今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。






『機動戦士ガンダムSEED』(2002年)録直し。第1話だけ逃してしまいましたが。僕は、この『物語』の後半、第三勢力になるところがすごく嫌で、わりと『SEED』評を挙げる時には、そこに触れて批判していました(汗)
本来、僕は思想的な批判と作品評は分けて話しているつもりなんですが……それでも自分を振り返って見ると、『SEED』に関してはかなり思想的な嫌悪感が先立っていたと思います(反省)。それくらい嫌なんですよ。戦争をどうやって止める?という問いに「両軍攻撃する」みたいな結論を出すのは。多分、『ガンダム00』のソレスタルビーイングに対しても似たような事をしゃべると思う(汗)
しっかり世界征服して、自分らが“法”であるという根拠を持ったらいいと思うんですけどね。それをしたら“悪”になっちゃうから、“悪”は引き受けないで“無法”をはたらいているんです。卑っ怯な!(笑)

しかし、改めて観てみると“主人公グループ”が、第三勢力化する流れがわりとしっかり描かれている事と、第三勢力化している期間は自分の記憶イメージに残っている時間より、ずっと局所的な事が分って、これだけ「さらっ」としているならバランスとしてありだな…という印象に変わりました。

それとラクスはやっぱり変な人だなあ…とか、フレイはあそこで死ぬにしても、もう少しじっくり変化を描いて欲しかったなあとか思いますね。4クールをして描くものが収まりきっていない感があります。これは『SEEDディスティニー』で、もう一度やるというより、『SEED』のプロット、構造のままで、キャラも設定も増やさず掘り下げるのがよい気がします。
ラクスは多分、収まりきらないしわ寄せが来ているのではないでしょうか。元々、不思議かつ便利な子なので、説明不足でも許されてしまうんですよね。

戦争をテーマにしたアニメで、なぜ戦争になるのか?なぜ戦争は続くのか?を「なんか軍需産業やら政治家やら、偉い人が戦争したがってて、庶民は戦争したくないんだ」か、あるいは「だってエクソダスしてきたから」みたいな“寓話”を超えた描きを見せるアニメが少ない中で『SEED』は、悪くないアプローチを見せていたと思います。
しかし、それを本当にやろうとすると4クール超えても足りないくらいなんですねえ……そういう事か。

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http://live.nicovideo.jp/watch/lv117002614

海燕さんの『ゆるオタ残念教養講座』でニコ生実況『エヴァ17~19話』にペトロニウスさんと一緒に出させてもらいました。まあ、僕は、先日の『エヴァQ』ラジオでしゃべっていた事を繰り返し喋らせてもらったみたいな感じなんですが、かなり気持良く話せました。

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【魔法少女大系】



『魔法少女プリティサミー』(1996年放映)コンプリート。TV版のやつですね。(OVA版は1995年リリースか…)この時期、アニメ界隈では一世を風靡していたと言える『天地無用!』シリーズのかなり特殊なスピンアウト作品ですね。元々は『天地無用!』のドラマCDから出た…まあ、パロディというか、冗談のネタだったのですが、それがあれよあれよと妙な人気を獲得したらしく(?)気がつけば、TVアニメとして夕方6時半に放送という快挙までたどり着いています。
これは『天地無用!』というタイトルの人気の大きさも然ることながら、主人公の砂沙美の声優である横山智佐さんの当時の人気の影響も大きく、また『セーラームーン』から来た“美少女戦士もの”という大きなブームの影響も大きかったと思います。『天地無用!』自体は美少女戦士ものとは、非常に呼び難い状況を考えると、90年代アニメのある焦点に当たる作品と言えるかもしれません。

『魔法少女プリティサミー』は、魔法の国・ジュライヘルムの女王候補となった津名魅が、その最終試験として地球にいる「魂を同じくする少女」に魔法の力を与えて、その行動を審査し可否を決める事になる。その魔法を与えられる魔法少女に河合砂沙美ちゃんが選ばれプリティサミーに変身するという『物語』。それを女神候補に落ちた津名魅のライバル裸魅亜が、砂沙美の親友である美紗緒ちゃんをピクシーミサに変えて邪魔をする…というのが毎回のストーリー。
まあ、あれですよ。始まった時は「大きなお友達向けの魔法少女」に見えたものですが(´・ω・`)……どうだったんでしょうね?夕方6時代に放送ですから、子供の視聴者もそれなりに付いたようにも思います。
いや、現在においては、魔法少女ものを“何向け”か論じる事自体アホらしい事ではあるんですが、当時は子供向けとしては亜流のものがTVシリーズとなった驚きのようなものがあったんですよね。今にたとえるなら、深夜アニメで流れている作品の中には「夕方に流すのはどうだろう?」と思うような作品とかありますよね?それが流れてきた…という感覚に近いかもしれません。
内容的にも、パロディ的なものや、お遊び感覚のものが多く、『天地無用!』というタイトルに対する、ちょっとしたボーナスステージな面はあります。同時に「な~んか、いい具合に肩の力が抜けている」所があって、ス~ダラ節的というか…、手なりというか…、いい意味で無責任な感じに話が展開していて、ちょっと他の魔法少女アニメでは観られないような独特の味…ス~ダラ感がある事は確かです。(`・ω・´)

ところで「実はこの娘、魔法少女をやっていました!(なんちゃって!)」って感じのパロディネタ、どこから来てますかね?(『天地無用!』内の)『プリティサミー』が最初って事も……ないとは思うんですが、どうも記憶を辿れません(汗)
当時、セーラームーン・ブームで、アニメ制作サイドは「あの変身シーン」と決め台詞の「月に代わっておしおきよ!」をスキあらば放り込んで、模倣していた頃なので、この結合が起こるのは時間の問題だったとは言えるんですが……ん~…まあ、たとえば、それより以前に「スケバン刑事」が流行った時も、似たようなパロディとかマンガ内で横行していたワケで、これが取り立てて、目新しい発想ではなかったと言えます。

