今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




ペトロニウスさん、海燕さん、いずみのさんでやります。(↓)

http://www.ustream.tv/channel/kaien/v3


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




【脱英雄譚】

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/74eed63271d173e9d4dd2c8facb30615

(↑)続きです。

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次】
http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html

http://maouyusya2828.web.fc2.com/

(※既読者向けです)

■原型としての“英雄譚”

魔王「必要だったのだ。しかし、今や進むべき時が来た。
 時を止めていたこの世界に、進むべき時が来た」

光の精霊「あ、え……。その……」

魔王「今、もう一度この言葉を言おう。
 “それは出会いの一つの形だったのだ”と。
 そして世界には
 “いつか不必要になるために必要なモノ”があるのだ、と。

 それはあるいは子供の外套のように、だ。
 それがなければ私たちは成長することが出来ない。
 冬の雪にやられて死んでしまうひ弱な存在に
 過ぎなかった私たちは、その外套に守られて過ごした。
 でも、やがていつの日か、この今日にでも。
 その外套を脱ぎ捨てなければならない日は来る」


(「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」13スレ目より)

どうも“何かを倒す物語”、ひいては“何かを救う物語”というのは「物語」の力場として、連作されて行く中でどんどんより大きなものを倒す、より大きなものを救うという話に発展して行く傾向があるみたいです。このインフレ感覚は、少なくとも子供向き物語の中で異論がある人は少ないでしょう。

付け加えると、この何かを倒す話と、何かを救う話は、ちょっと表裏一体の面があって……何かを救うは、この場合なにかを守ると言う方がいいですが、まず一番小さい自分を守る力を欲する。その力は(自我の拡散に合わせて?)より強大さを求め、その強大な力の担保として、より大きなものを守る→救う事を欲する。
自分の為に→得た力は→誰かの為に使いたい。と、まあ、大体こんな感じだと思いますが…このスパイラル(?)で、あれよあれよと、世界を、ひいては宇宙を救う話になって行くのでしょう。

しかし、このインフレというか昇華はかなり健全な人間の性質だと僕は思うんですけどね。…これとは別に、力の顕現を“悪”とみるような…抑える方向の力場もまた昔からあって、近代の日本ではその力場がけっこう強めの傾向があったように…思わなくもない。しかし、僕らは倒すべき悪を倒す事によって世界を救う物語は数限りなく観てきましたが、倒す力を介さずに世界を救う物語というのはかなりイメージしずらいというか……殊更に力の顕現を排除しようとすると、どかの某宗教団体が描いたような、うさんくさ~い感じの救世主譚になったりw

まあ、そういう境地というのは無いわけではない…在ると思うんですけどね。哲学宗教的に「世は凡て事もなく世界が救われる」話というのは、ぐるっと一周回って「自分が既に救われていた事に気づく」話になってくるか……というか、もー、なんつーか、ちょっと、むずいwそうそう分からないw(汗)

だから、世の中はもう少し分かりやい話、たとえば「悪魔に勝つ」話とか、「己に勝つ」話とかをはじめる。そして、そこには段々とより大きなものに勝っていこうとする「流れ」がある…と。そういうもののアーキタイプ(原型)が正に勇者が魔王を倒す英雄譚~神話の多くは勇者が竜を倒す話ですね~であって、この「魔王x勇者」はその構造そのものの言及にまで及んでいます。ちょっと変に回り道しちゃいましたが「勇者が魔王を倒す物語」というのは、そういう人間にとっての健全な、基礎的な物語として存るという事です。

しかし、実際の所、世界の在り様というのは“子供のおとぎ話”のままに戯画化されたまま通用する世界でもない。でも、その視点に達してしまうと元の「おとぎ話」はふつうに無視して「物語」はいきなり世界在り様に挑んでいたりするんですが、そうではなく「善が悪を倒す」という英雄譚を、まず解体してみせる。そうする事によって一足飛びじゃなく、階梯的に「世界を救う」という事の意味を「魔王x勇者」は突き詰めて行っているなと。
ちょっと今、分かりやすくするために、わざと“子供のおとぎ話”と言いましたが、この脱・英雄譚的な視点というのは一過性のものではなくって、むしろ繰り返し体験され得るものだと思います。言い方変えれば理想と現実の折り合いみたいな話だから。
あまり内面的(内宇宙的?)な話ではないと、思いつつ、ちょっと内面に寄った「読み」をしてみましたが、けっこうそういう色んな角度の視点に耐える「物語」になっていて、何か凄いなあ…と思ったりします。

■たとえ悪であっても世界を救うということ

魔王「そこで『俺が法だ!』とか『俺が神だっ!』とか
 『俺がガンダムだっ!』とか云えたら、お前も
 もうちょっと生きるのが楽なのになぁ……」

勇者「うるさいっ!!」


(「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」1スレ目より)

まあ、それはそれとして。(←文脈関係なく、横道逸れてた!)“世界を救う物語”が描かれるためには、まず“世界の在り様”を詰める必要があって(その必要を思ってしまうのが近代の物語思考という事なんですが)、“世界の在り様”を詰めて行くと、人の心の在り様を単純化、総体化しただけの“世界を救う物語”は、その単純化できない在り様に、はたと、その歩みを止めてしまうと。

…で、「不殺」とか、「身近な者を救う」とか、そういう小さなレベル(?)に落とし込めば、どうやら“正しさ”は確保できそうだぞと判断して行ったのが前項の話。……実は「不殺」というのはともすると「世界を救う話」以上に強烈に、世界の在り様からの糾弾を受けるテーマで、それをテーマとした(設定として「不殺」を採用したのではなくテーマとしている)作品は、軒並み相当苦しめられているはずなのですが、それはここでは語りません。こっちはこっちで難しいのですが、仮に世界を救うのをあきらめたとしても“正しくある”事を目指したと。

