玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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「寄生出産」という言葉について

2009年05月13日 | 代理出産問題
代理出産の本質とは「寄生出産」だと書いたことがある。

代理出産=「寄生出産」 - 玄倉川の岸辺
代理出産問題 - 玄倉川の岸辺

そのことについて、emiladamasさんのご意見をはてなブックマークで見た。

はてなブックマーク - kurokuragawa氏は切断処理なんかしないよ! - 解決不能
emiladamas 例えば代理出産の問題点を批判するために「寄生出産」という呼称を広めようとするのが、“人間として語りかけ彼らの良心と理性に訴えるのが正しいやり方”なのかしら。 2009/05/05

ちょうどいい機会なので、いま私が「代理出産」について思うことを書いてみる。

まず、私が「『寄生出産』という呼称を広めようと」しているというemiladamasさんの認識は誤解です。
いわゆる代理出産を「寄生出産」と呼んだのは、ネット上ではたぶん私が初めてだろう。寄生出産というショッキングな新語をタイトルにしてブログを書き、読者に読んでいただいた。「代理出産」をGoogleで検索すると1ページ目に表示される。ブログで記事にすることが宣伝行為だとすれば、なるほど「広めようと」したのかもしれない。
だが私自身はそうは思わない。このブログのアクセス数だかIPは4桁に届いたり届かなかったりで(最近確認していないけれど多分そんなところ)、影響力はミニコミ程度だ。私のブログごときで簡単に新語を広められるのであれば、広告屋さんが苦労することはない。私が「代理出産」記事を書くとき、冒頭で一度だけ「いわゆる代理出産を個人的には『寄生出産』と呼ぶ」と述べて、その後はカッコ付きの「代理出産」を使う。要するに自分自身でもほとんど使っていない。これで新語が広まるとは考えられない。
自分のブログを書くだけでなく、よそのブログや掲示板に出張して議論したり宣伝すれば「広めようとしている」と言われてもしかたないが、そういうことはしていない。覚えてないだけで実際は何度かやったかもしれないが、せいぜい5回かそこらだと思う。「代理出産反対論」のブロガーを集めたりあちこちにトラックバックを送ったりもしない。おおむねひっそりやっている。

事実として私は「『寄生出産』という呼称を広めようと」していないし、広まることを望んでもいない。
「望んでもいない」という点については少し説明が必要だろう。何かが広まる、というときにはたいてい

1 存在が知られるようになる、認知度が上がる
2 多くの人が実際に用いる

という二つの段階がある。
普通は第二段階までいかないと「広まった」と呼ばれない。たとえば「ハイブリッド車が広まる」といえば販売シェアが上がったり街でよく見かけることを意味する。「そういう車があると知っている」「CMを見た」というレベルでは広まったといえない。
多くの人が日常的に用いるという意味で「寄生出産」という言葉が広まることを決して望んでいない。むしろ「広まってくれるな」とさえ思う。私が懸念するのは、これまでいわゆる代理出産についてよく知らず、マスコミの情緒的な報道を鵜呑みにして「代理出産はいいことだ、認めるのが当然だ」と思っていた人たちが「寄生出産」という言葉を聞いただけで「なんだか気持悪い」と感じ、これまでの意見をひっくり返して「寄生出産叩き」にいそしむような現象だ。実際にそんなことが起きるとは思わないけれど、ありえないとは言いきれない。
私が望むのは、なるべく多くの人が代理出産についてマスコミ好みの「いい話」だけではなくネガティブな情報を知り、その上でじっくり考えてもらうことである。カードを裏返すように反対論に鞍替えしてほしくない。「寄生出産」というショッキングな言葉は「代理出産」をリアルな問題として考えるきっかけになれば十分だ。そういう言葉があると知るだけで十分で、使ってもらう必要はない。インパクトのある新語が広まると必ずレッテル貼りに使われ(「ニート」等)、考えを深めるのではなく便利なステロタイプにされてしまうからだ。

「寄生出産」という言葉が「人間として語りかけ彼らの良心と理性に訴える」ために使われているのかどうか、emiladamasは疑問に感じておられるようだ。私自身は、「代理出産」を望んだり実際に行った人たちを「人間性を失った」とか「同じ人類とは思えない」などと異物視するつもりはまったくない。
いまさら言うまでもなく、「代理出産」を望む思いそのものはたいへん人間的である。「自分の血のつながった子」にこだわる気持、最新の医療技術を利用する進取の気質、そしてなによりも、第三者の善意や社会システムに期待して「代理出産」を実現させようとする欲望と能力。いかにも現代人らしい。もちろん私は「代理出産」を望んだり容認する人たちは人間そのものだと信じている。いや、この言い方は「私がいるのは地球の上だと信じている」というのと同じくらい奇妙だ。「代理出産」を望むのは人間以外の何か(動物やロボット、神や悪魔)ではありえないのだから。
私が寄生出産という言葉を使って反対論を書くとき、「代理出産を望む意思がたとえ良いものだとしても(仮定)、実行されると社会的・道徳的問題が大きすぎてかえって不幸な女性を増やすだろう」と主張するとき、もちろん「代理出産」容認派の人間性を信じ、彼ら彼女らの理性と良心に訴えている。「代理出産」容認派が人間以下に成り下がっていると感じていれば罵倒で済ませるのかもしれないが、私はそんなことをするつもりはない。
だが、私の意図に反して「寄生出産」という言葉が人間性否定の道具、単なるレッテル貼りに使われる可能性は否定できない。だから私はこのいささかショッキングな言葉が「広まる」ことを望まないのである。



「代理出産」問題そのものについては、最近あまり何か言おうという気分にならなかった。気がつくともう半年ほど記事にしていない。
理由はいくつかある。

・ 言いたいことはだいたい言い尽くした

ネタ切れです。

・ そもそも自分に論じる資格があるのか

子供のいない独身男が「妊娠」「出産」についてどうこう言うのは不遜かもしれない。

・ 学術会議の答申が出た

これが一番大きい。
去年、日本学術会議が政府の求めに応じて専門家による議論を行い、「代理出産」をほとんど全面的に禁止すべきだという答申を出した。私はこれで「代理出産」論争に決着がついたと思う。というか、そう信じたい。
「代理出産」について法律で定める動きは現在のところ動いていないが、いつまでも棚ざらしにしておくわけにもいかないだろう。政府提出の法案は官僚が作るし、官僚はエスタブリッシュメント仲間である学会の顔をつぶすようなことはしないはずだ。基本的に学術会議の答申(原則禁止)に沿った法案になると期待している。
そうはいっても、何か「代理出産」のトピックをマスコミが肯定的に取り上げ、肯定論が盛り上がる可能性もある。そのときは議員立法で学術会議の答申を反故にした「容認」法案が作られるだろう。反対派としてはそうそう安心もできないが、「代理出産」に厳しい答申が出てからマスコミの論調もだんだん変わってきたように感じる。以前はそれこそ「代理出産を認めれば不幸な女性を救えるのになぜ認めないのか」「日本は遅れている」式に勇敢で乱暴な賛成論が目立ったが、学術会議の答申に倫理的・社会的・医学的な諸問題が明記されて「そんなにバラ色の技術じゃない」ことが(ようやく!)知られるようになったのだろう。インドでの独身男性による「代理出産」依頼事例や諏訪マタニティクリニックによる産婦人科学会の方針を無視する強行も考え直すきっかけになったはずだ。

最初に「寄生出産」という言葉が広まることを望まないと書いたが、これは「数年のうちに法律で禁止されるだろう」と楽観視しているから言えることなのかもしれない。仮に推進・容認論が法律化されそうな状況であれば、自分はどうしていただろう。レッテル貼りに使われることを覚悟の上で「寄生出産」という言葉を広めようとしていただろうか。それとも「自分にできることはやった」とあきらめたか。たぶんあきらめたと思うけど(根性なしなので)、実際どうだったかはわからない。
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「闇の代理出産マーケット」

2008年10月16日 | 代理出産問題
NHKで放送された「闇の代理出産マーケット」(デンマーク製作)を見た。
期待したとおり、「お涙ちょうだい」ではない立派なドキュメンタリーだった。多くの人に見てほしいがBSのみの放送では期待できない。地上波で放送してくれれば一番なのだがあまり期待できそうにない。せめて番組内容を書き起こして紹介する。
番組はデンマーク人依頼者とペルー人「代理母」の間で起きたトラブルを縦糸に、イギリス・インド・アメリカの「代理出産」事情を横糸として描く。
(文中「代理出産」「代理母」とカッコを付ける理由はこちらを参照)




 「あの子たちは私の子供です。ほかの誰の子供でもありません」
悲しげな表情の女性。

ナレーション
 アメリカのこの「代理母」は、三つ子の赤ちゃんを出産し報酬を手にしましたが、今も後悔しています。
 ヨーロッパのほとんどの国は、赤ちゃんを第三者に産んでもらう「代理出産」を違法行為としています。
 しかし多くの子供のない夫婦が「代理母」を探しています。

デンマーク人のカップル、キルステン(妻)とヘンリック(夫)が登場。
キルステンは糖尿病のため子供が産めない。
夫はそれを承知で結婚したが、やがて二人は子供を持ちたいと望むようになる。
養子を望んだが健康状態が問題とされ認められない。
テレビを見て「代理出産」について知り、インターネットで「代理母」を募集。
ペルーに住む25歳の女性、ティファニーが「代理母」をやりたいと連絡してくる。
費用は15.000ドル。

 「目の前のチャンスに賭けたんです。
  これを逃したら、もう二度とチャンスは来ないかもしれない。
  そう思って、一か八かやってみることにしたんです」
 デンマーク人「代理出産」依頼者 キルステン

