玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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2011年05月12日 | 日々思うことなど
このごろ情報を集めたり考えたり文章を書く気力が枯渇してます。
「リア充」になってネット離れしている、のであればいいのですがそうじゃないのが哀しい。
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生存報告

2011年03月07日 | 日々思うことなど
すっかり自分のブログの存在を忘れてました。

最後の更新以来ご訪問いただいた方、RSSリーダーに登録してくださってる方、申し訳ありません。
ブログ主はとりあえず生きてます。いくつかトラブルを抱えてますが肉体的には健康です。最近の趣味は筋トレです。
とはいえ、このごろネットでの情報収集・意見発信に以前ほどの熱意がもてなくなりました。しばらくの間、ブログの更新はせいぜい月一度、はてなブックマークも何日かごと、気の向いたときにだけ何か書く、という感じになると思います。
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sengoku38と羽毛田宮内庁長官の違い

2010年11月18日 | 日々思うことなど
「尖閣衝突事件ビデオ流出」について書いた記事にiteauさんからトラックバックを頂いた。

sengoku38 の行為について - extra innings

あちらのコメント欄で返信すべきかとも思ったが、少々長くなったのと(といってもそれほどの長さではないが)、コメント欄で議論するのがあまり好きじゃないので記事にすることにした。


iteauさん、ご意見ありがとうございます。
「過去に小沢一郎および鳩山元首相が天皇陛下と習近平・中国国家副主席との会見を強引にねじ込んだことに対する氏のご見解とじゃっかんの矛盾があるのではないかと思った。」
というご批判ですが、私は矛盾があるとは思っておりません。

民主党政権(小沢氏)による「天皇会見セッティング指令」と菅内閣(仙石官房長官)による「尖閣衝突事件ビデオ封印命令」は、どちらもこれまでの慣例を曲げる権力の圧力であったことは共通しています。ですが、それぞれに対する反発の仕方はまったく違います。
羽毛田宮内庁長官は、習近平・中国国家副主席との会見をしぶしぶながら受け入れた上で「こういうことはもうやめてほしい」と苦言を呈しました。会見要請(命令)をサボタージュしたわけではありません。
それに対して、某海上保安官氏(sengoku38)は、ビデオ封印指令を承知の上でそれを反故にする実力行使を行いました。Youtubeにアップした時点で一線を越えています。治安(武装)組織の公務員が個人的判断で勝手に実力行使するのは由々しきことです。

羽毛田長官の政権(小沢氏)批判も、天皇の健康を守るためとはいえ「虎の威を借る狐じゃないか」「宮内庁長官は国家公務員であって天皇の侍従ではない」という批判はありえますし、実際に小沢氏の支持者から猛烈に叩かれました。ですが私は公務員といえど言論の自由はあり、羽毛田長官のように堂々と批判する場合は自らのクビを賭けた勇気ある直言として認められるべきだと考えます。

sengoku38の場合は羽毛田宮内庁長官とまったく違っています。
彼はビデオ封印指令を知りながら、あえてYoutubeへのアップロードという実力行使を匿名で行いました。しかも、海保の内部調査・検察による捜査が始まってからもなかなか名乗り出ず、仲間(石垣海保の同僚)が容疑者扱いされるという迷惑をかけ、国に無駄な支出をさせました。もし海上保安官氏が実力行使を避け、羽毛田長官のように堂々と名乗って「ビデオ封印指令」を批判したのであれば、私も「現場の率直な意見だ、彼を処分すべきではない」と擁護したでしょう。

羽毛田宮内庁長官とsengoku38の行為を「どちらも権力への反抗だ」と大雑把にくくれば同じに見えるかもしれませんが、一方(羽毛田氏)は「命令に従いつつ堂々と批判」したのに対してもう一方(sengoku38)は「実力行使したうえで逃げ隠れ」しました。やったことといい、態度の潔さといい、月とスッポンほどに違います。
私は羽毛田長官が特に偉いとは思いませんし、ましてどう見ても羽毛田氏より小心なsengoku38が一部(多く?)の国民から英雄視されているのが理解できません。やったこと(ビデオ流出)の是非を論じる以前に、まずもって態度が潔くない。あれではいくら「自分は正しいことをやった、後悔していない」と確信犯を気取っても「愉快犯じゃないのか、衝動的な行為だろう」と疑われるのは仕方ありません。

