今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




【ハーレムメイカー】

【物語三昧】http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090125/p2

> まぁ類型を例証あげながら確認していこうと思うので、漫研かLDさんのブログに注視してください(苦笑)。

…おわ?な、なんか降ってきたぞ?Σ(´・ω・`;)//


…う~~ん…まあ、ハーレムメーカというと、本邦には「光源氏」という、いきなりスーパーサイヤ人4みたいな奴がいたりするよね?とか前降りして叩き台代わりな話をはじめる事にしますが…w

恋愛原子核 … 本人は特に大きなアクションをとらないが何故か美女に好かれてしまうキャラ格を持つキャラクター。基本的に特に取り柄のないさえない男だと「分かりやすい」

ハーレムメーカ … 能動的に行動をとり、結果、美女に好かれ、美女に囲まれて行くキャラ格を持つキャラクター。おそらく恋愛原子核キャラの進化形

え~っと、現状の僕の「言葉」の認識はこんな感じでしょうか?恋愛原子核の段階でも、全くノーアクションという事もなく、多くは極小のアクションを取る事で、過大の感動をヒロインに与えてしまう展開がとられるので、恋愛原子核とハーレムメーカのボーダーは限りなく薄いと言えそう。ここらへんは結局、解釈の問題とも思えるが「なぜか」そうなってしまって説明しないのが恋愛原子核で、「なぜそうなるのか?」という説明を求めるのがハーレムメーカとなってくるかな?まあ要するにそれぞれの捉え方で全然形が違ってくるので、とりあえす自分の感覚を話すしかない状態なんですが……。

ヒロインの憂鬱
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(1)
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(2)
「序列並列構造」と「グルーピング構造」(3)

ちょっと以前から「漫研」ではキャラクター構造の「序列」、「並列」について考察していて、ここらへんのハーレム構造の話には興味があるんですよね。とはいっても「並列構造」=「ハーレム構造」というようには考えていなくって、たとえば僕が「並列指向」の原点的に考えている「うる星やつら」は、あたるが「ハーレム、ハーレム」言ってはいるものの「ハーレム構造」だとは思っていなくって、今回の紹介から外してあります。とはいえ「ハーレム構造」が醸成されるにあたって、「うる星」~「らんま1/2」の影響は少なくないと思ってはいます。
それで引用リンクの中のチャットで何を長々話しているかというと「並列構造」のあるべき姿を検証するのと当時に、終わりに向かう一本筋の通った物語と並列構造の相性の悪さ…のようなものが取り上げられています。噛み砕いて言うと「複数の独立した物語(物語を持つキャラクター)は、その独立性が高いほど、一本の物語への収斂が困難になる」という実に当り前の理屈なんですけどwまあ、これを、そのまま独立したまま物語を放出してしまうと場合により「群像劇」と形容されたりしますよね。これが自然……と言えばそうなんですが、でも「並列構造」って群像劇が求められて顕われた志向なの?って話があるわけです。だって実際には、一人の主人公目指して複数のヒロインが集中するような構造が持てはやされているわけでね。本来的には一点に収斂したいはずなんです。……でも「序列」の発生は避けたい…なるべくそれは薄めたい……というアンビバレンツな磁場が発生しているはずなんですよねw
ここらへんの二律背反に対して、あまり手を打たず“あるがまま”に「だってそうなんだもん!」…と出されている中核キャラクターが「恋愛原子核」で、二律背反の解消目指して中核キャラクターが調整と矯正を繰り返し、半ば超人と化して行くのが「ハーレムメーカ」って事になるのかな?と想像して話を進めようかと思います。

…で、ハーレムメーカ(あるいは恋愛原子核)って話をする前に、その範囲を考えておこうかというか、そもそもハーレムって何?というか、その構造がどこから来ているか?どう線引きするか?って話が必要かなと思っていて。単純に三角関係になってその主格にいるキャラ(この場合は両手に花になっているキャラ)はハーレムなのか?…違うなら、じゃあ3人目からだといいの?それとも4人?その線がどこらへんからなの?というところを固めて行かないと、物語の恋愛構造全体が観測対象になって「言葉を殺して」しまいかねないかなあと考えたんですけどね。そんなわけで、まず、そこらへんの際(きわ)のあたりで思いつく話を連々と書いて行きますが…。

