今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




いつも、このブログを見てもらってありがとうございます。

実は、ちょっと思い立った事がありまして、このブログの記事の更新頻度が落ちるかもしれません。
…といっても『漫研』でやっている『今週の一番』のチャットはこれまで通り、やりますし更新情報も上げて行きます。(一緒に付けている記事がもっと簡素になるか、全く書かないかという感じかな?)あれは、今年で14年間毎週続けておりまして…なかなか止められるものではないですね(汗)あと、USTREAMのラジオもこれまで通り続けて行きたいです。それも更新します。

最近は、自分なりに短い間隔で記事を書くようにしていたのですが…まあ、それで、少しでも僕の記事を楽しみにしてくれている人がいたら、申し訳ないな、と思いまして、お伝えしておきます。
…と言っても、全く書かなくなるワケでもありません。「止める」という気はないので、何か思いつけば書いて行きます。その時はよろしく読んでやって下さい。

そんな感じで。今後とも、よろしくお願いします。


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漫研ラジオ/アニメフリートーク①アクエリオンEVOL+パパきき+男子高校生の日常 2012/02/20

https://www.youtube.com/watch?v=PgSu6F7dNqo&list=PLusUXoPKOyjgCXZEAY3cL0wAgGpkE_3Mc&index=19

参加者(敬称略):ルイ、LD
話題:2012年1Qのアニメフリートーク。2016/02/06に行ったラジオがメンテナンスにより打切となったため再収録しました。

0:01:38-『Another』の話題
0:07:50-『あの夏で待ってる』の話題
0:27:22-『アクエリオンEVOL』の話題
1:04:20-『アマガミSSplus』の話題
1:22:51-『パパのいうことを聞きなさい』の話題
1:58:59-『男子高校生の日常』の話題

漫研ラジオ/アニメフリートーク②モーパイ+ハイスクールDD+シンフォギア+ラグランジェ 2012/02/20

https://www.youtube.com/watch?v=hu0YQPI0N8U&t=17s&list=PLusUXoPKOyjgCXZEAY3cL0wAgGpkE_3Mc&index=22
参加者(敬称略):ルイ、LD
話題:2012年1Qのアニメフリートーク。2016/02/06に行ったラジオがメンテナンスにより打切となったため再収録しました。その後半部分です。

0:00:00-『モーレツ宇宙海賊』の続き
0:27:57-『ハイスクールDxD』の話題
0:43:25-『戦姫絶唱シンフォギア』の話題
1:25:15-『輪廻のラグランジェ』の話題

Another 限定版 第1巻 [Blu-ray]
高森奈津美,阿部 敦,前野智昭,米澤 円,野中 藍
角川書店

あの夏で待ってる 1 (初回限定版) [Blu-ray]
田中将賀,J.C.STAFF,黒田洋介
ジェネオン・ユニバーサル

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梶裕貴,茅野愛衣,花澤香菜,内山昂輝,中村悠一
メディアファクトリー

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羽多野渉,上坂すみれ,喜多村英梨,五十嵐裕美
キングレコード

男子高校生の日常 Blu-ray BOX
入野自由,杉田智和,鈴村健一,浪川大輔,小野友樹
Happinet(SB)(D)

TVシリーズ「モーレツ宇宙海賊」Blu-ray BOX 【LIMITED EDITION】
小松未可子,花澤香菜,小見川千明,戸松遥,金元寿子
キングレコード

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梶裕貴,日笠陽子,浅倉杏美,伊藤静,竹達彩奈
KADOKAWA メディアファクトリー

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小池智史,上松範康,金子彰史,金子彰史
キングレコード

輪廻のラグランジェ 1 (初回限定版) [Blu-ray]
石原夏織,瀬戸麻沙美,茅野愛衣
バンダイビジュアル


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【魔法少女大系】



『魔法少女プリティサミー』(1996年放映)コンプリート。TV版のやつですね。(OVA版は1995年リリースか…)この時期、アニメ界隈では一世を風靡していたと言える『天地無用!』シリーズのかなり特殊なスピンアウト作品ですね。元々は『天地無用!』のドラマCDから出た…まあ、パロディというか、冗談のネタだったのですが、それがあれよあれよと妙な人気を獲得したらしく(?)気がつけば、TVアニメとして夕方6時半に放送という快挙までたどり着いています。
これは『天地無用!』というタイトルの人気の大きさも然ることながら、主人公の砂沙美の声優である横山智佐さんの当時の人気の影響も大きく、また『セーラームーン』から来た“美少女戦士もの”という大きなブームの影響も大きかったと思います。『天地無用!』自体は美少女戦士ものとは、非常に呼び難い状況を考えると、90年代アニメのある焦点に当たる作品と言えるかもしれません。

『魔法少女プリティサミー』は、魔法の国・ジュライヘルムの女王候補となった津名魅が、その最終試験として地球にいる「魂を同じくする少女」に魔法の力を与えて、その行動を審査し可否を決める事になる。その魔法を与えられる魔法少女に河合砂沙美ちゃんが選ばれプリティサミーに変身するという『物語』。それを女神候補に落ちた津名魅のライバル裸魅亜が、砂沙美の親友である美紗緒ちゃんをピクシーミサに変えて邪魔をする…というのが毎回のストーリー。
まあ、あれですよ。始まった時は「大きなお友達向けの魔法少女」に見えたものですが(´・ω・`)……どうだったんでしょうね?夕方6時代に放送ですから、子供の視聴者もそれなりに付いたようにも思います。
いや、現在においては、魔法少女ものを“何向け”か論じる事自体アホらしい事ではあるんですが、当時は子供向けとしては亜流のものがTVシリーズとなった驚きのようなものがあったんですよね。今にたとえるなら、深夜アニメで流れている作品の中には「夕方に流すのはどうだろう?」と思うような作品とかありますよね?それが流れてきた…という感覚に近いかもしれません。
内容的にも、パロディ的なものや、お遊び感覚のものが多く、『天地無用!』というタイトルに対する、ちょっとしたボーナスステージな面はあります。同時に「な~んか、いい具合に肩の力が抜けている」所があって、ス~ダラ節的というか…、手なりというか…、いい意味で無責任な感じに話が展開していて、ちょっと他の魔法少女アニメでは観られないような独特の味…ス~ダラ感がある事は確かです。(`・ω・´)

