玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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岸辺の光景

2005年12月31日 | ネット・ブログ論
今年最後のエントリなので、当ブログにふさわしくどうでもいいことを書く。

Googleで玄倉川を検索すると「玄倉川の岸辺」が1位になることは知っていたけれど、岸辺と検索しても4位で出ることを知って驚いた。
「岸辺一徳」や「岸辺のアルバム」よりも上なのか。うーん、なんだか場違いなようで落ち着かない。

Googleの検索システムだとブログが上位になりがちだと聞いたことがある。そこで岸辺+blog岸辺+ブログで検索してみる。それぞれ10万件以上のヒットはあるけれど、そのなかに「~の岸辺」といったタイトルのブログはあまり見つからなかった。
どうやら私はブログのタイトル市場(そんなのあるのか?)で先行者利益を得たらしい。
「~の岸辺」「岸辺より」といった言葉は目の前に広がる水面を連想させてすがすがしく、ブログのタイトルとして悪くないと思うのだがどうしてあまり使われないのだろう。ちょっと不思議だ。
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「見たい」のか、「見させたい」のか

2005年12月28日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
「世に倦む日々」の最新エントリキャンディーズについて。
私もキャンディーズは好きなので、珍しくもthessalonike2氏の文章に共感しつつ読んだのだが、「紅白歌合戦でキャンディーズを見させて」というタイトルが妙に気になる。なぜ「見せて」じゃなくて「見させて」なのか。

Googleで検索してみると、「見させる」の用例としては「子供に~」「部下に~」といったものが多い。
こちらのページ(◆ことばの話267「見せるか、見させるか」)によれば、
「見させる」は、「見る」十「使役の助動詞"させる"」
(略)
「見させる」の方が「見せる」よりも「相手にさせる」と言う感じが強く思えるのはやはり「~させる」という「使役の助動詞」の意味合いが表に出てきているからではないでしょうか。
ということだそうである。
thessalonike2氏はご自分がキャンディーズを「見たい」というより、彼女たちの全盛期を知るものとして価値を知らないものたちに「見させる」つもりなのだろうか。
傲慢、というと大げさだがちょっと押し付けがましく思える。

そういえば、thessalonike2氏は以前にも「民主党に教えてやるならば」という言い方をしていた。「~してやる」「~させる」という発想が自然なものとして身についておられるようだ。
その自信家ぶりには敬服するが、彼が郵政政局について予測したことの見事なまでの外しぶりを思い出すとついつい苦笑してしまう。
「強烈な自信」と「予測の大外し」のこのうえなく明確なコントラストが「世に倦む日々」の魅力なので、ぜひ来年もこのままthessalonike2イズムを貫いていただきたいものである。
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不愉快なこと

2005年12月27日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
クリスマスも無事に終わり、いや無事というのは悪いことだけじゃなく個人的に良いことが何もなかったという意味で「無事」なのであり情けない気もするが、とにもかくにも年末を実感させられる今日この頃である。
年末大掃除(やってないけど)の一環として、ここしばらくのあいだ書こうか書くまいか迷っていたことを書いてしまおう。
古人曰く、「もの言はぬは腹ふくるるわざ」とか。言いたいことを言わず、書きたいことを書かずにいるのは気持ち悪い。

と、前振りは大げさだがこれから書くのは本当にどうでもいいことなのである。
「日本や世界を憂えて」などという崇高な気概とはまったく無関係な、言ってみれば「爪のささくれが痛い」というレベルのごく個人的な不愉快について書く。多忙な方もそうでない方もこれから先をお読みになるのは時間の無駄遣いになるだろう。


さて、私が最近とても不愉快に思いながら書かずにいたのは、
STOP THE KOIZUMIの左脇でチラチラするジョン・レノンとオノ・ヨーコのgifアニメが鬱陶しい、気色悪い、悪趣味だ!!」
…ということである。