 「まるで子供を注文して購入するようなものです。代理母になる女性も物のように扱われるのです」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク

キルステンとヘンリックはペルーを訪れ、ティファニーに「代理出産」を依頼する。
一回目の分割支払金1.800ドルを支払い人工授精を行う。




ヨーロッパでは例外的に代理出産が認められているイギリス。

 「話を聞いたとき、頭の中に光が射したみたいでした。明快で、理にかなっていたからです」
 「代理出産」依頼人 リンダ・コーエン

 「代理出産は、子供を作って家族を増やしたいという私たち夫婦の願いを実現できる方法だと思いました」
 「代理出産」依頼人 ニール・コーエン

 「私にもできるんじゃないかと思って、詳しく調べてみると本当にすばらしいことだとわかったんです」
 「代理母」 リンダ・ジョーンズ

テレビ番組を見て「代理出産」に興味を持ったリンダはコーエン夫妻のために男の子を出産。
再び依頼を受けて二回目の「代理母」となる。
「代理母」は必要経費のほかに最高10.000ポンド(約80万円)を受け取る。

 「お金目当てで引き受けてるわけじゃありません。
  もちろん、時間や労力に対する報酬は受け取りますが、もし何か問題が起こっても何の保証もないんです」
 「代理母」リンダ・ジョーンズ

 「代理出産を批判する人たちに、うちの家庭を見てもらいたいですね。
  道徳に反するなどというのは心ない非難です。
  これは、人が人のためにできる最高の贈り物なんです。金で買えるものではありません」
 「代理出産」依頼人 ニール・コーエン




チリの「代理母」ティファニーが妊娠し、キルステンとヘンリックは9.000ドルを送金。
その後ティファニーとの連絡が途切れる。心配するキルステンとヘンリックのもとに「交通事故にあって流産した」という知らせが入る。ティファニーは無事。凍結保存されているキルステンの精子を使ってもう一度「代理出産」をやりたいという。デンマーク人依頼者は1.200ドルを送金。




ナレーション
 途上国には、欧米の夫婦と代理出産の契約を結びたいと望む貧しい女性がおおぜいいます。
 インドは代理出産の新しいマーケットとして台頭してきました。
 外国人夫婦のために、8.000ドルで代理出産をするというインド人の女性に話を聞くことができました。

 「去年、夫が失業してしまって生活が苦しいんです。それで、『代理出産』を引き受けることにしました」
 インド人「代理母」

不妊治療専門クリニックでは卵子提供者と『代理母』を1万~2万ドルで斡旋。欧米の不妊カップルには魅力的な価格。
インドでは遺伝的な親の名前で出生証明書を出すことが認められている。

 「代理母の大半は非常に貧しく生活に困っています。
  しかし大量のホルモンが投与される『代理出産』は女性の肉体に対する暴力なのです。
  依頼者の支払う料金の大半はクリニックの懐に入り、代理母には約束どおりに支払われません。
  私は長年反対運動を続けてきたので、こうしたひどい実態を把握しています。
  代理母に話を聞こうとしても口を開いてくれません。
  余計なことを言ったら金を払わないと脅されているからです」
 インドの産婦人科医 プニート・ベディ

ヨーロッパで代理出産を禁止しても、子供の欲しい人たちが途上国に向かう抜け道がある。

 「実に嘆かわしいことです。
  金の力で発展途上国の女性の自由や子供の人権を奪い、搾取をしているのです。
  代理出産は新たな帝国主義の表れといえます」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク

 「ヨーロッパはいわゆる高い倫理基準を設けていますが、
  これは子供を持つ自由を禁じる措置に他ならないと思います。
  それが結果的に誠実で良識ある人々を闇のマーケットに走らせます。
  代理出産の技術は確立していますから、子供をほしいと思うあまり、
  闇のマーケットに頼ってでも実現しようとするのです」
 アメリカ・フロリダ州の家族間問題専門弁護士 シャーロット・ダンシュー




取材班はペルーに飛ぶ。ペルーでは「代理出産」は違法行為。
だが子供のない欧米人カップルのプロフィールをインターネットに掲示すると、すぐに「代理母」志望者から連絡が入る。
取材班はティファニーの家を訪ね「事故」の真相や二回目の妊娠について質問する。
ティファニーは言を左右にして言い逃れする。




イギリスの「代理母」リンダが出産。
イギリスでは万一「代理母」が心変わりしたら生まれた子供を自分の子にできる。

 「友だちの赤ちゃんを抱いているような感じですね。
  とってもかわいいけど私の赤ちゃんじゃないし、育てるわけではありませんから。
  この子は、依頼人の両親と家に帰るんです」
 「代理母」 リンダ・ジョーンズ

後になってリンダは「赤ちゃんと充分な時間をすごせなかった」と取材班に不満をもらす。
帝王切開とテレビ取材のストレスで体調を崩して落ち込む。その後、リンダとコーエン夫妻は口をきいていない。




アメリカ・ペンシルベニア州では「代理出産」の法規制がまったくない。

 「人の役に立ちたいと思ったんです。三人の子宝に恵まれたことへの感謝の気持からです」
 「代理母」 ダニエル・ビンバー

依頼者は59歳と62歳のカップルだが、ダニエルとの面会時に年齢を若く偽る。
「代理出産」で三つ子を妊娠。出産時の立会いが問題となりダニエルと依頼者の関係が険悪化。
依頼者は赤ちゃんをなかなか引き取りに来ず、ダニエルの退院時にも姿を見せない。
依頼者への不信が募り、三つ子への愛着を感じたダニエルは親権を求める訴訟を起こす。

 「最先端技術や生命倫理の分野で、どんな問題が発生しうるか、依頼者はどんな行動をとるのか、
  どんなシナリオが考えられるか、司法はこのような問題を予想し、
  対策できる枠組みを作る必要があります。事が起きてからでは遅すぎます」
 ピッツバーグ大学法律学教授 アン・シフ

最終的な判決が下され、三つ子の親権は依頼者にあるとされる。

 「この子たちは私の子供です。ほかの誰の子供でもありません」
 「代理母」 ダニエル・ビンバー




デンマークの「代理出産」依頼者、キルステンとヘンリックはペルー人「代理母」ティファニーの嘘に翻弄される。金を送らせておいて子供は引き渡されない。本当に妊娠したのかどうかさえ疑わしい。
ティファニーの友人がやはり「代理母」を志願していると聞かされデンマーク人カップルに紹介するが、そちらもトラブルになる。
デンマーク人依頼者たちは自分たちの子供が売り飛ばされたのではないかと心配している。

 「私たちと同じつらい経験をほかの人にはさせたくありません。
  いつかあのような犯罪をなくしたいと思っています」
 「代理出産」依頼者 ヘンリック・ニールセン




「代理出産」賛成派の意見
 「相手は世界をまたにかけて人を食い物にする強欲な犯罪者です。
  子供をほしいと願う人の金を奪い、精神的にも大きな打撃をあたえます。
  もし各国の政府がフロリダ州と同じように『代理出産』の技術が存在することを認め、
  司法制度や弁護士を通じて監督・監視・責任を追及する体制を整えれば、
  倫理に反しない正しいやりかたで『代理出産』を行うことができるのです」
 家族間問題専門弁護士 シャーロット・ダンシュー

反対派の意見
 「実際に詐欺にあった人がいたからといって、『代理出産』の合法化を進める理由にはなりません。
  倫理的に越えてはならない一線があるからこそ規制するのです」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク




私の感想。

・ デンマーク人依頼者には同情できない
デンマークでもペルーでも禁止されている「代理出産」を依頼した時点ですでに違法なのだから、だまされても自業自得である。金銭の詐取を訴えてもデンマーク・ペルー両国で相手にされないだろう。こう言っては悪いが、麻薬取引のトラブルと同じだ。「代理出産」の依頼は法律が保護する正当な権利ではない。ヘンリックが「いつかあのような犯罪をなくしたいと思っています」というのを聞いて「最初に法を破ったのはあなたたちでしょうに」とあきれてしまった。
詐欺を行った「代理母」が実際に出産していたら子供の行方が問題になるが、個人的にはその可能性は高くないように思う。子供をよそに売るよりも人質にして依頼者を脅迫したほうが確実に大金を得られる。そうしていないのだからたぶん妊娠・出産そのものが嘘なのだろう。

・ イギリスの「代理出産」にも問題がある
代理母が妊娠・出産中に健康を損ねても「何の保証もない」のであれば恐ろしいことだ。依頼者の「人が人のためにできる最高の贈り物」という言葉は無責任で自分勝手なきれいごとでしかない。
「すばらしいこと」と言っていた代理母も精神的に不安定となり依頼者との関係を絶った。やはり「代理出産」は母性をねじ曲げる不自然で残酷な行為だ。

・ インドでも「代理出産」に反対する産婦人科医がいた
「インドの文化は『代理出産』に親和的」という説があったので反対派はいないのかと気になっていた。
インドが「代理出産」を認めるか認めないかはインド国民が決めることだが、「代理母」と子供の人権は何よりも大事にされなければならない。

・アメリカの「代理出産」はどうなっているのか
ペンシルベニア州のように何の規制もないというのはひどい。
…と思ったけれど、日本でも「代理出産」を規制する法律はなく、日本産婦人科学会の規定で禁止されているだけという状況なので偉そうなことは言えない。

・ 番組の結論はどちらなのか
全体的には「代理出産」に批判的だった。
イギリス人「代理出産」依頼者の「代理出産は最高の贈り物、金で買えるものではない」というきれい事の後に、まさに金目当てで「代理出産」(代理母詐欺)が行われる現実を描く構成は皮肉が効いている。だが最後のまとめでは賛成派の意見を反対派の意見より長く言わせていた。
これは「デンマークでは代理出産反対が多数派なのであえて異論を伝えた」のか、それとも「代理出産合法化が番組制作者の本音だった」のか、どちらなのかわからない。

