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【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

虚構の大伽藍

2012-01-14 18:12:38 | 心の宝石箱



   “アレッ!? 暖かい・・”  
  目覚めて思わず呟いた今朝の第一声。
  昨日までの寒さとは違います。

   その延長線上で、わくわく気分で雨戸を繰り、
  見上げた空は珍しく真珠色。ちょっとがっかり。
  でも、道理で冷えも少なかったのでしょう。

   今日の太陽は、ちょっぴり朝寝坊。
  その後、おずおずと顔を出したものです。
  今日は、ちょっぴり出し惜しみ。そんな日もありますね。




老いてついに自意識は、
時の意識に帰着したのだった。
本多の耳は骨をむしばむ白蟻の歯音を
聞き分けるようになった。
1分1分、1秒1秒、2度と帰らぬ時を、人々は
何という希薄な生の意識ですり抜けるのだろう。
老いて初めてその1滴々々には濃度があり、
酩酊めいていさえそなわっている事を学ぶのだ。
稀覯きこう葡萄酒ぶどうしゅの濃密な1滴々々のような、
美しい年のしたたり。・・・・・
そうして血が失われるように時が失われて行く。
あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。
豊かな血が、豊かな酩酊を、本人には全く無意識の
うちに、湧き立たせていた素晴らしい時期に、
時を止める事を怠ったその報いに。
(中略)
『いや、俺には、時を止めるのに、
「この時を措いては」というほどの時はなかった。
宿命らしきものが俺にあるとすれば、
「時を止める事が出来なかった」という事こそ、
俺の宿命だったのだ』
           【三島由紀夫 「天人五衰」~「豊饒の海」 第4巻】


   さて、やっとの事で三島由紀夫作 【「天人五衰」~「豊饒の海第4巻」】(全4巻)、読了。
  それにしても随分、長い事かかりましたこと!

   思えば1、2巻はわりと順調でしたが、3巻で思わぬ足踏み。
  それでも何とか読み終え、ほっとしています。

   私の場合、ほとんど音読です。
  口が疲れて黙読に戻しますと、いつもの癖でサ~~~ッと読み飛ばす始末。

   結局、音読に戻す羽目に。
  尤も今ではこの音読にも、すっかり慣れましたけれど。

   ところで、こちらの本、読み終わってある1点に釘付けになりました。
  「豊饒の海」 完。昭和45年11月25日とあります。

   この日は、三島由紀夫が東京市ヶ谷の陸上自衛隊、
  東部方面総監部の総監室に於いて、割腹自殺を遂げた日ですね。

   この4巻も3巻同様、裁判官から弁護士に転身した、
  ここでは老人になった本多(76~81歳)が主人公です。

   3巻辺りから感じていた事ですが、
  三島は自分自身をこの本多に投影していたかのようです。
  いいえ、三島自身だったのでしょう。

   彼自身、「輪廻転生(りんねてんしょう)」 の神秘に
  取り憑(つ)かれていたのでしょうね。

   そう言えば、取材旅行でインドでの 「ペナレス体験」 もしているのですね。
  帰途には、バンコクやラオスにも立ち寄っています。
  ここでの体験が強烈だった事は、この本からも容易に想像出来ますから。

   そして忘れてならないのは、飽くなき美への追求。
  自身、ボディビルなどで肉体を鍛え上げていたようです。

   老いて老醜(ろうしゅう)を晒(さら)す事に耐えられなかったのかと。
  それはいみじくも上記の文章に語っていますものね。
  もっと生々しい描写もあるのですが、ここでは省きます。





   こちらの言葉は、60年前に松枝清顕(まつがえきよあき)と別れ、
  奈良月修寺の門跡となった聡子の言葉です。

   「過去とは刻々に無に帰しつつある現存」
  含蓄(がんちく)のある言葉ですね。  

   清顕を知らないと言った聡子の言葉は、いかようにも解釈出来ます。
  あまりにも意味するものが深くて凡人には分かりかねます。
  「それも心々ですさかい」 ~ かも知れませんね。 


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