「STOP THE KOIZUMI」呼びかけ人のthessalonike2氏はもともとジョン・レノンとgifアニメが好きな人で、彼のブログを訪ねると「キスするジョン・レノンとオノ・ヨーコの画像」それに「にこやかに手を振るイケメン外国人」が迎えてくれる。
どちらも私には悪趣味としか思えないが、thessalonike2氏個人のブログで彼の個性を表現する一端としてやっていることに文句を言うのは余計なおせっかいである(とはいえ、もし彼が以前のようにアイルトン・セナの画像を使うようになったら私は「やめてくれ!」と叫ぶだろう)。

しかし、STOP THE KOIZUMIブログはthessalonike2氏個人のものではない(…はずである)。
小泉総理の顔の上に大きく赤い×を書いたり、ブッシュ・ヒトラー・スターリンと並べてみせたりするタイトル画像も悪趣味だが、反小泉ブロガー同盟としては別に不自然ではない。「この手の安易な中傷を喜ぶ人たちの集まりなのだな」という情報を見るものに与えるという意味で有益でもある。
だが、小泉総理とジョン・レノンの間にいったいどんな関係があるというのか。

生前のジョン・レノンが小泉純一郎という名前を知っていたとは考えられないし、その彼が反小泉ブロガー同盟に "I ENDORSE YOU" 「私がSTOP THE KOIZUMIブロガー同盟を保証する」と言うはずもない。
おそらくthessalonike2氏も「同盟」に参加したブロガーたちも「本当にジョン・レノン(の霊)が自分たちに共鳴し賞賛している」と心から信じているわけではなく、気の利いたジョークのつもりなのだろう。
だが、私には彼らのやり方はあまりにも悪趣味で死者の尊厳を貶めるものとしか思えない。

thessalonike2氏がジョン・レノンの熱烈なファンなのはご自由だが、故人の画像を彼の生前の意思にかかわりない政治的運動のため勝手に使うのは悪趣味だ。もしオノ・ヨーコ氏に画像の使用許可を取っていたとしても(たぶん取ってないだろうが)、やはりそれは故人の意思とは無関係である。もしこれがSTOP THE KOIZUMIではなく「世界に愛と平和を」という呼びかけであれば、ジョン・レノンの画像を使うことにこれほどの嫌悪感を抱かなかっただろう。

別に「反小泉運動が使っているから」ジョン・レノンの画像が不愉快だ、と言っているのではない。
「死者の画像を生前の意志とは無関係な政治的運動に使うこと」が不愉快なのである。
小泉総理を応援するブログが、たとえばHIDE(X JAPAN)の画像に「日本の未来は小泉総理に任せた」と言わせたとしたら、私は同じくらい不愉快だろう。私はX JAPANのファンでも何でもないが。
ついでに言うと、商業広告でマリリン・モンローとかオードリー・ヘップバーンといったすでに亡くなったタレントを使うのも好きではない。「シャネルの香水の広告にモンローを使う」のなら納得できるけれど、故人が見たこともない製品の宣伝に使うのは「恐山のイタコがモンローを呼び出して東北弁で質問に答える」のと同じくらい滑稽に思える。
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民主党はどちらに向かうのか

2005年12月21日 | 政治・外交
期せずして、二つの知性派ブログが民主党の今後の戦略について考察している。
読み比べてみるとなかなか興味深い。

 マーケットの馬車馬: 民主党の最適戦略(上)
 マーケットの馬車馬: 民主党の最適戦略(下)

 世に倦む日日:民主党の「政権交代」と「対立軸」の分析 - 菅直人と前原誠司

馬車馬氏は「二大政党制の下では対立軸の設定は自殺行為であり、むしろ大多数の国民が何を望んでいるかにのみ注目すべきだ」「対立軸を明確にすることによって、むしろ国民から選択肢を奪う恐れがある」
と、民主党が自民党との明確な対立軸を設定すること自体に否定的なのに対し、

thessalonike2氏は「対立軸としてこれまで唯一説得的だったのは、菅直人の存在と言説であった。菅直人の存在があったから、民主党は自民党との違いを国民に説得できた。実体のある対立軸は菅直人そのものなのだ。菅直人は絶対に自民党化しない」「民主党に教えてやるならば、民主党の『政権交代』の主張を説得的なものにするためには、菅直人という人間を代表に据え置くしかないのだ」
と、菅直人を代表に据えて対立軸を明確にすべきだと民主党に「教えてやる」そうである。