・ 日本的な問題
日本で「代理出産」が容認された場合特に心配される「家族と周囲による強要」の視点がなかった。欧米では問題になっていないとしても(本当はどうなのか知らない)日本では確実に起きる。学術会議の答申(pdf)から引用する。

代理懐胎の依頼または引受けに際して、自己の意思でなく家族及び周囲の意思が決定的に作用することも考えられる。とりわけ、「家」を重視する傾向のある現在の我が国では、(義)姉妹、親子間での代理懐胎において、このような事態が生じることが懸念される。さらに、このようなことが繰り返されるときには、それが人情あるいは美徳とされ、それ自体が一つの大きな社会的圧力にもなりかねない。

私は「代理出産」が合法化されることよりも「代理出産」が美談にされることのほうが怖い。
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Rugemor til salg (売買される代理母)

2008年10月06日 | 代理出産問題
NHK-BS1で「代理出産」のドキュメンタリーが放送される予定。

BS世界のドキュメンタリー シリーズ 子どもがほしい「闇の代理出産マーケット」
~2007年 デンマーク DR制作~
10月13日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
不妊のカップルが第3者の女性に精子を提供して子どもを出産してもらう「代理母出産」。ヨーロッパの国々では代理母出産が殆ど認められていないため、インターネットなどで海外の代理母を捜しトラブルに巻き込まれるケースが増えている。番組では、ペルー人の悪徳代理母に騙されたデンマーク人カップルのケースを追跡取材し、ペルーなどの途上国で見られる、先進国のカップルをターゲットにした闇の代理母マーケットの実態に迫る。


「デンマーク "代理出産"」で検索したら、隣国スウェーデン在住で "BABY BUSINESS" 問題に関心を持つ人のブログを見つけることができた。こういうときネットの威力を実感する。

デンマークの代理母事情 - BABY BUSINESS
デンマークでは、Rugemor/代理母が禁止されている。しかしながら、海外に渡ってまで利用する人は多いということだ。渡航先は、インドなどのアジア。


デンマーク国営テレビのDRで、1月9日にドキュメンタリーが放映された。タイトルは、Rugemor til salg(売買される代理母)


実際に見てみないとわからないが、日本の多くの「代理出産」ドキュメンタリーのように依頼者目線べったりのお涙頂戴ではなさそうだ。
なぜか日本では「海外では代理出産が認められている」「代理出産容認は世界のトレンド」と思われているが、「ヨーロッパの国々では代理母出産が殆ど認められていない」のである。
「代理出産」が少子化対策に役立つというトンデモを言う人までいる。出生率の高さ(フランス=2.0 日本=1.3)で「少子化対策を見習うべき」とされるフランスでは、「生命倫理に関する2004年8月6日の法律」により「代理出産」契約は公序良俗に反して無効とされているのに。

「それでも海外で『代理出産』を依頼する人がいる、海外で貧しい女性の子宮を買わせるよりも日本国内で『代理出産』を認めるべき」という意見もある。とりあえずこれを「代理母自給論」と呼ぶことにする。
「食料自給論」が現時点では(そして予想される限りの未来において)夢物語であるように、「代理母自給論」も現実無視の理想論でしかない。「代理出産」の利用を希望するカップルは多く、「代理母」志願者は少ない。需給の不均衡はあまりにも大きく解決の見込みはない。
貴重な「代理母」の前には行列が並びコストは上がる。待ちきれない、あるいは安価な「代理出産」を求める依頼者が海外で「代理母」を求めるのは間違いない。
「代理出産」公認は潜在的依頼者の欲望の後押しとなり、かえって海外における「代理母」漁りを勢いづけるだろう。学術会議の答申に従い、フランスを見習って速やかに「代理出産」を法律で禁止すべきである。
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信濃毎日新聞の「代理出産」批判社説

2008年08月23日 | 代理出産問題
新聞の社説で「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶ)をこれだけ明確に否定したのを初めて見た。
「代理出産」依頼者ばかりに肩入れした感傷的なマスコミ論調とは雲泥の差だ。信濃毎日新聞よくやった。

信濃毎日新聞[信毎web]|社説=代理出産 法による禁止を急げ
 日本人男性がインドで依頼した代理出産をめぐり、トラブルが表面化した。代理出産で7月に誕生した赤ちゃんが、無国籍状態となり、インドを出国できなくなっている。

 体外受精には第三者の卵子が使われ、インド人の代理母の子宮に移植された。インドの貧しい女性を産む道具にした、とみられても仕方ない。

 生まれた子どもの「親子関係」は複雑だ。将来、この事実をどう受け止めるのか、心配になる。

 今回の事例は、代理出産が想定を超えた形で広がっている一端を示している。

 妊娠と出産には、命の危険が伴う。そのリスクを第三者に負わせる代理出産は、問題が多い。

 代理母となる女性の心身の負担は相当なものだ。危険を承知で引き受けたとしても、それが自発的な意思とは言いきれないケースも想定される。

 経済的な理由や、親族が家族関係の中で断れないでいる可能性も排除できない。

 日本では、学会の指針で代理出産を禁止している。実際は、海外で日本人夫婦の代理出産が広がっている。国内でも、下諏訪町の根津八紘医師らの手で実施している現実がある。

 新しい法律を定めて、禁止するほかない。その上で、限定的に道を開くかどうかを検討すべきだ。

 日本学術会議の検討委員会も今春、法律による代理出産の原則禁止を求める報告書をまとめた。

 政府と国会の動きは鈍い。代理出産の是非は与党内でも意見が分かれる。

 その間にも代理出産の“実績”は積み重ねられていく。論議を急ぐ必要がある。

 代理出産をどう考えるかは、個人の生命倫理観や、家族観とも深くかかわる。法制化の作業と並行して、この問題をめぐり、社会の中で幅広い議論がされていくことが重要だ。その際、子どもの福祉を最優先に考えることを忘れてはならない。

 生殖補助医療の進歩は著しい。ビジネスとして行われている面もある。経済的な余裕があれば、今や独身者でも子どもを持てる。娘に代わって50代や60代の母親が、「孫」を代理出産した事例も国内で公表されている。

 子どもにとって、親とは何か。どんな家族のかたちが望ましいのか。子どもを持ちたいという願いのために、第三者に犠牲を強いることは許されるのか-。立ち止まり、問い返す時に来ている。


「代理母」の人権と健康を特に問題視する私が大いにうなずいたのは以下の部分。

「インドの貧しい女性を産む道具にした、とみられても仕方ない。」
「妊娠と出産には、命の危険が伴う。そのリスクを第三者に負わせる代理出産は、問題が多い。」
「代理母となる女性の心身の負担は相当なものだ。危険を承知で引き受けたとしても、それが自発的な意思とは言いきれないケースも想定される。
 経済的な理由や、親族が家族関係の中で断れないでいる可能性も排除できない。」
「新しい法律を定めて、禁止するほかない。その上で、限定的に道を開くかどうかを検討すべきだ。」

よくぞこれだけはっきりと書いてくれました。ありがとう信濃毎日新聞。
明確に「代理出産」を批判する社説を長野県の新聞社が書いたことにも意味がある。長野県といえば、日本産婦人科学会が禁止した「代理出産」を強行する「諏訪マタニティークリニック」(根津八紘院長)の所在地だ。もしかしたら地元では「学会の無理解にめげず、先進的な医療を実行する立派な先生」というイメージなのかと思っていたが、今回の社説でそうでないことがわかった。信濃毎日社説を読んだ根津院長はいったいどんな顔をしただろうか。

冷静に考えれば、「代理出産」という医療技術には倫理的・社会的に大きな問題があることは明らかだ。だが、これまでのマスコミ論調では「依頼者の心情が…」とか「国民世論が…」といった情緒ばかりに気を使って問題点を指摘するのに及び腰だった。
仮に日本が「代理出産」を認めるにしても、国民が「代理出産」によってどんな問題が起きるかを知り、それについて充分に対策し、それでも起きてしまう問題を引き受ける覚悟が必要だ。ところが、マスコミのほとんどは冷静に問題点を指摘することよりも世論(という名の情緒)に迎合した生温い報道に明け暮れていた。これではダメである。
ローンで買い物をする時には、売り手は支払方法や総支払額についてはっきり説明し、買い手はちゃんと理解したうえでハンコを押す。売り手が説明をごまかしていたら周囲の人間が買い手に注意してあげるべきだ。ところが、「代理出産」をめぐるこれまでの報道のほとんどは「売り手」のごまかしに目をつぶり、ひどいものだと詐欺の手助けまがいの提灯持ちをしていた。これではどうしようもない。

向井・高田夫妻の「代理出産」が注目を集めてから5年、ようやくまともな「代理出産」批判記事が出た。本来なら日本学術会議の答申が出る前に「代理出産」の問題点を知らしめるのがマスコミの役割のはずで、遅すぎる印象は否めない。それでもお気楽な「代理出産」肯定・容認が過半数を占める世論に冷水を浴びせる社説を書いた信濃毎日新聞は立派である。これが風穴になって「代理出産」の危うさを指摘する論調が広がることを望む。
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「代理出産」依頼者の本質

2008年08月16日 | 代理出産問題
「代理出産」に対する読売新聞のスタンスがよく分からない。
単に考えが浅いのか、それとも容認と否定の間で揺れているのか。
とはいえ、インドの事件を単なるハプニングではなく「代理出産」の是非について考えるきっかけとするのは結構なことだ。

想定外の代理出産 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
父「独身」 インド「野放し」 子は無国籍