これに対して、その後やって来たのは、「そうじゃない、あくまで世界を救いたいんだ!」と言う思い、それを特化して“たとえ悪であっても世界を救おう”とする話ですよね。この類型は「デスノート」(2003年~2006年、作・大場つぐみx小畑健)が有名ですが、「魔王x勇者」に対する有効な対比作品として「機動戦士ガンダム00」(2007年~2008年制作)と「コードギアス 反逆のルルーシュ」(2006年~2007年制作)を挙げたいです。



まず「ガンダム00」から取り上げますが、これは世界背景そのものはかなり「魔王x勇者」に近いと思います。いや…構造が近似というワケではないのですが「このまま…を変えよう」という訴求のある世界において、という事です。これは両作品を観た人ならおそらくピンとくるでしょう。また、魔王退治のおとぎ話から遡れば及ぶべくもありませんが、「ドラクエ」という伝説、あるいは善も悪も入り交じって戦いを繰り返す世界の描き、から考えるとそれを上回る繰り返しの歴史を持つ「ガンダムシリーズ」から来ている作品です。(「SEED」でも似たような事をしているワケですが、より突き詰めているのはこちらかなと思います)

世界各地で紛争が耐えない未来世界で、超機動兵器ガンダムを有するCB(ソレスタル・ビーング)が各紛争に対して無差別の武力介入を決行する……この世界での勇者=ガンダムが選択した事とは、「魔王x勇者」の中でも示唆試考され、かつ「それではダメなんだ」と言われた事と考える事ができます。

【物語三昧:ソレスタルビーイングの動機が分からないなぁ】
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081219/p1

【「ガンダム00」チャット ソレスタル・ビーングの征く道】
http://www.tsphinx.net/manken/dens/dens0090.html#529

【「ガンダム00」最終回チャット】
http://www.tsphinx.net/manken/dens/dens0092.html#537

【「ガンダム00」最終回感想:コーラ、カコイイ(・∀・)!!】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/e8e02bc37c4ad5ec9ff5f185f485abb7

この設定の世界が、100年単位では「緩やかに地球統一に向かっている」こと、また「巨大な政治システムが3つ存在することで、2者の覇権争いによる全面的な最終戦争になりにくい成熟した政治状況であること」、さらに最後が重要だが、社会の進歩が閉塞しないための最大条件である「宇宙というフロンティアが存在している」ことがあげられる。(物語三昧:ソレスタルビーイングの動機が分からないなぁ)

ペトロニウスさんとは、けっこう長い事、「ガンダム00」については(局地的な小競り合いは在っても大局的に観て)「あの世界はどうみても、平和統一の道に向かっている世界に見える。なのに何故、あんな性急な事をしようとするのか?」って話をしていますね。(「ガンダム00」チャット ソレスタル・ビーングの征く道)

僕とペトロニウスさんは、「ガンダム00」という作品自体はともかく、CBの連中の行動には相当ダメ出しをしていたんじゃないかと思いますが、おそらく一つ「読み」違えというか「送り手」とこちらで、かなりギャップがある可能性が高い部分があって、それは何かというと「送り手」は「このまま争いを続ければ人類は緩やかに、あるいは急激な後退をする事は避けられない」と、そういう感覚であの世界を描いていた可能性はそれほど低くない…というか普通はそういう観方になる……かも?(汗)と。
いや、僕は「こんなん!平和的統合目前やん?」としか思わなかったし、今もそう思ってますけどねw(でも、そのギャップを変換すれば、この作品の観え方も少し…いや、大分違ってきます)

しかし、「世界が後退して行く」世界観を採用すれば、これはかなり「魔王x勇者」のはじまりの世界観と近くなってきます。だから「魔王x勇者」では選択されなかった、別の物語の可能性がかなり示唆された作品になるはずです。
…で終わってみたとき、いろいろ「読み」方があるとは思いますが、CBが手放しに正しい組織として描かれていないのは明白でしたし、「は~、やっぱ、世界を救うのは難しいっス!!」というため息が聞こえて来そうな(僕はそんな観方をしてしまうんですが)…そういう、終わり方としては、なかなか良い終わり方だったんじゃないかと思います。



そして「コードギアス」ですが(画像、二人とも目つき悪いなあ…ヤサグレてるよなあw)、これはCの世界でブリタニア皇帝との戦いを決着し、最終フェーズに入るルルーシュとスザクの対話が「魔王x勇者」とかぶります。ただし、事情は微妙に違う。この時の二人は、いわば“挫折した魔王”であるルルーシュと、“挫折した勇者”であるスザクの対話からはじまっている。
彼らは、世界の在り様に挑んで、敗れ去った物語を体現したと言ってもいいです。しかし、挫折したからこそ得た視点と答えに対し「じゃあ、どうするんだ?」と。その時、はじめて魔王と勇者が手を組む物語が始まり、その選択を為そうとするワケです。

【コードギアス反逆のルルーシュR2最終回~ウソに乗る話~】
http://www.tsphinx.net/manken/dens/dens0089.html#515

ここに「絶対なる悪」となったルルーシュの前に「完全なる善」のゼロが現れた理由があります。

正当なる手順を踏んで世界を変えようとする者には、おそらくは到達不可能、ナナリーでさえ到達できなかった「無垢なる善」をデッチ上げるんです。“何の憎しみの連鎖も引き継いでいない”本物のホワイト・ナイトを出現させるんです。そして、彼に絶対悪のルルーシュを討たせるんです。

「コードギアス」の世界において魔王(ルルーシュ)と勇者(スザク)は何をしたかというと………これは、この世に“本物の魔王”=絶対悪も、“本物の勇者”=完全善も居はしない。居ないからこそ、自分たちが絶対悪の魔王と完全善の勇者になって見せ、勇者が魔王を討ち果たす事で、この世界に一度善と悪の戦いの昇華をもたらす事を願ったという事なんです。
人間の世界の在り様は、そんなに単純ではない。でも、彼らは人間である事を止める事によって、ルルーシュ=魔王の魔力(ギアス)、スザク=勇者の絶対武力という超能力を解放させた。人間だからこそ掛かっていた制限をなくして、逆説的にこの“英雄譚”に到達しているんですね。