私は特に民主党に興味はなく支持もしていないので(支持できるような政党になってほしい、という期待はある)、民主党にとって最適な戦略がどちらなのかよくわからない。
非・民主党支持者の私には馬車馬氏の意見のほうがはるかに客観的かつ説得力があるものに思えるが、現在民主党を支持している人たちにはthessalonike2氏の言うように「反自民」路線を明確化したほうが受けがよさそうでもある。

STOP THE KOIZUMIブロガー同盟ではアンチ前原代表の声が高く、STOP THE MAEHARA運動を起こしそうな勢いだ。

私は前原氏を特に応援しているわけではないけれども、党所属国会議員による選挙で選ばれた代表が一年もたたないうちに引き摺り下ろされる、などということになるとあまりに見苦しいので、アンチ前原の人たちは来年9月の党員とサポーターによる代表選挙まで我慢したほうがいいのではないかと思う。
かつての民主党代表であり、やはり党内抗争のため引き摺り下ろされた鳩山由紀夫氏の言葉を引用する。
ぜひ小さな次元の権力闘争のような話ではなくて、大きな、日本をどうつかんでいくか、国民の民心をどうやって民主党がつかんでいくか、そこに皆様方のお気持ちを集中していただくなかで、そうした和のある民主党の姿を一刻も早く実現していただきたい。
がんばれ民主党。
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「アインシュタインの予言」

2005年12月20日 | アインシュタインの予言
「アインシュタインの予言」と呼ばれている文章がある。

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを…。


この文章は大正11年(1922年)に来日し大の親日家となったアインシュタイン博士が残したものだとされている。
Googleで「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。」を検索すると3340件ものヒットがあり、愛国者をもって自認する人たちには人気の高い文章のようだ。

だが、この文章は創作(インチキ)であるという説があることはあまり知られていない。

アルベルト・アインシュタインと日本
アインシュタインと日本 Part 2
アインシュタインと日本 Part 3

多くの出典が示されており、論じているのが東京大学教授・ドイツ文学者の中澤英雄氏であることも手伝って説得力の高いものに思える。
とはいえ、私自身は資料を見たこともなく、「Let's blow!毒吐き@てっく」てっく氏が「中澤先生ご本人だったら、先生がお持ちでない資料見せてさしあげます」「妄想」「コテンパンにやっちまいたい」と「創作説」批判に自信ありげなので軽はずみに断定するのは避ける。


アインシュタインが本当にこんなことを言った(書いた)かどうかはともかく、私はこの文章が嫌いだ。
「尊い国」「世界の盟主」「世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る」…  うんざりする。
私は普通レベルの愛国心を持っているつもりだけれど、日本が特別に「尊い国」だとか「世界の盟主」になるべきだとは思ってない。
そんなことを言う人も、そんな言葉を喜ぶ人も好きではない。
私が「日本よ、かくあれかし」と願うのは「世界の盟主」などという怪しげな(子供向け特撮で「悪の組織」の首領が自称しそう)ものではなく「世界に恥じるところのない」日本である。
日本を「アジア」の一部として疑わないのにも違和感がある。私にはむしろ司馬遼太郎のように「日本はアジアではない」という意見に共感する。以下は司馬遼太郎「歴史と風土」よりの引用(*「書籍之海 漂流記:司馬遼太郎 『歴史と風土』」からの孫引き)である。
福沢諭吉が『脱亜論』を書いたり、脱亜論的なことは今の知識人には「アジアの中にいるくせに脱亜論などといいやがって」と評判が悪いですけれど、これは福沢も間違っているし、それを批判する側もまちがっている。日本は始めから脱亜なんです。(略)アジアではない、アジア的な原理で動いてきたことはないんだということは、はっきりしておかなければならない大事な、そしてあたりまえの平凡なことだと思います。

