今期アニメの『C』を観終わりました。『面白ろ』かったです。当初、バトルロワイヤルのアニメのように見せていて………いや、そのバトルに対するギミックというか『楽しさ』が、今ひとつパッとせず。そのため、妙に分かりづらい設定と説明が先行してしまって、必ずしも『物語』として成功してるワケではないと思うんですが…(汗)
その着想、そのメッセージは、現代寓話として、深夜アニメ作品として非常に目を惹かせるものがあり、少なくとも僕は、その風刺に“刺され”ました。…日常をカツカツで生きている日本人として、実はかなり痛かったです。
『C』は、親の破産によって経済的に苦しい生活を余儀なく負っている大学生・余賀公麿が、ある日、“金融街”と言われる異空間で互いが戦って資金を稼ぐ“アントレプレナー”に選ばれる『物語』。アントレはある程度の資産を持って金融街にエントリーしているが、それはアントレプレナーの「未来を担保にして得た」ものだと言う…。
僕は経済について勉強したことがないので、あやふやな書き口になってしまいますが、この『物語』は金融経済を比喩的に描いていて、中でも現在、800兆を超えるという日本の負債がどこから来たものなのか?あるいは不景気~財政の失策~によって「何が失われるか?」を克明に描いてくれています。
ペトロニウスさんに聞いた所、「将来と現代の対立」~つまり「未来を担保にする」って話ですが~は、経済学の問題設定としては古くからあるもの(ただし解決法が見出されてはいない)との事で、僕も聞いた事はあったんですが、この物語において「担保にした未来」が実際に回収されて行くシーンは、単純ながらも衝撃的で、これみて「ああ……つまり、こういう事か」と体感に落ちたような気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d8/9815c46f6af6440da61956df1104555c.jpg)
三國「判るか!?俺が“今”こそ大事だと言った理由が!!人間としてあるべき姿は、目の前にあるものを愛しみ大事にする事だ!!形の見え無い“先の事”を考えて右往左往する事じゃない!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a1/07feff402a9b0909fe83a31d6c5cd01a.jpg)
公麿「でも!俺の“目の前”は変わっちまったよ!どっか行っちまったよ!!俺なりに、自分の周りの人々とか大事にしていたつもりだったんだけど!!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/26/0a09aa9c107328daf5b530f7d5e3713d.jpg)
「首相の会見…見たか?」
「政府も必死だな。国の言う事を信じている国民なんか、いやしないさ」
「…日本を出るか?」
「利口な奴はもう出てるだろうな」
…ちょっと、自分の実体験の話をすると、僕は仕事で東京に出てきて10年くらいになるんですけど、最初の頃は、けっこう色々、日本のあっちこっちを回っていたりしたんですよね。今は、日本のあっちこっち…って感じではないですけど、それでも関東圏はそこそこ広範囲で回っています。
だからそこそこ色んな街の“景色”を観ています。10年前も景気がよかったワケじゃないですけど、それでもやはり今見えるその“景色”は違ってきてしまっている事を感じます。『C』で二人の主人公といえる公麿と、三國は、要所要所で公園のベンチに座り、自分たちが「守った“景色”」、「守れなかった“景色”」を観るのですが、正にあんな感じです。
……この駅で降りた時に、いつも必ず食べに入っていた、この食堂があったシャッターは何時開くのか?モロに駅前の店のシャッターが開かないって10年前に自分が観ていた“景色”だったか?いや、もっと昔に遡って、僕が子供の頃住んでいた土地は、どうしようもなく片田舎だったけど、テナントが開いたままになっている建物なんてなかったし、どんどん建物は増え、店は増えて行って行った。あの時の“景色”はどこに行ってしまったのか?
……10年前から通っている、この土地はどうしてずっと、真っ平らなままなのか?ぽつり、ぽつりと点在している大仰な建築物(そこが訪問先なんですが)から、この土地をどんな都市にしたかったかがイメージできるのですが、逆に、どうしてその時は、そんな大それた事が出来ると考えていたのか?