これは「魔王x勇者」という物語の結末にまで辿り着いた人なら「ああ、彼らはそういう選択をしたんだね」と感じる所があるんじゃないかと思います。

■「先の物語」ということ
「…でも、それって、別の意味では“頓智”みたいなものだよねw」とか、僕は言ったりもしていたんですけどね(汗)…いや、文章に書き起こしてみると頓智という言い草は酷かったかな?(汗)しかし、何が言いたいかというと「コードギアス」の最終回は、あの残り少ない話数の段階で、スパッとキレイに終われる選択としてはベストに近いもので、いろいろ不満やツッコミがある人がいても「だって、ルルーシュ、死んじゃったじゃん?だから、しょうがいないJAN?」……みたいな返しでw大半は返せるというか、座布団一枚的に“上手すぎる”終わり方だったんですよね。

何が言いたいかというと、彼ら(ルルーシュとスザク)は、人間としては魔王にも勇者にもなれなかった者だし、そもそも(人間として)世界の在り様に挑んで敗れ去った事は、そのまま放置されたままだ…とも言えるんですね。
この二人が「じゃあ、どうするんだ?」となった時に、あくまで人間としてやれる事に立ち返る選択もあり得たはずですし。エンターテイメント、劇的なるもの、である事を度外視すれば、それが結局一番、世界の在り様に立ち向かい肉迫できる話ではあると思うんです。その意味では上手く目先を変えてはいますが「ガンダム00」と同じく「世界を救うのは難しい」→「世界の在り様は難しい」という所で止まっている「物語」……という観方もできると思います。

しかし、斯く言う僕自身が最終フェーズの展開予想として、一瞬イメージしながら「それはない」と即座に切り捨てた展開でもあるんですよね。なんでって、残りの話数でまとめ切れないだろうって事もあるんですが、なにより「面白く」描かれるイメージをほとんど持ち得なかったから。
…というか、僕は今したり顔、どや顔で「やっぱ、難しいよねw」とか「それは頓智だよねw」とか批評しているのですが、じゃあ、お前には何かあるのか?と問われれば、それは何もない。思想や哲学として何か返せる事はあるかもしれませんが、それを「物語」(エンターテイメント)として昇華し得るビジョンがあるのか?と言われればこれは皆無。おたくがしたり顔で後出し評価をしているに過ぎません。

しかし、「魔王x勇者」は正にこういう選択から「物語」をはじめているんですよね。最初の1スレ目の冒頭の方は、楽しく読んではいたのですが、まあ、よくある魔王と勇者の対話のパロディの一つ……という感覚がないではなかった。その次の展開「じゃあ、どうするんだ?」で馬鈴薯(じゃがいも)の栽培、普及から話をはじめた時は、シビれました。
それは、上に挙げた作品だけではなく、様々な「物語」~この場合はインフレの性向を持つ英雄譚エンターテイメントと言うべきですね~が、挑み、世界の在り様の前に足踏みをしてきた事に対して、本気で真正面から挑んだ「物語」であり、その「どうするんだ?」に“願い”や“希望“に任せてしまうような幻想のない、具体的に「どうするか?」を描いて、それがエンターテイメントとして成立している所が凄いwその天元突破ぐあいが「先の物語」になっていると思うんです。


さて、上に挙げたような作品、「ガンダム00」や「コードギアス」などが何処に行こうとして、何処まで行けたか?という観方を深めて行くと、「魔王x勇者」という物語の感慨もまた深まるんじゃないかと言う話だったんですが、「魔王x勇者」がものすごい正解の話(?)として、他の作品が正解に到れなかった作品かというと……いや、まあ、僕はこの文章で“一面の観方”として、そう言っているんですが(汗)しかし、少しづつの前進が、その突破に到る道筋をつけていたとも思うんですよね。そこらへんは、次の章で「情報圧縮論」を絡めた話でしていたいな…と。予定ですが。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




【脱英雄譚】

【今何処:魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~読むと圧倒される伝説】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/19374f7358fe16bfa8a4c8da769e0416

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次】
http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html

http://maouyusya2828.web.fc2.com/

(※既読者向けです)

いや、凄い物語でした。圧倒されました。総てのスレに名シーンと名セリフが溢れていて読み進める度に涙する程の感動がありました。まずはこの物語と、その作者であるママレードサンドさんに感謝です。

それから、この物語は単線の鑑賞にも(ある程度の「物語読み」としての感覚があれば)充分に耐えるものだと思いますが、同時に、これまでマンガ~アニメ~ゲームの“おたく界隈”で追われてきた“英雄譚”に対する「先の物語」を描いているという意味でも興味深く、感じ入るものがありました。そこには僕が物語に対して、ずっと追ってきた事に対する様々な角度の回答がいくつも散りばめられて描かれていました。僕なりのこの物語の紹介としてその一つ一つを追って行きたいと思います。

■戦いの果てにあるもの

勇者「だって、おれ。壊したり殺したりするばっかりで何にも作ってないじゃんね」

勇者「他人に見せられるような作品なんて一個も作ってないじゃんね」

勇者「だからさ」

勇者「だからもう、やめろよっ俺には微塵も云えた義理はないけどっ。壊したり殺したり、それで何かが達成出来たり偉いと思ったりするのさっ!!」


(「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」4スレ目より)


…(他にもいろいろありますが)このセリフとか抜き出している時点で、僕はポロポロ泣けてしまうんですけど(泣)でも、ここだけ抜き出しても今読んだ人は、どっかで聞いたような、セリフだと思ってしまうんじゃないでしょうか?だから、その背景を説明しなくてはならないですね。この物語~「魔王x勇者」に僕がどうして圧倒されたか?という話をする為に、まず、それまでの(日本のおたく界隈の中で)“英雄譚”~“ヒーロー”というものがどのように描かれてきたのかを書いて行こうと思います。