皇室典範改正問題では「男系による皇位継承(万世一系)を守るべき」という意見の私だが、「この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ」などという文章を見るとむしろ強い反感を覚える。
「古い家柄が尊いのなら、中国に400万人もいる孔子の子孫でもいいんじゃないの」などと憎まれ口を叩きたくなる。
日本においては皇室は神話の昔から存在し、時に大きく歴史を動してきたけれど、世界全体の歴史を考えたときその存在は小さなものとなる。世界中のほとんどの人々は日本の皇室の存在を特別に意識したこともなく、まして「世界の盟主にふさわしい最も古く尊い家柄」などと思ったこともないだろう。
私にとって「日本皇室を世界の盟主に」という論は「偉大なヒーロー、アーノルド・シュワルツネッガーを世界連邦の大統領に」というのと同じくらい馬鹿げた話に思える。
日本や皇室をほめるのに「尊い国(家柄)」「世界の盟主」などという大仰で空疎な言葉を使う手合いは誰であれ(仮にアインシュタインであっても)政治的愚者であるかそれとも「褒め殺し」の意図を持つと見て警戒したほうがよろしかろう。

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擾にして毅、直にして温

2005年12月15日 | 政治・外交
小泉総理は就任以来ずっと「私は日中友好論者」と語り続けてきた。
その言葉に嘘はないことをアジア各国首脳が見守る前で明確な姿で示した。見事な外交的演技(パフォーマンス)だ。

小泉首相:首脳宣言署名で温首相にペン借りる
14日の東アジアサミットの首脳宣言署名式で、小泉純一郎首相が中国の温家宝首相から毛筆ペンを借りて署名する一幕があった。

 署名式では、温首相と小泉首相が隣り合わせの席順。温首相が持参した毛筆ペンで署名を終えると、左隣の小泉首相は自席前に用意されたペンは取らず、温首相の方に右手を差し出した。温首相は一瞬戸惑った表情で右側のアブドラ・マレーシア首相の方を見たが、すぐに小泉首相の意図を解して毛筆ペンを手渡した。小泉首相はこのペンで署名した。

 この一幕に、会場にいた各国外交団から拍手が起きた。冷え込んだ日中関係を懸念する外交団の拍手には「ペンの貸し借りが両国の関係改善につながってほしい」という期待が込められていたようだ。


以下の着色文字部分は山本七平「人望の研究」からの引用だが、中国の古典「尚書」皐陶謨編には「人徳」の条件として「九徳」が挙げられているという。

一  寛にして栗 (寛大だが、しまりがある)
二  柔にして立 (柔和だが、事が処理できる)
三  愿にして恭 (まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
四  乱にして敬 (事を治める能力があるが、慎み深い)
五  擾にして毅 (おとなしいが、内が強い)
六  直にして温 (正直・率直だが、温和)
七  簡にして廉 (大まかだが、しっかりしている)
八  剛にして塞 (剛健だが、内も充実)
九  彊にして義 (強勇だが、義しい)


小泉総理の無邪気な(あるいは無邪気を装った)「ペン貸して」パフォーマンスは「擾にして毅」「直にして温」だと思うのは小泉ファンの私の贔屓目だろうか。

そしてこれらの徳を裏返しにすると

1  こせこせうるさいくせに、しまりがない。
2  とげとげしいくせに、事が処理できない。
3  不まじめなくせに、尊大で、つっけんどんである。
4  事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高である。
5  粗暴なくせに、気が弱い。
6  率直にものを言わないくせに、内心は冷酷である。
7  何もかも干渉するくせに、全体がつかめない。
8  見たところ弱々しくて、内もからっぽ。
9  気の小さいくせに、こそこそ悪事を働く。


