玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

ホリエモン関連のお勧めブログ

2005年03月31日 | ネタとか
随時更新する予定です。読者のみなさま、よろしければコメント欄にて優良記事をご推薦ください。トラックバックによる立候補も歓迎します。

基本的に玄倉川は「1ブログにつき1エントリを推薦」という形とさせていただきます。
また、玄倉川が価値を理解できない記事(玄倉川に知識がなくて理解できない「猫に小判」の場合など)は申し訳ありませんがエントリ本文中の推薦ブログとしては挙げませんので、どうかご理解ください。
読者の方は、いくつでも推薦していただいてけっこうです。いや、とにかくできるだけ多くの良いブログ記事を紹介してくださるようお願いいたします。

(追記)
ちょっと泣き言。応援側で紹介したくなるブログがなかなか見つからない。きっとたくさん存在するはずなのだが、あまりにも大量の質の低いブログにまぎれてしまい、探すのに疲れてしまう。何か良い方法はないものだろうか…

(さらに追記)
飽きたので放置中。期待してくださった方々にはまことに申し訳ありません。

■ 基本資料
江川紹子ジャーナル 「新聞・テレビを殺します」 ~ライブドアのメディア戦略
ライブドア:堀江社長との一問一答(要旨)
Sankei Web 経済 ライブドア・堀江社長インタビュー 一問一答全文(03/26 08:41)
ニッポン放送の経営権に関するニッポン放送社員声明文

■ ホリエモン・ライブドア批判
PUPAN THE THIRD -ぷぱん三世- | ニッポン放送問題  *JavaScript必須。熱い怒りがほとばしってます。
創難駄クリキンディーズ2004福岡: ちゃんとした根拠と論理性を持ったホリエモン応援ブログ記事を読んでみたい。
ライブドア支持の方への質問|ももしろうさぎのうさぎ日記
すちゃらかな日常 松岡美樹:ほりえもんに見るメディアリテラシーの憂鬱
Mの裏日記:不幸な若者達
徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて:どうなるホリエモン!
BigBan: 堀江貴文の病理------カネが全てではない理由の考察  *連続記事
新・むらい。ブログ:法律を守っていればいいだけの時代は終わった
出会い系データブログ・攻略そして紹介:堀江氏のメディア論に誘発されて  
くぬのしっぽ:WEBのメリットや優位性(の幻想)ばかりが強調されて垂れ流される世の中。
おてんば日記~~魅惑のゲイ・ライフ~~:ホリエモソ退治だそうです。
無差別・とらぴんg:堀江社長の●●っぷりを生暖かく見守る ♪
大村あつしの ボクは不死鳥:ライブドアの呆れた対応
雪斎の随想録: 新年度、始動。
30にして学に志す:◆あばよ、ホリエモン~これからは、ユビキタスの時代だよ~
フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997 - 売れている“新しい歴史教科書”を否定するビジネスマンという不思議
SO WHAT?  だからどうしたっての:ネットの不動産屋と旧態依然との闘争について *力作です new !
web-tonbori堂ブログ:ゲーム  new !
 

■ パーソナリティー降板問題
芸能問題総合研究所ANNEX:人、人、人
Dazed Days Bootleg: ライブドアになったら出ません
世の中不思議で面白い■何故嫌われる?:ホリエモンの課題■
朝になるとやってくる antiECOの日記 - ガ島通信さんに愛を込めて-ラジオ世代からのメッセージ-
桜日和: 死者にムチ打つライブドア
きょうのわたくし リスナーを無視してる無視してるって、あなたがたリスナーなんですか?
冒険少年News-Blog: あえてライブドアNO宣言タレントを擁護します。
うたごころ:悲しみに
on the ground スポーツ選手と芸能人の説明責任
発言小町:ちょっとがっかり...かな?
Mの裏日記:権利者の壁
dicblue blog | 「論」で勝って、「情」で負けた
怒りの矛先 よく言った!


■ 取扱い注意
切込隊長BLOG(ブログ) ~俺様キングダム: ライブドア騒動と、オウム真理教事件が構造的に酷似している件について

■ 中立的
大西 宏のマーケティング・エッセンス:これからどうするのか。堀江さん
(私的)にぅす解読: ニッポン放送騒動の「総括みたいなもの」(M&A論編)
堀江社長を批判する人たち-Beyond the Infinity on yaplog!
インターネット民主主義実験室:ライブドア問題はもっと深く考えるべき
路上日記@なんば:「ほりえもんVS既存メディア」に思うこと①
フジテレビとライブドアの買収劇に見られる『光と影』~本編~-なんで屋-驀進劇-
民主主義を経済学する: ライブドア対ニッポン放送
佐々木俊尚の「ITジャーナル」:テレビ業界がライブドアに拒否反応を示す理由とは
歌田明弘の『地球村の事件簿』: ニッポン放送がフジテレビと戦うとき
Scott's scribble - 雑記。: ライブドアに関する自分の意見のまとめ  
isaの同時代フィールド・ノート:保利右衛門騒動への一考察
木走日記:ホリエモン
ライブドア対フジサンケイグループのまとめ【新株予約権発行前】 とーます投資研究所/ウェブリブログ
福田川新報: ホリエモン問題ブロゴスフィアとネット論壇  new !


