
「3月のライオン」4巻買ってきました。素晴らしい。宗谷vs島田……これだ。この「物語」が観たかったんだ。この遙か遠い物語が観たかったんです。3巻から登場した島田八段が本当にカッコよくて…カッコよ過ぎ!!
遠い物語が好きなんです。とにかく遠い、遠い、遠い、物語が好き。
物語は、第1話で、主人公の桐山零が、育ての父親である幸田棋士のリーグ入りを叩き潰す所から始まりますよね。その後、自らが勝ち上がる事で幸田の娘、息子である、香子と歩の人生も破壊している事が語られる。……ま、どちらか一方しか上がれないという設定じゃないのだから、実際問題としては、幸田がリーグ入れなくても、香子や歩が奨励会から上がれなかったのも、桐山くんの勝利とは、それほど大きな因果があるわけでもないのでしょうけど、ともかくそれを主人公が目の当たりにして心に刻み、おそらく心にとても大きな傷を背負った所からはじまります。
――まだ、この先――
主人公が辿り着いた、その“先の世界”。そこで二人の人物との出会いが描かれる。65歳、引退間近の老棋士・松永七段。ギャンブルで身を持ち崩して離婚した安井六段。どちらも自分が“届かない事”に気づいてしまった者たちなんですね。届かない…といっても、それで必ずしも人間の価値が決まるわけではないですが、でもここは“将棋の強さ”という価値を競う場であり、人々はそのために集い、そして“先へ進める”人間である事も、“届かない”人間である事も容赦なく裁定されて行きます。

「知らん。知るもんか…勝った時は叫びだす程嬉しくて、負ければ内臓を泥靴で踏みにじられるように苦しくて、世界中に「生きる価値無し」と言われたような気持ちにさいなまれた……なのにっ、それなのに辞められなかった。この気持ちを、そんなっ、言葉なんぞで、言い表せるものかっっっ」

「わかったよ。よーするに君は「オレが途中で投げた」って言いたいんだろ?8六歩から嫌みをつけて9五に桂を打って……あーうんうん。確かにそーだね。気がついていたら絶対指してたね。でもなぁー。気がつかなかったんだもん、しょうがないよね。そりゃあ、君にはわかったかもしれないけどさ。オレにはわからなかったんだから、仕方ないだろう?」
どちらも棋士としては底辺を這いずり回るような存在として描かれています。それは“届かない事”に自分が気づいた時、ただただ負けを繰り返しても、みっともなかろうが、なんだろうが将棋にしがみつき続ける事を選んだ者と、適当に「しょーがない」で自分を誤魔化して生き続ける事を選んだ者なんですよね。
……でも、彼らは香子や歩がどうしても到達できなかった“先の世界”に辿り着いた者たちでもあるんですよね。………いや、キャラクターとしては香子ちゃんのほうがずっとずっとカッコいいと思うんですけどね(汗)wでも、それと“将棋の強さ”は別の話で。……奨励会に集った多くの人々の、あらゆる挫折を尻目に辿り着いた“その先“にあったものは……また変わらずに挫折と怠惰が襲いかかる世界だったと言う事です。それらを振り払って進む者たちだけが“先の世界”へ行ける。
――まだ、この先――

「「勝てるかもしれない」―――と思える人間がそのまま「勝つ可能性のある」人間だったりするのだ。オレにはねーよ、後藤を破って島田さんとむかい合うビジョンなんて。つまり、そーゆー事だ。だが、しかし。そっからも更に生き汚く「勝ち」ににじり寄ろうとするのが、またプロの仕事ってヤツなんだよね」
それでも“届かない事”を感じつつも、さらに“先に”行こうとする人間としてスミスは描かれている。桐山の頭をカチ割る、島田さんもこの道を行き、そして遙か先にいる者として~どちらが好いかは分からないのですが、至って軽やかなスミスと違って、島田さんは文字通り身と命を削るようにして先に行こうとしている者として~描かれていますね。

「宗谷は、「天才」と呼ばれる人間のごたぶんにもれず、サボらない。どんなに登りつめても決してゆるまず、自分を過信する事がない。だから差は縮まらない、どこまで行っても。しかし、「縮まらない」からといって、それが、オレが進まない理由にはならない。「抜けない事があきらか」だからって、オレが「努力しなくていい」って事にはならない」
――まだ、この先――
そうまでして手に入れた宗谷名人への挑戦権が、四タテで、故郷・山形での対戦にすら持ち込めず終わってしまう残酷な結末。いや、それ以上に、極限の戦いの中で命を削って「読ん」でいたはずなのに、一筋の光明を見落としてしまう残酷さ。宗谷に勝てないと“諦めてしまった”事に気付かされる残酷さ。精進する事、前に進む事が、当たり前の世界で、むしろそんな事を意識したり、強く念じたりする事自体が“隙”につながって行く。それがその“先にある世界”。

そこで島田さんは遂に宗谷名人に勝つビジョンを語る事ができなかった。ただ、なんとしても勝ちたいと意を決していただけ。(それは、スミスと同じ景観とも言えます)しかし、宗谷に勝つビジョンを語り、心が折られる事がない“化物”たちがそこには居て…。そして、それら“化物”たちがまるで歯が立たない、はるか“先”に宗谷は居る――――。
好きですね。この道の“遠さ”が。一人の人間が、その生命を賭すに足る“世界”だと思う。多分、どこまで行っても終わりなんかなくって。
桐山零という少年がこの激しい“勝負の世界”に身を投じ、何を観、何を感じて行くのか…それはそのまま(あらゆる人々への)人生そのものの物語になって行くのだろうと思います。……まだ、五島の物語も残っている。二階堂の物語も残っている。この先が楽しみです。
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