セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

あけましておめでとうございます。

2009-01-01 18:46:16 | 文化
新年あけましておめでとうございます。

さて、今年の元旦は僕にとっては過去ウン十年の元旦とは違っています。つまり無職で迎えた元旦です。建て替えで新築した家に持ってきた荷物がまだ片付かないので気が落ち着かないのと、外構工事が完成しない点をのぞけば、気分は軽快です。

世の中では職を失って生死の問題を抱えている人が非常に多くいますが、僕の場合さしあたっては食べる心配もない(?しない)ので、申し訳なく思います。僕がやめた6月30日はリーマンショックもトヨタショックも起こる前でしたが、就職難が予想される今年4月に結果としてですが市に採用される人が1人増えることになったのは良かったと思います。貯金や退職金ですぐやめても生活費に支障のない公務員は、ワークシェアリングのつもりで定年前の早期退職をしたらどうでしょうか。60歳まで勤めてさらに数年間嘱託等として役所近辺で働かなければならないと考えている方、それは思い込みではありませんか?金銭的には有利であっても、はるかに失うものが多くはありませんか?

本日ついた年賀状のなかに、退職した理由に、よっぽどのことがあったのかと心配しているものがありました。また数日前にあった大学時代の友人たち(公務員ではない)も理解できない様子であった。そこで説明しよう。

僕が退職したのは、懲戒処分によるものでもないし、病気によるものでもない。セクハラ等の不都合なことを起こしていたたまれなくなったわけでありません。仕事ができなかったのではと?これは僕からはなんとも言えませんが、数字的には他の同じような職場と比して上位できちんとやっていることになっています。まあ職場環境が他とくらべて良い点もありましたが。そんなわけでそれも違います。ただ僕の性向に合う仕事ではありません。管理関係の仕事なので、管理が嫌いな僕は、かなりリバタリアンに共感してきました。だから冗談に、リバタリアン(政府の介入を極端にきらう自由主義者)が役人になっているわけにはいかないから退職したといいます、とマルクス主義者の友人は苦い顔をします。

そんなわけで退職は僕の自主的な判断による。理由も直截な契機となるものがあるが、それ以外に多くの積極的な理由がある。言い換えれば、これはやめることが正しい行動と思ったとき、再任用や嘱託を含めて60数歳まで市にいるのが当然と思っていたことが、単なる思い込みであることがわかった。それからは早く退職日の6月30日が来るのがまちどおしかった。

直接の契機は、退職前の職場は朝が早いが、僕は家庭の事情で早く眠られない上に、就眠中に2・3度目が覚める。このため、慢性的な寝不足状態で、就業中に居眠りすることが多い。問題なのは公用車を運転して長時間運転する必要が時々生じることです。私的だが過去に睡眠不足のため運転中に意識を失い事故をおこしたこともあります。そんなわけでその旨を身上書に記載したがまったく無視された。しかし運転を拒否し続けると仕事にならないし職場に軋轢を生む。しかし運転することは第3者を巻き込む未出の故意の犯罪になる。そこで自己にたいする倫理上の要請として退職することになったのです。

しかし退職すると決めてからは、これはいいことに気がついたと思いました。啓蒙という言葉の、蒙(おおわれてくらいさま)を啓(ひら)くとはこういうことですね。いつできるか思いもつかなかった家の建て直しができるし、読んであげられないかった数千冊の蔵書を読んであげることができる。またこのまま勤めると悪く(?)すると、定年間際に管理職にさせられて人事評価をしなければいけなくなるのが、避けられる。

そんなわけでたとえ1ヶ月後に人事異動を行うといわれても、絶対に退職するつもりで4月の中頃に6月30日で退職したい旨の退職願を出しました。4月の中頃のわけは、それより前は翌年3月31日でやめる早期退職者の受付期間だから、退職金の上積みを餌に1年待てと言われ断るのが面倒だからだ。1年まてばその間に事故や発病が起こる確率が高い。事実、5月に母が骨折して入院した。入院中はいいがその後は、僕が退職して家を建て直していなかったら非常に困ったことになっていただろう。

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