今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




【3月第3週:シュガーレス Vol.57 見上げること 】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10503.html#681
【漫研】
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『AKB49』(漫画・宮島礼吏、原作・元麻布ファクトリー)のサブキャラ?ライバルキャラ?の、岡部の“輝き”が止まりません。(`・ω・´)…なんかもう裏の主人公は獲ってしまっているし、表の主人公にもなりかねない程の『物語』を積んでいますね。
『AKB49』は、顔がキレイな男の子の浦山実くんが、AKBのオーディションを受ける片想いの女の子・吉永寛子ちゃんを追って女装してこっそり一緒にオーディションを受け、結果、吉永と一緒に“浦川みのり”としてAKBの研究生になってしまう!!…という物語。



岡部は、一期先輩の研究生なんですけどね。最初、この人は、いわゆる“意地悪キャラ”に見えました。…いますよね?そういう妙に主人公を目の敵にして妨害工作をする奴w岡部は典型的なそういうキャラに、見えたんですよね。
表面上はにこやかな先輩に見せて、陰では浦川や吉永たち12期生を「要領が悪い」と嘲笑い、練習は軽く流せばいいと語り、それが仇となって秋元康の前で勝手に恥をかく。それ以後、浦川を目の敵にして、妙な張り合い方をして、そして自滅して失敗をやらかす。そしてそれを浦川に助けられる……そんな感じの、器のちっさい、やられ役(?)みたいな位置のキャラだったんですけどね。…それが、あれよ、あれよと言う間に…なんて言うんでしょうね?気がついたら『AKB49』の物語は、ほとんど浦川と岡部で編まれている状態になっているし、浦川と岡部は同じチームとして協力をしつつも、センターを競い合う、いいライバルになっているんですよね。

本家のAKBメンバーも登場させる必要と相俟って、おそらくそんなに多く主張の強いキャラを林立させられないって事かな?と思っているんですが、岡部以降、オリジナルで物語を牽引するキャラが登場しておらず(徐々に研究生のメンバーの名前くらいは判明して行っているのですが)、技術と才能は研究生の中で岡部が飛び抜けているという設定もあって、要所要所のいい所を岡部が総取りしているような状態になっていますw(↑)上の画像みたく、研究生たちで揃ってカラオケに行ったら、岡部が一人でカラオケ使って練習していた!とかねw
それに合わせて、当初、悪役面のいや~な目付きばっかりしていた岡部がどんどん可愛く、あるいはカッコよく描かれるようになってきています。

しかし、僕が岡部で好きなのは、実はキャラがそんなに変わっていない所で。いや、岡部は変わったと思います。多分、浦川に助けられる形で、怪我を圧して再び舞台に立ったとき、何か変わったのだとは思います。
しかし、それは改心したとか、いきなりいい奴になったとか、そういう事ではない。相変わらず岡部は要領よくズルくやろうとするし、自分だけ目立とうとするし、そうしてそれが上手く行かないプツンと切れてしまう…そういう娘のままなんですよね。そこが好きですね。
こういう“意地悪キャラ”って改心イベントがあると、そこで改心してしまって「本当はいい人なんですよ」でも何でもいいんですが、そこからなんかこうキャラ変わっちゃうというか、嫌なこと全然しなくなる、分かりやすいキャラって、マンガには多くってw『エースをねらえ!』(アニメ)の音羽京子さんとか、『とんがり帽子のメモル』のグレースとかね。いや!あんた!そんなキャラじゃなかったから!?みたいな…いや、ま、いんですが…(´・ω・`)



そうではなく、多分、岡部の変化は、もっとささやかな変化で。何かを得ながら少しずつ、少しずつ変わって行く、つまり成長して行く変化に思えます。まるで主人公のような。
浦川に助けられたのは、確かに大きな変化になったように思えますが、でも、それだけじゃなくって、多分、秋元康からも何かを得て変わっているし、柏木由紀からも何かを得て変わっているのだと思います。…そして、相変わらず、反則すれすれも辞さない岡部だし、いい所は自分が持って行こうとする岡部のままなんでしょうwまた個人プレーしてして舞台をダメにしかけてるしw

本質的な自分の軸(キャラ)はぶれないまま、成長して変わって行く…って、正に“主人公の物語”ですよね。岡部はそれが観えるんですよね。裏の主人公とまで言ってしまったのはそういう事でね。そうして岡部が、ちょっと嫌な奴のまま“上”に行ってくれそうなのを痛快に思ったりもしています。
いいじゃん?「ひたむきな努力」とか、「皆仲良く」とか、サクセスの道程ってそんな寓話的要素だけじゃないと思うよ?(´・ω・`)いや、岡部は努力も目一杯していると思いますけどね。要領よく、効率よくでw後で恥ずかしくなるような失敗を繰り返す娘ですけど、「こいつは上に行ける奴だ!」と思える所が、岡部の魅力でしょうか。

そして表の主人公(←)である浦川は、実は男という秘密を持つが故に、いずれ退場するイメージを持った主人公でもあります。(その時は、ほぼ最終回でしょうけど)そうなった時、浦川からバトンを渡される最有力候補が岡部になっています。まあ、そのシーンが本当に来るかどうかは分かりませんが(汗)浦川と岡部の関係がどういう結末を迎えるのか?というのは非常に『愉しみ』です。



そして、本来、ヒロインであるはずが、岡部のあおりをくらって、すっかり影の薄かった吉永ですが、最新話で転機が訪れている…ようにも観えます。
いや、僕から観て(岡部贔屓って意味)吉永は、浦川みのりという主人公の“きっかけ”の位置からずっと動かなかったヒロインなんですよね。今回、吉永は研究生の未来を決める舞台の上演直前で倒れてしまったわけですが、それは浦川にとっての、浦川に何かの変化をもたらす出来事に思えてしまう。…吉永の出来事に感じていないんですよね。実際に吉永のアクションがあったとしても。
不遇といえば不遇かもしれませんが、ここで吉永がキッチリと動き、岡部と同じような吉永の物語を編んでくれると……既に僕は『AKB49』を単なるタイアップ・マンガとしては観ていませんが、さらにもっと凄い連載になるかもしれません。(`・ω・´)


AKB49~恋愛禁止条例~(2)特装版 (プレミアムKC)
元麻布ファクトリー
講談社



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【3月第2週:範馬刃牙 第247話 ジャンケン】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10502.html#680
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「第三次世界大戦がどのように戦われるかは分からない。
 だが、第四次世界大戦が戦われる方法は知っている。それは棒きれと石でだ」