■ ホリエモン・ライブドア応援
なぜホリエモンを応援すべきなのか - http://www.jimbo.tv/
Silly Talk: ほりえもん徹底支持宣言
Fireside Chats:人生いろいろ。ジャーナリズムもいろいろ。
ほりえもん・ライブドアの放送局買収を応援!
ライブドアとニッポン放送問題、愛だけでいいのか? - nikkeibp.jp - from ガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く
Espresso Diary@信州松本:ライブドア
Dr.SK議事録 blog版:批判は冷静に! *「まっとうなホリエモン批判」を探しておられます new !

新社名のお勧め

2005年03月31日 | ネタとか
他にも書きたいことがあるのだが、ホリエモンのインタビューを見るとそれらのネタを放り出してどうしても書きたくなる。「物言わぬは腹膨るる業なり」という古言もある。ホリエモンのようなお腹にはなりたくないので書いてしまおう。

報道ステーションでインタビュアーから「ニッポン放送の亀渕社長と会談したのでは?」と尋ねられたホリエモン、「妄想ですよ、妄想」余裕の笑みを浮かべ車に乗り込み、たちまち走り去る。

………私はこのことについてはむしろホリエモンに同情していたのだ。
彼の口から「妄想」という言葉が初めて使われたのは、たしか「ライブドアがフジに対しLBOを利用してTOBを仕掛ける」との情報が流れたときだった。フジサンケイとの間で交わされている交渉の命運を左右する重大な情報であり、否定するために多少強すぎる言葉を使うのも仕方がないのかな?と思った。ずっとマスコミに追い掛け回されて苛立っていたせいもあるだろう。
とはいえ、誰かの予測を「妄想」と切り捨てるのは「お前の頭はおかしい」と断じるのとほとんど同じである。たぶん「妄想」発言の後でホリエモンは公報の乙部さんから「あんなこと言っていただいては困ります」とダメ出しされたことだろう。もう二度と彼の口から「妄想」という言葉が出ることはあるまい。

…甘かった。どうやらホリエモンは確信的に「妄想」という言葉を使っていたらしい。
小泉首相にとっての「人生いろいろ」と同じなのか。
「人生いろいろ」はユーモアを感じさせてけっこう好きだが、「妄想」は到底好きになれない。
社長がこういう言語感覚なら、社員がこうなのも当然であろう。きっと乙部氏はライブドア社内では優秀な日本語の使い手として周囲から一目置かれているに違いない。御社の社内事情を知らず軽率に批判した私が愚かだった、どうか乙部さんにはお許しを頂きたい。

この先どうなるかわからないが、もしライブドアがニッポン放送の経営権を握ったら、そのときにはぜひ社名を変更されることをお勧めする。新社名は当然「ライブドア・ニッポン妄想」である。

関連ブログ:ば○こう○ちの納得いかないコーナー:マスコミ対策の優劣

■ホリエモン関連のお勧めブログ

ライブドア広報の乙部さんへの忠告

2005年03月30日 | ネタとか
最近テレビでよく見かけるライブドア広報の乙部さん。NHKニュース10でもインタビューを受けていた。雲隠れしているホリエモンに代わっての出演らしい。
「美人」広報担当ということで週刊誌などから注目されているようだ。若い「美女」を会社の顔に据えるのは悪いアイデアではない。いや、私としては以前フジテレビにその方法を提案したくらいであり本来であれば大いに歓迎なのだが。
それにしても、だ。

最初の前提として、乙部氏は一般人である。芸能人ではない。
もし彼女が芸能人なら、いろいろと言いたいこともあるのだが今はやめておく。「芸能人気取りに見える」ではなくバラエティーに出演したりして「芸能人」の範疇に入ってきたらそのときは思い切り書くことになるだろう(書かないかも)。
ここでは、ライブドアの広報担当としての彼女を批判し、いくつか忠告させてもらう(やけに偉そうだな)。

