今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

『恐怖劇場アンバランス』円谷プロが描く大人向けの恐怖

2010年09月28日 | 特撮


心臓の弱い方、お一人でご覧になる方は、この恐怖劇場アンバランスはご遠慮ください。

『恐怖劇場アンバランス』(1973放映・円谷プロ)コンプリート。円谷プロ制作の恐怖ドラマのオムニバス。1時間もののTVシリーズですね。
円谷プロの1時間ものというと『マイティジャック』(1968年放映)を思い出しますが、僕の感覚だと『マイティジャック』は1時間番組として尺の取り方がかなり冗長だった印象があります。大人向きのSFスパイドラマを目指して制作され、相当な予算が投入された…と言われる『マイティジャック』ですが……って、長くなるので、この話は『マイティジャック』の話をする機会の時にとっておきましょうw

話を戻すと、ちょっと冗長だな…と感じた『マイティジャック』の時と比して、『恐怖劇場アンバランス』の完成度はかなり高い。この作品、1973年放映ですが制作は1969年頃で、ちょうど『マイティジャック』が終わったあたりで、そのリベンジのような意気込みを感じずにはいられない所があります。もっとも、この成果は“外”の実写畑の監督を引っ張ってきた事が大きいのですけどね。下に記載しますが、相当な顔ぶれです。

…で、Wikipediaを眺めてみると放映順ではなく制作順が記述されていたので、ちょっと思う事がありまして戯れにその順番で並べてみようと思います。

制作No.サブタイトルスタッフゲスト
1墓場から呪いの手脚本-若槻文三
監督-満田かずほ
 
2吸血鬼の絶叫脚本-若槻文三
監督-鈴木英夫
 
3 死体置場(モルグ)の殺人者 脚本-山浦弘靖
監督-長谷部安春
野坂昭如
4 蜘蛛の女 脚本-滝沢真里
監督-井田深
 
5 死骸(しかばね)を呼ぶ女 脚本-山崎忠昭
監督-神代辰巳
 
6 仮面の墓場 脚本-市川森一
監督-山際永三
ひろみ
7 死を予告する女 脚本-小山内美江子
監督-藤田敏八
 
8 猫は知っていた 原作-仁木悦子『猫は知っていた』
脚本・監督-満田かずほ
 
9 殺しのゲーム 原作-西村京太郎『殺しのゲーム』
脚本-若槻文三
監督-長谷部安春
 
10木乃伊(みいら)の恋 原作-円地文子『二世の縁 拾遺』
脚本-田中陽造
監督-鈴木清順
大和屋竺
11地方紙を買う女 原作-松本清張『地方紙を買う女』
脚本-小山内美江子
監督-森川時久
監督補-満田かずほ
 
12夜が明けたら 原作-山田風太郎『黒幕』
脚本-滝沢真里
監督-黒木和雄
 
13サラリーマンの勲章 原作-樹下太郎『消失計画』
脚本-上原正三
監督-満田かずほ
 

※ゲストについて僕がちょっと面白いな…と思う人をピックアップしました。『仮面の墓場』の少女役って声優の鶴ひろみさんみたいですねえ…。鶴ひろみさんなんだあ…。

いやぁ、監督務めているのが長谷部安春とか、鈴木清順とか、藤田敏八とか、けっこう凄いです…wさて、ここから内容知っている事前提(知らない方には申し訳ないですが)で話を進めて行きますが、この『アンバランス』、最初の数話は、それなりに“特撮”を使うようなシナリオが組まれているんですが、次第に“特撮色”が抜けて行き、最後の方は特撮を全く必要としない社会的なサスペンスものになっている事が分かります。
シナリオで見るとそのシフトはより明確で、7本目まではオカルト/怪奇な恐怖を描き、8本目以降はそれこそ推理劇を伴うようなサスペンスになっている。…10本目の『木乃伊の恋』がちょっと特殊で、これは少し差し戻しているような話。これが本放映時ではシャッフルされ、偏りを軽減して放映されていたという事になります。

…まあ、何が言いたいかというと円谷プロは“大人向けの特撮ドラマ”を作る事を一つの大目標にしていたような印象があって(『ウルトラセブン』や『怪奇大作戦』の時点で既にその匂いはする)『アンバランス』はその一つの結実であったなと思うんですよね。特撮のネームバリューを持つ円谷プロと、必ずしも特撮に拘らない円谷プロ、それから大人向けドラマを作りたい円谷プロの、その絶妙な均衡でこの作品が成り立っている。
その後もいくつか円谷プロは大人向けドラマを制作はしたようなんですが、ここまでの形にならなかったし(…と思う。あんまり聞かないから)多分、ここを経てその先を目指していたと思うんだけど、そこには至れなかった……ように思います。

まあ、要するにこの作品、「もっと評価されていい」という話なんですけどねw僕がオススメするなら第4話『仮面の墓場』~閉鎖的な夜の舞台稽古が次第に崩壊して行く話~、第7話『夜が明けたら』~理不尽な傷害事件によって人生を失った男の話~でしょうか。いずれも主演の唐十郎さん、西村晃さんの鬼気迫る演技が素晴らしかった。


恐怖劇場アンバランス オリジナルBGM集
冨田勲
ウルトラ・ヴァイヴ

今週の一番【メタキャラクター】『神のみぞ知るセカイ』メタキャラクターの観え方

2010年09月26日 | マンガ
【9月第3週:マギ 第62夜「アリババの答え」】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10479.html#657

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



最近、『メタキャラクター』についての思考を巡らせていて…微妙にルイさんに誂われている気がしないでもないですがw(´・ω・`)構わず行きます。
今回は『神のみぞ知るセカイ』(作・若木民喜)の学園祭で登場した…え~っと?“キス子”と僕は便宜上つけましたが、なんでしょうね?“完璧な人間子”でもいいのですが……まあ本名・倉川灯というヒロインを観て(←じゃ本名を使えよ)、メタキャラクターの外側からの“観え方”のようなものを考えたので、ちょっと書き取っておきます。まず(↓)以前の記事です。

【今週の一番【メタキャラクター】メタ世界/メタキャラクターの考え方】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/b3ada48e11041dedcc0a3ee913d2828c

【『めだかボックス』球磨川禊のメタキャラクターとしてのメモ書き】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/b35af27375c5407fac0aa336a91db104
球磨川「『老人なら攻撃されないと思った?』『黒幕ぶっていれば安全だと思った?』『僕が可愛らしい顔立ちだから』『おしゃべりの最中なら死なないと思った?』――『甘ぇよ。』」

不知火半袖「あたしもマイナス十三組に入れて頂戴。そろそろあたしもストーリーに参加したくなっちゃったよ☆」

…で、以前から『神のみぞ知るセカイ』の主人公桂馬を『メタキャラクター』として捉える視点を考えていました。彼はギャルゲーのやり過ぎという設定の少年で、そこで蓄積された“知識情報”を元に、この物語の中の現実の女の子たちを自分に恋するように誘導し“落として”行きます。
ゲームの知識を元に…というのがこの『物語』の最大の特徴で、他の一般的なラブコメマンガと一線を画している部分でもありますね。一般的な物語世界の少年は、それと知らぬ内にラブコメ上の“文脈”で少女の心を捉え、恋に落として行ったりするワケですが、この桂馬くんは~それを行わなければ命を失うという脅迫を受けているのですが~その“文脈”を既に知っており、どう動けば、その少女(その類型の少女)を落とせるか分かっている上で、常に最善手と取って行く。一見、互いの心に溝を生んでしまうような選択も実は最終的に“落とす”ためには必要な布石としてその選択がとられていたという念の入れようだったりします。

