今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




実は土曜日の夜にルイさんと、USTREAMでネットラジオをやる予定です。もうかなり前になってしまいますが、4~6月期のアニメについて選考します。よろしくお願いします。

7月31日(木)22:00(3時間くらい予定)

【漫研インターネットラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/

【USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken

【2010年2Qアニメ選考@漫研ラジオのメモ】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/d0dbc77d97598f6914b7ffa04d17da84


■作品選考
・『四畳半神話大系』
・『Angel Beats!』
・『WORKING!』
・『ハートキャッチプリキュア』

■サブタイトル選考
・『刀語』4話 薄刀・針
・『ハートキャッチプリキュア』第14話 涙の母の日!家族の笑顔守ります!!
・『Angel Beats!』EPISODE.12 Knockin' on heaven's door
・『閃光のナイトレイド』最終話 せめて希望のかけらを
・『迷い猫オーバーラン』6話 迷い猫、困った
・『HEROMAN』第12話 STALKERS ストーカーズ

■キャラ選考
・『デュラララ!』紀田正臣(CV:宮野真守)
・『四畳半神話体系』小津(CV:吉野裕行)
・『Angel Beats!』直井文人(CV:緒方恵美)
・『WORKING!』伊波まひる(CV:藤田咲)

■OPED選考
・『Angel Beats!』OP「My Soul,Your Beats!」
・『四畳半神話大系』OP「迷子犬と雨のビート」
・『迷い猫オーバーラン』OP「はっぴぃ にゅう にゃあ」
・『けいおん!!』OP「GO! GO! MANIAC」

■特別賞
・『迷い猫オーバーラン』

■候補外で話したいタイトル
・『真・恋姫無双 乙女大乱』
・『B型H系』
・『薄桜鬼』
・『いちばんうしろの大魔王』
・『イナズマイレブン』
・『少年激覇ダン』
等…


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【月第4週:ぬらりひょんの孫 第百十五幕 宿敵】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10472.html#650

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



さて、『ブラッディマンディ Season2』のファルコンと響ちゃんが、ここ数週にわたってイチャイチャしまくっているワケですが…(´・ω・`)
…なんでしょうね。これ。…マヤ先生ピンツなの?(´・ω・`)『ブラッディマンディ』は米人気ドラマ『24』を模して作られたであろうスパイ・サスペンス。件の響ちゃんは、元々は藤丸(ファルコン)と知り合いのアルバイト女子だったんだけど、突然、自分が謎の組織のスパイであり藤丸を監視していた事を明かして、藤丸の“魔弾の射手”との戦いに際して自分も強引について行くことを要求する。これが、またすごい交渉で「ついて行かせないなら、今、ここで自分は自殺する」ただし、同行を許すなら自分は一定以上の訓練を受けたスパイだから役に立って見せる……という自分の生命を質にとったものw 感情の無い機械のような響に、すっかり呑まれてしまった藤丸は同行を許す…という展開になっています。

…で、そのあと、じわ~っと、じわ~~っと。感情が無いかのように見えた響ちゃんは次第に感情の揺らぎを見せ始め、次第に、次第に、ファルコンに心惹かれはじめ、そして今やすっかり、テロとの戦いの緊張のなか辺り構わずイチャイチャしまくるカップルが誕生しているワケですよ。
…ま、99%罠だな。(`・ω・´)…と思っているワケですが。さらに言えば(謎の組織の指示で)藤丸を罠にかけたつもりが、実は本当に藤丸が好きになってしまい……という、伝統的『くの一裏切り』パターンだなと思っているワケですが。
まあ、そこまでベッタベタって事もないでしょうけどwもともと、自分の生命を使って藤丸と交渉した響ですから、その藤丸にとっての自分の価値をより高めて、いざと言う時、藤丸を縛れるように指令を受けていたのだと思われます。

なんか決めつけて語っていますが、kichiさんなんかは、(裏の裏で?)真実ラブラブなんじゃない?という指摘をされてますね。…う~ん、どうなんでしょう?さらに言えば、響のこれが演技だとして、しかし、藤丸の方も実は演技だった、響の裏をかいていたのだ!!……みたいな展開も無いとは言い切れ無いんですけどね。……言い切れないけど、さすがに、それはちょっとないかな?w

【今週の一番「ブラッディマンディ Season2」さよならビースト、こんにちはマヤ先生】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/780066d74c2757ee5c5f07100a15dfe2
主人公・ファルコンの父、高木竜之介がコードネーム“ビースト”としてテロ組織“魔弾の射手”に潜入しているわけですが、まあ、これが……なんというか出オチというか。これ、絶対バレてるだろう?ってシチュエーションなんですよね(汗)物語作法的に。

しかし、ターゲットの懐に入り込んで短期で信用を得るというのは、相当に難しいミッションだと思います。騙し合いが恒常化している相手なら特に。響ちゃんも一歩間違えると、すっかり“ビースト劇場”化すると思うのですが、そうはならないのは、マンガ的に言えばやっぱり可愛いのが『強い』よねと。可愛いは正義だなと。(`・ω・´)とまれ、ファルコンがいいように騙されるなら、マヤ先生より響ちゃんの方が楽しいかな?とか、そんな事を考えたりしています。


BLOODY MONDAY Season2 絶望ノ匣(3) (少年マガジンコミックス)
龍門 諒
講談社


む…マヤ先生がんばってるな?(=´ω`=)