しかし、それ故か『プリティサミー』は、その後のパロディ/バトル魔法少女の『情報圧縮体』とも言うべき存在になっています。さらりと、創ったが故に、妙に急所をついて不思議な汎用性を持ってその後流用されている。
大きな所では、その後、バトル魔法少女として大きな力を持つ『魔法少女リリカルなのは』(2004年放映)は『プリティサミー』のアレンジと言っていい。…というかこの作品も元々パロディ→スピンアウトですね。
あるいは深夜のおたく向けアニメなどで“魔法少女ネタ”が入るのがある種定番化している所がありますが、そうですね、たとえば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の妹ヒロイン・桐乃が溺愛する劇中・魔法少女アニメ『星くずういっちメルル』は…『リリカルなのは』が元ネタでしょうけど、それを辿れば『プリティサミー』に着くはずです。他にもいろいろありますよね。

そうまで「元は『プリティサミー』」と言い切ってしまえるのは、サミーのライバル魔法少女・ピクシーミサの存在が大きいですね。悪の魔法少女って、そもそもかなり男の子視点が強い、克己的なキャラだと感じるのですが、これが魔法少女界にはバトル方面以外、なかなかいない(汗)
ピクシーミサ以前だと『魔女っ子メグちゃん』(1974年放映)のノンが有名所で(ノンは、カッコ良くってすごく好きなキャラですが)あとは…『花の子ルンルン』(1979年放映)のトゲシニア…?ほか何か捻り出せない事もないですが、色々議論の余地がありそうな気がします。また『メグちゃん』自体も、当時としてけっこう男の子の視線を意識した作品でもあった(メグから入った魔法少女ファンは多いはず)面があって、なんか……こういう“ライバル魔法少女”って男の子方向な気がするんですよね。…まあ、それは別の検討としますが。
しかし、“変身的”(つまりヒーロー的)なフォーマットがついてからの魔法少女だとピクシーミサって事になってくると思います(…何か記憶落としあるかな?)既に“戦隊”を取り入れていたセーラームーンだと、こういう反存在~アンチ・ヒーロー~を取り入れづらくなってる事もありますね。

この善の魔法幼女対悪の魔法少女という図式で『物語』を回す方式は、非常に使いでよくパロディとして利用されていっています。そのある種の使いでの良さは特筆すべきものがあります。
何を長々と語っているのかと言えば、たとえば「少女マンガの定番パロディ」としてよく、朝、食パンを加えながら「遅刻!遅刻~!!」とか言って走って登校して、曲がり角でガン!と男の子とぶつかって…というのがありますよね?あれって、けっこう(パロイディではない形で)そのまんまの展開やっている作品は相当少なくって、されに「大元は何か?」みたいな検討をするとなると、かなり相当難しいのですよね(汗)要するに、あれは少女マンガ界にある、何か「もやっ」とした集合的な物語の原型という面があると思います。
しかし、「(バトル系)魔法少女の定番パロディ」は、元ネタがあるんです。それくらい『プリティサミー』は、(バトル系)魔法少女の「もやっ」とした所にある物語そのままで、あまり何かを削ったり付け足す必要がない。これってけっこう凄い事です。

ほとんど一場面を抜き出すだけでも、どういうシーンか分からせる。謎の魔法少女が登場して苦戦しているシーンなのか?ライバル魔法少女と最後の対決の時なのか?ライバル魔法少女の正体がわかってショックを受けているシーンなのか?ライバル魔法少女が復活共闘して来て真のラスボスと最終決戦なのか?ワンシーンを定型的に出すだけで、ズバッ!と伝わってしまう。
これは、パロディで使われるわけだと思うんですが…ヘタをするとバトル方向では元祖のヒーローものよりシーン抜き出しの分かりやすさと一見の説得力を持っています。
全てが合致するワケではないのでですが、それでも『プリティサミー』は、何か核のようなものをシンプルにつかんでいる気がします。多分、なにか偶然にも。パロディという意識の共有から来る集合的な物語の顕現…まあ、あんまりごちゃごや言うのは止めますが(汗)

結果として『プリティサミー』は、表の『セーラームーン』のエポックに対して、裏の焦点のような作品になっています。ある意味、異端・異色の魔法少女なんですが、それ故、魔法少女というものを裏で広くカバーしている…“裏番”のような存在かもしれません(笑)


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【反英雄譚】



『ギルティクラウン』のストーリーが佳境に入って来ました。『ギルティクラウン』は、アプカリプス・ウィルスの突発的な感染拡大によって一時無政府状態になり、超国家組織GHQの統治下に置かれた日本で、主人公・桜満集に偶然(?)人の心を武器道具に変えるヴォイドの能力が宿り、レジスタンス組織“葬儀社”に関わって行く『物語』。
それまでちょっと立ち上がってはすぐ転ぶような半ヘタレの主人公だった桜満集くんは、自分を好きでいてくれた少女・祭(はれ)を失って、はじめて自らに宿された“王の能力”を存分に、酷薄に振るい始めます。…どうなるんでしょうね?この集くんの目を覚まさせ得る、と思える一番のキャラは今は亡く、他の候補はいくぶん怪しい…というか、ここで集くんの精神を「元に戻す」行為は、そのまま死亡フラグが立ちやすそうなイメージなんですよね(汗)

桜満集が非常に守られた主人公だと言う事は、これまで『ギルティクラウン』を見てきた人には分かると思います。設定的には、先に偶然(?)と書きましたが“ヴォイド”の能力を身につけるのは半ば予定調和だった事は明らかになっています。また、集が憬れる……と言うか、かなり、やっかんでいた涯も、彼との関わりの中で生きてきた者だという事が分かっている。
シナリオ的にも、途中何度も躊躇し、転び、うずくまっていたにも関わらず、彼は最後は「間に合う」。あるいは間に合わなかった部分は(軽微な事故として)不問にされる。かなりの“ご都合”が彼に渦巻き、『物語』全体が彼を主人公であれかしと支えている構造になっている。『物語』とは元々そういうもの…だとしても、凡そ過度と言っても支えられ方をされていると思います。