この視点に及ぶと、桂馬が下らない現実世界として蔑んでいるものが、実はギャルゲーと非常に似通った、いやむしろ参照の対象とされるラブコメの物語世界である事の皮肉とも言えるんですが、ともかく桂馬は自分というキャラ含めた他のラブコメ文脈で動くキャラたちを俯瞰して眺め、その打たれる布石を先回しして考えて最善手を打てる立場にいるんですね。指し間違えとしての悪手はあるでしょうが、それも俯瞰して見える場合の読み間違えに過ぎないわけで、この視点は維持されている。
これはつまり言い方を変えると『神のみぞ知るセカイ』という物語を読んでいる読者たちと同じ視点を桂馬が持っている…という言い方も可能になるワケです。これまでの話を総合して、そういう視点で動けるキャラを『メタキャラクター』的という事は可能に思えます。

まあ、色々、風雲急を告げているように見えない事もない『神知る』が今後もこの体制を継続するかどうかはわかりませんが、今回のこのキス子を観て思ったのは「メタキャラクターというのは“接続先”が分からないと、こういう見え方をするかも」って事なんですよね。
キス子こと倉川灯は何だかよく分からないのですが“完璧な人間”を作っているみたいなんですね。でも実際に作っているのは小中学生の工作レベルの動く車輪のついた箱レベルのもので…だから、このキャラが科学に精通した設定の誰かではない事が分かる。“科学子”ではないと。そうして桂馬のキスを受け手も動揺しない……。これは桂馬が苦し紛れだった事もあるし、後の方で全くの無感動ではなかった事が語られるんですが、ともかく桂馬が苦し紛れになるくらい、桂馬の知っている文脈上にいないキャラだという事が表現されています。

これは桂馬とは違う文脈に乗っているキャラなのかなあ……と、考えたわけですが。その時「ああ、メタキャラってこういう観え方をするのかも」って思ったんですね。
桂馬ってメタ視点の参照先が、僕ら『観客』と同じ参照先である、ラブコメ文脈にアクセスして、次の展開を読んでいますよね。これまでそういう話をしてきました。だから、同じ文脈を参照する僕らは、彼が何を基準にして行動しているか、何を元にそう考えたかがを知る事ができる。どころか反論/批判なんかもできるんですね。「妹はBMW理論!」とか桂馬が宣ったら「いや、それは違うだろうw」とか、そうやって意見を交わす事さえできる。
しかし、その文脈を知らない物語上のキャラクターたちはどうか?ラブコメ文脈の知識はなくても、実体はラブコメ文脈世界に顕現しているのですから、ちょっと微妙な部分、境界の曖昧な部分もsりますが、基本的には「BMW?はあ?なにそれ?」って感じで、キモいオタメガが、何か意味不明の事を言っていると。そういう捉え方になるんじゃないかと思うんですよね。

そうして考えるとメタキャラクターというのは(接続先を知らない)外から見ると、何を言っているのか、何をやっているのか分からない謎のキャラに見えるんじゃないかと。
そういう視点を持つと、このキス子という謎に謎をかけたような正体不明のキャラクターが観えてくるんじゃないかと思ったんですね。多分、この子、何か僕らの知らない別の文脈の接続先を持って、そこを参照して行動している子なんですよ。そしてそれが分かると桂馬も実は、この子に近い観え方をしている少年だという事が分かってくるんじゃないかと思うんです。

だからと言って、キス子が即、メタキャラクターと判ぜられるわけでもないんですけどね。ただ、これまで出会ってきた『物語』のキャラクターたちの中で、何を考えているか分からないキャラ、意味不明なキャラの中で、そういう彼らの接続先とそこに存在する文脈を推し量ろうとしてみると、そのキャラクターたちの行動の意味が分かったりもするんじゃないかと思ったりします。


神のみぞ知るセカイ DVD付限定版 10 (少年サンデーコミックス)
若木 民喜
小学館

今週の一番『保健室の死神』病魔って良い妖精もいれば悪い妖精もいるって感じ

2010年09月23日 | マンガ
【9月第2週:バクマン 99ページ 悔し涙と嬉し涙】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10478.html#656

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『保健室の死神』(作・藍本松)を毎週楽しく読んでいます。『保健室の死神』は、常伏中学に生徒達に降りかかる病魔(取り憑いて不思議な能力を宿らせる)たちを喰らう謎の保険医・派出須逸人(はですいつひと)ことハデス先生の魔物退治譚。…なんですけど、何か段々とこの病魔たちの事が好きになってきましたwいや、かなり最初から好きなんですけどね。もともと、人の心の隙をついて侵入して寄生し、やがてはその人間の意識を支配し生命力を吸い尽くす(…だったかな?)…というヤバい設定があるはずなんですが、僕はほとんどの病魔をどうにも憎めないwいや、これはマズい、ヤバい、悪い、って病魔も沢山いるんですけどね。

その理由の一つは病魔たちが引き起こす騒動の多くがとてもユーモラスなものである事。実際のところ取り返しの利かない程の被害ってあまり出ていない。もう一つは病魔たちって結果として罹る生徒たちの心をよい形で解放して、心の成長を促しているように見えるんですよね。いや、結果としてですが。
この回の『第49話 目指せ男前!?』に登場した病魔・男前(ハードロック)にしても「男らしくなりたい!でも、男らしさって何だ?」と悩む少年~真哉の弟・刀哉に対して、非常に親身に“応えて”あげているように見える。子供のちっぽけな悩みを笑わないっていうか。すごくいい友達に見えたりする時があります。
男前(ハードロック)は結果として刀哉は命を落としかけてハデス先生に退治されてしまうんですけど、それは運が悪かったというか、巡り合わせというか……なんとなく、この病魔、刀哉が何らかの「男らしさ」に目覚めたら、あるいは何らかの“答え”を得られたら、その時は“男らしく”少年から離れて行ってしまうんじゃないか…とか、そんな事を妄想したりしました。いや、それこそが“悪魔”のやり口という事かもしれませんがw

なんか気持ちの持ち方、心の方向のつけ方によって、病魔の発現って良くも悪くもなる気がします。…そんな“正しい付き合い方”が分かってしまような弱っていない心には取り憑かない…って事かもしれませんがw少年少女のちょっとした悩みや望みを解決したり、それで“悪いこと”は全部、自分の所為として退治されて行く……まるで『泣いた赤鬼』の青鬼くんのような(?)病魔たち。
…いや、ぶっちゃけ、なんか、そろそろ病魔ってハデス先生みたいに常駐していてもいいと思うんですよ。こんな友達みたいな奴ら。能力がキャラクターに常駐すると別のマンガになってしまうかもしれませんけどねw


保健室の死神 4 (ジャンプコミックス)
藍本 松
集英社

データ更新

2010年09月22日 | DB作戦
・「WORKING!!」 のデータシートを更新しました。(2010/09/21)

