【今週の一番:5月第3週:お茶にごす 第99服 距離】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/d9aeb58e172d3b93d788071a1be76e4a
ここのルイさんのレスが「愉しい」ので、ageて、そしてレス返そうと思います。
> フィールドプレイヤーとしての限界を突き詰める事に、“なまけた”のではないか
「アイシールド21」の基本的な文脈はそっちだと思います。もう少し補足するなら……肉体的な怠けではなく、精神的な怠け…まあごちゃごちゃ婉曲に言わなくっても、今週のセナが顕わした“あの精神”ですよね。あれが無かったと。
僕が、文中に「雲水の心象はどうであれ」と書いたのは正にそこを指していて、あの場面の雲水の涙には「阿含をサポートする為に何故あのフィールドに居なかったのか?」といったような成分はほぼ全く含まれていないでしょう。その涙は、昔の決意~「俺はトップでなくていい、そうなれる阿含がトップになれればいい」という思い~に直結させており、これに多少の議論の余地は残るとしても、普通に読むなら「トップになれなくていい」(阿含への仮託の要素を抜き1プレーヤーとして考えると、単に「トップになれなくていい」になりますね)という“それ”によって今、雲水は“泣く”事になっている…というものでしょう。
しかし、お前はその“演目”を選んだんだよな?今、泣いてしまう心象はどうあれ、昔決めたあの時から今までの自分を全部後悔の対象としてしまう事にお前は本当に納得するのか?
もし、雲水が阿含に叶わないと判断したあと“無為に過ごして”いて、そして今泣いているのだとしたら、どうぞどうぞ~!(ダチョウ風)海よりも深く後悔をなさいwwwww君はそれだけの失態を犯したのですwwwちょwwwwwウケるwwww…くらいの事は言うんですけどね(`・ω・´)僕が観る限り、雲水はそうじゃなかった。だって東日本において無敗だった神龍寺のレギュラーになっていて、その努力の描写は常にされていたんですから。だから雲水は“諦めた”のではなく、別の“演目を選んだ”んだと、そう言えると思うんですよね。そこらへんはルイさんも…
>中学時代の雲水の回想を見るにストイックなまでに雲水はフィールドプレイヤーとしての自分を見つめていて、その上で諦め、新たなな道を見つけたようにも思うので…ちょっと酷な指摘とも思うんですけど、ね。
…という補足に立返っていますよね。僕もそう思うんです。…ただ、雲水の決意は「王佐」という精度には明らかに達していなかったんでしょうね。もう少し曖昧な「阿含がトップにいけばいい(それを助けられればいい)」と潜在的な「でも、本当は俺が…!」の間をふらふらしている感じだったのでしょう。そして、ここに来て、自分の本当の気持ちに気がついたと…その雲水の心象において「アイシールド21」のテーマとの融合が為されていると思います。
だから、この話はその後の話、雲水の心象を超えた話…という事になるんでしょうか。雲水は阿含に勝てない事を悟った後も“努力”を止めてしまう事はなかった。“無為に過ごす”事はなかった。無為に過ごさなかった以上、それは「道」に通じているんです。今は雲水自身が気付かなかったとしても、それは間違いなく「道」なんだと僕は思います。
……ラストシーンで雲水が「今までの俺は間違っていたぜ!これからは阿含!お前を倒してトップになる事が俺の目標だ!」→阿含「あ”~?ようやく気がつきやがったか、このタコw……待っているぜ!兄貴!w」とか言ってジェミニ・クロス(ガッ!)をしたとしてもですよ?(´・ω・`;)(←汗)
無為に過ごしてしまった事のテーマはむしろ桜庭とかが持っているはずで、その桜庭は今フィールドに立っているというwこの桜庭と比して、かなり酷い扱いを受けてしまっている雲水ですけど(汗)それはもしかすると、今、叶わぬパンサーに、それでも挑もうとするセナのテーマ=「アイシールド21」のメインテーマの到達点とは、全く逆のテーマが眠っているからかもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/d9aeb58e172d3b93d788071a1be76e4a
ここのルイさんのレスが「愉しい」ので、ageて、そしてレス返そうと思います。
>どうも、本編を読むと、そもそも阿含に譲ろう(凡人の俺はトップに立てなくていい)と思った事が失敗…のような文脈で語られているように思えます(汗)
ここが微妙なところなんですよね。
翌週で語られたテーマもやはりこの指摘に沿っていて、「トップに立てるか立てないかじゃない、登りたいから登るんだ!」という話になっている。その事自体は少年漫画として間違っているとは思いませんし、寧ろ「届かない」という自覚を持たせた上で登らせるセナの覚悟は、少年読者を1つ上のステージに進めるような美すらあると思っています。
…ただそうすると、雲水はどう捉えればいいのか。で、少し考えた結果
『ここで涙を流す雲水なら、雲水はフィールドを目指していなければいけなかった』
そう考える事にしました。チャットの時と同じような言い回しですが、涙への着目が少し深まっています。「1番」の時は終始「王佐」視点で話していたので、フィールドを目指して、阿含の横に立つ事を怠るな!という視点でも語っていたと思うんですが(「なまけ」という言葉のセレクトもその印象が通じているからだと思います)その辺雲水の意識を一本化せず、もう1つの線を強く意識した方が良いのだろうと。それはプレイヤーとしての個人・雲水。