…あの日本語は何だ?どこで習った?誰が彼女を今のポジションに就けた?
端的に言って不愉快である。誠意が感じられない、といっても漠然としているからなるべく具体的に書く。

「誤解された」という言葉を軽々しく使うな。それは「誤解したほうが悪い」「自分(たち)は被害者だ」という非難の意思を言外に含んでいる。
そもそも最初に行動を起こしたのはライブドアである。大きな話題となり、マスコミが詰め掛けた。だが、それはすべて「想定内」のことではなかったか。ライブドア広報が、堀江社長がなすべきは、どんなマスコミも(フジサンケイGは無理として)歪曲したり誤解を与えることのできないような明確な言葉を用意しておくことだったはず。誤解されたならそれは見通しが甘く準備不足だったライブドア側の責任が大きい。彼女が使うべき言葉は、「誤解された」ではなく、「誤解を与える表現をしてしまい申し訳ない、これからはそのようなことがないよう万全を尽くす」であるはずだ。
「誤解された」などという言葉で責任を相手に押し付ける企業・人が、この先も信用を得ることは困難だろう。

「言葉尻」これも不適切な言葉だ。
「些細な問題にこだわられては困る」という意思を含んだ言葉だが、それが「些細な問題」かどうかは当事者の一方が勝手に決められることではない。「メディアを殺す」「支配する」これらはライブドアにしてみれば言葉尻の問題なのかもしれないが、フジサンケイGにとっては目の前に突きつけられた針である。
「そんなことを気にするほうがおかしい」「ただの冗談」そのような態度で相手からの信用を得られるはずがない。自分たちにとっては些細な問題であっても、相手がこだわっているのなら速やかに撤回し謝罪すべきである。それなのに未だに「言葉尻」などと責任転嫁のための言葉を使うとは、自分が何のために話しているのかを忘れた烏滸の沙汰と言うほかない。

いま私は「祖国とは国語」(藤原正彦)という本を読んでいる。その中で藤原は「全ての知的活動の基礎は『国語』にある」と主張しているが、私も全く同感だ。人の心を動かすには、経済学やビジネス理論ばかりではなく高い国語力、説得力が不可欠のはずだ。

以上、高校一年レベルの物理もおぼつかない玄倉川が乙部氏の「言葉尻」に拘ってみました。
万が一本人が読んだとして、鼻で笑われるんだろうな。

(追記)
乙部さんがブログを開設されました。ときどきウォッチしていく予定。
ライブドア広報・乙部綾子のお仕事日記

(追記)
乙部氏と似たような言語センスをお持ちの方を見かけたので、興味のある方はリンク先をご覧ください。
ブログ時評: 暴走PJダンプ撃退を機に見直し


■ライブドア関連のお勧めブログ

あれから10年、エヴァンゲリオン

2005年03月29日 | テレビ鑑賞記
BSアニメ夜話 新世紀エヴァンゲリオン

グダグダになるのを危惧していたが、案外まとまりのいい番組になったので安心した。
私はいわゆるエヴァ世代ではなく、「エヴァを最後にその世界から離れた世代」である。エヴァに強い思い入れのある人たちからすればおそらく不満だらけなのだろうが、ライトな(元)ファンには十分楽しめた。ガンダムの回のときには、構成のまずさとピントのずれた話、時間不足に怒りまくったのだが。

ゲストの人選も当を得ていたのではないだろうか。
プロデューサーとみやむーの秘話は興味深かったし、「識者」である唐沢たちの総括もよかった。エヴァ世代の引きこもり系作家(失礼)滝本氏は最初あまりの痛さに引いてしまったが、意外にも可愛気があって悪くなかったと思う。ああいう人とちょっとお友達になってみたい。

私はエヴァの「純文学的」部分についてはあまり興味がない。そういう部分については唐沢と岡田がわかりやすくまとめてくれていたので充分だ。実は彼らがどんなことを言っていたか思い出せないのだが、「納得した」という感覚が残っているのでそれはそれでよい(いいかげん)。
私の好むエヴァは「謎と興奮に満ちたロボットアニメの王道」である。
何年かぶりにオープニングアニメを見て、あまりのかっこよさに不覚にも涙してしまった。音楽とシンクロしたカットの切り替え、アンバランスとバランスを組み合わせた構図の取り方、美しさと不気味さの融合、どれをとっても完璧だ。岡田が「この時代において世界一の映像センス」と言っていたが、あながち大げさではなかろう(でもやっぱり大げさだな)。

巨大なブームを起こしたエヴァンゲリオンの誕生からもうすぐ10年。
そろそろ何か新しいものが生まれそうな気がする。年とともに硬化しつつある私の感性がそれを受け入れられるかどうかはわからないが、楽しみに待ってみよう。

