セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

政権は鉄砲から生まれる

2011-02-10 15:58:57 | 名古屋
前に、河村市長の得票数の増減に注目していたところ、名古屋市長選挙史上最高得票の前回よりもさらに10万票以上を上積みしたのでビックリしたと書いた。でもよく考えてみれば、前回市長選では公明党が自民党と一緒に細川候補を支援していたのが、今回は事実上の河村支持に変わったのだから、10万票の増加も不思議ではないのだ。でもそうしたからくりがあったとしても、河村市長が多量に票を伸ばして圧勝というイメージは確固としてできてしまったので、市政の力関係は河村市長に大きく傾いた。

市長選の前は、市長選を行うために辞職するのは大義がないなどと反対勢力はぼやいていた。韓流歴史ドラマをよく見る僕は、「大義とか名分とか、お前らは老論(ノロン)派か?」と思ったものだ。老論派に限らず李氏朝鮮は朱子学の政治が国是の国家だ。だから大義名分が政治闘争の焦点になる。日本の江戸幕府も朱子学が公認哲学だが実質は他の儒教の学派や国学なども盛んだった。幕閣から諮問を受けた儒学者にも荻生徂徠など朱子学者でない者も多い。だから徳川幕府は朱子学国家ではなかった。むしろ明治になってから日本が実質的な朱子学国家となったと言われる。

大義がないといえば、参議院で郵政民営化法案が否決されたから衆議院(参議院に解散はない)を解散した小泉首相(当時)もその時点では大義名分がないと言われた。自ら大政奉還した徳川慶喜をさらに武力討伐しようとした西郷吉之助(隆盛)も名分がないと言える。しかし結果を知っている現在の人々はこれらを名分がないからといって間違った行動とは言わないだろう。それは勝てば官軍と言うことではない。政治における変革を大きく一歩進めるには、戦いによって力関係の大変動を知らしめるしかないからだ。「鉄砲から政権が生まれる」とは毛沢東の言葉だが、それはそうした意味を示している。結果からみれば、大義名分などというのはなんと空虚な言葉だろう。李氏朝鮮では大義名分は果てしない派閥抗争や流血を生み出してきたが、なんら有意義な進歩や変革をもたらさず国家社会を衰退させていた。大義名分は自らの利益のための口実に過ぎない。

ところで昨日の『学べるニュースSP』の「物価」について池上彰氏の解説でおやっと思った。というのはリフレ派的な解説が入っていたからだ。池上氏は以前の「日本銀行」の解説のときにははっきりとは言わないにしても金融緩和的手法に冷ややか感じがした。ところが昨日は1%ぐらいのマイルドなインフレが一番いいようなリフレ派寄りの解説があった。もっともリフレ派は3%ぐらいがいいと言っているが。これは先の「日本銀行」の解説を見たリフレ派の有力者や学者から何らかの圧力があったからなのかなと思う。圧力といっても政治的な圧力ではなくて、狂信的なリフレ派からのレクチャー攻撃があったのだと思う。というのは今国際的な商品相場の高騰により日本にも物価が上がる気配があるので「物価」というテーマはいいのだが、内容が今回の物価高騰の原因にはあまり触れないで、デフレとインフレのどちらがよいかという話に重点が言っているのだ。そこでデフレスパイラル的な解説とか、インフレで景気がよくなることという解説があった。デフレスパイラルは続かないし、インフレ下での景気後退というのも理論上あり得るだけでなく、歴史的に存在している。池上氏はリフレ派と同じ奇妙な論理を話した。「物価が上がると思うと上がる前に買おうとするから消費が増える」「物価が下がると思うと買うのを控えるから消費が減る」これらはリフレ派の誤った子どもだましの論理だ。現実には人々はそんな買いだめを行うかな?たとえそうして買いだめしてもそれは消費支出の先出しだから、後の反動で消費支出が減少する。企業は一旦増産しても急にブレーキがかかるのでかえって経済に害悪を与える。あっ、70年代の石油危機のときにスーパーからトイレットペーパが消えたのは、値上がりの予感ではなくて、石油がなくなると製紙工場が止まってトイレットペーパの出荷が止まるという噂のためで値上がりの予感のためではないよ。