雲水がかつて選んだ、阿含を押し上げるという道。それ自体は1つのれっきとした道だと思いますし、その是非を問うてはいないのだろう。ではここで号泣する雲水は何かというと、真の意味で「阿含を押し上げる事」に徹していなかった、という事実が鉄面皮を破って明らかになったのではないか?という事です。それを証明しているのが、この涙そのもの。プレイヤーとしての金剛雲水を、言葉は悪いですけど自らが「完全に見限っていたら」、ここで号泣はしなかったと思うんです。「フィールドでもサポートはできたじゃないか!」という感覚ではなくて…葉柱ルイを見て感じたという事は、素直にいちフィールドプレイヤーとしての葛藤なのだろうと。
その諦めの涙を今便宜上、というか明らかにワザとらしく「true tear」と呼びますけど(笑)雲水が本当の意味で1つの選択として阿含の徹底サポートをするんです、それでいいんです!と生きているなら、この涙は既に流しているハズのものだったのではないか。しかしことここに至って涙が出るということは、LDさんの表現を借りるならサポーターとしてというよりは「フィールドプレイヤーとしての限界を突き詰める事に、“なまけた”のではないか」…そういうことだと考えると、王佐それ自体を否定する形ではなく、雲水のテーマも「アイシールド」に溶け込むんだろうなと思いました。
おっさん顔ですけど雲水も若いですしねwまずはプレイヤーを突き詰めてこの涙を流した時、次に見えてくる選択だったのではないか、と…ただ、中学時代の雲水の回想を見るにストイックなまでに雲水はフィールドプレイヤーとしての自分を見つめていて、その上で諦め、新たなな道を見つけたようにも思うので…ちょっと酷な指摘とも思うんですけど、ね。この辺少年スポーツ漫画としてのバランスですよねえ。
> フィールドプレイヤーとしての限界を突き詰める事に、“なまけた”のではないか
「アイシールド21」の基本的な文脈はそっちだと思います。もう少し補足するなら……肉体的な怠けではなく、精神的な怠け…まあごちゃごちゃ婉曲に言わなくっても、今週のセナが顕わした“あの精神”ですよね。あれが無かったと。
僕が、文中に「雲水の心象はどうであれ」と書いたのは正にそこを指していて、あの場面の雲水の涙には「阿含をサポートする為に何故あのフィールドに居なかったのか?」といったような成分はほぼ全く含まれていないでしょう。その涙は、昔の決意~「俺はトップでなくていい、そうなれる阿含がトップになれればいい」という思い~に直結させており、これに多少の議論の余地は残るとしても、普通に読むなら「トップになれなくていい」(阿含への仮託の要素を抜き1プレーヤーとして考えると、単に「トップになれなくていい」になりますね)という“それ”によって今、雲水は“泣く”事になっている…というものでしょう。
しかし、お前はその“演目”を選んだんだよな?今、泣いてしまう心象はどうあれ、昔決めたあの時から今までの自分を全部後悔の対象としてしまう事にお前は本当に納得するのか?
もし、雲水が阿含に叶わないと判断したあと“無為に過ごして”いて、そして今泣いているのだとしたら、どうぞどうぞ~!(ダチョウ風)海よりも深く後悔をなさいwwwww君はそれだけの失態を犯したのですwwwちょwwwwwウケるwwww…くらいの事は言うんですけどね(`・ω・´)僕が観る限り、雲水はそうじゃなかった。だって東日本において無敗だった神龍寺のレギュラーになっていて、その努力の描写は常にされていたんですから。だから雲水は“諦めた”のではなく、別の“演目を選んだ”んだと、そう言えると思うんですよね。そこらへんはルイさんも…
>中学時代の雲水の回想を見るにストイックなまでに雲水はフィールドプレイヤーとしての自分を見つめていて、その上で諦め、新たなな道を見つけたようにも思うので…ちょっと酷な指摘とも思うんですけど、ね。
…という補足に立返っていますよね。僕もそう思うんです。…ただ、雲水の決意は「王佐」という精度には明らかに達していなかったんでしょうね。もう少し曖昧な「阿含がトップにいけばいい(それを助けられればいい)」と潜在的な「でも、本当は俺が…!」の間をふらふらしている感じだったのでしょう。そして、ここに来て、自分の本当の気持ちに気がついたと…その雲水の心象において「アイシールド21」のテーマとの融合が為されていると思います。
だから、この話はその後の話、雲水の心象を超えた話…という事になるんでしょうか。雲水は阿含に勝てない事を悟った後も“努力”を止めてしまう事はなかった。“無為に過ごす”事はなかった。無為に過ごさなかった以上、それは「道」に通じているんです。今は雲水自身が気付かなかったとしても、それは間違いなく「道」なんだと僕は思います。
……ラストシーンで雲水が「今までの俺は間違っていたぜ!これからは阿含!お前を倒してトップになる事が俺の目標だ!」→阿含「あ”~?ようやく気がつきやがったか、このタコw……待っているぜ!兄貴!w」とか言ってジェミニ・クロス(ガッ!)をしたとしてもですよ?(´・ω・`;)(←汗)
無為に過ごしてしまった事のテーマはむしろ桜庭とかが持っているはずで、その桜庭は今フィールドに立っているというwこの桜庭と比して、かなり酷い扱いを受けてしまっている雲水ですけど(汗)それはもしかすると、今、叶わぬパンサーに、それでも挑もうとするセナのテーマ=「アイシールド21」のメインテーマの到達点とは、全く逆のテーマが眠っているからかもしれません。