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『魔法少女プリティサミー』~パロディ/バトル魔法少女の『情報圧縮体』

2012年02月20日 | アニメ
【魔法少女大系】



『魔法少女プリティサミー』(1996年放映)コンプリート。TV版のやつですね。(OVA版は1995年リリースか…)この時期、アニメ界隈では一世を風靡していたと言える『天地無用!』シリーズのかなり特殊なスピンアウト作品ですね。元々は『天地無用!』のドラマCDから出た…まあ、パロディというか、冗談のネタだったのですが、それがあれよあれよと妙な人気を獲得したらしく(?)気がつけば、TVアニメとして夕方6時半に放送という快挙までたどり着いています。
これは『天地無用!』というタイトルの人気の大きさも然ることながら、主人公の砂沙美の声優である横山智佐さんの当時の人気の影響も大きく、また『セーラームーン』から来た“美少女戦士もの”という大きなブームの影響も大きかったと思います。『天地無用!』自体は美少女戦士ものとは、非常に呼び難い状況を考えると、90年代アニメのある焦点に当たる作品と言えるかもしれません。

『魔法少女プリティサミー』は、魔法の国・ジュライヘルムの女王候補となった津名魅が、その最終試験として地球にいる「魂を同じくする少女」に魔法の力を与えて、その行動を審査し可否を決める事になる。その魔法を与えられる魔法少女に河合砂沙美ちゃんが選ばれプリティサミーに変身するという『物語』。それを女神候補に落ちた津名魅のライバル裸魅亜が、砂沙美の親友である美紗緒ちゃんをピクシーミサに変えて邪魔をする…というのが毎回のストーリー。
まあ、あれですよ。始まった時は「大きなお友達向けの魔法少女」に見えたものですが(´・ω・`)……どうだったんでしょうね?夕方6時代に放送ですから、子供の視聴者もそれなりに付いたようにも思います。
いや、現在においては、魔法少女ものを“何向け”か論じる事自体アホらしい事ではあるんですが、当時は子供向けとしては亜流のものがTVシリーズとなった驚きのようなものがあったんですよね。今にたとえるなら、深夜アニメで流れている作品の中には「夕方に流すのはどうだろう?」と思うような作品とかありますよね?それが流れてきた…という感覚に近いかもしれません。
内容的にも、パロディ的なものや、お遊び感覚のものが多く、『天地無用!』というタイトルに対する、ちょっとしたボーナスステージな面はあります。同時に「な~んか、いい具合に肩の力が抜けている」所があって、ス~ダラ節的というか…、手なりというか…、いい意味で無責任な感じに話が展開していて、ちょっと他の魔法少女アニメでは観られないような独特の味…ス~ダラ感がある事は確かです。(`・ω・´)

ところで「実はこの娘、魔法少女をやっていました!(なんちゃって!)」って感じのパロディネタ、どこから来てますかね?(『天地無用!』内の)『プリティサミー』が最初って事も……ないとは思うんですが、どうも記憶を辿れません(汗)
当時、セーラームーン・ブームで、アニメ制作サイドは「あの変身シーン」と決め台詞の「月に代わっておしおきよ!」をスキあらば放り込んで、模倣していた頃なので、この結合が起こるのは時間の問題だったとは言えるんですが……ん~…まあ、たとえば、それより以前に「スケバン刑事」が流行った時も、似たようなパロディとかマンガ内で横行していたワケで、これが取り立てて、目新しい発想ではなかったと言えます。

しかし、それ故か『プリティサミー』は、その後のパロディ/バトル魔法少女の『情報圧縮体』とも言うべき存在になっています。さらりと、創ったが故に、妙に急所をついて不思議な汎用性を持ってその後流用されている。
大きな所では、その後、バトル魔法少女として大きな力を持つ『魔法少女リリカルなのは』(2004年放映)は『プリティサミー』のアレンジと言っていい。…というかこの作品も元々パロディ→スピンアウトですね。
あるいは深夜のおたく向けアニメなどで“魔法少女ネタ”が入るのがある種定番化している所がありますが、そうですね、たとえば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の妹ヒロイン・桐乃が溺愛する劇中・魔法少女アニメ『星くずういっちメルル』は…『リリカルなのは』が元ネタでしょうけど、それを辿れば『プリティサミー』に着くはずです。他にもいろいろありますよね。

