今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




【9月第3週:神のみぞ知るセカイ FLAG68 Every Good Girl Deserves Favor】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10429.html#605

【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



「神のみぞ知るセカイ」のサマウォーズ編(?)が素晴らしかったです。「神のみぞ知るセカイ」は悪魔の世界から逃げた6万匹の“駆魂”を回収するために、ゲームの達人にして“落とし神”様と呼ばれている桂木桂馬が選ばれる物語。
今回の話は、桂馬が帰った田舎で出会った幽霊のような、駆魂のような、なんだか分らない女の子に出会うというもの。これまでの話の中でもベストの出来……いや、ストーリーや演出が“上手い”回はもっと他にあるのですが、これは純粋にテーマがよかったと言うべきなのか、素朴なセリフの一つ一つが心に染みるエピソードでした。結局この幽霊の女の子は、田舎の近所のおばあちゃんに駆魂が取り憑いていたために出てきた子だったんですけど、昔からの友達が次第に死別したり離ればなれになったりで無くなっていって、一人になってしまったその寂しさのスキマを埋めるために彷徨っていたと。ゲーム人間の桂馬は「現実(リアル)に居るからそんなスキマが出来てしまうんだ」と言い放つのだけど、そうすると、さめざめと泣いていたその幽霊は「でも…私、いい人生だったよ」と返すんですね。「今は一人でも…一人で生きてきた訳じゃない…」と。

そのスキマは自分が満ち足りて生きてきた事の証で、決して無くしたり何かと引き替えにできるものではないんですよ。

うむ…正に満ち足りた人生を送っていない者が観ると“死にたくなる”という謎のトラップ(?)まで踏襲した名作になっているの…かもYO?(`・ω・´)……いや、なんか変な茶々入れてしまいましたが、桂馬の最後の「スキマを受入れて…生きているんだ」というセリフも良くってね。読後、じん~わりと感動していました。
…ちょっとチャットの方では、スキマを受入れるなんて話をしてしまうと、今後の話の組み方に変な影を落とさないかとか思ってしまったんですが、長い人生を送ってきてそして今欠けているおばあちゃんの心のスキマと、これから長い人生を歩んで行く女の子たちの心のスキマはまるで違うものでしょうから、要らぬ心配ですね。

…しかしw「サマーウォーズ」が当たったからって引っ張ってきたであろう“田舎に行く”と“おばあちゃん”を出すなんていう、ある意味簡単なネタで、こんな名作が出来てしまっていいのでしょうか?w少なくとも「神のみぞ知るセカイ」が今、かなり“乗っている”連載である事の証左にはなりそうですね。この“神知るエンジン”は若木先生が完全に理解していて、いくつかの“お題”を与えれば「神知る」らしいエピソードとなって出てくる…と。まあ、そんなに簡単でもないでしょうがw
あと、今、巷では大変「ラブプラス」というゲームが流行っていて、僕は聞きかじり程度の情報しかないですが、これは桂馬くんはやるべきだろう…などとも考えました。しかし、これもよくよく考えると、ずっとずっと昔っから、桂馬は既に「ラブプラス」のセカイに居る男の子なんですよね。「ラブプラス」なんて無くても自らの妄想力で、そのセカイに入っていた。世間は「ラブプラス」を介してようやく、そのセカイを垣間見ようとしていると。むしろ、ようやく世界が桂馬に追いついたのだ…と言えるのかもしれません(`・ω・´)


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終了しました。録音データは(↓)です。

http://www.geocities.jp/ldtsugane/mv/MZradio-090928.mp3

※大体、1~2週間くらいで消しますのでそんな感じでよろしくお願いします。


掲示板:http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/radio/11307/1254023036/

本日22時から2時間予定でペトロニウスさん、かんで。さんと一緒にネットラジオをやります。話題は最近、ペトロニウスさんが取上げていたハーレムメーカーについて、それから新刊の出た「ヴィンランド・サガ」の話とかができればいいなあ~とか。
ペトロニウスさんの予定がタイトなので予定が変ってしまう事があるかもしれませんが予めご了解下さい。


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http://www.geocities.jp/ldtsugane/mv/izumino_ptronius-090919.mp3

ペトロニウスさんといずみのさんの「物語三昧ラジオ」の録音データを掲示します。データは大体1~2週間くらいで消えます。「サマーウォーズ」、「からくりサーカス」、「ハーレムメイカー」などを話題としていますね。

【物語三昧:ハーレムメイカーは、物語の時間性を奪うか?(1) 何を語って、何を目的としているのか?議論の前提を振り返る】
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090921/p1

