セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

伝説の助役、伝説の副市長

2013-02-28 22:50:11 | 名古屋

住田副市長が市長選にでないことになったね。実は僕はこうなることを予想していたと言えば信じるかな。つまり住田副市長は市長選に色気は持っていたが、自公民の3党こぞっての推薦が条件だが結局公明党がまとまらなくてボツになることさ。まあ書いておかなかったので証拠はないが、とにかく当然の理屈としてでも後付けの解釈にしてでも解説しよう。

住田副市長が市長選に色気を持っていたのは副市長を3月31日で辞任すると表明した時にわかる。市長選に出るのかという記者の質問に「今は副市長の職務を果たしたい」とはっきりと否定しなかったことだ。市長選に出る気がないのなら「その気はありません」ときっぱり否定したはずだ。おっと同じ否定でも「○○%ない」と言うのは信じられない。「○○%」というのは客観的予測の形だから嘘をついた罪悪感が消せる。想定外のことはよくあるからね。でも「その気はない」とか「その意志なない」というのは嘘をつくという罪を犯す覚悟がいる。だから嘘をつけない実直(意外に公務員に少ないけど)な公務員の住田副市長は否定できなかったのだ。

それから3月31日の退職も市長選出馬に可能性を残している。つまり市長任期まで副市長を勤めると、市長任期満了前30日以内に施行される市長選に出られなくなる。副市長は辞職する20日前までに市長に辞職願を出して市長の承認を受けなければならないから、市長が承認しなかったなら困ったことになる。もちろん立候補の権利はあるので市長選に出場して副市長失職ということも可能かもしれないが、そんなゴタゴタは絶対に避けたいだろう。だから市長任期まで副市長をやる姿勢なら市長選に出馬はないとみられる。

3月31日は市役所の定期人事異動に合わせたという。替わりの副市長を局長クラスの定年退職者から任命できるというもの。もっともな配慮にみえるがあまり意味のない気がする。あまり意味がないと言う理由は、一つは選挙後に市長が外郭団体の役員になっている者から副市長を指名しても良いと思うし新しい人が市長になる可能性も考えるならばそのほうが合理的だ。また住田氏自身の場合と同じように定年前の人の抜擢だって可能だ。

二つ目は、政令市の副市長は3人までおけるが今は2人いるだけ。民間人枠にした1人分が空いている。だから退職者から1人副市長を補充しながら住田氏もしばらく副市長のままでも支障がない。むしろ引継ぎを考えれば暫定的に3人体制のほうがよい。

では市長選に色気があった住田氏はなぜ出馬しなくなったのか。それは新聞報道どおり公明党が推薦しないからだ。信じるか信じないかは勝手だけどここまで僕の予測どおりだ。自民党は言い出しっぺだから当然推薦する。民主党は以前には自民党と首長選挙で相乗りしないと言う方針があったがそんなのは霧散したので推薦する。しかし公明党は市会議員個々人では市役所共同体に巻きこまれているから反河村で住田氏を支持したいが、影響力の極めて強い地元の創価学会が「河村さんでもええがや」と言ったら住田氏を支持できない。

だいたい名古屋市役所幹部は伝統的に「(共産党は別として)全ての会派の推薦があれば市長選に出るが、そうでないならダメ」の人がほとんど。これは名古屋市役所幹部にはほとんど調整型の受け身人間ばかりで政策発進型の人間はあまりいないからだ。言い換えれば口まで運んでくれれば食べるけど自ら火中の栗を拾うことはしたくないということだ。まあ何かやりたいことを出してこれを支持してくれる政党なら推薦を受けるというようなアクティブな人はそもそも役所組織で幹部になれない。あ!いや昔、大山とかいう公害対策局(今は環境局)長とか農政緑地局長をやった人がいたな。汚職で退職したけど、本人は雑誌に京大閥と名大閥の争いに巻きこまれたようなことを書いていたが、出る杭が打たれたようにもみえる。オット話が脱線した。

でも逆にこれがやりたいから出馬するので推薦してくれと各党に要求する市幹部がいたら各党は引いてしまうだろうね。とくに民主党は「何かやりたい人」は河村市長でだいぶ懲りているはずだ。歴史的に市幹部出身の名古屋市長が多いのは市役所共同体での(利害の)調整型が求められているせいだろう。住田氏は能吏でありながら、いや能吏だからこそイコール調整型で政治家型でない。だから調整困難な党派対決はもう嫌だろう。それで市長になりたいせいでなくても副市長を辞めるのだろうと思う。自公民三党まとまれば市長選に勝てる可能性があり勝てば市長を失った減税名古屋は失速するから問題でなくなる。だから公明党の支持は絶対不可欠だった。

ところで以前に「住田副市長は特例の人」と書いたけど40年近く前にも「特例の人」の助役がいた。僕が名古屋市に就職したのは1974年でその前年の1973年に革新の本山市長が誕生した。お!ご明察。革新市長の誕生で組合の人員要求から多く職員を採用したのだ。でも言っておくけど僕はギリギリの成績で入ったのではないよ。もちろんトップクラスではないけど。でその時の助役が浅井助役と今城助役だった。新規職員の研修の講演は今城助役だった。今城助役は革新市長に強い敵意を持っていて講演でそれをぶちまけておりビックリした。でも今城助役は関係ない。すぐやめたし。「特例の人」というのは浅井助役だ。住田副市長は定年前に下級の理事から副市長に抜擢されたという点で異例だが、浅井助役はたしか給仕の身分で名古屋市役所に入り在職中に高等文官試験に合格したという人だ。高等文官試験は後の国家公務員上級試験や一種試験で東京帝大法学部なら大概受かるがそれ以外はほとんど受からないというもの。

浅井助役は人望もあり本山市長の2期目の市長選挙のとき自民党から市長選挙出馬の要請があったが「助役として仕えた本山市長とは争えない」として固辞した。かわりに自民党から推薦をうけて出たのが教育長の日比野氏だ。本山氏と日比野氏。何れも 地下鉄の駅名とおなじ苗字だ。かくして当時は東山線と名港線(?ひょっとしたら当時は名城線かな)の対決と言われた。勝ったのはもちろん本山氏だ。

浅井助役も本当は勝ち目を考えての結論かもしれないが当時は美談と思われた。浅井氏は助役退任後に名古屋市博物館長を務めた。住田副市長は僕と同じ年齢だが途中採用だから助役時代の浅井氏は知らないかもしれないが市博物館長の浅井氏については元助役の大物館長として名前を聞いたかもしれない

浅井氏は「伝説の助役」。そうすると住田氏は「伝説の副市長」になるのか。住田副市長はこのあと市博物館長になったら面白いのに。



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