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『ブレイブ・ストーリー』~『祭壇』で何を願うか?

2011年06月14日 | アニメ
【王の物語】【アーキタイプ】



『ブレイブ・ストーリー』(2006年公開、監督・千明孝一、原作・宮部みゆき)をバックアップ。このアニメ映画、すごく好きなんで、ちょっと書き留めておきます。…というか、ちょっと前の記事で『魔法少女まどか☆マギカ』や『風の谷のナウシカ』の最後の決意の部分~『祭壇』~について語ったのですが、『ブレイブ・ストーリー』は典型的な『祭壇』に至る『物語』と言えます。

『魔法少女まどか☆マギカ』と『風の谷のナウシカ』その結末に宿るもの

▼【祭壇】「祭壇」という元型(アーキタイプ)に関する追記

はじめに断ると僕は原作の『ブレイブ・ストーリー』ではなく、アニメの『ブレイブ・ストーリー』が好きなんですよね。いや、勿論、原作も充分面白く、かつ良かったのですが、対してアニメは原作のダイジェスト感を拭えない構成となってはいるんですが…。
ちょっとだけ、ほんの少し原作からの改変ポイントがあって。いや、いろいろ改変している所はあるんですが、すごく気に入っている改変ポイントがあるって話ですね。…それも、改変とは呼べない程の小さな違いなんですけどね。それこそ原作自体も“その視線”はあったであろう事は、想定されるんですが、ちょっとだけ子供にも分かるように、そうしなかった、そう書かなかった…かもしれない所。…いや、すみません(汗)ちょっと今、原作ひっぱり出せないので、僕の記憶違いの可能性もあるんですが(汗)まあ、それくらい小さな改変なんですが、でも、僕にとってはすごく大きな意味がありました。

まず、あらすじから説明しましょう。『ブレイブ・ストーリー』は、主人公のワタルと、もう一人のワタルの影としての主人公と言えるミツルの二人が、異世界・ビジョンを旅して運命の女神の元へ向かう物語。どんな願いでも一つだけ叶えてくれるという運命の女神の元へ向かう理由が二人にはありました。
ワタルは、ある日突然離婚を宣言して出ていってしまった父と、そのショックで倒れて病院に運ばれた母を持ち、離れ離れになり壊れてしまった“家族”をもう一度取り戻したいと思っている。ミツルは、母親の不倫のために逆上した父親が母と妹を殺して自らも死ぬという、自分だけを残して家族が全て死んでおり、溺愛していた妹の運命を変えようとしている。
そうして二人とも異世界・ビジョンにおいて、願いを叶える権利をもった“勇者”として降り立ち、五つの宝玉を手にいれて、運命の女神に願いを叶えてもらう道を選びます。

しかし、「家族を取り戻したい」という同じ願いを持つ二人の旅路は対照的なものになります。自分一人では多くの事はできず、運送屋のキ・キーマや、サーカスにいたネコの少女・ミーナ、女戦士のカッツといった仲間を増やして何とか宝玉を手にして行くワタルに対して、元々、小学生離れした優秀さを持ち、かつ森を焼く、人を欺くといった手段を選ばぬ方法で宝玉を手にして行くミツル。
効率/スピードはミツルの方がはるかに早く、そして願いを叶えてもらえる者は一人。本当にワタルはミツルを抜く事ができるのか?…という展開なんですが、そのテーマははっきりと示されます。

「ほんとうに叶えたい願いのためには、何をしてもいいの?」と。

そのテーマは最後の試練においてワタルとミツルの二人に襲いかかるわけですが…。さて、ここで原作とアニメの改変ポイントなんですが…まず、一つは「異世界・ビジョンを、主人公の心の影響を受けた世界といった話をしなかった」点を上げます。
…まあ、この物語、心理学的解というか暗喩として考えると、モロに主人公の内面世界を描いていた物語と言えるんですが…そう、はっきり言わない所に意味があるというか……ワタルは最後に「他者を懐う決断」をするワケで、その他者は確かに存在する者として位置づける事には意味があると思います。内面世界で他者を認める事と、実際に他者がいる事には、主観において実は差はない~とか堂々巡りな事も言えるんですけど、それだけに「そう言わない」のが良いなと。まあ、心象に影響される世界をワタルとミツルが共有しているのも変じゃない?とかそういう面もあるでしょうけどねw

そしてもう一つ。これが大切な事なんですが。最後の試練で、二人は自らの分身(ダブル)と戦い、ワタルはこれに克ち、ミツルはこれに敗れ去って、ワタル一人が運命の女神の元に辿り着くのですが、アニメは、この分身の出自を“憎しみの心”としなかった所が好きなんですよね。大好きと言ってもいい。物語では分身は「あなた自身」とだけ伝えられます。
正直、そのために分かりづらくなっている面もあると思う。そして原作は、だからこそ“憎しみの心”という分り易い言葉を選んだのだとも思います。…でも、僕は断然こっち。僕はこの物語において“本当に恐ろしい敵”というのは“憎しみ”ではないと思うからです。



