今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

2008-08-28:山ねずみロッキーチャック:日本怪談劇場

2008年08月28日 | アニメ


「山ねずみロッキーチャック」コンプリート。1973年制作。森やすじさんの、やさしい線で描かれた擬人化された動物たちが素晴らしい名作どうぶつアニメ。……日本アニメよ!もうこういうアニメは作れないのか!?…こう4コマギャグあたりで、おもいっきしディフォルメした“やつ”ならあるんだけど……この、ピーターうさぎや(永井一郎)、リスのチャタラー(田の中勇)の、この動き……ああ!この動き…!野を跳ねる!木をつたう…!(嗚咽)…もう!もう!観れないのかよ!森さぁん!!(涙)誰かこういう仕事の後継げよ!!

「宇宙刑事シャリバン」コンプリート。1983年制作。とりあえず第1話観たんですがシャリバンの生い立ちや、マドーの設定を一気に説明しながら、なおかつ“宇宙刑事シリーズ”のフォーマットを完全に踏襲して見せる作りに圧倒された。…なんだこの情報量はw…でもグランドバースはやっぱり駅弁売りに見える(汗)
「とびだせ!マシーン飛竜」コンプリート。1977年制作。スーパーカー・ブーム時代の作品ですね。同じ年に「グランプリの鷹」と「ルーベンカイザー」と「ガッタイガー」なんかが放送されていますね。「マシンハヤブサ」は前年。…つか「ガッタイガー」はマジに全く観た事がないな!どっかで掛からないかな~?wちなみに「マシーン飛竜」は人気がなくて打ち切りでした(汗)リッキーは「またね!」とか言っているんだけど次の回はなかったと言う…(´;ω;`)



時代劇専門チャンネルで「日本怪談劇場」が始ったので録っています。1970年制作。オムニバスで、中川信夫監督とかが「怪談 牡丹灯籠」やってますね。観ましたが…やはりいいい画を撮られますw…やっぱ陰影だよなあ…怖くて美しい画って素敵….*:.。.:*・゜(n‘∀‘)η゜・*:.。.:*
あと来週くらいから東映チャンネルで「バビル二世」が開始。レーザーディスクでももってるけど、これでリストア。同じく「宇宙魔神ダイケンゴー」も始ります。EDの「俺はライガー」の歌がカックいいんですよ!「ぁあらくれ星だぜ!この俺はぁ~♪ひろい、銀河の荒武者さぁ~♪せまるマゼラン~♪」(←歌い出した!)

娯楽のハイエナ:演出チェック:残念の演出 マクロスF 第20話

2008年08月26日 | アニメ
http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0259.html

マンガやゲームの影響で子供達が死んでも生き返ると思っているとか、命の重さが分からなくなっているとか言われたりしていますが…命の重さなんてものは学校や親がきちんと教えてくれと思いもするワケですが……つか、本当は現実の世界は死んだら生き返らないからこそ、物語の世界では生き返る話を組んだりするのだろうに…何故にそうまで現実と物語の区別がつけられない?大人の方が!…と思いつつ……

僕としては死んだら生き返らない物語は大好きです。

…なんで、死んだら生き返る物語を作るのも、その逆をやるのも「物語様」の自由というものですけど、世間のニーズがあるなら、子供達に「死んだら生き返らない物語」、「不条理に死ぬ事の恐怖の物語」などを見せつけて上げるのも一興でしょう。実際、最近、命の尊さを見せてくれる作品が増えたような気が…しない?でも?…ないです。まあ、とにかくそんな感じの物語もバンバン作って欲しいです。

娯楽のハイエナ:作画チェック:ワールドデストラクション

2008年08月25日 | アニメ
http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0258.html

「ワールド・デストラクション」の石川健介さんの一人作画の回ですね。
…そういえば「WD」も「惑星のさみだれ」と同じく世界をぶち壊す話ですね。流行りなんですかねえ…?いや、別に流行っちゃいないか…う~ん…(思考中)


今週の一番:「ヴィンランド・サガ」と「火の鳥黎明編」からの情景

2008年08月25日 | マンガ
http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10372.html#547

最近「ヴィンランド・サガ」を読んでいて、その作品構造は「火の鳥黎明編」と非常に似ているなあ…と思い始めたので書いてみました。
幸村誠先生って、視点が非常に手塚先生に近いというか……少なくとも「火の鳥」で描かれる“視界”は近い物を持っている人で、そこから描かれる物が違うという気がします。