愛を要求する根拠

2005年03月28日 | 日々思うことなど
恋愛の話ではない。私には人前で艶っぽい話ができるほどの経験はない、残念ながら。
タレントはファンを大事にする義務がある     …のか?の続きです。

コメントを寄せていただいた方々から予想以上に暖かい反応(ありがとうございます)を得たのに励まされ、「もしかして自分の考えはそれほど少数派ではないのかも?」と思いライブドアのブログ検索(便利に使わせてもらってます、ホリエモンありがとう)で「タモリ 中島みゆき ニッポン放送」をキーワードに検索してみた。

…やはり私は少数派でした、それも圧倒的な。
この問題について、降板の意思を表明したタレントを批判するブログが9割、理解を示したり賞賛しているブログが1割、といった比率だろうか。6:4か7:3くらいを予想していたので少し驚いた。そして、批判しているブログの内容にも少なからず驚かされた。
一番多く見られた批判は、「彼らには『リスナーのために』という気持(愛情)が見られない」というものだった。99の岡村が降板宣言したタレントたちを批判したのと同じ理由である。というか、岡村発言を支持し賞賛するかたちで書かれた記事が多かった。
これについて私は以前のエントリでも異論を唱えたのだが、私の目にした「リスナーへの愛情の欠如」を問題視するブログ全てにおいて、「リスナーが愛情を要求できる根拠」に何の疑問も持たず、自明の前提としているのは不思議だった。

少し話は変わるが、「恋愛」という言葉を聞いたとき「幸せなカップル」を想像する人と「片思い、ままならぬ恋」を想像する人のどちらが多いのだろうか。私はだんぜん後者である。私にとっては「恋愛≒片思い(=ではないので念のため)」なのだ。愛は基本的に無償で捧げるものであり、相手からお返しがあれば僥倖、そんな世界観を抱いてひたすら地味に生きている。
そんな私にとって、何の努力もなしに(ハガキ職人は除く。彼らは努力し対価を払っている)ただ「ラジオを聞いている」というだけで無条件にタレントからの愛が得られる、それが当然だ、という考え方は実に受け入れがたいものであった。無料で話芸を楽しんだあげく愛情まで期待するのはあまりにも虫が良すぎる、甘えるのもいい加減にしろ!と怒りたくなる。
だが、恋愛という言葉でたちまちラブラブな二人を思い浮かべる人たちにとっては、それはごく当然のことなのかもしれない。彼らが僅かな好意を示せば必ず何倍もの好意が返ってくるし、貴重な時間を使ってラジオを聴いてあげればタレントは喜びリスナーのため献身的に喋りまくる、それが当たり前なのだ。勝手に番組をやめるなどと言い出すタレントは「リスナーのため」を忘れ思い上がった裏切り者であり、決して許せるものではない。最大級の罵声を浴びせるに値する。
……なんだか、「両思いが当然」という意識を敷衍するとストーカーに似てくるような気がする。

実も蓋もないことを言うが、そもそもリスナーとパーソナリティーは赤の他人ではないか。パーソナリティーは99%のリスナーと面識もなく、投稿者以外については名前も知らないのである。まさに見ず知らずの間柄だ。それでも、パーソナリティーがリスナーに親しげに呼びかければ、そこには友情に似た何かが生まれる。だが、それは一対一で結ばれる本来の友情とは違っており擬似的なものだ。現実の友人との友情を現金とすれば、パーソナリティーとリスナーの擬似友情は宝くじである。誰もが当選するものと信じて握り締めるが、現実にお金を得られるのはごく少数でしかない。
リスナーが幸せな夢を見るのは自由だが、それをパーソナリティーに押し付けるのはやめたほうがいい。彼らは彼ら自身の逃れ得ない現実を生きているのだから。

*このエントリの続き*
サイタ、サイタ、サクラガサイタ

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安易なユーザー志向の恐怖

2005年03月28日 | 日々思うことなど
NHKスペシャル 「安全の死角・六本木回転ドア事故」

私は田舎者なので、都会のおしゃれな新築ビルに使われている電動大型回転ドアなるものを実際に見たことはない。「たかがドア、気をつけていれば大丈夫。使用禁止にするのはやりすぎ」そんな風に安易に思っていた。
だが、この番組内で幼児のダミー人形の頭が無残に押しつぶされたとき、私は思わず目をつぶってしまった。総重量2・7トンの物体が毎分3・2回転するのだから、そのエネルギーは*走る自動車なみ*だろう(物理に弱いので正確なエネルギー量はわかりません、ごめんなさい)。まさに回転する凶器である。
*JSFさんからご指摘を受けました。回転ドアのエネルギーは自動車に直すと時速5Km/h程度だそうです。走る自動車にはねられる場合よりも、バックを誘導していて塀と車の間に挟まれる、といった事例のほうが近そうです。