「未来の担保として回収されてしまった」という比喩表現は、それらの僕が持っていた疑問……とも言えないような単なる寂寥感を説明してくれました。「どっかの誰かが、マネーゲームに負けて、それが負債として持ってかれた…」って言うと乱暴に過ぎるんですが……う~ん、何て言うのかな?
……その、駅前のシャッターが何時までも開かないのは「そのシャッターが開くという“未来”ごと持ってかれた」って事なんですよね。一人のテナント事業者が失敗したけど、でも、すぐにまた別の事業者がテナントの名乗りを上げるだろう……じゃなくって。その未来ごと持ってかれた。「未来を担保にする」という事、そしてそのベットに失敗するという事はそういう事なんだと。
じゃあ、どうするんだ?というと、丸く収まる答えは何もない。(ないですよね。あったらやってるよね)念のために言うと「未来を担保」にする事は悪か?というと本来そうではない。元々、人間の文明活動というのは、多かれ少なかれ「未来の担保」によって成り立っている所はあるし、この場合、特に日本という事になるかもしれませんが、競走から脱落した資源の無い国どうなってしまうか?という事を考えると、力尽きるまで走り続ける事が、犠牲となる人の量を緩和し続ける事であり、走り続けるためには自転車だろうが、何だろうが融資を必要としているんですよね。
だから、最後の公麿の決断は正しかったかどうか解らない。…いや、こういう言い方はできるかな?『物語』として、現実世界の金融経済ではなく、ミダス銀行が主催する「未来を担保」にした金融街の世界では公麿が正しいかもしれない。なぜ、ならハッキリと形ある未来の可能性を奪って行くから。
たとえば仮説としてミダス銀行の回収は日本の国土に埋蔵している天然資源の消滅にまで及ぶ…とすれば分かりやすいかもしれませんが、そうでなくても「子供が居た」という現実があり、なんらかの失策によって、その子供は回収されて消えている……って事は、その失策と、子供という未来が消える事の因果関係がはっきりしているからです。そうやって明確に未来の可能性を消されつづけるなら、それは何処かで止めなくていけない……かもしれない?
しかし、現実世界はそうとは言えない。ある財政の失策が、国民の失意を生み、出産の減少につながったかどうかは証明のしようがない。『C』は何が奪われたのかはっきり分かるから、伝わるものがあったけど、現実世界は何が奪われたのか全く特定できない。(無限にある)「未来の可能性」は一切奪われてないとすら言える。…でも、本当に何も奪われてないなんて事あるの?……と。
…………いや、すみません(汗)僕にはよく分かりません。難しくって。(´・ω・`)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f5/13ba75f09227c75f3f6f467c1b870d30.jpg)
ただ、一つ言えるのは、公麿の決断後、“C”の直撃を受けた日本は、本当なら、三國がこの国をボロボロにして守った状態よりも、さらに悪い状態になるはず。だからその後、公麿が観る景色が明るい景色なのは、幾分かの補正がある。…しばらく時間が経って落ち着いたら、もしかしたら、ああいう公麿が望んだ景色が手に入るのかもしれない。でも、逆に『世紀末救世主伝説』みたいな、モヒカンに“ZEED”とか彫った徹底的に治安の悪い景色が広がっているかもしれないw
……それは分からない事なんですよね。言ってしまえば主人公補正で、決断した事に対する“祝福”としてあの景色がある…とも言えます。でも、まあ、先ほど言ったように、明確に「未来の可能性を奪う」金融街の呪縛から未来を解放したから、この景色が広がっているんだ…と考えれば『物語』としては良いのかなと思っています。
難しいテーマに挑んだ、なかなか野心的なアニメで、とても『愉し』ませてもらいました。……これ、コミカライズされていないんですね?この物語って画で見せて、説明を充分に盛りこんで行けるマンガの方が適している気もします。今更かもしれないけど、どこかやらないかなあ?
