セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

レジューム・チェンジ

2013-02-25 17:11:00 | 社会経済

くにさん、私の2012年2月16日のブログについて先日コメントで中国製品の日本についての他国におけるよりより強い影響力についての実証的有益な資料を教えてくれてありがとう。いわゆるデフレと中国国製品との関係は無職で週に何日もスーパーやホームセンター100円ショップに出かけている自分には実感できるものです。

さて今発売中のVoice3月号にはジム・ロジャーズの「日本は金融緩和をただちに止めよ」というインタビュー記事のタイトルの他にもうひとつ「そのとおりだなあ!」と感心したタイトルがついたコラムがある。それは飯田泰之氏の「『レジューム転換』としてのアベノミクス」だ。確かにアベノミクスにより財政破綻がくれば政官癒着と既得権益の戦後政治経済体制の体制変換(レジューム転換)が起きる。それこそ僕の待ち望むものだ。

もちろん飯田氏の言っている意味が違うことは百も承知している。飯田氏の言うレジュームとは経済政策体系のことだ。安部首相の発言にもこの「レジューム転換」という言葉がよく出てくる。多分もとは中野剛志氏(京大准教授から経産省に復帰)からだろう。中野氏の本には、今までデフレになる政策ばかりやっていた(デフレ・レジューム)からデフレから抜け出せなかった。だからレジューム・チェンジ(レジューム転換)してインフレ・レジュームにしなければならないというもの。

でもなあ、その後いろいろお説が出てくるのだけど、ここから入るのはマインドコントロールの手法で騙そうとしていると警戒してしまう。イヤイヤ中野氏には騙そうという意識はないだろうがそれはカルト教の信者の布教者も同じだ。

マインドコントロールとはこういうことだ。占い師なり教祖なりが病気か事故で不幸にみまわれて相談にきた人に「あなたは不幸になることばかりやってきたから不幸になったのです」と言ったらどうだろう。自己に原因があるのではと思うような罪悪感の強い人がたいていは納得してしまうのではないか。いや俺なら席をけって帰るとあなたは言うかもしれないが、そんな人はもともと相談にいかない。まあ占い師ではない僕なら「たまたま不幸な出来事が起こったがそれを現在未来に持ち運ぶのはあなたの心だ」とマインド・チェンジを勧めるね。

話は戻って飯田氏のコラムの主旨は、安部内閣になってまだ具体的な経済政策は行われていないのに円安になり株価もあがった。飯田氏は口には出さないが、健全な判断力の人なら「何もやらないのに円安になったのだから経済金融政策は関係ないのでは」とか「今まで(前政権)の政策の効果が遅れて出てきたので政策変更は不要では」と考えるかもしれないことを念頭においてそれらを否定しようとする意図がある。ここで飯田氏は「期待」とか「予想」の重要性を強調する。「政策に関する基本姿勢(レジューム)が変わったと受け止められたならば、政策の実施を待たずして、実体経済は大きく変化する」と書いている。

飯田氏はどうか知らないがリフレ派の人は「インフレは貨幣現象」とか「為替は金融政策の違いの結果」とドグマを掲げるが実体と齟齬かでても「期待」とかを持ち出すので反証できないなあ。おっとこれって反論できないからまいったといっているのでないよ。リフレ理論は擬似科学で科学ではないから理屈での駆逐不能だと言っている。これは僕にとって不利ではない。そういう誤った考えの人たちがいるからこの世で相対的に自分が有利になれるもの。

ところで飯田氏は「1970年以降、経済学研究では、『期待』『予想』が重視されるようになった。現在の経済学では、足元の貨幣量や政策よりも、『将来どのような政策が採られるか』『金融緩和政策はどのくらいの期間継続されるのか』が資産価格や企業行動に決定的な影響を及ぼすと考えられている」と書いている。でもアメリカのアカデミズムの世界では1970年以降かもしれないが、世界の経済史ではそれ以前から「期待」や「予想」か非常に重視されることがあった。それはバブルの中でだ。チューリップの球根に馬車1台と同じ価値があると思うかい。もちろん大金持ちの園芸家が特定の球根に大金を払ってでも欲しいと云うケースはありうるがそれは市場価格ではない。ただバイヤーがより高い値で売れるという「期待と予測」で売買したのだ。しかしバイヤー間の「期待と予想」のキャッチボールは根拠のないものだ。やがてバブルは破裂する。日本の土地バブルもそうだ。土地は値下がりしないという「期待と予想」で土地は値上げした。でもその値段で買って建てたアパートの家賃で元が取れるのか。その土地の地代に見合う営業収益が出るかが本当の購買者の決め手となる。だからバブルの破裂は必然だ。だけどバブルの中にいるとこんな高いのはおかしいと思ってもバイヤーの「期待」と「予想」が有る限りまだいけると思のだ。

1970年以降アメリカのアカデミズムの経済学研究で「期待」と「予想」が重視されるようになったのは、アメリカがドルと金の交換を停止してドルを垂れ流すようになったため経済が金融経済化するとともにギャンブル化したため。

思えば株式投資もギャンブルだね。「期待」と「予想」に満ちている。ある企業が画期的な製品を計画しているという情報が流れる。そうすると株価は大きく上がるね。株を買う人がいるから上がるのだけど、その企業の将来の業績が上がるから今買おうというまともな人はホンの少数。多くは「業績を予測して買う人」が出てくることを予測して買う人と「『業績を予測して買う人』が出てくることを予測して買う人」が出てくることを予測して買う人ばかりだ。でも親亀こけたら皆こけるぞ。

バブルの中にいると「期待」と「予測」が重要と思えてくる。だから飯田氏は「あれ?いま俺は何を言っているのだ。千古不変のバブルの時の合言葉ではないか」と考えてみることだ。

なお円安が進んだのは前に書いたけどユーロ共同債で欧米経済が小康状態になりドルが避難先の円から回帰し始めたのと、もちろん安倍内閣への期待もある。もちろんその期待は日本が財政破綻に一歩踏み出すというもの。



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