ところで僕の書棚には、オーストリア学派の人が書いた一般向けの本が2冊ある。専門書はまだ何冊も出版されて僕も数冊も持ってはいるが、日本での一般向けはこの2冊だけだろう。一つはヘンリー・ハズリットの『世界一シンプルな経済学』で、もう一つはヴァーツラフ・クラウス(チェコ大統領)の『「環境主義」は本当に正しいか?』でどちらも日経BP社の発行だ。ところが驚きかつ不審に思ったのは、この2冊に解説文を書いているのは、リフレ派の旗頭の若田部昌澄教授(早稲田大学)だ。オーストリア学派とリフレ派は対極にあると言ってもよい。若田部氏も解説で自分のリフレ派的な主張を述べ「ハズリットの議論をそのまま受け取ることには注意が必要」と批判している。解説文を書いたのは若田部氏がアメリカ行ったときに回りにハズリットやリバタリアンに影響を受けった人が多くいたかららしいのだが何か釈然としなかった。日経BP社があまり懇意でないオーストリア学派の学者に頼むよりいろいろ付き合いのある若田部氏に解説を頼んだのだろうけど。でもなぜ真逆の若田部氏なのだろう。

その謎は若田部氏の本に書いてあった。若田部氏の『改革の経済学』(ダイヤモンド社)と言う本を古本屋で見つけて買った。その本の最後に「-エピローグ-なぜ私はリフレを唱えるようになったのか?」という章がある。それを見ると、若田部氏は大学院生時代に現代オーストリア学派に親近感と興味を持っていたという。「ゲ!では俺もやがてリフレ派になる可能性があるのか?」と恐怖におののいた。もうすぐ発狂すると宣告された感じ。

でも読んでいて安心した。若田部氏は現代オーストリア学派に親近感と興味を持ちつつも、3つの点で違和感を持っていたそうである。それが若田部氏がオーストリア学派にならなかった理由だが、まさにその3つの点こそ僕がオーストリア学派に魅かれるところなのだから。第1点は、オーストリア学派が形式性に強い忌避感持つこと第2点はオーストリア学派が不況と好況を一帯の流れとして政府の介入を不要とすること。第3点はオーストリア学派の設計主義批判である。

第3点の「設計主義」とは、社会などを予め設計図を立てて行おうという立場。一般的にその代表は社会主義・共産主義となる。でも設計主義というのは多くの役人の特徴だね。何か行うのにあらかじめ日程等を決めておかないと不安になる。そしていろいろ不利な要点を列挙して結局できないと結論付けるのだ。僕の考えは、必要な事態があるのならとにかく自分が引き受けて常に気にかけることだ。そうすると向こうから新しい事態がおこり霧の中にふと解決策が見えてくるのだ。形式性で言えば、公務員は研修で職場改善というと圧倒的多くはマニュアル作りを上げるけど、マニュアル作成が改善ではなく、そこに書かれる仕事の内容が改善されなきゃいけないのだよ。

若田部氏が違和感を持った3つの点は実は、オーストリア学派だけでなく、陽明学と親鸞にも共通するものだ。

トリプル選挙の意義と予想

2011-02-04 15:33:44 | 名古屋
トリプル選挙も明後日に近づいたので今回の選挙について所見を述べよう。ナーンテネ。

河村手法を非難する人は「もっと話し合ってとか」「市長派の言いなりになる議会を作る気か」などと言うけど的外れな議論だね。特に日本では名古屋だけでなく地方議会全体がなんら二元代表制にふさわしい活動を行ってこなくて翼賛議会だった。今回は自分達の既得権益に手を突っ込まれようとしたので急に市長を独裁者と言うわけだ。市長が強く問題提起をしたから、せこいけど市議の今任期中だけ少し減額というポーズをとっただけなので、議会にお願いしただけでは議員報酬の削減というのは百年河清を待つのと同じだ。既得権を持つ者に自ら既得権を放棄せよというのは不可能なのは自明の公理。それをわかっていて河村手法を非難するのは卑怯だね。

日本の地方議会の報酬は世界一高い。それは外国ではボランティアだから。日本でも戦前はボランティアだった。それが戦後の高度成長の中で国や自治体の税収が増えてく中で、議会が首長となれあって財政拡大のおすそわけを受け取っていた。そして報酬が多くなり職業として成り立つようになった。いったん職業として成り立つと議員は当然のように職員の収入より低ければ威厳にかかわると主張しだし、名古屋市では議員の報酬は、一般職員の頂点の局長級の最高額よりちょっと上ということに慣習上なっている。