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【7月第3週:ドカベン スーパースターズ編(山田vs剣)】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10471.html#649

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/

神矢翔子「あなたは死を…知らない医師…!!」



『ゴッドハンド輝』(作・山本航暉)が少年向け医療マンガ(?)として、ちょっと難しい領域に踏み込んできましたね。それは少年向け医療マンガ(?)として“人の死”をどう扱うんだ?という問題ですが。元々、この作品は、主人公・真東輝くんは、対処した患者は総て、ことごとく救える、決して患者の死に目に遭わない“奇跡の医師”…かもしれない?ような?そうでもないような?…という微妙な設定(笑)で避けて来ていて。
ただ、同時にこの微妙な設定~確定的な設定としては扱わない事で、状況によっては踏み込むかもしれないよ?というような姿勢を見せつつ連載を続けて来ていました。この、微妙な姿勢は「少年向けマンガで、自らの力不足で人の死をもたらしてしまう事をどう描くべきか?」という問題の難しさをそのまま顕していると思います。

…いや、別に単なる医療マンガなら、在りのままに描けばいいんですよ?(´・ω・`)というか今、あたかも患者の死が総て医者の力不足によって起きるかのような書き方をしましたが、全くそんな事はないでしょう。
無論、生命を預かる職業として一定以上の倫理観と慎重さが求められる事は間違いないですが、その上で手を尽くしたのなら、その死は「人間死ぬときゃ~死ぬよね?(´・ω・`)」以上のものではないと思います。

…しかし、『ゴッドハンド輝』は“少年マンガ”なわけです。「医者という仕事は人の生命を救うやり甲斐のある仕事だ」、「人の生命を救えるという事はとても嬉しい事だ。充実する事だ」、「そういう“夢”をもって医学を志して欲しい」……ここらあたりまでをテーマとしてマンガで描く事を遮るものはないでしょう。
……じゃあ、そっから先はどうしましょう?「それでも人は死んでしまう」事は子供にどう伝えましょう?「医者をやっている以上しゃーないよ?次がんばればいいよ?」………と、言うのか?まあ、ズバッと子供にそういう難しい命題を突きつけてしまうマンガも僕は好きなんですが。少なくとも『ゴッドハンド輝』はそれを躊躇した。躊躇したから件の設定があるのだと思います。

その問題を再燃させた女性外科医の神矢先生は何をしたかと言うと、自分が臨んだ手術で、患者が助からない事を感じ取って「その死を受け入れる心の準備を始めてしまった」~言葉柔らかにしてありますけど、要は「諦めた」って事ですよね。そこで輝先生が変わって心臓マッサージをすると患者は息を吹き返して生命を取り留めるんですね。
さて、ここで。助かる可能性を持っていた患者の生命~輝先生によってそれが証明されてしまった患者の生命~を「諦めてしまった」神矢先生はダメな医者なのでしょうか?

…少年マンガの作法にそのまま沿って行くとダメな医者のようですよね。(´・ω・`)…まず、そもそも少年マンガで“立ち向かうべき困難”に対して“諦める”という行為は、相当なタブー(?)のようです。…いや、タブーってほどでもないのですけどwでも諦める/諦めないの二択を明確に迫る展開では、大抵「俺は諦めない!」…という選択をさせていますよね?
まあ、子供はまだ自分にできる事、できない事の判断さえ覚束ない時期なんですから、その段階で“困難”を前にした時に“諦める”話を覚えても…君の諦める個性???を持った少年は出来上がるかもしれませんが、ろくな大人にはならないと思うんで(´・ω・`)この方針のようなものは納得できます。(※あくまで「子供の為になるマンガ」にするなら…という意味で、僕個人は「子供の為にならないマンガ」だってまた愉し…と思っていますけどね)
かつ、今、神矢先生が諦めようとしたのは“人の生命”です。…マンガ・ジャンルの中には人の生命が軽い作品もあって、そっちでは確かに人死が出ても「まあ、しゃーねっかw」って所があるのは事実ですが『ゴッドハンド輝』はそういうジャンルとは正反対の、正に人の生命の尊さを描いているマンガと言えます。そういう“少年向けマンガ”で「人の生命を諦める行為」は果たして許されるのか?…普通に考えると到底許されない事のように思えます。(少なくともそれを描くのは大変な困難を伴なうものに思えます)

「諦めたらそこで試合終了ですよ」という某マンガの名台詞がありますが、人の生命こそ正に、最も諦めてはいけないもの!最も試合終了にさせてはいけないもの!…なのではないでしょうか?
ここらへんの難しさを直接、主人公・輝先生にぶつけるのではなく、一回、神谷先生にクッションさせているワケですが……まあ、この“諦めた”神矢先生、輝先生が代わって患者の生命を掴んでしまう事で言われたんですよね「諦めたらそこで試合終了ですよ」…っと。それを受けた神矢先生はどうしたか?「ああ…私が間違っていた。やはり、生命はけっして諦めてはいけないものだったんだ…」と反省したのか?…いや、そこは、そうじゃなかったwむしろ逆ギレ(?)して、

そんな事!“奇跡の医師”なんてアホな設定のあんた(輝先生)に言われたくない!!