 日本人男性医師が、インドで現地の女性と代理出産契約を結び女児が生まれた問題では、独身者が実施し、女児の国籍が不明確になるなど想定外の事態が次々と明らかになっている。代理出産のあやうさが、浮き彫りになった形だ。(イスラマバード支局 佐藤昌宏、科学部 長谷部耕二、大阪地方部 山村英隆)

法制化遅れる対応
 「想定外のことが起きてしまった。同じようなことが起きないよう、対応を急ぐべきだ」。鴨下重彦・東大名誉教授は、危機感を募らせる。自身が委員長を務めた日本学術会議の検討委員会で今年4月、法律による代理出産の原則禁止を求めた報告書をまとめたばかりだったからだ。

 検討委では、比較的自由に代理出産の契約ができる途上国へ出向く「代理出産ツアー」が問題視されていた。しかし、配偶者のいない男性が外国の女性に依頼して子供を持つことまでは想定していなかった。

 このため、今回の問題の発覚を受けて、早急に法制化の議論を始めるよう訴える声があがっている。

 日本学術会議の金沢一郎会長は15日、「国をあげて問題解決に向けて動き出してほしい」との異例の談話を発表した。談話では、水面下の代理出産で生まれてくる子供たちの福祉が懸念されるとして、法整備を急ぐべきだと訴えた。

 しかし、今回の事例後も、政府の動きは鈍い。保岡法相は同日、代理出産の是非について「しかるべき所(国会)で検討されることだ」と述べ、ただちに法整備に着手する姿勢は見せなかった。

 国会では「代理出産の法整備を進める超党派勉強会」が「早ければ臨時国会で、限定的に代理出産を認める法案の提出を目指す」というが、国会議員全体では関心は薄いのが現実だ。

 一方、海外での代理出産を防ぐには、国内での実施を容易にするべきだとの声も強まっている。

 国内で代理出産の実施を唯一公表している、長野県の根津八紘医師は9日、自身のホームページ上で、「国内で禁止しても海外に活路を求め、今回のようなケースはいくらでも起こり得る」と指摘。その上で、「一定のルールのもとに代理出産を認めるべきだ」と主張する。

 代理出産は、病気などで子宮を失った女性を妻に持つ夫婦にとって、実子を得る最後の手段だ。厚生労働省が昨年行った調査でも、国民の54%が代理出産の容認の意向を示している。代理出産の是非について社会的合意をした上で、一刻も早い法制化が必要だ。

印での代理出産費用 米の5分の1
 インド政府は、初めて代理出産が行われた翌年の2005年、代理出産に関する指針を示した。指針は代理母の年齢制限や依頼者の費用負担などに触れているが、事実上野放し状態だ。

 このため、貧富の差が激しいインドでは、貧しい女性らの間で代理出産が商業化している。現地の雑誌や新聞などには「健康で容姿端麗な30歳未満の代理母を募集中」といった広告が、堂々と載る。代理出産の現状を調べた厚生労働省研究班の報告書によると、インドでの費用は1万~1万2000ドル(110万~133万円)で済み、米国のわずか約5分の1だという。

 研究班は昨年、米、英、仏、韓国、台湾の代理出産をめぐる現状を調べた。それによると、5か国・地域のうち最も規制が厳しいのは仏だ。94年の「人体尊重法」で民法典に「代理出産禁止」、刑法典に「仲介禁止」の条項を追加した。

 米国では、連邦法はなく首都と18州が法律を設けて対応している。うちネバダ州など14州が代理出産を容認。首都と3州で、金銭授受を伴う代理出産が処罰の対象だ。英国は代理出産は禁じていないが、85年に法律で仲介や広告・宣伝に罰則を設けた。

 韓国は、「営利目的以外は認める」「全面的に認めない」とする二つの法案の審議を予定。台湾は、代理出産を禁じていたが、容認に向けて動き出している。

 また調査では、仏をのぞく各国で、代理出産を希望してインドや東南アジアに渡航する例が、明らかになっている。女児が生まれたクリニックでは、依頼者の2割が外国人という。

卵子提供者と代理母は別々のインド人
 日本人男性は昨年春から米国の医療機関に照会するなど、代理出産で子供をもうける準備を始めた。昨秋に結婚し、11月にインドに渡って、代理母と契約した。卵子の提供者は代理母とは別のインド人だった。

 その後、男性は先月上旬に離婚、女児は同25日に誕生した。同国グジャラート州内の市役所は出生届を受理したものの、出生証明書には、男性の名前が記されているだけだ。

 インド市民権法は、両親の一方がインド人ならインド国籍を取得できるとしている。だが、インドPTI通信によると、代理母は女児の母親になることを望んでいないという。女児がいったん代理母の娘となって国籍を取得するのは容易ではなさそうだ。

 日本の国籍法では、出生時に結婚している父か母が日本人なら、日本国籍となる。結婚していない場合、母が外国人でも、父が出生前に認知届を居住地の市区町村に出していれば、日本国籍が得られるが、男性はその手続きをしなかった。

 インド国籍がない女児は、パスポートが発給されない。インド政府が「渡航証明書」を出せば、出国は可能とみられる。ただし日本への入国には、日本のビザが必要だ。保岡法相は、15日の閣議後の記者会見で、「入国を認める方向で対応したい」と前向きだが、新たな問題も持ち上がった。

 女児が現在いる西部ラジャスタン州の高等裁判所は12日、インド政府や州政府に対し、4週間以内に女児の状況を裁判所に報告するよう命じた。地元の福祉関係団体が今回の代理出産を「人身売買だ」として、女児の人身保護請求を出したからだ。少なくとも審理終了まで、女児は国外に出られない可能性がある。



読売の記事には矛盾がある。
書き出しで「代理出産のあやうさが、浮き彫りになった形だ。」と警告しながら中段で「国民の54%が代理出産の容認の意向を示している。代理出産の是非について社会的合意をした上で、一刻も早い法制化が必要だ。」とするのは「危ないのは分かってるけど国民が容認してるんだから合法化しろ」と煽っているようにも読める。まさかそんなつもりではないだろうと信じたい。

「海外での代理出産を防ぐには、国内での実施を容易にするべき」という一部の意見は「代理出産」解禁の為にするものでしかない。記事中にも「代理出産の現状を調べた厚生労働省研究班の報告書によると、インドでの費用は1万~1万2000ドル(110万~133万円)で済み、米国のわずか約5分の1」「仏をのぞく各国で、代理出産を希望してインドや東南アジアに渡航する例が、明らかになっている。女児が生まれたクリニックでは、依頼者の2割が外国人」という現実が書かれている。
日本国内で「代理出産」を認めれば、社会が依頼希望者を後押しし、彼らの望みを肯定することになる。国内で「代理母」を見つけられなかったり、あるいは費用の負担に耐えられない依頼希望者が海外の「安価な代理母」に飛びつくのは間違いない。
国内での「代理出産」容認は海外における「代理母」利用を減らすのではなくむしろ増やすだろう。本当に海外での代理出産を防ぎたければ、フランスのように国外犯を含めて厳しく禁じるしかない。

逆に言えば、日本国内で「代理出産」を認めるのであれば、日本人が海外で「代理母」を買うこと、外国人が日本に来て「代理出産」サービスを利用することも認めなければならない。
「代理出産」容認派は「自分の子供をほしいと思う気持ちは我慢できない」「誰にでも(他者の子宮を借りて)自分の子供を持つ権利がある」といった優しげなことを言う。それならば依頼者や「代理母」を国籍や経済状態で差別すべきではない。
公共自転車を無料で気楽に借りるように、自分たちの受精卵を誰かに生みつけて「すばらしい新世界」を作り上げよう。妊娠・出産という危険な仕事は健康だけがとりえのお人よしか貧乏人、いや失礼、「ボランティア」にアウトソーシングすればいい。子宮は天下の回りものだ。

もちろんこれは反語である。
私自身はいわゆる「代理出産」(個人的には寄生出産と呼ぶ)には倫理的・社会的に大きな問題があり、原則として禁止すべきだと考えている。
いったん容認・解禁してしまうとさまざまな問題が頻発することが目に見えている。インドの事件は「想定外」と言われているけれど、「これくらいのことを想定しないで代理出産を議論するなんてちゃんちゃらおかしい」のである。車を買うときに車両本体価格だけ考えて税金やガソリン代、保険料や駐車場利用費を忘れているようなものだ。

インドの事件に驚きあわてる人たちを見ると、「代理出産」の本質についてわかってる人はほとんどいないのだなと痛感する。
なんだかえらそうなことを言ってしまったが、そういう自分自身も本当は代理出産の現実をよく知っているわけではない。SF好きの習慣で「代理出産が認められた社会では何が起こるか」考えてみたら「トラブル続出」という答えしか出てこなかっただけのことだ。必要なのはむしろ想像力なのかもしれない。だが、多くの「代理出産」容認派は依頼者側ばかりに同情して想像力を使い果たしているので「想像力が足りないのは依頼者の心情を無視する反対派のほうだ」と言われそうだ。

多くの「代理出産」容認派は依頼者側の心情(主観)は理解しても「代理出産を依頼するのは実際のところどういう人たちなのか」知っているとは思えない。むしろ美しいイメージを守るために現実から目をそむけているのではないか。
マスコミのお涙頂戴報道や感動的な再現ドラマによって「代理出産」依頼者のイメージが作られている。「不幸な境遇にある、愛情豊かで責任感の強い人たち」というのが世間一般のイメージだろう。
インドの事件で明らかになったように、代理出産依頼者に対するポジティブなイメージには実は何の根拠もない。不幸でなくても、愛情が薄くても、責任感が無くても「代理出産」を依頼することはできる。いや、むしろそのほうが「代理出産」依頼へのハードルを乗り越えやすい。

