セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

DVD鑑賞ノート「不滅の李舜臣」[その2]

2009-09-15 19:12:24 | 歴史
「不滅の李舜臣」は大きく4つの章に分かれている。最初の第1章は「青年時代」というタイトルだが、ドラマはいきなり慶長の役の最終局面から始まる。小西行長とひそかに通じている明国の陸軍の武将は小西行長を逃がそうと考えているが、李舜臣は絶対に小西行長軍を滅亡させなければいけないと考えている。やっと明朝連合軍を結成して攻撃を始め、小西救援にきた島津をはじめとする日本艦隊と霧梁で海戦となるが李舜臣は激戦の途中で鉄砲に撃たれ死んでしまう。そこから少年時代へと遡る。

霧梁海戦の場面は、同じシーンが最終の第4章でまた登場する。それで2回同じシーンを見たためか、なぜ李舜臣は帰国する小西行長を執拗に撃たなければならないと考えた理由が分かってきた。復讐心からか?実はそれも垣間見ることができるが、李舜臣がいうには戦争を本当に終わらせるためだという。つまり「ここで完全に叩いておかないと、また攻めてくる」ということだ。今のわれわれは太閤秀吉が死んだことを知っているので、もう次の朝鮮出兵はあり得ないことを知っている。だが当時の李舜臣たちはそのことを知らない。文禄の役でいったん帰った日本軍が慶長の役で再度攻めてきた。とするとここですんなり日本軍を返しては、近年中にまた侵略してくると考えたわけだ。

李舜臣は鉄砲で撃たれて死んだ。なぜ総大将が鉄砲で撃たれたのかの理由もわかった。李舜臣は自分の乗っている大将船に突撃命令を出し、大将船が敵艦隊の真ん中に突っ込んでいったのだ。通常はありえない命令に部下たちは驚いた。日本艦隊の脇坂安治の船は突出した大将船に近付き攻撃を浴びせる。それを見た李舜臣の部下の船が脇坂船と大将船の間に入り込み、脇坂安治と李舜臣の部下(名前を覚えていない)は船上での白兵戦となり、2人は組み合ったまま海に落ちる。部下は引き上げられるが死んでしまう。李舜臣は彼に自分の鎧を着せる。そのあと李舜臣は鉄砲で撃たれ死んでしまう。

なんか李舜臣は死に場所を求めたみたいだね。後方で指揮するはずの大将船が突撃をして、乱戦中に鎧(正確には軍服に金属片がいっぱい着いたもの)を脱いでしまうもの。たぶん戦争が終わったら王様からなんか理由をつけられて反逆罪で殺される予感がしたかもしれない。李舜臣は王様の命令でも無理なものは絶対に聞かないので、王様の不興を買っている。また王様は自分が国民に人気のない一方、李舜臣に人気が集まっているのを気にしていた。実際に李舜臣は一度反逆罪で逮捕され拷問にかけられたがあくまで反逆を認めなかったので処刑されず、白衣従軍という形で一兵卒の地位に落とされた。その時はあとをついで三道水軍統制使(連合艦隊の長官みたいなもの)になった元均(ウォン・ギュン)が日本艦隊に大敗して死んでしまったので、再び李舜臣が三道水軍統制使に返り咲いたのだ。

ところでこのドラマでは日本の武将のなかでも脇坂安治が敵役としてずっと出てきている。霧梁海戦でも出てきて李舜臣の部下と組み合って海に落ちてしまった。李舜臣の部下は引き上げられたが、脇坂安治の引き上げられた場面は出てこなかった。脇坂安治は賤ケ岳の七本槍で有名な武将だ。淡路洲本の領主だったので朝鮮出兵では水軍となった。このあと関ヶ原で西軍を寝返って大名として江戸時代まで生き残った。だから当然引き上げられて命をとりとめたということになるね。でも、もともと脇坂安治は霧梁海戦には参加していないのと思う。島津義弘、寺沢広高、立花宗茂が小西行長の救出にむかって霧梁津で激突して海戦が起こったのだもの。立花宗茂は水軍ではないが「歴史街道」9月号の「宗茂の足跡」に「11月18日:宗茂、霧梁津で朝鮮軍と激突。小西の救援に成功」と載っている。それなら立花隊は船上から鉄砲を撃ったのではないか?立花勢の鉄砲隊の威力は関ヶ原合戦の大津城攻めでも有名だ。とすると李舜臣を仕留めたのは立花宗茂かもしれない。無敗の海将と無敗の陸将との激突は陸将の勝利となった。