…と返したのが冒頭の引用セリフですね。生命の大切さ、生命の重さが分からないわけじゃない。いや、むしろ分かり過ぎるからこそ、「自分は患者さんが死ぬ事の心の整理をつけないまま(死を受け流す準備をしないまま)、患者さんの前に立つなんて事はできないんだ」と。生命の重さが分かるからこそ人が死ぬ事に慣れてしまわないとやっていられない…と。まあ、分かる話ですよね。
そしてその投げかけが今、輝先生の心境に当惑を生んでいる…と。…そうは言っても淡々と一所懸命に最善を尽くすという結論しかないっちゃ~ないんですけどね。どう描くか?どういう描きまでするか?を注目したいなと思います。

読んでて「何を難しく考えているのかわからん。生命の尊さを描きつつ、それでも死を受け入れなくてはならない事をバランスよく描けばいいだけじゃん?」と思う人もいるかもしれませんけどね。…僕はやっぱりそれを少年マンガとして『面白く』描いて行くのはかなり難しい、と思っています。
…というより、人の死に慣れてしまいながらも生命の大切にする心を常に維持する事を、医者は(少なくとも建前では)要求されるワケですが、このバランスを保つのは難しく大人だってどちらか一方に寄ってしまう事があるのではないでしょうか?

ちょっと、比較として最近購入した『医龍』(作・野木坂太郎)の23巻を引用したいと思います。実は、こっちは、さらにもう一歩踏み込んだ話をしています。



朝田「手術、やってみたくねぇか?――面白いぞ?」

人の生命がかかって手術を面白いからやってみねえか?と天才医師・朝田の幻影が語りかけるシーンですね。朝田(の幻影)はこう話を続けます「キレイ事じゃ、そのうち身体がもたなくなるぜ?――楽しくていいんだよ。でなきゃ続かない。ヒューマニズムだけで伸びるなら、誰でも名医だろうが」と。……外科手術という人の生命を救う方法は、結局、それを面白がり、悦びを見出す者がいない限り成り立たないし、進歩もしない…と言っているんですね。わざわざ、表立って言うかどうかは別にして一面の真実を間違いなく突いていると思います。

ここらへん、ある種、本当の話をする痛快さのようなものを僕は感じてしまうんですが、そうは言ってもこの話、手術対象が朝田その人…つまり、今、正に生命を投げ出している人間がそう言っている(だろう)という角度ではじめて言えているセリフでもあるんですよね。
かつ、この作品はビックコミック・スペリオールの連載です。つまり青年誌ですね。当然、『医龍』の中でも示されているのですが、『受け手』はこれまでの人生の中で生命の尊さは充分に叩き込まれてきたよね?という、そういう前提を元にこういう話をしている面があるワケです。

その順番を踏まずに、いきなり『世界の在り様』を在り様のままに語ってしまうのが、果たして正しいのかどうか?…まあ、僕自身は永井某氏先生とか、某ハゲ監督から“人間爆弾”だの“全滅エンド”だのと、子供心に変な焼きゴテ当てられた事は、と~ってもいい事だった!(`・ω・´)……と思っているので、特に頓着する気もないのですがw
でも、何が正しいのか?に悩む『送り手』の意図は尊重しようと思っています。そしてその順番から「いや、(少年マンガとして)何よりもまず伝えなくてはならないのは、生命の尊さだ。生命は絶対に諦めてはならないものだと言う事をまず伝えなくては………それでも、前に進むために、諦めなくてはならない場合がある事は、もっと、ずっとずっと後でもいい。場合によっては“ここで”描けなくてもいい…」というのも一つの判断かと思います。

【『スクラップド・プリンセス』ジュブナイルの悲劇の処し方】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/04f1acfe7b9f14b65985bb43aa7db2b0

ちょっと以前、『スクラップド・プリンセス』で近い話をしたのでその記事を貼っておきます。まあ、ここらへん『ジュブナイルの境界』ってヤツだなと思ったりもします。子供向けである以上、踏み越えてはならない線…とは、僕は思わないんですけどね。でも、そこに対する『送り手』のギリギリの選択というのは『愉し』ませてもらおうと思っています。


ゴッドハンド輝(52) (少年マガジンコミックス)
山本 航暉
講談社

医龍 23 朝田のQOL (ビッグコミックス)
乃木坂 太郎,永井 明
小学館


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本日16時から敷居さん、かんで。さん、GiGiさんとUSTREAMでネットラジオをやります。お題は麻雀マンガについての話をしようという事になっていて、主に『ノーマーク爆牌党』(作・片山まさゆき)、『根こそぎフランケン』(作・押川雲太朗)、それから最近単行本化された『リスキーエッジ』(作・押川雲太朗)の話になると思います。それではよろしくお願いします。

7月25日(木)16:00(2時間くらい予定)

【漫研インターネットラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/

【USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken


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突発的ですが本日22時からペトロニウスさん、哲学さんとUSTREAMでネットラジオをやります。お題は基本雑談なんですが、海燕さんのオフ会で話していた内容を俎上に上げられたらなと思っています。それではよろしくお願いします。

7月23日(木)22:00(2時間くらい予定)

【漫研インターネットラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/

【USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken


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そろそろルイさんと、4月期の選考ラジオをやりたいと思っています。来週は海燕さんのオフ会があるので、再来週…くらい?
今回の目標は「3時間で終わる事」です!(`・ω・´)そのために事前に候補の数を絞り込んでラジオに臨みたいと思います。
1選考につき3、4タイトル…くらい?

