる
「自分の中に日本語のプールをつくる」
この文章には
沢山の「うん、うん、」「そう、そう」「なあるほど」
ということが書いてあります。
*************
「意味がわからなくても子供達は覚え
字が読めなくても耳で聞いて暗唱できてしまう」
「暗唱してからだにしみ込んだ良質な日本語は
やがて成長して意味が分かるようになった時
こんどは自分自身の感覚や実体験と結びついて
自己表現やコミュニケーションの武器になっていく」
「昔は素読という暗唱文化が根付いていた。
現代は暗唱して
身体に言葉をしみ込ませる日本語教育をしなくなったので
味わい深い日本語の蓄積が激減している」
「素読で暗唱させられていた世代の人たちは
心に不安や迷いが生じた時
深い悲しみに打ちひしがれた時
心を立て直す為のヒントになる言葉を
ふんだんに身に着けていて
それが精神を支えていたのだと思う」
「現代は
メリット、デメリットはあるものの
ITの普及で
コメント力がすぐれてきている。
短い時間でパッと言葉をまとめて
短文で送発信する習慣で
書き言葉の表現が非常にうまくなってきている。
相手が消したくないと思う様なメールを打つ事を意識してみれば
これだけでコミュニケーションの取り方が違ってくる」
「褒めコメントを用意しようと思うと
相手をポジティブにこまやかに観察するようになる。
見つからないというのは
見つけようという意識で相手を観察していないのである」
**************
云々 云々
言葉について
納得させられる数々の事が見いだされます。
それもそのはず
この方
ミリオンセラーとなり
日本語ブームを巻き起こした
「声にだして読みたい日本語」
を出した方だったのです。