このドラマの中では、何度も「李舜臣は23戦23勝」となんどもナレーションが入る。でもそれはおかしい気がする。23戦23勝なら最後の霧梁海戦も李舜臣の勝利のはずだが、李舜臣は死んでいる。もちろん主将が死んでも戦は勝利ということもある。トラファルガー海戦のイギリスのネルソン提督もそうだ。でも霧梁海戦では作戦目的である小西行長の脱出阻止ができていない。とするならば目的を達成できなかったので作戦は失敗つまり敗戦となるのではないか。またこの霧梁海戦の前にも、明朝連合軍が順天城を攻撃して明軍に大きな死傷者がでて失敗した。李舜臣はそれでも戦に勝利したと王様に報告したが、明軍からの報告を知っている王様は敗戦を勝利という李舜臣に激怒している。李舜臣は敵の被害の方が多いから勝利だという理屈だ。こうした理由による勝利も23勝の中にはまだいくつも含まれているような気がする。

ところで脇坂安治を演じている俳優は、他の歴史ドラマでも時々みかける人だ。悪役顔なのにむしろ良い方役が多い。はじめはかつらのつけかたもおかしかったが、あとにはだんだん合ってきた。「王の女」も同じだがこのドラマの日本軍は、鎧かぶとが戦国の時代のものと源平時代のものが混じっている。この脇坂安治もはじめは源平時代の鎧かぶとが多かったが、後半は戦国時代らしい水牛角のついた黒兜でぴったり合ってきて似合っていた。後半でも船の上では源平式もあったがこれは気にならない。たぶん海に落ちた時のため鉄製のものより布製の源平式のほうが合理的な気がするからだろう。

時代考証のついでに、このドラマの日本軍の兵士は鉄砲を構えて突撃して、乱戦になると日本刀を振りかざして朝鮮の兵隊の短い槍と闘っている。でも旧日本軍の三八式銃じゃあるまいし、走りながら火縄銃は撃てないよ。それから日本軍でも戦国の合戦では刀でなく槍だよ。これは足軽だけでなく名のある武将も同じ。

豊臣秀吉もよく出てくる。最初は織田信長の家来で身分のそう高くないときからだ。それで初めてみたとき、あれこの人ちょっとサルというに立派すぎる顔で秀吉らしくないと思った。立派でこわもての顔は太閤になってもだが、この太閤秀吉は竹中直人に似ている。竹中直人も太閤秀吉を演じたが、木下藤吉郎時代は軽妙な感じで藤吉郎らしかった。この「不滅の李舜臣」の太閤秀吉はヤクザの親分の感じだが、でも違うタイプの竹中直人に似ているのだ。なお秀吉の着物の紋が織田信長の木瓜なのはおかしかった。そのうち偉くなったためか、着物には紋がなくなり、部屋の後ろに大きな五三の桐が出てきた。おお日本を知る視聴者から注意があって直したのかと思ったら、子供の秀頼の着物にはまた織田信長の紋が付いていた。

この「不滅の李舜臣」の豊臣秀吉の側近には石田三成は出てこない。西笑承兌という僧侶が参謀みたいにいつも秀吉のそばにいる。西笑承兌は明や朝鮮との外交文書で歴史に出てくる人物。それをこのドラマでは秀吉の朝鮮出兵の参謀役としている。僕の立花宗茂は会話のなかで名前だけはでてくるが出演はない。水軍も李舜臣も関係ないから当然だけど碧蹄館の戦いも「明軍が大敗した」というナレーションがあっただけ。小早川隆景は出てきた。よくでるのは小西行長と加藤清正。加藤清正は鹿賀丈史に似た俳優が演じている。本物の加藤清正もこんな顔をしているのではないかと思った。肖像画の印象と似ているから。他に藤堂高虎、九鬼嘉隆も水軍大将だから出てくる。