たとえば、集くんは涯に最初に“葬儀社”に誘われた時、それを断って日常を選んだ。…そうすると、次の日、正ヒロインのいのりが転校して来るんですよね(笑)まるで『ギルティクラウン』という物語自体が、彼を自らのフレームの真ん中に収め直そうと、移動したかのよう、物語は彼を追いかけているかのようです。
逆に言うと、彼が何回、選択ミスをしても、くじけても、失敗しても『ギルティクラウン』という物語は彼を主人公として承認し続ける…と、そういう事のように思えます。
さらに言うと、彼はそのくらい危うい主人公~『ギルティクラウン』の主人公となれる、英雄となれる権利を、簡単に手放してしまいそうになる、そういうボーダーな主人公なんです。

…しかし、それだけ設定に“守られ”、シナリオで“間に合い”続けた主人公だけに、最後には彼を問答無用に守っていた設定自体が“罰”に変じ、そして最後の最後、本当に間に合いたい時に間に合わない展開が待っていたりするかもなあ…というイメージも浮かんできますが、まあ、それは余談として…。
この構造は、『受け手』に「劇的なる展開が訪れた時、僕らは本当に英雄になれるのか?」という命題を投げかけているようです。「そんなの、なれるわけない(`・ω・´)」と、即答してしまう人は、逆に集くんの事も分かるんじゃないかと言う気もするんですけどね?なんかネットとか見ていると集くん、けっこう嫌われているみたいなんですが…(汗)
集くん「英雄になれないとしても、これくらいはがんばりたい……多分、自分に『三国無双』みたいな能力があったら、これくらいは……がんばれると思ってもいいよね?……でも、これ以上は、ちょっとウソ臭いかもね?」みたいな、いいい波長出していると思うんですけどね。上手く行ってもあんまり集くんが「しっかりしたから」という感じがせず、やはり“守られている”感じが出るはず。(…ああ、そこが嫌われるのかな?)

ここらへん(↓)以前の記事で扱っていた『反英雄』の話と接続できそうな気がしています。描きは多少、違っていますが「上手くやれるはずない」という呪縛において方向的にはおそらく近しいものを感じます。

間違えた道のヒーローとヒロインたち~『Fate/Zero』とか『めだかボックス』とか…
彼ら、彼女らは、「間違えた道のまま突っ走っている」事が共通していると言えそうです。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、球磨川禊、衛宮切嗣、暁美ほむら、立華かなで、そしてベアトリーチェは、間違った判断をし、間違った決断に至り、しかし強い信念のもと「自らを信じて」一心不乱にその物語を駆け抜けている。
しかし、「元々、間違った判断なので、いつまで経っても、どんなにがんばっても、自分たちの望む場所にたどり着けない」のですよね……そういうキャラたちだと言えます。

(中略)

たとえば『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『キャプテン』の谷口(イガラシでもいいかも)、『コードギアス』の枢木スザク(僕は彼は最後に折れたと思っていますが、少なくともルルーシュと敵対しているスザクは)といったキャラがそうです。
彼らはまず、即断即決と言っていい、極めて短時間で“正しい判断”を下します。そして、その信念に基づいて一心不乱にひたすら行動で示します。そうして元々、正しい判断だったので、(時に彼らの行動は、最初は、大変まだるっこしい遠回りに見えたりもするのだけど)結果として予想外の短期間で「望んだ結果」という果実をもぎ取ります。

…完全に上に上げた、「間違えた道のまま突っ走っている」“彼ら”、“彼女ら”とは違う存在、ともすると、それだけで強い憎悪を持たずには居られないようなキャラだと思います。

この記事で上げている“彼ら”は少なくとも、決然と行動を起こしそれによる失敗を自らに引き受けているワケですが、この話のある側面(あくまである側面ですが)としては、集くんの決然とする事すら躊躇があるような在り様の方が、より目指したものに近い……と考える事もできます。

どう言いましょうね?「桜満集くんは、本来の球磨川くんなんだよ?」とか言うと伝わりがいいですかね?「球磨川くんは、何だかんだ言ってカッコいいよね?」という彼への指摘は、本来ダメな奴なハズなのに、意志力は強い→カッコいい→ダメな奴になっていない→という矛盾から来ているものですが、それさえも薄いとどうなるかと言うと…集くんみたいになってくるはず。(´・ω・`)
集くんは、確かに「チート能力で無双なオレ」というストーリーの主人公を演じてはいる。演じてはいるけれど、彼を主人公たらしめているモノはその「設定」しか無い事は、けっこうしつこく、繰り返し描かれていると思います。

それで最終的に、集くんが主人公(英雄)としての何かを発現し得るのであれば、今話している事(反英雄の話)は、基本おじゃんで(汗)まあ、『マブラブ』の白銀武ちゃん…みたいな感じの『物語』だったねという話に落ち着くと思います。
“そっち”じゃないなら……桜満集は英雄性を遂に手に入れる事はなく、その為に何かしらの“罰”を受ける事になるんじゃないかと思っています。
…まあ、どうなんでしょうね。決めたような事言っていますが、解釈の話ですしね。たとえば集くんがその身を投じて世界を救えば、彼は英雄である事と罰を両方受けている…という解釈もあり得るようになるしね。…まあ、分かりません(汗)
とまれ、集くんのダメっぷりはけっこう僕の琴線に触れますね。これだけ主人公として守られているのに、大した事ができない、そのちっぽけさが痛かったり、不思議と癒されていたりもします(汗)


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【魔法少女大系】【美少女戦士大系】



『愛天使伝説ウェディングピーチ』(1995年放映)コンプリート。以前、録画で最初の数話を録り逃していたのを、最近、録り戻しました。(`・ω・´)『ウェディングピーチ』は、天使界と悪魔界の戦いに巻き込まれた、少女・花咲ももこが、愛天使ウェディングピーチに変身して、この世を愛無き世にしようと目論む悪魔界の女王レインデビラと戦う『物語』。まあ、あと天使の生まれ変わりの女の子が3人くらいいて4チームで戦います。