実写のドラマの話からはじめると、ハードボイルド系、バガボンド系、のドラマなんかは昔っから、けっこう事件の先々、行く先々で美女をひっかけますよね。…で、その美女…ボンドガールとか、寅さんのマドンナのイメージですがwそれを観ても分るとおり、古典において“美女囲い系”はそれほど特異なパターンではなかったりします。ただ、その話っきりで、その後登場の目はない(まあ例外はあるけど)キャラなんかがいた場合、この子たちに「また出て欲しい」あるいは「ずっと出て欲しい」と考えた人たちはいたはずで、ここらへんの感覚がず~っと繋がって今の「並列構造」等になっている一因かな?とは予想しています。

しかし、書いていて直感的に感じるんだけど、実写なんかのドラマ…ジェームズボンドのような美女とっかえひっかえの構造と、現在のマンガ、アニメ、ゲームの中にある(流行りの?)ハーレム構造とは明らかに毛色が違うように思う。それは、これからマンガの中から、ハーレム構造の形を探って行きたいと思っているのだけど、たとえば青年誌で小池一夫先生原作とかあるいは「島耕作」みたいなマンガなら、今言ったような展開はいくらでも出てくるんですよね。少年誌だけど「シティーハンター」もこれに入れていいかもしれない。でも、そこと直接繋げるのは、どうも違うというか、こっちはもっと屈折しているというか、少年向けとして抑圧されたものを一度くぐってからそこに至っているような気がします。…その後、エロゲに発展して行くとしてもw

 

そこらへん、たとえば、原初的なハーレム構造として「軽井沢シンドローム」(作・たがみよしひさ 1982年 -1985年)なんかを上げようかとも思ったんですが、まあ何か違うかなあ?とも思うわけです。軽井沢に流れ着いたヌード・カメラマンの相沢耕平と、その弟分でイラストレーターの松沼純生の恋愛遍歴物語…かな。上述した劇画系とはまたトーンがちょっと違うのですが、ただまあ、なんか気が合ったのでセックスしてみて、ピロートークで日常を語る感覚は、今の類型には当てはめない方がよさそうかな?って思います。今、「軽シン」やったら「耕平氏ね」とか言われるような気がしないでもないしw(最終的にハーレム系でここの域にまで達している作品があったとしても、それは直接繋がっているというより“一周”してそこに至っているのではないかと想像しているんだけど…どうなんだろう?)でも、本来、ハーレムメーカってキャラと構造を破綻無く物語にはめ込もうとすると、こういう感じの形になってくると思うんですよね。この話って男も女も、かなり割り切りと割り切れ無さの微妙なバランスでの付き合いが描かれていて、結局、耕平は一番割り切れない女である薫(純生の姉)に捕まるんですけど……まあ、参考にはできるとしても、あんまりモラトリアムがない話とかは、今の話題のボーダーからは外れている気がしますね。

 

逆に「軽シン」と同時期に連載された「めぞん一刻」(作・高橋留美子 1980年 -1987年)は、その後のオタク文化(?)に与えた影響を考えると、ハーレム構造的にもその影響は大きいかと思っています。…物語説明は要らないですかね?浪人生の五代裕作くんが、下宿の管理人で未亡人の音無響子さんに一目惚れする話です。基本「序列構造」で、物語を迷走させるための「序列二位ヒロイン」こずえちゃんと、物語を前進させるための「序列二位ヒロイン」八神いぶきが、重要な役割を果たしている物語ですけど、まあ、後半において響子さん含めて三方から好かれ、ハーレムっぽい展開になっていたと言えなくもない…?事もな…い?wまあ(汗)それはおいて置くとしても、この連載中にヒロインの「序列」、「並列」の捉え方に変動が起き始めていた時期ではあると思います。たとえば、画像のシーンですけど、このシーンってその後のラブコメ(ハーレム系)の中で何度も何度もリフレインされてきたシーンのはずで。……これは「どっちの料理を食べるの?」って話自体は「いなかっぺ大将」の花ちゃんと菊ちゃんの頃(この頃はヒロイン二人というのはかなり珍しかったはず)からあるのですが、このシーンは「いなかっぺ大将」(や、その他の古いマンガ)からというよりは、やはり高橋留美子の文脈が継承されているように思っています。「めぞん一刻」自体はハーレム構造か?っていうと定義にもよりますが、基本的には違うと思いますけどね。(「らんま1/2」も違ってはいるが、よりハーレム的傾向が強くなってはいる)