そうまで「元は『プリティサミー』」と言い切ってしまえるのは、サミーのライバル魔法少女・ピクシーミサの存在が大きいですね。悪の魔法少女って、そもそもかなり男の子視点が強い、克己的なキャラだと感じるのですが、これが魔法少女界にはバトル方面以外、なかなかいない(汗)
ピクシーミサ以前だと『魔女っ子メグちゃん』(1974年放映)のノンが有名所で(ノンは、カッコ良くってすごく好きなキャラですが)あとは…『花の子ルンルン』(1979年放映)のトゲシニア…?ほか何か捻り出せない事もないですが、色々議論の余地がありそうな気がします。また『メグちゃん』自体も、当時としてけっこう男の子の視線を意識した作品でもあった(メグから入った魔法少女ファンは多いはず)面があって、なんか……こういう“ライバル魔法少女”って男の子方向な気がするんですよね。…まあ、それは別の検討としますが。
しかし、“変身的”(つまりヒーロー的)なフォーマットがついてからの魔法少女だとピクシーミサって事になってくると思います(…何か記憶落としあるかな?)既に“戦隊”を取り入れていたセーラームーンだと、こういう反存在~アンチ・ヒーロー~を取り入れづらくなってる事もありますね。

この善の魔法幼女対悪の魔法少女という図式で『物語』を回す方式は、非常に使いでよくパロディとして利用されていっています。そのある種の使いでの良さは特筆すべきものがあります。
何を長々と語っているのかと言えば、たとえば「少女マンガの定番パロディ」としてよく、朝、食パンを加えながら「遅刻!遅刻~!!」とか言って走って登校して、曲がり角でガン!と男の子とぶつかって…というのがありますよね?あれって、けっこう(パロイディではない形で)そのまんまの展開やっている作品は相当少なくって、されに「大元は何か?」みたいな検討をするとなると、かなり相当難しいのですよね(汗)要するに、あれは少女マンガ界にある、何か「もやっ」とした集合的な物語の原型という面があると思います。
しかし、「(バトル系)魔法少女の定番パロディ」は、元ネタがあるんです。それくらい『プリティサミー』は、(バトル系)魔法少女の「もやっ」とした所にある物語そのままで、あまり何かを削ったり付け足す必要がない。これってけっこう凄い事です。

ほとんど一場面を抜き出すだけでも、どういうシーンか分からせる。謎の魔法少女が登場して苦戦しているシーンなのか?ライバル魔法少女と最後の対決の時なのか?ライバル魔法少女の正体がわかってショックを受けているシーンなのか?ライバル魔法少女が復活共闘して来て真のラスボスと最終決戦なのか?ワンシーンを定型的に出すだけで、ズバッ!と伝わってしまう。
これは、パロディで使われるわけだと思うんですが…ヘタをするとバトル方向では元祖のヒーローものよりシーン抜き出しの分かりやすさと一見の説得力を持っています。
全てが合致するワケではないのでですが、それでも『プリティサミー』は、何か核のようなものをシンプルにつかんでいる気がします。多分、なにか偶然にも。パロディという意識の共有から来る集合的な物語の顕現…まあ、あんまりごちゃごや言うのは止めますが(汗)

結果として『プリティサミー』は、表の『セーラームーン』のエポックに対して、裏の焦点のような作品になっています。ある意味、異端・異色の魔法少女なんですが、それ故、魔法少女というものを裏で広くカバーしている…“裏番”のような存在かもしれません(笑)


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1 コメント

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バブル崩壊後 (わい)
2013-05-20 00:28:42
初めまして。
プリティサミーで検索してきました。
私はアニメ、プリティサミーファンなんですが、主人公のサミーではなくミサの方のファンでした。
美紗緒ちゃんのときの内気なところが良かったんですよね。
自分からは殆ど人に話しかけられない性格で(仲良しのサミーにさえ)、かといって、ひねくれたところがなく単に内向的で物静かなだけで素直という古風な女の子は魅力的な設定でした。
砂沙美とお父さんが二人で
「スキヤキー、ばんざい。スキヤキー、ばんざい。さあ、美紗緒ちゃんもいっしょに。」
と振られて。
うれしそうに、でもちょっと恥ずかしそうに
「スキヤキ ばんざい。」
というシーンを見てちょっと感動しました。
あっ、この脚本書いた人、内気な人の心よく解ってるなと。
あと宿敵ミサの正体が実は親友の美紗緒だったことが分かり、なおかつ、それまで変身後の記憶が無い為、自分がミサであることを知らなかった美紗緒が精神崩壊一歩手前で消えてしまう描写は罪の意識と自己嫌悪から消えてしまいたいという想いからではないかと分析しております。

サミー vs ミサ 最初にして最後の対決は見応えがありました。
メグ 対 ノンを思わせる光線の応酬でポケモン問題から今となっては放送できなくなったのは誠に残念です。
(現に再放送では、この回は放送されませんでした。)
敵の正体が親友だったと知ったとき、それでも親友でいられるか?
メジャーな映画やドラマでありそうなシチュエーションを、おちゃらけアニメでやったというのは凄いことだと思います。

現在、放送されているブリキュアシリーズの敵キャラ(先兵となり戦う、やられキャラ)が酷似しているのも時代を先取りしていたのか、はたまたマネされているのか解りませんが、ある意味、深い作品だったと言えると思います。
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