・「薄桜鬼」 のデータシートを更新しました。(2010/09/21)

・「Angel Beats!」 のデータシートを更新しました。(2010/09/16)

・「おおきく振りかぶって~夏の大会編~」 のデータシートを更新しました。(2010/09/16)



WORKING!! 2011年 カレンダー
エンスカイ (株式会社 ハゴロモ)
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薄桜鬼 随想録 原画集
デザインファクトリー,デザインファクトリー,カズキヨネ,アイディアファクトリー
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今週の一番『ぬらりひょんの孫』超えるべき敵としての羽衣狐一派

2010年09月20日 | マンガ
【9月第1週:魔法戦士ネギま! 300時間目 明日菜のもとへ!!】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10477.html#655

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



【『ぬらりひょんの孫』の件(USTREAMハイライト)】
http://www.ustream.tv/recorded/9649811/highlight/106765

(↑)先日やった漫研ラジオの『少年マンガ放談』で話したのですが『ぬらりひょんの孫』を今、“少年マンガ”として楽しく読んでいます。『ぬらりひょんの孫』は百鬼夜行の総大将と言われたぬらりひょんの孫・奴良リクオくんが………どうしたいんでしょうね?最終的に?(´・ω・`)とりあえず今は日本一の百鬼夜行総大将の跡目を目指しているように見えます。そんな物語。
…どうしたいんでしょうね?とは言ってしまうんですが、多分、リクオくんは人間と妖怪が共存する世界を作りたいんですよね。この物語は人間界/人間を“カタギの衆”的にとらえ、妖怪界/妖怪を“任侠”的にとらえた描き方をしていて「極道もん(妖怪)がカタギの衆(人間)に迷惑かけちゃなんねえ」っていうロジックで共存世界を造っていこうとしている感じですよね。
…これ、任侠を“暴力団”って言っちゃうと、それと一般人の共存ってどうなんだろう?って思ったりもするんですがwまあ、そこはマンガの世界というか、正義の不良もいれば、仁義を通すヤクザもいる、って事いいのでしょう。

…で、半分人間、半分妖怪のリクオくんは、そういうヤクザもん(妖怪)の世界に背を向けて知らないふりして生きていこうと最初は思ったんですが、やはり自分の関わっている世界にはどうしようもなく、妖怪がいて、そこからは逃れられないと悟って、それなら総大将の祖父(ぬらりひょん)から正しくその妖怪の世界を受け継ごうとして今の話になっている。
…「逃れられない」なんてネガティブな表現をしましたが、心象はそんなに悪い状態ではない。それは自分の半身を肯定するという事だから。

そうして妖怪世界にリクオ組の“親分”として名乗りを上げたリクオなんですが。最初のハードルというか、集団を率いるリーダーとしての資質が本当に彼にあるのか?という話になってくる。
少年マンガ(分けてもジャンプマンガ)って大抵「ケンカで一番強い奴がリーダー!」みたいなロジックで話がすすんで行くんですが、その経路は一匹狼的な主人公~つまりリーダー意識がない~が、ケンカで勝つうちに共感できるライバルと出会い、次第にそういうライバルを従える集団として成立して行く…という感じですよね。拳で分かり合った仲だから…とでもいうか、そこにリーダーの証明は要らない。←これ多分、リクオのお祖父ちゃん(ぬらりひょん)の物語じゃないかと思うんですけどね。

対してリクオくんは、そういう結果としてリーダーではなく、最初にリーダーの意識を持つことを必要とされている。それは三代目…という立場がそうさせているとも言えるし、周りの妖怪たちは全員その“つもり”~リクオを後継者として認める~で待っていたのに対して、遅れてきた主人公が持った宿題とも言えます。
…で、どうするのかなあ~?と思っていたら、なかなか『面白い』答えを返してきたなというのが以前の“鬼纏(まとい)”を編み出す記事です。(↓)

【今週の一番『ぬらりひょんの孫』ギミックとテーマが合致するのは少年マンガの理想】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/abbd80e6db0dfd368b9333912bfe2db1
……いや(汗)この技のどこが、上述したような“大将の器のでかさ”を満たしているのか?描いているのか?伝わらないかもしれないですが…(汗)いや、何と言うかね……リクオが“何でも入る器”である事をギミックと画で物理的に表現してしまったんですよねwまあ、人間の器じゃなくってギミックの器なんですけどw

文字通り“子供だまし”という事かもしれないですけど、これはこれで好きなんです。だってねえ…仮に、叙情的、情景的に人間の器の機微を描くとして……よっぽど才能投入して上手く描かないと、分かりづらくないですかぁ?(´・ω・`)
…機微なる描写にぐずぐず走って、よく分からない、そしてノンギミックかよ!ってなるより、ギミック担いで大将である事が描かれてしまう方が、ずっと分かりやすくって、楽しいと思います。

まあ、これが“最終回答”とは僕は思っていないです。『ぬらりひょんの孫』はリーダーがリーダーである事の意味が問われる構造になっていて、その答えはこれで終わりではないと思うんで。仮にストーリーがそれを無視したとしても、無視した事が“答え”になる…と、構造とはそういう意味なんですが。



…気がついたら長々書いている…(汗)はい!ここから本題!(`・ω・´)そういうワケで、大体、戦闘準備完了したところで、リクオくんの前に出現しようとしているのが『羽衣狐現代編』のラスボス、鵺、こと安倍晴明なんですね!
…なんでしょうね?晴明は登場前の彼の過去話一発で、すぐにリクオくんを凌ぐリーダーである事が描かれてしまった…って感じるんですね。倒すべき悪のラスボス…ではなく超えるべき“悪のリーダー”なんですよね。

それは彼がリクオくんと同じ半人半妖の怪物であり、かつ先にリクオくんが目指しているであろう「人間と妖怪が共存する世界」を「陰陽の秩序」として千年前に実現していた…という描写の存在が大きいです。また、秩序といっても羽衣狐の一派は人間を襲う事が容認されているはずで。それはリクオくんのイメージしている共存世界がおそらく非常に“青臭い”イメージであろう事に対して、晴明は清濁併せ呑んだ…いわゆる“大人の理論”による秩序世界で調和していた事が想像されるワケです。
青臭いのは間違い……と言うつもりは全くありませんが、しかし、大人の理論を垣間見せるような人物が主人公よりも“格上”という感覚は持てるかと思うんですよ。

別に、晴明についてはGiGiさんが漫研ラジオの中でとても重要な示唆をしてくれています。

曰く、「晴明はマザコン」

………確かにwこれまで築いた陰陽(人と妖怪)の秩序のプランを母の死で全部ひっくり返すのは、彼も人の子(いや、狐の子だけどw)…って事だとは思うんですけど。……ちょっと、マザコン入っているかな?とか。そもそも“反魂の術”の発想が母胎回帰願望くさいよね……とかw