2008-08-25:宇宙戦艦ヤマト

2008年08月25日 | アニメ
「宇宙戦艦ヤマト」コンプリート。ファイミリー劇場でやっていました。元々、レーザーディスクで持っていたのですが、この度目出度くDVD-RAMに落としました。…ワープ、波動砲、反射衛星砲、テレポート攻撃(デスラー戦法)、コスモクリーナ、そして真田さん…様々なSFアイデアが盛り込まれ、その後のSFアニメのエポックとなった作品です。その中でも特に僕が「…凄い!」と思うのは“赤い地球”ですね。

第一話、冒頭、謎の宇宙艦隊戦から始ります。「地球艦隊に告ぐ、直ちに降伏せよ!」というガミラス艦隊の通告に、沖田艦長(提督?)は「バカめ、と言ってやれ」(名ゼリフ!)と返す。非常にアナクロな表現なんですがwその後、ガミラス艦の方がビビリで先に発砲してしかも外してしまう所がいいw自動照準じゃないんですよねえ。でも、ここらへんの“肝の据わり方”の表現が「ヤマト」の大きなテーマと言えると思います。…でも勝てない。絶望的に勝てない。地球防衛軍の戦艦砲では(おそらく長距離では…という事だと思いますが)ガミラス戦艦の装甲を貫けない。為す術もなく地球艦隊は壊滅して行くきます。これがAパート。それまで、この沖田艦長(地球防衛軍)が何故、こんな絶望的な戦いを続けているのかは語られないんですね。

そしてBパートで初めてそれが語られる。暗闇の宇宙空間から“遊星爆弾”が接近し静かに地球に降りそそいで行く。その目下に“赤い地球”が見えるんですが…この流れがもう好きで好きでwその“赤い地球”を見た瞬間…




…ああ、これは許せん。


…って思うんですよね。そして宮川泰先生の超名曲…「無限に広がる大宇宙」というタイトルらしいですが…に合わせて「時に、西暦2199年地球は今、最期の時を迎えようとしていた…」というれいの名調子の世界説明が入る。そして沖田艦長が「見ておれ、悪魔め!わしは命がある限り戦うぞ。決して絶望はしない。たとえ最後の一人になってもわしは絶望はしない…!」と唸る……ここが「宇宙戦艦ヤマト」という物語の全ての出発点ですよね。

何故、戦うのか?……地球を“こう”されたから。

そこに説明は要らないんですね。…あ、これは許せん、と。この出発点に共感がなかったら、きっと「宇宙戦艦ヤマト」という物語は半分も分からないんじゃないかな。最初に言ったSFアイデア満載の戦記巨編くらいになってしまう。逆に共感がある人にはあの“赤い地球”には問答無用の説得力を生むはず。もう、なんか、地球をこうした連中に降伏して奴隷になるなんて……まっぴら御免なんですよねw

なんか昔「ヤマト」の謎本みたいなもの読んだ時「こうまで圧倒的戦力差があるのに、それでも降伏もせずに、人類が滅亡するに任せる地球政府の行為は腑に落ちない」みたいな事を書いてあったんですけど…まあ、それもご意見は、ごもっともなんですけど……でもこれは「そんな事は死んでも嫌!」な物語だったとしか言いようがないと思うんです。
そんな“拘り”を政府首脳部は市民に押しつけるのか?…みたいな角度の話じゃない。もっと、こう…自分の親兄弟や子供を殺す…あるいは植物状態にしてしまったような相手に「これこの通り、武器は捨てますので、どうか殺さないで下さい」って這いつくばって命乞いするのか?って話で。“地球”や“土地”に対してそういう感謝の気持ちがないなら、別に自分らは生き残ろうって切り替えもありなんでしょうけどね…、というか命乞いする事は悪い事ではないです。…でも、これは「そんな事は死んでも嫌!」な話だったとしか言いようがない。だからこそ沖田艦長の最期のセリフ…(涙)



地球だ…。何もかもみな、懐かしい…。

に万感の想いがこもるんですね。僕はそう思っています。

「宇宙戦艦ヤマト」は日本ではよく「スターウォーズ」と比較される作品なんですが、僕はそこらへんアイデアの盛り込み方とかに近いものを感じたりもするんですが(作品カラーはかなり違うなとも思う)、もう一つ映像面で…スターデストロイヤーの煽りの画から「帝国のマーチ」に合わせてコ~ホ~(?)という不気味な呼吸音の黒い仮面の男…ダース・ベイダーが登場する~~この圧倒的存在感を醸し出す映像をイメージし構成した事は“天才”の仕業だと思っているんですが~~「ヤマト」の「無限に広がる大宇宙」と“赤い地球”の映像はこれに勝とも劣らない金字塔に思っています。

あと、東映チャンネルで多羅尾伴内作品(片岡千恵蔵版)が放送されているので、これを録画。片岡千恵蔵さんの役者魂に思わず頬が緩んでしまうシリーズなんですが、特撮ヒーローの黎明期作品「七色仮面」は、かなりこの作品をベースにしている事が分かりますね。
また映画「少年探偵団」のシリーズ(全9作)が放送しているので、これもチェック……1956年制作スタートですが、江戸川乱歩の「少年探偵団」の映像化はこれが初めて…なのかな?

