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『ジェッターマルス』~山之上博士失踪は謎

2012年01月11日 | アニメ


『ジェッターマルス』(1977年放映)コンプリート(1話1部破損)。『鉄腕アトム』の続編として企画され、しかし、製作時には、非常に『鉄腕アトム』の世界を想起させながらも基本的に違う世界となったアニメ作品。ん~まあ、大体『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』くらいの世界観の差異でしょうか?(´・ω・`)
個人的には80年にリメイクされる『鉄腕アトム』よりも、カラーのアトムというか…リメイク度(作品の質ではなくリメイク度)が高かったと思っています。マルスと’80アトム自体の比較というより、世界観や色調のようなものですかね…。’80は『首のないロボット』の“ダムダム”の首を変な戦車につけたり(原作は別のロボットにつけていてそのロボットがまた泣かせる)、『地上最強のロボット』の最後のロボット200万馬力“ボラー”が何かよく分からないガラクタ!だったり!(`・ω・´)(←これには相当恨みを持っているらしい)したのが嫌だったんですよね。…アトラスは良いんですけどね。まあ、こちらはまた別の機会に。

科学省長官の山之上博士が、日本の最高技術を以て製作された少年型のロボット“ジェッター・マルス”が生まれたのは「時~は、2015年♪」って(笑)こういうの重要ですねえ~。いや、重要かどうかは分からないけど(汗)マルスの生まれた年とか、コンバトラーVの身長と体重とか、観てた人は皆覚えていますよね(笑)ちなみにあと3年後か…。
後になって「マルスなんて、けっこう物騒な名前だったなあ…」と思っていたんですが、今回改めて観直してみると、生みの親の山之上博士は、マルスをモロに戦うロボットとして開発していたらしく、それにちなんでマルス(戦の神)の名を授けています。
ただ、山之上博士は、はっきりとは言わなかったのですが、おそらくマルスは「戦闘兵器」と言うより「正義のヒーロー」にするつもりで開発していたように思います。あくまで彼なりのヒーロー感に基づくものでしょうけど。兵器開発としては、マルスはちょっと、いや、かなり違和感がありますよね(笑)
また、そういった設定、家庭環境からか、マルスはアトムに比して“やや”ヤンチャが強いというか、“やや”乱暴者な感じがしますね。清く正しく時に、天馬博士をはじめとした人間を正すアトムに対して、マルスは進んで戦闘を好むような描写も見られ、また父親である山之上博士との対立も同レベルというか…いい意味では家族のケンカレベルに観えます(『ジェッターマルス』は『鉄腕アトム』でのエピソードのリメイクもあって、この傾向は一定ではないんですが)。

しかし、そのマルスにちょっと謎(?)の展開があって……マルスの生みの親である山之上博士が物語の途中で突然行方不明になります。いや、これがちょっと突然というか…重力爆弾の実験中の事故で「…ぶっちゃけ、死んでるでしょ?(´・ω・`)」って感じの行方不明なのですが、最終回で、山之上博士が無事だった事を知らされて、マルスは博士を拉致したロプラス共和国に向かうのですが……山之上博士自身は何か登場しないというか幻影だけで…。何か変な感じなんですよね?(声の納谷悟朗さんの都合だろうか?…代役を当てる気もするけど)
山之上博士は、そんな人格者ではなく、どちらかというと嫌な教育パパのような人で、そんなに人気があるワケではないでしょうけど、かといって憎み切れるような悪人でもなく、無理に退場させる人にも見えないんですよ。その最終回の形から、途中で消えた父親の影が強かった物語のように語られ勝ちな所もあるんですが、イマイチそういう話にも見えない(汗)(※山之上博士の思想って好戦的で、当時の手塚先生やアニメ・スタッフが嫌いそうな感じですし)

ちょっと深読みすると、基本、『アトム』の世界を引き継いでいる『ジェッターマルス』が“天馬博士”だけは引き継がず、山之上博士になっている所が両作品の最大の違いと言ってもいいんですよ。(※天馬博士はアトムの生みの親で初作『アトム大使』において、部隊を率いて平和的宇宙人を粛清して回っていた。それをアトムに咎められ反乱されて、追い詰められ死んでしまう。『鉄腕アトム』ではそのエピソードを天馬博士が死んだ結末を外して再利用されています)
山之上博士は天馬博士のような悪人ではない。その反面、マルスに対して強烈な父性をもって立ちはだかる“壁”にはなっていない。時々頑固なんですが、基本的にマルスに甘い、いいお父さんなんですよ。なんで、そうしたのか?というのは、ちょっと分からないですが、あるいはマルスに『アトム大使』のような“父殺し”をさせたくなかったのかも知れません。

まあ、ちょっと分からいですが『ジェッターマルス』が放送された1977年は、いわゆる巨大ロボット/スーパーロボットの乱作期で、マルスの性格がアトムと比して“やや”粗雑なのは、ここらへんの時代の影響がある気がします。また、彼の出自が戦うロボットである事も、時代に合わせたのか、あるいは、敢えてアンチテーゼとして彼にその宿命を背負わせたのかのどちらかという気がします。
その時期において天馬博士というのは、マッドサイエンティストとして、かなり美味しいキャラだと思うんですが、それを敢えてマッドな所を抑えた山之上博士にしたのは、どちらかと言うとアンチテーゼ的な意味合いが強かったのではないかと思えます。
そして「いつか僕にも本当の~♪強さ~が分かる~日が来るよ♪」というEDの歌にもある通り(というか『ジェッターマルス』OPもEDも名曲よ?(´・ω・`))、様々なロボットたちとの出会いを通して、本当の“強さ”を考えさせる構成が確かにあり、なかなか珠玉のエピソードが揃った良作になっています。


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