ルイさんは既に7月期の新番組のレビューに入っていますね。ガンガン感想上げてて凄いです。(´・ω・`)

【ひまわりのむく頃に】
http://rui-r.at.webry.info/

■作品選考
・『四畳半神話体系』
・『AngelBeats!』
・『WORKING!』

※なんかちょっと話したいタイトル
・『真・恋姫無双 乙女大乱』
・『B型H系』
・『薄桜鬼』
・『閃光のナイトレイド』
・『デュラララ!』
・『HEROMAN』

■サブタイトル選考
・『刀語』4話 薄刀・針
・『迷い猫オーバーラン』5話 迷い猫、困った
・『迷い猫オーバーラン』8話 迷い猫、抜いた
・『デュラララ!』#23 千変万綜
・『いちばんうしろの大魔王』ACT7 伝説の勇者現わる
・『けいおん!!』#1 お留守番!
・『閃光のナイトレイド』第5話 夏の陰画
・『イナズマイレブン』第83話 たちあがれキャプテン!
・『ハートキャッチプリキュア』第14話 涙の母の日!家族の笑顔守ります!!

■キャラ選考
・『デュラララ!』紀田正臣(CV:宮野真守)
・『HEROMAN』リナ(CV:小幡真裕)
・『四畳半神話体系』明石さん(CV:坂本真綾)
・『AngelBeats!』直井文人(CV:緒方恵美)
・『AngelBeats!』立華かなで(CV:花澤香菜)

■OPED選考
・『迷い猫オーバーラン』OP
・『AngelBeats!』OP/ED
・『四畳半神話体系』OP/ED
・『デュラララ!』OP/ED

■特別賞
・『新・三銃士』


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【7月第2週:ワンピース 第590話 “弟よ”】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10470.html#648

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『オニデレ』(作・クリスタルな洋介)の第106幕~第109幕の話が……何か変でした。(´・ω・`)『オニデレ』は最強の女番長にして大金持ちのお嬢様のサヤさんと、普通の内気な男の子正が、互いに両想いで付き合っているんだけど、それを必死で回りに隠すラブコメディ。
で、今回の展開は“エゾプト編”ともいうべきシリーズなのですが、今回、主人公の訪れた“エゾプト”という国がそもそも分からない。このエゾプト…「信じられないかもしれないけど、世界地図には載っていない、北海道とエジプトを足したよーな国が実在するんだ。それがエゾプト」(正談)との事なんですが……え?なんでそんな国が(今の展開に必要なの?)というw

正のお母さん(この人も段々只者じゃなさが際立ってきた)が思い立って、正たちを連れ立ってエゾプトに跳ぶんですが、そこがそもそもおかしい。しかも、屋上に皆を連れてこいと言われていってみると、なぜか、屋上にプロペラ機とお母さんがいて「さ、空をかける時間よ!」と言ってエゾプトに飛び立つという……なに、この展開?(´・ω・`)
しかも、エゾプトに行った先では、サヤさんのお母さんが偶然そこに居て、正のお母さんと仲良くなってしまうという謎の展開。しかも、明日死ぬと言っていたサヤのお母さんがエーテルと言われるピップ・エレキバンで一気に治ってしまって。どさくさに紛れてサヤさんのお母さんの肝入りで、正くんがサヤさんの婿候補としてエントリーされるワケです。←どうもこれが本命の展開くさいんですが、ここに至るのになぜ、これだけ意味不明の要素を持ち込んだのか分からないwまるで誰かが夢を見ている話だったような……ともかく不思議なシリーズでした。

まあ……何かそんなに意味性を求めて展開した話ではないとは思うんで、考えるだけ変な話になって行くのでしょうけどねw元々、『オニデレ』はサヤと正が付き合っている事を隠すという単純な構造に、微妙に変な追加設定を定期的に継ぎ足して連載を継続してきた作品なんで、エゾプトだけが凄まじくぶっとんだ設定というワケでもないんですけどね。
でも、ある意味では『オニデレ』という作品の“変”さ、“らしさ”をかなり特化した形で顕した展開だったと思うので、書きとどめておきます。このエゾプト、再び訪れる事はあるのでしょうか。


オニデレ 6 (少年サンデーコミックス)
クリスタルな洋介
小学館


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『Xボンバー』(1980年制作)レストア。イギリスの『サンダーバード』と、『スターウォーズ』の影響をおもいっきり受けた。日本製人形特撮の傑作ですね。人気がなくて半年で終了してしまった作品ですが、多分、観ていた人は絶対に忘れない作品です。『Xボンバー』は、大宇宙を支配する鍵となるF-01を探索する侵略国家ゲルマ帝国と、F-01の正体である美少女ラミアを守る地球の宇宙戦艦Xボンバーとそのクルーたちの戦いの物語ですね。

1980年ですから円谷は『ウルトラマン80』……怪獣特撮はかなり下火になった頃の作品ですね。日本製としては数少ない人形劇特撮作品でもあり(…ん?って言うか他になんかあったっけ?人形劇自体はNHKで多作されているけど)TVのミニチュア特撮としても一旦の終焉を迎える時期の作品だったと言えるかもしれません。
しかし、それゆえ渾身の作品だったというか……そのフレームに移る世界の出来栄えは素晴らしいものだったと僕は思います。宇宙船Xボンバーの重量感とその重量物の飛翔感。それを超える巨大さのゲルマ戦闘母艦の圧倒感。飛び交う光線と爆煙。今観ても、どきどきしてしまう。すっごいカッコいい。シンプルで娯楽性に富んだストーリー展開といい、もしかすると『スターウォーズ』を目指した作品群の中で一番肉薄した作品かもしれません。



