少年サンデー50周年記念企画の「MY SWEET SUNDAY」の細野不二彦先生の回にすごく共感しました。(前の回の、何だか「ザ・ムーン」のことばかり描いているジョージ秋山先生も最高だったんですがw)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/27/1f08385471aab3d5092c0bcc7c5efd97.jpg)
夢(ロマン)も、笑い(ギャグ)も、
エロも、グロも!
仁義も、没義道も!
哲学も、エセ哲学も!
希望も、絶望も!
現実がつまらない灰色で塗りこめられていたとしたら、
“ザラ紙の漫画”の中は、多元豊穣の極彩色に満ちていたのさ!!
先に、余談を書きますが、この画の背景が工場が煙を上げて空を濁らしており、それを「現実がつまらない灰色で塗りこめられていたとしたら」と表わしているわけですが、ある種、細野先生の当時の心象風景なんでしょうねえ…。
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a9fee3808a832cfe3ea5adac83c84593
この項で話題とした70年代の“暗さ”に通じるものがあると思います。細野先生が思い出としてあげているジョージ秋山先生の「銭ゲバ」あるいは「アシュラ」などもこの話に含まれるものです。(本人にはこの時の世相がとか、そういう意識は全然ないと思いますけどね)
…で細野先生のセリフ「夢も、笑いも、エロも、グロも…」が最初に来るんですが、そうなんですよねえ…エロも!グロも!…う~ん(思考)…ちょっと、僕の感覚で意図的に“支離滅裂”に書き連ねますけど…。
マンガって、身も蓋もなくホントの事が描かれているかと思うと、しらっとウソをつかれる。いい事も、悪い事も描いてあるんですよね。…いや、それはマンガに限った事じゃないんですけど、やはり画とセリフを駆使して描くというのは表現のダイレクトさが違ったし、誤魔化しのダイナミックさ(←これ重要)が違った。でも、ウソもホントも入り交じっているから、全部ホントの事だと思われたりしているんじゃないかと思ったり……余計なお世話ですが。でもホントが描かれているから「良い」とか、ウソが描かれているから「悪い」とかじゃなくって……妙に近年、マンガ的な理屈とか、マンガ的な正論とかが、まんま通っているような気がしたり。単に読者に(主に子供。マンガの出発点は子供に気持ち良くなってもらうためにはじまったから)気持ち良くなってもらうために描いた理屈だったりするのに。ネットとかの意見を呼んでいると、低俗なマンガや、くだらないマンガをすごく邪魔者扱いする場面があったりするんですけど、え~?(´=ω=`)というか…。なんか、低俗なものがあっちゃダメなの?とか思ったり?くだらない毒にも薬にもならないマンガがある一方で、毒ばかりで気分を悪くさせるものがあったり、良い事も、悪い事も描かかれていて、それを「良い影響」に変えて行くのは、本人次第だと思うんだけど、良い影響を受けたら「マンガは良い」と言ってしまうと、話がおかしくなってくるというか。そうするとマンガの中に良い←→悪いって構造が出来て。基準はその人によって違うと思うんですけどね。でも、こういう“分け”をする人って低俗だったり、くだらなかったりすると、排除したがる思考が働いたりして、え~?(´=ω=`)って…。だから、本人次第で思索や哲学を巡らせたり、時に神を観たりもする事がマンガにはあるけど「それがマンガ」じゃないし。細野先生も「哲学も、エセ哲学も!」って言っているし。僕も小学生の時に「デビルマン」を読んだ後遺症でしばらくバッドエンドじゃないと物語じゃない!とか思っていた時期があるんだけど、でもそうじゃないんだよね(←当り前だ)。でも逆に「ただ楽しめ!理屈なんかこねるな!」みたいに言う人もいるんだけど、カッコいいセリフなんだけどそれも違う(正確に言うとすごいすっとばした話)というか。結局、何でそんな風に分けてるの?とか思ったりする。やっぱり「夢も、笑いも、エロも、グロも!」なんだよね。最初の「夢も、笑いも、エロも、グロも…」がいいセリフで、後に続く「仁義も没義道も!哲学もエセ哲学も!希望も絶望も!」ってセリフ“だけ”だと、きっと「多元豊穣」の意味が違ってしまって。「希望も絶望も!」なんて言葉“だけ”だと語感が美しくって何かキラキラと輝くような「豊穣さ」だよね。でもマンガはそうじゃないと思う。僕にとっては「夢も、笑いも、エロも、グロも!」なんだ。
…ま、いろいろ渦巻いて上手く喋れなさそうだったので、支離滅裂に書きましたが(汗)この後、細野先生はさらにこう続けていますね。
最近はやれ漫画も日本の誇るべき文化だの、
芸術だの、
やれ大学でも漫画を教えようだの、
ご立派で高尚ば話ばかりモミ手ですり寄ってくるけれど
一漫画家としてはひとこと言いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b7/a6eef567643e387f57b9ddda8d2025ae.jpg)
やかましい!!マンガはマンガじゃい!
僕はマンガは日本の誇るべき文化だと思っているし芸術だとも思っています。…大学は好きにすればいいかな?w
でも「やかましい!マンガはマンガじゃい!」って言葉は分かる気がします。こういう箔がついて目を向ける人たちとは、僕が一体何を誇っているのか、何を芸術だと思っているのかで、どうにも分かり合えない一線があると思ってしまう。別に僕は誇るべきモノだったから好きになったワケでも、芸術だったから好きになったワケでもないから。ん~やっぱりどうも言葉が軽いなあ…(汗)まあ、なんと言うか…
みんな、マンガ好きかい?
自分の好きなマンガが好きなだけって事はない?