ところで「実はこの娘、魔法少女をやっていました!(なんちゃって!)」って感じのパロディネタ、どこから来てますかね?(『天地無用!』内の)『プリティサミー』が最初って事も……ないとは思うんですが、どうも記憶を辿れません(汗)
当時、セーラームーン・ブームで、アニメ制作サイドは「あの変身シーン」と決め台詞の「月に代わっておしおきよ!」をスキあらば放り込んで、模倣していた頃なので、この結合が起こるのは時間の問題だったとは言えるんですが……ん~…まあ、たとえば、それより以前に「スケバン刑事」が流行った時も、似たようなパロディとかマンガ内で横行していたワケで、これが取り立てて、目新しい発想ではなかったと言えます。

しかし、それ故か『プリティサミー』は、その後のパロディ/バトル魔法少女の『情報圧縮体』とも言うべき存在になっています。さらりと、創ったが故に、妙に急所をついて不思議な汎用性を持ってその後流用されている。
大きな所では、その後、バトル魔法少女として大きな力を持つ『魔法少女リリカルなのは』(2004年放映)は『プリティサミー』のアレンジと言っていい。…というかこの作品も元々パロディ→スピンアウトですね。
あるいは深夜のおたく向けアニメなどで“魔法少女ネタ”が入るのがある種定番化している所がありますが、そうですね、たとえば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の妹ヒロイン・桐乃が溺愛する劇中・魔法少女アニメ『星くずういっちメルル』は…『リリカルなのは』が元ネタでしょうけど、それを辿れば『プリティサミー』に着くはずです。他にもいろいろありますよね。

そうまで「元は『プリティサミー』」と言い切ってしまえるのは、サミーのライバル魔法少女・ピクシーミサの存在が大きいですね。悪の魔法少女って、そもそもかなり男の子視点が強い、克己的なキャラだと感じるのですが、これが魔法少女界にはバトル方面以外、なかなかいない(汗)
ピクシーミサ以前だと『魔女っ子メグちゃん』(1974年放映)のノンが有名所で(ノンは、カッコ良くってすごく好きなキャラですが)あとは…『花の子ルンルン』(1979年放映)のトゲシニア…?ほか何か捻り出せない事もないですが、色々議論の余地がありそうな気がします。また『メグちゃん』自体も、当時としてけっこう男の子の視線を意識した作品でもあった(メグから入った魔法少女ファンは多いはず)面があって、なんか……こういう“ライバル魔法少女”って男の子方向な気がするんですよね。…まあ、それは別の検討としますが。
しかし、“変身的”(つまりヒーロー的)なフォーマットがついてからの魔法少女だとピクシーミサって事になってくると思います(…何か記憶落としあるかな?)既に“戦隊”を取り入れていたセーラームーンだと、こういう反存在~アンチ・ヒーロー~を取り入れづらくなってる事もありますね。

この善の魔法幼女対悪の魔法少女という図式で『物語』を回す方式は、非常に使いでよくパロディとして利用されていっています。そのある種の使いでの良さは特筆すべきものがあります。
何を長々と語っているのかと言えば、たとえば「少女マンガの定番パロディ」としてよく、朝、食パンを加えながら「遅刻!遅刻~!!」とか言って走って登校して、曲がり角でガン!と男の子とぶつかって…というのがありますよね?あれって、けっこう(パロイディではない形で)そのまんまの展開やっている作品は相当少なくって、されに「大元は何か?」みたいな検討をするとなると、かなり相当難しいのですよね(汗)要するに、あれは少女マンガ界にある、何か「もやっ」とした集合的な物語の原型という面があると思います。
しかし、「(バトル系)魔法少女の定番パロディ」は、元ネタがあるんです。それくらい『プリティサミー』は、(バトル系)魔法少女の「もやっ」とした所にある物語そのままで、あまり何かを削ったり付け足す必要がない。これってけっこう凄い事です。

ほとんど一場面を抜き出すだけでも、どういうシーンか分からせる。謎の魔法少女が登場して苦戦しているシーンなのか?ライバル魔法少女と最後の対決の時なのか?ライバル魔法少女の正体がわかってショックを受けているシーンなのか?ライバル魔法少女が復活共闘して来て真のラスボスと最終決戦なのか?ワンシーンを定型的に出すだけで、ズバッ!と伝わってしまう。
これは、パロディで使われるわけだと思うんですが…ヘタをするとバトル方向では元祖のヒーローものよりシーン抜き出しの分かりやすさと一見の説得力を持っています。
全てが合致するワケではないのでですが、それでも『プリティサミー』は、何か核のようなものをシンプルにつかんでいる気がします。多分、なにか偶然にも。パロディという意識の共有から来る集合的な物語の顕現…まあ、あんまりごちゃごや言うのは止めますが(汗)

結果として『プリティサミー』は、表の『セーラームーン』のエポックに対して、裏の焦点のような作品になっています。ある意味、異端・異色の魔法少女なんですが、それ故、魔法少女というものを裏で広くカバーしている…“裏番”のような存在かもしれません(笑)


魔法少女プリティサミーまるごと たっぷり☆ソング・コレクション!
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【2月第2週:魔法先生ネギま! 352時間目 百年の記憶】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10546.html#727
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