神殺しの物語「ゼーガペイン」

2008年08月22日 | 思考の遊び(準備)
また「神殺しの物語」の話をします。

先に言っておきますと、これから「ゼーガペイン」という作品を紹介して行きますが、この作品は、ハッキリ言ってネタバレすると楽しさが半減します。…でメインで面白いポイントは特に「神殺し」の視点という事でもないのですが、話す以上はある程度、ネタバレしてしまうのですよね(汗)
でも、ねえ…?この作品かなりマイナーだし、時が経つと共に忘れ去られていると思うんですよ。観続けた人は皆好きだというんですけど…。そうするとネタバレくらいして、アピールしないと、この文章読んで「ゼーガペイン」を観てみようかな?って思う人も出てこないんじゃないかな?……というワケでネタバレ前提で話をします(←言い訳終了)
繰り返しますがこの作品、かなりネタを隠してて、いいいいタイミングでそれを出す事で「面白さ」を出している作品です。読んでしまった人は、リアルタイムで追わなかった事をいくらか残念に思って欲しいところw



その「ゼーガペイン」ですが、ズバリ言ってしまうと超天才科学者ナーガに人類の全てを死滅させられて、おそらく何十年か経った後の世界から物語が始まっているんですね。生きている人類はもう本当に一人もいない状態の地球において、地球自体を実験場化して行くガルズオルムに抵抗して、量子兵器ロボット・ゼーガペインを駆るセレブラムの戦いは続いて行きます。

ガルズオルムというのがナーガの“遺志”を受け継いだ機械と指揮をとる男女2人の復元者を要する集団ですね。…で、そのガルズオルムと戦う(抵抗する)セレブラムというのは一体何かというと、実は滅びてしまった人類のデータなんです。量子コンピュータの中にメモリーされた、かつて生きていた人のデータ(幻体と呼ばれている)が戦っている。本当はデータシミュレートの中で無限の時間(量子メモリーが存在し続ける限り)を夢見続けるだけの存在となってしまうんですけど、その真実に気付いた者(データ)だけセレブラントと言われる保存された量子メモリー及び量子コンピュータの管理者権限を持つ者となり、セレブラムの持つ兵器を駆ってガルズオルムと戦う事ができるんですね。

ここらへんの世界の真実を最初、主人公は“忘れている”状態で物語は始まり、次第(リアルタイム)にその全貌が明らかにされて行くという所がこの作品の見所のひとつなんです。そしてデータはデータを失う事に“心の痛み”を感じて、果てしなく戦い続ける事になるのです。

…でね。この状況のほぼ全てが、最初に述べた超天才科学者ナーガの設計した世界なんですねw量子コンピュータも量子メモリーもナーガの開発、その中に限りなく完全な形で人間を再現する技術もナーガの発明。それでナーガは人類はもう、この量子メモリーの中に入ってしまった方がより効率的な発展・進化ができる………実際にガルズオルムはメモリー内で“時間加速”をして極めて短期間で新技術を手に入れて行くんですが………という説を唱えたんですが…まあ、多分、世界に軽やかにスルーされたんで、致死率98%のオルム・ウィルス(これもナーガが開発したw)を全世界にばらまいて、人類を強制的に量子メモリーの中に避難させてしまったんですねw

もう、その時点でこの世界、ナーガ大勝利世界でwナーガは「予想外の収穫」と呼んでいるんですが、多分、セレブラントになるシステムもナーガが設計している。メモリーの容量の関係で、世界の全てと避難した人間データの全てを果てしなくシミュレートする事は不可能なので、限られた人間に管理者権限を渡すところまではナーガの設計である事は確かでしょう。でなければセレブラムが他のシステムとアクセスする事の整合性が取られすぎている。ちなみにガルズオルムの本拠地、ジフェイタスではメモリーをがんがん増設する事でこの問題を解決しているみたいですがwまた、最終目標が“進化”であるナーガは、ガルズオルムの進歩を促す抵抗となるセレブラントの存在をある意味肯定しているのです。