事故の「責任」ではなく「原因」を追究したこの番組で、興味深い事実が明らかになった。
オランダから技術輸入した当初は、安全性(ブレーキのかかりやすさ)確保のため1トン以下と軽量だった回転扉が、ユーザーの希望や商品性向上を目指して繰り返された改設計により、三倍近くまで重量を増加させていたのだ。
もともとアルミ製の回転扉に、「見栄えのため」表面にステンレス材を使用したり、「ゆがみ防止(防風性向上)」のため骨格をスチールに変えたりした結果、当初の設計理念とかけ離れたモンスターになってしまった。
安易なユーザー志向のつけが、罪もない幼児の命であがなわれたことになる。
なんともいえないやりきれなさと悲しみを感じる。

「お客様は神様」「ファンを大事に」「株主の意向重視」どれも大変もっともなことだ、何も間違っていない。
だが、正解をひたすら追い求めると、いつのまにか誰も望まなかった結果になることがある。
私のような凡人は、堀江社長のような成功者に学ぶよりも、さまざまな失敗例を知りそれを避けることを考えたほうが人様に迷惑をかけずに済みそうだ。

タレントにはファンを大事にする義務がある     …のか?

2005年03月27日 | 日々思うことなど
ネットの楽しみは、自分が思いもよらない考え方に出会えることにある。
以下に引用させていただく文章も、私にとってはそういう種類のものであった。新たな考え方を示してくれたvirtual-lifeさんにまずお礼を申し上げたい。

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ファンを一番大事にしなければいけないのは出演者ではないのか?

経営者が変わったからといって番組を降りる、そんな決断をする人にファンがつくのか?
がっかりするだけじゃん?

どれほど自分に自信を持っているのか知らないが、視聴者をなめるのもほどほどにしておいた方がいい。

絶対しっぺ返しを食らうぞ!


大御所たちにがっかり|仮想的現実な日々

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以上、引用させていただいた文章は「江本氏、中島みゆき、タモリら降板の意思」 のような報道を受けたものである。
さて。
私はよく知らないのだが、タレントとは「ファンを一番大事に」する義務を負うものだと世間一般では思われているのだろうか?もしそうだとしたら、私は少数派なのだろう。
私は、タレントとは「自分の芸や才能を一番大事に」する義務を負う職業だと思っている。そもそも、タレントという言葉は英語で「才能」という意味ではなかったか。まあ、日本語のタレントと英語のtalentはすでに無関係なのかもしれない。「芸能人」という言葉もあるが、これも「芸能+人」であり、「ファンを大事に」という意味は含まれていない。もし「ファンを大事にする人」を表すとしたら、セントレアンである私としては「愛客人」「媚客人」といった言葉を提案するが、世の中に受け入れられる可能性は低そうである。
とりあえず、私としては「タレント」「芸能人」という言葉に「ファンを大事に」という概念は含まれていないものと結論付ける。

virtual-lifeさんのお考えでは、「自己都合の番組降板=視聴者(ファン)をなめている」ということになるようだ。
私にはどういうことか理解できない。
私が考える「視聴者をなめた」タレントのあり方とは、やる気も才能もなく、ただ出演することを目的に番組に出演するタレントである。そういうタレントが混じっていると、番組の空気は淀み、やがて腐る。顔を売り出演料を稼ぐため番組を腐らせるタレントこそ、私に言わせればファンをなめておりタレント失格だ。
具体的に例をあげよう。私はタモリのファンなので少し書きにくいが、「ミュージックステーション」のタモリなどはそのいい例だろう。誰が見てもあからさまなほどやる気がないし(他の番組でもやる気を見せないが)、音楽番組の司会として他に代えがたい芸を持っているとも思えない。タモリがMステを自己都合で降板しようと首を切られようと私は怒らないし、むしろ遅すぎたくらいだと感じるだろう。
最初の段落で、“タレントとは「自分の芸や才能を一番大事に」する義務を負う職業だと思っている”と書いた。その意味で、芸や才能を無くして降板するタレントに怒りを感じることはありうるのだが、その場合も怒りの矛先は「芸や才能を無くした」ことに向かい「降板した」こと自体はどうでもよい。いや、降板すれば無様な姿を見なくてすむのでむしろ歓迎である。