『ニセコイ』(作・古味直志)が楽しいです。毎週、楽しみにしています。『ニセコイ』は、普通の高校生にしてヤクザの二代目候補の少年・一条楽と、超美人の転校生にしてギャングの一人娘の少女・霧崎千棘が、反目しあう両組織の安定のために、付合っている“ふり”をする事になる『物語』。あと、まあ、一条くんには十年前に“約束した恋人”がいて、それが誰か?というのも焦点になっていますね。

いやぁ~、やっぱ“普通のラブコメ”いいわぁ~。“普通のラブコメ”ひさしぶりだわぁ~。…と言う語り口で話をはじめてみたかったのですが、よくよく考えると、普通のラブコメってなかなか難しいですね?いや、週刊少年誌で純粋ラブコメって久しぶりに思うんですけど…じゃあ、マガジンの『君のいる町』とか『GE』とかは、ラブコメじゃなかったの?とか言うと………………どうなんでしょう?(´・ω・`)ぶも?
いや~…『君のいる町』も、『GE』も、なんかね。“重い”んですよね(´・ω・`) それはそれで楽しいのですが……こう、愛憎一歩手前くらいの重さがあって、多少、辛いんですよね(´・ω・`)ω・`) 「やぁ~!小野寺さん、かぁ~い~なぁ!こんな子に好かれちゃったら、オレどうしよう~www(←)」みたいな?ふわふわな感じじゃなくってね。…いや……もう……いいじゃん………黒川さんとか、柚希さんとか………“重い”っつ~か“気まずい”のはさぁ?(´・ω・`)ω・`)ω・`)

む。話がそれてますね(´・ω・`)ゞ まあ、恋愛には「楽しい事」と「苦しい事」があるとしたら、その『物語』の配分の問題なんでしょうね。当たり前ですが「楽しい事」が多い方が楽しい。「苦しい事」は「楽しい事」を引き立たせるための従格であるのが、ラブ・コメディとしては理想なんでしょう。
あるいは三角関係でバッティングがあるとしても、それを如何に『楽しく』描くのか?というのは、なかなかセンスがいるのだと思います。ドロドロはドロドロの『楽しさ』がありますけどね。今、『ニセコイ』を元に話したいのは逆の事ですね。

あるいはサンデーの『GANKON』とか、『はじめてのあく』とかはラブコメじゃないの?って話はあって。これには確かに“ラブコメ成分”はあって、まあ、毎週程良く摂取させてもらってはいます(`・ω・´)(←)
特に『GANKON』は、たとえば『はじめてのあく』はラブコメとバトルの“両立”を目指してる作品だと思いますが、『GANKON』はラブコメとバトルの“融合”を目指した作品になっています。これはこれで色々語りたい。
しかし、ある意味では“ちらし寿司”なんですよね。色々入っている。それはそれで美味しいのだけど、「でも、僕は、そのちらしの中にちょろっとだけ入ったイクラが好きなんだ」と。だからちらし寿司じゃなくって“イクラ丼”が食べたいんだと。まあ、そんな話でしょうか?(←)

それと、実は、自分的にはこっちが本題ですが、たとえば『ネギま!』です。あるいは『ハヤテのごとく!』とか『神のみぞ知るセカイ』でもいい。
完結を間近に迎えた『ネギま!』は素晴らしい作品に仕上がっていて、僕はその構成にケチをつける気などさらさらありませんが、それでも「ラブコメ成分の供給」としては(↓)ここで止まってしまったという観方があります。

今週の一番『魔法先生ネギま!』~並列構造の臨界


「ネギくんに本命がいる」という宣言にも関わらず、それが誰か明かされないという落とし所が取られる事によって“壁”の存在がくっきり観えた気がします。…その選ばれたヒロインは、序列の縛りは突破したのだけど、並列の縛りには取り込まれた……って事なんですよね。そして『ネギま!』は究極的な並列を志向したが故に、その縛りもまたより強固だったと。
今、フィナーレに向けての展開がトリッキーで『面白』過ぎるのですが、それもネギくんの本命をはっきりさせないという縛りの中から生まれて来たような面があると思われます。(…とか言いつつ、最後の最後にはっきりさせたりして(汗))

『ネギま!』は「用意した女の子たちを如何に均等にドラマを与えるか?」に心血が注がれた作品だと思いますが、それ故、たとえば僕が千雨ではなく茶々丸が好きだとして!!(←あ)ネギくんと、茶々丸がもっと濃厚にドラマを紡ぐような、あるいはイチャイチャを紡ぐような~正にネギくんのお父さんとお母さんの物語のような!~展開を望んだとしても「それは無い」わけです。

しかし、僕の感覚で言うと少年誌でラブコメ成分を求めた人たちは“こっち側”に流れて来ていたと思うんですよね。ここらへん『ハーレムメーカー』の議論で「時が止まる」と言う言い方をするのですが、結果として結論を霧散させてしまっている所がある。
…と言った話をしようと思ってキーを叩きはじめたら、ラブコメというジャンルのけっこう望洋とした拡がりに気づいて、あわてて色々前フリをする事になったんですが(汗)…まあ、『ラブコメ』ってジャンルと言うより成分なんでしょうね。

それで、たとえば『ハヤテのごとく!』は結論はしっかり出す『物語』に思えますが、その途中~正にそこが摂取される本体と言えますが~では「時が止まって」いるわけです。『神のみぞ知るセカイ』は、最後どうなるかは分かりませんが、スタートはこれらの話を逆手にとる事によってはじまっています。
もう一つ。今、ジャンプSQに移って一部では“神”と崇められている矢吹健太朗先生の『ToLOVEるダークネス』ですが、あれはラブコメと言うかエロコメなんですが(笑)「時が止まる」様はあれがかなり分かりやすく思います。(ここらへんの路線は『ネギま!』の終了に合わせて、終焉期というか一部それが本当に好きな人を残す縮小期に入っている気がします)