議員は国会議員も地方議員も報酬をもらっても選挙にお金がかかるとか事務所にお金がかかるのでそんなにもらったことにならないという。でも経済学的に言えば、それだけ選挙対策のお金を使っても当選すれば快適な生活を送れるが、お金を惜しんで落選したら特権を失うという均衡点で選挙対策費用が決まってくるのだ。だから正しい解釈は、選挙費用が高いから報酬をもらっても楽じゃないではなくて、選挙費用を多く出してもそれ以上の見返りはあるということだ。

でもさあ、高度成長はとっくに終わっているのだ。今じゃ国も自治体も借金漬けだよ。なんら有益な活動をしない議員に莫大な予算を使っていられない。逆に職業議員だからなんら有効な活動をしないかも。職業議員は市役所の監視者ではなくて寄生者になっているのだ。これに全国民が気づき始めたのだ。名古屋はその現れに過ぎない。寄生虫は高度成長期には気にならなかったかもしれないが、体力の衰えた老年期の日本社会には死活問題だ。今一度日本を洗濯する必要がある。

選挙の結果は世論調査でほぼ決まっているようだ。そこで当落とは別に自分なりの勝敗の分かれ目を設定して投票日を待とう。

まず河村たかし候補。
前回市長選の得票数<今回市長選の得票数
これだけ大騒ぎしたのだもの。それは有権者にどう影響しているか見ものだ。名古屋の有権者が覚醒してきたか、それとも引いてきたかということ。

次に石田候補。彼は当然当選できないが、以下のようでないと民主党政権に大打撃になるので。
石田候補票>八田候補票+杉山候補票

県知事選挙では大村候補が当選だが、御園候補と重徳候補のどちらの得票が多いか。御園候補が重徳候補より少なかったら、これも民主党政権に大打撃だ。でも僕の予想では市長選も知事選も民主党政権に大打撃になる気がする。

民間出身の大西副市長の辞任

2011-01-13 19:14:58 | 名古屋
河村市長に迎えられた民間(トヨタ系ディーラー)出身の大西副市長が辞任する。もともと1期限りと決めていたので河村市長の辞任にあわせたという。大西副市長は民間感覚での市役所の行政改革に取り組んだが目立った成果はあげられなかったという。

一般論として、民間出身者の副市長がおおいに役立つとしたら、下から上がってくる起案に対して役人が気づきにくくてポカしやすい点を指摘して訂正させることだ。たとえば国の役所の話になるが「後期高齢者」とかのネーミングや落ち葉マークと揶揄される車の表示は、民間のマーケティングに長けた会社なら決して通さないだろう。郵政とペリカン便の事業統合も純粋な民間会社だったらもっと慎重に手はずを確認してあんな混乱は起こらなかった気がする。

だから民間出身者の幹部だから行政改革をと身構える必要はないと思う。特色をだすとしたら、流されずに上記のことを行いながら、ふとこれは変える必要があると思ったこと発見したら断固として実行することだと思うな。大西副市長が役人の独りよがりな提案になんら有益な訂正を加えないでスルーさせている一方で、「改革、市民サービス向上」とつぶやきながら区役所を現地指導していたとしたら本末転倒だと思う。

僕は現役職員ではないし現役だったとしても副市長とは没交渉だと思うので、本当はどうだったのかわからないが、大西副市長はたぶん下からの起案に適切な指示を与えていたと思う。河村市長が連れてきた人だもの。でも仮に大西副市長が「俺はいろいろ意見をいったが役人が頑固で聞かなかった」と言ったならこれはまた問題。たいてい問題の多くは役人ではなくて副市長の方にあると思う。役人が納得しないのはそれなりの合理的な理由がある(勿論ない場合もあるけど)が副市長の方が理解できてないことが想定できる。良い的をえた指摘なら、役人も自分の盲点にハッと気づいて受け入れると思う。でもなあ、外部から来て役人の言うことの本質をつかみしかも役人を感服させる指摘ができる人はそうはいない。通産省でもそれができた大臣は田中角栄と河本敏夫だけだったというからね。河本敏夫さんに総理になってもらいたかった。