で。ちょっと資料薄いので省きますけど、ここらへんのマンガにおけるハーレム構造の基点(ゼロ・ポイント)的なものとして「男おいどん」(作・松本零士 1971年 -1973年)が上げられるんじゃないかと思っています。4畳半の部屋に下宿している大山昇太くんの話なんですが、チビメガネでインキンタムシのこの少年が、まあ~とにかく、色んな女の子に可愛がられまくりますwただし、恋愛としては一つも上手くいきません。ことごとくダメになったはず……です。(「軽シン」の純生がこの系統のキャラだ)しかし、タフで、ジェントルマンで、モテて当然のジェームズ・ボンドやあるいは島耕作みたいなキャラクターより、最終的にダメになっても、どうにもブ男のハズなのになぜかモテてしまう、女の子がよって来る…という、この「男おいどん」の構造の方が今あるハーレム構造の原点に近い感覚を持っています。




さて、長々とハーレム構造の前段階のような作品群を例に並べてみたのですけど、ハーレム構造の萌芽が見られる作品として「夢戦士ウイングマン」(作・桂正和 1983年 -1985年)を上げておきたいです。書いた事が現実になる“ドリムノート”に変身してヒーローになる夢を書き込んだ少年・広野健太が、侵略者からみんなを守って行くお話ですね。……これ、物語的にはどう考えても、ドリムノートを健太に渡した四次元人のアオイさんが正ヒロインなんですけどねえ…。実際に健太とくっつく(序列一位)は美紅ちゃんの方で…。ここらへんの複雑なヒロイン構造で既に一線を画するものがあります。かつ、この三角関係だけでは飽きたらず、健太が入った学園戦隊部(?)の女の子・桃子を端に添えます。健太の趣味方面での理解者って設置までなら、形としてはアリかなと思うんですけど、そこからさらに新聞部の久美子、それにアイドルのくるみと、ここまで来たらまあ~過剰と言っていいヒロインが投入されて、全員ことごとく、健太が好きな設定なんですよね。一応、それぞれ健太を関係づける接点が違う所が、よくできてるなあ~と思うんですけど…。作者が大の特撮ファンな事とか、明らかにフェチなトコとか、ドリムノートの万能感具合とか、今観るとなんかかなりオタク臭のする作品になっていますw
正直、構造の面白さ含めて、ここで既に一度完成している感さえある「ウイングマン」なんですけど、マンガ的にはこれがあまり継承された感がありません。…まあ「うる星」後の80年代作品なんで価値観そのものは拡散している時期なんですけど、桂正和先生の作品ではむしろ「電影少女」(1989年 -1992年)の方がその後の萌えに影響を与えているように思えます。いや、何があったかと言うと「ウイングマン」の連載開始の半年後くらいには「北斗の拳」が始まっていて、一世を風靡したこの作品が、他誌も含めた多くの連載を「北斗の拳」色に染め上げていた時期とかぶるんですよねw模倣されるならこっちの時代ではありました。また「ウイングマン」の終盤あたりで「きまぐれオレンジロード」が始まったりするのですが、萌え系の芽という評価を得つつも、「ウイングマン」と比べると大分後退してベタなラブコメに回帰した印象があります。
…で!広野健太くんは「恋愛原子核」なのか?「ハーレムメーカ」なのか?って話になってきますけど、まあ、どっちなんでしょうねえ?僕の直感的には「ハーレムメーカ」という気がしているのですが………というか、今考えながら書いているんですが「ウイングマン」って既にハーレム系の結論のようなところがありますね。健太くんのキャラクターがかなり奇特変人なところもあって美少女が寄ってくる流れに無理が無くって、基本的にみんな仲がよくって、かつ、オチ/着地の仕方も絶妙の観があります。ちょっと凄いかも…(思考中)

とまれ、マンガの話はここで一旦止めておいて、次はアニメの話に入ってみようかと思います。


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バビル2世コンプリート。1973年制作。忘れられない東映の傑作アニメです。確か神谷明さんの初主演作品でしたよね。ロデム、ポセイドン、ロプロスは元より、殺人ロボット・バランや、ヨミ様がわりと気に入っている岩石巨人ゴーリキなど、堪らないロボットキャラクターが沢山出てくるのですが(というか、EDでバビルを殴ろうとするロボット兵士の時点で僕は大好きw)中でも本当に大のお気に入りなのが、ヨミ様の魔王号とも言うべき、対バビルの塔攻略用重爆撃戦機=V号ですね。これ「私の愛した悪役たち」でも取り上げさせてもらったんですけどね。