「ハーレムメイカー」に関するペトロニウスさんの最新のエントリ。ちょっと止まっていましたが、ここらへんの言葉も整理して行きたいところですね。


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【9月第2週:バチバチ 第17話「初土俵」】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10428.html#604

【漫研】
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バカメ!!……ミミ子を外したなあ!ミミ子を外したなあ!ヽ(`Д´*)ノ ……というワケで「鍵人」(作・田中靖規)なんですが、掲載かなり後の方ですねえ…。冷静に比較してみて、この連載より「弱そう」な連載がちょっと見当たらないので、相当やばそうな事が想像されます(汗)しかし、僕は好きですね。応援しています。何というか、この人のマンガをもう少し眺めていたい気にさせてくれます。
ストーリーが面白いワケじゃないです。まあ、いかにも“ジャンプっぽい”よくある物語で。あ、内容を紹介しておくと。文明が崩壊した世界で“鍵人”という自らの身体に埋められた錠を開く事で強力な武器を取り出しそれを振るう超能力者たちがいて。その鍵人を巡る陰謀に立ち向かう、褐色の少女・チルダ少佐と“断空の鍵”を持つ少年・ツバメの物語です。まあ、いかにも“ジャンプっぽい”よくある物語で。(というかジャンプでそんな想像を絶するような物語は滅多にお目にかかれない)

だから、これはそういうよくあるTVドラマなんかで、ちょっと光る役者さんを見つけた時のような感覚に似ている…のか?TVドラマ「六番目の小夜子」はストーリー自体良いけど、それでも他の「ドラマ愛の詩」シリーズと一線を画すのは、鈴木杏と栗山千明が出ているからだろうというか……違うか?というか例えがマイナーか?(汗)
まあ、それはそれとして、この作品のヒロインのチルダ少佐が何かいいんですよね。トーン子(褐色)だからいいよね!とか、おっぱいの形がエロくっていいよね!とか、いろんな誉め方があると思うのですが……なんかキャラクターがナチュラルなんですよね。こういう設計でデザインをしました!みたいなにおいがしない。それでいて強烈じゃない程のエッジ…つまりナチュラルにエッジが利いているキャラなので、割りと何をやっても…ああ、そこそこ強いんだ…とか、ああ、こういう事するんだ…とか、何か新鮮に感じる所があります。…というかこの人の前作「瞳のカトブレパス」買ってきたんですが、今回、この人が改善してきたのは“女の子を気合い入れて描く”事ですね(´・ω・`)

まあ、それだけだと僕もチルダいいね!いいね!言っとるだけなんですが。次に出てきたミミ子=トレマ、この子がいい!この子の“泣きべそ”の演技は本当によかった!wちっちゃい子の泣きを描けている。これは武器になるレベルで、だから今回のエピでトレマを外したのは不味かったんじゃ?って話になるワケですが…(汗)あと、ツバメのキャラが「弱い」ので後回しになりましたが、彼の「ギミック」である“断空”の描写は悪くないです。分りやすくて豪快で良い……はずが、どうも強すぎと判断したのか色々制限をつけてしまっていますよね。僕はもっと節操なくぶんぶん振り回せる方がいいと思ったんですけどね。(当然、敵側にそれを封じるだけのアイデアを必要とする)さらに、その断空の描写を支える背景がいいですね。これはアシさんが良いのか。荒涼とした空間が描けていて、それだけでこの世界に奥行きを与えています。

…そこらへん観て行くと、なかなか再現性の難しい連載に思えるんですよね。チルダ少佐は、あまり計算を感じないが故に、またこういうバランスのキャラに会えるかどうか分らない。“泣きべそ”の画は、確かに武器になる(再現性がある)と言いましたが、あんまり振りかざすと“嫌味”になる。主武装にはできない。あとアシさんとかね。悪くない配合が出ている気がするんですよね。……そんなワケで、もう少~し、眺めていたい連載なんですが、まあ強烈に「華」があるって話とは少し違うんで…どうなんでしょうねええw難しいかな(´・ω;`)


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【魔法少女大系】



『カードキャプターさくら』の録画終了。(…1話くらい逃したかな?)『カードキャプターさくら』(1998年制作)は小学生の女の子・木之本桜が、封印が解かれ町中に散らばってしまった魔法のカード“クロウ・カード”を回収するために様々な事件を解決して行く物語。クロウカードには様々な魔力特性があり、さくらはカードを回収する度に次第に使える魔法が増えて行きます。当時の人気は絶大で、2ちゃんでタイトルを冠する板があるのはアニメでは『エヴァ』と『さくら』だけじゃないでしょうか。
僕はこの「カードキャプターさくら」は非常に好きな作品なんですよね。魔法少女ものの最高傑作候補…とさえ思っています。まあ、最高傑作候補は他にもいくつかあるのですけどね(汗)魔法少女の一つの完成形、あるいは再生の作品と言った方が『さくら』の評価としては適切かもしれません。

