『機動戦士ガンダムSEED』(2002年)録直し。第1話だけ逃してしまいましたが。僕は、この『物語』の後半、第三勢力になるところがすごく嫌で、わりと『SEED』評を挙げる時には、そこに触れて批判していました(汗)
本来、僕は思想的な批判と作品評は分けて話しているつもりなんですが……それでも自分を振り返って見ると、『SEED』に関してはかなり思想的な嫌悪感が先立っていたと思います(反省)。それくらい嫌なんですよ。戦争をどうやって止める?という問いに「両軍攻撃する」みたいな結論を出すのは。多分、『ガンダム00』のソレスタルビーイングに対しても似たような事をしゃべると思う(汗)
しっかり世界征服して、自分らが“法”であるという根拠を持ったらいいと思うんですけどね。それをしたら“悪”になっちゃうから、“悪”は引き受けないで“無法”をはたらいているんです。卑っ怯な!(笑)
しかし、改めて観てみると“主人公グループ”が、第三勢力化する流れがわりとしっかり描かれている事と、第三勢力化している期間は自分の記憶イメージに残っている時間より、ずっと局所的な事が分って、これだけ「さらっ」としているならバランスとしてありだな…という印象に変わりました。
それとラクスはやっぱり変な人だなあ…とか、フレイはあそこで死ぬにしても、もう少しじっくり変化を描いて欲しかったなあとか思いますね。4クールをして描くものが収まりきっていない感があります。これは『SEEDディスティニー』で、もう一度やるというより、『SEED』のプロット、構造のままで、キャラも設定も増やさず掘り下げるのがよい気がします。
ラクスは多分、収まりきらないしわ寄せが来ているのではないでしょうか。元々、不思議かつ便利な子なので、説明不足でも許されてしまうんですよね。
戦争をテーマにしたアニメで、なぜ戦争になるのか?なぜ戦争は続くのか?を「なんか軍需産業やら政治家やら、偉い人が戦争したがってて、庶民は戦争したくないんだ」か、あるいは「だってエクソダスしてきたから」みたいな“寓話”を超えた描きを見せるアニメが少ない中で『SEED』は、悪くないアプローチを見せていたと思います。
しかし、それを本当にやろうとすると4クール超えても足りないくらいなんですねえ……そういう事か。