私は件の海上保安官氏(sengoku38)を英雄とも悪人とも思いません。右翼とか反逆者のレッテルを貼る必要もない。彼は単に、自分の素直な(無邪気な・単純な)正義感をダイレクトに行動に移しただけで、深い考えはなかったのでしょう。思いつめてはいたのでしょうが、結晶化した思想があるわけでもない。法律的なことはよくわかりませんが、彼が逮捕されなかったのは良かったと思います。マスコミと彼を英雄に祭り上げようとする人たちから距離を置いて、海上保安庁の上司や同僚の率直な意見(その多くは叱責だと思いますが)を聞き、自分のやったことの意味をよく考えてほしいものです。
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ビデオ流出は「ハプニング」

2010年11月15日 | 日々思うことなど
尖閣諸島における漁船衝突事件のビデオ流出犯を擁護する世論が過熱している。特にネット世論では勢いが増すばかりだ。
一週間程度で熱が醒めるんじゃないかと思っていた(期待していた)私は見通しが甘かった。

残念なのは、人々がビデオ流出を擁護するのに熱くなればなるほど、本来の問題である「尖閣諸島における日本の主権確保」や「菅内閣・民主党政権の外交能力」という根本的な問題がおろそかになることだ。ビデオ流出事件それ自体は単なるハプニングであり、国民あげて大騒ぎするような話ではない。さらに言えば、今回の漁船衝突事件も「尖閣問題」という大きな構図の中ではひとつのエピソードに過ぎない。
期せずして、自民党と共産党という左右の軸で対極にある政党の党首が「ビデオ流出」騒ぎが加熱することを戒めている。

公開すべきものをしてこなかったことが問題/尖閣ビデオ問題 志位氏 - しんぶん赤旗
 志位氏は、「明らかになったビデオ映像を見れば、本来、これは非公開にしておくべき内容のものではなかったというのが私たちの判断だ。こういう内容のものであれば、政府の責任でもっと早い段階で公開すべきだった」とのべました。

 そして、志位氏は「いま問われるべき問題の焦点は『ビデオ流出問題』ではない。政府がビデオ映像の扱いについて、責任ある方針をもたず、早い段階で公開すべきものを公開してこなかったことにこそ問題の焦点がある」と強調。「公開すべきものを公開しなかったことが、今回の流出問題につながった。その責任こそ問われるべきだ」と指摘しました。

「二・二六も命令無視」映像流出保安官を自民・谷垣氏が批判 - MSN産経ニュース
 自民党の谷垣禎一総裁は14日午後、さいたま市で講演し、中国漁船衝突の映像流出事件で神戸海上保安部の海上保安官(43)が関与を認めたことについて、青年将校らがクーデターを企てた二・二六事件を引き合いに出し「映像流出を擁護する人もいるが、国家の規律を守れないのは間違っている」と批判した。

 同時に「二・二六事件でも『将校の若い純粋な気持ちを大事にしないと』という声があり、最後はコントロールできなくなった」と指摘した。

 一方で「政治の責任で解決する姿勢がなかったことが一番の問題だ」と菅内閣の対応を非難。「政権担当能力を失っており、一日も早く退陣させないといけない」と強調した。


ビデオ流出犯を擁護して大騒ぎするのは連続ドラマ(尖閣問題)の一つの回(漁船衝突事件)の端役(sengoku38)の評価に血道をあげるようなものだ。そろそろ我に返って本来の問題に立ち返るべきである。


不思議なのは、多くの人が「衝突事件で船長が釈放されたこと」と「ビデオ流出で主任航海士氏(sengoku38)に対して処罰が検討されていること」という二つの問題を直結させて不公平だなんだと論じたがることだ。
いったい何なのだろうかこれは。私には二つの問題は別の話であることは自明で、一つの問題の裏表のように語る人たちの思考法がどうにも想像しにくい。しかも、「法を曲げて船長を釈放したのはけしからん」と言いつつ「sengoku38は立派なことをしたのだから杓子定規に罰してはいけない」という擁護が世論(というか世間の気分)の主流らしい。ますますわからない。
まるで「衝突漁船の船長」と「sengoku38」がシーソーの両端に乗っているようである。衝突船長がけしからん、罰すべきだとシーソーの左端を下げると、右端に乗ったsengoku38の評価が自動的に上がる。まことに奇観と言うほかない。
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やっぱりビデオ流出犯を擁護しません