【『魔法の妖精ペルシャ』の“別れ”の描き方】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/513bad1e60731857f705bbd8719fa618

ここでも少し触れていますが『クリィミーマミ』(1983年制作)ではじまった「ぴえろ魔法少女シリーズ」は、少女の心の変化や成長を描いて非常に高い評価を得ている作品シリーズでもあるんですが、その変化を描き、ストーリー性を取り入れたが故に次第に魔法少女の結論を目指して突き進んでいった作品でもあります。
「魔法少女」の結論とは何か?っていうと……それは、最初の魔法少女である『サリー』(1966年制作)の頃から言及のあった事で、ただこの頃は、絶妙のバランス感覚と1話完結制で何か問題があってもその1話で締めて、次エピに引っ張らなかった物でもあります。……いや、一体何かというと“魔法”というものは確かに万能であらゆる問題を解決してくれるんだけど、それ故に“解決してはいけない問題”があるって事なんですよね。それこそ言ってしまえば全ての問題は魔法=チート(ずる)で解決してはいけない物…って事なんです。
※ これが男の子向けの場合はどうなるかというと、この件について特に問題は発生しなかったりします。男の子の“超能力”の多くは“悪”と戦うために振るわれる限定的な武力である事がほとんどで、一般人に遠慮無しに振るわれる事を最初から良しとしていない。いわば、この問題の結論は既に出ている状態なワケです。(ただし「争いを続ける限り、お前は争いから逃れる事ができない」みたいな事は言われるかもしれませんw)また『ドラえもん』のようなパターンは、先述した結論がモロに見えている形であり、かつ徹底して1話完結制が守られる事によってこの問題を一要素として封じ込めています。当然、連続ストーリーとして“のび太の成長物語”をすればこの結論(最終回)に向かって突き進んで行く事になります。

この問題は特に80年代に入ってからは女の子の「あんなこといいな、できたらいいな」から「夢を叶える」という、よりテーマ性、ドラマ性を高めたワードに切り替えられた事によって作品としての統一感や精度を高めていったと同時に、少しづつですが「魔法少女の結論」に向かって歩を進めてく事になります。それこそ『ミンキーモモ(1982)』も、その最終回は普通の女の子(赤ん坊)になって魔法なしで“夢の国”フェナリナーサを取り戻すであろうシーンで幕を閉じている。そういった潜在的にあったものが『マミ』→『ペルシャ』→と歩を進めて、その“とどめ”の作品となったのが『魔法のスター マジカルエミ』という事になってきます。

『魔法のスター マジカルエミ』(1985年制作)は、マジシャン志望の女の子・香月舞が、妖精の力を借りて天才マジシャン・マジカルエミに変身できる能力を身に付けるという物語。エミのマジックのタネはおおよそ魔法ですね。だから本気でタネも仕掛けもないwこの作品の基本的な構造自体は、ほとんど『クリィミーマミ』と同じものです。しかし違っている部分は、『クリィミーマミ』が望んでアイドルになったワケではなかったのに対し『マジカルエミ』は元からマジシャンとなって舞台に立つことを“夢”としている点です。それはそのまま、時限的に魔法が失われて“シンデレラの魔法”が解けてしまう…でもそれを自然に良しとして幕を閉じる『マミ』のエンディングと、“本当の夢”を叶えるために自ら望んで魔法を捨てる「エミ」のエンディングの違いとなって顕われます。



エミの所属していたマジカラット団が解散し、団員たちもそれぞれの道を歩み始める。エミの公演が終わった誰もいない舞台で、魔法が使えなくなった舞は一人マジックの練習をする。もう消えてしまった妖精のトポを思い出して涙をこらえる。失敗して掌から球を落とす。零れた球を拾いながら舞は泣く。将が迎えに来る。舞はいつか再び立とうと願うその舞台を見つめながら、今は扉を閉じる。………という、そのラストは本当に名シーンで『マジカルエミ』を魔法少女ものの最高傑作に上げる人が多いのも納得なんですよね。

しかし、それ故というか、魔法少女における“魔法”というものを総括してしまったから『マジカルエミ』は魔法少女ものの“とどめ”になった作品とも言えるワケです。なにしろ「魔法は要らない」と言ってしまった~単純に最終回の描きだけでなく、人物同士の絡みを主体に1話1話が描かれ魔法の居場所が舞台だけに限定されて行く流れも持った作品だった~ワケでwその最終回は魔法少女そのものの最終回とさえ言える。