つまり既にこの世界において、どうしようもなくナーガは神なんです。

どうしようもなく制限された世界のデータを守り続けるという絶望的な戦いを繰り返すセレブラントに対して、まあ、多くの視聴者が最後は肉体再生できるのだろうと予想していたとは思うんですが、その道も、技術はガルズオルムの“時間加速”の中で手に入れた技術です。
そしてナーガ自身は計画初期段階から既に人格はなく(帆場暎一、あるいは草薙素子?よろしく)量子データ空間と同化する道を選んでいる。…徹底的に永遠に生きる道を模索した結果だと思いますが、主人公たちにとってみると、自分らもデータである以上、既にナーガの一部だと言われてしまうんですね。…ここらへん後半になると衝撃的事実が続き過ぎてかなりスルーされているんですがw

ガルズオルムは時々、神託を受けるようにナーガのデータを人格レベルまで再構成して指示を仰いだりしていたみたいですが…けっこうナーガってガルズオルム寄りとは言え、進化の観察者として、中立的なんですよね。…そりゃそうだw量子コンピュータの技術を遣い続ける限りは自分は“神”なんですからw…もしかして量子データの中にナーガが混じっているって事は実体化してもナーガのデータは残るって事かもしれないし(汗)

そしてナーガは自分の設計した世界の“理”と“利”を説きます。量子メモリーを保守し続ける限りの不老不死。量子ポータル(量子転送技術ですね)を利用した星間航法。時間加速による早期の技術革新(量子コンピュータへのフィードバック)及び早期進化。またメモリー世界ごとに区切って別系統進化を並行して実験する事もできるはず。もし進化型生物の最終目標がスターシード(星を渡る種)になる事だとしたら、ナーガの示す道は不格好ながらも確かにそれを示している。



でも、主人公は「俺の拳が!俺の上腕二頭筋が!俺の魂が怒り狂っている!俺はお前が大っ嫌いだ!何があってもお前の仲間なんかにはならねえ!」

…の一言で破棄してしまいますw…いや、確かに強引に人類殲滅をしてしまったナーガのやり方は拙速で様々な抵抗を生むものだとは思うんですが……ここらへんも思い返してみると人類が滅ぶ経緯って文献的に語られる程度で、あんまり明示的にはハッキリしていないんですよね?これ、順序が違うかもしれない。ナーガはガルズオルム計画を月基地ジフェイタスで淡々と行っていたんだけど“時間加速”による進歩に脅威を感じた人類がガルズオルム計画を止めるために月基地に軍事力を派遣した。計画の完全停止を恐れたガルズオルムがオルム・ウィルスを開発し、地球にばらまいた…って順番かもしれないんですよねえ…。

…あれ?何かあんまり「神殺し」の話になっていないな?(汗)まあ、とにかく主人公は人類抹殺に成功してしまった“神”の提示した理想的世界、いや既に具現化されているその世界を拒絶して停止させてしまう…という角度の話がしたかったのです。
とは言え、どう考えても量子コンピュータの世界に残り続け永遠を生きる事に決める人間もいるでしょうし、実体化しても量子コンピュータ技術を捨てない限りは実はナーガは生き続ける。“時間加速”による技術革新や、恒星間航行の誘惑(?)に勝つこともできないでしょう。…結局、人類はナーガの思惑通りに発展して行くはずなんですよね。だから、結局、ガルズオルムという計画を潰す事はできたんだけど“神”を殺す事はできなかったという物語という事もできます。(主人公は頭がいいので、多分、そこらへん分かっていて軽やかに無視している)

「マトリックス」の傍流(他にもいろいろ複合してますね)としてある物語である事は確かなんですが、「消されるな、この想い。忘れるな、我が痛み」というコピーに沿って、人が一体何を大切にするのか?何に痛みを感じて生きているのか?もっと言えば人にとって生きているって何か?(この物語の登場人物はいわば死人からスタートしているわけで)を問いかけた、なかなかの傑作だと思います。…一応、いくつか良いネタバレも隠せたはずなんで機会があったら観てみてください。


学園七不思議 DVD-BOX

2008年08月18日 | アニメ
「ハイスクールミステリー学園七不思議」のDVD-BOXを買ってきました!

http://www.websphinx.net/manken/labo/tono/tn_gakuen7.html

昔、「漫研」の「殿!ご再考を!」というコーナーでなんとかレーザーディスク化して欲しい!と訴えていた作品です。10年越し(?)の念願がかない、この度ようやくDVD化と相成りましたw
…なんか、当時の記事(「カニパン」って事は…10年前になるなあ…)読むとスタジオ・コメット評あたり若気の勢い臭を感じないでもないけど……でも大意においてはそんなに違ってもいないとも思いますね。なんというか当時、おたくのメインストリームからは外れた位置にいた制作会社というか……まあ現在は制作を重ねて状況も変わってはいるんですけどね。

そして「学園七不思議」の楽しさの評自体は、やっぱりここに書いてある通りですね。とにかく黄泉(こうせん)学園では、もうやたらめったら、強力な霊障が起こる、全41回の霊障事件のほとんどが黄泉学園の中での出来事というこの強烈な世界観に尽きますねw