今回、『魔法先生ネギま!』(作・赤松健)について記事を書こうと思っていたら、(↑)上のフレーズを思い出しました。これ、アインシュタインの言葉なんですが、とある映画で誤用されていて、それが妙に印象に残っているんですよね。それでこの言葉のそのままの意図じゃなくって、その映画で使われたフレーズとして、この言葉を想起しました。あっと『魔法先生ネギま!』は31人の女生徒に囲まれた子供先生・ネギくんが、世界を救う冒険に乗り出して行く物語…でしょうか。

さて、その映画とは…?なんですが………すみません。どうしてもタイトルが思い出せません!(`・ω・´)…なんかね。東西冷戦時代の東欧の、どこかの国境の話だったと思うんですけどね。“西側”と“東側”にそれぞれ切れ者の指揮官が居て、それが、何かの事件をきっかけに互いの師団を駆使して、ものすごい心理戦をはじめるんです。機甲師団を運用する『眼下の敵』とでも言うか……それが、その内あわや全面戦争か?みたいな危機に変じていくんですが、最終的にはそこには到らず、決着をつけずに終わった二人の指揮官は雪原を渡って互いの足で歩み寄り、最後に殴り合いをしてダブルKOで終わります。…かなり、うろ覚えなんて色々違っているかもしれませんが、ラストシーンが雪原の殴り合いというのは間違い無いです。

そしてそのラストの最後に掲げられる言葉が(↑)上のこの言葉です。おそらくアインシュタインは、第三次世界大戦が全面核戦争になるならば、人類からは文明は失われてしまう(戦争などは棒と石からやり直し)、といった意図でこれを述べたと想像されます。しかし、この“とある映画”は、その引用の仕方が全然違うwその映画は「心理戦、駆け引きの近代戦をやるだけやったら、またシンプルな殴り合いに戻るさ!」というかw戦争の原点回帰のようなものを謳っているんですよねw
アインシュタインもいい面の皮にされていますがw僕はけっこうこのテーマは好きで。…ほら、僕のうろ覚えの映画の話でピンとこないなら、『天と地と』(1999年公開、監督・角川春樹)なんてどうですかね?川中島の合戦で五度に渡る合戦をやった上杉謙信と武田信玄が、かなりスポーツマンシップのような戦いの終わり方をして行きますよね。あれが、引き分けに納得できない、謙信と信玄が互いに単騎で殴り合いにいったら……って、最近、そんなゲームとかアニメとかを観た気がするなあ!?(`・ω・´)

…話がちょっとあらぬ方向に向かっているので、引き戻って『ネギま!』ですが、今のネギ対フェイトの文字通り何かを決める闘い~決闘~にそれを感じるんですよね。USTREAMのラジオでGiGiさんなんかが「決戦なのに平常運転感」みたいな事を言っていて。複雑な魔法世界の謎に挑み解決して行こうとする戦いの果てに、ただの「根性ある方が勝ちな!」ていうケンカが在ったというか…。
言い方を変えると「覚悟を決めた者同士がその覚悟した道を変えるとしたらこれしかない」という描きなんですよね。



それも、ただ、そこだけが静かに描かれているわけではなくって、ネギとフェイトの周りでは彼らを信じるものたちが、強く戦いを続けている。この週の調さんの意地を見せた戦いはすごく良かったですし~フェイトを囲む女の子たちが、一様に不幸な生い立ちを持っていてそれをフェイトに拾われているって事は既に描かれていますね~、(↓)以前の記事で取り上げましたが、夏実の小さな勇気の話も本当に良かったです。

今週の一番『魔法先生ネギま!』夏実に宿る勇気



そういう“嵐”の中で、その頂点に位置するこの二人の戦いは無風の感というか……丁度、台風の目のような静かさを持っていて、その静かさは周りの盛り上げで強調されている。
ネギとフェイトのこの決闘は「…熱い!」という言葉が、僕からはどうも出てこない。代わりにどうしても「静かだ」という言葉が出てきます。覚悟をした者同士が交差して止揚の時を迎えている。それを僕は静かに感じていという事でしょう。

今週の一番付記「魔法先生ネギま!」情報圧縮して描かれる先の物語



ははははははは 私を倒すか人間それもよかろうッ
私を倒し英雄となれ 羊達の慰めともなろう だがゆめ忘れるな
全てを満たす解はない いずれ彼等にも絶望の帳が下りる

貴様も例外ではない


このシーンほんと好きで、何回も引っ張り出してしまうんですが…(汗)このシーンは「…熱い!」のですよね。でも、ナギも「しぶてぇ奴だぜ!」とか言って。お互いがお互いの話を聞いちゃいないんですよね。今のネギvsフェイトは、このシーンの対比だと思います。交わる事がなかった「長い長い相克の物語」が、今、交わろうとしている。この物語、すごい所まで来たなあ…(感動)



「静か、静か」という言葉を繰り返していましたが、ネギvsフェイトの“バトルの描き”そのものは、また、強烈に熱いです!(`・ω・´)(←)え?何か矛盾した事言っています?wうん、でもやはりこのフェーズ(場面)は、どうやってフェイトに勝つか?という所に主眼が置かれていないので、バトルのギミックそのものはどこか一歩離れた所に置かれている…その面で「静か」という言葉が出てくる。
しかし、じゃあその一歩離れたバトルのギミックをどう描いているか?を観て行くと、これが「熱い!」と、そんな感じでしょうか。解説を必要最小限まで排して描かれるバトルとか超僕好みなんですよ!wフェイトの“千刃黒耀剣”をネギくんがかわすシーンとか“無音”ですからねw「千刃をどうやってかわすか?」じゃなくって「かわせるからかわすだけ」という、その描き!w直後にフェイトが繰り出す「万象貫く黒杭の円環」に先じて一撃を加えるなど、バトルとしても本当にすごい領域のマンガになっています。

※うろ覚えの映画の件ですが、哲学さんから教えてもらいました。ロイ・シャイダー主演の『対決』(1989年公開)ですね。これです、これ!wまあ、うろ覚えなんで、ストーリーは違っているかもですが…(汗)


魔法先生ネギま!(33) (少年マガジンコミックス)
赤松 健
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【ロボットの反乱】