「ビジョンなんてどうなったっていい!!だって…だって!お母さんが…!!」

そう言ってワタルの分身は泣き叫びます。ミツルが最後に宝玉を手に入れるために、闇の封印を解いてしまいビジョンの世界は滅亡の危機に瀕してしまいます。この時、運命の女神の元に向かうワタルは「願いを別の事に使う」事が頭を過ぎっていたはずです。でも分身は言うんですね「そんな事はどうだっていい!!お母さんの方が大事だ!」って。
…そうなんですよね。僕には「絶対に叶えたい願い」を持つ事が“憎しみの心”とは思えなかったんですよね。その願いのために他がどうなってもいいと思う事。この場合「お父さん、お母さんと取り戻せるなら、他がどうなってもいい!」と思う事が、即、憎しみの心、悪い(?)心なんて風には考えられないです。だから、その願いの心とは“別”に、世界を憎んでいたミツルは分身に敗れ、そうでないワタルは最後の試練を通過できた…って事でもいいのでしょうけどね。
僕は「ほんとうに叶えたい願いのためには、何をしてもいいの?」がテーマだとしたら、対峙するべきは「(何を引き換えにしても)願いを叶えたい心」であって、他の心~この場合は憎しみの心~ではないと思うんです。



「願いを叶えたい心」が最後の相手となって、この試練は最も恐ろしい絶対不倒の試練となります。「何としても願いを叶えたい」と想い続ける限り、分身は存在し続け、そしてその分身を殺せば自分が死ぬ~必ず相討ちとなる~からです。誰も運命の女神に辿りつかせない、そういう機構になったと言ってもいい。実際に、ミツルは為す術もなく、この試練に敗れ去ります。
でもワタルはこの試練を通ります。何故、絶対不倒の試練を通れたのか?それは分身が消え去ったからです。何故、分身が消えるのか?それは「叶えたい願い」を諦めるからです。ただの、願いじゃないですよ?「絶対に叶えたい願い」です。そうじゃなかったら、ここに来る前の試練で挫折していたはずです。

最後の試練を抜けたワタルは、まあ、ある意味、予定調和というかよく知る決断として「ビジョンを救う」願いを出します。これ別に「どうしても叶えたい願い」がビジョンを救う事に変わったわけじゃないと思うんですよね。それだと分身は消えないから。いや、他の納得する言葉として、自分だけの願いから、皆の願いに変わった時、分身は消える……って言い方でもいいかもしれませんが。僕の言いたいことはそんな変わりません。

結局、たどり着いた“ここ”は自分の願いを言う場所ではなかったって事です。それが分かる“勇者”しか、ここには辿り着けない。絶対に叶えたい望みだった。だからこそ、ここまで辿り着けた。でも、ここはそれを言う場所ではない。何故なら、ここに来れたのは、自分一人だけの旅じゃなかったから。“みんな”がいたから。だから、ここは「みんなの願い」を言う場所だと。勇者はそれが分かってしまう。誰に言われるわけでもない。嫌でも!どうしても!分かってしまう。それこそが勇者の物語(ブレイブ・ストーリー)だから。

だからワタルは女神に「あなたの願いは…?」と聞かれた時、「ぼくの…」で、一拍置いてから「“ぼくたち”の願いは」と言い直します。…ここも改変している所だったはずです。そして僕はその言葉に感動する。それこそがワタルが辿り着いた場所だと思うからです。そうして彼は「大切な仲間たちと、この世界に未来をください」と願うんです。

…余談ですけど、女神がが採用したワタルの願いって“こっち”かな?と思うんですけどね。いや、ワタルは最初「ビジョンから魔族を退けて下さい」って言うんですけど、その願いが行使された後、実はミツルと彼の妹は生き返ってるんですよ。そのラストが、ある意味謎なんですが……「仲間たちと、この世界に未来をください」が採用されていれば、これもアリになるかな~?(…仲間って苦しいかな?)とか考えたり。いや、ま、普通に奇跡が起きた!でもいいんですけどねw

「ほんとうに叶えたい願いのためには、何をしてもいいの?」という命題は……それでも!どうしても!妹を取り戻したいのに!!と考える人だと納得いかない所もあるかもしれませんが、この物語は別にそれを否定しているワケではないと思います。でもねえ。「何をするか?が、叶う願いを決めるんだよ」というかね…。
まあ、そろそろ締めるので、変に煙に巻くような事を言うのは止めておきますがwワタルの辿り着く場所、ワタルの出す答えは、僕はとても好きなんですね。自分の願いを捨てて「みんなを救ってくれ」なんて、ある意味陳腐、ある意味予定調和な、結末ですけど、何故、そこに至るのか?という事をこの『物語』はシンプルに、美しく、見事に描いてくれている。そして、そこには『王』の道があると僕は思うんです。


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2 コメント

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願い(目的)を叶えること (哲学)
2011-06-14 08:42:04
 この記事を読んで刀語の誠刀「はかり」の話が浮かびましたね。あそこで仙人がとがめに伝える教訓――「目的そのものを諦めなければならないことがある」。とがめはそれを否定したから最終回でああなった訳で――そこで自ら(個人)の目的を捨てられるのが王なんでしょうねぇ。
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Unknown (LD)
2011-06-14 22:54:04
Re:哲学さん

人は何故、目的を達成しようとするか?について簡単に説明すると“幸福”になるためって事だと思うんですよね。
故に本来は、目標を達成しても幸福になれないのなら、意味はなく、別の幸福になれる道を考えるべき……という言い方はできると思います。

でも、それこそ命がけで決めた事が、そう簡単に覆るわけがない。「自分が死んだとしても、それで幸せ」なら、もう幸福の上限“アガリ”と言ってもいい。

でも、それでも。ほとんど上限でも、アガリでも、もっと良い事、幸福なる事を考え続けられる者。そして、その上限の幸福を捨ててでも、そちらに乗り換える事ができる者こそが…という話に考えています。

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