曰く、「羽衣一派は母系集団、対してぬら一派は父系集団」

これは慧眼だと思う。今回の敵、確かに晴明がラスボスで彼が最強の敵でその強さは次元が違う(妖怪相手に戦わせたら日本最強だよね?)レベルなのでしょう。しかし、そこを推してなお、羽衣狐は強い存在力を示しているし、この一団は羽衣狐の一派だと思えるんですよね。晴明は“その時”の頭領に過ぎないと。
つまり、羽衣狐は羽衣狐で、(母系集団としての)リーダーの在り方を見せている…と、そう言う事も出来ますね。ちょっと先走った事を言うと晴明が死んだ後、京妖怪たちが四散しても、またこの“太后”の元に妖怪たちは集まってくるのではないかとも思えます。……もっと、先走った事言うと、このマザコン野郎、母親に種仕込む可能性もあるよね!!(`・ω・´)(←すっかりマザコン扱い)

…そんなワケで復活前から、いろいろ愉しませてくれている安倍清明です。ちょっと期待しながら観ています。


ぬらりひょんの孫 12 (ジャンプコミックス)
椎橋 寛
集英社

少年マンガ放談2@漫研ラジオ

2010年09月18日 | 漫研ラジオ
放送終了しました。ありがとうございました。(↓)録画データです。

【少年マンガ放談2@漫研ラジオ】
http://www.ustream.tv/recorded/9649811

・ハイライト【『ぬらりひょんの孫』の件】
http://www.ustream.tv/recorded/9649811/highlight/106765
・ハイライト【『マギ』の話題】
http://www.ustream.tv/recorded/9649811/highlight/106771


ぬらりひょんの孫 12 (ジャンプコミックス)
椎橋 寛
集英社

マギ 5 (少年サンデーコミックス)
大高 忍
小学館

君のいる町(10) (少年マガジンコミックス)
瀬尾 公治
講談社




土曜の夕方にGiGiさん、ルイさんと、少年四誌(ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオン)についてのUSTREAMのラジオをやる予定です。それぞれの連載作品を思いつくままに喋る感じですね。興味がありましたら、よろしく聞いてやって下さい。

9月18日(土)17:00(2時間程度)

【漫研ラジオ USTREAM URL】
http://www.ustream.tv/channel/manken

それではよろしくお願いします。

言葉の位相

2010年09月16日 | 物語愉楽論
最近、kichiさんと(USTREAMで主題に出した)アニメ『School Days』の主人公・誠というキャラの評価の話をしていて、そこでの会話で、以前から、ここに書こうと思っていた『言葉の位相』の話が出たので、機会を得たと思って、ちょっとここで書き出してみようと思います。

(↓)togetterにまとめ、論旨の部分を分かりやすいように抜き出して、記述順等入れ替え整形しました。また、会話の前提として実は以前にもkichiさんとは、この話題でけっこう話し合っていて、誠というキャラの所作/動作は検証していて、今回はそこをすっとばして話をしている所があります。そのため分かりづらい部分もあると思いますが、本論では、誠というキャラの真相は基本的に問題点としていないので、どういう意見の食い違いが起こっているか?想像して読んでもらえたらと思います。

【アニメ『School Days』についての意見交換かな?】
http://togetter.com/li/50826
LDmanken◆【アニメ『School Days』@漫研ラジオ】他愛もないアニメですがかなり目一杯語りました。(=´ω`=)


ito_kichi◆他愛もないって言っちゃうんですかw 一見他愛もないけど実は練り込まれまくった作品、かとw ……ちなみに昨日聞いた感想ですが、大筋では以前聞いてた通りでしたが、細かい部分の詰め方とか興味深かったですね。刹那のキスが分かれ目というのは言われてみればなるほどでした。
◆……ただまぁ、“誠を普通の男の子と見る”と最高に綺麗で面白いということは理解し最大限尊重しつつも、やはり私はその説に“乗れない”という点は譲れなかったですねw 私としてはやはり誠も世界さんと同等くらいに“異常”と思わざるをえないです。
◆誠の異常さが何かというと、“自分の罪を認識できない”というのが一番で、これは刹那の恋の件をすっかり忘れてしまえる世界さんの異常とやはり似たものに思うんですよね。
◆あと、私が誠の個性を感じた最初の部分って“世界が言葉との話をもちかけてきた時「自分が言葉を好きだった」ことに自分の認識をズラしやがった!”と思ったことだったんですがw、そういう意味で誠のキャラって最初から最後まで一切ブレがなかったと思うんですよね。
だから、誠から超誠に変わっても、その力や効果範囲は大幅にパワーアップしたけど本質自体は何も変わってないというのが私の認識ではあります。完全に受身であるから、その効果範囲の変化による周りへの影響力の変化が絶大なだけというか……。
◆まぁ、そんな感じで、最初書いた通りそう読む魅力は尊重しつつも、客観的に見てというか、いわゆるファクトとしては“誠は異常”と読む方が正しかろうと思えるという所は譲れなそうです。ここ譲るとなると私の“普通”観を(悪い方にw)変えなきゃならなそうですしw


LDmanken◆ああ…普通か、異常か、ってゲージで表現するのは難しいですけど、誠の悪ではあると思います。僕も誠の態度に血管ぶち切れそうになりましたしw
◆誠が「そう変化した以上その本質を持っていた」って本質話は『位相』があって、言葉表現が違っても最終的にどちらも同じものを観ている状態だと思います。僕の方としては、それまでは加藤が好きだった誠は居ると思っていて、それが失われてしまったという話かなと。
◆変化した以上、変化可能性因子を持っていたという指摘からは逃げられないものですよね。ただ、まあこの場合、誠にも良い面と悪い面が内在していて、僕やルイさんの話は変化以前は良い面が表立っていたねという話になるかなと思います。


ito_kichi◆ ……う~ん、ちょっと微妙な話ではあるんですが、私は本質的には「誠は変化してない」って言いたいんですよね。因子という話じゃなく、最初から行動パターン自体は一貫してると思うんですよ。逆に、超誠状態だって良い面が消えたわけじゃないとも思ってまして……。
◆ ああ、世界さんに触れることで、目覚める必要がない“異常”……というか、めだかボックス的に言えば“マイナス”でしょうかw、が、本格的に目覚めてしまった話、という風に考えていますね。世界さんに触れさえしなければ、あるいは一生開花せずに済んだマイナスなのかも……。


LDmanken◆「誠は変化してない」|はい。僕はこういうのを『位相』と呼んでいるんですが、ここで僕は「変化」という言葉に拘って「でも乙女は見限ったよ?(それは変化では?)」って言えるんですが、これは「変化」という言葉の取り合いみたいになっていて、今、実際は僕もkichiさんも誠の何が変化して何が変わってないか、分かっている状態だと思うんですよね。アプローチが違ったから最後の結論として出た言葉に『位相』が起こっているだけで。
◆そこで最後のフィーリングまで合わせるために『言葉』をとり合っても詮無いかなと。多分、互いに近い所は観ているよねで収めるのがよいかなと。…逆に「誠には一切変化がない」という話ならそれは位相ではなく対立なので話し合う必要を感じますw


ito_kichi◆……う~ん、位相の話は理解しましたが、今回の話がそれレベルの違いに収まるのかどうかという点は疑問を感じます。少なくともルイさんは異を唱えそうw LDさんもルイさんも「本質」の部分から変化を見ているように思えるのですが……。
◆ちなみに乙女の変化に関して私の視点から説明しますと、どちらかというと乙女の情報不足的な話だと思うんですが、世界に触れる前はそもそもその情報を得るのが不可能、みたいな話に思うんですよねw
◆最初書いた通り誠の異常は「自分の罪を認識できない」ことが一番だと思うんですが、そもそも罪を犯してなければその性質は現れようがないわけで、世界さんに触れるまでは誠は特別大きな罪と呼べるようなものは犯してなく、比較的善良だったのだろうと思うんですね。


