『賞金稼ぎ』~マカロニ・ウェスタン過ぎる日本?
『必殺渡し人』~共にゆく者、残される者
『アイ・アム・レジェンド』~終わりゆく人類の景観
『必殺橋掛人』~津川雅彦の殺し屋稼業、その激闘
『帝銀事件 死刑囚』~失われた真相(それから…)
1948年1月26日、銀行の閉店直後の午後3時すぎ、東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官の名刺を差し出して、「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい」「感染者の1人がこの銀行に来ている」と偽り、行員と用務員一家の合計16人(8歳から49歳)に青酸化合物[1]を飲ませた。その結果11人が直後に死亡、さらに搬送先の病院で1人が死亡し、計12人が殺害された。犯人は現金16万円と、安田銀行板橋支店の小切手、額面1万7450円を奪って逃走したが、現場の状況が集団中毒の様相を呈していたため混乱が生じて初動捜査が遅れ、身柄は確保できなかった。なお小切手は事件発生の翌日に現金化されていたが、関係者がその小切手の盗難を確認したのは事件から2日経った28日の午前中であった。 (帝銀事件 - Wikipediaより)
もともと実在の人物を模した戦前の国策映画(?)「マライの虎」が下地になっている作品なんですが…。こう……ある意味、強烈に“国策映画”ですw当時のヒーローものの多くはギャングのようなワリと普通な犯罪組織と戦っていたりするので、ハリマオもそういったアウトローと戦いながら“南国の平和”を守って行く……ってな話かと思っていたのですが、もっとこうモロに白人と戦っていますね。 1960年製作、ほぼ同時期にベトナム戦争が始まっているので、まだかなり東南アジアはそこかしこでごたごたが続いていた頃にこのネタは正直強烈じゃないかと思うんですが…といいながら日本自体まだ自国内の事で必死な時期ですし、「マライの虎」が戦前非常に人気を博したこともあって外つ国……異国から異国を渡り歩くヒーローは当時の人に活力を与えたのでしょう。
『恐怖のカービン銃』~速報性におどろいたけど当時はこれが普通?
1954年6月14日、複数の強盗犯が保安庁技術研究所の会計係長夫妻をカービン銃で脅して7枚の小切手1750万円相当を奪い、係長夫妻をロープで縛って押入れに閉じ込めた後で逃走。その後、小切手は97万円が現金化された。係長夫妻は、事件から2日後の6月16日になって押入れから脱出して警察に知られる。警視庁は夫妻への事情聴取で、体格や手口が似ていることから強盗の前科がある保安庁元隊員の男性A(当時28歳)を全国に指名手配した。 6月22日、主犯Aと共犯だったB(当時21歳)が富山市で逮捕された。7月5日、主犯Aと共犯だったC(当時22歳)が台東区旅館で逮捕された。逮捕直前までCと一緒だったD(当時23歳)は逃亡していたが、その後自首した。 主犯Aは愛人(当時27歳)とともに逃亡していたが、7月21日に潜伏先でAの故郷に程近い大分県湯平温泉で発見され、逮捕された。犯行に使用されたカービン銃は延岡駅で鉄道荷物の布団包みから発見された。 (カービン銃ギャング事件 - Wikipediaより)
【伊上勝】『隠密剣士』第一部~時代劇と西部劇の交差
『俺たちは天使だ!』運が悪けりゃ死ぬだけさ!
アキラ「あにき…おれさあ…足引っ張ると思われちゃやだけど、行くの止めにしないか?」 アキラ「さみしいよ!!みんないなくなるから!!!(泣)」
『巨人ゴーレム』ゴーレムは電気羊の夢を見るか?
誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして、知性を持ち合わせていたが筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜かった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のスイスへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体を与えられたがために獣のように生き延び、野山を越えて遠く離れたフランケンシュタインの元へ辿り着いた。自分の醜さゆえ人間達からは忌み嫌われ迫害され、孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束するが、更なる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはこれを拒否してしまう(フランケンシュタイン・コンプレックス)。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人・妻を次々と殺害。憎悪にかられるフランケンシュタインは怪物を追跡するが、北極に向かう船上で息を引き取る。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、怒りや嘆きとともに氷の海に消えた。ストーリーに込められたメッセージ性などからたびたび映画化されているが、人造人間の容貌が醜いとされることから、原作でのその繊細な側面は無視され、知性の低いモンスターとして扱われる事が多く、また後世にはパロディ化されている。 (フランケンシュタイン~Wikipediaより)
『魔人ドラキュラ』ダークヒーローの出現
【アーキタイプ】『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1978年)疫病の怪物~我がたましいのホラー映画 【アーキタイプ】『屍鬼』~疫病の怪物
・ドラキュラとはあくまでもブラム・ストーカーの同名小説の登場人物の名前であるが、この小説本が余りにも有名になったため、現在では「ドラキュラ」と言えば吸血鬼の意味として使われることが多い。 ・1920年代に、原作者未亡人、フローレンス・ストーカーから正式に版権を取得した舞台劇が上演される。 原作の中でのドラキュラはおよそ人前に出られるような容姿ではなかった。当時の舞台劇の主流は「室内劇」であり、舞台台本も原作を大幅に改編せざるを得ず、原作における冒頭のドラキュラ城のシークエンスをはじめとして、原作の見せ場がことごとくカットされた。舞台はセワード博士の病院と、カーファックス修道院の納骨堂の2場で進行する。 このため、ドラキュラ伯爵は、人の家に招かれ、人間と対話をする礼儀作法を備えざるを得なくなり、黒の夜会服を着こなす「貴公子然としたイメージ」が確立された。 ちなみに、マントの着用もこの舞台が初めてである。演出上、一瞬にしてドラキュラが消滅するイリュージョンがあり、そのために、大きなマントと大きな襟が必要だった。ドラキュラのマントの襟が立っているのは、この時の名残である。ちなみにマントの正確な着方は、襟を寝かせるものである。 このスタイルを初めて映像化したのが「魔人ドラキュラ(1931)」である。 本来は、制作サイドで独自のメイクを考案していたが、ドラキュラ役のベラ・ルゴシが、重厚なメイクを固辞し、ハンガリー訛りの英語の台詞をもって、舞台のスタイルを映画に持ち込んだのである。これが現在のドラキュラのイメージとなった。 (Wikipedia『ドラキュラ』より)