「人は魔法ではなく自分の力で物事を解決して行かなくてはならない~夢は自分の力で叶えなくてはならない」…これを言ってしまうと、仮に一時的な白昼夢(?)として魔法が許容されるとしても、その一時性は今述べたように“許容”のものであるという事になってしまうんですよね。そのため…とは言いませんが『エミ』の後番組となった『パステルユーミ』で「ぴえろ魔法少女シリーズ」は(一旦の)幕を閉じます。『ユーミ』は『エミ』の後番の当然の(?)帰結として、本来の…ある意味では古典的な魔法少女に回帰する事が目指された作品だったのですが、既にこのシリーズの視聴者年齢は上がっており、さりとて回帰路線によって低年齢の子供が戻ってくるわけでもなかったようで、「作り手」も「受け手」も回帰=懐古的なものを観るのは難しい状態だった事が伺えます。

また、この後、90年代に入るまで有力な魔法少女は生まれず、『魔法使いサリー』や『ひみつのアッコちゃん』のリメイクという形で魔法少女が供給されて行きます。(もう一つ、この時期のリメイクとして意味が深い『海モモ』がありますが、別の機会としたいです)……リメイクものが流行っている頃なので単純に『エミ』の影響という事でもないと思いますが、しかし、リメイクという看板がなければ魔法少女の企画自体日の目を見ていないという事でもあります。いや、実は『魔女の宅急便』(1989年制作)があるんですけどねw…あれは魔法が完全に生活の一部として認められた世界ですしね。また、別に魔法を一切使わないアイドルものの『アイドル伝説えり子』(1989年制作)(シナリオベースは大映ドラマですが、玩具やビジュアル的なメソッドはかなり魔法少女ものを継承していた作品に思えます)なんかが出ている事は興味深いです。
90年代に入って、この流れを一変させる『美少女戦士セーラームー「ン』(1992年制作)が始まります。また正当(古典?)魔法少女である『マリーベル』や『姫ちゃんのリボン』、『エミ』の路線を継承する「ファンシーララ」なんて作品も入って来ます。ただ『マリーベル』と『ファンシーララ』は僕は未見なんですが、単発で次代に繋がる感じはせず、やはり『セーラームーン』の一人勝ちだったように思います。しかし、『セーラームーン』を魔法少女ものとカテゴライズする場合もあるでしょうが、本質的に『セーラームーン』は“美少女戦士もの”という新ジャンルの発明でした。“魔法少女もの”からより爆発的にファンを獲得できる別のジャンルに転生したんですよね。(…………え?『ラ・セーヌの星』!?いやいや~わかってまんがな~そこは(´・ω・`;)でも、またね)そういう意味もあって、“美少女戦士もの”についての話も、また別の機会としたいです。とまれ、90年代は男の子から女の子までジャンル横断感のあった『セーラームーン』が席巻していて、類似のものが多く制作されて行きました。実は『カードキャプターさくら』もその流れの中で出てきた作品とは言えます。



ふうう~。えらく遠回りしましたが、ここでようやく『さくら』の話に立ち返れます(汗)僕がこの『カードキャプターさくら』の評価が高いのは本質的には作品としての完成度の高さです。特にアニメなんですが、第一話の完成度の高さに愕然となりました。その後の話も1話1話の楽しさを保ちつつシリーズものとしてのシナリオもバランスよく描いて行っている。…非常におたくっぽいCLAMP先生のキャラ組みに賛否もあるかと思うんですがwさくらをはじめとしたキャラクターたちも非常に可愛く(男の子も)描けていたと思います。
また“美少女戦士もの”が席巻している時代の影響が『さくら』にも、いくつか見えるのですが、やはりそこは一線を画している。それは『さくら』には倒すべき敵=悪がおらず、クロウ・カードを集めるさくらの活躍は全て、木之本桜という女の子の(内面の)成長の物語として描かれている。正にそこが本来の“魔法少女”のテーマを踏襲しているワケです。