もう少し「自己都合の番組降板」について考えてみる。
それがファンや視聴者の失望を生むとしたら、「自己都合」の内容がタレントの既成イメージとかけ離れている場合だろう。清純派アイドルが男と駆け落ち(古いな)して番組に穴を開ければ批判の嵐を浴びるだろうが、「魔性の女」「恋多き女」であればむしろ箔が付くかもしれない。親孝行を売り物にしているタレントが親の看病を理由に降板しても失望する人は少ないはずだし、逆に番組を続けるほうが自らのイメージを裏切り、タレントとして価値を下げるだろう。

今回、降板の意向を明らかにしたとされるのはタモリ、中島みゆき、市川森一、倉本聡、江本孟紀の各氏である。
彼らは降板宣言によって既成のイメージを裏切ったのだろうか?
私にはどうもそうは思えないのである。タモリについては後述するが、中島、市川、倉本、江本、これらの人たちから「ファンを何よりも大事にしている」という印象を受けたことはない。中島、市川、倉本の3氏は芸術家タイプである。自分の思い通りの作品作りにこだわる。それができなければやめてしまう。そういう彼らの姿に共感した人々がファンになり長年支持し続けている。江本氏は阪神を首になったいきさつからもわかるように自由人である。気に食わないことがあれば放言し、嫌な奴が上司になれば後先考えずに辞める。大変わかりやすい。
もちろんこれは私個人が抱くイメージであり、彼らに「ファン第一」の姿を期待した人のほうが多いのかもしれない。だが、率直に言わせてもらえばそれはアライグマが人に懐くのを期待するのと同じような勘違いに思えてならないのだ。

タモリについて書くのは気恥ずかしい。
ある程度の長さの文章を書くにはそれなりのやる気が必要だが、彼の信条は「やる気のあるものは去れ!」である。困った。まあなんとかやってみよう。
virtual-lifeさんなど、自己都合の降板に怒っておられる方々は、タモリが真面目に「ファンのため」などと歯の浮くようなセリフを口にする場面を想像し期待できるのだろうか。私には無理だ。もしタモリ自身が本心からそう言ったとしても、私を含め彼のファンは無理やりネタ扱いする。「ファンのために行動するタモリ」など、存在自体が矛盾しておりそんなものを認めてしまえば世界は崩壊する。
といって、必ずしも「タモリはわがままでありファンを無視している」というものでもない。タモリはわがままであり続けることによってファンの期待にこたえているのである。ファンは(おそらくはタモリ自身も)それを承知しているが、口にするのは野暮というものだ。なんとも微妙な、「他人以上友達未満」の精神的距離を保ち続けているのである。

いろいろな憶測はあるが、タモリがどんなつもりで降板の意志を固めたのか私は知らない。特に知りたいとも思わない。いいかげんなようでいて実は人情に厚いから、反ライブドアの経営陣やスタッフに義理立てしたのか。それとも年を取ったので仕事を減らしたいのか。ライブドア傘下になって面白い番組を続けていけると思えなかったのか。ホリエモンが嫌いなのか。そのどれも考えられるし、すべて外れているかもしれない。
だが、降板しようと継続しようとそれは私にとって大した問題ではない。
私にとって大事なのは、タモリがタモリ自身であり続けてくれること。
「経営者が変わったからといって番組を降りる、そんな決断をする人」であろうとなかろうと、私が抱くタモリのイメージは揺らがない。彼が沈黙を守り、「ファンのため」とか「長年の義理のため」とか、どちらにしても偽善的な自己正当化のための言葉を口にしないことに私は満足している。

そうはいっても、タモさんのラジオが終わっちゃうのは淋しいな。
いや、タモさんを責める気にはなれないけど。
ライブドアが来たらやめるって言ってるんだから、ライブドアが来なければいいのか。
ライブドアのニッポン放送への経営参加反対!ホリエモンは来るな!!
…と言ってみただけ。

*このエントリの続き*

愛を要求する根拠



■ライブドア関連のお勧めブログ

徳ちゃん、おめでとう

2005年03月26日 | テレビ鑑賞記
テレビ朝日の徳永有美アナウンサーがウッチャンナンチャンの内村光良と結婚されるそうである。
おめでとうございます。初期の「内村プロデュース」から二人を見続けてきた一人として感慨深い。紆余曲折あったが、ようやく収まるべきところに収まった、そんな感じがする。