楽しいラブコメ的なものは、萌え+ハーレム的なものに流れて行き、展開主体のものは、上述したような『君町』、『GE』のような……重い…というか、リアルな?もの?(←なぜ、口が重くなる?)が残り、どっちにもついていかなかった人は、他の、少女マンガとかに移ってしまったような…。
週刊少年誌ではそういう具合に、妙にイクラ丼(←)な、“普通のラブコメ”が、ポケットになっていたような気がしていて、そこにすぽっと『ニセコイ』がはまってきたなと、そういうイメージを持っています。

小野寺さんとか、親友のメガネの女の子とか、女の子の描きも可愛く(←何か千棘ちゃんはそんな好きではないみたいだね?)、線(ペンタッチ)も非常に気を使っていて良いのですが、基本的には普通のラブコメでもあります。
しかし、今、述べたように不足していたものを摂取させてもらっているというか、「肩を揉まれて、はじめて、ああ自分、肩凝っていたんだ~って気づいて、もっと揉んで欲しくなっている」と言うか(`・ω・´)まあ、なんか毎週楽しみですね。
最近、読切でジャンプに載った『恋染紅葉』(原作・坂本次郎、漫画・ミウラタダヒロ)と言う作品も評判良かったんじゃないかと思いますが、誌面の、なんかそういう『ラブコメ成分』が上がってくるかもしれませんね。

※ この記事書いたらGiGiさんに「『鏡の国の針栖川』がスルーされている」と指摘を受けましたorz …そうでした。しかし、あれですね、どうなんでしょうね?『針栖川』は、ちょっと設定が入り組んでいて、その状況を整理するのに時間が掛かって、ラブコメ成分も、エロコメ成分も受けづらかったような気がします。しかし、最近の流れの事例としては上げてもよかったと思います。


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放送終了しました……と言うか、USTREAMでメンテナンスのため、放送が途中で止まりました。orz 申し訳ないです。orz また、日を改めて放送します。本日はありがとうございました。


2月16日(木)の22時半くらいからルイさんとUSTRAMラジオをしますかも。今期のTVアニメのフリートークを予定しています。…しかし、実はいろいろ予定が重なって上手く実施できないかもしれません(汗)しかし、まあ、何とか実施したいとは思っていますので、よろしくお願いします。

【漫研ラジオ】
http://www.ustream.tv/channel/manken



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http://d.hatena.ne.jp/LDmanken/20080814/p1

ヴィンランド・サガ(11) (アフタヌーンKC)
幸村 誠
講談社

『ヴィンランド・サガ』(作・幸村誠)のクヌート王と、トルフィンの邂逅が迫っている気がしますね。ちょっと思い立ちまして、昔書いた『ヴィンランド・サガ』の記事を書き起こしておきました。
クヌート王が図らずも、トルフィンが築いてきた生活や新たな人生を、理不尽に踏みつぶす展開になるのは必至に思えます。その時、決して戦わぬ事を誓ったトルフィンはどうするのか?




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【反英雄譚】



『ギルティクラウン』のストーリーが佳境に入って来ました。『ギルティクラウン』は、アプカリプス・ウィルスの突発的な感染拡大によって一時無政府状態になり、超国家組織GHQの統治下に置かれた日本で、主人公・桜満集に偶然(?)人の心を武器道具に変えるヴォイドの能力が宿り、レジスタンス組織“葬儀社”に関わって行く『物語』。
それまでちょっと立ち上がってはすぐ転ぶような半ヘタレの主人公だった桜満集くんは、自分を好きでいてくれた少女・祭(はれ)を失って、はじめて自らに宿された“王の能力”を存分に、酷薄に振るい始めます。…どうなるんでしょうね?この集くんの目を覚まさせ得る、と思える一番のキャラは今は亡く、他の候補はいくぶん怪しい…というか、ここで集くんの精神を「元に戻す」行為は、そのまま死亡フラグが立ちやすそうなイメージなんですよね(汗)

桜満集が非常に守られた主人公だと言う事は、これまで『ギルティクラウン』を見てきた人には分かると思います。設定的には、先に偶然(?)と書きましたが“ヴォイド”の能力を身につけるのは半ば予定調和だった事は明らかになっています。また、集が憬れる……と言うか、かなり、やっかんでいた涯も、彼との関わりの中で生きてきた者だという事が分かっている。
シナリオ的にも、途中何度も躊躇し、転び、うずくまっていたにも関わらず、彼は最後は「間に合う」。あるいは間に合わなかった部分は(軽微な事故として)不問にされる。かなりの“ご都合”が彼に渦巻き、『物語』全体が彼を主人公であれかしと支えている構造になっている。『物語』とは元々そういうもの…だとしても、凡そ過度と言っても支えられ方をされていると思います。

たとえば、集くんは涯に最初に“葬儀社”に誘われた時、それを断って日常を選んだ。…そうすると、次の日、正ヒロインのいのりが転校して来るんですよね(笑)まるで『ギルティクラウン』という物語自体が、彼を自らのフレームの真ん中に収め直そうと、移動したかのよう、物語は彼を追いかけているかのようです。
逆に言うと、彼が何回、選択ミスをしても、くじけても、失敗しても『ギルティクラウン』という物語は彼を主人公として承認し続ける…と、そういう事のように思えます。
さらに言うと、彼はそのくらい危うい主人公~『ギルティクラウン』の主人公となれる、英雄となれる権利を、簡単に手放してしまいそうになる、そういうボーダーな主人公なんです。