考えてもみて下さい。「金田一少年」や「名探偵コナン」は、基本的には日本全国の“何処か”に出かけて殺人事件に遭遇しています。無論、学校内でも殺人は起きますけど、それは一現場に過ぎません。皆さんは、その時点でも「そんなやたらめったら殺人事件に遭遇するのかよ!?」ってツッコみませんか?ツッコみますよね?なら、黄泉学園を中心とした地域で40回近く(か、それ以上)霊障事件が起こる事に対する僕の凝縮されたツッコみエネルギーがあなたにも分かるはずです!!「起こり過ぎだ!」と!いくらなんでも!…ヘルハウスというかヘルスクールですよ?最終回でそうなってしまった理由らしき事が語られるんですが…それって大元かもしれないけど、シリーズ全体を通して観ると、もっと様々な怨念が複合的に重なって増幅された地場である事が分かります。
…そんなところへ、現に死傷者は一人や二人じゃないのに、毎朝のこのこ登校してくる、あまつさえ「っへ!霊なんかいるわけないじゃん?」とかお気楽に言い放てる学生たちの気持ちがまるで分からない。「頭のネジはずれてんのか?」と。もう少し危険に対して敏感になれよと。そんな鋭い(?)ツッコみをしながら堪能しまくった思い出深い作品です。機会があったら…というかあんまりそういう機会もないでしょうけど、観てみて下さい。

まあ、ちょっとギャグっぽく紹介してしまいましたけど(汗)それはTVシリーズ全体を総合して観ると、そう観えてくるって話で、1話完結の個々のエピソード自体はなかなか怖く作ってあって良かったです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm30737

ちょっとED見つけてきました。これなんか夜の薄暗いなかで観てみるとなかなかいい~雰囲気ですよねwとてもお気に入りのEDです。

神殺しの物語「地球へ…」

2008年08月11日 | 思考の遊び(準備)
最近、ペトロニウスさんの「コードギアス」関連のお話の中に「神殺し」というワードが出てきて、それについて他の作品も絡め、いろいろと思索されているみたいです。…そもそもの話は「コードギアス」の作中でシャルルゥ皇帝が自らの目的を「神をコロすぅう!ぶらぁああ?」(←ぶらあ言ってない)と宣言したのがとっかかりなんだと思いますが。

それで、最近少し彼と、お話しした時に「神殺しの物語」という事で、僕は想起した作品として「地球へ…」と「エルリック・サーガ」を上げました。あと一個なにか思いついてたんだけど、その時は思い出せなかった…で、今、思い出したんだけど「装甲騎兵ボトムズ」だw…ま、これはいいやっ!おいとこw(←置いていいのか?)
で、ペトロニウスさんは、マンガ版「ナウシカ」や、「もののけ姫」を上げられていました。「ナウシカ」と「地球へ…」は非常に似ている部分と、全然違う部分があって面白いなあ…。あと「ヴィンランド・サガ」の話もあったけど、あれが「神殺しの物語」なのかどうかはちょっと保留。でも、とりあえず「神殺し」と思しき物語を全部、おもちゃ箱に放り込んで、精査しようという感じだろうから「ヴィン~」も検討対象ではありますね。

で、少し時間がなくって「地球へ…」の事でいろいろ言い足りなかったので、ここに書き留めてお香かな?と思いました。

■ 何故、この物語にコンピュータ・テラは出現したのか?



【地球へ…(TVアニメ新作される際のコメント)】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0073.html#426
【地球へ…最終回前チャット】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0079.html#458
【地球へ…最終回】
http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0081.html#461

ここらへんは2007年に「地球へ…」が新作TVアニメ化されたときにコメントしていた内容ですね。まあ、言いたいことは大体ここに書いてしまっていますが…。

http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0073.html#426
…って今、手元にシングルCDがあるんですが、これが「地球へ…」と「さよなら銀河鉄道999」のテーマ曲カップリングCDなワケですが……どういうカップリングだよorz と一瞬膝を落としつつw いや、やっぱりこの二つこそが、あの時代の僕らの心象風景だったと思うわけです。
つまり果てし無く遠くへ行きたい、行こう!というSFが「銀河鉄道999」だったの対し果てし無く遠くても帰りたい、帰ろう!というSFが「地球へ…」だったんですね。この映画化がほぼ同時期(「さよなら銀河鉄道」が1981年、「地球へ…」が1982年…つーか、まあ「ガンダム」とかもこの時期)今、考えれば「え?それどういう幸せ時代?」と思ってしまうわけですけどね。まあ、僕の中でも「地球へ…」は「999」と並び間違いなく「黄金」なんですよね。