http://www.tsphinx.net/manken/room/badd/bad02.html#BUIGOU

V号って原作にも出てくるのですけど、僕はアニメ版のV号の方が存在感が出ていると思っていて…。その違いって何かっていうと演出的なV号の持ち上げ方が違うんですよね。横山光輝先生の作品の感覚が分る人には伝わる話だと思うんですけど、横山先生ってそこらへんの表現がすごく淡泊な人でwそれがいいところではあるんですけどw
対してアニメ版のV号は、第25話「死のV号作戦」の30分の間に本当に出るぞ出るぞと盛り上げてくれる。それが結晶する瞬間というのが、V号がいよいよ出現する時、葉巻型な格納形態から翼を広げて飛び立つシーンなんですが、ここ最高に好きなんですよね。このV号の格納形態って、原作にはない描写なんですが、これがV号の存在感をすごく上げていると思うんですよ。



…って、このシーンって多分、「ファンタジア」(1940年制作)の「禿げ山の一夜」をイメージした絵コンテだったんじゃないかと、僕はず~~~っと思っていて。あの翼で丸まっているところとか、非常にかぶります。最近、ちょっと仲間内の上映会で「ファンタジア」を引っ張り出す事になりそうなんで、それのダビングと合わせて、「バビル2世」のダビングが重なったので、ちょっと画像を引っ張りだしてみました。…でちょっと2作品の画像を貼ってみました。「禿げ山の一夜」の魔王って「ファンタジア」の中でもかなり印象に残るんじゃないかと思いますが…。

……う!!さすがにあの頃のフルアニメーションと70年代のリミテッドの絵を並べるのは色々差があり過ぎるか?(汗)

(「禿げ山」は気流の動きさえ描いているんだもんなあ…)…でも、仕上げはともかく、画としてはV号の翼の存在感も全然ひけは取っていないと思います。いや、この魔王の翼の表現がモデルだって話なんで対抗してもしょうがないんですけど(汗)…でも、ここらへん横山先生の描写はかなり兵器的で淡泊だったのに対して、アニメ版V号のこの怪物/怪獣っぽさはすごく好きでした。当時のスタッフのセンスが伺えると思います。

「バビル2世」が終わったら次は「サイボーグ009」が始まっているんですねえw1979年制作の。これも録っています。劇場版の「009」シリーズもやっていたけど、これは録り損ってしまった。「超銀河伝説」はDVDで持っているんですけどね。これはまたの機会に。あと以前録っていた「ボーンフリー」とかもはじまって、取り直しのつもりで録る事にしました。


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http://www.tsphinx.net/manken/room/clmn/j_charstory.html

「ストライクウィチーズ」とか、「屍姫 赫」が描いているものの分析の話ですね。
本当はこっちの「物語愉楽論」で早めに「主格と従格」の話をしなければ、いけないんですが……とはいえ、「主格と従格」って言葉は、自分としては直感的にその意味は測れる、伝わりやすい言葉じゃないかなとも思っているんですけどね…。


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http://www.tsphinx.net/manken/hyen/hyen0286.html

ちょっと前から「漫研」の方で「今期選考」というヤツを始めました。…まあ、四半期ごとに放送されていたTVアニメ作品の“観たもの”の中で、良かった作品をピックアップしようというコーナーですね。…で、今期、ちょっと良かったものの候補の紹介を先行して述べておこうかな?と。


「とらドラ」
目つきが悪くて誤解されやすいが本当は家庭的な少年・高須竜児と、小さくて可愛いのだけどその行動の凶暴さが恐れられる少女・逢坂大河の織りなすラブコメディ。正統派・ラブコメディですね。竜児と大河はそれぞれ、違う人が好きなで、互いの恋を成就させるための共闘関係なんですけど…。まあ、最終的にはこの二人はくっつくとしか思えないという構造w
あまり突飛な設定(何か滅茶苦茶な金持ちキャラとか、変な発明をする科学者とか)のキャラクターはいない“普通”の学園ラブコメを志向している、その“普通”のバランス感覚がまず良いです。…今、“普通”と言いましたが、何を持って“普通”と言うかってのは難しい問題で。ただ、これを“リアル”とは言わない。あくまでマンガ的に“普通”の描写なんですよね。突飛な設定を持たないから、キャラクターも突飛には走らない。しかし、その分、マンガ的な心象描写が、組まれ積み上げられ行く…。変にもって回った言い回しですけど「うる星やつら」的ではなく、「めぞん一刻」的に描かれている…と言った方が伝わりやすいでしょうか?wともかく、その微妙なバランスをいい感じに描写している良作だと思います。