「代理出産」依頼者の本質、「代理出産」を依頼するものとそうでないものとを分けるのは欲望である。
強い欲望さえあれば、不幸を装い、愛情豊かなフリをし、責任感ありげな様子を繕うことができる。あとは充分な資金と協力してくれる「代理母」・医師・コーディネーターを見つければいい。
逆に、どれほど子供がいなくて不幸でも、本当に愛情豊かでも、責任感が人一倍強くても、「代理出産」を欲望しなければ依頼者になれない。誕生日のサプライズパーティーなどと違って、周囲の人間が善意で勝手に「代理出産」を依頼することはありえない。
愛情や責任感はむしろ「代理出産」依頼を思いとどまらせる。心優しい人なら「代理母」から赤ん坊を引き離すのを残酷だと思う。生まれた子供に「代理出産」の悪影響が出ないか心配する。「代理母」の健康が損なわれないか、もしそうなったら責任が取れるのかと悩む。
愛情や責任感は「代理出産」依頼へのブレーキであってアクセルではない。アクセルは「欲望」そのものだ。
「代理出産」を利用する・利用したがる人たちはただ「自分の遺伝子を継いだ子供を持ちたいという欲望」が特別に強いだけだ。「愛情豊か」だの「責任感が強い」といったイメージはただの思い込み、根拠のない幻想である。
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お客様目線の「代理出産」議論

2008年08月10日 | 代理出産問題
インドで日本人の「代理出産」依頼者によるトラブルが起きている。

代理出産の女児、帰国できず…父母が離婚、国籍なし : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 日本人夫婦が、インド人女性に代理出産を依頼して女児が生まれる前、離婚したため、子供の母親や国籍が不明になっていることが7日わかった。

 離婚した元夫は子供を引き取る意向を示しているが、外務省は、出産女性を母とする日本の民法の判例に従い、日本人としての女児の出生届は受理できないという判断を元夫に伝えている。

 元夫が、子供を引き取るにはインド、日本国内の養子縁組に関連する法律の手続きを踏む必要があり、子供は現在、インドを出国できない状態だという。

 代理出産の是非については、日本学術会議が途上国への「代理出産ツアー」を問題視し、「代理出産は新法で原則禁止とすべき」との報告書を今年4月にまとめたが、その懸念が現実化した形だ。


私は「代理出産」(個人的には寄生出産と呼んでいる)には反対しているけれど、今回の事件に特別な関心はない。
記事にも書かれているように「日本学術会議が途上国への『代理出産ツアー』を問題視し、『代理出産は新法で原則禁止とすべき』との報告書を今年4月にまとめたが、その懸念が現実化した」のが今回の事件だ。すでに予想されたことであり、遅かれ早かれトラブルが起きるのは目に見えていた。驚くようなことは何もない。
依頼者の元夫婦がインドでの「代理出産」を選んだ経緯はよくわからない。

インド代理出産:元妻が反論「代理出産には不同意」 - 毎日jp(毎日新聞)
 日本人の男性医師がインドで代理出産を依頼し生まれた女児が日本に帰国できなくなっている問題で、男性医師の元妻が毎日新聞の取材に応じ「代理出産に同意していなかった」などと話した。

 元妻によると、インドで代理出産の書類に署名させられたが、読む時間を与えられないまま署名を迫られ、後で同意書と知らされた。その後、子供が男性医師と自分との子であるよう装う出生証明書の偽装のため再渡航を求められたが断ったという。元妻は離婚の際「代理出産は私の意思とは無関係」と医師に書面で誓約させたと話している。【石原聖】


元妻によれば医師である元夫の強引なやりかたに問題があったようである。とはいえ、片方の言い分だけで判断することはできない。「2ちゃんねる」などで不確実な情報()をもとに議論が行われているが、どうも危なっかしい。
男性医師が帰国して、元妻とともに事情を明らかにしてくれることを望む。

インドの事件については今のところ「関係者と日印両政府が子供の幸せを第一に考えてくれることを望みます」というほかないのだが、この事件をめぐる世論には注目している。
「インド 代理出産」をキーワードにブログ検索すると多くの記事が並ぶ。そのほとんどが依頼者に批判的だ。

人生は面白い: これでは女の子がかわいそうだ
Matimulog: news:泥沼化する代理出産後始末
身勝手な代理出産 - SALT OF THE EARTH - 楽天ブログ(Blog)
無責任な代理出産 - ラビットらむのひとりごと - 楽天ブログ(Blog)
身勝手な大人たち - 雀千声

向井亜紀・高田延彦夫妻による裁判のときのような「依頼者は悪くない、依頼者の希望を踏みにじる政府・裁判所が悪い」という意見は見つからなかった。依頼者夫婦が離婚したことを無責任と責める声が多いようだ。
世論は流されやすいな、センチメンタルだな、と思う。
私自身は「代理母」の健康・人権が最も重い問題だと考えているので、依頼者側のトラブルにはそれほど関心をもてない。強く批判する気もない。むしろ「そりゃ生身の男女なら離婚することもあるだろう」と思う。
依頼者のどちらも子供の受け取りを拒否するようなら問題だが、今回は元夫が引取りを望んでいる。世論が本気で「代理出産」自体を肯定するのであれば、向井夫妻の場合と同じく「依頼者は悪くない、パスポートを出さないインド政府と戸籍を認めない日本政府が悪い」という意見が多くてもよさそうなものだ。
「依頼者夫婦の離婚」という、「代理出産」の本質(借り腹・寄生)とは無関係な部分で賛否が逆転するのは、多くの人が依頼者側の幸せしか考えていないことの表れだろう。

  ・ 向井夫婦のように依頼者が幸せ(本当はどうなのか知らないが)ならば「代理出産はいいことだ」
  ・ インドの事件のように依頼者がトラブルを起こすと「代理出産は問題だ」

どちらにしても、代理出産のいちばんの当事者である「代理母」への視線はない。あくまでも「お客様」の立場でしか見ていない。


「代理出産を原則的に禁止すべき」とする日本学術会議の答申が出たことで「代理出産」をめぐる世論は大きく流れを変えた。
これまでの「なぜ反対するのかわからない」「認めて当然」というお気楽な容認論は影を潜め、「代理出産には問題があるらしい」「慎重に考えるべきだ」と考える人が増えている。今回の事件でさらに慎重論・反対論は広がるだろう。
「代理出産」に反対する私にとって望ましい展開のはずだが、どうもモヤモヤしたものが残る。相変わらず世論が「お客様目線」で依頼者の側ばかりに感情移入する点は変わってないからだ。
仮にインドの事件が「代理母」側のトラブルだったら、「心優しい」日本国民は簡単に切り捨てそうな気がする。
たとえば「出産時の事故で代理母に障害が残った。依頼者に多額の損害賠償請求される」とか「代理母が子供の受け渡しを拒否した」といった事件が起きたときに「自己責任だろ」「契約を守れ」という声が多数派を占めるのではないか。そうでないことを望むが、私にはまだ「代理出産」について理解が広まったとは思えず、世論を信用できない。


私の知る限りネットにおけるもっとも熱心な「代理出産」肯定論者である "Because It's There" 春霞氏がまた無理やりな印象操作をしていた。

Because It's There 代理出産児、インドから出国できず~日本人夫婦が誕生前に離婚したことが影響
2.代理出産の是非については議論がありますが、海外に行って代理出産を依頼する日本人医師夫婦が少なくないと聞いていました。この報道を聞いて、やはり代理出産を行う日本人医師夫婦は少なくないという証左になったと思いましたし、医療情報に詳しい医師であるからこそ、米国での代理出産は費用の点から困難なので(米国在住の日本人は別。かなり多いと聞いています)、やはりインドでの代理出産を行ったのだろうと思いました。

注目すべき点は、代理出産の医学的妥当性がよく分かっている医師が、代理出産の当事者であるということです。自分の子を持ちたいという人としての願望は誰しも同じであることは根底にあるとはいえ、医師が代理出産の当事者である以上、医師も代理出産の医学的妥当性を暗に肯定した行動を行っていることをよく認識しておくべきです。

これこそまさに「お客様目線」の代理出産肯定論の見本である。
仮に「代理出産を行う日本人医師夫婦は少なくない」としても(本当かどうか知らない)、「医師が代理出産の当事者である」とは言えない。「代理出産」のいちばんの当事者は生命のリスクを負って出産する「代理母」とその家族だ。アメリカやインドに行って「代理母」を利用する日本人医師夫婦はあくまでも「代理出産サービスの利用者」でしかない。
「代理出産」が合法的な国で仮に(あくまでも仮定の話だと念押ししておく)女性医師・医師の妻・看護婦など医療関係者が率先して「代理母」を志願しているとしたら私も「代理出産の医学的妥当性」とやらを認めてもいい。だがそんな事実はないはずだ。私は何も調べていないけれど断言できる。
「代理母」をやらされ子宮を利用されるのは弱い立場の女性たちである。「代理出産」の本質は欲望に取り付かれた男女が妊娠・出産リスクを弱者に押し付ける寄生出産だ。

・ 代理母には貧しい女性がなるケースが多く、65万~162万円の金を手に入れることができるという。 (読売新聞

・ 代理母について10数年間ぼくがやってきた取材から浮かび上がった構図と今回もまったく同じだった。裕福な日本人と貧しいアメリカ人である。 (大野和基コラム 代理母インタビューの真実

お客様目線の「代理出産」議論にはもううんざりだ。
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実の兄弟の子供を妊娠すること(追記あり)

2008年04月05日 | 代理出産問題
根津医師による「代理出産」(個人的には寄生出産と呼ぶ)のデータを見て私は確信を深めた。
「代理出産」を認めれば弱い立場の女性が「代理母」を強制されるに違いない。