中でも目玉というか、多分、ほとんどの『Xボンバー』ファンは“これ”を観るためにチャンネルをひねっていたのではないか?というものがあります…。それが美少女人形ラミア巨大ロボ・ビッグダイXですねw美少女も巨大ロボも、当時の男の子の大好きなものでしたが、人形/ミニチュア(が動く)というアプローチは、彼らに(いや、僕も含めてw)カルチャーショックに近いインパクトを与えたんじゃないかと思います。

ラミアは、ほんと、もう、ねw子供心にはっとするような美しさで……人形に惚れるとはこの事かというかw『Xボンバー』と言えばこのキャラという人も多いんじゃないでしょうか。僕の中でも『プリンプリン物語』のプリンプリンを押さえて人形ヒロインのナンバー1ですね。最近、『新・三銃士』のコンスタンスが現れて、メロメロでしたが……あの人妻はいい……んんん、でもやっぱり比べるとラミアたんかな?(`・ω・´)
それから巨大ロボ・ビッグダイXですね!三機のXボンバーの護衛機が合体して巨大ロボになります。真っ赤なボディにウェザリング(汚し)処理が、アニメのロボットものにない重量感が出ていて…、これ、着ぐるみなんですけど人形劇のメカニック設定から積み上げられたもので、“怪獣着ぐるみ”の派生として製作された“ロボット着ぐるみ”にはない硬質感も持っていて……何と言うか、独特の境地にいる特撮ロボットです。でも、このロボット、登場回数けっこう少ないんですよね!(`・ω・´)エンディングには居るから印象には残って、毎週その活躍を今か今かと待ち受けるんですが、その望みは時々しか果たされない!wその“おあずけ”っぷりに身悶えするというか!(ばんばん!)


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【情報圧縮論】【脱英雄譚】

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9463c36296d822054b9ae5a6abd241d7
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a5d7d212f714fa3587721b5cefaf7230
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その3)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/77c8668529ca2b47cda018dfbaaf85f2
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その4)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9bc39bf4df3c7027d268e14e470b3036

(↑)前回の続きです。

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次】
http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html

http://maouyusya2828.web.fc2.com/

(※既読者向けです)

まとめに入る前に、前回(その4)での方さんのコメントと僕のレスを(↓)再掲載しておきます。(多少、文章加工/修正しています)けっこうこの話の結論的な話になっていて、変に前振りの文章書くよりストレートに伝わる事もあるのではないか?と考えました。……まあ、あれですね。いや、『新英雄譚』っていう呼称はいいですねえw“群像劇”という言葉よりも伝わるものがあります。

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その4)…レス】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/24075bf8fde30b7d9c94f77f0257c6c5


■世界への接続~終わりなき物語のはじまり



シャア「ちぃいい!!ならば私の同士となれ!アムロ!」

アムロ「断る!!」


(※画像「めぐりあい宇宙」、セリフ引用、ウソです(`・ω・´))


『英雄譚の引力』についての事例として『機動戦士ガンダム』の宇宙世紀シリーズ(最初のシリーズ)を上げておきたい。……というか、この『魔王x勇者』とこの宇宙世紀シリーズを引っ掛けて、何か記事を一本書く予定だったんですけどね。んんん…な~んか、この一連の記事だけでやたら時間がかかちゃってるからなあ…どうすっかなあ?orz(リアルロボット・ブームとは何だったのか?という話はいずれは、しなければならないと思っていますが…)

『魔王x勇者』の構造を分析している時に僕は『機動戦士ガンダム』(1979年制作)に近いものを感じたんですよね。…これはキャラ配置とか、ストーリーラインとか、演出法とか、そういうものではなく「ある『臨界』に対して出されて来た答え」としてです。
この一連の記事で散々書いていると思いますが、僕は『魔王x勇者』の物語を、物語外の物語作品を含めた“繰り返し戦いが行われて来た英雄譚”の一つの解答として観ています。それは『ガンダム』以前のスーパーロボット・ブームの中から『ガンダム』が出現してくる“流れ”と非常に似ている。

従来のスーパーロボットものと『ガンダム』がどう違ったか……というのは、なかなか一口に言えないものがあります。ドラマ、あるいは(善悪相対化などの)テーマか…というと、一概にはそうも言えない。長浜忠夫監督のロボットものは、既にロボットものの中に充分なドラマ性を盛り込んでいたし、冨野由悠季監督も善悪相対化/逆転的な物語を送り出してきた。(これらのものをより具体的に昇華したのが『ガンダム』だという言い方はある)
じゃあ、何が“違った”か?それは戦争の大義の存在(悪の理論の変化)と、そして一般兵士の描き(ザコ戦闘員の生命の変化)と、それから、弾薬/兵站の指摘~マチルダさんの補給隊ですね~だったのではないかと思う。それは従来のロボットものはキャラクターの深みは、ある一定以上のものに達していたのだけど『世界の在り様』が単純だった故に、動作もある程度、単純化されていた…という言い方もできるかもしれない。