「イナズマイレブン」
「必殺技アニメ」ですね。僕の世代だと、超名作ゲーム、テクモ「キャプテン翼」を思い出すんですが。ああ、いう超人的なプレーヤーと必殺シュートがガンガン飛び出すアニメです。今期、始まった中でもイチオシな作品。単純に超人が必殺技をずばずば決めるってだけじゃなくって、それが“努力”の上に成り立っている事をきっちり描いてくれる頼もしいアニメです。日々の練習を欠かさず楽しくやっている描写からその延長上で必殺技が生まれてくる積み上げがたまりませんね。(逆に言うと、異常な特訓をしなくても必殺技が生まれてしまう世界って事だけど…w)
また、主人公・円堂守がゴールキーパってのも、何でいままでそういう作品なかったんだろう?(…何かありますかね?)って思うほど優れた構造を持っています。というのは、たとえ皆がくじけて戦意を失っていたとしても、円堂がガンバ続ける限り、チームは決して負けないんですよね。…でも逆に、円堂が一人でガンバっていても、決してチームは勝てないんですよね。円堂のガンバリを受け取った誰かがゴールしない限りは……とか言いつつ、円堂けっこう飛び出しキーパーするんですけどねwでも、チームの勝ち気に乗ってっていう線は守られています(汗)


「まかでみWAっしょい」
神界と魔界の緩衝で作った(と思うんだけど?)マジシャンズ・アカデミー。まあ、それはそれとして神も悪魔も、人間が作った萌え文化に大ハマリしていた…って話ですね。いか~~~にも!なオタクアニメなんですが、1クールとしてのボリュームと完成度は、今期1番だったかもしれません。悲喜こもごも織り交ぜた話で楽しかったです。
かなり情報量が多い作品で、多分、裏に様々な設定がひしめいているんですけどね、それらを断片的に見せる程度(アニメ読み慣れたオタクはそこから情報を汲み取って行くんですけど、普通はスルーされる)で、本筋自体は終わりを目指して作られている潔い構造もよかったです。終わった後に「ああ、よかった!」って感じにまとまっているんですよね。当り前の事かもしれませんけど、最近の特に深夜アニメは続編前提で作られていたりして、1期で「ああ、よかった!」と思わせる工夫がなおざりになっていた気がします。この作品も続編が作れそうな終わり方をしてはいるんですけど、やっぱり1期分作るなら、これくらいの締めは欲しいかな。


「喰霊-零-」
現代にも棲息している様々な人間に仇なす妖怪たちを退治して行く運命を背負った少女の物語。第1話で主人公グループとして見せていたチームを主人公と思われた人物含め、全滅という形で総退場させ、その後、本題の話をはじめる…という観せ方で話題をさらった作品ですね。僕自身も、幸か不幸か、その情報はさきにキャッチしてしまっていて、ちょっと“奇を衒った”アニメくらいの認識で見はじめたのですが、この一発芸のように思われた、第1話全滅含めて、そのシリーズ構成が素晴らしいアニメでした。単なるビックリ箱、一発芸では終わっていませんね。(ちょっと、原作とどういう整合なのか知りたいですけどね)
むしろ「死」あるいは「殺し」を非常に身近な所に置く事に成功していて、第2話でもやはりカタストロフな展開になっていて、第3話で話が一度、過去~戦闘のある日常に戻ります。…というかね第2話で殺し合おうとしていた姉妹が、3話で邂逅して、そしてお互いを支え合いながら剣を振るって戦いに身を投じて行くのですよね。その展開に対して、既に第1話、第2話という未来図が示されていて、カウントダウンするように、その焦点を目指して物語が組まれて行く、その全体を支配する緊迫感は1話、2話の衝撃が大きく貢献しています。OPの歌「ロスト・パラダイス」と共に姉妹の仲の良い描写が繰り返される、この支配力も大きいですね。この2点のせめぎ合いで作品が成り立っていると言ってもいい。…最終回あたりの演出描写に僕は多少不満を感じていて、少し評点が落ちるんですが、それでも高いレベルの作品になっていると思います。