代理出産の根津医師が独自データ公表、15例で出産は8例 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 諏訪マタニティークリニック(長野県)の根津八紘院長は4日、これまで独自実施してきた代理出産のデータを公表した。

 これまで、15例試みた結果8例で出産に至り、3例では流産したという。近く海外の医学誌に論文を投稿する。

 日本学術会議は代理出産を原則禁止とする報告書を近く正式決定するが、同会議の検討委員会で、根津院長が詳しいデータを明らかにしないと批判の声が出たため、公表に踏み切った。

 ホームページで公表したデータでは、根津院長は1996年以来、約100組の夫婦から相談を受けた。代理出産を試みた15例のうち4例は妊娠しなかった。

 依頼した妻は、先天的に子宮がないか、小さすぎて機能しない人が計6人。他は子宮筋腫(しゅ)などの病気で摘出したケースだという。

 一方、代理母は、妻の実母が5例、実姉妹3例、義姉妹が7例。35歳以上が15例中10例を占め、合併症が起きやすい比較的高い年齢の人が目立つ。55歳以上の人も4例おり、いずれも妻の実母だった。

 根津院長は「学術会議の結論は不妊患者ら当事者の声が反映されていない。多くの国民に現実を知ってほしい」と話している。

 日本産科婦人科学会の星合昊(ひろし)倫理委員長の話「症例報告としては医学的内容に乏しく、コメントできない。学会としては根津医師に事実確認を求めてきたが、こういう形で公表されたのは極めて遺憾だ」


記事の書き方はあいかわらず「依頼者」「代理母」の順番で主客があべこべだ。
「代理出産」の主役は出産リスクを負う代理母である。依頼者目線の記事は派遣労働問題について書くとき派遣労働者の立場を二の次にするようなものだ(日経ならそういう記事も有りかもしれないが)。
私は「代理出産」報道が「代理母」中心になるまで日本で「代理出産」への理解が広まったとは認められない。

私が一番心配しているのは「代理母」の人権と健康なのでその点を抜書きする。

「15例試みた結果8例で出産に至り、3例では流産したという。」
「代理母は、妻の実母が5例、実姉妹3例、義姉妹が7例。35歳以上が15例中10例を占め、合併症が起きやすい比較的高い年齢の人が目立つ。55歳以上の人も4例おり、いずれも妻の実母だった。」

成功率の低さは予想していたが、驚いたのは妻の実の姉妹が3例なのに義理の姉妹が7例もあること。
妻の義理の姉妹とはつまり、夫の姉か妹だ。
彼女たちは「自分の実の兄弟」の遺伝子を受け継いだ子供を妊娠したことになる。(追記あり)

世論調査やあちこちのブログを見ると、「代理出産」を容認する人たちのなかでは「肉親なら認めてもいい」「娘の(姉の・妹の)ためなら自分も代理出産できる」という意見が多いようだ。たぶん「母親が娘のために」とか「姉が妹のために」「妹が姉のために」といった場合を考えているのだろう。だが、「肉親なら」という人たちは夫の側の血縁を想定しているのだろうか。母親が息子夫婦の子を宿したり、姉が弟の子を(妹が兄の子を)妊娠することについてはどう思うのか。

自分が女性だったら、と想像してみる。
自分の娘が不妊で苦しんでいるとき「代理出産してやりたい」と思う気持は理解できる(気持は理解できても「やっていいこと」「正しいこと」だと認めるわけではない)。大好きな姉や妹が子供をほしがっている、でも肉体的に妊娠は無理だ、というとき「自分が代わりに産んであげたい」と願うのもわからなくはない。
だが、兄(弟)夫婦のために代理母を志願する、という気持はまったく想像もできない。

だって、自分と血の繋がった兄弟だよ!!! 
物心付く前から兄あるいは弟として一緒に暮らした相手だ。
性的対象として見てはいけない異性家族の子供を妊娠するなんてことがあっていいのか。正直に言ってものすごく気色悪い。近親相姦すれすれというかギリギリというかそのものというか、「人としてありえない」と叫びたくなる。男が「自分の母親や姉妹の裸を想像してオナニーする」のと同じくらい気色悪い。けがらわしくておぞましい。

個人的な感情をひとまず措いて考えてみる。
歴史的にみれば近親相姦がタブーでなかった時代はある。皇室の系図を見ると古代には現代の基準でいう近親相姦が行われている。持統天皇は父(天智天皇)の同母弟である大海人皇子(天武天皇)の妃となった。二人の間に生まれた草壁皇子は奈良の大仏を建立した聖武天皇の祖父だ。
現代の日本で「いとこ婚」は認められているが韓国では禁止されている。近親相姦の基準は時代と地域によって変わる。
「代理出産」の場合は「代理母」と兄弟がセックスしたわけではないし、「代理母」の卵子を受精させるわけでもない。単に子宮を利用しただけだ、「産む機械」として機能しただけだ、と思い込めば近親相姦的な違和感は薄れる。

しかしそれもおかしいのである。
「肉親であれば代理出産を認められる」のは肉親の愛情が前提ではなかったか。代理母は「産む機械」だと合理的に割り切り感情を無視するなら肉親である必要はない。それこそ商業的代理母を「買って」利用すればいい。
結局のところ妻の義理の血縁者(夫の実の姉妹・母)による代理出産は無理に無理を重ねている。感情を重んじれば近親相姦まがいだし、感情を無視すれば肉親である必要がない。


以下は想像になる。
実際に根津医師のもとで実の兄弟夫婦のため「代理母」となった7人の女性たちはすんなり納得したわけではないだろう。どれほど兄(弟)が好きでも、義理の姉(妹)を大事にしていても、「実の兄弟の子供を妊娠する」のは心理的ハードルが高い。好意的にみれば大いなる勇気と愛によって、悪く想像すれば圧力と無闇な思い込みによって、「近親相姦まがい」という疑いと恐れを押さえつけ踏みにじり息の根を止めたのだ。

さらに想像を重ねる。
彼女たちは自ら望んで兄弟の子を宿す代理母になったのではなく、圧力をかけられ追い込まれて無理にやらされたのだと思う。もしかしたら本人は「自分が望んだことだ」というかもしれないけれど、私にはあまりにも不自然に感じられて信用できない。「姉や妹の代わりに代理母となる」気持は理解できるが「兄や弟の子供を産みたいと願う」女性の姿は想像できない。
仮にそういう人がいるとしても少数だろうし、「代理母」を利用したいと願う夫婦の周りに都合よく存在する可能性は低い。まして妻の姉妹よりも夫の姉妹の「代理母」が多くなるなどということはありえない。

(追 記)
すっかり勘違いしました、ごめんなさい。
「義理の姉妹」という言葉を「代理母」から見て「自分の兄弟の妻」だけだと思い込んでいた。
もちろん義理の姉妹には「夫の姉妹」「夫の兄弟の妻」もいる。

恥かきついでに言い訳すると、自分は独り者なので姻戚関係というのがどういうものかよく分かってなかったりする。
そして、これまでに報道された実姉妹や実母による「代理出産」の印象が強くて「根津医師は(姻戚ではなく)血族間の代理出産をしている」という思い込みがあった。もちろんそんな事実はなくて、以前にボランティア代理母を募集したように「代理母」と依頼者の血縁関係にはこだわっていない。
「代理母」と依頼者の血縁(遺伝子的つながり)にこだわっていたのは自分のほうで、代理出産の生物学的意味について考えようとしていた。
理論生物学者のJ・B・S・ホールデーンという人は「自分が溺れても二人の兄弟か十人のいとこを救えるなら喜んで水に飛び込む」と言ったそうだ。理論的には兄弟の遺伝子の半分は自分と同じであり、いとこは八分の一が共通している。いとこを十人救えば遺伝子的に「元が取れる」。「代理出産」であれば兄弟姉妹の子供を二人産めば自分の子供を一人産むのと等価だ(もちろんこれは科学的冗談である)。

さて、「義理の姉妹」が「代理母」の夫の姉妹、あるいは夫の兄弟の妻であれば依頼者と「代理母」のあいだに血縁関係はない。であれば、私がおののいた近親相姦めいた倫理的問題は起きないことになる。よかったよかった。

…いや、よくはない。
自分が女性だとして、「夫の兄弟姉妹」のために「代理出産」する気になるかといえば断然ノーだ。
夫の姉妹は「小姑ひとりは鬼千匹」などと呼ばれて煙たがられるものだ。夫の兄弟の妻といえば遠い姻戚であって「義理の姉妹」という実感は持てないだろう。
もちろん夫の姉妹でも夫の兄弟の妻でも、気が合えば仲良くなることはある。親友になり「彼女のために代理出産してあげたい」と思うこともあるかもしれない。だがその可能性はそれほど高いとは思えない。
だから、大きな勘違いはしたけれど結論としては変わらない(よかった!)。
(追記終わり)



根津医師が公表した「実姉妹3例、義姉妹が7例」というデータは重い。私が恐れていた、そして確信していたことを裏付けている。
「代理出産」は美談なんかじゃない。それは欲望と犠牲の物語だ。依頼者と「代理母」の動機を愛とか善意とかきれい事で飾るのは間違っている。人間性の暗い部分から目をそらさずに見つめないと「代理出産」の問題は理解できない。
肉親間の代理出産を認めるとどうなるか。家族の中でいちばん弱い立場の女性が圧力を受けて「代理母」をやらされることになるのは明らかだ。


「姉妹のために代理出産したい女性はいても、兄弟義理の姉妹の子を宿したい女性はいないだろう」と書いた。
だが私自身は男であり、姉も妹もいない。間違っても「女性の気持がよくわかっている」とは言えない。
そこで、女性読者のみなさんにお願いがあります。