という九不徳になる。

中国で住民デモに警官発砲、8人死亡か 発電所に反対
中国広東省東部の汕尾(シャンウェイ)市で6日夜、発電所の建設計画に抗議していた地元住民に、武装警察が催涙弾を発砲し、住民8人前後が死亡した、と香港各紙が報じた。
(略)
 発電所の建設計画が地元住民の了解なしに決められたうえ、予定地近くで漁業をしていた住民らにほとんど補償費が支払われなかったため、住民らが半年前から予定地で抗議を続けていた。政府関係者が補償費を着服した疑いもあるという。


このようなニュースを聞くと中国政府は「とげとげしいくせに、事が処理できない」「事を治める能力がないくせに、態度だけは居丈高である」と思わざるを得ないし、靖国問題などでは「何もかも干渉するくせに、全体がつかめない」ために日本国民の親中国感情を冷ましてしまった。

中国「信頼せず」72%…読売・ギャラップ世論調査
読売新聞社と米ギャラップ社が実施した日米共同世論調査によると、中国との関係を「悪い」と見る人が、日本では73%と過去最高となる一方、中国を「信頼していない」という人も日本で72%、米国で53%と過半数に上るなど、日米両国民が中国を厳しい目で見ていることがわかった。


いくら朝日新聞やTBSが「日中関係冷却化は靖国参拝を続ける小泉総理のせいだ」と叫んでも、大方の日本国民は白々しく思うことだろう。中国が居丈高に日本を批判すればするほど、みずからの不徳ぶりが明らかになるばかりなのだから。


参考ブログ 中華的生活「多少銭?」: やるな小泉
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「年賀状プロジェクト」の野暮

2005年12月10日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
Google(日本語のページを検索)で「Stop」と検索すると「STOP THE KOIZUMI」が10番目に表示されるのに気付いた。
なかなか大したものである。
大したものではあるが、60%の高い支持率を得ている政権を倒そうとする運動が「Bus Stop Ibaraki~いばらき路線バス案内所」(Google7位)よりもランクが下でいいのだろうか?という疑問を抱いてしまった。
まあどうでもいいことではある。


どうでもいいことといえば、STOP THE KOIZUMIでは「年賀状プロジェクト」なるものを呼びかけている。
さて、今回のアイディアもパクられるかもしれませんが(笑)、ブロガー同盟の年末年始の特別プロジェクトとして、小泉政権に反対する国内の政党や各種団体組織に対して、われわれの運動をアピールすると同時に彼らを激励する目的で、年賀状を送付しようと考えています。
このセンスの悪さにうんざりする。何と野暮なやりかただろう。
(地方在住でファッションや音楽に興味がなく完全なる田舎者の自分が言うのもどうかと思うが)
一口に野暮といっても可愛気があるものとどうしようもないものがあるが、私にとって「年賀状プロジェクト」は後者だ。

小泉政権打倒を主張するのはけっこうだが、なぜ「年賀状」という形式を使うのだろう。
年賀状というのは新年を寿ぐために送るものであって政治的主張をするためのものではない。「『正しい』主張のためには手段を選ばない」やりかたは、先日の自衛隊官舎ビラまき事件の被告たちの姿とも重なる。
もしも「変わった人がやむにやまれぬ思いで政治的信条を表した年賀状を書いてしまう」というのであれば、私は「政治的年賀状」は嫌いでも「変わった人」は好きなのでそれほどの不快感はない。
だが、「政治的年賀状を送ることを気の利いたアイデアだと自画自賛し支援を呼びかける」センスはまったく理解できない。
「新党日本」旗揚げ時のパフォーマンス(「チーム・ニッポン!」&日の丸のフェイスペイント)を思い出してしまった。
なんともうそ寒く、本人たちは洒落たつもりが傍からは見苦しいばかりだ。
ただ一つの救いは「年賀状」送付の対象を「小泉政権に反対する国内の政党や各種団体組織」に限っていることで、どうやら「STOP THE KOIZUMI」参加者が友人知人に送るのを奨励するつもりはないらしい。結構なことである。