2010年11月11日 | 日々思うことなど
どうやら世間ではビデオを流出させた(と自白した)海上保安官を擁護する声が高いようだが、血の気の薄い私には理解しがたい。
私にとって今回の「流出」事件がよろしくないのは明白だ。治安を預かり、機密情報を扱う公務員としての基本的な倫理をないがしろにしている。たとえるなら、銀行員が客の金を勝手に流用するのと同じくらいダメだ。どんなに気に入らない客だろうと、流用を正義だと信じたとしても、そんなことを正当化したら業界全体の信用に関わる。「流出」海上保安官を擁護する人は、彼以外の真面目な海上保安庁官の顔に泥を塗っているようなものだ。

「流出」を擁護する論理には二種類あるはずだが、どうもごちゃ混ぜにされている。
まず一つ目は、「流出ビデオは特に秘密にする価値がないものだ」「公開は当然だ」とするもの。私が擁護するとしたら(実際は擁護しないけれど)こちらの論法を使うだろう。専門家の中にもこの点から「流出」海上保安官を起訴し有罪に持ち込むのは難しいとする見方がある。
だが、この論法なら「流出」海上保安官を英雄視するのはおかしいのである。「何も秘密にすることじゃない」「ビデオを入手した誰でも(公務員でも)Youtubeにアップして問題ないし、そうすべきだ」ということであれば、件の主任航海士はたまたま最初にアップロードしただけで、もてはやすほど特別でも偉くもない、ということになる。
二つ目の論理は「これは内部告発だ」とするもの。政府が悪事を働き国民に情報を隠しているような場合であれば、私も大いに内部告発を賞賛する。だが、典型的な内部告発は嘘を暴き、所属組織にダメージを与えるものである。今回の流出ビデオはその意味で内部告発とは言えない。衝突事件の後で前原外相は「ビデオを見れば中国側に非があることは一目瞭然」と語っていたが、実際にビデオを見た国民のほとんどが同じ感想を抱いたはずだ。政府はビデオの画像を公表しないことを選択したけれど、別に嘘をついたわけではない。
仮に流出が内部告発だとしたら(無理があるが)英雄視されるのも不思議ではない。正義のために組織と同僚を裏切ってわが身を危険に投じるのだから大いに賞賛に値する。
最初の論法(ビデオを秘密にする意味がない)と二番目の論法(内部告発であり英雄的だ)はほとんど矛盾しているのだが、「流出」海上保安官を擁護し賞賛する人たちはちっとも気にしていないようだ。そのあたりやはり擁護論は感情的で危なっかしい、と思ってしまう。

仙谷氏:海保職員による映像流出、故意なら由々しい事案(Update2) - Bloomberg.co.jp
 仙谷氏はこの職員への対応について「犯罪がもし発生しているとすれば、刑罰も含めて、行政罰もしかるべく行為の質と量に応じて行わなければならない。徹底した捜査に基づいて処分を行う必要があれば行う」と指摘した。

  世論は職員に寛大な措置を取るよう求める声が多いとの質問に対しては「国民のうちの過半数がそう思っているとはまったく思っていない。いろんな事件が起これば、けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、という健全な国民が圧倒的な多数だと信じている」との見方を示した。


仙谷氏はやたらと強気だが、私には「けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、という健全な国民が圧倒的な多数」とも思えない。人数的には「しかるべきけじめ」論のほうが多いとしても、人数と熱意を掛け合わせたエネルギー量では「寛大な措置を」「罰するな」派のほうが上回っているのではないか。仙谷氏がsengoku38処罰に熱意を燃やせば燃やすほど世論はsengoku38擁護に傾きそうである。