…しかし、それだけ設定に“守られ”、シナリオで“間に合い”続けた主人公だけに、最後には彼を問答無用に守っていた設定自体が“罰”に変じ、そして最後の最後、本当に間に合いたい時に間に合わない展開が待っていたりするかもなあ…というイメージも浮かんできますが、まあ、それは余談として…。
この構造は、『受け手』に「劇的なる展開が訪れた時、僕らは本当に英雄になれるのか?」という命題を投げかけているようです。「そんなの、なれるわけない(`・ω・´)」と、即答してしまう人は、逆に集くんの事も分かるんじゃないかと言う気もするんですけどね?なんかネットとか見ていると集くん、けっこう嫌われているみたいなんですが…(汗)
集くん「英雄になれないとしても、これくらいはがんばりたい……多分、自分に『三国無双』みたいな能力があったら、これくらいは……がんばれると思ってもいいよね?……でも、これ以上は、ちょっとウソ臭いかもね?」みたいな、いいい波長出していると思うんですけどね。上手く行ってもあんまり集くんが「しっかりしたから」という感じがせず、やはり“守られている”感じが出るはず。(…ああ、そこが嫌われるのかな?)

ここらへん(↓)以前の記事で扱っていた『反英雄』の話と接続できそうな気がしています。描きは多少、違っていますが「上手くやれるはずない」という呪縛において方向的にはおそらく近しいものを感じます。

間違えた道のヒーローとヒロインたち~『Fate/Zero』とか『めだかボックス』とか…
彼ら、彼女らは、「間違えた道のまま突っ走っている」事が共通していると言えそうです。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、球磨川禊、衛宮切嗣、暁美ほむら、立華かなで、そしてベアトリーチェは、間違った判断をし、間違った決断に至り、しかし強い信念のもと「自らを信じて」一心不乱にその物語を駆け抜けている。
しかし、「元々、間違った判断なので、いつまで経っても、どんなにがんばっても、自分たちの望む場所にたどり着けない」のですよね……そういうキャラたちだと言えます。

(中略)

たとえば『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『キャプテン』の谷口(イガラシでもいいかも)、『コードギアス』の枢木スザク(僕は彼は最後に折れたと思っていますが、少なくともルルーシュと敵対しているスザクは)といったキャラがそうです。
彼らはまず、即断即決と言っていい、極めて短時間で“正しい判断”を下します。そして、その信念に基づいて一心不乱にひたすら行動で示します。そうして元々、正しい判断だったので、(時に彼らの行動は、最初は、大変まだるっこしい遠回りに見えたりもするのだけど)結果として予想外の短期間で「望んだ結果」という果実をもぎ取ります。

…完全に上に上げた、「間違えた道のまま突っ走っている」“彼ら”、“彼女ら”とは違う存在、ともすると、それだけで強い憎悪を持たずには居られないようなキャラだと思います。

この記事で上げている“彼ら”は少なくとも、決然と行動を起こしそれによる失敗を自らに引き受けているワケですが、この話のある側面(あくまである側面ですが)としては、集くんの決然とする事すら躊躇があるような在り様の方が、より目指したものに近い……と考える事もできます。

どう言いましょうね?「桜満集くんは、本来の球磨川くんなんだよ?」とか言うと伝わりがいいですかね?「球磨川くんは、何だかんだ言ってカッコいいよね?」という彼への指摘は、本来ダメな奴なハズなのに、意志力は強い→カッコいい→ダメな奴になっていない→という矛盾から来ているものですが、それさえも薄いとどうなるかと言うと…集くんみたいになってくるはず。(´・ω・`)
集くんは、確かに「チート能力で無双なオレ」というストーリーの主人公を演じてはいる。演じてはいるけれど、彼を主人公たらしめているモノはその「設定」しか無い事は、けっこうしつこく、繰り返し描かれていると思います。

それで最終的に、集くんが主人公(英雄)としての何かを発現し得るのであれば、今話している事(反英雄の話)は、基本おじゃんで(汗)まあ、『マブラブ』の白銀武ちゃん…みたいな感じの『物語』だったねという話に落ち着くと思います。
“そっち”じゃないなら……桜満集は英雄性を遂に手に入れる事はなく、その為に何かしらの“罰”を受ける事になるんじゃないかと思っています。
…まあ、どうなんでしょうね。決めたような事言っていますが、解釈の話ですしね。たとえば集くんがその身を投じて世界を救えば、彼は英雄である事と罰を両方受けている…という解釈もあり得るようになるしね。…まあ、分かりません(汗)
とまれ、集くんのダメっぷりはけっこう僕の琴線に触れますね。これだけ主人公として守られているのに、大した事ができない、そのちっぽけさが痛かったり、不思議と癒されていたりもします(汗)


The Everlasting Guilty Crown(初回生産限定盤)
ryo(supercell)
アニプレックス


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【魔法少女大系】【美少女戦士大系】



『愛天使伝説ウェディングピーチ』(1995年放映)コンプリート。以前、録画で最初の数話を録り逃していたのを、最近、録り戻しました。(`・ω・´)『ウェディングピーチ』は、天使界と悪魔界の戦いに巻き込まれた、少女・花咲ももこが、愛天使ウェディングピーチに変身して、この世を愛無き世にしようと目論む悪魔界の女王レインデビラと戦う『物語』。まあ、あと天使の生まれ変わりの女の子が3人くらいいて4チームで戦います。