以下は蛇足として。
この文で「年賀状プロジェクト」を批判しているのはあくまでもそのセンスの悪さについてであって「小泉政権打倒」の主張をしているからではない。
もし私の意見と同じ考えの人たち(たとえば「女系天皇反対」)が「自分たちの主張をクリスマスカードに書いて送ろう」という運動を起こしたとしても「見苦しいからやめてくれ」と批判する。
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バヌム王の遺産

2005年12月09日 | 日々思うことなど
風邪を引いてしまい、熱っぽくて節々が痛い。
頭が重いな、だるいなーと思っていたらどうやら頭の中も風邪を引いてしまったようだ。
やる気が出ないし世間のニュースに興味がもてない。

ぼんやりとネットをうろついていたらちょっと面白いサイトを見つけた。

世界の文字 Written characters of the world

【世界の文字リスト 地域順】を見ているといろいろと不思議な文字があって飽きることがない。
特に気に入ったのは「バヌム文字」で、こんな子供の落書きのような模様が文字だとは教えられなければ想像もつかない。
「西カメルーンのバヌムの王により20世紀の初頭に発明された文字」なのだそうだが、20世紀の初頭になってこれほどまでにほのぼのとした味わい深い文字を発明した「バヌムの王」とは一体どんな人物だったのだろう。
たぶんバヌム国にはそれなりのインテリもいて「王様、近代化のためにはアルファベットを導入したほうがよろしいのでは」「20世紀になってわざわざ新しい文字を作る必要などありません」と忠告されたけれど、誇りと創造性にあふれ、かつわがままな王様は「うるさい、バヌムの言葉と文化を守り育てるには独自の文字が絶対必要なのじゃ!」と独断で突っ走り、すばらしい大傑作のバヌム文字が完成して王様一人が大満足、国民(臣民あるいは部族民というべきかも)は「かなわないなあ、王様の物好きには…」と呆れ顔、といった有様が目に浮かぶ。
(「バヌムの王」で検索しても何もわからなかったので以上はすべて単なる想像である)
いいなあ、バヌムの王様。こういう形で歴史に名を残すのはうらやましい。

その他にも「ポエニ文字」を見るとハンニバルとかスキピオ・アフリカヌスの名前を思い出すし、「契丹文字」とか「女真文字」「西夏文字」は一見して漢字に似ているのによく見るとぜんぜん違っていて不思議だ。
「ウォレアイ文字」は「ミクロネシアのカロリン群島ウォレアイ島の系統不明の音節文字」だそうだが、文字の形としては20世紀に作られた「バヌム文字」よりもはるかに洗練されている。
「これは古代ムー大陸の遺産に違いない!!!!!」    …と想像してみるとちょっと楽しい。

文字って面白いなあと思いつつさらにネットをうろついているうちに「漢字のシーラカンス」というウェブページに行き着く。

なんだこれは!? とても漢字には見えない。
実にファンキーである。大昔の中国人のセンスはすごい。
雲南省に住むモソ族が使う「モソ文字(トンパ文字)」は最近グラフィックアートなどにも利用され有名だが、彝族(イ族)の彝文字の存在は初めて知った。偶然だろうが楕円を多用する形が「マクロス」のゼントラーディー文字によく似ていてうれしくなる。

ちなみに、「日本文字」については「ヒラガナとカタカナは現在世界で使用されている唯一の純粋な音節文字」なのだそうである。知らなかった。
考えてみると日本語の字面は直線的な漢字とカタカナ、曲線的なひらがなが共存していてなかなか複雑だ。たぶん、初めて見る外国人にはずいぶんと奇妙に感じられることだろう。
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