LDmanken◆「変化した以上、変化可能性因子を持っていたという指摘からは逃げられない」と述べたのは、kichiさんへの意見の対立ではなく、たとえ僕が今の誠の経緯を「変化した」と表しても、変化した以上、「最初からそうだった」(つまり変化していない)というkichiさんの指摘からは逃げられないという話をしています。つまりkichiさん言いたい事はわかる。しかし、ここで普通/異常という評価ゲージを使うと個々人の評価が分かれる。誠に非があり、かつそれに無自覚な事も分かるし同意します。しかし、それはどう表現するからは、上の共通認識があるなら位相だね、と思うんですね。
◆乙女の話で言うと彼女は誠が「責任転嫁をする奴じゃなかった」所は目撃してる。そういう情報は得ている。だから「責任転嫁」をした時、それは乙女には変化と映る。僕もそう評したわけですけど。そこを詰めて「いや、根が出てなかっただけ」と言う事は可能です。でも、これは僕もkichiさんも、誠の何が変わって、何が変わってないか、分かっている状態だと思うんです。だから最後の腑に落とす言葉「変化」の取り合いをしても、それは位相の話だなと思うんですよね。


ito_kichi◆……う~ん、本当に微妙な領域の話になってますね。どうも私には誠の何が変わったかの「何」の部分が私とLDさんルイさんでは違う所を指しているようにも思えるんですが……それがどっちか確定する術はなさそうという意味では確かにこの話を詰めても栓無さそうではあります……。


LDmanken◆ニュアンスやフィーリングまで完全に一致させるのは無理として、問題はそれが本当にニュアンスやフィーリングレベルか?という話ですよね。それは実際には僕にも分かりません。僕は大体いい認識合わせまで達しているんじゃないかな?と経験から判断しただけです(汗)
◆「変化」という言葉を焦点にするから拙いかもしれませんね。→誠に非があり、かつそれに無自覚な事は同意です。それを異常と呼ぶかは個々人の評価な気がします。僕は非がある上で“分かる”と思いました。ここに齟齬があるなら、もう少し詰めた方がいいかもしれません。

説明に入る前に何点か押さえておくと、まず、今から僕はkichiさんの主張を僕の思考で想像しつつ話を進めて行くわけですが、これは常に誤解の可能性がつきまといます。これは『言葉は不完全なツール』なので、元々、あらゆる会話について回る事象で今更言う事でもないんですが、今回の話は細部の意識合わせの領域に入って行く話なので、その誤差の意味がかなり大きくなるという事です。
…というか既にkichiさんから「今回の話がそれレベルの違いに収まるのかどうかという点は疑問を感じます」と言われていますw(無論、kichiさんの側でも僕の話を誤解している可能性がある)しかも、今回、『言葉の位相』を説明するためのリライトを行うので細かな意味合いはかなりずれてしまうと思われます。ただ、それは説明できる形に直す事を優先するからです…って事を先に言っておきます。

『言葉の位相』とは言ってしまうと、互いに全体(『実相』)の認識は合っているのに観る角度や評価の仕方などで違う『言葉』を選んでしまっている現象を指しているのですが「そもそも厳密には互いの認識が完全に一致する事はない」ワケです。じゃあ、何で『位相』なんて話を持ち出すのか?はこれから説明して行きますが、結局「どこまでの認識合わせで良しとするか?」の話なので、それはその人のセンスが問われる部分なんでしょう。

もう一つ。僕はなるべく相手に伝わるような、分かってもらえそうな『言葉』を選んで説明を行うように気をつけていますが、この話って、そういう“分かりやすい言葉”によって起こる齟齬の話なんで、分かりやすくまとめる事ができてしまうと、その『言葉』に取り込まれて、分かりにく問題を分かりやすい問題のように受け止めてしまうんじゃないか?という危惧があります。
「一言で言い表すと、こう!」なんて言い方がありますけど、その一言の『言葉』による認識の差異を放置する事によって起こる問題の話をしているので、本当は分かりやすく話してしまうのは“毒”かもしれないんです。え?お前の文章なんか最初っから分かりづらいから気にする事ない?wまあ、それは置いておくとして…。

状態が説明しずらいね…という話を“説明できてしまう”と「いや、今、説明できたじゃん?」みたいな?いや、まだこれ一方(僕)のまとめであって、検証していないし?それに今回、“話す機会”としたのは説明しずらい所をそれなりに説明できるレベルのサンプルを得られたからと思ったわけで、際の話だし?みたいな?w説明できた範囲を延長しイメージを広げて説明しずらい齟齬の領域をイメージして欲しくって、説明できた範囲に留まる「分かった」は毒だよ…って言っている事、分かります?

え~っと…言葉は(伝達のための)ツールであって、実体そのものでないから『言葉』を認識するのではなく『実相』を認識する事…って話かな。言葉によって“伝わってきた事”を言葉そのものでなく『実相』に変換しなおして認識しようと意識する。この人は何を言っているのだろう?と想像する…そのもう一歩背面くらいの感じ?w…そうすると「あ、これって使った言葉が違うだけじゃん?」といった状態が観えてくる事もあるかな~とか思ったり思わなかったり…。(´・ω・`)(←何故、自信なくなる?)

…んんん。先に押さえておく話でえらく文字数とってしまったし。しかも、ここでまとめてしまった気もするけど(汗)…まあ、以下、実例っぽく(?)語って行きます。上の議論を、仮に「本件の主題の説明しやすさを優先して簡略化/変換」し、図で示してみると、たとえばこんな(↓)モデルになってくるかと思います。



L「物体CはAラインからBラインに変化した」

K「物体CはBラインに変化する事はAラインの時点で描かれている。故に物体Cは連続した存在であり変化はしていない」

図は“言葉認識”からくるイメージ世界と思って欲しいですが、本当にこんな簡素なイメージではなく、今分かりやすく説明するために簡素な図に置き換えただけで、実体はもっと混沌としている事をイメージして下さい。この図を見るとLくんとKさんの主張の違いの両方を比較できるように直されているかと思います。
Lくんが「物体CがAラインからBラインに移動した。故に変化した」と言うのに対し、Kさんは「物体CがBラインに行くことはAラインにある時点で分かっていた。それは変化とは言わない」と返している感じでしょうか?
こういう意見対立の議論って指示している対象を分解検証して話を進めていってみると大抵、違う場所と違う場所で「変化している」、「変化していない」を論じていたりするんですが、もう少しややこしい状況というのがあって…。

実は、今、このモデルは「変化していると主張するLくん」の立場からLくんの視点に合わせてKさんが自分の視点を説明してくれていたから問題の焦点を分化できている面があるのですが、本来、「変化していない」からロジックを組んでいるKさんの主張は変化したと理解させるAラインとBラインというモデルをイメージしないはずなんですね。
A、Bなんて2本の軸があってそこを移動したら、そりゃ変化だろう…って話にもなりかねないんですが、それは対立点を明確化するために2本軸の視点に合わせた上で、変化のない解釈を説明しているからであって、Kさんの本来的なイメージ世界は変化のないDライン一本をイメージして、それで物体Cはこのラインを通るから「変化はない」と主張する事になるはずなんですよ。

KさんがLくんに“譲って”A、Bライン視点から自分の主張をする事は可能だし、実際、相互理解というものはこの手法で前進して行く面も大きいのですけど、でも、この手法をとる限り、真にKさんの中にあるDラインのイメージは、一向にLくんへ伝達する機会を得られないワケです。果たして「Dラインイメージ」は本当に俎上に上げなくていいイメージなのか?