そして、僕が『さくら』に強く惹かれるのは、今まで述べていた「魔法少女の結末」に対する回答が込められているからです。非常にシンプルで力強い答えです。それは「魔法を使うのは楽しい!!」って事なんです。ドラマとしての完成度が高い魔法少女作品はいくつもあります。しかし、その完成度の高さ故というか…ともすると、魔法が要らない話に走り勝ちになる事もまた事実なんですね。そして、それは突き詰めると『エミ』の結末を向いている。『さくら』はその別の答えとして「魔法で何を為すか?」ではなくって、(そもそも)「魔法が使えたら楽しい!!」そこに立返り、その一点を中心に据えて物語を作っている。それが堪らなく好きだ。
魔法のカードたちには、それぞれカード的な人格があり、カードとさくらは友達/仲間のようなものとして描かれ、多くの仲間の助けを借りてさくらは事件を解決して行く。また、カードの特性は限られていて、置かれた状況に合わせて、どのカードを使うか知恵を絞らなくてはならない。それもまた「魔法を使う楽しさ」です。僕のお気に入りのカードは、やはり“ジャンプ”ですね。“フライ”があるのに“ジャンプ”というのが、さくららしいwあと“シールド”とかね。置いて他の人を守れる所とかいい。単に花を咲かせるだけの“フラワー”とか、複製と言いつつ魔法カードとしての人格が出ている“ミラー”なんかも好きですね。それらを少しずつ集めて、少しずつ出来る事を増やして行くのですから愛着も一入です。

そして、カードを全て自分の魔力で発動させる“さくらカード”として物語は終わります。さくらの魔法は、既にさくらの一部であり、ここに来るまでに助け支えてくれた全ての人たちに感謝するこの女の子が、魔法を失う事も手放すこともない(勿論、魔法の国とかに帰る事もない。正体がバレても問題ない)。それは一時の覚める夢として描かれた魔法少女の結末とは別の、再生の物語であり、もう一つの「完成」であったと思います。

※ 「魔法少女になる!」という物語は直後に始まるこれまた超傑作の「おじゃ魔女どれみ」でも取り入れられて行きます。「さくら」の影響というより、魔法少女に対する“答え”のシンクロニシティでしょうね。しかし、この作品もまたの機会にします。…今回、後回しにしたものが多い事からも分るように、まだまだ全然語り足りないぜ!!(`・ω・´)



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「座頭市物語」(1974年制作)コンプリート。フジテレビ開局15周年記念番組との事。何話か観てみたのですが…なんだろうこのクオリティは?という感じの作品です。本当に、映画並というか、勝新太郎の怪物さというか存在感のすごさを思い知ります。…なんかフレームに入る全てが“画”になっている!ズングリむっくりの座頭市が(また、みっとも無くうどんをすすったり、わざとカッコ悪い振る舞いをするんですけどw)、雷電の如き居合で瞬間的に敵を倒すその美醜の融合が正に“勝新”によって成されているんですよね。

最終回の「ひとり旅」とか、相当シビれましたねえ…。市が、何を思ったのか、自分の生まれた村に戻ってきて子供の頃の自分を知っている和尚さんの元で暮らし始める。和尚さんは市の生業をどこかで見抜いていて、仕込み杖を差し出せと言う。…この時の市の動揺というか、わずかな拒絶の動きが絶妙なんですけど、とにかくそれで市は仕込み杖を出して、それは和尚さんの手によって、どこかに埋められてしまう。これで市は人斬る生活から足を洗える………かに思われたのですが、市の首には既に街道のやくざたちから五百両という大金が懸けられていた……という。プロット自体は、まあ、こういう“流れ者もの”によくある形なんですが、とにかくもう画の決まり方と演出の一つ一つが半端無い。



特に良かったのが…。この和尚さん、最後には追い詰められてどうにも守り切れそうもない市を守るために、座頭市に変装してわざとヤクザ者に斬られて座頭市が死んだ事にしようとします。そして実際にヤクザに斬られて死んでしまいます。この後、村人たちと市は一緒に和尚さんの亡骸を土に埋めようと穴を掘るんですが、その時に穴を掘る市の手元にあの仕込み杖が当たります。…運命とも言えるんでしょうね。とにかく和尚さんに取上げられた仕込み杖がこの時、市の手元に帰って来る。で、特に良かったのがこの時のシーン。

うつむいて顔の見えない市の、逡巡の“間”が、身が震えるほどよかった。

勝新のその演技に圧倒されます。長い沈黙の後、市はその杖を抱いて立ち上がります。身を呈して命をかけて守ってくれた和尚さんの言いつけに背いて市は再び仕込み杖を手にして、そして和尚さんを斬ったヤクザたちの復讐に向かう。この時に「ずっと、この村にいてくれ」と引き止めた村人たちに対して、市はその場で土下座して去って行くんですけど、この画もまた良かった。身を縮めて、震えるように(おそらく泣いているんだけど)地面に顔を擦りつける土下座をして去って行くんですよね。
鬼が泣くというか、化け物が泣くイメージを持ちましたが、そういう異形の者が人の心に身を震わせる程感謝しながら(いや、最初村人たちは市を追い出せって和尚さんに詰め寄ってたんだけどね。調子いいよねw)それでもその場を立ち去る。そんなシーンになっています。最初の市の逡巡は、それを決断するまでの迷いと衝動の念が凝縮された画になっている。