まあ、この作品を観たことがある人は分かると思いますが、ぶっちゃけ『美少女戦士セーラームーン』の超後追い…模倣と言える作品です。模倣なんて言葉を使うと、何か悪い印象をもたれてしまうかもしれませんが……エンターテイメントの世界では、そのジャンルが発展するために必要な過程とすら言ってもいいんですよね。また、『ウェディングピーチ』にはオリジナリティが無いと言う話のつもりでもないです。
たとえば『ウルトラマン』(1966年放映)が生まれた時、その後の世界に巨大ヒーローもの…というより“ウルトラマンもの”とも言うべきジャンルが第一次~第二次の怪獣ブームをまたいで一大発展していった(※別の話ですが、ここらへんの特撮ヒーロー/怪獣史観は別の視点でまとめ直した方がいいような気もしています)。その中で『ウルトラマン』製作を代表する実相寺昭雄監督が、宣弘社で『シルバー仮面』(1971年放映)作ったよね?とか。
『マジンガーZ』(1972年放映)が生まれた時、その後の世界に巨大ロボットもの/スーパーロボットもの、と言うべきジャンルが一大発展を遂げて行った。その中で『マジンガーZ』を創作した永井豪先生が、ナックで『グロイザーX』(1976年放映)の監修(原作は桜多吾作)してたよね?とか。
そんな中で『セーラームーン』(1992年放映)のキャラクターデザインしていた只野和子さんが、『ウェディングピーチ』のキャラデザしていたよね?声優さんも三石琴乃さんが敵幹部・ポタモス(このキャラ相当良かったです!)の声で出たよね?とか、そういう感じなんですよ!?(`・ω・´)

いや、模倣作や追従作はその元となる作品が如何に“強かった”かを測る一つの指標みたいな所もあって、『ウェディングピーチ』は、アニメ史的な位置づけとしては、その意味が非常に大きな作品だと思います。
これは、近い時期に同じく模倣された『赤ずきんチャチャ』(1994年放映)、『ナースエンジェルりりかSOS』(1995年放映)といった作品群と比べてみても、極めて転写性の高い、ほとんど『セーラームーン』の何が良かったのか?を確認するための習作と言っていい程、一線を画す程の後追い性をもっていると思います。

東映ヒーローから、おそらく不思議コメディ~『美少女仮面ポワトリン』(1990年放映)といった魔法少女系の「ちょっと間抜けなような、それでいてちょっとカッコいいような、でもやっぱり間抜けな感じ」を『セーラームーン』は踏襲していて(この感覚は説明が難しく、また別に語る必要があるのですが…今だと「シリアスな笑い」と言った方が伝わりやすいのかも…)『ウェディングピーチ』もそれをけっこう忠実に後追いしている。
「ウェディングお色直し!」とか、「ミルクで乾杯!!おめでと~!!」って戦闘後におもむろに乾杯しだす所とか、むしろ『セーラームーン』を超えて、シュールさがウリだった『ポワトリン』に近くなっている感さえあります(笑)
まあ、そもそも、僕は『セーラームーン』を初めて観た時、「なんでセーラー服やねん?Σ(´・ω・`)」とツッコんでいたのですが、『ウェディングピーチ』観た時は「なんでウェディングドレスやねん!!ってかお色直しで脱ぐんかい!Σ(`・ω・´)」…とツッコんでたんですよね。(※無論、『りりかSOS』には「なんでナースやねん!ってかどこがナースやねん!」とツッコミますたよ?)

また、美少女戦士であるセーラームーンとの差異として、ウェディングピーチは“恋愛の戦士”というか…“結婚の戦士”(?)である事もあって、他のメンバーであるリリィや、デイジーにも、恋愛ドラマが大きめに盛り込まれて、三者三様の展開がありました。
『セーラームーン』の他のメンバーの恋愛エピも、あるにはあるのですけど、かなり小さくワン・エピ程度に抑えられる傾向(その後の無菌系的匂いがする…)があったのに対して、これは『ウェディングピーチ』の特性と言えます。しかし、それだけに、最終回で誰も相手がいない、サルビアが相当不憫に思えたのですが…(汗)(マンガ版だと相手がいる見たいですね)
最終回で女王レインデビラが、ピーチたちを負かして、倒してしまって、その後に浄化(改心)するというシークエンスがなかなか好みでした。元々、“美少女戦士もの“は「戦っているけど、暴力を振るってはいない」という描きに非常に気を配っている面があって、これはその最終局面として、一つの解法ではありましたね。



以前、(↓)ここらへんの記事を書いたのですが、そろそろ魔法少女(変身魔法少女)と、美少女戦士ものを接続して行く記事の作業に入っていこうかと思っています。
しかし、本当に接続させるためには、魔法少女ものが力を落とした(…と僕が考えている)時期である1989年前後期の作品を押さえて行く必要がありますが…。まあ、そこは比較的情報が集まりやすい『セーラームーン』という大きなムーブメント以後の影響と並行して語って行きたいです。

『カードキャプターさくら』魔法少女の結末と再生


エミの所属していたマジカラット団が解散し、団員たちもそれぞれの道を歩み始める。エミの公演が終わった誰もいない舞台で、魔法が使えなくなった舞は一人マジックの練習をする。もう消えてしまった妖精のトポを思い出して涙をこらえる。失敗して掌から球を落とす。零れた球を拾いながら舞は泣く。将が迎えに来る。舞はいつか再び立とうと願うその舞台を見つめながら、今は扉を閉じる。………という、そのラストは本当に名シーンで「マジカルエミ」を魔法少女ものの最高傑作に上げる人が多いのも納得なんですよね。