最近、ちょっと、ロボットの物語と巨大コンピュータの物語をチェックし直したりしていて、その一環で『巨人ゴーレム』(1920年公開)を観たりしていました。超古典の“ロボットもの”……これをロボットものと言うとちょっと違いますかね(汗)原則的には“オカルトもの”とでも言うべきかもしれないんですが。
しかし、この作品が、後の映画『フランケンシュタイン』(1931年公開)にも多大な影響を与え(テストショットの段階ではモンスターの扮装はゴーレムそっくりだったとか…)、その『フランケンシュタイン』の持つ「自らの科学で創造した人造人間」というモチーフと、その創造物の暴走という波乱を踏襲して、ロボットの反乱系が芽吹いていった事を思えば、“ロボットもの”という位置づけで観るのも一興という気がします。

物語は…実はちょっと分かりづらかったんですが…(汗)ユダヤの司祭レーフが、皇帝からユダヤ人の退去を命じられ、その決定を覆すために奇妙で役に立つ魔術としてゴーレムを造ります。そしてひと騒動あって、その命令を撤回させるんですが、その後、ゴーレムは段々言うことを聞かなくなって最後には暴走して城から飛び出ていってしまう…という感じの話かな。元々、ゴーレムって造ったはいいが、最後には制御ができなくなる魔術みたいですね。

…で、今、ロボットにひっかけてゴーレムを語ろうとしているのですが、ゴーレムの、ところどころの動きはかなりロボットっぽくもあるのですが、ところどころの動きは妙に素早かったりして、あんまりロボットっぽくありません(´・ω・`)
というか、このゴーレムは、かなり表情豊かで(↑)怒りの形相なんかかなり凄まじく(ゴーレムの怒りの表情は大映の『大魔神』が影響受けたらしいですね)、造形に関しては正直な所、“泥で出来た生き物”と観たほうがしっくりくる気もします。しかし、その“暴走”の在り方は、やはり『ロボットの反乱』の元型になっていると思われます。おそらくは宗教的な理由から、人型を造る事への忌避感からどうしても暴走に到ってしまうプロットが生み出されるのでしょう。



…というか、観ていてつくづく思ったのですが、映画『フランケンシュタイン』は『巨人ゴーレム』の科学的リメイクという感が強いです。感というか…ほぼ間違いなく『巨人ゴーレム』を模している。レーフ司祭とゴーレム、フランケンシュタイン博士とモンスター、の最初の接し方~とりあえず歩かせてみる~の様子はかなり近いですし、終盤に少女と接する画は、もう、完全に重なっているw(結果が違うけど…)ゴーレムと、フランケンシュタインがなんとな~~く、制御不能で暴走して行く様も同じです。

これメアリー・シェリーの原作の『フランケンシュタイン』(1818年出版)とは大分違うようです。
誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタインの元へ辿り着いた。自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、更なる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否してしまう(フランケンシュタイン・コンプレックス)。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人・妻を次々と殺害。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡するが、北極に向かう船上で息を引き取る。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、怒りや嘆きとともに氷の海に消えた。
ストーリーに込められたメッセージ性などからたびたび映画化されているが、人造人間の容貌が醜いとされることから、原作でのその繊細な側面は無視され、知性の低いモンスターとして扱われる事が多く、また後世にはパロディ化されている。

(フランケンシュタイン~Wikipediaより)

原作の『フランケンシュタイン』が、超人間…少なくとも“レプリカント”な存在を示唆する先見性を示しているのに対して、映画化された『フランケンシュタイン』は、『巨人ゴーレム』と共に(宗教的ブレーキがあるとしても)技術的事故の側面が大きい。失敗、あるいは出来損ない、といった感じでしょうか。
ビジュアル的にも…“不気味の谷間”の狭間にあるというか……人間に近いのだけど、人間とは違うものの恐怖というモチーフで成り立っているような気がします。これは僕が『ロボットの反乱』、『コンピュータの反乱』として追ってる、人間に摂って代わる、あるいは神に摂って代わる事への恐怖というテーマには、まだ到っていないもの……かな?と思いました。
フランケンシュタインのモンスターもそうですが、ロボットという言葉の起源になったカレル・チャペックの戯曲『R.U.R』(1921年発表)のロボットも製造は生体部品というか、生身のものを使った存在で、最初の「人間に摂って代わる存在」に対しする恐怖は、生命の複製からはじまっているようですね。…当然か。当然だねw

これが「機械、機巧、金属の塊の存在であっても、超人類に成り得る」という発想は、アシモフの解釈を待つ事になった……と、そういう流れかもしれません。
そしてフランケンシュタインのモンスターは『巨人ゴーレム』との融合を果たすことによって、どちらかというと『悲哀の怪物』、『無垢の怪物』(そういえばゴーレムって“胎児”って意味だったな)の系譜を形成していったように思えますが(そのテーマは原作から外れたものではない)、そちらを追うのはまた別の機会ですね。
……うむ。どっちかと言うと『フランケンシュタイン』の話をした気もするけど…まあ、よし。(`・ω・´)


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【ハーレムメイカー】



奈緒「お、お兄ちゃんのにおいっ……あたしってキモチ悪いっ アハハハハ」

TVアニメ『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』(監督・元永慶太郎、原作・草野紅壱)が『面白い』ですね。あんまり愉しかったので、マンガの単行本買ってきてしまいました。(`・ω・´)(現在、4巻まで刊行)……ちょっとアニメの方は原作のストックが足りず、後半、“足踏み”しているっぽくはあるんですが……とまれ、登場するヒロインたちが、かなり面白くて毎週楽しみにしています。
『お兄ちゃんの~』は……血の繋がらない兄妹の妹が、お兄ちゃん大好きでお兄ちゃんとの恋愛成就のために、影に日向に画策する物語…かな?…「お兄ちゃんも血が繋がってない事は知ってるんだから、やるならやるでさっさとしなさいよ!」って感じで、そのまま行くとかなりエロマンガなんですが、いろいろ“仕掛け”があって寸止めよりやや手前で、ブレーキがかかる構造になっていますね。

■高梨奈緒という一位ヒロイン

主人公は妹の高梨奈緒なんですが、このヒロインが面白い。なんでしょうね。序列一位ヒロインの自覚があるヒロインと言いましょうか。ほどなく、ライバルに当たる土浦彩葉(幼馴染属性+ストーカー)が現れた時に、彼女が存在するのを“アリ”とするんですよね。なかなか進展しないお兄ちゃんとの仲を進めるためには、彼女(ライバル)という要素は必要であると、望むところと判断する。
それで何か、この娘、お兄ちゃんとの日記というか日誌をつけていて。「兄が私のパンツをのぞき見していた」とか「兄が狼狽えて挙動不審になった姿がよかった」とか書いているみたいなんですが、最終的には自分と兄との恋愛成就の壮大なラブストーリーとして完結すると確信してその日記をつけているみたいなんです。相当強い『認識』を持っているように観える。
たとえると兄を中心にしたラブコメ、あるいはギャルゲーにおいて、自分は一位ヒロイン・キャラだという確信を持っていて、その立場から兄を“攻略”しているようなそういう感じのキャラクターと言えます。
作者の草野先生が既にこの構造を「修輔ヒロイン説」と言っているみたいですね。そういう事だと思います。…というかこういう『コンソート』のヒロイン化という視点も興味深いです。元々、男の子向けラブコメはヒロインが主人公に迫るという構造を大意においてとっているとも言えて…それとヒロイン説という視点が、単純に視点のシフトなのか、別の周回があるのか?といった……まあ、この件はしばらく寝かせて考えてみる事にして、ここでは止めますが……。