まあ座頭市はほとんど無敵の化け物なんでヤクザたちはあっという間に葬り去ってしまうんですが。それに混じって、ある二人のヤクザものを描いているところが、またこの世界を顕しています。一人は恐らく名うての渡世人で、市に賭けられた賞金を狙っているんだけど、市が刀を持っていない事を知ると、丸腰は斬らないと市が再び刀を持つまで待った男が居ます。ちょっとカッコいいんですよ。この人は座頭市の強さを目の当たりにしつつ、それでも戦いを挑んで市に斬られてしまいます。
もう一人は、やはりヤクザで、この渡世人や、市を狙うヤクザたちの間を立ち回って、情報料だけせびろうとするいかにも小者な男なんですね。先ほどの渡世人には「お前みたいなヤツが大嫌いだ」と言われて唾をかけられている。……でも、最後まで市に戦いを挑まなかったこいつだけが生き残るんですねwそうして斬られた渡世人の死体に唾を吐き返すんですwそういう筋目を通す者はさっさと死に去り、卑屈な小悪党だけがのさばる……そんな世界をまあ市が旅すると。そんな最終回。

他の話のクオリティも恐ろしく高くって、ちょっと凄い作品に思いました。続編の「新・座頭市」も何とか録りたいです。


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【9月第1週:スマッシュ! #143 ホント】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10427.html#603

【漫研】
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「幻仔譚じゃのめ」のここ何回かの単話が良いですね。元々、妖怪を取り扱った“あやかし譚”がすこ~しずれて“幻想譚”のような雰囲気になっています。「じゃのめ」は父親の再婚相手が蛇の精霊でその妖力を秘めた右眼を与えられた少女・朝灯が、義弟となった邑と共に行動して“あやかし”な事件と関わって行く物語ですね。

この回の話は、夜店で掬った金魚が家に持ち帰って見ると鉢を飛び出して宙空を泳ぎ始める。朝灯と邑は金魚を追いかけるが、そこには空に飛び出した金魚たちを回収する金魚すくいおじさんがいた。金魚すくいのおじさんは、露天の金魚たちがすぐに死んでしまう事を儚んで、“その筋”の人に頼んで、金魚が自分の元に帰ってくるように術をかけてもらっていたのだった…。って何かこう…商取引的には不味い事をしている気がするような、しないような……でも、突っ込まないのが“粋(いき)”な事のような………気もする?(´・ω・`;)

いや、この話、夜空の宙空を泳ぐ金魚たちの画がなかなか美しいのですよね。光の尾をひいて…。まず、その画有りきで話が組まれている。微妙に妖怪バトルみたいな事をやっている連載でもあるんですが…画の雰囲気も、ネームの組み方もこういう幻想的な話の方があっているんじゃないかと思います。


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【「懺・さよなら絶望先生」第8話Cパート「最後の、そして始まりのエノデン」】
http://www.tsphinx.net/manken/dens/dens0093.html#542

【漫研】
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この回の「絶望先生」が劇団イヌカレーを起用していて、なんというか……とにかく僕は気に入ったので、イヌカレーさんの紹介も兼ねて書きました。新房監督、イヌカレーさんけっこう使っているみたいですね。この回の使い方はかなり良かったように思います。


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【王の物語】

【8月第5週:幻仔譚じゃのめ 第39話 想い地蔵】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10426.html

【漫研】
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「ギャンブル・フィッシュ」の減圧デスマッチが面白かったです。まだ、決着ついていないんですが、その試合の途中経過が面白い!!w「ギャンブル・フィッシュ」は、獅子堂学園に転校してきた白鷺トムが、行方不明の父親の居場所を探すために様々なギャンブル・ゲームに勝ち上がって行く物語。今はラスベガスで世界中のギャンブラーを集めたトーナメント戦が行われていて、トムと、トムの宿敵である確率を超える悪魔・アビ谷もこれに参加しています。“減圧デスマッチ”はマフィアのボス、ドン・ロメロと、一匹狼の博徒・竜島との対戦で採用されたゲームですね。