「2ちゃんねる」の「名古屋市職員専用スレッド」を見ると、大西副市長が、区役所の窓口にきて、「カウンターの上にチラシなどを置かないように」とか「机の上は整理整頓」とか言ったという。「2ちゃんねる」の職員たちは細かいことを言うと不満そうだった。でも実は同じような指示は従来でもなんども降りてきたものだ。まあ発信元が区長なのか総務局なのかは知らないけど。「市民目線でのサービス向上」も河村市長・大西副市長のずっと以前から月間を設けた年中行事として取り組まれてきている。副市長により現地指導が新しい趣向と言えばいえるが、それがどれほどの効果があったのか。効果をあげたいのなら、たとえば「カウンターの上」にしても、総務課長会で提案して総務課長に行わせて結果報告を求める方法に効果がある。もしかして総務課長会では反論が出て決まらないから現地指導になったのかな。

とはいえ僕が行政改革を必要ないと言っているわけではない。むしろ僕の方こそ関心があると言ってもいい。外部の人が、お役所だからきっと直すべきお役所仕事はいっぱいあるという前提からみるのと違って、役人を長いことやってきての問題意識である。

それは役所を本来の目的を最優先する組織にするにはどうしたらよいかということだ。ある目的のために作られた組織が、その目的よりも構成員の福利を優先していくのは止められないのだろうかということ。その代表的な例が旧帝国陸海軍だろう。戦史をみて驚くことは、国家の利益と高級将校の面子や利益が相反したとき、何の迷いもなく高級将校の利益を取っていることだ。『敗北の理由』(谷光太郎、ダイヤモンド社)では「機能組織(ゲゼルシャフト)型」が「共同体組織(ゲマインシャフト)型」になっていくと書いてある。それはそうだが、ではどうすればいいのか?

そのヒントは意外な所から見つかった。僕はオーストリア学派経済学の信奉者で当然に反リフレ派である。正確にはリフレ派への反感などいろんな自分の判断をもっているとオーストリア学派経済学にたどりついたということだ。で、反対陣営のリフレ派(日銀の金融政策によってわざとインフレを起こそうという人々)の本も時々読んでみる。あ、これは公正な判断のためでもなくまた揚げ足取りでけちをつけるためでもない。自分が思ってもいない考えを知ることは楽しいし、また自分はこうは考えないと気づくことで自分の考えがまとまるからだ。

リフレ派の松尾匡氏の『対話でわかる痛快明快経済学史』かな?『不況は人災です!』かな?とにかくその両方の本に書いてあるゲームの理論だ。たしか松尾氏は「ゲームに勝つにはゲームの規則を知って規則に従わなければならない」というようなことを書いていた。そのとき僕ははっと気がついた。そうだゲームの規則を変えればいいのだ。

リフレ派の松尾氏の本だから参考になったがちょっと悔しいと思っていたが、松尾氏は無視しているが、ゲームの理論を最初に経済学の持ち込んだのはオーストリア学派のモルゲンシュタインなのだ。オーストリア学派は常に異端でたえずその時代の優勢な考えに論争を挑んで決して負けてこなかった。主流派経済学は行き詰ると、シュンペーターやモルゲンシュタインらのオーストリア学派出身の学者からアイデアを借りて苦境を打破しようとする。でも首尾一貫していないからすぐまた行き詰まる。オーストリア学派は首尾一貫しているから正しいがゆえにいつも異端派だ。

話は戻るが、役所にいたとき、何年かに一人新規採用者で一日中職員バッチをつけている人がいた。僕も出張する場合は背広にバッチをつけるが、それ以外ではバッチは机の中。ほとんどの職員も同じだ。でもそうしたバッチをつけている新人職員は最初の異動で総務局の特定の課への異動を希望してその旨直属課長を通じてアピールする。僕なんかは、いつも職員バッチをつけるなんて真面目というべきだがなんか変で理解できんと思っていた。ちなみに規則では常に職員バッチをつけることになっている。エリートの一種である区長が区役所の部課長会で「職員規則では常時職員バッチをつけることになっているが」と問題にしようとしたら、エリートコースとはほぼ無縁の多数の課長が、「帰宅途中での一杯飲み屋で職員バッチをつけなきゃいけないというのは無理です」と大反対したと言う話がある。

つまり役所に入ってくる有名大卒職員の中には、たぶん先輩からどうしたら出世コースに乗れるのか教えられてそのとおりに従っている人たちがいる。僕としたらせっかく地方自治体に入ったのに職員を管理する部門に行きたがるのは何が楽しいか不思議だった。でも実はそれが出世ゲームの規則だったのだ。僕は鈍感でかなり後になって「2ちゃんねる」の「名古屋市職員専用スレッド」で知ったのだ。でも最初から知っていても僕には関係ないけど。

