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今週の一番「魔法先生ネギま!」引き絞られた“弓”のようなこのシーン
「祭壇」という元型(アーキタイプ)に関する追記
ナウシカと墓所の対話の話をする前に、いくつか押さえておきたいポイントがあります。一つは、彼らの対話のシーンは「物語」のある種の定形としてよくあるシーンで、僕は「祭壇」という呼び方をしています。「祭壇」とは何かというと、ある「物語」…まあ、大抵、戦って戦って戦い続けるタイプの物語が多いのですが、そういう「物語」の主人公が最後に辿り着き、そこで対面した“何か”と対話するシーンですね。 そこで彼らはある種の哲学的な議論~主人公は大抵、難しい事を考えられないので、シンプルな答えのみを返すのですが~を交わします。多くは敵対勢力の“悪の理論”と、主人公の“善の理論”の激突が行われてきましたよね。そこでの対話が、何か“神様”にその物語の在り様を告げるというか、逆に神託を受けるかのような、“神との対話”という印象を持ったので「祭壇」と呼んでいるワケです。
元型を、「像」という言葉で説明するのは、元型そのものは力動作用として心に現れるのであり、意識は、作用の結果生じる心の変化を認識できるだけで、元型そのものは意識できない為である。元型が心に作用すると、しばしばパターン化された「イメージ」または「像」が認識される。 例えば、男性の心に「アニマ」の元型が作用する場合、その男性は夢に美しく魅力的な「乙女」の姿を見たり、魅惑されたりする。あるいは、これまでは、まったく意識していなかった、少女とか女性の写真や絵画、ときに実在の女性に、急に、引き寄せられ、魅惑されるなどが起こる。このように、「アニマ」の元型が作用すると、少女や乙女や女性の像・イメージが、男性の心のなかで大きな意味を持って来る。そこで、このような少女や女性の「イメージ・像」を、「アニマの像」と呼び、説明のために、このような像・イメージをユング心理学では「元型の像」として示す。 このような「元型の像」は、人物の像に限らない。「老賢者」の元型のイメージは、先の尖った峻厳とした高峰や、空を羽搏き飛ぶ大鷲のイメージで出てくることがあり、他方、「太母(グレートマザー)」の元型のイメージは、地面に開いた、底知れぬ割れ目や谷、あるいは奥深く巨大な洞窟のイメージなどであることがある。 (Wikipedia「元型」より)大文字は自分で加工。「祭壇」は人物ではないのでは?という予想指摘に対応。
それで、その成果は、精神病で無い人の夢の話などの心理分析から、果ては世界各地にある神話による民族単位の精神分析(集団の無意識の話)に繋がってくる。世界各地にある神話やおとぎ話のある種の共通性は、人間の心の中にある一定の働きによって生まれているのではないか?その共通性を象徴的に顕しているのが、ある種のパターンをもって全人類的に登場してくるキャラクター=元型ではないか?という。…この話になってくると「物語」に対する流用性は俄然高まるんですね。実際に「元型」を調べて行くと、物語の登場人物のこのパターンは正に“これ”だろうという事が多々あります。 …ただ、同時に「面白さ」という観点からの話をすると、モロに「元型」そのものというよりは、ある程度、多少ズレていたり複合されたり変化したりする方が「面白さ」や新鮮さを感じたりするようなので、そこはちょっと気をつけないといけないかと思います。要するにモロにアニムスじゃない方が「面白い」のに、心理分析的にはアニムスに規定しようという力がはたらく、そこに目指す方向の背反があるという事です。同様に検証を進めて行く過程で、次第に何でも「元型」で説明したくなって強引な当て嵌めをしたり、あるいは無思慮に新たな元型を打ち出したくなってくるのですが、経験からいうとそういった志向になるのは慎重さが必要だと思っています。