『美少女戦士セーラームーン』様々な要素が盛り込まれた“美少女戦士もの”の結晶


しかし、それは間違い…とも言えないのですが(その後の発展の仕方を観ても)、ともかく一方向一元的なものの観方で、実際にはもっと沢山の老若男女を巻き込んだ込んだ「強い」シリーズと言えます(※注:老=大きいお友達、若=小さいお友達)。すご~く大雑把に言うと、魔法/変身要素で女の子を取り込み、バトル要素で男の子を取り込み、ラブコメ/ロマンス要素で高学年(以上)の女の子、美少女要素で高学年(以上)の男の子を取り込んだという……んんん、大雑把だなあw別にバトルが好きな女の子も、ラブコメが好きな男の子もいるでしょうしねwとまれ、それらを取り込んだ総合的なエンターテイメントとして、かなり革新的なジャンルとして「セーラームーン」はそのフォーマットが構築されて行きました。



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【脱英雄譚】



ボヤージ「子供が知った風な口を!お前さんだって昔を引きずって戦っているんだろうが!!そのガンダムで!違うとは言わさんぞ!」

グルーデック「……ふん。フリットをお前らと一緒にするな…!!」

エミリー「…?」


(『ガンダムAGE』第7話より)



グルーデック「私の名はグルーデック・エイノア。お前の父親を殺したのは、この私だ。お前は私と同じだ。復讐という亡霊に取り憑かれて、悲劇的な人生を歩め」

(『ガンダムAGE』第15話より)

15話のこのグルーデックさんのセリフは、他のクルーには聞こえていたのでしょうかね?…場面の繋ぎを見ると、どうも要塞の異変に気を取られて聞きとってはいないように思えます。(ちなみに、7話の「フリットをお前らと一緒にするな」は当然、「オレをお前らと一緒にするな」に掛かってますよね)
まあ、どちらであれ、グルーデック・エイノアという男は、この戦役に関わった軍籍者に対する全ての責めを引き受けて、軍法裁判で裁かれ、それ故「知られざる英雄」としての立場を確立して退場したようです。(再登場あるかな?)
しかし、同時に彼の復讐者としての一面を見せて第一部の幕を閉じている。…と言うか、彼は自らの復讐を為すために、独断専行を行い、それを「英雄のフリをする事」で正当化し、英雄的論理を説くことで、他者を巻き込んだ男と言えそうです。

……大分、『ガンダムAGE』のやりたい事が観えて来ました。いや、「100年3世代の物語」という事は前情報で知っていたのですが、敵のEUがコミュニケーション(交渉)可能な相手かどうかも分からなかったので、そこらへん、どう100年の物語とするのか判然としない所がありました。
しかし、グルーデックさんの最後のセリフで「ああ、この人、やっぱり“胡散臭い”人だったんだ…」ってハッキリすると~それに、フリットがこの人と“同類”である事が分かると~かなりスッキリ『物語』が見渡せるようになりました。

…じゃあ、グルーデックは“偽の英雄”なのか?というと僕はそうではないと思う。「偽善もまた善」というロジックがあるように、法律違反を犯したら英雄ではないという定義付けでもしない限り、彼はEUの地球侵攻とその被害を(ある程度)阻止した英雄と言っていいと思います。
…まあ、この人の独断専行っぷりは、いささかファンタジーがあって『ぼくらの七日間戦争』めいた所があるんですけど(汗)英雄幻想を持った主人公のフリットがそれを肯定して話が進んで行くから、むずむずして座りが悪い所もあったんですけどね(汗)

多分、『劇場版パトレイバー』の後藤隊長の「何もせずに被害が本当のモノになっても俺たちは犯罪者だ。…どっちがいい?」(だったかな?)くらいの感覚を目指したんじゃないかと思いますが、単独の反逆者が艦隊率いて要塞攻略するのは無理があるかなあ…(汗)ちょっと生々しくなるけど、元々のシンパ・同志にあたる将校・兵士が何名かいた方がよかったかも。
しかし、粛々と規律を守って、その範囲内での“復讐”を目指す行為は、今述べているような英雄と復讐者の表裏の物語が観えづらくなって、痛し痒しな所があります。

その中でグルーデックさんは、復讐優先でコロニーの人々を見捨てるようなマネはしなかったし、EUの要塞攻撃も、連邦がアテにならないから離反したという説明はされていて、その上で“胡散臭く”も描く…と、結果、良くも悪くもある人間が現出していて、なかなか興味深いキャラになっています。

そして、そのグルーデックイズム(?)をもろに継承して、第二部の大人フリットがいる…と思われるんですが、彼はどうなるんでしょうね?
あるい意味、グルーデックさんの話で「タネ明かし」されてしまったので、物語としての“分かりやすさ”のために、分かりやすく「間違ってる大人」として描かれてしまいまそうな気もします(汗)それだと、なんか『ガンダムAGE』の第一部の“味”のようなものを感じはじめた僕としては、ちょっと残念なんですよ。

この物語のテーマには、よく言う「憎しみの連鎖を断つ」と言うか「復讐の否定」と言ったものがあると思うのですが、しかし、即決、一刀両断に「復讐は下らない。何も生まない」などと切り捨てる描きは、少なくともこの場では、意味がない。「グルーデックは復讐心で、多勢の人を守ったぜ?」とかね(笑)
“復讐”は本来共感できるものなんですよ。簡単に否定できるなら話は簡単なんですよ。だから、この物語は復讐心を共感させつつ、その共感できる復讐を否定しなくてはならない、そういう難しいハードルがあった…はず?結果、ちょっとスッキリしない部分があったかもしれませんね…というか僕はスッキリしていなかったんですが、最後のグルーデックさんのセリフでスッキリしたので、この記事書いています(笑)

まあ、第二部アセム編は、もう少し復讐否定方向というか「僕らが分かり合える可能性」みたいな話になって行くのかな?と予想はしていて、第一部フリット編とはまた違った描きになる……かも?とか?(´・ω・`)(←なんだかスッキリしない)


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今期アニメの『ハイスクールDxD』のEDアニメーションが良いです。初見、CGかとも思ったんですが…どうも、そうでもないみたい(?)です。しかし、えらく骨格がしっかりしているので、何かモデリングされたものがありそうですね。
子猫(ちびっ子)のお尻の振り方とか明乃(黒髪の子)の胸の持ち上げ方とかが良い感じ…っていうか、何か入ってる。(シンメトリの画でそう見えちゃうだけかな?)