まあ、この作品を観たことがある人は分かると思いますが、ぶっちゃけ『美少女戦士セーラームーン』の超後追い…模倣と言える作品です。模倣なんて言葉を使うと、何か悪い印象をもたれてしまうかもしれませんが……エンターテイメントの世界では、そのジャンルが発展するために必要な過程とすら言ってもいいんですよね。また、『ウェディングピーチ』にはオリジナリティが無いと言う話のつもりでもないです。
たとえば『ウルトラマン』(1966年放映)が生まれた時、その後の世界に巨大ヒーローもの…というより“ウルトラマンもの”とも言うべきジャンルが第一次~第二次の怪獣ブームをまたいで一大発展していった(※別の話ですが、ここらへんの特撮ヒーロー/怪獣史観は別の視点でまとめ直した方がいいような気もしています)。その中で『ウルトラマン』製作を代表する実相寺昭雄監督が、宣弘社で『シルバー仮面』(1971年放映)作ったよね?とか。
『マジンガーZ』(1972年放映)が生まれた時、その後の世界に巨大ロボットもの/スーパーロボットもの、と言うべきジャンルが一大発展を遂げて行った。その中で『マジンガーZ』を創作した永井豪先生が、ナックで『グロイザーX』(1976年放映)の監修(原作は桜多吾作)してたよね?とか。
そんな中で『セーラームーン』(1992年放映)のキャラクターデザインしていた只野和子さんが、『ウェディングピーチ』のキャラデザしていたよね?声優さんも三石琴乃さんが敵幹部・ポタモス(このキャラ相当良かったです!)の声で出たよね?とか、そういう感じなんですよ!?(`・ω・´)

いや、模倣作や追従作はその元となる作品が如何に“強かった”かを測る一つの指標みたいな所もあって、『ウェディングピーチ』は、アニメ史的な位置づけとしては、その意味が非常に大きな作品だと思います。
これは、近い時期に同じく模倣された『赤ずきんチャチャ』(1994年放映)、『ナースエンジェルりりかSOS』(1995年放映)といった作品群と比べてみても、極めて転写性の高い、ほとんど『セーラームーン』の何が良かったのか?を確認するための習作と言っていい程、一線を画す程の後追い性をもっていると思います。

東映ヒーローから、おそらく不思議コメディ~『美少女仮面ポワトリン』(1990年放映)といった魔法少女系の「ちょっと間抜けなような、それでいてちょっとカッコいいような、でもやっぱり間抜けな感じ」を『セーラームーン』は踏襲していて(この感覚は説明が難しく、また別に語る必要があるのですが…今だと「シリアスな笑い」と言った方が伝わりやすいのかも…)『ウェディングピーチ』もそれをけっこう忠実に後追いしている。
「ウェディングお色直し!」とか、「ミルクで乾杯!!おめでと~!!」って戦闘後におもむろに乾杯しだす所とか、むしろ『セーラームーン』を超えて、シュールさがウリだった『ポワトリン』に近くなっている感さえあります(笑)
まあ、そもそも、僕は『セーラームーン』を初めて観た時、「なんでセーラー服やねん?Σ(´・ω・`)」とツッコんでいたのですが、『ウェディングピーチ』観た時は「なんでウェディングドレスやねん!!ってかお色直しで脱ぐんかい!Σ(`・ω・´)」…とツッコんでたんですよね。(※無論、『りりかSOS』には「なんでナースやねん!ってかどこがナースやねん!」とツッコミますたよ?)

また、美少女戦士であるセーラームーンとの差異として、ウェディングピーチは“恋愛の戦士”というか…“結婚の戦士”(?)である事もあって、他のメンバーであるリリィや、デイジーにも、恋愛ドラマが大きめに盛り込まれて、三者三様の展開がありました。
『セーラームーン』の他のメンバーの恋愛エピも、あるにはあるのですけど、かなり小さくワン・エピ程度に抑えられる傾向(その後の無菌系的匂いがする…)があったのに対して、これは『ウェディングピーチ』の特性と言えます。しかし、それだけに、最終回で誰も相手がいない、サルビアが相当不憫に思えたのですが…(汗)(マンガ版だと相手がいる見たいですね)
最終回で女王レインデビラが、ピーチたちを負かして、倒してしまって、その後に浄化(改心)するというシークエンスがなかなか好みでした。元々、“美少女戦士もの“は「戦っているけど、暴力を振るってはいない」という描きに非常に気を配っている面があって、これはその最終局面として、一つの解法ではありましたね。



以前、(↓)ここらへんの記事を書いたのですが、そろそろ魔法少女(変身魔法少女)と、美少女戦士ものを接続して行く記事の作業に入っていこうかと思っています。
しかし、本当に接続させるためには、魔法少女ものが力を落とした(…と僕が考えている)時期である1989年前後期の作品を押さえて行く必要がありますが…。まあ、そこは比較的情報が集まりやすい『セーラームーン』という大きなムーブメント以後の影響と並行して語って行きたいです。

『カードキャプターさくら』魔法少女の結末と再生


エミの所属していたマジカラット団が解散し、団員たちもそれぞれの道を歩み始める。エミの公演が終わった誰もいない舞台で、魔法が使えなくなった舞は一人マジックの練習をする。もう消えてしまった妖精のトポを思い出して涙をこらえる。失敗して掌から球を落とす。零れた球を拾いながら舞は泣く。将が迎えに来る。舞はいつか再び立とうと願うその舞台を見つめながら、今は扉を閉じる。………という、そのラストは本当に名シーンで「マジカルエミ」を魔法少女ものの最高傑作に上げる人が多いのも納得なんですよね。

『美少女戦士セーラームーン』様々な要素が盛り込まれた“美少女戦士もの”の結晶


しかし、それは間違い…とも言えないのですが(その後の発展の仕方を観ても)、ともかく一方向一元的なものの観方で、実際にはもっと沢山の老若男女を巻き込んだ込んだ「強い」シリーズと言えます(※注:老=大きいお友達、若=小さいお友達)。すご~く大雑把に言うと、魔法/変身要素で女の子を取り込み、バトル要素で男の子を取り込み、ラブコメ/ロマンス要素で高学年(以上)の女の子、美少女要素で高学年(以上)の男の子を取り込んだという……んんん、大雑把だなあw別にバトルが好きな女の子も、ラブコメが好きな男の子もいるでしょうしねwとまれ、それらを取り込んだ総合的なエンターテイメントとして、かなり革新的なジャンルとして「セーラームーン」はそのフォーマットが構築されて行きました。



