Bill Evans / Portrait In Jazz ( Riverside RLP 12-315 )
1956年にリヴァーサイドと契約してから発表した最初の2作では平凡なピアノを弾いていたにも関わらず(但し、実演は素晴らしかったらしい)、
マイルスのバンドに加わったあたりからクラシカル・ピアノの技法を演奏の中に持ち込むようになって、ビル・エヴァンスは「ビル・エヴァンス」になった。
58年にマイルスのグループでコロンビアに録音した "On Green Dolphin Street" の中でレガートを多用したイントロを弾いてみせて、ジャズだって
こういう風に弾いてもいいんだ、ということを証明したわけですが、これは黒人グループの中に1人だけぽつんと混ざってしまった白人というハンデを
逆手に取った開き直りであり、小さな反抗だったんだろうと思います。 どうだ、君らはこんな風には演奏できないだろう、という感じです。
でも、これがマイルスにとっても、エヴァンス自身にとってもブレイクスルーになった。 この時の経験を発展させて、マイルスは "Kind Of Blue" を作り、
エヴァンスはこのアルバムを作りました。
ピアノを習う人は誰でも最初はクラシックから入ります。 そして時間が経ってジャズを志すようになるとクラシックのマナーは捨てて、ジャズの技法を
新たに習得することになる。 だから、ピアニストやピアノを習ったことのある人からみれば、エヴァンスがやったことは特に珍しいことではないし、
革新的なことでもなく、どちらかと言えば時間を遡って子供の頃に戻ったような退行感や既視感だったり、それは禁じ手だろうという戸惑いがある。
でも、ピアノを触ったことがない人にはそういう感覚はなくて、ジャズピアノと言えばガーランドやケリーのような演奏だという先入観があるから、
エヴァンスの演奏は非常に新鮮なものに映る。 これがビル・エヴァンスのピアノに特有のパラドックスだと思います。
ただ、エヴァンスが圧倒的に優れていたのは、そういうビートとは無縁のクラシカルピアノ感と併行して誰にも真似できないような際立ったリズム感が
あったことで、それらを極めて自然にミックスして両立させているところに本当の凄さがある。
更にブロックコードを使った絶妙な後乗りのタイム感でスタンダードの原メロディーを崩して変奏曲的に再構成してみせる、というかつての大バッハが
好んだ作曲技法までジャズに持ち込んだことです。 ジャズの世界でこれを最初にやったのはチャーリー・パーカーですが、パーカーの場合はどちらかと
言えば無意識的に「できてしまった」という感じで、明確に意識して多用したのはエヴァンスが初めてです。
このアルバムの冒頭に置かれた "Come Rain or Come Shine" の変奏の見事さは筆舌に尽くしがたいものがあります。 そして、黒人以上じゃないかと
思わせるリズム感の凄さ。 このアルバムは全9曲中7曲がスタンダードで、それらの全てにこの変奏形式が用いられています。
だから、たった2曲しかないエヴァンスのオリジナル曲がその美しいメロディーのおかげでわかりやすいスタンダードのように聴こえて、残りの7曲は少し
抽象度の高い初めて聴く曲のような印象が残るという逆転現象が起きていて、このアルバムに仕掛けられたそういう2重のパラドックスみたいなものが
この作品を非常に特異なものにしていると思います。
現代のピアノトリオの作品には "エヴァンス派" という冠がつくものが相変わらず幅を利かせているのではないかと思いますが、それらの中に
こういう意味合いを持つものがどれだけ存在するのでしょう。 ブルース臭がなく、ペダルの踏み過ぎで残響過剰で、レガートなフレーズしか弾けない
白人のアルバムは、これからも相変わらずそう呼ばれ続けるのでしょうか。