そもそも「地球へ…」って「地球(テラ)へ…」のタイトルが素晴らし過ぎるんですよね!(力説!)はるかな地球を臨むソルジャー・ブルーの瞳と、決然たる「地球へ…」という万感のタイトルに震えがこない人は、多分「地球へ…」の感動は半減されてしまうと思います。逆にここで共感できる人はもう別に余計な説明は要らないくらいなんです。ただ読めと。…「地球」という問答無用の郷愁が、この作品全体を包んでいる情観である事は間違いありません。
でもこれは、それほど懐かしい「地球」から人類が巣立って行く物語なんです。



http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0081.html#461
そして新作が「人間の物語」に徹してくれた事で、改めて原作の良さというものも再確認できた気がします。新作が“人間の”物語/歴史であるとしたら、原作は“人類拡散の”伝説/神話なんですよね。
新作の最終回でキースが「奇麗事を言うな!能力的に劣る人類は劣等種に成り下がれというのか!?」と言ったように、もし「あの場での犠牲を最小」でSD体制のみが打倒(無血革命)されれば人類の未来は恐らくそれしか残されていないんですね。百年経つか経たないかの内に人類は駆逐されてしまうでしょうね。ジョミーとキースはこの懸案を「希望」という名の包装紙で包んで送り出してしまいましたが………それはねえっ…コンピュータ・テラが高確率で予測していたミュウが宇宙の全てを取り仕切る世界ですよ?wハリ・セルダンたちの予言はまだ続いているって事です。

キースが壊したのはSD体制のラスボスじゃない。この予言を破棄したんです。新作との対比で「神話」という意識を持ってつくずく分かりましたが、つまりキースは「神」を殺したんだなあ…。
そして大崩壊を起こし、人類は何の準備もなくSD体制に捨てられてしまうから「生き延びた」んです。ラストにジョミーの言葉に逆らってミュウたちは人類を助けようとして大部分のミュウたちが死んで行く様が描写されます。もともと少数のミュウの大部分が死んで、かつ指導者になれるような人材は残っていないなら、もはや人類に対して大きな影響力は示せません。…というかあの大崩壊でおそらくテクノロジーの消失が起こっている。全ての人類とそしてミュウが「一からやり直す」事を余儀なくされているはずです。
そしてナスカの子等は人間として扱われなかったが故に、崩壊した人類を救済指導するような意欲も持たず、宇宙の彼方に消え去るのです。
つまりあのラストは救いはほとんど無く多くの人命を失うだけかのように見えますが実は人間の持つ可能性は全て掬われ、そして飛散しているんです。……そして、SD体制の名残か、それとも別の何かか分かりませんが、飛散した人類たちは一様に「地球へ」の思慕は持ち続けている…。






ジョミーは死に、キースは死に、トオニイは絶望の中で宇宙の彼方へ消え、ミュウの元老たちは炎に焼かれ、フィシスは地球人と運命を共にする…。登場人物の誰一人として救われていない物語です。でも、だからこそあらゆる可能性を抱えたまま人類は飛散するんです。

そして、そのためにこそ、コンピュータ・テラはいるんですね。ミュウの未来を予言した人類の叡智の結集にして亡霊。…描写を観ていれば分かるんですが、地球とコンピュータ・テラはもうほとんど一心同体です。…というかコンピュータ・テラをキースが「殺す」と、同時に何の伏線もなく地球の大崩壊が起こっている…これってつまり、地球って放っておいたらとっくに崩壊する惑星だったって事じゃないかと思います。それをコンピュータ・テラが延命装置のように働いて崩壊を押さえ込み続けた…それはつまり“彼”は地球が美しくあって欲しいという人類の想いの象徴でさえあったという事です。
そのミュウも人類も一様に持つ想いをSD体制の刷り込みの産物なのか?それとも違う何かなのか?を決して教えてくれる事がない“冷たい物語”でもあるんですけどね。でも、どんなに懐かしい星であっても、どんなに思いを寄せる星であっても、もう巣立ちの時は来ていたんです。それが「地球へ…」という物語における「神殺し」…という事になるかな?