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http://d.hatena.ne.jp/LDmanken/20000101/p1

記事:第63回 空母ドロス(機動戦士ガンダム)



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【ハーレムメイカー】

【2月第1週:魔法先生ネギま! 351時間目 みんな、バイバイ!】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10545.html#726
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/



…うむ。ワシはこれで満足じゃよ?(´・ω・`) 『魔法先生ネギま!』(作・赤松健)が、いよいよ、あと数回を持って終了という情報が流れて来ました。いやぁ…本当に凄い『物語』になったよなあ…と思います。『ネギま!』が描いた物語の話はまた、改めて記事に書いて行きたいと思いますが、今は、ちょっと前に記事にしていた(↓)ネギくんの本命発覚と、その顛末についての話をしたいです。

今週の一番『魔法先生ネギま!』~発覚?ネギの大本命!?
■今何処予想~本命:長谷川千雨

『少年マンガ放談』の中でも述べていますが、アスナ以外で、“物語の流れ”として「好き」という感情を抱く相手は、この娘しかいないんじゃないか?…とさえ思うキャラです。別に恋愛事なので、誰をどういう脈絡で好きになっても、脈絡なく好きになっても、不思議ではないんですが『魔法先生ネギま!』は物語なので、その“物語の流れ”(僕の感じるもの)としては…ですね。
原則『ネギま!』は、美味しい所、どきどきする所は、各ヒロインにシェアされる傾向があって、その中の有力ヒロインたちから“流れ”が全く見当たらない…なんて事はないんですけど、それでもネギくんが学園の外に飛び出した「魔法世界編」において、一番、ネギくんの“決断”と“成長”に手を貸し、見届けていたのは千雨だったと思います。

基本的にはネギくんの“本命”は「分からない」という然るべき落とし所に落として来たのですけど…まあ、ぶっちゃけ僕は「やはり、千雨だったか!(`・ω・´)」と思っています(笑)
この顛末で、最後にネギくんが微笑みかけたであろう“容疑者”はアスナの申告では5人。龍宮、葉加瀬、エヴァンジェリン、美空、千雨の誰か。まあ、葉加瀬、美空は、まあ論外で龍宮もないだろう。そうするとエヴァンジェリンか、千雨のどちらか…という事になりますが、やはり物語的にも、両想い法則的(※ここまでのヒーローが両想いじゃないのは有り得ないだろうという法則)にも(?)、千雨だろうなと。

…と!喜び勇んで書いていますが、無論、この描写をスルーする事もできる。まず、読者は、アスナの申告を無視できる。自分方向に向いていたのを照れ隠しで“外した”のかもしれない。ネギくんの視線は、アスナ、このか、あるいは刹那に行っていたのかもしれない。
そもそも、ネギくんが視線を向けた事に意味を見出さない選択が読者にはできる。「そっち見て笑ったかもしれないけど、本命に向けたって分けでもないでしょう。師匠(エヴァ)に視線をよこしただけかもしれないし」とか。そう、恋愛感情とは別に、ネギくんがあのシーンで視線を向けるかもしれない相手としてはアスナとエヴァンジェリンは妥当な線なんですよね。
要するに、絞り込みたい人は絞りこめばいいけど、スルーしたい人はスルーして、自分のお気に入りのキャラの可能性を考える余地を与えているって事です。赤松先生、さすがというか、ここらへんはソツがない。しかし、同時にこの“落とし所”の選択はなかなか興味深くもあります。

■『並列構造』の障壁

この件について僕自身は、ラジオなんかで「『ハーレムメイカー』として“序列構造”を突破する意味で、千雨に行って欲しい」という話をしていました。…何だか自分語の羅列で恐縮ですが翻訳すると「従来のラブコメ路線に沿えば「どうせ、本命はアスナだろう」という話になる所を『ネギま!』は違う道を見せて欲しい!」という話です。
僕はそれをヒロインの“序列の壁”と言った語りをしていて、けっこうそこかしこ語ったりしているのですが、ここで、手短に、改めて整理しておこうと思います。

ヒロインの序列構造って何かというと、ラブコメなんかのファーストシーンや、話の運びで「あ、この娘と最後くっつくな?」というのがすぐに分かって、その後に出てくるヒロイン(二位ヒロインと呼んでいますが)が、どんなに可愛くても、話を盛り上げても、その最初に決めた“序列”が覆らない。少なくとも非常に強力にその“呪縛”を受ける状態の事を言っています。



実はこれについては赤松先生の出世作である『AIが止まらない!』(1994年~1997年連載)で、非常に典型的な現象を確認できます。『AIとま』は、プログラムが得意な主人公が作ったAIプログラムの女の子“サーティ”がある日落雷により実体化して、本物の彼女になるという『物語』で……当然、サーティが序列一位のヒロインです。
そこに、プログラムであるサーティという彼女に対して「じゃあ、主人公に本物の人間の彼女ができたら?」という命題をひっさげて登場してくるのがシンディ(↑)です。(二位ヒロインというか…最終ヒロインという感じなんですが)新装版で作者が相当愛情たっぷりに語っている事からも分かるように、非常に作りこまれた、よくできたヒロインで……そうすると「まあ、こっちの娘の方が良くない?」って話になってくるんですよね。実際、それくらい肉迫する事を目指して設計されたキャラでもありますし。
しかし、結局は主人公はサーティを選び、シンディは失恋する事になります。この時の事について、新装版のオマケのインタビューで赤松先生が興味深い事を述べています。
~でも、シンディに勝たせたかったって気持ちもあるんですか?