にょ~ん!(´・ω・`)




ポールダンスが素晴らしいのですよ(`・ω・´)リアスお嬢さま(赤髪の子)が楽しそうに腰振ってるところとか、シスター(金髪の子)がちょっと困り顔な所とかも良い感じです。こっちは普通に描いているっぽい……かな?要所々々でモデルがあるような気もしますが、いずれにせよ観ていて飽きないですね。元気のいい曲も気に入りました。

…しかし、この作品、オープニングはけっこう普通なんですよね、クオリティが低いわけではないですが…。ハルヒダンスなんかもそうですが、こういう趣向はエンディングの方がやりやすいのかな?


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▼USTREAM:ハイライト『輪るピングドラム』の話題

『輪るピングドラム』(監督・幾原邦彦)について、語るのが難しい(テーマの部分は…という意味ですが)、何か言葉に直して語ってしまうと、何かが零れてしまう…みたいな事を言っていた僕ですが、ちょっと語っておけそうな所は、語っておこうと思います。
『輪るピングドラム』のメッセージそのもは、第1話と最終回に交わされる以下の会話に集約されている所があるとは思います。


「だからさ、林檎は宇宙そのものなんだよ!手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」
「あっちの世界?」
「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ」
「それと林檎になんの関係があるんだ?」
「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ」
「でも、死んだら全部おしまいじゃん」
「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
「全然、わかんねぇよ」
「愛の話なんだよ?なんで分かんないかなぁ~?」

…モロに言っているように宮沢賢治の「愛による死」とその彼岸の世界が『輪るピングドラム』では描かれていた…という事になりますね。……そう説明するのが一番てっとり早いとは思うのですが、しかし、そこには監督の“幾原流”の宮沢賢治があるというか、僕自身はちょっと違うものを感じたりもしています。
いや、確かにそれは違がわず、“そのように”描かれていたとも思うのですが、同時に『銀河鉄道の夜』や『グスコーブドリの伝記』で書かれた『死』は、(僕の感じる所では)もっと迷いのないもの「そうすると決めているもの」に僕は思ったりもします。対して『輪るピングドラム』で描かれたのは「そうするもの」ではなく「そうせざるを得ないもの」であったような…そういう差異を感じるんですよね。…まあ「それは結局は同じものだよ」と言う人もいるかもしれませんが。
博愛(…のようなもの)と自己愛~家族愛(…のようなもの)の違い…と言ってもいいかもしれませんが……こうやって愛の在り方を“区分け”して語ってしまうと、色々零れてしまうものが気にならないわけでもない(汗)

しかし、その差が、宮沢賢治の世界を翻案して描いたかのような~あるいは、本作品を感受するための“視点”として宮沢賢治の世界を持ってきた~『輪るピングドラム』の独特の世界の部分に思えます。

これについて、ルイさんの(『輪るピングドラム』には)「まともな親が一人もいない」という指摘は、非常に重要なものという気がします。(高倉家の両親が、本当にまともじゃない(家族を大切にしなかった者)か?離婚する前の荻野目家はどうか?みたいな返し話もできるかもしれませんが)これが『輪るピングドラム』の世界を決定付けていると言ってもいい。



ちょっと、この話をするにあたって、何かいいサンプルがないかと思い起こしてみたんですが……何でもいいんですが『勇者王ガオガイガー』(1997年放映)を持ってきてみようと思います。『ガオガイガー』についての細かな説明は、省略します…まあ、勇者シリーズの定番の、ロボットで人類を守るストーリーなんですが。
僕は、この物語の主人公・天海護という少年がすごく好きでして…。子供のいない夫婦に育てられた正体は宇宙人の子供なんですが、とても明るく闊達で、危地に対し「みんなを守るんだ!」という気持ちが躊躇なく出て、そして地球を宇宙を守って行く少年なんです。

そのマモルくんは日常のパートで、血の繋がっていない天海夫妻に、ものすごく、ものすごく、ものすご~~っく!!徹底的に愛され可愛がられている様子が描かれるんですね。エンディングの画で、繰り返し、マモルくんの愛あふれる家庭を見せる。また、マモルくんの友達への接し方を見るかぎり、単に甘やかされて我儘に育てられているワケでもなくって、躾もキチンとしている事が伺えます。
これは『ガオガイガー』のテーマの一つだと思うんですが、それによってマモルくんが「正しい少年」である事に、とてつもない説得力があります。
何かあった時、みんなが、地球が危ない時、この少年が「お父さんとお母さんを守らなきゃ!!みんなをまもらなきゃ!!」って思う事、その為に勇気を出してがんばれる“勇者”である事が「すごく分かる」のです。…ちょっと、『ガオガイガー』の話はこのくらいにしますが(´・ω・`)

何が言いたいのかというと、このマモル少年は“ピングドラム”に溢れている子供だと思うんです。正にピングドラム無双!、ピングドラム富豪!、ピングドラムウィナー!な、少年であると。だから「みんなを守ろう!」と思える。
…まあ、別にマモルくんじゃなくても『赤毛のアン』とか、『家なき子』とか、古典的な作品には、ピングドラムのある(ピングドラムを見つける)名作は多数あると思います。(←じゃ、なんで『ガオガイガー』の話した)

『輪るピングドラム』は“これ”が“無い”物語だと思うんです。さらに言うと“無い”ことすら描かれない物語だと。一つの選択として、あの劇中のどこかに理想的な家族を置く選択はあったと思うのですが(あるいは家族じゃないけど、トリプルHのエピソードは、それに近い、ものなのかもしれない。陽毬はあそこで一つのヨスガを受け取っている)、それを描き、見てしまうと「(俺たちには)あれが無い。(俺たちには)あれが必要だ」と言う事が分かってしまう。