まあ、他にも「カードライバー翔」とか「今日の5の2」とか、さっき見終ったばかりですけど「屍姫」とか「魍魎の匣」とか、あるんですけど(つまりかなり良作が出た期だった)まあ、そこらへんの紹介はまた機会があれば…。


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【必殺シリーズ】



「必殺仕舞人」コンプリート。1981年制作。その後、必殺と言えば→「仕事人」、仕事人と言えば→中村主水という後期必殺シリーズの代名詞「必殺仕事人」と並走した作品ですね。殺しのシーンが“様式美的”に完成したのはやはり「仕事人」からだとは思うんですが(ここらへんんは諸説を呼ぶでしょうけど)「仕舞人」もそのカッコ良さは引き継いでいますね。
殺し屋としての彼らの雰囲気は、ハッキリ言ってたまんないです。ちょっと画像張りましたが……いいいいいいい顔ですよねえ~!!(光源のとり方が絶妙でいいい白黒が出ています)正にテロリストの顔です。京マチさんや、高橋悦史さんも、そうなんですが、仕舞人で特筆したいのは駆け出しの殺し屋・直次郎こと、本田博太郎さんですね。最初、人を殺す事になれて無くて、ふー!ふー!って荒い息吐いたり、手が異様に震えたり、勢い余って堀へ落ちたり、するんですよね。…それがこの1クールを通して段々と殺す事に慣れて、手際もよくなって行く…。
でも、直次郎は、悪に対する怒りのようなものはずっと持ち続けて、散って行く弱き者たちに涙を流しつづけるんですね。ここらへん京山も晋松も、怒りは持ちつつも、職業人に徹するので(特に、晋松は殺しを目撃した京山が娘のように可愛がっている、おはなを殺そうとした)その対比として、ちょっとおどけて、明るく生きていて……でも、おせっかいに関わった人が殺されちゃったりする、そういう普通に一生懸命に生きている人と、その怨みを晴らす復讐者、を同居させている直次郎は素晴らしい名キャラクターで、その二面性は悲喜劇両面を見事にこなす本田博太郎さんの演技なしには考えられないものです。
速攻で続編の「新必殺仕舞人」が始まっています。これも引き続き録っています。

「チャージマン研」、「忍者マン一平」、「スーキャット」という超カルト作品が始まっていますw…カルトってか「チャージマン研」(この作品な何故か妙に人気がある)以外は単に恐ろしくマイナーなだけなんですけどね(汗)いずれも話だけ聞いていて僕も観たことはありません。(「忍者マン一平」はOPを観たことはあるかな?)「スーキャット」って………これ、買い取って放送する日があったんだ…(汗)
ちょっと手元にある「全アニメ大百科」(ケイブンシャ刊’81年までを網羅)を紐解いて見ますと……。「一世を風靡したアイドル歌手“キャンディーズ”の物語を、舞台を猫の世界に移して描く。ラン、スー、ミキの三匹の可愛いメス猫が、悪徳と欲望のるつぼ芸能界でスターを目指して行く……」とあります。……いや、ま、とにかく録ります。これ逃したら次はそうそう観れないと思うし。…この勢いで「ピンクレディー物語・栄光の天使たち」なんかも流して欲しいものです。


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http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090108_osamu_ichikawa/

声優の市川治さんが、今年、1月2日にご逝去されていました。僕の世代的に言えば、長浜三部作の敵司令官…特にハイネル。仮面ライダーの声を当てられたりもしていましたね。あと「マクロス」のゴル・ボドルザーなんかでしょうか…。日本アニメの黎明期を支えてくれた恩人ですね。ご冥福をお祈りします。

…で実は、去年の暮れにこれ見つけて買っていたりして(DVD-RAMに収めていたんですけど、データ欠損しちゃって…)中身をポツポツとチェックしていた所だったんで、ちょっと驚いたというか…「あっ」と声が漏れたというか。そんな感じなんですが。多分、市川さんのアニメ初主演作だと思うんだけど…違うのかな?(汗)
日本のTVアニメの草創期は「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、「エイトマン」の三作品が強力に牽引して行くことで築き上げられ、その後の隆盛につながって行くわけですが、この「スーパージェッター」はその「エイトマン」の直系とも言うべき存在ですね。それは単純に後番組、同じTCJ(現・エイケン)作品、というだけではなく「エイトマン」のSFとしての質の高さを引き継いでいたと思います。…個人的には“緻密さ”において「エイトマン」の作品レベルは異常と言ってもいい程高く、「アトム」や「鉄人」もそこはとても及ばない部分という感想を持っています……まあ、こう言うと「ちょっとまて!」と言われそうというか(汗)ここらへんは色々議論の余地があるんでしょうけどね(汗)