その着想、そのメッセージは、現代寓話として、深夜アニメ作品として非常に目を惹かせるものがあり、少なくとも僕は、その風刺に“刺され”ました。…日常をカツカツで生きている日本人として、実はかなり痛かったです。
『C』は、親の破産によって経済的に苦しい生活を余儀なく負っている大学生・余賀公麿が、ある日、“金融街”と言われる異空間で互いが戦って資金を稼ぐ“アントレプレナー”に選ばれる『物語』。アントレはある程度の資産を持って金融街にエントリーしているが、それはアントレプレナーの「未来を担保にして得た」ものだと言う…。
僕は経済について勉強したことがないので、あやふやな書き口になってしまいますが、この『物語』は金融経済を比喩的に描いていて、中でも現在、800兆を超えるという日本の負債がどこから来たものなのか?あるいは不景気~財政の失策~によって「何が失われるか?」を克明に描いてくれています。
ペトロニウスさんに聞いた所、「将来と現代の対立」~つまり「未来を担保にする」って話ですが~は、経済学の問題設定としては古くからあるもの(ただし解決法が見出されてはいない)との事で、僕も聞いた事はあったんですが、この物語において「担保にした未来」が実際に回収されて行くシーンは、単純ながらも衝撃的で、これみて「ああ……つまり、こういう事か」と体感に落ちたような気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d8/9815c46f6af6440da61956df1104555c.jpg)
三國「判るか!?俺が“今”こそ大事だと言った理由が!!人間としてあるべき姿は、目の前にあるものを愛しみ大事にする事だ!!形の見え無い“先の事”を考えて右往左往する事じゃない!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a1/07feff402a9b0909fe83a31d6c5cd01a.jpg)
公麿「でも!俺の“目の前”は変わっちまったよ!どっか行っちまったよ!!俺なりに、自分の周りの人々とか大事にしていたつもりだったんだけど!!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/26/0a09aa9c107328daf5b530f7d5e3713d.jpg)
「首相の会見…見たか?」
「政府も必死だな。国の言う事を信じている国民なんか、いやしないさ」
「…日本を出るか?」
「利口な奴はもう出てるだろうな」
…ちょっと、自分の実体験の話をすると、僕は仕事で東京に出てきて10年くらいになるんですけど、最初の頃は、けっこう色々、日本のあっちこっちを回っていたりしたんですよね。今は、日本のあっちこっち…って感じではないですけど、それでも関東圏はそこそこ広範囲で回っています。
だからそこそこ色んな街の“景色”を観ています。10年前も景気がよかったワケじゃないですけど、それでもやはり今見えるその“景色”は違ってきてしまっている事を感じます。『C』で二人の主人公といえる公麿と、三國は、要所要所で公園のベンチに座り、自分たちが「守った“景色”」、「守れなかった“景色”」を観るのですが、正にあんな感じです。
……この駅で降りた時に、いつも必ず食べに入っていた、この食堂があったシャッターは何時開くのか?モロに駅前の店のシャッターが開かないって10年前に自分が観ていた“景色”だったか?いや、もっと昔に遡って、僕が子供の頃住んでいた土地は、どうしようもなく片田舎だったけど、テナントが開いたままになっている建物なんてなかったし、どんどん建物は増え、店は増えて行って行った。あの時の“景色”はどこに行ってしまったのか?
……10年前から通っている、この土地はどうしてずっと、真っ平らなままなのか?ぽつり、ぽつりと点在している大仰な建築物(そこが訪問先なんですが)から、この土地をどんな都市にしたかったかがイメージできるのですが、逆に、どうしてその時は、そんな大それた事が出来ると考えていたのか?
「未来の担保として回収されてしまった」という比喩表現は、それらの僕が持っていた疑問……とも言えないような単なる寂寥感を説明してくれました。「どっかの誰かが、マネーゲームに負けて、それが負債として持ってかれた…」って言うと乱暴に過ぎるんですが……う~ん、何て言うのかな?