そもそも、この勇者が辿り着いた境地。これ自体は何ら革新的なものではありません。正義のため、世界を救うため、戦って、戦って、戦い抜いたその先には結局何にも残らなかった…という物語は遙か昔からあります。
いや、日本の歴史的に見れば、敗戦の時、それまでは日清、日露から太平洋戦争の緒戦まで、勝った勝った、まだ領土が増えたと浮かれていたけど、それが“正しい事!”と思っていたけど、敗けてみたら、終わってみたら、ただただ虚しいだけだった…という“物語”からはじまっているかもしれないです。……おたく的に言えばアニメ・ブームの火付け役となった「宇宙戦艦ヤマト」(1974年制作)の時点でも、それは言及されている。

正体不明の殺戮者・ガミラス帝国本星を滅ぼした時、主人公のセリフは「俺たちがしなくてはならないのは戦う事ではない。愛し合うことだったんだ!」でした………………正に“俺には微塵も云えた義理はない話”に思いますが(´・ω・`)ショボーン まあ、ともかく“物語”の世界ではずっと昔からそれは観えていた。戦いの果てに自らの行為を断罪する話は、こちらの記事などで書いたりしていますが…(↓)

【絶対悪ってなに?(´・ω・`)善悪逆転編(1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a58f2370c3f40af6e878fcdc2c97b64a
法螺貝の声「ポセイドンの像を動かしたのもトリトン、お前だ!!我らポセイドン族を総て殺したのもトリトン、お前だ!!像を倒さぬ限り世界が破壊されるようにしたのもトリトン、お前だ!!」
トリトン「(狼狽えながら)ちがう!!みんなポセイドンが悪いんだ!!」

それこそ、富野由悠季監督なんかは「海のトリトン」(1972年制作)や「伝説巨神イデオン」(1980年制作)で、自分たちの身を守るために戦い続ける事、それすらも“悪”ではないのか?~自分がそう信じているだけで、その正義を保証するものはどこにも無い~という断罪の仕方をしているワケです。しかし、“彼ら”は「では、どうするのか?」という答えを結局持ち得ず、対処療法的に戦いを続けたんですよね。

「ヤマト」は第一作でその境地に辿り着いた後も、相変わらず戦いに戦いを重ねて、数多の星間国家を滅亡させて行くわけです。…つか、ヤマトさん、暗黒銀河一個吹っ飛ばしています…銀河っすよ?銀河(´・ω・`)真田さんは「新しい銀河の誕生だ…」とか言って、ドヤ顔でした…(´・ω・`)
富野監督のロボットアニメも相変わらず毎回何の反省もなく戦い続ける作品ばかりだったワケです。(…って、言い放っちゃうだけだと良くないかも。富野監督自身が発した“断罪”については、自身の作品…「ザンボット3」や「ガンダム」なんかで返してはいますね)要するに“彼ら”は“知ってはいた”。しかし“知っている”だけだったんです。ぶっちゃけて言うと「でも、仕方がないよね?」というロジックで、のうのうと戦い、「ヒーロー」に成り続けたんです。
…いや、やたら(自分の大好きな)古典作品を貶しているように観えるかもしれませんが(汗)これは、ある一面のものの見方であってそこだけでは作品の価値は決まらない。また、その時代、その時流で発せられる価値のある“言葉”というものも自ずと違ってくるものでしょう。
しかし、「魔王x勇者」の物語はそういう物語ではなかったのもまた事実です。この物語は懸命にその「答え」を捜した。数多の「ヒーロー」たちが“停滞”したその場所から前に進む事を選んだ物語。「先の物語」なんです。

「魔王x勇者」の勇者のセリフが僕の胸を打つのは、彼が“知っている事”を披露しているからじゃないんです。彼の視線には、正に“別の答え”がはっきりと宿っているからなんです。「俺は今、別の答えを観ているんだ!知っているんだ!それを皆に伝えたいんだ!」という叫びだから胸を打つんです。「その答えにたどり着く道を、どうか、壊さないでくれ!」という懇願の叫びだから泣けるんです。

■別の答えというもの
戦いの果てに「ヒーロー」が出した答え……という物語において、たとえば「るろううに剣心」(1994~1999年、作・和月伸宏)という作品は一つの示唆になるかもしれません。
幕末において様々な剣客と渡り合い、維新回天の影の英雄となった男・緋村剣心という「ヒーロー」は、その後、剣から刃を抜き(逆刃刀)“不殺”の誓いを立てて「自分の手の届く範囲の者たちだけでも救いたい」という宣言をするんですよね。前項を読んだ人なら、なぜ、剣心が戦いの果てにこういう“答え”に辿り着いたのか?は大体分かるんじゃないかと思います。

本当は完全に剣を捨てるのが正しいのかもしれないのですけどね。しかし、この男はやっぱり人間は救いたいんですよ。(エンタメの都合としても戦いが欲される)だから「自分の手の届く範囲の者たちだけでも救いたい」と宣言をするんですね。この言い回しはけっこう重要で、逆説的に言えば「世界(この場合日本)を救わない」と宣言しているようなものです。
そして、それは“不殺”の誓いと大きく関わっている。それは何かというと「殺す覚悟もないのに、世界なんか救えるわけがない」からなんですけどね。「るろうに剣心」は、明治時代の歴史的人物を作中登場させている事もあって、ややリアル指向の部分があり、それ故、その限界値(人を殺さないで救えるもの)は強く示されています。世界を救う…この場合、日本を救う行為とはどういう事か?は剣心の戦友である維新元勲たちの行動によって対比されているワケです。

いや、結果としては、マンガ的絶対武力保持者である緋村剣心は、戦いの果てに世界(日本)を戦火から救う事に成功するんですけどね。つまる所、彼の手の届く範囲とは世界を救う事にまで達し得る、紛れもない「ヒーロー」だったと言う事なんですが、その後、物語は「では、お前の手の届く者たちなら救えるのか?実はそれさえも、まともに出来はしないのではないか?」という展開をして行き、あくまで物語は“救う事の限界”を突き詰めて行く作品となってい来ます。