赤松氏「新装版6巻のキャラクター紹介でも書いていますが、シンディは漫画家への愛情を一身に受けたキャラなんでね(笑)勝たせたい気持ちはありましたよ。ただ、勝たせることはできないんで(笑)それに一度、勝っちゃったところまで行ったんで。相当盛り上がりましたよ。たぶん、私的にこの巻が一番盛り上がった時期だったと思いますね」

(『AIが止まらない!』新装版6巻巻末より)

勝たせることはできないんで(笑)…と、さらりと言っていますが、これって実はあまり根拠がある話ではないんですよね。そりゃ、何の積み上げもない娘とくっつきました…なんてやると物語としての体裁が崩れるとは思いますが、この頃のラブコメって、読者に「どっちが選ばれるのだろう?」とはらはらさせる為に、対抗の女の子にも充分な“積み上げ”をするのは当然の手法となっていました。
にも、関わらず“それ”をする事はタブー視されていた。物語破壊と同義のような、作り手の敗北のような、そういう恐れにも近い縛りが存在していた。…迷信みたいなもの…と僕は言ってしまいますが(笑)それが「対抗の女の子がどんなに可愛くても、ドラマが積まれていても、そっちは選ばれない」という、序列の壁です。

この序列の壁は概ね、昔のラブコメになる程、強くはたらいていたはずです。逆に最近のものになればなる程、その働きは強固ではなくなっています。先程、迷信と言ったように、繰り返し繰り返し演じられるうちに、序列の壁~最初に決めたプロット通りの女の子を選ばなくてはならない~は、思ったほど絶対のものではないと分かって来た。ただし、物語破壊との兼ね合いは存在すると言えば存在するので、ある程度は序列の縛りも存在し続けています。

これに対応して伸長してきたのがヒロインの並列構造化です。いわゆるハーレムというやつで、このブログではこの構造の系譜をずっとウォッチして記事にしているはずです。これは恋愛アドベンチャーゲームが発生し、それによってある種ラブコメ読者の夢だった「別のヒロインを選ぶ」という選択肢が実装された事から発展してきた面も大きいです。
赤松先生の作品『ラブひな』もこのハーレム構造(及び並列化)が志向されていた代表的な作品であり、また恋愛ゲームの影響も少なくない作品だと思います。同時に、まだ序列の縛りが生きていて、基本、この物語はメインヒロインである成瀬川一択が守られた話になっています。とは言え、複数のヒロインにラブコメ的な展開を割り振り、それぞれにファンを付けていった意味は大きい。

そして本件の『魔法先生ネギま!』です。これは31人という前代未聞のヒロイン数の挑戦からはじまり、ラブコメ的展開の割り振りも前作『ラブひな』以上、序列の縛りもほとんど感じさせず(とっかかりの一位として置かれたアスナは、ヒロイックな方向に向かう事で、ヒロイン構造の序列からは解放される)物凄い事に、在るがままに物語は流れて行ったように思います。

そろそろまとめますが。『魔法先生ネギま!』の物語の積まれ方を観て行って、僕は『ラブひな』では果たされなかった序列の突破をここで見たい…という思いを持ってこの物語を眺めていた所があります。…それは果たされたのか?
果たされたと思います。ネギくんが誰を選んだという事ははっきりさせなかったんですが「アスナではない」という事が繰り返し強調された事によって、序列構造は突破されていると言っていいでしょう。アスナの目をハッキリ断つわけでもないのは、序列があるからではなく、アスナも並列の一部だからと言えます。

しかし、同時にこの顛末によって並列の壁の存在がハッキリ見えた気がします。…そうか。序列の壁を突破した先には並列の壁があったか…。
そう言えば多くの並列構造を志向したハーレム系の物語は、特に最近は「誰も選ばない~このままが幸せじゃん?」な結論に到るものが増えたような気がします。あるいは最終的には誰かを選ぶとしても今ではない。あるいは誰かを選んだとしても、他のヒロインが「もう、あたし結婚しない!」とか……まあ、これは並列と言うよりハーレムの縛りと言うか別の議論か(汗)
「ネギくんに本命がいる」という宣言にも関わらず、それが誰か明かされないという落とし所が取られる事によって“壁”の存在がくっきり観えた気がします。…その選ばれたヒロインは、序列の縛りは突破したのだけど、並列の縛りには取り込まれた……って事なんですよね。そして『ネギま!』は究極的な並列を志向したが故に、その縛りもまたより強固だったと。
今、フィナーレに向けての展開がトリッキーで『面白』過ぎるのですが、それもネギくんの本命をはっきりさせないという縛りの中から生まれて来たような面があると思われます。(…とか言いつつ、最後の最後にはっきりさせたりして(汗))

じゃあ、その先はどうなるか?…って。どうも最近の時流を眺めていると、ハーレム的なものは、けっこう行き着くところまで行っちゃってて、純ラブコメに志向が回帰している気がします(汗)
あるいは男女1対多ではなく、もっと比率を同数にして構造を組むような…まあ、それって普通のドラマって事なんですけど(汗)まあ、そちらの話もぼちぼちして行きたいですが……ラブコメ~ハーレム系への流れは、大きく一段落つけて眺められる時期が来ているようです。
そこらへんも、ぼちぼちと語って行きたいですが、『ネギま!』の終了と、ハーレム系ラブコメの(一旦の)終息の時期が重なるかもしれないと言うのは、なかなか感慨深いものがあるかもしれません。


DVD付き初回限定版 魔法先生ネギま!(37) (講談社キャラクターズA)
赤松 健
講談社


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