まあ、譲れる程、互いの主張を理解したなら譲ってしまうのも対応の一つだとは思います。しかし、AラインBラインが存在するイメージと、Dライン一本のイメージは本来全然別物で、その上、人の中にあるイメージというのはその人だけのモノで、今、A、B、Dラインと言う言い回しで比較が可能になっているけど、実際はラインなんて共通化可能な状態ですらなく、もっと様々な要素が絡んだ動かし難いものであるはずです。そのため、ず~っと「認識が合わない」として互いの主張を続ける場合がある。…ありますよね?

…でもねえ。こうまで認識が合わない世界とか語っておいて何なんですが、もし互いに対象の『実相』を掴んでいるのならば、僕はもうこれ、使っている言葉が違うだけで同じものを観ている…でいいんじゃないかと思うんですよね。
ここでアニメ『School Days』の誠の話に戻ると、僕とkichiさんは以前の会話で、誠が物理描写としてどういう変遷をしたのかは共通認識が取れているはずなんです。故に焦点は、誠の内面の話になっています。
LD「誠は元々はいい奴だったんだけど変わった」kichi「いや、見る限り元々いい奴だったとは言えない」が、焦点だと思う。しかし、実は個々も既にかなり分解検証していて、どこを持っていい奴と述べているのか、どこをもっていい奴だっと言えないのかも確認されているんですよね。(少なくとも僕はそのつもり)

これ「人それぞれの話」みたいなモノとはちょっと違うのですが…。そのキャラクターについて相応の所まで『読み』解いて検証する。その際に『言葉』というツールを使う。互いの視点が違うのだから言葉で組み立てられる表現も違う。上のモデル図のように同じ対象を観ていても「二本軸で構成されている」「いや、一本軸だ」くらい違う。
そうやって『読み』進めて行って、そのキャラクターの『実相』が掴めたなら、ツールである言葉表現が何故違うのか観えるし、観えてしまえば、それは『言葉の位相』というもので、状況に応じて変じればよく、偏にそこに拘って言葉の取り合いみたいな事をする必要はなくなる。

ある不明な実体について話し合って実体を掴もうとする。その際に有効な伝達手段である『言葉』を使う。言葉で表すために実体は(自分から見える)一面のみの写しで、かつ“わかりやすく”(伝えやすく)加工されて述べられる。しかし、実体が掴めたなら、“不完全なツール”である『言葉』によって加工され、形を変えられた表現に必ずしも拘る必要はなくなるよね?

『実相』を掴んでいるならそれはもう『言葉の位相』だよね?と…。
あっと。『実相』の説明が残っていました。『実相』というのは何か?…ここで言いうと誠というキャラの『実相』について語ってみると、彼が「変わったのか?」「変わらないのか?」それはハッキリしている。「変わった部分もあり、変わらない部分もある」が誠の『実相』でしょう。「○○さんは良い人か?悪い人か?」→「良い面もあり、悪い面もある」が『実相』ですよね。それで何らかの都合により「良い人か?悪い人か?」をはっきりさせる必要が生じる場合がある。でも、それは『言葉』の加工であって『実相』が変じるわけではない。
何が変わり、何が変わってないか、明確に認識しているなら、実相を掴んでいるなら、話を分かりやすくしたり、文脈に載せるための加工法である“言葉の評価”に拘泥する……というか、とにかく“言葉の取り合い”をする必要はなくなる。状況に応じて変じればいいはずなんです。

…と、ここまで書いた所で「『実相』を掴むなんて本当にできるの?そんなの幻想じゃね?」という話が出てくるんですけどね(汗)(ちなみにその幻想は『真相』と呼ぶ)まあ、僕は他にも「共通認識が得られた」なんて言葉を使いますが、これも「真の共通認識はあり得ない」事を前提で使っている言葉で、ある一定のレベルで、まあ、そう言っても良いだろうという判断に基づいて用いている言葉ではありますね。
実際に「まだそこ(共通認識)まで、至っていないんじゃないの?」というkichiさんに対して、僕が答えられるのは「経験からすると、まあ大体話し尽くして、認識もそれ程ブレていないとして良いと思いますよ?」くらいではあるんです。「あ、そこまだ詰めてなかったわ」という示唆があれば、すぐ認識改めますしね。

ただ、この『言葉の位相』を認識する事によって、意見交換、意思伝達のある程度の効率化を図れると思います。
『言葉』というのは“分かりやすく伝達する”ために、あるいは自身が“分かる形で分かる”ために、『実相』を加工整形して成り立っている。そういうツールである面がある。故に状況によって『位相』が起こるし、『実相』を掴めば『位相』の仕組みは見えてくる。その意識を持てれば、もう、散々話しあって『実相』は互いに完全につかめているのに、何故か、言葉の取り合いを延々とやっている…みたいな状態を早く脱する事ができると思うんですよ。


【絶対視思考と相対視思考】
以前、『言葉の位相』に触れた時の記事です。あまり上手く説明できていませんが…(汗)
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/06fb37c8864a033a789f1a794f41dd07

【言葉はツール】
繰り返し引っ張り出される『物語愉楽論』の超定番記事
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/338f2a8d55210bab964216e766e26e9f

データ更新

2010年09月15日 | DB作戦
・「いちばんうしろの大魔王」 のデータシートを更新しました。(2010/09/14)

・「バトルスピリッツ 少年激覇ダン」 のデータシートを更新しました。(2010/09/13)

・「B型H系」 のデータシートを更新しました。(2010/09/08)

・「真・恋姫†無双~乙女大乱~」 のデータシートを更新しました。(2010/09/08)



いちばんうしろの大魔王 第1巻 [Blu-ray]
近藤隆,豊崎愛生
メディアファクトリー

B型H系 1 こわいもの知らず(笑)無修正版 [Blu-ray]
田村ゆかり,阿部敦,堀江由衣,宍戸留美
Happinet(SB)(D)


『バトルスピリッツ少年激覇ダン』ラスト・ボス、その男、異界王。

2010年09月14日 | アニメ
【脱英雄譚の命題】



異界王「激突王、この闘いでお前が勝てば私はこの世界を去ると約束した。それはグラン・ロロ(異界)の崩壊を意味する。それでもよいのか?」

ダン「信じるもんか!滅亡なんかさせない!させてたまるか!」

ユウキ「ならば、お前が異界王を倒したその時、この膨大な知恵の世界を継承するしかない。そしてお前がマザーコアを守り、グラン・ロロも地球も救う…悪くない話だ」

(第27話 メテオヴルム散る・異界王VS激突王!より)

『バトルスピリッツ少年激覇ダン』(2009年制作)のラスボス・異界王が良かったです。『悪役』好きの僕にはたまらんキャラだった…。同時に、相当、すっごく“惜しい”キャラでもあったんですよね。…いや、惜しいキャラだなあ…と思って検証してみたんですが、やっぱりコイツ、チョー凄い……かも。(←なに?)

