玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

死刑をパフォーマンスにする人たち

2010年07月29日 | 政治・外交
まったく呆れるばかりだ。
千葉法相の「駆け込み死刑執行」が馬鹿げているのはもちろんだが、それに対する「死刑存続派の」批判が輪をかけてひどい。


死刑執行、落選法相続投への批判かわす狙い? : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 千葉法相が28日、昨年9月の就任以来一度も行ってこなかった死刑執行に突然踏み切ったことについては、野党などから「30日に召集される臨時国会を控え、参院選で落選した千葉氏を続投させた菅首相への批判をかわす狙いがあるのではないか」との見方も出ている。


【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相の死刑執行命令 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
 28日に就任後初めて死刑執行に踏み切った千葉景子法相は、死刑制度反対論者として知られてきた。27日にも「死刑は大変重い刑」と死刑に慎重姿勢を強調していたが、実は死刑執行の命令書に署名したのは24日のことだった。法相の職責をようやく果たしたともいえるが、国民をたばかる不意打ちだといわれても仕方ない。30日召集の臨時国会で野党側からの追及をかわす思惑も透けて見え、死刑囚の命をもてあそぶ政治パフォーマンスのにおいすら漂っている。


死刑制度存続に熱心な読売・産経の両紙は、今回の死刑執行が千葉法相と菅内閣の意思によるパフォーマンスだと見ているようだ。こじつけにもほどがあるというか勘繰りすぎというか。はっきり言ってバカらしい。
今回の死刑執行をパフォーマンスと呼ぶとしたら、法務省の官僚がシナリオを書いて千葉法相に振り付けしたに違いない。そう考えるといちばんわかりやすい。「千葉法相パフォーマンス説」を取る人たちは「なぜ今なのか」と首をひねってみせるけれど、それは千葉氏が自発的にパフォーマンスを行ったと決め込んだせいで意味不明になっているだけのことだ。

いまさら言うまでもないが、法務省は「世論の強い支持」を大義名分として死刑制度を維持していくつもりである。もちろん、千葉法相のように死刑執行をサボタージュする大臣は好ましいものではない。特に、千葉氏は去年の政権交代を受けて誕生した民主党内閣の初代法相だ。何事も初めが肝心、民主党政権をしっかりとしつける必要がある。千葉氏に任期中死刑執行せずという実績を作らせてはならない。「人権派政治家」の好き勝手、逃げ得は許さない。
千葉氏個人が死刑反対論なのはどうしようもないが、法務大臣の椅子に座る以上は法に則って粛々と死刑を執行していただく。法相が執行命令書に判を押してくれるよう粘り強く説得し、水も漏らさぬ包囲網を作るのが法務省高級官僚の務めだ。
(これは私が想像した「法務省官僚の考え方」であり、私自身の意見ではない。念のため)

一方の千葉法相はこのところ気が弱っている。
参院選で落選して政界引退の決意を固め、当然法相も辞任するつもりだったが菅総理に慰留された。慰留とはいっても、千葉氏の能力が必要だと評価されたからではない。菅総理にとっては内閣や民主党執行部から誰かが辞任し、それが呼び水となって「菅降ろし」が起きるのが怖いのである。千葉氏は菅氏と民主党現執行部の都合のためだけに「9月の代表戦までは続けて」と頼まれたわけで、ずいぶん情けない話だ。
ただでさえ落選で意気消沈しているのに加えて、菅総理や党のバックアップも期待できない。これまでは個人的信条を頑なに守って法務省官僚たちの説得をはねつけてきたけれど、もうそんな元気はない。脅し(「世論は死刑サボタージュに怒ってます」「国会で責任を追及されますよ」)やらすかし(「私たちを助けると思って判を押してください」「大臣は法務省を去ればそれきりですが、部下が責任を負わされます」)やら、硬軟取り混ぜた説得に心が揺れる。
「どうせ針のムシロなら、一年近く仕えてくれた法務省の人たちに恩返ししよう」「法相として初めて死刑執行に立ち会うのは意義があるのでは」といった考えも浮かび、これまで拒み続けてきた死刑執行命令書に判を押す気になる。あるいは、「もう突っ張らなくて済む」と千葉氏はほっとしたのかもしれない。