…で、そういった奈緒の兄への強い確信が、思い込みとか幻想かというと…それでも面白いんですが、そうでもなくって。兄の高梨修輔も好きな女の子は妹の奈緒って決めているみたいなんですね。…このお兄さんエロイ事とかにはふらふら出かけてしまうし(無理もないちゃないけど)、なんかすごく分かりづらかったりするんですが、でも、「好きな子は奈緒」とか、「妹の奈緒を守る」とかはしっかり決めているみたいで、そこは割と揺るがない。
先ほど挙げた、二位ヒロインの彩葉ちゃんが、修輔に相当エロく迫るんですが…この人、何をそんなに嫌がっているんだろうって思ったんですけど、すごく嫌がって拒絶反応を示します。で、ああ…エロい事は好きなんだけど、好きな子はあくまで奈緒なんだなあ…と分かるという感じ。(…なんか微妙に分かりづらい描きになっていて、そこはあまり上手くないって事かもしれないし、絶妙って事かもしれないんですけどね)

して観ると、なんかものすごい鉄板兄妹で、奈緒がその事を強烈に確信していて揺るがないのは、ラブコメ的にすごく気持ちがよかったりします。ラブコメものや、ハーレムものを観ても、すぐに一位以下の下位ヒロインに肩入れして「こっちのヒロインの方がいいじゃん!」とか言い出す僕が「ああ、この一位ヒロインは『強い』わ!w」と思うのはけっこう珍しいです。
タイトルを読むとツンデレな妹に観えるんですが、それは多少意識的に演じている程度で、内心は、ほぼ兄を全肯定している所もいいです。なんか異常なレベルなんですよね(汗)「エロい目でわたしを見るのがいい」とか、「挙動不審なお兄ちゃんが素敵」とか、「土下座の見苦しさも大好き」とか、ホントの本当に全肯定w(いいな~w)



そこらへん、ちょっと僕なりに『読んで』みたんですが…。兄の修輔は、子供の頃に事故で天涯孤独となった奈緒を「自分がこの子のお兄さんになる」と言って両親に引き取るように言い寄っている。……で、多分、この後、修輔は相当な責任感を持って「奈緒を守っていた」と思われます。それでもう奈緒の方は「お兄ちゃんが一番好きな妹」になってしまう。兄を全肯定する奈緒はこの時出来上がっていて、実際にこの頃のお兄さんは相応にカッコ良くもあったんでしょう。
多分、これが思春期前の話で…。回想を見ると12歳くらいの頃から「兄の様子が何かおかしい?(というかエロい!)」となってきたんじゃないかとwそこを境に、兄の自分を見る目がいやらしいとか、自分に隠れてこそこそ何かしているとか、今まで自分が知っている“お兄ちゃん”とは違う者になってきた。普通ならここで幻滅するワケですけど、この娘は、そうはならなかったのかな~?……と観ています。

(仮説ですが)よっぽど自分を守り大切に扱ってくれる兄が大好きだったのか。とにかく兄を“全肯定”する心象だけは動かし難く、逆に兄のエロに拒絶反応を示す自らの『認識』に矯正をかけたんじゃないかとか(汗)「いや!自分は兄のエロい所が大好きなんだ!」と。「見苦しい姿勢で自分のパンツを覗き見する所がいいんだ!」と。「その他、諸々~カッコ悪いお兄ちゃんが素敵!」と。強烈に『認識』をねじ曲げて今の奈緒が在る…なんて事を考えたりしています。矯正とかねじ曲げ~とか言うと無理やり感がありますが、元々「お兄ちゃんを全肯定する」心象は出来上がっているので、実際には微調整程度の話だったと思います。
そう考えると、自らの恋愛成就を確信的に考えて、そこから逆算的にライバルの存在を許すような、強い『認識』にも筋が通って来ると思います。けっこう『認識』のバケモノなんですよね、このヒロイン。
あと、奈緒は時々、不慮のエロというか、想定していないエロには拒絶反応を示したりして「あれ?」と思ったりするんですが、不意だと、そういう調整をかける前の奈緒が出たりしているのかな?と思ったりしています。

奈緒の全肯定的な心象は、二位ヒロインの彩葉ちゃんの内心との対比で描かれてもいますね。「兄のカッコ悪い所が好き!」と思っている奈緒に対して、彩葉は「修ちゃんはカッコいい男の子だ!」と思っている所がある。彩葉の方に幻想が入っている気もしますが、これ、悪い幻想じゃないっていうか、事実と完全に違うって事でもないと予想するんですが、ともかく、奈緒の方が全肯定的ではあります。
この記事だけだと彩葉は、単に一段下の下位ヒロインに観えるかもしれませんが、僕はそうは思っていなくって(下位の子ではあるんですけどね)この娘はこの娘で面白いのですが、ちょっと改めて別の機会があれば書きたいと思います。

■近藤さんはかなり強敵だと思う(´・ω・`)



そんな中、三人目のヒロイン・近藤繭佳さんは、かなり『強い』と思います。…まあ、今回はこの人の事を語るのも控えておきますけど、ともかく登場後、ほぼずっと近藤さんのターン!が続いていて、かつ、アニメはどうもそこで終わるみたいですし、原作も追いついてしまった状態のようです。

見れば分かると思うんですが、仲間内ではこの近藤さんが強いというのは、けっこう共通認識になっていて、それ故、奈緒の確信的な姿勢から見(けん)に回っている状態(近藤さんが兄を困らせてイチャイチャしているを見てホンホンしている)が本当に、大丈夫だろうか?そこに油断はないのか?みたいな熱い議論(←)を交わしたりしていたんですよね。(`・ω・´)

