「情報仲介者の実名公表を拒否し、辞職しない」あるいは「実名を公表し、辞職する」のどちらかのほうが一貫性があってマシだったんじゃなかろうか。
永田、メール記者実名白状「辞職」は拒否
以前だれかに
「褒められたときには『自分のやったこと』が褒められたのだと思え」
「批判を受けたときは『自分自身』が批判されたのだと思え」
と言われたことがある。
いつどこで誰に言われたのか覚えていない。もしかしたら偽の記憶かもしれない。何かの本で読んだか、あるいはテレビで見たのか。自分で思いついたという可能性もある。
誰が言ったのかはさておき、この言葉の意味は「褒められても思い上がるな」「批判されたら(失敗したら)根本的な原因までさかのぼって考えろ」ということなのだろう。批判されて「人格攻撃だ!」と逆切れする被害者意識の強い人がいるが、そのような態度を推奨しているのではないはずだ。
「誰か」の言葉が常に正しいかどうかは疑問だが、一面の真実ではあるだろう。そして、偽「メール」事件における永田議員と民主党の対応はどうやらそれとは正反対のようである。
私は永田議員とは別人であり民主党員でもないので、彼らが本当はどう考えているのかわからない。あくまでも民主党に期待する(嘘ではない)一有権者として言うが、彼らは褒められたときには「自分自身が・民主党そのものが」評価されたのだと簡単に思い込み、その逆に批判を受けたときは「自分の・民主党の『失敗』が批判されているだけだ」と安易に聞き流しているように見える。
彼らが自らの過ちを認めるのはいつも後手後手であり、情報公開は中途半端あるいは単なるポーズだけだったりする。
永田議員と民主党は「『メール』は偽物だったけれど、我々が疑惑を追及する熱意は本物だった」「永田議員と民主党は『情報仲介者』に騙された被害者なのだから、世間も同情してくれるはずだ」といった自分に都合のいい子供じみた考え方を捨てきれていないのではないか。
いや、「捨てきれていない」と書いたけれど、もしかしたら彼らは「自分たちにそのような傾向がある」「それを捨てなければ信頼回復などありえない」ことさえ理解していないのではないか。
永田議員と民主党にかなり厳しいことを書いてしまったが、これは彼らを嘲笑するためではない。
私自身が永田議員と同じ傾向 ― おっちょこちょいで安易で無責任 ― を強く持っており、彼がみっともない姿を晒せば晒すほど過去の(現在の、あるいは未来の?)自分の恥ずかしい姿を思い出していたたまれなくなるからである。「同病相哀れむ」という言葉があるが、同じ「おっちょこちょい・無責任」病の病人仲間として、永田議員と民主党に「そんなことではますます病気が悪化するだけだよ」と要らぬおせっかいを焼きたくなってしまうのだ。
それにしても、永田議員は24日の懲罰委員会で「『自分で傷つけた権威を取り戻す作業に全力を尽くしたい。私の人生をかけた判断なので、受け止めてほしい』と述べ、議員辞職を否定した」というが、これほどまで現実認識を欠いて自己陶酔的な言葉を聞いたのは久しぶりのような気がする。もしかしたら彼は「格好悪さを極めていてむしろ格好いい」という評価を得ることを期待しているのかもしれないが、単に馬鹿っぽくて見苦しくて恥ずかしいだけなので、これ以上阿呆の真似をするのはお止めになったほうが良かろう。
永田、メール記者実名白状「辞職」は拒否
「堀江メール」問題で、衆院懲罰委員会は24日午前、永田寿康衆院議員(民主党党員資格停止中)に対する質疑を行った。最大の焦点だった偽造メールを持ち込んだフリーの元記者の氏名について、永田氏はようやく「にしざわたかし(西澤孝)」と公表し、同氏が出版した月刊誌を400冊、42万円で購入していたことを明らかにした。永田氏は議員辞職を改めて否定したが、同委員会は同日、西澤氏への証人喚問を4月4日で実施することで合意した。メール問題の火種は依然、くすぶり続ける。
以前だれかに
「褒められたときには『自分のやったこと』が褒められたのだと思え」
「批判を受けたときは『自分自身』が批判されたのだと思え」
と言われたことがある。
いつどこで誰に言われたのか覚えていない。もしかしたら偽の記憶かもしれない。何かの本で読んだか、あるいはテレビで見たのか。自分で思いついたという可能性もある。
誰が言ったのかはさておき、この言葉の意味は「褒められても思い上がるな」「批判されたら(失敗したら)根本的な原因までさかのぼって考えろ」ということなのだろう。批判されて「人格攻撃だ!」と逆切れする被害者意識の強い人がいるが、そのような態度を推奨しているのではないはずだ。
「誰か」の言葉が常に正しいかどうかは疑問だが、一面の真実ではあるだろう。そして、偽「メール」事件における永田議員と民主党の対応はどうやらそれとは正反対のようである。
私は永田議員とは別人であり民主党員でもないので、彼らが本当はどう考えているのかわからない。あくまでも民主党に期待する(嘘ではない)一有権者として言うが、彼らは褒められたときには「自分自身が・民主党そのものが」評価されたのだと簡単に思い込み、その逆に批判を受けたときは「自分の・民主党の『失敗』が批判されているだけだ」と安易に聞き流しているように見える。
彼らが自らの過ちを認めるのはいつも後手後手であり、情報公開は中途半端あるいは単なるポーズだけだったりする。
永田議員と民主党は「『メール』は偽物だったけれど、我々が疑惑を追及する熱意は本物だった」「永田議員と民主党は『情報仲介者』に騙された被害者なのだから、世間も同情してくれるはずだ」といった自分に都合のいい子供じみた考え方を捨てきれていないのではないか。
いや、「捨てきれていない」と書いたけれど、もしかしたら彼らは「自分たちにそのような傾向がある」「それを捨てなければ信頼回復などありえない」ことさえ理解していないのではないか。
永田議員と民主党にかなり厳しいことを書いてしまったが、これは彼らを嘲笑するためではない。
私自身が永田議員と同じ傾向 ― おっちょこちょいで安易で無責任 ― を強く持っており、彼がみっともない姿を晒せば晒すほど過去の(現在の、あるいは未来の?)自分の恥ずかしい姿を思い出していたたまれなくなるからである。「同病相哀れむ」という言葉があるが、同じ「おっちょこちょい・無責任」病の病人仲間として、永田議員と民主党に「そんなことではますます病気が悪化するだけだよ」と要らぬおせっかいを焼きたくなってしまうのだ。
それにしても、永田議員は24日の懲罰委員会で「『自分で傷つけた権威を取り戻す作業に全力を尽くしたい。私の人生をかけた判断なので、受け止めてほしい』と述べ、議員辞職を否定した」というが、これほどまで現実認識を欠いて自己陶酔的な言葉を聞いたのは久しぶりのような気がする。もしかしたら彼は「格好悪さを極めていてむしろ格好いい」という評価を得ることを期待しているのかもしれないが、単に馬鹿っぽくて見苦しくて恥ずかしいだけなので、これ以上阿呆の真似をするのはお止めになったほうが良かろう。