それが無い事すら分からない。描かれてないものが答えで、答えが描かれていないから、答えが無い。別の答えを必死に探して、辿り着くのだけど、それは人によっては、まったく酷い悲劇に見えるかもしれない……というのが『輪るピングドラム』という物語。

…に思ったり。あるいは多蕗さんやゆりさんは、悲劇じゃない結末を手に入れているかもしれないですね。…本当に無いか?描かれていないか?というと、それはそれで零しているものがある気はするんですが(汗)
「自分たちがなぜ生き苦しく、何が足りないからそうなっているのか分からない」それが描かれない事によって、描かれている…という言い方が、今の所一番、僕の中の、この物語の結末を観た時に感じるモヤモヤ感を、言葉に直しています。
それを単純に「愛の失われた世の中」とか「愛の伝わらない世相」とかの(親が悪い的な)語りに繋げたくはないのですが、しかし、感覚として現代においてそこに共感する人は多いように思えます。

「せいぞ~ん!せんりゃくー!!きっと何者にもなれないお前たちに告げる!“アイ”を手に入れるのだ!!」→「…え?なんだ、そりゃ?何を探せって?それは人か?モノか?何処に行けば手に入るんだ?」

…と言った方が伝わりやすいかも?(´・ω・`) アイとか言わない、何だかよく分からないもののままにしておく方が、僕の感覚ではしっくり来ますが。…なんか、生存権、存在権みたいな所もあり、一般的なアイとも違う気もしていて…。
しかし、この『物語』に登場するキャラクターたちは、充分にパワフルで、生命感に溢れ、強かに、狡猾に、ワールド・イズ・マインに生きて“生存戦略”していたので、「……いいじゃん?そんなもの無くても?苦しまなくても?」と思わないでもなかったのです(汗)
まあ、それはまた別の感想と言うか……「歌って!踊って!楽しく!力強く!哀しい物語を語ろうぜ!」みたいな所も、また『輪るピングドラム』という物語の形ではありますね。


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あ、『ヴァンガード』のEDにミルキィホームズが出てる!

新エンディング曲をミルキィホームズが歌っているんだなあ…と思ったら次の瞬間出ていました。同じブシロード作品なので、あり得る事ではありましたね。(レコードはランティスか…)でも、(深夜と早朝で)畑が違う気もしていたので驚きました。



って思ったら『ペルソナ4』にもミルキィホームズ出てる!!(`・ω・´)

いや、ミルキィホームズってワケじゃなくて“ミルキィホームズみたいなもの”なんですけどね(汗)ちょっと、『ミルキィホームズ』人気が伺える…というか、横に展開してるなぁ…みたいに思ったり。第二幕がはじまった、その『ミルキィホームズ』は、アイキャッチに“イカ娘みたいなもの”を出していたりしましたけどね。イカ娘とミルキィホームズは、ちょっと今、アニメキャラ的に“強い”気がしますね。

まあ、それだけなんですが。…それだけでは何なので『ヴァンガード』と『ペルソナ4』について、ちょっと触れておきたいと思います(汗)
『カードファイト!!ヴァンガード』はキッズ系のアニメで一定のジャンルとして成立しているカード・ファイト・アニメなんですが、主人公の先導アイチが“闇”(?)に落ちている時間がけっこう長かったですね。敵側の闇の力に傾倒して、それで強くなって行く、しかし、親友の櫂との戦いで目を覚ますのですが……まあ、鬱展開とは言わないんですが、微妙に不安感が残る展開が続いて…それがけっこう長かったです。
主人公が闇の陣営の考えに囚われて、洗脳というワケでもないんですげど、催眠状態というか、幻覚状態というか、別人格的な状態がこれだけ長く続く『物語』も少ない気がしました。逆に主人公が、長らく洗脳された友人の正気を取り戻すパターンは多いですよね。…それを考えると、やはり櫂が影の主人公的な存在ではあるのでしょう。
それと、ぶっちゃけアイチくんてそんなに強くなかったので、短期間にブーストをかけてある程度の実力を持たせるためには、必要だったのでしょうね。

『ペルソナ4』は、ルイさんとのラジオで、主人公の鳴神悠くんの主人公としての妙なキャラクター性を話したりしているのですが(ラジオのハイライト編集しないと)、この回、鳴神くんを尾行する妹の……じゃなかった、従姉妹の菜々子ちゃんもけっこう“鳴神くんのキャラクターの補助”として重要なキャラに思っています。
どこか、ぼ~っとしていて、あまりアクティブさは感じなく、時々、一言二言ぼそりとリアクションを取る。しかし、そのリアクションが絶妙かつクリティカルなもの“らしく”、あれよあれよと仲間が集まり、特にみんなをリードしているワケでもないのにペルソナチームの中心人物になっている。
…というのが「不思議な魅力を持った主人公・鳴上悠くん」のかいつまんだ説明なんですが、この寡黙と言ってもいい鳴神くんに、従姉妹の菜々子ちゃんも妙に、懐いているんですよね。

ペルソナチームの鳴神くんは基本的に戦力としてチート・レベルなので、それが頼られて仲間たちの中心人物になる流れが見えない事もない。しかし、菜々子ちゃんが接している鳴神くんは、ほんとうにかなり何もしない黙々とごはん食べるだけ(?)のキャラクターの鳴神くんなんですよね。……でも、この子は懐いている。これは鳴神くんのキャラの“不思議さ”として、かなりキーに思えます。
元々、菜々子ちゃんも、しっかりしている事はわかるんですが、あまり饒舌にしゃべるタイプではありません。けっして無口なワケではないけど…何となく無口な印象を持ってしまうそのキャラクター性は、鳴神くんとかぶります。
それ故、鳴神くんのキャラクター含めて、それが血筋的なものに思えてくるんですよ。鳴神くんは無味無臭なプレイヤー・キャラクターをそのまま動かす可笑しみみたいな所を持ったキャラだと思うのですが、彼女を観ていると「あ、これは血筋かもね」と。キャラの厚みを補助しているなかなかいい所にいるキャラに思えます。