以下の文章では、面識もないのに失礼だが「徳ちゃん」と書かせていただく。
私が初めて徳ちゃんを見たのは、たしか「レガッタに挑戦」の回だった気がする。
黒っぽい服に身を包んだ徳ちゃんは美女の多いテレビ朝日アナウンサーの中でも特に美しく見え、「この人がアシスタントとして定着してくれたらいいなあ」と思ったものだった。だが、新人アナウンサー徳ちゃんは内村という大物芸人の前で緊張していたのか、あまり笑顔も見せず私を心配させた。もともと生真面目な彼女は内Pのあまりにもバカバカしい企画に引いてしまっていたのかもしれない。
やがて半年、一年と経つうちに内村や他の出演者ともすっかり打ち解け、「内Pファミリー」と呼びたいほどの親密な空間が番組内にできあがる。徳ちゃんはむさくるしい男ばかりの出演者から妹のように可愛がられ、徳ちゃんもまた内村をはじめとした芸人たちを兄のごとく慕っているように見えた。思えば、あの頃が内Pの黄金期であったのだろう。
特に、「劇団プロデョーヌ」初公演「真夏の世の夢」で見せたお姫様ドレスは、徳ちゃんにとっても視聴者にとっても忘れられない頂点であった。

だが、公演が行われる直前の2001年7月、徳ちゃんは後に不幸な結末を迎えることになる結婚をしていたのだ。
ただの視聴者であり、徳ちゃんの気持など知るべくもない私だが、番組内での徳ちゃんと内村の親密ぶりを見ていて「この結婚、本当に大丈夫なのか?もう少し時間をとって自分の気持を確かめたほうがいいのに…」などとおせっかい極まりないことを思ったりした。
それから後のことはあまり書きたくない。
番組内での出演者たちの親密度はさらに高まり、徳ちゃんが内村を見つめる目がだんだん熱っぽさを帯びていくのを、爆弾の導火線が火花を上げて短くなっていくのを見るような思いで眺めていた。
爆弾は爆発したのだろうか?芸能マスコミ的にはそういうことになっているようだが、私は爆発する前に徳ちゃんが自ら導火線を断ち切ったものと信じる。もちろん、本当のところは本人たちにしかわからないことではある。
爆弾は爆発しなかったのかもしれないが、結果的には爆発したのと同じことになった。彼女自身も傷つき、そして一度は彼女が愛した人も深く傷つけた。実に残念である。

あれから数年。徳ちゃんにはいろいろなことがあり、一時はもう画面で見られないのかとも思われたが、最近は「報道ステーション」で元気な姿を見せてくれるようになった。
内村も何人かのアイドルや女子アナと噂を立てられた。いつものように飄々と否定していたが、彼の心の中には常にただ一人の女性の名前があったのかもしれない。

ここ数年の彼らの間に何があったのか、私などが知るよしもない。
だが、ようやく二人が結婚するというニュースを聞いたとき、なんだかとてもほっとしたのだ。
まるで友達か親しい同僚が長年の想いをとげたような嬉しさを感じる。
いつのまにか私にとっても徳ちゃんは妹のような存在に感じられていたのだろう。
昨夜の「報道ステーション」で輝く笑顔を見せてくれた徳ちゃん、どうか今度こそ壊れることのない幸せを築いてください。内村は気難しいところがある男だけど、ゆったりとした包容力で見守ってあげれば大丈夫。
徳ちゃん、そして(ついでに)ウッチャン、どうかお幸せに。

以上、「友人の結婚式モード」でお送りしました。
現実の結婚式と違って何万というお祝いを包まなくていい分気楽だなー、だから無邪気に喜べるのかも(←ケチ)。

盧武鉉大統領がお気の毒でならない

2005年03月25日 | 政治・外交
宣戦布告に近いような日本批判をした盧武鉉大統領。
韓流ブームに水を差された日本のメディア各社は戦々恐々、てんやわんやの大騒ぎ…
なんてことは全く起こらなかった。
10時台、11時台のニュースではほとんどの局で韓国の「か」盧武鉉の「の」も取り上げられず。
NHKニュース10では、新型小田急ロマンスカー(カッコイイ!)など新型電車の紹介という暇ダネにまで押し出され、その他の局でもほりえもんとフジ、愛・地球博、サッカーの日本-イラン戦などに対して全くニュースバリューを認められず、総スルー状態。
わずかにフジ「ニュースジャパン」だけが一分ほど取り上げたものの、内容は昨日とは打って変わったへたれぶり、いや失礼、先進強国であり道徳的優位にあるものとして韓国が寛恕の姿勢を見せたニュースであった。
つまり。
日本において、韓国大統領の不退転の決意を込めた日本批判がほとんど無視された、ということだ。
なんというか、夜も眠れぬほど恋焦がれた相手に勇気を振り絞って告白したら「お友達でいましょう」どころか完全に無視されたようなものである。全米が泣いた。