これは勇者が魔王を倒す物語に、魔界の大義と人間界の経済均衡の考え方を持ち込んだ『魔王x勇者』の流れと非常に似ていると思う。…いや、踏み込んで言えば、それは(その4)で述べている『情報圧縮の顕現』によってそれを見せているという事じゃないかと考えますけどね。
こういう“世界の描き”って、パッとした思いつきというか、それだけで描けるように思っている人もいるかもしれませんが、そう簡単な話でもなくって。それ以前の作品を注意深く観ればわかるように、そこに行こうという動き自体はあるんですよね。それは大前提的に「難しい話をやめて面白い話をしないと観客は離れる」というものがあって、そこを踏み込むのは“冒険”で。…しかし、その“冒険”を超えて「難しい話を面白く語った」物語が、こういうエポック的な評価を得て行くんですよね。
とまれ、こういった『世界への接続』を『面白く』描く事を為した時点で、『ガンダム』、『魔王x勇者』は『世界への接続』を果たした作品という評価ができるのではないかと思います。



……という事を踏まえると『魔王x勇者』のあり得た物語の展開として『機動戦士Zガンダム』(1986年)を考えてもいいかな?とか思うワケですw

先に断っておくと、僕は『Zガンダム』に対しては元から、そこそこ(笑)批判的な論調を持っています。そこを勘案して読んでくださいね。…とは言っても『新訳』でちょっと変わりましたけどね。(同時に「あ、やっぱり富野も『Z』気に入らないんじゃん!」とも思った)これはいずれ、再検証や別の視点の持ち込みで変わって行くこともあるかと思いますが。まあ、そういった話は今は細かく語るのを避けます。
ただ、まず『魔王x勇者』との比較の流れで述べると、この作品は「世界への接続を果たしたはいいけど、それをそのまま放置する(言葉は悪いですけど漫然と描くと)どうなるか?」という事を顕していると思うんですよね。具体的に言うと『Zガンダム』は最終回(物語の結論)をどう描けばいいのか分からない作品だったから(物語全体の文脈を踏まえた上で)“ああいう”最終回を迎えたのだと思っています。
これはある意味、当然なんですね。「最終回なんか無いのが世界の在り様」なんですから。それをそのままリアリティあるドラマだとか善悪混然一体だとか悦に入って放置したら“物語の結末”は霧散するというものです。(歴史ものは結果が分かっているからそこから逆算して結末らしき所を選ぶ)

ツイッターなんかでは『魔王x勇者』の戦争が終わらない世界と、『Zガンダム』で漫然と戦う世界が似ている…なんて話もしましたが、『ガンダム』で世界への接続を果たした時「じゃあ、どうするんだ?」という問いかけに対して、『Zガンダム』は明確な答えを持ち得なかった。…持ち得なかったから、とりあえず戦闘母艦に乗ってなんとなく逃げ回っている『富野メソッド』が展開されたワケですが、世界と接続してしまった『物語』は、すでに逃げまわるだけでは“明確な敵”も、“目指すべき未来”も、そして行動せずには居られない“差し迫った地球の危機”も与えてはくれなかったんですよね。

『Zガンダム』は「どうすればいいか分からないけど、戦っていなければ『物語』は楽しくないはず」という『引力』に引っ張られながらカミーユたちは戦い続け「戦ってばかりだと何も得られない事は分かるけど、じゃあどうすればいいのか?…は分からない。でも、戦ってばかりの、戦いを楽しむ奴は許せない。(こいつが戦わなくていい戦いも拡散させる)だからとりあえずそいつを“戦って倒す”!!……シロッコ覚悟!!!(`・ω・´)…ああ!でも俺も同じ穴のムジナやん!?」…というのが、まあ『Zガンダム』の大雑把な結末になっている……はずw

※ そうして『ガンダム』という文脈を富野監督自身が無視して、半ば強引に『英雄譚』(スーパーロボットもの)に引き戻ろうとして…まあ、上手く行かずwなんとなく『Zガンダム』力場に戻った『ガンダムZZ』(1987年制作)と、そうではなく『ガンダム』という文脈を尊重して、かつ、『英雄譚』に戻ろう~その為に集約すべきは、やはりシャアとアムロの対決なんだろう~という『逆襲のシャア』(1988年制作)があると観ています。…が、だいぶ長くなってるので割愛。(´・ω・`)

これは『Zガンダム』が(生地『ガンダム』と接続するだけに)すごく如実なんだけど、やはり多くの近代の子供向き『英雄譚』たちが止まってしまった場所でもあるんですよね。
これに対して『魔王x勇者』はやはり“戦いに拠らず戦いを無くす方法”を明確に示した。…しつこいようですが“馬鈴薯”!!の事ですね。どうやってもカミーユたちはそんなダサくて地味な事ははじめそうにないので強調したいwまた、話し合う事、和平する事のダイナミズムというかエンターテイメントを描いた。それも『面白く』描いたからこそ!だと思うんですが。まあ、僕はその描きの部分を『先の物語』と言っているワケです。

ただ、そこを描いたとしても、世界と接続されてしまった『物語』は終わりが来ないままというか…。(まあ、キリの良い所で終われるっちゃあ終われるんですがw)拡散されたそれぞれの物語をもう一度、締め直す“一手”として、二度目の『祭壇』は現われると言えると思うんです。
つまり、最初の『祭壇』は物語を世界に接続させるために出現し、二度目の『祭壇』は物語を終わらせるために出現している…という事です。これは元型としての対話型『祭壇』が持っている役割を二つに分解した……という観方もできると思います。


■勇者の死すべき力場



#maoyu_heat 勇者退場のイメージは僕も持ちました。それも狙撃で。ヤン・ウェンリーのイメージだけど(汗)色々考えて行くと、少なくとも手っ取り早く託す退場はそれだったと思う。でも、そうはならなかった。それは凄く良かった事だと思う。
http://twitter.com/LDmanken/status/14681014478