対戦する二人のキャラクターとゲームのルールの組み合わせがなかなか秀逸で、実際にやるゲームは12個の差し込み口をもった黒ヒゲ危機一髪ゲーム(ゴキ島が生贄に…w)。ただし、この場合当たりを出した方が勝ちというルールです。これが簡単に当たってしまうとそこでゲーム終了で面白くもなんともないのですが、どうもなかなか当たらない秘密(謎かけ?)があるみたいです。…で、二人は密閉されたガラスの部屋でこのゲームを行っており、1回外す毎に部屋の空気を“減圧”されて行くんですね。11回外すと部屋は真空になって、当然死にます。そこまで至らなくても次第に減圧症などに苦しめられて意識を失う所まで行きます。そうなったら負け。
ただし、これを回避する方法も提示されている。プレーヤーは“勇者”と“チキン”(名称がまた二人の琴線に触れるんだよなあ…w)の2枚のカードを渡されており、1回外す毎に両者が“勇者”のカードを出すか、“チキン”のカードを出すか試される。この時、減圧に耐えられ無くって一方が“チキン”のカードを出せば試合放棄と見なされ敗者となる。ただし、両者とも“チキン”のカードを出せば気圧は元の状態に戻され、ゲームは続行される。つまり、両者が申し合わせて(一度でいいので)“チキン”のカードを出せば、減圧に因る死というデス・ゲームからは抜け出せるんですよね。

しかし!ですwこれ「囚人のジレンマ」という奴で、このゲームの最適な戦略は“勇者”のカードを出し続ける事一択なんですね。“勇者”のカードを出し続ける時のみ、自分の敗北の可能性を最大値で排除できる。逆に“チキン”のカードを出した時の敗北の可能性は相手も最適戦略を承知している以上、半々の50%なんてもんじゃなく限りなく敗北の可能性は上がるんですね。……あ、さらに、これ「囚人のジレンマ」よりもタチが悪いですねw「囚人のジレンマ」は少なくとも両者黙秘すれば“両者の勝利”があるのに対して、この減圧ゲームは両者が協力してもゲームが楽に続行できるだけで“両者の勝利”にはならない。どちらか一方を勝者とするゲームは続行される。そのくせ下限が両者の死によるダブルアウトが用意されている(汗)w
加えて、ロメロも竜島も己の意地と度胸で死線をかいくぐり続けてきた悪党同士。それこそ本当に死んでも“チキン”のカードは出せない者同士なワケです。ロメロも竜島も当然その事は分っていて、減圧が続いて気温は氷点下を超えて下がり死の危険が迫るにつれ、出来得る限りの交渉で、相手に“チキン”カードを出させようと奮闘する。でも……

竜島「ロメロの旦那…どうするよ?ここは戦術を変えるしか無さそうだぜ?」

ロメロ「やむを得ん…だが覚えてとけよ?裏切り者は死!!それがオレたちマフィアの掟だぜ」

竜島「てめェこそ裏切るなよ!!3つ数えて同時にチキンを出す!!いいな1!」

「2!」



あー!!!2人とも『勇者』だッ!!これで気圧リセットならずッ!!減圧続行だーッ!!!

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竜島「嘘じゃねェ…今度こそ『チキン』カードだ…!!ギャンブルは登山と同じ…勝ったところで生きて帰れなきゃ意味はねェ…!!くだらねェ意地の張り合いはやめて…この減圧地獄がら生還するんだ!!」

ロメロ「確かに…このままじゃあのサド園長の思うツボ…いいだろう兄弟!!今度こそ裏切りはなしだぜッ…!!」

「1…!」

「2…!」



「クソッタレェエェ~!!!!」


…となりますwいや、アイデアの乗ったバトル。それがキャラクターにマッチしたバトルは本当に面白いwどきどきワクワクしますw

※ちょっと「王」の話を……

ところで何ですが……。僕は、物語のキャラクターを評価する時に「正しい話(王道)」あるいは「王」という言葉を使う事があって(※ここでいう「王道」はストーリーにおける定番の、人気の、奇を衒う事のないパターンという意味とは違うもので、キャラクターの行動のあり方を評価するものです…いろいろ混乱を招きそうなので多くは「正しい話」、「正しい道」と言っているような気がします)、これはまあ、一種の「主人公論」みたいなもので、僕の作品評にいろいろ関わってくるのですが、実は説明するのが、なかなか難しい話なんで悩んでいます…。で、上の話、ちょっといい例になるかな?話せる機会かな?と思ったので、ちょぼちょぼと書き留めておこうと思います。

このゲーム…「減圧ゲーム」にしても「囚人のジレンマ」にしても、実は“本当の対戦相手”はルールを設定した学園長だったり、警官だったりして…まあ、神と言ってもいいんですが、本当に自分を試している相手、本当に勝利しなければならない相手は別の所にいるんですね。しかし、先述したように自分にとっての最適の戦略は、まんまとその相手の策略にはまったものになってしまう。理屈に拠る限りは、理論に徹する限りは、ここから抜け出す事はできない。理屈を超えた“何か”が必要になってくるんです。……とは言っても、理屈を超えるだけなら、熱血バカの主人公が考えなしに「たとえ可能性が1%以下でも!オレはそれに賭ける!」とか言ってチキンカードを出してもいいんですがwそういう話ではないです。