『バトルスピリッツ少年激覇ダン』は、トレーディング・カード・ゲーム『バトルスピリッツ』のカードバトラー・馬神弾(ダン)が不思議な少女と出会い、バトルスピリッツによるカードバトルこそが至高の戦いとされる異界(グラン・ロロ)へと飛ばされてしまう物語。
そしてグラン・ロロは異界王と名乗るバトルスピリッツ最強の男が支配している世界で、そこに住む人々の苦しみを見たダンは自分のバトルスピリッツの力で、この世界を救うために立ち上がります。

かつて異界王に闘いを挑んで敗れ、魔力のほとんどを奪われてしまった異界魔女マギサの導きで他の戦う仲間達…コアの光主たちを探す旅に出かけるのですが……と、ここまでは割と定番というか分かりやすい話でw
そして様々な闘いを乗り越えて(けっこうダンくん負けるんですけどね)仲間も集まり始めたシリーズ中盤、ある意味、不意に、いきなり異界王との対決が実現します。その対決で交わされたセリフが上掲の引用です。

いや、まず先に異界王の正体から説明しましょう。彼は名前は不明ですがスペイン出身の1451年生まれで、大航海時代に外海へと乗り出した船長の一人。グラン・ロロにはどうやら時空を超えて様々な時代の人間が飛ばされて来ているみたいなんですが、この異界王の正体がそのまま彼のキャラクターを顕している。
大航海時代…という時代は角度によって様々な見え方をしますよね。人類(の中の西洋人)がフロンティアを目指して世界中を駆け巡った時代。またそれは西洋による侵略の時代。でも、ものすごいエネルギーを感じさせる時代。
その強烈なエネルギーを放つ最前線にいた男。一代の力で以て地球を乗り渡った、不屈の冒険者にして侵略者、それが異界王…と言いえます。異界王の正体が名もなき船乗りである事の意味は、そのエネルギーをバックボーンとしているからだと思う。

そしてその登場の仕方もカッコいいw最初は、車椅子に乗った白髪の老人として登場してダンと戦うんですが…なんでか知らないけど、ダンの攻撃を受けてライフが減るたびに、段々、異界王若返ってきて!w
最後には壮年のおっさんになって、ドカーン!!と車椅子蹴っ飛ばしてバトル台から叩き落として、振り返り「さあ!バトル再開と行こうか!」とか言い出されて、ダンくんすっかりビビっちゃうんですが……すげえカコイイ!!(゜∀゜)
いや、何かこの若返りの秘密自体はよく分からないんですが、どうも異界王はバトルの激突を何らかのエネルギーに変換させる技術を持っているみたいなんですよね。要所要所でそのテクノロジーを使って大掛かりな事をしています。



そしてそのままバトルは続き、上のような「私がこの世界を去れば、崩壊が起こる~異界と地球はリンクしていて地球の力が人間の脅威によって弱まれば異界のマザーコアも弱まる。この状態でマザーコアの保守管理ができるのは自分だけだ」という投げかけがあって、ダンはその問題に答える事もできず(一応「グラン・ロロの人々を信頼して任せて見れば?」みたいな事は言うんですけどね)バトスピでも自らの未熟さをさらけ出して敗れ去って行きます。
そして異界王に心を折られてしまったダンは呆然自失状態になってしばらく戦えなくなってしまうんですけどね。

ここで僕は異界王の貫禄を楽しむと同時に、この“決戦”がシリーズ中盤で行われている事に注目しました。

【今週の一番付記「魔法先生ネギま!」情報圧縮して描かれる先の物語】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a83c0e2d45de438ef5d547bc9c1e6b7d
それは何かというと「いや、それって結局何も解決していないよね?」と言うかねw最強最後の敵・アンチスパイラルは、主人公たちのパワーとしている螺旋エネルギーこそが宇宙に破滅をもたらすものだと示し、自分のプランに従わなければその破滅は不可避であると説いた。それに対して主人公シモンは「破滅など来させない!人間はそんなに愚かじゃねえ!!」と絶叫して、アンスパをブッ倒すんですが……つまりノープランなんです!!(`・ω・´)

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/463b4de3919163ad00aa98250584512b

(↑)これらの記事を読んでもらうとわかると思いますが、僕はずっとこの類型の『物語』を追っている所があって。要するに、この異界王とダンの対決/会話がシリーズの最終回付近で行われていたなら、そんなに身を乗り出さなかったというか「ああ…まあ、そのパターンだよねえ」くらいの感じだったのですが、これが中盤で、しかもダンの敗北によって終わった事の意味は、大きい…と思ったのです。

「私を倒すと世界が滅ぶ。故に(悪であっても)私を倒してはならない」…この様々なヒーローものの最終盤で出てくるラスボスのロジックの定番の一つ。これを「天元突破グレンラガン」(2007年制作)にちなんで『アンチスパイラルの命題』と名付けるとしてw(ちなみに「私を倒しても第二、第三の私が…(ry」は『ブラックゴーストの命題』かな!w)
この命題が何故、不問にされるかと言うと、ヒーローがラスボスに勝つからなんですよね。負けるからアンチスパイラルも、後は上手くやってくれとばかりに託さざるを得なくなる。…基本、ノープランのはずなのに!w
じゃあ、負けなかったらどうなるか?また、逆らったヒーローを殺さなかったらどうなるか?バトスピのバトルは互いの命運は賭けますが、必ず生命を賭ける必要はない。つまり反逆者もバトスピのルールに従う限り生き残りもするワケです。…その時、アンチスパイルはなんて言うんでしょうね?可能性の一つに過ぎないですが…。

「私を倒したかったら、世界を救う明確なプランを持って来い!!」って言いませんかね?少なくともこの時の異界王はそう言っているんじゃないかって僕は思ったんですね。

それが無い限り、そもそもの信念でお前に負けるわけがない!!…とまでは言いませんが。(←言ってる)同時に異界王はどこかダンやユウキといった見込みのある“勇者”に甘い所がある。これは細かく述べませんが。とまれ、この時点でのダンの完全敗北は、次の再戦の時、ダンが異界王に対抗し得る答えを持って来る事を意味していると、そう思ったんですよね。
いえ、先に言ってしまうとダンはその答えを持ってくる事はできなかった……と思います。故に最後に異界王は分かりやすい“悪”となって敗れ去って行くのですが………ちょっと、話を続けます。