(↑)上は僕が『魔王x勇者』の議論ついてつぶやいたコメントです。僕は『魔王x勇者』の物語を読み進めていく内に“勇者の退場”という展開が観えてきた所があって、それはどうなるかなあ?と注視していたりしました。
それは展開予想とはちょっと違うんですけど……物語を読んで行った時に“丘の向こう”という話は、魔王と勇者が平和な世界(?)のようなものに皆を導いて行くという話ではなくて、救世主の物語ではなくって、もっと、救世を望む者たち一人一人の意識を変えて行く、彼ら一人一人が自らの意志を確かに自らの物語を紡いで行く覚悟のようなものを促す物語である事を感じてきていたと。

…でも、物語の構造上、魔王と勇者が“その話”を始めて、魔王と勇者が“その話”の結末を目指して『物語』を紡ぐ以上、魔王と勇者が皆を救ったんだ(変えたんだ)という物語から逃れられないよね……とも思ったんですよね。
それは「光と闇の愚劣な物語」(←その4から)である事を止めて、もっと世界の在り様を受け入れた『物語』をはじめよう……と言っても光(勇者)と闇(魔王)が導く以上は「光と闇の物語」だよねというか。レスで書きましたよね。英雄譚(光と闇の物語)を脱しようとしても、“英雄”がそれを為す以上は、“英雄譚を脱しようとする英雄譚”である事は逃れられないんじゃないか?という話です。

これを回避する方法自体は比較的、楽に思いつきます。実際にそれをするかどうかは『引き返す引力』がはたらくでしょうけど。何かというと“英雄”を“英雄”でなくすればいいんですよね。そして“英雄”ではなくする一番てっとり早い方法は『物語』の結末とは関係なく、突然の死を与えて退場させる事です。(この場合、魔王もそうしなくていいの?と意地悪を言う人もいるかもしれませんが、そこらへんは『物語』の不思議というか、急所の人間一人外せばテーマは顕現されるはず)
キツい展開ではありますが、勇者がいなくなって何ができるか?は、テーマの追求として有り得べき事態なんですよね。そして『魔王x勇者』は、今僕が上げた選択とは別の選択で、見事にそれを為してくれている。その解法は、今さらネタバレは気にしてませんが、必要もないので細かくは書きませんw…が、僕は「ああ、そうきたか!」と手を打ちました。

まあ、ねえ……w罪なき人々も巻き込んで勝利を拾おうとする蒼魔の刻印王に対してね…「おおおっ!!“招嵐颶風呪”っ!」とか突然、唸りだして自前のマクー空間作ってそこに引きずり込んで、これで回りの被害は出ません!とか、言い出しちゃえる『スーパーヒーロー』がいる状態で、どうしても犠牲が出てしまう事に唇を噛み締めながらも、それでも“正しい事”を積み上げて行こうと懸命に生きる様を描くのはなかなか難しいですよw
全てを解決してしまえる『スーパーヒーロー』がいるなら(しかも、定期的に出現する事が保証されているなら)、その存在に全てを任せてしまう事の方が、合理的ですらあるんですよね。しかし、この『物語』は、そんな都合のいい答えはない、という観点から編まれているわけで、その世界の理解の階梯的な存在として元型『英雄』であるところの勇者は選ばれたんだけど、そこから先は“託して”去る事がもっとも正しい選択に思えます。

作者のままれ先生が、どういうイメージでプロットを選択していたかは分かりません。しかし少なくとも「受け手」の僕からは、上記の観点で、勇者を殺さないために『祭壇』は出現したと『読む』事ができます。そうして情報圧縮体である『祭壇』を出す事によって魔王と勇者の物語と、託された人間たちの物語を見事に分離を果たし、一度融合した『英雄譚』と『世界の在り様』の双方を満足させる結末が与えられています。

それは「“英雄譚から脱しようとする英雄譚”から脱っしたみんなの物語」(群像劇…というより、みんなの物語の方が自分のイメージは伝わるかと考えました)となった事を意味しています。二段発射というかディバイディング・ドライバーの後にゴルディオンハンマーというか(←また言ってる)…ともかく二度の『祭壇』の出現で「結局『英雄譚』である」という『引力』からも脱しているんですよね。


■祭壇~人間の精神の発達の圧縮

え~っとまあ、大体、言いたいことは書きましたね。まあ、元々『祭壇』というのは“難しい話”をかいつまんでするための装置の意味があると思うのですが、それが「“英雄譚から脱しようとする英雄譚”から脱っしたみんなの物語」などという入り組んだ物語を解いて説くには、二段階の『祭壇』が必要だったね…という話になりますね。
まあこれ、人によってはやはり『英雄譚の引力』を大きく捉え「“英雄譚から脱しようとする英雄譚”から脱しようとする英雄譚」…って捉え方になるかもしれないけど。(実際、ラストシーンは勇者たちが締めますしね)そこは、どちらでもいいかなという気がします。今まで述べている『英雄譚』を(光と闇の)“単純化”と捉えるなら、複雑である世界の認識と、単純化は常にスパイラルなものだと思うので。