…で、最新の4巻を買ってきまして読んだところ、アニメと原作の微妙な違いに気づいたので、ちょっとそれを記載しておこうと思います。


奈緒「遅かれ早かれ、彩葉ちゃんは何か行動を起こすはず。…でも!それより問題なのは、近藤先輩とお兄ちゃんの関係よ!お兄ちゃんの汚らわしく淀んだリビドーが近藤先輩に向かうのは迷惑なの!!お兄ちゃんが劣情を向けるのは妹のあたしだけでいいんだからあ!!
―――そろそろ介入した方が良さそうねっ!」

(アニメ第6話より)


奈緒「パンストフェチの方は汚らわしく淀んだゲル状のリビドーの発露だから対処は簡単だけど。ほんの少しでも自分がモテるとお兄ちゃんが思い込んでいるのは大問題だわっ!全ての原因は――思わせぶりなミスターX(近藤)の行動ねっ。挙動不審なお兄ちゃんが見れなくなるのは残念だけど
―――そろそろ介入した方が良さそうねっ!」

(原作第21話より)

これ同じシーンの奈緒のセリフなんですが。…今、微妙と書きましたが、僕はこのセリフの違いで高梨奈緒というキャラクターの“意味”が相当に変わってくると思います。
少なくとも、アニメの奈緒を観たときは「…大丈夫か?奈緒?甘く観てると近藤さんに持ってかれるよ?」と思ったのですが、原作の奈緒は「ああ、これは奈緒だ」とw近藤さんが強敵には違いないけど、ちゃんと状況分析が出来ていて、それに合わせて対策をとろうとしていると安心しました。当然ながら、僕の『読み』の奈緒は後者の奈緒です。言っている事が完全に読みと合致していて安心するんですよね。

原作者もここらへんは目を通しているはずで……ここなんで変化しているのかな?と色々考えてみたんですが、ちょっとよく分かりません。というか、僕が思っている程、重要なポイントじゃないというのが、妥当なんでしょう(汗)
ただ、アニメの方は1クール…もう何話かで終わらないといけなくって、“山”を生成する為に、奈緒の『ワールド』を多少、揺らぎやすいように調整しているのかな?とも思いました。元々、鉄板兄妹で、奈緒がエラーしても、兄がかなり強くリカバーしてくれる構造ではあるんですよね。そんな感じに終盤、注目しています。
まあ、このままだとかなり近藤さんのターンで終わりそうなんで(それもまた楽しですが)二期希望です。(`・ω・´)しかし、ストックもうなくって、リロードするの時間かかりそうではありますね。どうなんでしょうね?

【ハーレムメイカー】『アマガミSS』×『ヨスガノソラ』のヒロイン並列構造の解法

…ちょっと踏み込んだ話をしますが。奈緒というヒロインは(↑)以前、書いた記事の『ヨスガノソラ』の穹のようにヒロインの『並列構造』化を並列構造を認めた上で、へし折りに来ているキャラクターに見えます。(妹ものという点が符号しているのは…偶然というか別の流行りですかね…?)
しかし、穹に関してはその目的が達成できたかというと、かなり難しい所があります。(というか意図的に達成されない作りをしているとも思います)返って奈緒は、かなり上手く立ち回っている感があって、繰り返し“強敵”と指している近藤さんを、上手く自分の駒に組み込めると、奈緒というヒロインの並列構造への逆襲はホンモノという事になるかもしれないな~と思ったりwそこらへん、注目したりしています。(`・ω・´)


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先ほど『少年マンガ放談4@漫研ラジオ』をやったのですが、今度は23時から海燕さんと、ペトロニウスさんとで、別のUSTREAMでネットラジオをやります。雑談をする予定です。よろしくお願いします。

3月20日(土)23:00開始~?

【USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken




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放送終了しました。(↓)録画データです。

▼USTREAM:少年マンガ放談4@漫研ラジオ




日曜日の夜にルイさんと、GiGiさんで、USTREAMでネットラジオをやる予定です。定期的に行なっている、四半期の少年マンガ(ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオン)に関する雑談ですね。よろしくお願いします。

3月20日(土)18:00(2時間くらい予定)

【USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken




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【3月第1週:AKB49 第27話「たかみな」】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10501.html#679
【漫研】
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ああ…そうか。球磨川くんって“カッコ”つけてたんだ…。いや、ハラルヤさんの指摘ではじめて気がついたんですけどね(汗)『めだかボックス』(原作・西尾維新、漫画・暁月あきら)で、これまでずっと『』(括弧)をつけて喋ってきた球磨川禊くんが、第88話で、はじめて括弧をとって、自らの本音をぶちまけました。…ふむ。
あいつらに勝ちたい 格好よくなくても 強くなくても 正しくなくても 美しくなくとも 可愛げがなくとも 綺麗じゃなくとも
格好よくて強くて正しくて美しくて可愛くて綺麗な連中に勝ちたい

才能に恵まれなくっても 頭が悪くても 性格が悪くても おちこぼれでも はぐれものでも 出来損ないでも
才能あふれる 頭と性格のいい 上り調子でつるんでる できた連中に勝ちたい

友達ができないまま 友達ができる奴に 勝ちたい
努力できないまま 努力できる連中に勝ちたい
勝利できないまま 勝利できる奴に勝ちたい
不幸なままで 幸せな奴に勝ちたい!

嫌われ者でも!憎まれっ子でも!やられ役でも!主役を張れるって証明したい!!

(『めだかボックス』第88話より)

(なんか歌詞みたいだけど)これは難しい問題ですねえ…(汗)彼がそういう意志を持って“闘って”、そしてある程度の“成果”を上げてしまうと彼自身は彼が守ろうとした者と別の者になってしまう…という背反が起こる。特に“物語的”には…いや、“少年マンガ的”には…かな?“お釈迦様”とか(あるいは阿弥陀様かな?)は、これの“答え”を知っている人のはずなんですけど……ん、まあ、こっち側の話に流れるのは、また別の機会にするとして…。

ともかく、僕は西尾先生の仕掛けにひっかかったというか、括弧つけて喋っていた球磨川くんの言葉を、けっこう真に受けていた所がありまして(汗)……これは『読み変え』が必要かな?とも思ったのですが、だが、ちょっと待って欲しい。(`・ω・´)(←)
この括弧をはずした言葉は球磨川くんの本音で、括弧をはずした球磨川くんは本当の球磨川くん……という事に観えるんだけど、しかし、上に述べたようにその球磨川くんは、既にマイナスの球磨川くんではないのですよね。大義を持って誰かを護り助けようとする球磨川くんで(最新号では、それ故負けそうですよね)彼が“この気持ち”を抱える事になったマイナスの球磨川くんがいるはずで、その球磨川くんも間違いなく球磨川くんで、それは括弧セリフ上にも顕れている事ではないかと思うんですよね。
もう少し突っ込んだ所を言うと、気持ち悪い男である球磨川くんは、本当の球磨川くんなんだけど、自分が気持ち悪い男と気づいた時、球磨川くん格好をつけて、その気持ち悪い男を“演じる”事にしたと。括弧をつけて。だから球磨川くんが“仮面”と言う事にしてしまったモノも、やはり本当の球磨川くんで、また、演じる事を決めた本音の球磨川くんも、本当の球磨川くんと…そんな感じ?ややこしいですかね?(汗)まあ、球磨川禊というキャラクターの『読み』は少し様子を観るとして…。