物語は終盤に入ると異界王はそれまで構築していたホライゾンラダーからのエネルギーを使ってグラン・ロロと地球の空間を繋ぎ、異界王軍を率いて地球制覇に乗り出します。ここに至っても異界王のカッコ良さは健在でした。
まず、地球に出たからって地球征服宣言は出すんですが、辺り構わず街を攻撃したり人々を追い立ててりとかしないんですよね。アメリカ合衆国をはじめとした各国代表と交渉をはじめるw世界経済を牛耳る黒幕みたいな組織を見付け出してそいつらとも交渉するw
いや、武力で威圧もするんですが、同時にこれまでグラン・ロロで培ったコア(魔法)技術を使って、砂漠化した土地を緑化して行ったり、汚染された土地を再生したり…そういう技術提供を行いもする。表向きはともかく裏の経済界の方はそれで異界王の存在を黙認しはじめるんですよね。
ダンたちは抵抗を続けるんですが、異界王を“悪”と認識しづらい。実際に弱い国、貧しい国々ではコア技術による再生は歓迎されたりもするんですよね。

これねえ…異界王は「お前たち(地球人)の抱えている問題は総て解決してやる!だから支配されろ!」って言っているんですよね。

「愚かな人類を俺が導く!」…ってな大義名分で人類管理に乗り出す悪の首領は数多いるんですけどね。やっぱり異界王みたいに自分の支配する世界はどうなるか?を“支配前に”明確に見せてくれる“悪”は少ないはずです。
しかし、異界王は“支配前に”見せている。コア技術によってエネルギー問題、食料問題、公害問題が解決する事を見せている。その上で一見、傲慢に振る舞いながらも、各国の首脳との交渉を地道に続けている。キッズ・アニメとして、支配のプロセスがカッコ良過ぎてぐうの根も出ないw



しかし、そこまでやっておきながら、最後に突然「私は私を追放したこの世界に復讐してやるんだぁああ!!とりあえずマザーコアを使って地球を氷河期にして人類を強制的に進化させてやるぅうううう!!」…とか言い出してコア技術を引き上げて大暴れをはじめちゃうんです………異界王……気でも触れたのでしょうか?(´;ω;`)

そしてダンたちは、マギサのデッキを取り戻して(この取り戻しも不自然に迂闊な気がするんですが…割愛します)、異界魔女マギサを完全復活させ、その勢いに乗じて異界王との最終決戦を果す。事ここに至っても異界王はバトスピでの決着を受けて立つ。
それでまあ、最終回なんで…当然と言うかなんと言うか、異界王は敗れ去り、塵となって消え、マザーコアはマギサが取り込む事で、事無きを得(?)つながれたグラン・ロロと地球は再び時空を別ち、ダンはマギサや異界の仲間たちと別れて行く…というラストになります。

何とか上手く行ったものの…遂にダンくんは異界王に対して“別の答え”を持ってこれなかったと僕は見ています。しかし、マギサがマザーコアを何とかしてくれたので、その結果をそのまま受け止めれば、異界王は自分勝手な嘘をついていた事になりますかね?(つまり、正しくない問題だったから答える必要はなかった)…その結末は“惜しい”なあ…と思っちゃいますね。地味だけどいいところついていたと思います。

それにしても異界王は最後までバトスピの掟に従いました。これ、異界王自身が発した法令なんですよね。(元々伝統的にあった習慣みたいですけど)自身もその法を頑なに守り続けた。そして重要なのは「バトスピで決着する」という掟は、物語の“お約束”よろしく、誰も疑問を持たないルールとして存在しているのではなく、あくまで異界王の法令に従っているという描写が取られている事です。劇中でバトスピの決着と関係なく事を強行してしまおうという描写が取られたりするんですよね。

…これ、ちょっと思ったんですけど。「バトスピで決着をつける」というこの掟のおかげで人的被害がかなり軽減されている気がするんですよね。当たり前ですけど。
さっきも言ったように決着と関係なく行動取ろうとする奴もいる。でも、異界王の傘下にいる者も、逆らう者も一様に「バトスピで決着した事に従わないのは卑怯だ!」という意識のようなものが生まれている事は否めない。
これは逆らう側もそうです。異界王は屈強のバトラーたちを多数従えているのですが、反乱があっても彼らがバトスピで収めてしまう。多分…というか当然、反乱者がその結果に従わなければ武力鎮圧に移行するので、結局、反乱側もバトスピの結果に従う方が賢明な判断になって行く。
反乱側が勝ったら…?もしかしたら、それを無視する管理者もいるかもしれないけど、その結果にそのまま従ってもそれを咎める法は異界王軍の中にはないんですよね。
劇中の描写を見る限り、異界王の支配に流血沙汰が全くない事はあり得ない。でも、死傷するものをある程度、軽減していた面があったのでは…と思ったりしました。異界王はそこまで考えていた…と言ってしまうのは穿ち過ぎでしょうかね?



こういう話はまだあります。異界王の大義は力の弱まったマザーコアの管理にありますが、マザーコアの力が弱まる事はグラン・ロロの生命力が弱まる事を指しているはずです。生命力が弱まった土地の政治を取り仕切っている者はしばしば圧政者として語られる事はないか?とも思うんですよね。
実際にダンの最初の異界の友達ズングリは異界王を圧制者と捉えていましたが、彼らの住んでいる土地は痩せこけていました。逆にある程度豊かさが確保されている土地では、それほど異界王が圧政を布いているように見えない。これはこの作品を見た相当数の人が感じる事じゃないかと思います。

だからと言って異界王がグラン・ロロの人々を大切に扱っているワケでもないんですけどね。しかし、描写としてあった強制労働なんかはホライゾンラダーという謎のマザーコアを支える施設の建設のために割かれていたと思います。
このホライゾンラダー、最終局面でグラン・ロロと地球を繋ぐための施設だった事が明らかになり、そこから異界王軍の地球征服がはじまるのですが…。
あれ?そういえば異界王はマザーコアが弱まったのは地球が人間たちの争いによって汚されているからだとか言ってなかったっけ?

そして「地球を征服してやる!」とか大見栄切っていた異界王がやっていた事って、コア技術を持ち込んで砂漠を緑化させたり、汚染した土地を再生したりする事じゃなかったっけ?各国を支配するための交渉カードとして速やかにコア技術を輸出していたはず。
あれ?じゃあ、ズングリたちをこき使って建設していたホライゾンラダーは、グラン・ロロと地球を繋ぐためで、二つの世界を繋いだのはマザーコアが弱っている力を回復させるため、その直接の原因である地球を再生させるためのだったりする?無論、同時に両方の世界を支配する事は目論んでいたと思うけど…。

…少なくとも最終決戦までの異界王の行動はこれで通ると思います。その後、彼はコア技術の威光を引き上げてしまうので通らなくなります。そこから何故か“時間切れ”でも来たかのように、異界王は狂って。そしてダンと決戦を行い果たして塵に消えてしまいます。
異界王の思惑とは別の所で異界魔女・マギサが総て丸く収めてしまったので彼が本当に何を目指していたかは最早分かりません。

わざと悪を演じて負けた…みたいな『読み』は止めておきます。それを疑う情報は実はいくつかあって、まあこの形かなあ?とも思わないでもないんですけどね。『悪役』好きの僕の持つイメージとして、ちょっと異界王には似合わない。大航海時代を駆け抜けた彼は、もっと胸張った侵略者だったと思うんです。


バトルスピリッツ少年激覇ダン1 [DVD]
大浦冬華,櫻井孝宏,本多陽子,小野大輔
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