近い時期の、もう一つの“不殺”作品として「トライガン」がありますが、あちらは主人公を人外の超人「ヒーロー」にする事によって“不殺”を貫きつつも“世界を救う”という物語を実現しています。この比較は「面白く」て。言ってしまえば、殺したり戦争をしたりするのは絶対の悪であり、「ヒーロー」は悪に手を染めてはならない、かつ、世界を救わなくてはならない…とロジックを組むならば、必然的にその「ヒーロー」の超人度は高めに設定せざるを得なってくる。しかし、これの極まってくるとそのキャラは“デウス・エクス・マキナもどき”になって行くわけで、これが果たして“世界を救う”というテーマを体現し得るものか?という問い掛けも強くなる……

…え~(汗)何がいいたいのかと言うと、それくらい「世界を救う物語」というのは難しいという事ですね。「むかしむかし~ある所に勇者がいて彼は旅立って魔王をぶっとばしました。それからは世界中の人々がしあわせに暮らしましたとさ~」って言うおとぎ話に対して「本当にそうなの?」という疑問を持ったら…という意味ですが。
現実の世界を救う難しさを説きたいのではなくって、おとぎ話の世界においてすら世界を救うのは難しいというか、逆におとぎ話の世界だからこそ難しい面もある。この「るろうに剣心」の選択は、その事を端的に表現しています。

つまる所、彼は正しく在るために“世界を救う”事を諦めたんです。(繰り返しますが、その見方だけで作品の価値は決まらない)明治の元勲たちが日本という国を救うために東アジアを戦場にしていったアンチ・テーゼとしてその選択はあるんですけどね。より大きなものを救おうとするとそうなる…と。だからそうしないと。

実はこの選択は、この時期移行、多くはハーレムメーカー系の物語なんかで追求されていった「主人公」像なんですよね。全てではないですが、世界なんか知った事ではなく、とにかく自分の目に観える者、手に届く人を救おうとそれだけに奔走を続けるタイプのキャラがよく見られるようになったと思います。…が、それは本筋ではないのでまたの機会として…。

とまれ、それは「世界を救う物語」の別の答えではない…と思うんですね。世界を救う事を(意識的に)考え無くなっただけであって。

……じゃあ、どうするのか?……続きます。(↓)

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「先の物語」という意味(その2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/463b4de3919163ad00aa98250584512b


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )




放送は終了しました。下記に録音データをアップしました。さらに下記に結果発表してあります。

【今期選考(2010年1Q)その1@あにめラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/radio/animeRadio-100424-1.mp3

【今期選考(2010年1Q)その2@あにめラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/radio/animeRadio-100424-2.mp3

【漫研インターネットラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/

■作品選考:「バカとテストと召喚獣」
(以下、候補)
・「刀語」
・「デュラララ!」
・「おまもりひまり」
・「とある科学の超電磁砲」
・「バカとテストと召喚獣」
・「バトルスピリッツ少年激覇ダン」

■サブタイトル選考:「バカとテストと召喚獣」第2問 ユリとバラと保健体育
(以下、候補)
・「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」
  #01 プロムナイト
・「おまもりひまり」
  第8話 Curiosity killed the cat
・「デュラララ!」
  #11 疾風怒涛
・「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」
  第五話 山踏ミ・世界ノ果テ
  第六話 彼方ノ休日・髪結イ
  第七話 蝉時雨・精霊流シ
  第八話 電話番・緊急事態ヲ宣言ス
・「バカとテストと召喚獣」
  第2問 ユリとバラと保健体育
  第9問 キスとバストとポニーテイル
・「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
  第22話 メテオヴルムvsヴァルハランス!
  第27話メテオヴルム散る・異界王VS激突王!
・「刀語」
  第3話 千刀 剣
・「とある科学の超電磁砲」
   #24 Dear My Friends

■キャラクター選考:異界王(CV:小山力也)「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
(以下、候補)
・神宮寺くえす(CV:松岡由貴)「おまもりひまり」
・奇策士とがめ(CV:田村ゆかり)「刀語」
・坂本雄二(CV:鈴木達央)「バカとテストと召喚獣」
・硯秀斗(CV:阪口大助)「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
・異界王(CV:小山力也)「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
・霧島翔子(CV:磯村知美)「バカとテストと召喚獣」
・吉井 明久(CV:下野紘)「バカとテストと召喚獣」
・ミナ・ツェペッシュ(CV:悠木碧)「ダンスインザヴァンパイアバンド」
・デザトリアン(CV:金田朋子)「ハートキャッチプリキュア!」

■OPED選考:「裏切りの夕焼け」(「デュラララ!」OP)
(以下、候補)
・「裏切りの夕焼け」(「デュラララ!」OP)
・はなまる幼稚園ED全般
・「Alright!ハートキャッチプリキュア!」(「ハートキャッチプリキュア!」OP)
・「フレンズ」(「ダンスインザヴァンパイアバンド」OP)
・「青空トライアングル」(「はなまる幼稚園」OP)
・「発動!!らぶビーム☆」(「はなまる幼稚園」4話ED)orED全般(中盤まで)
・「BEAM my BEAM」(「おまもりひまり」ED)
・「Alright!ハートキャッチプリキュア!」(「ハートキャッチプリキュア!」OP)
・「光の旋律」(「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」OP)
・「勝って泣こうぜッ!」(「イナズマイレブン」OP)
・「LOVE×HEAVEN」(「でれぃ×ばと!」OP)

■特別選考 … 該当なし

寸評:う~ん……なんかその場の勢いで「バカテス」に寄ってしまっていますが……やはり、落ち着いて考えてみると作品選考については「とある科学の超電磁砲」の方がよかったような気もします…(汗)反省して次回に生かそう(´・ω・`)


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




ルイさんとネットラジオをやります。四半期恒例…にしたい。1~3月期アニメ選考ですね。

4月24日(土)16:00(3時間くらい予定)

場所:livedoorねとらじ http://ladio.net/

テーマ:2010年1Qアニメ今期選考
【漫研インターネットラジオ】
http://www.websphinx.net/mv/

掲示板:http://www.websphinx.net/mv/chat/chat.php

URL:http://std2.ladio.net:8110/animeRadio.m3u

掲示板、放送URLは当日掲示します。よろしくお願いします。


【候補作品】…まだ叩き台…とりあえず思いつくものを書いた程度でこれから精査して行きます。
http://www.tsphinx.net/manken/hyen/hyen0350.html