韓国の日本に対する色々な意味での片思いは昔からのものではあるが、ワールドカップ共催とか韓流ブームもあったからにはここまで見事に無視されるとは思ってもいなかったのではないか。ご愁傷様である。
いくつかの新聞記事やネットの情報を見ると、盧武鉉大統領の「日本批判宣言」は国内の不満をそらすためのガス抜きの要素が大きいようだ。国家元首が自らガス抜きをやらなければならない国なのか、韓国は。日本ではそういう役目は石原閣下とか政府を離れた安倍幹事長代理とかがやる役である。一種の道化というか汚れ役を大統領自らがやってしまう(やらざるを得ない?)国。自分だったらあまりそういう国の国民にはなりたくない。

「強硬な対日批判」「日本にほとんど無視される」「交流継続宣言」この流れで盧武鉉大統領は、韓国民はいったい何を得られると期待し、そして何を失ったのだろうか。日本からどうこう言ってもネガティブに受け取られるだけかもしれないが、韓国の愛国者の皆さんにはぜひ冷静に考えてもらいたい。

日本も彼らのおかげで確認することが出来た。
2ちゃんねるで言われる教訓「煽り、荒らしはスルー」は国際政治でも通用する。
身を挺して教えてくれた盧武鉉大統領と韓国民の皆さんに感謝しよう。
そんなことで感謝されてもちっとも喜べないだろうが。

韓国の愛国者のみなさんがたいそうお喜びのようで

2005年03月24日 | 政治・外交
竹島はもしかしたらダイアモンドか金塊で出来ているのだろうか?私には単なる岩塊だけの島にしか見えないのだが。島根県が「竹島の日」を制定しただけのことで韓国の愛国者の方々が大騒ぎを始め、ついには大統領がこんな発言まで。(黄色文字は引用)

対日強硬姿勢の国民談話 盧大統領、外交戦の全面に

MARCH 23, 2005 22:30
by 金正勳 (jnghn@donga.com taewon_ha@donga.com)
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が23日、日本に向けて再び超強硬発言をした。

盧大統領が同日発表した対国民談話には、「根を引き抜く」「外交戦争もあり得る」「一日二日で終わる戦いではない」「これ以上黙ってはいられない」「韓国は勝利するだろう」という戦闘的な用語が盛り込まれた。

17日、日本に対して「静かな外交」基調を転換することを宣言した国家安全保障会議(NSC)常任委員会の対日新ドクトリンの水位をはるかに飛び越えるものだ。特に、小泉純一郎首相の靖国神社参拝行為を真っ向から攻撃することで、首脳間対話を通じた解決の余地も遮断し、事実上背水の陣を敷いた。


あれ?盧武鉉大統領って、以前たしか「私の任期中には政府として韓日の過去の問題を公式的な場で議題や争点にするつもりはない」とか話してなかったっけ?私の記憶違いか?
それはそれとして。
凄い。凄すぎる。これがウリナラ愛国心の発露なのか。
気の早い人が宣戦布告されたと誤解してしまいそうだ。
いや、向こうはひょっとして……?

しかし一角では最近、韓日葛藤が高まって以来、盧大統領の国政運営支持率が10%以上上昇した点に注目している。盧大統領の支持率は、最近40%台を超え、50%に向けて上昇の勢いに乗っているというのが、世論調査専門家たちの説明だ。

不埒で悪辣な日本に対し断固とした怒りの姿勢を見せた大統領に韓国の愛国者のみなさんはたいそうお喜びの模様。いやー、以前のエントリで「韓国の愛国者の皆さんがお気の毒でならない」などと書いたのはとんでもなく間違ってたみたいだ。あんなに闘志を燃やしている人々を指して「気の毒」なんて言ってしまっては罰が当たる。おそらく、韓国の愛国者のみなさんにとって大統領が日本を批判する言葉はケンカ祭りの始まりを知らせる号砲なのだ。
ドッカーン。祭りだ、祭りだ。ワッショイワッショイ、ソイヤソイヤ。
日帝を糾弾し謝罪と反省を求める声はウリナラ民族精気へ捧げられる祝詞である。さあ、どんどん日の丸や小泉純一郎の人形を焼き捨て、傲慢で反省のないチョッパリどもを徹底的に糾弾せよ。そうすれば経済問題も高齢化問題も北の人権侵害も忘れ、愛国者のみなさんはさぞかし気が晴れることでしょう。
先行きはどうなるか知らないけど。どうでもいいよ、好きにすれば?

以前書いたことを訂正しよう。
「韓国で国際政治を理解している愛国者の人たちが本当にお気の毒でならない」と。