状況の整理をしておこうと思います。ちょっと球磨川くんが、めだかちゃんと初めて邂逅するシーンを引っ張り出して来たんですが……


球磨川『人間は無意味に生まれて』『無関係に生きて』『無価値に死ぬに決まっているのにさ』

(『めだかボックス』第51話より)

括弧つきのセリフですがwこの時、僕は「ああ…球磨川とはつまり“虚無”なんだ」と思ったんですよね。めだかちゃんは、この虚無と戦う事になるのかと。…ちょっと、それは違う様相を呈して来ているわけですがwそして、それに合わせて(↓)この人が豹変と。


安心院「まったく、どーでもいいことで、いつまでモメてるつもりなんだか。僕から見れば全員平等に、ただのくだらねーカスだってのに」

「光も闇も 正義も悪も 毒も薬も 強さも弱さも 黒も白も 成功も失敗も 幸福も不幸も――本当は全部同じものだって、どうしてみんな気付かないのかなあ……」


(『めだかボックス』第88話より)

これも、ちょっと意外な展開だったんですけど…(汗)これを観ると“虚無”は、球磨川くんを抑えていた…ように見えたキャラ・安心院さんに移ったように見えます。(まあ、これも何かの引っ掛けという可能性はあるんですが)
さらに言えば、どうやら、安心院さんは7932兆1354億4152万3222個の異常性(アブノーマル)と4925兆9165億2611万643個の過負荷(マイナス)を持っているそうで…w(汗)
それは多分、「めだか以上のめだか」という事であり、また「善吉に遇わなかっためだか」という事かなとも思います。…額面通りに受け止めればですがw(←何かナーバスになっている)現状、この人と対決する事があるかどうかも分かりませんが(行状を観ていると対立の必要がない人なので)、まあ、この球磨川くんとの戦いが終わった時に、善吉くんと会話を交わす予定のはずなので、そのシーンを待ちたいと思います。


めだかボックス 9 (ジャンプコミックス)
西尾 維新
集英社



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▼USTREAM:『うみねこのなく頃に』2@漫研ラジオ

先日、魔王14歳さん、かんでたくま。さんとやった『うみねこのなく頃に』のラジオですが、やはり最後の約30分が切れていて、USTREAMサポートに問い合わせたのですが…まあ、どうもデータは完全に失われていて復旧は無理みたいですね。まあ、最後はまとめみたいな事を話していたわけで、ある程度、それまでの会話で語った事ではあったんで、そんなに困らないかな?とは思うんですけどね。
ただ、最後の方で話していた「右代宮戦人と右代宮縁寿の間にあるギャップ」の話が『愉しかった』ので、そこをピックアップしておこうと思います。

僕自身の大元の話としては(↓)この記事があって…

『うみねこのなく頃に』~長い、長い、魔法と心の旅の結末
先ほど説明を単純化するために「魔法を肯定するか?否定するか?」という言い方をしましたが、縁寿は魔法の存在を否定はしない。それどころか、この時の彼女は魔法とは何なのか知っているし、その使い方も身につけている。そして、それを使えば幸せになれる事すら、解っているのですよね。
でも、彼女はそれを選ばない。…ここ、ちょっと説明が難しいですが、彼女は多分、魔法を捨てるわけではない。また、魔法を使わなくなるわけでもない。きっと思い立つ度に使い続けるのでしょう。……でも、心の一番大事な場所には置かない。心の核にはしない。その宣言をするのが(↑)上のep4のセリフなんです。
本当は魔法を否定するワケではないけど“その意志”を示すためには、二択なら否定する方を選ぶしかないんですよね。

それはねえ…兄貴に何をごちゃごちゃ言われようが、揺るぐものではないと思うのです。生き方を示せと、その選択肢を与えられたら、それはもうBなんだと。

やはり『うみねこのなく頃に』ep.8(最終回)で、最後に示される選択肢はかなり納得いかないものがあって、そこらへんは、かんで。さんも、魔王さんも、この感覚の共有があって……まあ、ちょっと最後の選択肢を言いますけど「魔法か?手品か?」という選択肢そのものに納得できないんですよね。この物語を縁寿の視点で観た時、その選択肢にはならないんじゃないか?と。
その選択肢は一言で言うと「魔法を肯定するか?否定するか?」というものですが、縁寿は既にその選択肢を止揚していると思うんです。でも、その縁寿に合わせた出題は戦人くんの領域では、出す事ができなかったんじゃないか?というのがラジオでの話になります。



ちょっと話を移しますが、“最後の攻防戦”で、六軒島を喰らい尽くして虚無に返そうとする黒山羊さんたちに対して、推理を述べるものにはノックスとウィルが(その推理を打破し)、幻想を述べるものには使い魔たちが(幻想の設定による攻撃力で)、それぞれ防戦します。
このシーンかなり好きなんですが、もしこの場に縁寿がいたら“推理の刃”と“魔法”の両方を使い、奮っていたはずだと、そんな話をラジオでしていました。丁度、メタ性をもたない普通の人間たちはライフルで、推理側の敵、幻想側の敵の両方を攻撃できたのですが、それよりも一段上のプレイヤー・キャラクターである事が分かります。なんで、それができると言うのかというと、それがep.4で縁寿が到達した領域だと思うからです。

じゃあ、戦人はどうか?戦人はこの時“黄金の剣”を使って防戦します。これも“推理”と“幻想”の両方の敵に効果がありました。おそらくはゲームマスターだけが行使できる武器なのでしょう。
しかし、多分、戦人は“魔法”を使えない……と僕は思います。“推理の刃”は使えるんじゃないか…とは思う。しかし、彼は直接、“煉獄の七姉妹”や“シエスタ近衛兵”を使役する事はできない。それをしようと思うと、一端、必ずベアトリーチェを介して、そこから動いてもらう事になるはずです。
ep.4をプレイした人には分かると思いますが、縁寿が示した“魔法”って、そうそう簡単に行使できるものじゃないんですよね。かなりの修練と……そもそもの素質がいる。対して戦人は全エピソードを通して観た時、彼自身は反魔法の塊みたいな男で、その素質はほぼ完全に失われていると言っていいと思います。