…って話かな。…え?それだと何が悪いかって?いえ全然、全く悪くないです(汗)すみません(汗)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/27/1f08385471aab3d5092c0bcc7c5efd97.jpg)
夢(ロマン)も、笑い(ギャグ)も、
エロも、グロも!
仁義も、没義道も!
哲学も、エセ哲学も!
希望も、絶望も!
現実がつまらない灰色で塗りこめられていたとしたら、
“ザラ紙の漫画”の中は、多元豊穣の極彩色に満ちていたのさ!!
先に、余談を書きますが、この画の背景が工場が煙を上げて空を濁らしており、それを「現実がつまらない灰色で塗りこめられていたとしたら」と表わしているわけですが、ある種、細野先生の当時の心象風景なんでしょうねえ…。
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a9fee3808a832cfe3ea5adac83c84593
この項で話題とした70年代の“暗さ”に通じるものがあると思います。細野先生が思い出としてあげているジョージ秋山先生の「銭ゲバ」あるいは「アシュラ」などもこの話に含まれるものです。(本人にはこの時の世相がとか、そういう意識は全然ないと思いますけどね)
…で細野先生のセリフ「夢も、笑いも、エロも、グロも…」が最初に来るんですが、そうなんですよねえ…エロも!グロも!…う~ん(思考)…ちょっと、僕の感覚で意図的に“支離滅裂”に書き連ねますけど…。
マンガって、身も蓋もなくホントの事が描かれているかと思うと、しらっとウソをつかれる。いい事も、悪い事も描いてあるんですよね。…いや、それはマンガに限った事じゃないんですけど、やはり画とセリフを駆使して描くというのは表現のダイレクトさが違ったし、誤魔化しのダイナミックさ(←これ重要)が違った。でも、ウソもホントも入り交じっているから、全部ホントの事だと思われたりしているんじゃないかと思ったり……余計なお世話ですが。でもホントが描かれているから「良い」とか、ウソが描かれているから「悪い」とかじゃなくって……妙に近年、マンガ的な理屈とか、マンガ的な正論とかが、まんま通っているような気がしたり。単に読者に(主に子供。マンガの出発点は子供に気持ち良くなってもらうためにはじまったから)気持ち良くなってもらうために描いた理屈だったりするのに。ネットとかの意見を呼んでいると、低俗なマンガや、くだらないマンガをすごく邪魔者扱いする場面があったりするんですけど、え~?(´=ω=`)というか…。なんか、低俗なものがあっちゃダメなの?とか思ったり?くだらない毒にも薬にもならないマンガがある一方で、毒ばかりで気分を悪くさせるものがあったり、良い事も、悪い事も描かかれていて、それを「良い影響」に変えて行くのは、本人次第だと思うんだけど、良い影響を受けたら「マンガは良い」と言ってしまうと、話がおかしくなってくるというか。そうするとマンガの中に良い←→悪いって構造が出来て。基準はその人によって違うと思うんですけどね。でも、こういう“分け”をする人って低俗だったり、くだらなかったりすると、排除したがる思考が働いたりして、え~?(´=ω=`)って…。だから、本人次第で思索や哲学を巡らせたり、時に神を観たりもする事がマンガにはあるけど「それがマンガ」じゃないし。細野先生も「哲学も、エセ哲学も!」って言っているし。僕も小学生の時に「デビルマン」を読んだ後遺症でしばらくバッドエンドじゃないと物語じゃない!とか思っていた時期があるんだけど、でもそうじゃないんだよね(←当り前だ)。でも逆に「ただ楽しめ!理屈なんかこねるな!」みたいに言う人もいるんだけど、カッコいいセリフなんだけどそれも違う(正確に言うとすごいすっとばした話)というか。結局、何でそんな風に分けてるの?とか思ったりする。やっぱり「夢も、笑いも、エロも、グロも!」なんだよね。最初の「夢も、笑いも、エロも、グロも…」がいいセリフで、後に続く「仁義も没義道も!哲学もエセ哲学も!希望も絶望も!」ってセリフ“だけ”だと、きっと「多元豊穣」の意味が違ってしまって。「希望も絶望も!」なんて言葉“だけ”だと語感が美しくって何かキラキラと輝くような「豊穣さ」だよね。でもマンガはそうじゃないと思う。僕にとっては「夢も、笑いも、エロも、グロも!」なんだ。
…ま、いろいろ渦巻いて上手く喋れなさそうだったので、支離滅裂に書きましたが(汗)この後、細野先生はさらにこう続けていますね。
最近はやれ漫画も日本の誇るべき文化だの、
芸術だの、
やれ大学でも漫画を教えようだの、
ご立派で高尚ば話ばかりモミ手ですり寄ってくるけれど
一漫画家としてはひとこと言いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b7/a6eef567643e387f57b9ddda8d2025ae.jpg)
やかましい!!マンガはマンガじゃい!
僕はマンガは日本の誇るべき文化だと思っているし芸術だとも思っています。…大学は好きにすればいいかな?w
でも「やかましい!マンガはマンガじゃい!」って言葉は分かる気がします。こういう箔がついて目を向ける人たちとは、僕が一体何を誇っているのか、何を芸術だと思っているのかで、どうにも分かり合えない一線があると思ってしまう。別に僕は誇るべきモノだったから好きになったワケでも、芸術だったから好きになったワケでもないから。ん~やっぱりどうも言葉が軽いなあ…(汗)まあ、なんと言うか…
みんな、マンガ好きかい?
自分の好きなマンガが好きなだけって事はない?
…って話かな。…え?それだと何が悪いかって?いえ全然、全く悪くないです(汗)すみません(汗)