
“アレッ!? 暖かい・・”
目覚めて思わず呟いた今朝の第一声。
昨日までの寒さとは違います。
その延長線上で、わくわく気分で雨戸を繰り、
見上げた空は珍しく真珠色。ちょっとがっかり。
でも、道理で冷えも少なかったのでしょう。
今日の太陽は、ちょっぴり朝寝坊。
その後、おずおずと顔を出したものです。
今日は、ちょっぴり出し惜しみ。そんな日もありますね。


老いてついに自意識は、 時の意識に帰着したのだった。 本多の耳は骨を蝕む白蟻の歯音を 聞き分けるようになった。 1分1分、1秒1秒、2度と帰らぬ時を、人々は 何という希薄な生の意識ですり抜けるのだろう。 老いて初めてその1滴々々には濃度があり、 酩酊さえ具わっている事を学ぶのだ。 稀覯の葡萄酒の濃密な1滴々々のような、 美しい年の滴り。・・・・・ そうして血が失われるように時が失われて行く。 あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。 豊かな血が、豊かな酩酊を、本人には全く無意識の うちに、湧き立たせていた素晴らしい時期に、 時を止める事を怠ったその報いに。 (中略) 『いや、俺には、時を止めるのに、 「この時を措いては」というほどの時はなかった。 宿命らしきものが俺にあるとすれば、 「時を止める事が出来なかった」という事こそ、 俺の宿命だったのだ』 【三島由紀夫 「天人五衰」~「豊饒の海」 第4巻】 |

さて、やっとの事で三島由紀夫作 【「天人五衰」~「豊饒の海第4巻」】(全4巻)、読了。
それにしても随分、長い事かかりましたこと!
思えば1、2巻はわりと順調でしたが、3巻で思わぬ足踏み。
それでも何とか読み終え、ほっとしています。
私の場合、ほとんど音読です。
口が疲れて黙読に戻しますと、いつもの癖でサ~~~ッと読み飛ばす始末。
結局、音読に戻す羽目に。
尤も今ではこの音読にも、すっかり慣れましたけれど。
ところで、こちらの本、読み終わってある1点に釘付けになりました。
「豊饒の海」 完。昭和45年11月25日とあります。
この日は、三島由紀夫が東京市ヶ谷の陸上自衛隊、
東部方面総監部の総監室に於いて、割腹自殺を遂げた日ですね。
この4巻も3巻同様、裁判官から弁護士に転身した、
ここでは老人になった本多(76~81歳)が主人公です。
3巻辺りから感じていた事ですが、
三島は自分自身をこの本多に投影していたかのようです。
いいえ、三島自身だったのでしょう。
彼自身、「輪廻転生(りんねてんしょう)」 の神秘に
取り憑(つ)かれていたのでしょうね。
そう言えば、取材旅行でインドでの 「ペナレス体験」 もしているのですね。
帰途には、バンコクやラオスにも立ち寄っています。
ここでの体験が強烈だった事は、この本からも容易に想像出来ますから。
そして忘れてならないのは、飽くなき美への追求。
自身、ボディビルなどで肉体を鍛え上げていたようです。
老いて老醜(ろうしゅう)を晒(さら)す事に耐えられなかったのかと。
それはいみじくも上記の文章に語っていますものね。
もっと生々しい描写もあるのですが、ここでは省きます。

こちらの言葉は、60年前に松枝清顕(まつがえきよあき)と別れ、
奈良月修寺の門跡となった聡子の言葉です。
「過去とは刻々に無に帰しつつある現存」
含蓄(がんちく)のある言葉ですね。
清顕を知らないと言った聡子の言葉は、いかようにも解釈出来ます。
あまりにも意味するものが深くて凡人には分かりかねます。
「それも心々ですさかい」 ~ かも知れませんね。
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