■作品選考
・「刀語」
・「デュラララ!」
・「おまもりひまり」
・「とある科学の超電磁砲」
・「バカとテストと召喚獣」
・「バトルスピリッツ少年激覇ダン」

■サブタイトル選考
・「ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド」
  #01 プロムナイト
・「おまもりひまり」
  第8話 Curiosity killed the cat
・「デュラララ!」
  #11 疾風怒涛
・「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」
  第五話 山踏ミ・世界ノ果テ
  第六話 彼方ノ休日・髪結イ
  第七話 蝉時雨・精霊流シ
  第八話 電話番・緊急事態ヲ宣言ス
・「バカとテストと召喚獣」
  第2問 ユリとバラと保健体育
  第9問 キスとバストとポニーテイル
・「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
  第22話 メテオヴルムvsヴァルハランス!
  第27話メテオヴルム散る・異界王VS激突王!
・「刀語」
  第3話 千刀 剣
・「とある科学の超電磁砲」
   #24 Dear My Friends

■キャラクター選考
・神宮寺くえす(CV:松岡由貴)「おまもりひまり」
・奇策士とがめ(CV:田村ゆかり)「刀語」
・坂本雄二(CV:鈴木達央)「バカとテストと召喚獣」
・硯秀斗(CV:阪口大助)「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
・異界王(CV:小山力也)「バトルスピリッツ少年激覇ダン」
・霧島翔子(磯村知美)「バカとテストと召喚獣」
・吉井 明久(下野紘)「バカとテストと召喚獣」
・ミナ・ツェペッシュ(悠木碧)「ダンスインザヴァンパイアバンド」
・デザトリアン(金田朋子)「ハートキャッチプリキュア!」

■OPED選考
・「裏切りの夕焼け」(「デュラララ!」OP)
・はなまる幼稚園ED全般
・「Alright!ハートキャッチプリキュア!」(「ハートキャッチプリキュア!」OP)
・「フレンズ」(「ダンスインザヴァンパイアバンド」OP)
・「青空トライアングル」(「はなまる幼稚園」OP)
・「発動!!らぶビーム☆」(「はなまる幼稚園」4話ED)orED全般(中盤まで)
・「BEAM my BEAM」(「おまもりひまり」ED)
・「Alright!ハートキャッチプリキュア!」(「ハートキャッチプリキュア!」OP)
・「光の旋律」(「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」OP)
・「勝って泣こうぜッ!」(「イナズマイレブン」OP)
・「LOVE×HEAVEN」(「でれぃ×ばと!」OP)
■特別選考


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )






「3月のライオン」4巻買ってきました。素晴らしい。宗谷vs島田……これだ。この「物語」が観たかったんだ。この遙か遠い物語が観たかったんです。3巻から登場した島田八段が本当にカッコよくて…カッコよ過ぎ!!

遠い物語が好きなんです。とにかく遠い、遠い、遠い、物語が好き。

物語は、第1話で、主人公の桐山零が、育ての父親である幸田棋士のリーグ入りを叩き潰す所から始まりますよね。その後、自らが勝ち上がる事で幸田の娘、息子である、香子と歩の人生も破壊している事が語られる。……ま、どちらか一方しか上がれないという設定じゃないのだから、実際問題としては、幸田がリーグ入れなくても、香子や歩が奨励会から上がれなかったのも、桐山くんの勝利とは、それほど大きな因果があるわけでもないのでしょうけど、ともかくそれを主人公が目の当たりにして心に刻み、おそらく心にとても大きな傷を背負った所からはじまります。


――まだ、この先――

主人公が辿り着いた、その“先の世界”。そこで二人の人物との出会いが描かれる。65歳、引退間近の老棋士・松永七段。ギャンブルで身を持ち崩して離婚した安井六段。どちらも自分が“届かない事”に気づいてしまった者たちなんですね。届かない…といっても、それで必ずしも人間の価値が決まるわけではないですが、でもここは“将棋の強さ”という価値を競う場であり、人々はそのために集い、そして“先へ進める”人間である事も、“届かない”人間である事も容赦なく裁定されて行きます。



「知らん。知るもんか…勝った時は叫びだす程嬉しくて、負ければ内臓を泥靴で踏みにじられるように苦しくて、世界中に「生きる価値無し」と言われたような気持ちにさいなまれた……なのにっ、それなのに辞められなかった。この気持ちを、そんなっ、言葉なんぞで、言い表せるものかっっっ」



「わかったよ。よーするに君は「オレが途中で投げた」って言いたいんだろ?8六歩から嫌みをつけて9五に桂を打って……あーうんうん。確かにそーだね。気がついていたら絶対指してたね。でもなぁー。気がつかなかったんだもん、しょうがないよね。そりゃあ、君にはわかったかもしれないけどさ。オレにはわからなかったんだから、仕方ないだろう?」

どちらも棋士としては底辺を這いずり回るような存在として描かれています。それは“届かない事”に自分が気づいた時、ただただ負けを繰り返しても、みっともなかろうが、なんだろうが将棋にしがみつき続ける事を選んだ者と、適当に「しょーがない」で自分を誤魔化して生き続ける事を選んだ者なんですよね。

……でも、彼らは香子や歩がどうしても到達できなかった“先の世界”に辿り着いた者たちでもあるんですよね。………いや、キャラクターとしては香子ちゃんのほうがずっとずっとカッコいいと思うんですけどね(汗)wでも、それと“将棋の強さ”は別の話で。……奨励会に集った多くの人々の、あらゆる挫折を尻目に辿り着いた“その先“にあったものは……また変わらずに挫折と怠惰が襲いかかる世界だったと言う事です。それらを振り払って進む者たちだけが“先の世界”へ行ける。


――まだ、この先――



「「勝てるかもしれない」―――と思える人間がそのまま「勝つ可能性のある」人間だったりするのだ。オレにはねーよ、後藤を破って島田さんとむかい合うビジョンなんて。つまり、そーゆー事だ。だが、しかし。そっからも更に生き汚く「勝ち」ににじり寄ろうとするのが、またプロの仕事ってヤツなんだよね」