…で「エイトマン」の話は、またの機会にするとして…w「スーパージェッター」の話に戻りますが、この当時「スーパージェッター」の脚本陣の名前を挙げていきますと…加納一朗(主題歌の作詞も)、筒井康隆、半村良、豊田有恒、辻真先、山村正夫…と。

ちょっとすごい名前が並んでいるワケですw

まあ、昔だから…って話もあるかもしれませんが「『スーパージェッター』の質は高い」と言う話が、ネームから得心するものがあるんじゃないかと思ったりwちなみに音楽は山下毅雄さんで、解説書読んで驚いたんですが、1話1話毎回全部BGMを作っていたという……どんなだよ!w
また副題にある「未来から来た少年」というその“未来感”は市川さんの声質に拠るところが大きいですね。高くハキハキと喋る迷いのない雰囲気は「スーパージェッター」という作品のカラーを決めたと思います。
あと流星号の機械の健気さというか、妙に生物的な雰囲気は、その後の「新造人間キャシャーン」のフレンダーの“前のフレンダー”というか…かなり人気があったみたいですしね。ものすごく頑丈なボディのはずなのに、すごくぐにゃぐにゃ曲がって生き物みたいに動くんですよね……あれが30世紀のテクノロジーって事でしょうか…w


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http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10392.html#567



この週「一番」をとっているは「ムラマサ」なのですが、実は「金剛番長」の画がかなりよかったです。人質……というワケでもないのかな?ともかく虜にされた少女・月美を救けるため、死闘により満身創痍となった金剛番長とマシン番長が、巨大ロボ番長(?)に立ち向かう話なんですが、特に巨大ロボ番長がつまみ出した月美をマシン番長に「返してやる」と落すシーン。
ここ、巨大ロボ番長にとっての月美という命のちっぽけさと、マシン番長にとっての月美という命の大きさが一画に納めているんですね。
この時、月美はちっちゃな“点”として表現されていて、それは巨大ロボ番長にとっての“塵芥”として描かれている。でも方やマシン番長にとっては、何者にも代え難い、集中線の“焦点”として描かれている。実際には集中線は(地面にしか)描かれていないワケですけど、でも、これまでマシン番長の物語を追ってきた読者は元より、初見であっても単純にこの女の子が落ちる図という事に対してマシン番長の心象にすごくシンクロがあると思うんですね。



それでページをめくると、月美を救うパートで、すっと空間の拡がりが表現される。ここらへんチェン・ジペースの流れも好きで。前半のネームって非常に“狭い”というか遠近法が低調に扱われている印象を受けると思います。僕もちょっと違和感があったんですけど、ここらへん金剛番長たちを小さく“塵芥に”描いてしまうと、あの「返してやる」の画の効果が落ちる事は間違いなくって、巨大ロボ番長にとってもマシン番長や金剛番長は“塵芥”ではなく、またマシン番長たちにとっても巨大ロボ番長は“どうにも抗えない暴力”ではなく、“やたらデッカイだけの敵”に過ぎない。ただ月美にとってのみ“どうにも抗えない暴力”なワケで…。
あああ~、今、急に映画「アンタッチャブル」で銃撃中に乳母車が落ちて行くシーンを思い出したぞwああいう感じですよね。かつ、マシン番長にとっての月美の大きさは既に説明不要な程、描かれているという…。
敢えて指摘すれば、他のアイドル番長たちは何をやっているんだ?wって事で、そこへ行けない説明の描写をあと数コマ滑り込ませると、相当良くなったんじゃないかと思いますが、上述した描写や、またマシン番長が破壊される所、金剛番長が再びアラクレモードで、巨大ロボ番長を倒すところまでを一気に描き上げており、かなりいい一回なのは間違いないと思います。

http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/f4eb49b5cbc4a721c4ffc4ec6667a55d

ただ、前回とりあげたマシン番長の話は、ロジカルに演出が組まれていて、鈴木央先生がこんな組み上げをする事に“驚いた”のですが、今回のものはもともと、この人が“持っているもの”がいい形で出ているなという感想です。今、かなり乗って描いているんじゃないでしょうか。


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