想像してみてください。
お姉さんや妹さんから「私の子供を産んで」を頼まれたらあなたはどうしますか。
引き受けますか、悩みますか、それとも断りますか。
お兄さんや弟さんから「俺の子供を産んでくれ」と頼まれたらどうですか。
夫の兄弟姉妹のために子供を産む気はありますか。

きれいごとでも他人事でもない正直な気持を教えてください。
コメントの公開を望まない方はそのむね書いてくだされば公開いたしません。
よろしくお願いします。
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「代理出産」禁止を支持する

2008年03月08日 | 代理出産問題
「代理出産を法律で禁止すべき」とする日本学術会議の最終報告書に安心した。
現実的に考えるとあまりにも問題が多すぎて原則禁止以外ありえない。
産婦人科医の方が起こりうる(実例が増えれば確実に起きる)問題点を具体的に書いてくださっているのでぜひ読んでほしい。

代理母に関するトラブルシューティング|ポンコツ研究日記~悩める産婦人科医のブログ~

そもそも「代理出産」とはマスコミ好みの美談にできるような甘い代物ではない。
依頼者の「強い欲望」と代理母の「身体的・精神的リスク」そして全国民が負担する社会的コストがぶつかりあうキナ臭い話である。依頼者の願望ばかり伝える情緒的な報道は狼の仔を子犬と偽って売りつけるようなものだ。それを知らない、あるいは危険から目を背けた情緒的な「代理出産」賛成・容認論には意味がない。
鴨下委員長をはじめとして誠実に「代理出産」の問題を検討し倫理的・社会的に適切な報告書をまとめてくれた学者の方々に感謝する。

「代理出産」営利目的には刑罰を…学術会議が最終報告書 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 代理出産の是非を検討してきた日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」(委員長=鴨下重彦・東京大名誉教授)は7日、代理出産を「生殖補助医療法(仮称)」で禁止し、営利目的で代理出産を行った場合は依頼者を含めて刑罰の対象とすべきだとする最終報告書をまとめた。

 過去にも法制化を求める厚生労働省の報告書が出されたことがあり、学界の総意といえる今回の報告書を受けた具体化への動きが、今後の焦点となる。

 受精卵を第三者に託して出産を依頼する「代理出産」の実施については、依頼を受けた代理母や生まれた子供の身体的・精神的負担が大きいと判断し、外国で代理出産を行っている現状に歯止めをかけるため、新たな法律で禁止すべきだと決めた。

 特に、金銭の授受などが絡む営利目的で代理出産が行われた場合は、依頼者と仲介者、医師の3者を刑罰の対象とした。出産を請け負った代理母は、「妊娠・出産を負担した被害者」などの理由で対象から外した。

 一方、現時点では代理出産に関する医学的情報が不足しているため、公的機関の厳重な管理のもとで代理出産を試行することは、例外的に考慮されてよいと指摘した。産婦人科医や小児科医、法律家、心理カウンセラーなどで構成する機関が、〈1〉依頼する女性に子宮がない〈2〉代理母が他からの強制を受けていない――など、厳しい条件のもとで試行する場合に限る。試行で問題が出た場合には、その時点で全面禁止にする。

 また、海外などで実施された場合の親子関係については、代理母を法的な母とするが、依頼夫婦と養子縁組することは認める。

 この問題に関し舛添厚労相は同日、「立法府で早めに議論することが必要。各国会議員が、自分の哲学に基づいて、考えをまとめる時期にきている」と話し、法制化に向けた早期の国会での議論が必要との認識を示した。

 同検討委は、法相と厚労相の要請を受け、代理出産の是非を中心に昨年1月から計17回にわたり審議を行ってきた。

(2008年3月7日23時35分 読売新聞)


国会議員の方々は「学術会議はなぜ世論(過半数が容認)に逆らう原則禁止を結論としたのか」真剣に考えてほしい。倫理的・医学的・社会的問題が大きすぎるからだ。
いわゆる「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶ)は「子供を産めない女性がかわいそう」「当事者が同意していればいいじゃないか」といった安っぽい情緒だけで認められるようなことではない。仮に認めるとしても「代理出産を認めることによって生じる新たな犠牲者」の存在を覚悟し、社会的コストを冷静に計算した上でなければならない。気分を良くさせる「美談」ばかり見ていたら現実に裏切られるのは目に見えている。
自民党の野田聖子議員(私はこの人が大嫌いだ)は「どこが問題なんでしょうか!? 誰に迷惑をかけるわけでもないのに」などとお気楽なことを言っている。なんという無責任、想像力の欠如だろう。野田氏のような人が政治家として、不妊治療を受ける女性の代表面して大きな影響力を持っているのが恐ろしい。

想像力が足りない、あるいは自分に都合のいい想像しかしない人は信用できない。そういう人がいくら「大丈夫、問題ない」と言っても半分に割り引いて聞いたほうがいい。私にとっては「Because It's There」春霞氏がそういう人である。

Because It's There 代理出産に関する、近時の解説記事を紹介~読売新聞「生命を問う」(4月22日連載開始)より
すでに代理出産を認める結論は決定事項のようです。そうなると、日本学術会議は、代理出産を肯定する論理の提示と実施要綱を決定することが役割となるのでしょう。本来は、白紙の状態で議論してもらうはずだったのですが、政府によって結論が決められているのですから、学者の存在意義とはなんだろうかと空しい感じにもさせられます。

このような政府の意向は、代理出産否定派の方にとっては残念でしょう(苦笑)が、代理出産賛成の立場としては、実施条件にもよりますが少しは安心できるものといえそうです。

春霞氏は「日本学術会議は、代理出産を肯定する論理の提示と実施要綱を決定することが役割となるのでしょう」と都合のいい想像をして「学者の存在意義とはなんだろうか」とお節介を焼いたり「苦笑」したりしていたが、今回の最終報告書という現実に裏切られた。自業自得である。私は苦笑はしない、嘲笑する。
私も以前は「春霞氏は頭のよさそうな人だから断言にはそれなりの根拠があるのだろう」「特別な情報を知りうる立場にあるのかな」と一目置いていたが、完全に見損なっていた。今の私の評価は「春霞氏は都合のいい情報だけを信じて広める人」である。もちろんそんな人の主張する「自己決定権による代理出産容認論」も信用に値しない。
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「あってはならない」ことを考える

2008年02月05日 | 代理出産問題
世の中にはさまざまな問題がある。
残念ながら日本は天国ではなく、住んでいる人々が完璧な善意と賢さに恵まれているはずもない。テレビのニュースを見れば、毎日悲しむべき事件や事故がたくさん起きていることがわかる。それらは「あってはならない」ことだけれど、「あってはならない」のだから「ない」のだ、と言い張っても無意味だ。嫌なことから目を背けても問題は消え去ったりしない。そのような態度が許されるのは幼児だけである。理想と現実を取り違えた言説を「逆立ち論法」と呼ぶことにしよう。

高い知性に恵まれた良心的な人が「そこに存在する」現実から目を背け、「『あってはならない』のだから『問題はない』のだ」という詭弁に固執している。逆立ち論法に取り付かれている。本当に不思議でならない。

Because It's There 日本学術会議、公開講演会を開催~“子がほしいという希望は、周囲の圧力によって生まれた”という主張は妥当なのか?
3.このように、法律的にも医学的にも禁止する根拠が乏しいとなれば、禁止する理由は日本固有の特殊事情が禁止の主要な根拠になっているのではないかと、自然と推測できます。その日本固有の特殊事情について、水野紀子教授は公開講演会で端的に述べていました。

「委員の水野紀子・東北大教授は「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」と、報告書案を支持する理由を述べた。」(毎日新聞)



(1) この「子供が欲しいという希望は自分の意思ではない」という禁止根拠は古くから言われているものです。いまだに、多様な夫婦の意思を無視した決め付けを平然と言い放つのかと呆れてしまいます。このような禁止根拠に対しては以前から反論がなされていますので、その一例を挙げておきます。

 「それでは子供を持つというのはどういうことかということを、当たり前のことですが、ちょっと考えてみたいと思います。

 不妊治療をしている女性は本当に自分が子供が欲しいというよりは、周囲のプレッシャーに苦しめられているからだという意見があります。例えば舅や姑に「孫の顔が見たい」とか、「跡取りはまだか」と言われるとか、友人に「赤ちゃんはまだ?」というふうに言われると。

 確かにそういう周囲の圧力が患者を苦しめているということは大変問題だと思いますが、そういう圧力がなくなれば不妊治療は必要なくなるのかというと、そんなことは決してありません。アメリカなんかを見ればわかりますけれども、アメリカでは跡取りはまだかというようなことを言われることはあまりないわけです。家に縛られない自由な国なわけですから。そういう国でも非常にたくさんの不妊治療が行われている。

 言ってみれば子供を持ちたいというのは人間として非常に本源的な欲求だということになります。もちろん本源的な欲求だから、どんな方法で子供を持つのも認めるべきだというふうにはならないわけですけれども、しかし子供を持ちたいという本源的な欲求を制限するには十分に合理的な理由を示す必要があるだろう。これはやっぱり最初の出発点として確認しておくべきことだと思います。」(平成14年2月3日第2回FROM Current opinions 読売新聞医療情報部次長・田中秀一「だれのための生殖医療か-----メディアの立場から」)




(2) 子供がいない夫婦に対して、親族や友人が子供を期待することは今でもよくあることです。しかし、本当に子供が欲しくて不妊治療をしている夫婦にとっては、ただでさえ悩んでいるのですから、そのような悩みを理解することのない心ない人々が過度に精神的なプレッシャーをかけることは、一種のいじめに近いものがあります。だから、代理出産を禁止する――。それも一手段であることは確かです。