だから役所の行政改革とはゲームの規則を変えることだ。たとえば人事課など管理部門にいたら出世の回り道になるという風にしたらどうかな。

共産党は八田氏を擁立

2011-01-11 17:19:43 | 名古屋
2月6日の名古屋市長選挙に共産党や名古屋市職労などが加入する革新市政の会は元参議院議員の八田ひろ子氏を擁立するという。民主党が擁立した石田芳弘衆議院員とは政策面で合意できれば八田氏の出馬は取り下げて石田氏を推薦するつもりがあったが協議したが歩み寄りできなかったそうである。

社民党は市長選に石田氏、知事選に御園氏を推薦することにして、すでに両氏と政策合意ができているという。地方自治体レベルの政策で共産党と社民党でさほど違いがあると思えないので、政策以前の問題で民主党および石田氏は共産党と組みたくなかったのだと思う。たぶん名古屋市役所内部の市職労と自治労名古屋との組合の対立も大きく関係しているのだと思う。

ただね、当選するのは河村たかし現市長だろうということは脇に置いて言うと、石田氏への票は共産党がつくのと別陣営になるのとでは市職員の票が大きく違うと思う。これは共産党が大きな勢力があるという意味ではない。

たしかに市職員の間での河村氏への反感は大きいかもしれないがそれがそのまま石田氏への支持へは向かわないと思う。石田氏は自治体の議員内閣制なるものを主張しているね。これは市議会議員が市役所幹部になること。そうなると上級役職者のポストが減る上に、わけのわからない議員幹部に説明して判を押させるわずらわしい仕事が増えることになる。だから石田氏の市職員の支持はそれほど高くないと思う(現役でないので想像だが)。

市役所内の反河村票はわりと石田氏ではなく八田氏に流れる可能性がある。え?それでは河村市長が続投ではないかって。でもさあ河村市長と市の職員の問題は大部はまあ過ぎ去った問題だが、石田氏が当選すると新たな問題がこれから起こると思うと、棄権するか八田氏にいれて反河村の意思を表明した方がよいと思う人も多くいると思う。

市職員の票は、棄権、石田氏、八田氏、河村氏、杉山氏に分かれると思うが、どの人もそれほど差があるとは思えない。河村氏の支持者も多数派ではなくても存在する。

共産党は執拗に反河村キャンペーンをやっているが、それは議員定数削減が共産党の死活問題になってきているから。でもそんな時流に鈍感ではますます衰退するだけだ。70年代では共産党と公明党は激しく争うライバル関係だった。でももうその昔に勝敗は決まった。今回公明党は知事選では河村氏の盟友の大村氏を支持し、市長選は自主投票として、事実上河村支持の構えを取った。それは幅広い階層の支持者の意向や思惑に敏感に反応しているから。共産党はそこが欠けているから衰亡するだけだ。

二人の衆議院議員の辞職のあとは

2010-12-22 09:54:58 | 名古屋
すまん、前日のこのブログで、「次の衆議院選挙は当分ないので65歳の石田氏の政治生命はほぼ終わる」というその時の感想を書いたが、それは正しくなかった。石田氏が名古屋市長選挙出馬のため衆議院議員を辞職すると、愛知6区では選出議員が空白となるので4月12日告示の24日投票で補欠選挙がおこなわれる。だとすると石田氏が2月6日の市長選挙に敗れても4月には衆議院議員に復活する可能性があることになる。ひょっとしたら石田氏にはその計算もあったのかな。

ただし他都市の首長への出馬で地元の支援者も白けているだろうし、前回総選挙での民主党への追い風も今では逆風になっている。総選挙で落選した自民党の丹羽秀樹氏への同情もあるので補欠選挙がおこなわれても当選するのは丹羽秀樹氏だと思う。そういえば同じ愛知6区の春日井市を車で通ると丹羽秀樹氏のポスターが目につく。

ところで愛知知事選に出馬する大村秀章衆議院議員の場合はどうだろう。彼は除名される前は愛知県でただ1人の衆議院議員だ。彼は比例復活なので彼が辞職すると自民党から別の1人が繰り上げ当選となる。ただし東海ブロックで次に惜敗率が高かった静岡4区の望月義夫氏だ。愛知県の自民党衆議院議員はいなくなるわけだ。