じゃあ、何で彼が“黄金の剣”を持っているかというと、ベアトリーチェの示す“真実”に到達したから(両方の力を持つという意味では縁寿に遅れる事のep.5で)なんですが、その手段は“推理”と…幾許かの“愛”であって、“魔法”を知る事はダイレクトなものではない。要するに彼の“魔法”の理解は「ベアトリーチェの言っている事を信じる(合わせる)」レベルで、実際としては、悪魔たちの使役はおろか、視えるか?視えないか?の狭間くらいの位置なんじゃないかと思います。

右代宮戦人とベアトリーチェの関係って、ちょっと複雑で(ゲームマスターとなった戦人は、幻想である所のベアトリーチェの、そのまた幻想…という角度の観方も存在する等)あまり一口に語れないんですが、この場の縁寿との対比に合わせて言うなら「戦人は、ベアトリーチェに口説き落とされて、魔法側に転向した」って事なんですよね。

『面白い』ですねwベアトリーチェの示す“真実”に到達してゲームマスターになったと言う事は、「ベアトのゲーム」では戦人の負けなんですよねw(しかし、負けると全てが手に入るという……羨ましい敗者だよw)
無論、戦人は“真相”に到達している。…そこで戦人が「そらみろ。魔女なんか居なかった。魔法なんて無かった。推理は可能だった。俺の勝ちだな」と高らかに宣言すれば、彼の勝ちなんですが、それをしなかったから戦人の負けだというw真相を知ったから逆に魔女を認めてしまうというwむしろ、真相を暴かせる事が、このゲームの最後の罠だったとでも言うかw

自分は真実を知ったからこそ魔法を認めた…という立場の戦人の視点からすると「魔法を肯定するか?否定するか?」という選択肢が、最も“自分の到達した場所”を示すものではあったんですね。……いや、この文章書くときは「分かってないよ戦人!プギャ~!(^∀^)」くらいの勢いだったんですが、こうやって整理して書き出して観ると、彼の視点は視点で分かって来ますね(汗)
しかし、そうは言っても縁寿の話に戻りますが、彼女の目指した場所はそこではないはずなんですよね。そして、彼女の到達点にある種のシンパシーを感じている僕としては、とにかく戦人の提示する“茶番劇”が分からないというか「そうじゃない」と言いたくなるわけです。だから、こそ「魔法の肯定/否定」ではなく、戦人の示す選択肢の意図を否定して“あっち”を選んで、そしてその結末に、すごく納得感を覚えてしまっているんですよね。

…ふむ。そもそも、無限の魔女ベアトリーチェの示す“真実”と、観劇の魔女アウアウローラが持ち込んだ一なる“真実”は、違うものなんですよね。いや、本当に全く違うもののはず。
そして戦人が、縁寿に到達して欲しかった真実はベアトリーチェの真実の方と言う事なんでしょうね。僕としては「…だが断る!」なんですが、まあ、そこは置いておくとしてw

戦人は「真実を知ったからこそ魔法を肯定した者」で、縁寿は「魔法を知ったからこそ魔法を否定(止揚)した者」って事か。これは完全に『認識戦』になりますねえ…。
ある意味正反対な二人が、主人公を務めた『物語』だったと言えそうです。そして、それに対して選択肢が、ちゃんと用意されてたのだから、良い物語だったなあと、そう思いますね。


[同人PCソフト]うみねこのなく頃に [第1話~第4話]
07th Expansion
07th Expansion

[同人PCソフト]うみねこのなく頃に散 Twilight of the golden witch[第5話~第8話]
07th Expansion
07th Expansion


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『激走戦隊カーレンジャー』(1996年放映)コンプリート。スーパー戦隊シリーズの第20作目の作品。地球の事を「チ~キュ」と不思議なイントネーションで呼ぶ宇宙暴走族ボーゾックに狙われた地球を、車の星座に選ばれた、自動車会社で働く5人の若者たちが、伝説の戦士カーレンジャーとして地球を守る物語。僕が長い戦隊シリーズの中で1、2を争って好きな作品です。

不条理シナリオの大家・浦沢義雄先生の唯一の戦隊シリーズでもあります。浦沢先生は、それまで不思議コメディシリーズのライターをずっと手がけていた人で、特に後半『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』(1989年放映)→同『いぱねま!』(1989年放映)→『美少女仮面ポワトリン』(1990年放映)→『不思議少女ナイルなトトメス』(1991年放映)→『うたう大竜宮城』(1992年放映)→『有限実行三姉妹シュシュトリアン』(1993年放映)と実に6作のメインライターを務めたのですが、不思議コメディシリーズは『シュシュトリアン』を最後にその幕が引かれます。
これによってこの時期、子供向け特撮ものの番組がスーパー戦隊シリーズと、宇宙刑事シリーズに端を発するメタルヒーローシリーズの2本になってしまうんですけどね。…まあ、ここらへんの話は、また機会を改めてするとしまして…。

この不思議コメディシリーズを終えた浦沢義雄先生を戦隊シリーズに引っ張ってきて書かせたのが、この『カーレンジャー』という事になります。不思議コメディ…それも後半の“魔法少女系”のノリを戦隊シリーズに持ち込んで来たのが本作品と言えますね。
これだけだとまだピンとこない人がいると思いますが、これはハッキリ言ってすごい“取り合わせ”でした。…なんでしょうね?wホラ、今もいるかもしれませんが、昔、“マヨラー”と言って何でも食べ物にマヨネーズをかけて食べる人たちがいたじゃないですか?ああいう取り合わせ…?あるいは「プリンに醤油をかけるとウニの味」とか、「きゅうりに蜂蜜をかけるとメロン」とか……と言うと、かなり酷い事を言っているように思う人もいるかもしれませんけど、ともかく何か凄い取り合わせだったんですよ。分かる人には分かるはず?(汗)けっこう人を選ぶ“風味”じゃないかと思います。