それでも“届かない事”を感じつつも、さらに“先に”行こうとする人間としてスミスは描かれている。桐山の頭をカチ割る、島田さんもこの道を行き、そして遙か先にいる者として~どちらが好いかは分からないのですが、至って軽やかなスミスと違って、島田さんは文字通り身と命を削るようにして先に行こうとしている者として~描かれていますね。



「宗谷は、「天才」と呼ばれる人間のごたぶんにもれず、サボらない。どんなに登りつめても決してゆるまず、自分を過信する事がない。だから差は縮まらない、どこまで行っても。しかし、「縮まらない」からといって、それが、オレが進まない理由にはならない。「抜けない事があきらか」だからって、オレが「努力しなくていい」って事にはならない」


――まだ、この先――

そうまでして手に入れた宗谷名人への挑戦権が、四タテで、故郷・山形での対戦にすら持ち込めず終わってしまう残酷な結末。いや、それ以上に、極限の戦いの中で命を削って「読ん」でいたはずなのに、一筋の光明を見落としてしまう残酷さ。宗谷に勝てないと“諦めてしまった”事に気付かされる残酷さ。精進する事、前に進む事が、当たり前の世界で、むしろそんな事を意識したり、強く念じたりする事自体が“隙”につながって行く。それがその“先にある世界”。



そこで島田さんは遂に宗谷名人に勝つビジョンを語る事ができなかった。ただ、なんとしても勝ちたいと意を決していただけ。(それは、スミスと同じ景観とも言えます)しかし、宗谷に勝つビジョンを語り、心が折られる事がない“化物”たちがそこには居て…。そして、それら“化物”たちがまるで歯が立たない、はるか“先”に宗谷は居る――――。

好きですね。この道の“遠さ”が。一人の人間が、その生命を賭すに足る“世界”だと思う。多分、どこまで行っても終わりなんかなくって。

桐山零という少年がこの激しい“勝負の世界”に身を投じ、何を観、何を感じて行くのか…それはそのまま(あらゆる人々への)人生そのものの物語になって行くのだろうと思います。……まだ、五島の物語も残っている。二階堂の物語も残っている。この先が楽しみです。


3月のライオン 4 (ジェッツコミックス)
羽海野 チカ
白泉社

このアイテムの詳細を見る


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




【脱英雄譚】

【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」】
http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html

http://maouyusya2828.web.fc2.com/


ペトロニウスさんに勧められて読み始めたのですが……この物語、凄すぎます。
どこが、どう良いのか?どこが、どう凄いのか?は、また改めて文章に起こしたいと思いますが、まずはご紹介まで。

とにかくその重厚な物語に圧倒されましたね。全編、名場面、名台詞のオンパレードでした。また、僕が観たいと思っていた「先の物語」を描いてくれています。
これが、ネット上の片隅に置かれているだけなのは勿体無さ過ぎます。誰か見出して世に送り出して欲しい。まずはご一読を。


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )




【4月第1週:エンジェルボイス 第143話 強い相手】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10456.html#633

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



TVドラマ化された「ヤンキー君とメガネちゃん」(作・古河美希)ですが、品川くんの昔なじみ、八王子さんの席巻芳しいですね。面白いのは本家“メガネちゃん”である足立さんが、メガネとはずした頃から代わりのように出てきた“メガネちゃん”キャラなんですよね…。タイトルは「~メガネちゃん」であって足立さんじゃないから、“メガネっ子”であればヒロインは誰でもいいはず…なのだ!(`・ω・´)という、恐るべきロジックでヒロイン強奪街道をひた走っている…のかも?

ここで、いつもの僕だとこのメインヒロインじゃない子…つまり二位ヒロイン(?)が「強く」出るとかなり食いつくはずなんですが……どうもそんな食指が動いていません?(´・ω・`)何だろ?
まあ、そもそも「ヤンメガ」ってラブコメじゃない……ですよね。全くラブコメ要素が無いわけじゃないけど、そこは主題じゃない…何と言うか“男女の友情マンガ”というかそんな感じの作品に思います。んでも、まあ、他の展開、ラブコメ的展開とかも観てみたい気がしないでもないかもしれません。いや、どっちでもいいのですが(`・ω・´)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




続きです。

【岡本喜八監督作品 今何処ベスト8(その1)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/6e67003ada989815a793e29a496908f6

■第5位 「江分利満氏の優雅な生活」(1963年/モノクロ)
江分利満氏の優雅な生活 [DVD]

東宝

このアイテムの詳細を見る

■あらすじ:江分利満氏は、酒造メーカーのうだつの上がらないサラリーマン。戦中派、三十六歳。頭がはしっこく回るわけでもなく、だらしがない。それでいて営業部にいたりする。あまり役に立っていない。そのくせ酒癖が悪く、飲みに行くといつも周りの人間に絡み出し、切々と説教とも愚痴とも雑学ともつかぬものを語り出すのだった。酒場で知り合った出版社の編集が、その“語り癖”に目をつけ、是非、うちの雑誌に原稿を書いてくれないかと持ちかける。江分利氏は酔ったいきおいで依頼を快諾する。…次の日、酔いが冷めて自分が原稿の依頼を引き受けた事を知った江分利氏。………困った。俺は一体なにを書けばいいんだ?

■評:この後、江分利満氏の他愛もない独り言が延々と続くわけですが、これが何とも「面白い」w父親は起業と借金を繰り返して遂に破産して落ちぶれて、その借金は自分にものしかかっている。ようやく得た息子は喘息に苦しんでいる。それでも楽しくつらく生きている。
不幸にも負けず、清く正しく生きている……そんなお涙頂戴な話じゃない。不幸を嘆いて恨み、酒を飲んで管を巻き、周りに当り散らしたり、ぐっと堪えたり、そうやって気を晴らして、才能無く、だらしなく生きている。それが素晴らしいんじゃないかw

もしも、江分利が、発作の夏子と喘息の庄助を抱えて、もしも、この世を何とか過ごしたとしたら、これは大変な事じゃないか?壮挙じゃないか?才能のある人間が生きるのはなんでもないことなんだよ。宮本武蔵なんて、ちっとも偉くかないよ、アイツは強かったんだから!ほんとうに偉いのは一生懸命生きてる奴だよ、江分利みたいなヤツだよ!