地球へのどうしようもない万感の想いをベースにしながら、
地球から離れて征く人類の物語を描いている。


全く、途方も無い作品です。(というか何回読んでも新発見がある…w)


※ 余談ですが、引用の記事で僕はコンピュータ・テラを作った科学者たちを「ファウンデーション・シリーズ」の人類分かっちゃった数学者ハリ・セルダンにたとえているんですが、じゃあ「ファウンデーション」が「神殺しの物語」かと言うと、ちょっと違うと思う…まあ、ここらへんはまた別の機会としますが所感だけ(汗)


2008-08-05:サイバーコップ:ドルーピー

2008年08月05日 | 特撮
最近、DVDに落とし終わったレーザーディスクのBOXをダンボール5箱ほど、実家の蔵に収めてもらいました。(どうせ売れないしね)ちょ~っとだけ押し入れが広くなったど~!!!この空いたスペースにDVDディスクの収納BOXを入れるのだっ。ふっふっふっふ…(←悦に入っている)

「ブラックラグーン」(1st + 2nd)コンプリート。2006年制作。どうやら第三期が決定したみたいです。…って戦うメイドさんの話ってまだ終わってなくなかった?…オリジナルでやったりしないかなあ?それから「電脳警察サイバーコップ」コンプリート。1988年制作。
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/a9fee3808a832cfe3ea5adac83c84593
この項の時に、mantrapriさんと、この時期の特撮ヒーロー作品についての話題を話していて、そこでも少し引き合いに出したんですけど、この時期はメタルヒーロー路線が所謂、低調期の頃なんですね。東映のヒーローを作り出すメソッドが“固まり過ぎ”になっていた感があります。(「ジライヤ」は新しさを狙ってはいたと思うので、そこに堕していた…って事はないんですが)そんな時に東宝側から送り込まれた新風が「サイバーコップ」だったわけです。ビデオ合成特撮という新しい技術を持ち込んだ特撮作品です。…とはいえ観てもらうと分かるんですがwww(汗)このサイバーコップ、その技術のビデオ合成はいわゆる合成ラインが丸見えだし、ミニチュアの作り込みも緩く(…緩いって事もないか。でも画面フラットな上に平気でアップで映すから粗が目立つんですよね)、非常に画面がチープです!だから、この作品をすご~く嫌っている特撮ファンも少なくはありません。
…でもねえ。東映ヒーローは“固まり過ぎ”になっていたと言いましたが、たとえば宇宙刑事シリーズにあたって、危険な爆破撮影を思う存分やれる採掘場を「あそこはマクー空間なんだ!」と言ってしまう事は確かにエポックだったんですが、爆破は採掘場…というある種の固定観念(?)のようなものを生んでしまった事も確かです。シナリオやコンテでもそういう「何処だと作りやすいか?」「どんな展開ならカッコ悪い画面を作らずに済むか?」という感覚が無意識に働いているというか…たとえば「仮面ライダー」の時代には実現したい画があれば身悶えするようなミニチュアwwだってお構いなしに使っていたのに、どうもそこらへん東映は「カッコ悪い事は極力避ける」感覚になってたように僕には感じらます。



そんな中で「サイバーコップ」は、チープな画面とはいえ、とにかくダイナミックに暴れ回りました。都心で車を真っ二つに割って爆破したり、ビルをぶっ壊してその崩れゆくビルの破片の合間を飛び回りながら、敵と戦ったり、あああ!出来上がった画面はチープだけど、絶対コンテ段階ではドかっこいい画面をイメージしている!!…観える!僕には観えるよ!ララァ!!みたいな?ま…ララァ関係ないですが。そういうカッコ悪い画面を堂々ばんばん流していったわけです。
たとえば、すごーく好きなエピソードに東京に巨大人工衛星が落ちてきて東京壊滅か?って話があって、この時、主人公のジュピターは首都高使って自分のバイクを最高速に加速させて東京タワーをカタパルトにして(道路を切り落として傾斜つけてジャンプ!)落下中の巨大衛星に乗り込むという展開を見せるんですが……物理とか特撮の具合とか考えて“自重”していたら絶対にできない画面がそこに展開するんですね!(ぐっ)無論、チープですが!!wwやっぱ、そういう画面を作ろうとする心意気に僕はわくわくと見入ってしまうw
…まあ、こんな事を言っていますが、僕も当時はこの作品スルーしていて…再評価するようになったのはビデオで観直してからなんですけどね(汗)でも今となっては、すごくお気に入りの作品です。さっき言った蔵に収めたLD-BOXの中に「サイバーコップ」もあります。



それからカートゥーンネットワークで「ドルピー・スペシャル」ゲット!!よっしゃあ~!!(感涙)ようやくテックス・エブリー作品を手に入れました!!かつては「トムとジェリー」のTV放送の“真ん中”の話として放送されていたドルーピー系の作品なんですが「トムとジェリー」のレーザーディスクには収録されてませんしね…。聡い人たちはエブリーは当然のように手に入れられているのですが、こういう時、目端の利かない自分が恨めしくなります…orz
でも、今回ドルーピーだけなんですよね…。「クマを起してはいけない話」(題名忘れた)はドルーピー出ないし、あと「未来の家」とか「未来の自動車」とか「未来のテレビ」とかも(注:全部題名忘れた。おじいちゃんだから!)放送が待たれます。…ん?ここらへんエブリーとは限らないのかな?いやまあ、本当にこの頃のハナ&バーバラや、エブリーは最高です。日本のアニメでは到達できない世界がそこにあるようにさえ感じてしまいます。