……その、駅前のシャッターが何時までも開かないのは「そのシャッターが開くという“未来”ごと持ってかれた」って事なんですよね。一人のテナント事業者が失敗したけど、でも、すぐにまた別の事業者がテナントの名乗りを上げるだろう……じゃなくって。その未来ごと持ってかれた。「未来を担保にする」という事、そしてそのベットに失敗するという事はそういう事なんだと。
じゃあ、どうするんだ?というと、丸く収まる答えは何もない。(ないですよね。あったらやってるよね)念のために言うと「未来を担保」にする事は悪か?というと本来そうではない。元々、人間の文明活動というのは、多かれ少なかれ「未来の担保」によって成り立っている所はあるし、この場合、特に日本という事になるかもしれませんが、競走から脱落した資源の無い国どうなってしまうか?という事を考えると、力尽きるまで走り続ける事が、犠牲となる人の量を緩和し続ける事であり、走り続けるためには自転車だろうが、何だろうが融資を必要としているんですよね。
だから、最後の公麿の決断は正しかったかどうか解らない。…いや、こういう言い方はできるかな?『物語』として、現実世界の金融経済ではなく、ミダス銀行が主催する「未来を担保」にした金融街の世界では公麿が正しいかもしれない。なぜ、ならハッキリと形ある未来の可能性を奪って行くから。
たとえば仮説としてミダス銀行の回収は日本の国土に埋蔵している天然資源の消滅にまで及ぶ…とすれば分かりやすいかもしれませんが、そうでなくても「子供が居た」という現実があり、なんらかの失策によって、その子供は回収されて消えている……って事は、その失策と、子供という未来が消える事の因果関係がはっきりしているからです。そうやって明確に未来の可能性を消されつづけるなら、それは何処かで止めなくていけない……かもしれない?
しかし、現実世界はそうとは言えない。ある財政の失策が、国民の失意を生み、出産の減少につながったかどうかは証明のしようがない。『C』は何が奪われたのかはっきり分かるから、伝わるものがあったけど、現実世界は何が奪われたのか全く特定できない。(無限にある)「未来の可能性」は一切奪われてないとすら言える。…でも、本当に何も奪われてないなんて事あるの?……と。
…………いや、すみません(汗)僕にはよく分かりません。難しくって。(´・ω・`)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f5/13ba75f09227c75f3f6f467c1b870d30.jpg)
ただ、一つ言えるのは、公麿の決断後、“C”の直撃を受けた日本は、本当なら、三國がこの国をボロボロにして守った状態よりも、さらに悪い状態になるはず。だからその後、公麿が観る景色が明るい景色なのは、幾分かの補正がある。…しばらく時間が経って落ち着いたら、もしかしたら、ああいう公麿が望んだ景色が手に入るのかもしれない。でも、逆に『世紀末救世主伝説』みたいな、モヒカンに“ZEED”とか彫った徹底的に治安の悪い景色が広がっているかもしれないw
……それは分からない事なんですよね。言ってしまえば主人公補正で、決断した事に対する“祝福”としてあの景色がある…とも言えます。でも、まあ、先ほど言ったように、明確に「未来の可能性を奪う」金融街の呪縛から未来を解放したから、この景色が広がっているんだ…と考えれば『物語』としては良いのかなと思っています。
難しいテーマに挑んだ、なかなか野心的なアニメで、とても『愉し』ませてもらいました。……これ、コミカライズされていないんですね?この物語って画で見せて、説明を充分に盛りこんで行けるマンガの方が適している気もします。今更かもしれないけど、どこかやらないかなあ?
![]() | 「C」第1巻 <Blu-ray> 【初回限定生産版】 |
内山昂輝,戸松遥,細見大輔,後藤沙織里,櫻井孝宏 | |
東宝 |