こんな痛快なセリフを吐きながら、無二の、普通の人生を生きて行く物語です。どうも調べると興行的には相当失敗した映画だったみたいなんですが…。いやぁ、僕はこの作品、すごく力強いエンターテインメントだと思います。


■第6位 「斬る」(1968年/モノクロ)
斬る [DVD]

東宝

このアイテムの詳細を見る

■あらすじ:天保年間のとある小藩に二人の男が流れ着く。一人は百姓に嫌気がさして武士になりたくて村を飛び出した男、田畑半次郎(高橋悦史)。もう一人は侍に嫌気がさしてやくざに身を落とした男、兵頭弥源太(仲代達矢)。半次郎はこの藩が侍を募っていると聞いてやって来たのだが、果たしてその直後、領民に圧制を強いていた城代家老が七人の青年武士たちによって斬り殺される。
しかし、それは新たな陰謀の幕開けに過ぎなかった。半次郎は城代家老へのなり代わりを画策する次席家老の鮎沢(神山繁)の集めた浪人隊に入り、源太は鮎沢によって秘密裏に始末されようとしている七人の若侍たちを守ろうと奔走しはじめる。

■評:岡本喜八版「用心棒」+「椿三十郎」といった感じの映画ですね。冒頭の雰囲気やそのごの展開など、かなりそのものという感じです。まあ、間違いなく岡本監督は“それ”を意識して作ったでしょう。それでいてラストの何とはなし(?)の明るさとか、端々の演出には岡本喜八監督らしさが出ています。いや、正直に言うと、僕は「用心棒」や「椿三十郎」より、こっちの方が好みだったりします(汗)

「戦国野郎」と同じように幾つかの勢力がそれぞれの思い思惑で行動し重厚なストーリーを編み成して行きます。また、ラストの対決で、拷問を受けてまともに刀を振ることも、歩くこともできない源太が、狭い茶室で藩内一の使い手と言われる家老の鮎沢を斬り殺すシーンは圧巻です。“決着のカッコ良さ”があります。


■第7位 「地獄の饗宴」(1961年/モノクロ)

■あらすじ:カメラを手に繁華街で外国人の売春屋を生業とする男、戸部(三橋達也)は、道端に落ちていたフィルムを拾い中身を現像してみるが、そこには戦時中に上官だった男、伊丹(田崎潤)が女と写っていた。この写真が金になると踏んだ戸部は伊丹の経営する会社に乗り込むが、伊丹は会社の金を持ち逃げして死んだ事になっていた。伊丹が生きている事を知った戸部は、伊丹の愛人・冴子と組んでさらなる大金を手に入れようと立ちまわるが…。

■評:何ていうか最もノーマルな岡本喜八の面白さを抜き出した映画に思えました。ウェルメイドという言葉がぴったりくる。先に暗黒街シリーズ三部作というか…ギャングものの連作の集大成的な完成度を持った作品です。悪党・戸部と、悪女・冴子の面従腹背さだかならぬ共闘劇のやりとりで、ぐいぐい物語を引っ張って行きます。
パターンとしては、小悪党(チンピラ)が大金を手に入れるために危険を冒して滅びの道を歩む……僕は「チンピラ・エレジーもの」って言うんですが、その類型に入ると思うんですが、世の中なめて甘い夢見ておっ死んでしまう「チンピラ・エレジー」と一線を画すのは、主人公が戦地を生き延びた男だからなんですよね。「俺は殺しはしねえ」って言うんですが、単なるカッコつけを超えた重い言葉です。それが作品に強い陰影を与えています。


■第8位 「近頃なぜかチャールストン」(1981年/モノクロ)
近頃なぜかチャールストン [DVD]

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

■あらすじ:道端であった女を追いかけて婦女暴行未遂で留置所に入れられた小此木次郎(利重剛)はそこで、日本人を止めてヤマタイ国の国民となったという奇妙な老人たちと出会う。気になった次郎はヤマタイ国を探したが、そこは次郎の蒸発した父親が無償提供している家だった。そこがヤマタイ国の領土なのだ。不法入国で捕まった次郎は、やがてヤマタイ国の労働大臣に任命されるが…。

■評:ユーモアとペーソス溢れる反戦ものと言う評が一番しっくり来ます。しかし、不思議な作品なんです。たった一軒家の独立国の中で、老人たちが総理大臣やら外務大臣やら大蔵大臣やらを名乗っている。その突飛な、一種シュールな展開にまず引きつけられます。そして、その冗談に込められている老人たちの思いを次第に受け止めてゆく中で、何と言うか、この勝手気ままな、犯罪もものともしない、いい加減で、優しさに溢れた生き方が、案外悪くないかも……って思わされた時、その映画にどっぷりはまっている事に気付くんですねwそして、そんな喜劇でも「生と死」はやっぱり在るのだ…というラストは強く心に残ります。


こんな感じでしょうか…8つと決めていたので、選から漏れて心苦しいものもあるのですが…まあ、まあ、まあ。一つ言っておくと岡本監督を知る(?)という意味では「肉弾」(1968年)をオススメしておきます。豊橋の陸軍予備学校で終戦を迎えたという岡本監督の“肉声”に一番近い作品じゃないかと思っています。

では。そんな感じで。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




先日行ったラジオの録音データです。

【「蒼天航路」@まんがラジオ】(参加者:GiGiさん、かんで。さん、LD)
http://www.websphinx.net/mv/radio/mangaRadio-100411.mp3



極厚 蒼天航路(1) (KCデラックス)
王 欣太
講談社

このアイテムの詳細を見る

地獄の家 (上) (講談社漫画文庫)
王欣太
講談社

このアイテムの詳細を見る

地獄の家 (下) (講談社漫画文庫)
王欣太
講談社

このアイテムの詳細を見る



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