もちろん、政治的には愚かな話だ。
いきなり裏切られた死刑廃止論者は当然怒る。そして、これまで「死刑執行命令の義務を果たさないのは無責任」と千葉法相を批判してきた死刑存置派からも評価されない。せいぜい「おや、ご立派な信念はどうしたんですかね」と冷笑されるくらいだ。ぶれたところをここぞとばかり叩かれても不思議はないし、実際そうなっている。「臨時国会で野党側からの追及をかわす思惑」どころの話ではない。
今回の唐突な死刑執行は千葉法相が法務官僚の説得に押し切られた、あるいは抵抗をあきらめて自ら乗ったと見るのがいちばんわかりやすい。千葉法相でも菅内閣でも民主党でもなく、法務官僚による死刑制度存続を誇示するためのパフォーマンスだ。
参院選の前にいきなり菅総理が消費税引き上げを言い出したのと同じである。あれは財務省の官僚が菅総理を取り込んで「財務省は何がなんでも消費税引き上げを目指す」と宣言する示威行動だった。新聞や週刊誌にも「シナリオを書いたのは財務省」「菅総理は踊らされた」という説明が見られたものだが、なぜか読売と産経は今回の死刑執行に落ちる法務官僚の影から目をそむけているようだ。


クローズアップ2010:千葉法相、死刑執行命令 信念崩し「論議」 - 毎日jp(毎日新聞)

 民主党政権で初めてとなる死刑執行が28日、前回の執行からちょうど1年を経て行われた。死刑廃止派の立場から存廃議論に踏み込もうとした千葉景子法相が執行命令にかじを切った背景には「執行せぬままの議論はあり得ない」とする法務省の強い姿勢があった。
(中略)
 死刑廃止を推進する議員連盟のメンバーだった千葉法相だが、刑事訴訟法は「死刑の執行は法相の命令による」と定める。就任後は信念と職責のはざまで揺らぐ一方、会見で姿勢を問われるたび「国民的議論を起こしたい」と刑罰論議喚起に意欲をのぞかせた。

 しかし、省内には「執行をしないままで議論を始めれば『まず廃止ありき』とも取られかねない」との慎重論が大勢。裁判員制度で市民が死刑を選択する可能性もある中、千葉法相も徐々に死刑を受け入れたとみられる。

執行後の会見では省内の勉強会設置も発表し、法務省が消極的だった刑場の公開にも踏み込んだ。勉強会は千葉法相在任中の来月にも始動する。絞首刑が適切かどうかや、執行当日になって本人に告知する方法を改めることの是非、外部との接触が極端に限られる処遇のあり方などを議論する見通しだ。議論は開かれた場で行うとし、情報公開に向けても一歩踏み出した。

 任期終盤とも言えるこの時期、信念を崩しての執行命令と引き換えに「公約」だった刑罰論議をようやく呼び起こしたとも言える。


どうやら今回の死刑執行は「法務省内に死刑制度についての勉強会を設けること」とのバーターだったらしい。千葉法相にとって死刑執行は政治的な国会や国民に向けたパフォーマンスではなく、役人にお願いを聞いてもらうための人身御供。いやはやなんとも、「政治主導」を謳う民主党政権にしては情けない限りである。
読売や産経の「千葉法相による政治的パフォーマンス論」は、千葉氏を強く批判するように見えて実は庇っている。すでに操り人形あるいはゾンビ化している千葉氏を、自らの意志でパフォーマンスを打つ気力のある政治家のように見せかけている。とっくに目が濁り生臭くなった魚を「取れたて、生き作り」と称して売りつけるようなものだ。詐欺じみていて見るに耐えない。


<追記>
読売も「駆け込み死刑執行」は官僚主導だったことを書いた。遅ればせにしても書かないよりはマシだ。産経はいつまで見て見ぬふりを続けるつもりだろうか。

落選後になぜ?廃止論者の死刑執行 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 千葉法相は就任直後から、「死刑に関する議論を巻き起こさないといけない」と繰り返し、刑場を国民に向けて公開する必要性も説いていた。ただ省内には、執行を先送りしたまま公開だけを進めれば、死刑廃止に向けて歩を進めていると受け取られる恐れがあるという懸念もあった。「執行とセットでの情報公開」が、双方のぎりぎりの妥協点だった。




参考記事
 もはやこの国に死刑を執行する資格などありはしないだろう - Consideration of the history


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