しかし、いじめ問題と似ていますが、心ない人々が過度に精神的なプレッシャーをかけること自体が悪い、いじめる側が悪いのだ、いじめる側こそが最も問題であると明言しておくことが大事なことだと思うです。

不妊症は夫婦10組に1組の割合で発生する疾患であって少しも珍しくないのですから、不妊治療は日常的な医療行為なのですから、不妊であることに対してプレッシャーをかけるべきではないのです。そして、子供を持つか持たないかなど、「多様な家族のあり方」が現実として存在し、多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべきなのです。

このように、水野紀子・東北大教授が述べるような「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」という主張は、根本的に間違っているのです。


典型的な逆立ち論法である。
「あってはならない」から「存在しないとみなすべき」という論法が使われていることは明らかだ。

不妊であることに対してプレッシャーをかけるべきではないのです。そして、子供を持つか持たないかなど、「多様な家族のあり方」が現実として存在し、多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべきなのです。


ここは春霞さんのおっしゃるとおり。
親族や社会からの「子供を作れ」圧力は「あってはならない」。


このように、水野紀子・東北大教授が述べるような「子がほしいという希望は、周囲の圧力などによって生まれたものともいえる」という主張は、根本的に間違っているのです。

????????
どこが「このように ~ 根本的に間違っている」のか、理解できる人がいたら教えてほしい。私にはどこにも論理性を見出せない。飛躍が激しすぎてついていけない。頭がクラクラする。
私が語りなおすとすれば次のような論理になる。黄色文字が春霞さんの文章に欠けているステップだ。

不妊であることに対して圧力をかけるべきではない
             ↓
多様な価値観があることを認めるべきであることを、日本社会に対して啓蒙し、理解を求めるべき
             ↓                               
啓蒙によって日本社会から「子供を作れ」圧力はなくなる(無視できるほど低くなる)
             or
「子供を作れ」圧力をかける・圧力に負ける人たちの存在自体が間違っている
(彼らのことを考慮する必要はない)

             ↓
「圧力」論による代理出産反対は間違いである

春霞さんが実際のところどのように考えているのか知らないが、上の論理はどちらにしてもダメである。
啓蒙によって一朝一夕に「子供を作れ」圧力が消えるはずもなく、圧力をかけたりかけられたりする人々の存在を無視していいはずもない。空理空論である。実際のところ、「代理出産」が公認されたら社会の「子供を作れ」圧力が強まることが目に見えている。これまでは「できないのなら仕方ない」とあきらめていた親族が「代理出産」に希望を見出し、さらに戦意を高めるのは明らかだ。

話の順番が逆になるが、いまだに日本に存在する「夫婦は子供を作って一人前」「子供がいなくては幸せになれない」「無理しても子供を作るべき」といった偏見や圧力はとても無視できるものではない。家族や親類縁者、友人知人に話を聞けば誰でもひとつや二つ実例を知ることができるはずだ。GoogleやYahoo!で「子供を作れ 圧力」といったキーワードで検索してもいい。特に最近は結婚年齢が上昇し不妊に悩む女性が増えている。不妊が増えれば圧力をかけられる場合も増える。
残念なことだが「多様な価値観を認めるべき」といくら啓蒙しても追いつかないほど「子供を作れ圧力」は強まっているのだろうと思う。

皮肉なことに「誰かに無理をさせ負担を強いても子供がほしい」と考える人の存在は「代理出産」依頼希望者の姿そのものだ。彼らは今は「どうしても自分たちの子供がほしい」人たちだが、子供を得ることができたら20年後30年後には「どうしても孫がほしい」人たちになっている可能性が高い。「血の繋がった子供」に執着する価値観は「代理出産」によってさらに強まるだろう。


「あってはならない」現実を「存在しない」「考えてはいけない」とする逆立ち論法は65年ほど昔にも存在した。
大日本帝国がアメリカと戦争するにあたり、南方資源(インドネシアの石油等)や兵員兵器の輸送が問題となった。南シナ海や太平洋を船で運ばなければならないが、敵潜水艦に攻撃されたら大きな損害が出る。すでに大西洋ではドイツ潜水艦が米英の輸送船を多数撃沈して深刻な被害を与えていた。
それでは帝国海軍はどのような対策をしたか。結論から言うと「何もしなかった」。
まさに「あってはならない」現実から目を背け、護送作戦が必要だとする参謀の意見を「考えてはいけない」と封じ込めたのである。これは海軍の能力が不十分で「やりたくてもやれなかった」面もある。だがその結果は悲惨だった。
昭和17年の前半までは輸送船の損害は想定以下だが、以後は耐えられないほど急増した。輸送船を失えばせっかく南方で獲得した資源を日本に運ぶことができない。国力は弱まり、海軍の兵力はボロボロになって制海権を失い、さらに輸送船が沈められる。まさに泥沼である。当然の結果として大日本帝国は悲惨な敗戦を迎えた。

私は「代理出産」の問題においても「問題を無視する」ことがさらに問題を拡大させ不幸を増やすだろうと考える。
春霞さんのような逆立ち論法は最悪だ。「子供を作れ」という圧力はまさに現実のものとして日本社会に存在する。

ちなみに、春霞さんのブログのタイトルは「Because It's There」である。
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代理出産は「使い捨て出産労働」

2008年01月19日 | 代理出産問題
どうやら「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶべきだと思っている)を原則的に禁止することを勧告する報告書が出るようだ。代理出産には重大な社会的・倫理的問題があると思ってきた(カテゴリ「代理出産問題」)私にとっては朗報である。

asahi.com:代理出産「依頼者も罰則」 学術会議報告案
 日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」(鴨下重彦委員長)は18日、代理出産を原則禁止したうえで、営利目的で行った場合、依頼者や実施した医師、仲介者に刑罰を科す法律をつくるべきだとする報告書案をまとめ、公表した。ただし、研究などで例外的に代理出産を認めることも検討課題として残した。

 委員会は、政府の依頼を受けて設置された。報告書案に対し、委員の中には異論もあり、3月末の最終報告まで議論を続ける。

 代理出産をめぐっては、日本産科婦人科学会が指針で禁止している。しかし、法律はなく、長野県内のクリニックで50代後半の女性が娘夫婦の子を代理出産したケースや、海外で依頼する例が明らかになっていた。

 タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さん夫妻が米国の女性に代理出産を依頼し、双子が生まれたが、東京都品川区が出生届を受理せず、訴訟になった。最高裁は昨年3月、民法上、夫婦との親子関係は認められないとの判決を出す一方、法整備の必要性を指摘していた。

 18日にあった委員会では、「遺伝的なつながりがない子宮の中で育つ子どもへの影響はどうなのか」「第三者の体を生殖の手段として使っていいか」など、解禁に慎重論が多く、原則禁止の方向でまとまった。

 さらに、学会の指針や国の行政指針では強制力がないことから、法整備の必要性を強調。営利目的での実施には、「依頼者のほか、あっせん仲介業者、妊娠に携わった医師を処罰の対象にすべきだ」との意見が大勢を占めた。日本人が、国外で実施するケースについても「処罰することになろう」としている。

 一方で、医師に罰則を科すことに、委員から「国民の意識調査で、半数が認めている行為を罰していいものか」と疑問の声もあった。

 また、子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。将来、国の管理下で行う臨床研究のような形で例外的に実施し得るのかどうかなどを、今後の課題とした。

 委員会は3月末まで審議を継続し、国に最終報告する予定だ。法整備に向けた議論はその後、国会にゆだねられることになる。委員会のメンバーには「自分たちは考え方を示した。これからは国会が決めなければ、今回の報告も全く意味はなくなる」という声が多い。

 ただ、03年に厚生労働省の審議会が代理出産禁止の方針を打ち出した時は、国会で「一律に禁止していいものか」との異論が出て議論が進まず、うやむやになった経緯がある。

 今回も、与党議員の中には「個人の価値観で意見が分かれる事案で、法制化は容易ではない」「ねじれ国会で、どこまで議論にのぼるのか」の指摘もあり、法整備への道のりは不透明だ。


基本的に異論はないので、報告書案がそのまま学術会議の勧告となり国会で速やかに立法されることを望む。

記事中で気になったことが一つある。

子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。

子供がほしくても自分で産めない女性はたしかにお気の毒だ。
だが代理出産は「産む権利」ではなく「他者に産ませる」ことである。依頼者側が「産む権利」を言うのはおかしい。
仮に「代理母志望」の女性たちが「自分以外の誰かの子供を産んであげる権利」を言うのであればわかるが、記事はそういう意味には読めない。あくまでも依頼者側の視点だ。

代理出産問題をめぐる報道や世論には朝日の記事に見られるような視点の偏りが多い。
代理出産を「させたい側」の意見や感情ばかりで、「引き受ける側」のことをほとんど無視している。
依頼者は身体的リスクを負わずに子供を手にする。
代理母は時に命の危険さえある出産リスクを冒すのに子供を抱くこともできない。

このごろ派遣労働とかワーキングプアといった問題が話題になる。
「企業が労働者を使い捨てにするのはよくない」というのが社会的コンセンサスのようだ。
それならなぜ代理出産を容認する世論が過半数を超えるのか。私には不思議でならない。
「代理出産」とは端的に言って依頼者が女性を「出産労働力」として使い捨てにすることだ。
子供という果実は依頼者が取り、代理母は身体的精神的負担を引き受けて自己満足を得る。
これが本当に正しいことなのか。美談としてもてはやしていいのか。

依頼者の欲望を「産む権利」と勘違いするのは、滑稽なだけでなく犯罪的な過ちである。
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