では、どういう事かと言うと、たとえばこのゲームって、相手が想定している“嵌めるポイント”がちょっとずれれば状況は全く別の物になってくるんですよね。たとえば相手が互いに助かる事を考えているなら、その選択はまるで違ったものになる。いや、片方だけでもどちらか一方が助かるだけで“勝利”と考えるなら、このゲームの“嵌め”となるポイントはずらされてしまって、プレーヤーがどうにも負けるゲームのはずが、プレーヤーがどうにも勝ってしまうゲームに一変するワケです。

仮に一方が悪党だったとしても→「バカが!こいつはチキンを出すと宣言したら必ず出すだろう!そしてオレは労せず勝利者となれる!自分の愚かさを思い知るがいい!!」→(相手の自信に満ちた眼差しを見て考える)→(チキンカードを出してしまう)→「くそ!くそ!こいつが『チキンカードを出します』と言って、オレが『はいそうですか』と勇者カードを出しても、オレはこいつに勝った事にならねえ!ただ勝ちを拾っただけだ!オレはオレの本当の力でこいつに勝つんだ!!本当の勝利を手にするんだ!」→とか、え~…僕はベタベタな展開しか思いつかないもんで恐縮ですが…(汗)まあ、こういうパターンあると思うんです。で、こうやって本来抜け出せない答えが出せないようなループに対して、理屈を超えたところで“ルールの書き換え”を引き入れてしまう。そういう展開を「正しい話」、その「正しい話」を必然的に体現して行ったキャラクターを「王」と僕は呼んでいます。

しかし、ちょっと待ってくれと。相手が助かる事も望むとか、そうやって状況が変れば理屈上の最適戦略も変るじゃないか。それに、そんな美味い状況ばかりが来るわけないだろう?とか。また、悪党が思い直すなんて偶然に過ぎない。それは最初に言った「たとえ1%の可能性でも…」の熱血バカとどこが違うんだ?それが必然的な話だとは思えない…と思う人もいると思います。
ここら辺から説明難しくなるんですが……たとえば、この話、絶対に相手を信頼しない人間には1000回やって1000回巡ってこない展開なんですよね。だから「自分が助からないと意味がないんだ」と考える人には、ちょっと考え方のピントが合い辛いかもしれない。別の考え方もあるかも?と思える人は伝わりやすいかもしれない。…つっても「正しい話」を2回か3回程度積み上げても、1000回やって2回か3回巡ってくる展開にしかならない。そうすると効率が悪く思えて、実践が伴う「正しい話」よりも、実践などなくても最適戦略を導き出せる「理に屈する話」に飛びついてしまう。そして1000回やって1000回巡ってこない展開にしてしまう。

しかし、「正しい話」をずっとずっと積み上げている者はどうか?それは相手が助かれば良い話も、悪党が心変わりする話も、必然的なものに変えて行ける。何の積み上げもない者が「お前を信じてチキンのカードを出す」といって、それで相手がチキンのカードを出してくれても、それは偶然に過ぎないでしょう。しかし、ずっと「正しい話」を積み上げて来たなら、それはやがて必然になるんですよね。それが「王の物語」なんです。まあ、“必然”という言葉が引っかかるなら確率を上げて行けるでもいいんですけどね(汗)
ただ「自分が助からなくてもいい」は「自分が(正しい話を)体現しなくてもいい」という事でもあるんで、「自分が助からないと意味がない」人には、この話、何処まで行っても誤魔化されているようにしか思えない気もします(汗)w……でも、正しい話を体現してしまった人は「王」で、それは必然なんです。(←誤魔化してる?w)



※先日、ネットラジオで「サマーウォーズ」の話をしたんですが、そこで出た「栄おばあちゃんの物語」も「王」と呼んでいいと思っています。(こっちもちょっと文章に起そうかな?)

【「物語三昧ラジオ」の録音ファイル:「サマーウォーズ」など】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/c6c61843f7c30f249304396bee167840


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http://www.geocities.jp/ldtsugane/mv/MZradio-090907.mp3

昨夜のネットラジオの録音ファイルです。主に「サマーウォーズ」の話題で最後のあたりで雷句誠先生の新作読切「アオソラ」の話をしていますね。1~2週間くらいで消しますので、そんな感じでお願いします。


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