サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
EL WEBLOG DE LATIN FACTORY
解悟
私は暫く佇んだ後、ようやく木曾の桟に背を向ける決心がついた。
これ以上ここに居る必要は無い
王滝森林鉄道がダメでも小川森林鉄道があるではないか
せめてもの救いを、20年前に踏み込まなかった小川森林鉄道の廃線跡に求めたのである。
結局何度も行き来した鬼淵橋まで戻る事になった。復路も往路と同じくクマさん御用達の小径を歩く事にする。味気ない自動車道を歩く位であれば、幾らかでも往時の面影を感じられる集落の間を縫って歩いた方が気も収まると考えたからである。
道すがら住民とおぼしき男性とすれ違ったので、20年前から現在に至るまで、何が起こったのかを訪ねてみる事にした。概要は以下の通りである。
『かつて森林鉄道が廃止された後、しばらくの間は荒れ放題のまま軌道跡は放置されていた。しかし、変化が起こったのが10年程前の事。新鬼淵橋の建設と同時に軌道跡は自動車道として再開発され、往時の姿は完全に姿を消した。』
その男性は、さらに次の様に続けた。
『対岸の国道(19号線)しか無かった頃は、国道で一旦事故が起こると、渋滞どころの騒ぎではなく、完全に交通麻痺となり、国道の利用者だけではなく地元の住民の生活にまでも大きな影響を及ぼしていた。廃線跡の自動車道建設は地元住民達の願いでもあった。』
私はこの話を聞いて愕然とした。廃線跡が完全に消失してしまった事実、それが残念な事には変わりがない。が、しかし、である。地元住民にとっては、ここ上松の地は生活の場なのだ。自分の様な酔狂者が自分の趣味として黙々と訪れ、失われて行く風景を悲しむのは勝手だが、それは、ここに安住の地を持たない一趣味人の戯言に過ぎない。地元の生活にとっては、自動車道の建設は当たり前の生活をする為の悲願であったのである。
私はその男性に礼を述べると、更に足を速めて先ほどの鬼淵橋まで舞い戻った。
つづく
Editor CABEZÓN