実は、この世界の『英雄譚』から観た世界の在り様への接続モデルは(子供向け)『英雄譚』の歴史的経緯を凝縮している図であると同時に、人間の階梯的な世界認識(理解)を凝縮した図でもあります。
この話は、人によってはこの記事で取り上げた『ガンダム』の経緯、あるいはスーパーロボットものからリアルロボットものに移行して行く経緯で説明する方が理解しやすいかもしれません。…その方向での話もいずれしたいとは思っています。

でも『魔王x勇者』は、この角度で観たときこの図をそのままワン・ストーリーに収めた美しさを持っているんですよねえ。『ガンダム』でも数作を要したのに…。いや、それはやっぱり突然何の事由も無くできることじゃなくって、相応の時間を経ての『文脈』と『ツール』の整備、それから『臨界』(時機)の存在が不可欠な事だったとは思うんですけどね。

そんな所で、この記事終わりたいと思います。予想外に長い記事になってしまいまして、その割にあんましまとまってないんですが…(汗)書きたい事は大体書けたかと思いますので、自分としては満足だなあ~と。(´・ω・`)それでは。


以前の記事です。

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/74eed63271d173e9d4dd2c8facb30615
【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/463b4de3919163ad00aa98250584512b

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【情報圧縮論】【脱英雄譚】

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その4)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/9bc39bf4df3c7027d268e14e470b3036

(↑)この記事での方さんと僕のレスを(その5)の記事の引用用に再掲載しておきます。

■方さんのコメント

このエントリの論調で、まおゆうを敢えて言葉で表せば、

[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]

ということになるのでしょうか。こう書くと言葉遊びみたいですね。
古い英雄譚から抜けだしてより新しい、より世界の在り様に即した英雄譚に接続する過程を描いた物語、とか、そんな感じなのか。
英雄譚→相対化→現代劇
と発展させるのでなく、
英雄譚→相対化→新英雄譚
と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。

「光と闇の愚劣な物語」という言い回しが嫌いだというのは、わかる気がします。結局まおゆうも英雄譚という形態に着地する以上は「愚劣」を内包することになってしまうわけですが、愚劣さとは力強さでもあるわけで。伝える強さのためにある程度の愚劣を許容するというか、妥協点を見つけて前よりは聡明にやる、みたいな落しどころが現実的なんじゃないかなと(割り切りすぎてるとそれはそれで酷いw)。

■LDのレス

>[「"英雄譚の克服"を成し遂げた英雄」を描いた英雄譚]

素晴らしい(感)これは僕がまとめの言葉にしようと用意していた言葉とほぼ同じです。一応、脱・英雄譚という説を用いているので“脱する”という言葉を基軸にしたんですが…

“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱っした群像劇

…という言葉を準備していました。…方さんの方がセンスがいいですね(汗)これに「あるいは“英雄譚を脱しようとする英雄譚”を脱した英雄譚…と解する人もいるかもしれない」と添える予定でした。“群像劇”なんて言葉でしめるのは、言葉の遊びとしては面白味がないのですがw(汗)僕としては『魔王x勇者』は(旧来の?)英雄譚を脱したと思うので、脱した意味で、別の言葉を添えたかったんですよね。同時にあくまで、これも一つ位の英雄譚の形であると考える事もできるとは思っていて、それはスパイラルな『引力』というものなんでしょうけど…。

ただし、勇者=英雄、メイド姉たち=新英雄、とするならば“新英雄譚”と添えるのもアリに思えます。

…その場合、より正確に述べるならば「“英雄譚を脱しようとする英雄譚”の継承によって脱・英雄譚を果たした新英雄譚」…と、ややこしい!ですねw……なるかと思います。

話がさらにややこしくなるので伏せていましたが、僕は実は勇者は英雄(ヒーロー)ではなく『スーパーヒーロー』にカテゴライズしていて、それが本来の英雄(ヒーロー)の物語に落ち着く話なんですよね。これは勇者=神話英雄の時代が終りを告げ、メイド姉たち=歴史英雄の時代が到来した…という言い方ができるかもしれません。

> 英雄譚→相対化→新英雄譚
> と発展させるのが、つまり「先の物語」ということだ、という主張だと解釈したのですが、それでいいんでしょうか。

…“先”って目の前の先も、ず~っと先も、同じ“先”なんですよねw……ちょっと方さんの言葉を借りて、僕が群像劇ともとれる英雄譚とも取れると解したその結末を『新英雄譚』と言わせてもらいますと、この『新英雄譚』という結末のあり方は、僕の視界にある“先”をはみ出しているものでした。だから“先”は“先”かもしれないけど、もうこの物差しで測るのは適当でない……というのが率直な感想です。

いや、こういうと『先の物語』じゃないと言っているみたいですが、そんな事はなくって(汗)ただ、方さんの言うところの→現代劇の接続、その描き方の時点で『先の物語』は果たしているよ、と僕は考えているって事です。
その“先”(?)の『新英雄譚』あるいは『祭壇』が二度現われる事は…“先”なのか?というか……後から来た『物語たち』が「英雄譚を脱する英雄譚」である事に困る(?)なら…ああ、この『物語』は二回突破したんだ…“先の先”へ行ったんだ…というか?まあ、自分でも言っている事、よく分かりませないが?(´・ω・`;)そんな感覚を持っています。
とりあえずその部分は単にこの『物語』の『形』として捉えて「情報圧縮論からみた構造」の語りに置いた感じです。


……んんん、なんかこのレスで残りの言いたいことまとめちゃった気もしますが(汗)後日、まとめの記事書きます。



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