そのカートゥーンネットワークで「海のトリトン」帯放送。そいからキッズステーションで「紅 kure-nai」放送ですね。最初の3話くらい録り逃して後で大後悔して泣きべそかきながら録画予約した作品です。今回、画質を上げて全話録ろうと思っています。
それから日テレプラスで「子連れ狼」第二部放送開始。第一部はスケジュールの関係で泣く泣く切ったのですが、これは録ります。…「子連れ狼」の話もいずれしたいですね。あと前回、放送時間の勘違いで録画断念した「ワイルド7」がまたかかっているので録画します。また、言いますが真理アンヌ最高。
…もうスケジュールがかなりパツパツになってきました(汗)今週はあとAT-Xで「トライガン」と「イクサー1」がやるんですが、そこらへんが限界くさそうです…(汗)

サクラ アマネク セカイ

2008年08月02日 | アニメ


……あれっ!?なぜ、こんなものが僕の部屋に!?

たしか、僕は「SWINGING」(「ドルアーガの塔」OPテーマ)を買いに行ったはず…したら、同じ棚にこれがあって………はっ!これが抱き合わせ商法というヤツか!(←違います)まったく!ほんとに!…陰謀だな!…被害者だな!

…と一通り毒づいたところで、お気に入りの曲である(←!)「サクラ アマネク セカイ」の歌詞で思った事があるので、ちょっと書き留めておきたいと思います。…というか、その前に説明が必要ですね。TVアニメ「ダ・カーポⅡ」(以降、「DC2」)及び「ダ・カーポⅡセカンドシーズン」(以降、「DC2SS」)には、僕は非常に複雑な感情を与えてくれた作品でして……ここまで気になるともう大好き!とか言った方がてっ取り早いのかもしれませんが、いろいろ毒づいてしまうという…。

下記は「漫研」にある「DC2」を視聴した人の意見交換ですね。

【LDの証言】http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0087.html#507
【ルイさんの証言】http://www.websphinx.net/manken/come/dens/dens0087.html#506
【井汲さんの証言】http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0243.html
※井汲さんの話は「いちご100%」のラストと併記ですね。

これだけだとかなり散文的なんで、一度、まとめておく必要があるとは思うんですけどね…。分類的に言うと「DC2」はこのブログでも扱った「並列型ヒロイン構造」の試作の一つに位置づけられる作品だと思います。ただ、結果、かなりチグハグな構成になっている事は否めなくて(それを「新しい!」とか言ってしまう事も可能ですが)奇形的…というと言葉が悪いかな?でもキメラな作品なんですよね。……でもキメラでも天使だってキメラやん?人魚だってキメラやん?…というのは違うかwまあ、機会があったら観てみて下さい。

参照【「DC2SS」OP】http://jp.youtube.com/watch?v=LS6LFTQlWJk
さて「サクラ アマネク セカイ」ですが、僕がちょっと気を止めたのはここ。

舞い散る桜の下で 今、願いを誓うよ
青空にキセキを描いて

ああ…ここ“奇跡”なのかあ…って。今まで気が回らなかった…願いを誓う、青空に飛行機雲の“軌跡”が描かれるビジョンはもっていて、ああキレイな画だなあとは思っていたんですが、そこまでだった。何を言っているのかというと「DC2SS」のラストは、もうほとんど何の伏線もなく奇跡が起こるんですね。…いや、そんな事気にする作品じゃないと言えばそうなんですけどねw後半、様々な行動の中で助かる方法が本当にない事を強調する構成だし……微妙に時間が経っている事もあって少し唐突な感触は受けてしまうw

でも、ああ…少なくともOPでずっと13回分、キセキが起こる事を歌い続けていたんだなあ…。

…と思ったワケです。アニメのテーマ曲って2番の方がテーマに近い事ってよくあって、この曲も2番は「DC2SS」の展開そのものという感じになっています。



いつか愛の意味さえ、全て分かり合えたら
僕が消えてしまうとも、泣かないでね

…とか。



舞い散る桜の下で、今、願いは叶うよ
青空にキセキを描いて

…とか。

…まあ何というか、ここまでいろいろ語りたいって事は、僕もうムチャムチャ気に入っているって事ですねw何気に(…というか必然なんですが)「DC2」OP曲の「サクラキミニエム」の表紙イラストが作中で酷い扱いを受けたココだったりするのに軽く落ち込んだりしていますが…orz そこらへん含めて不思議と好きです。この作品w