ちょっと一例として『カーレンジャー』で使われた設定をリストしてみると…。
  1. 宇宙暴走族ボーゾックの目的は地球征服ではなく地球を巨大花火にして打ち上げること。
  2. ボーゾックたちは地球の和菓子屋“芋長”の芋羊羹を食べると巨大化する。何故、巨大化するかは不明だが、彼らはその切り札を芋長の店主からお金を払って買っている。(それまでは特に巨大化する戦法を持っていなかった)
  3. どうも土星のあたりで宇宙おでん屋の屋台が出ていて、ボーゾックの組員は気が荒れるとそこに飲みに行ったりする。
  4. 後半で登場する暴走皇帝エグゾスの目的は、銀河に「暴走し放題、交通事故し放題」の宇宙ハイウェイを敷くことでその進路となる地球を排除しようとしている。
  5. さらにエグゾスは宇宙の悪人向けに雑誌「てれびランド」のような「宇宙ランド」を発行している。その付録についている組み立てロボット・ノリシロン・シリーズは極めて強力。

…という具合に。いくつか列挙するだけでも、その狂い方が分かるんじゃないかと思いますw
他にも特徴的なシナリオとして、戦隊シリーズ定番となった6番目の戦士・シグナルマンという奴がいるんですが、彼はポリス星からボーゾックを追って地球に赴任してきた宇宙警官なんですね。しかし、故郷のポリス星には“シグタロウ”という一人息子と妻がいて、単身赴任のため、シグタロウの運動会に参加できない事を悩んだりするという、聞いただけでツッコミ所満載のエピソードがあります。



いや、こういう設定を見ると「やあ、浦沢義雄だなあ!」と思う分けなんですよねwなんというか、多くは悪役なんですが…シグナルマンのような怪人物(?)の表の活動と舞台裏の苦労や、家族構成の語りは、浦沢脚本の定番ともいうべき手法で、不思議コメディシリーズでは、いくつもそんな感じのエピソードがありますw
単純にギャグだけではなく、カーレンジャーたちの名乗りポーズや、あるいは巨大ロボ・RVロボの必殺技~適当にグルグル回転して相手を斬る~“RVソード激走斬り”なんかも相当カッコ良くてよかったです。「交換日記から、はじめよう」という敵女性幹部ゾンネットと、レッドレーサーの中学生的ラブコメも良かったw

そんなあらゆる意外性に満ちた戦隊で、非常に楽しかったのですが、その後、2011年現在まで、浦沢先生は戦隊シリーズのメインライターに再び起用されてはいない所を観ると……この戦隊はかなりインパクトが強過ぎたのかな~?と思わないでもないです(汗)…時期的に戦隊シリーズの低迷期って事もあるでしょうけどね。
従来の戦隊の中にもコメディ・パートは豊富にあって、ギャグが受け入れられないような懐の狭い土壌ではないはずなのですが~それこそ『ゴレンジャー』のノリなんてかなり『カーレンジャー』に近い気がします。~浦沢先生のギャグのパワーというのはそれを押しのけて、ハメを外す…あるいはタガが外れる程だったと言う事かもしれません。
何にしても戦隊シリーズの中では空前にして絶後の異色作ではないでしょうか。ギャグ主体に語りましたが、それが多くを占めるとは言え、真面目でカッコいいパートも充分にあって、ラブコメもあって、かなり完成度が高い一本だとも言えると思います。


スーパー戦隊 全主題歌集
コロムビアミュージックエンタテインメント
コロムビアミュージックエンタテインメント


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【2月第4週:ケルベロス 第五十六刻 手の、先に】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10500.html#678
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



マガジンで連載がはじまった『この彼女はフィクションです。』(作・渡辺静)が相当『面白い』です。主人公・ユーリが10年間、妄想に妄想を重ねて99冊分の設定につめこんだ“理想の彼女・ミチル”が、突然、実体化した。しかし、彼女はユーリの理想の美少女であると同時に、子供の頃の思いつきを含めた、様々な設定を内臓(?)して顕現したようなのだ…!みたいな出だしですかね。あと、ユーリくんは、既に“現実の女の子”フーコ先輩を好きになっていて、ミチルの実体化を手放しで喜べない状態です。(´・ω・`)

主人公が理想の彼女を“自作”する物語と言うと『AIが止まらない』(作・赤松健、1994年)と『ぼくのマリー』(作・竹内桜、1994年)を思い出しますが……おっと。両作品とも1994年開始ですね。
その彼女がある程度予想外の動きをする事含めて構図自体は、かなり近いと思うのですが、冒頭からミチルをヤバい存在として扱っている所が『面白い』なと思っています。“理想の彼女”が現れたんだから、もう少し手放しに喜ぶフェーズがあってもいいと思うんですが、10年間という彼女を設定する歳月の中で子供の思いつきである怪力とか、目からビームとか、とんでもない設定が混じっていて、てんてこ舞い(古い)な状態で、かつ、心の中身もかなり怪しくて、ユーリに他に好きな人がいる事を知ると、その人の抹殺(?)を目論んだりしています。…いや、そこが楽しいのですよね。まず、ヒロインの女の子をヤンデレっぽく描いた、はらはら感が面白いでのです。(主人公も本質的にはイタい奴なんですよね)

……ふむ。そう考えると構図は似ているけど、動作自体は従来の『自作彼女もの』(←今、勝手に作った)とはちょっと違うなあ?段々と、人間ではない彼女、作られた彼女である事が問題になって行く『AIとま』、『ぼくのマリー』に比べて、いきなりその制御されなさが問題になっている。
…このスーパーパワー…むしろ『DR.スランプ』の方が近いのだろうか?………ん~…(考)うまく言えないんですが、いろいろチェックして行くと微妙にズレている所が興味を引きますね。まず、ミチルは既にユーリくんにとって“理想の彼女”ではない。10年間設定を詰め込んだために、今、現在のリアルタイムのユーリくんの理想ではない。…しかしながら、10年分の自分の想いの丈を詰め込んだ創造体である事も間違いないわけです。これが何を意味するのか?どっちに針が振れるのか?俄には分からないですね。第二話でミチルが言ったように「責任をとらないといけない」ようにも思えます。

何にしても『自作彼女もの』にある「自分だけをずっと好きでいてくれる…という設定が在る!」という事の重さ…というか怖さを、速攻で観せてくれました。それが、意外に軽いタッチというか、コメディな告発になっているのは、やはり「目からビームが出る」ことのインパクトで緩和されているのでしょうwそっちに気になってしまうw
そして、これからミチルの足りない“心”を次第に調整して行くとは思うんですが、それが主体なら子育て的な話になって行くのでしょうね。しかし、僕としては、ミチルのこの“怖さ”のようなものはなるべく保っていて欲しいという気がしています。
まあ、単純に僕がヤンデレが好きだというのもあるんですが(汗)……サイコ・コメディとでも言うのか、初動において、その感覚に強く惹かれているものがあります。そこらへん、どう変わって行くか?観て行きたいです。


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