…「菜々子ちゃんがペルソナ持ってたりしたら面白ろそうなんだけどな~」と思ったりもするんですけどね。どうも、そういう展開はなさそうなんですよね。…残念であります。(´・ω・`)


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『ジェッターマルス』(1977年放映)コンプリート(1話1部破損)。『鉄腕アトム』の続編として企画され、しかし、製作時には、非常に『鉄腕アトム』の世界を想起させながらも基本的に違う世界となったアニメ作品。ん~まあ、大体『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』くらいの世界観の差異でしょうか?(´・ω・`)
個人的には80年にリメイクされる『鉄腕アトム』よりも、カラーのアトムというか…リメイク度(作品の質ではなくリメイク度)が高かったと思っています。マルスと’80アトム自体の比較というより、世界観や色調のようなものですかね…。’80は『首のないロボット』の“ダムダム”の首を変な戦車につけたり(原作は別のロボットにつけていてそのロボットがまた泣かせる)、『地上最強のロボット』の最後のロボット200万馬力“ボラー”が何かよく分からないガラクタ!だったり!(`・ω・´)(←これには相当恨みを持っているらしい)したのが嫌だったんですよね。…アトラスは良いんですけどね。まあ、こちらはまた別の機会に。

科学省長官の山之上博士が、日本の最高技術を以て製作された少年型のロボット“ジェッター・マルス”が生まれたのは「時~は、2015年♪」って(笑)こういうの重要ですねえ~。いや、重要かどうかは分からないけど(汗)マルスの生まれた年とか、コンバトラーVの身長と体重とか、観てた人は皆覚えていますよね(笑)ちなみにあと3年後か…。
後になって「マルスなんて、けっこう物騒な名前だったなあ…」と思っていたんですが、今回改めて観直してみると、生みの親の山之上博士は、マルスをモロに戦うロボットとして開発していたらしく、それにちなんでマルス(戦の神)の名を授けています。
ただ、山之上博士は、はっきりとは言わなかったのですが、おそらくマルスは「戦闘兵器」と言うより「正義のヒーロー」にするつもりで開発していたように思います。あくまで彼なりのヒーロー感に基づくものでしょうけど。兵器開発としては、マルスはちょっと、いや、かなり違和感がありますよね(笑)
また、そういった設定、家庭環境からか、マルスはアトムに比して“やや”ヤンチャが強いというか、“やや”乱暴者な感じがしますね。清く正しく時に、天馬博士をはじめとした人間を正すアトムに対して、マルスは進んで戦闘を好むような描写も見られ、また父親である山之上博士との対立も同レベルというか…いい意味では家族のケンカレベルに観えます(『ジェッターマルス』は『鉄腕アトム』でのエピソードのリメイクもあって、この傾向は一定ではないんですが)。

しかし、そのマルスにちょっと謎(?)の展開があって……マルスの生みの親である山之上博士が物語の途中で突然行方不明になります。いや、これがちょっと突然というか…重力爆弾の実験中の事故で「…ぶっちゃけ、死んでるでしょ?(´・ω・`)」って感じの行方不明なのですが、最終回で、山之上博士が無事だった事を知らされて、マルスは博士を拉致したロプラス共和国に向かうのですが……山之上博士自身は何か登場しないというか幻影だけで…。何か変な感じなんですよね?(声の納谷悟朗さんの都合だろうか?…代役を当てる気もするけど)
山之上博士は、そんな人格者ではなく、どちらかというと嫌な教育パパのような人で、そんなに人気があるワケではないでしょうけど、かといって憎み切れるような悪人でもなく、無理に退場させる人にも見えないんですよ。その最終回の形から、途中で消えた父親の影が強かった物語のように語られ勝ちな所もあるんですが、イマイチそういう話にも見えない(汗)(※山之上博士の思想って好戦的で、当時の手塚先生やアニメ・スタッフが嫌いそうな感じですし)

ちょっと深読みすると、基本、『アトム』の世界を引き継いでいる『ジェッターマルス』が“天馬博士”だけは引き継がず、山之上博士になっている所が両作品の最大の違いと言ってもいいんですよ。(※天馬博士はアトムの生みの親で初作『アトム大使』において、部隊を率いて平和的宇宙人を粛清して回っていた。それをアトムに咎められ反乱されて、追い詰められ死んでしまう。『鉄腕アトム』ではそのエピソードを天馬博士が死んだ結末を外して再利用されています)
山之上博士は天馬博士のような悪人ではない。その反面、マルスに対して強烈な父性をもって立ちはだかる“壁”にはなっていない。時々頑固なんですが、基本的にマルスに甘い、いいお父さんなんですよ。なんで、そうしたのか?というのは、ちょっと分からないですが、あるいはマルスに『アトム大使』のような“父殺し”をさせたくなかったのかも知れません。

まあ、ちょっと分からいですが『ジェッターマルス』が放送された1977年は、いわゆる巨大ロボット/スーパーロボットの乱作期で、マルスの性格がアトムと比して“やや”粗雑なのは、ここらへんの時代の影響がある気がします。また、彼の出自が戦うロボットである事も、時代に合わせたのか、あるいは、敢えてアンチテーゼとして彼にその宿命を背負わせたのかのどちらかという気がします。
その時期において天馬博士というのは、マッドサイエンティストとして、かなり美味しいキャラだと思うんですが、それを敢えてマッドな所を抑えた山之上博士にしたのは、どちらかと言うとアンチテーゼ的な意味合いが強かったのではないかと思えます。
そして「いつか僕にも本当の~♪強さ~が分かる~日が来るよ♪」というEDの歌にもある通り(というか『ジェッターマルス』OPもEDも名曲よ?(´・ω・`))、様々なロボットたちとの出会いを通して、本当の“強さ”を考えさせる構成が確かにあり、なかなか珠玉のエピソードが揃った良作になっています。


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