2002年に当時の田中真紀子外相が更迭されたときのことを思い出してしまう。あのとき世論の圧倒的多数(たしか8割くらい)は真紀子外相支持だった。私は「あんなメチャクチャな人を外務大臣にしておくなんてとんでもない、更迭は当然だ」と考えていたから気が滅入った。
あのとき田中氏は「もっとヤレヤレ、と仰るから、前に進もうと思ったら、どうもつっかえて進めないんですよね。で、後ろを振り返ると、スカートの裾を踏んでいたのが、けしかけた張本人だった」という名(迷)セリフを残したが、「流出」主任航海士氏の「映像は元々国民が知るべきものだ。国民の倫理に反するなら甘んじて罰を受ける」という発言も同じくらい「カッコいい」。

参考 海上保安庁に『英雄』は要らない-蒼き清浄なる海のために
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ビデオ流出犯を擁護しません

2010年11月10日 | 日々思うことなど
「尖閣ビデオ」流出事件の真実がようやく明らかになりそうで結構なことであります。

【海保職員「流出」】名乗り出たのは40代の主任航海士だった…否定一転、神戸5管本部「言葉ない」 - MSN産経ニュース

名乗り出てきたのが本当の「流出」実行者なのかどうか、まだ取り調べの段階で確定はしていないけれど、特に疑う理由もないので本物として話を進める。
第5管区海上保安本部神戸海上保安部(5管)の方々には深く同情申し上げる。静かに任務に励んでいるところに突然爆弾が投げ込まれたようなものだ。政府やマスコミの批判も、「愛国者」たちの流出を擁護する叫びも、どちらもわずらわしいばかりだろう。「40代主任航海士」の上司は管理責任を免れないだろうが、同僚や部下の方たちが騒々しい議論に巻き込まれないことを願う。

一方で、流出させた主任航海士に対してはあまり、というかほとんど同情しない。
流出を擁護する人たちが言うように義憤に駆られての行動だとしても、名乗り出るまでの時間が長すぎた。仮に政府が問題視しないようであれば出てくる必要はないが、調査を行うことがはっきりした時点で正々堂々「自分がやりました」と明らかにすべきだった。彼が沈黙していた間に多くの人手が動員され少なからぬ経費が費やされたはずである。彼はそれをどんな思いで見ていたのか。
「流出」が確信犯だったとしても、いやそれだからこそ、捜査の手間をかけたことを国民に詫びてほしいと思う。

あるいは、あまり考えたくないことだが、「愉快犯」的にたいした考えも覚悟もなく「面白い映像を見せてやろう」くらいの気持でYoutubeに投稿したのだろうか。だとしたら擁護どころか軽蔑に値する。海の警察官がそんないい加減なありさまではどうしようもない。
私自身としては「流出」自体は擁護できないけれど、せめてやった者が堂々とさわやかな振る舞いを見せてくれることを願っていた。だが、捜査が進展するまで逃げ隠れしていたかのような「40代主任航海士」の姿はあまりさわやかではない。「追い詰められた末に情状酌量を期待して自首」みたいに見える。正直言ってがっかりだ。

尖閣中国漁船衝突時件は、頑なにビデオの公開を拒む政府も、「流出」事件も、「流出」実行犯を擁護し賞賛する人たちも、どれも同じく支持できない。呆れるやら情けないやら、なんとも虚しいばかりだ。

参考 ビデオ流出による3つの問題 - リアリズムと防衛を学ぶ
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「はやぶさ」と「はやぶさたん」

2010年06月15日 | 日々思うことなど
小惑星探査機「はやぶさ」がついに帰還した。7年間、60億Km(地球―太陽間の40倍)という長い長い旅の終わり。
アポロ計画以来、約40年ぶりにアメリカの彗星探査機「スターダスト」による「地球に帰還した宇宙機」の到達距離記録を塗り替え、小惑星「イトカワ」への着陸を実現し、絶望的な故障を乗り越えて地球への帰還を成し遂げたJAXAの人たちはまさに英雄的だ。素晴らしい成果に一人の宇宙開発ファンとして心から感謝する。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

正直言って、大気圏に突入し流星となった「はやぶさ」の写真を見ると涙が出そうになる。



だけど、あんまり「感動した」とか「泣ける」とか言いふらしたくない。別にクールな男を気取るつもりはないけれど、なんだか「マラソン中継のゴールシーンだけ見て感動する人」みたいに安直な感じがしてしまう。これまで「はやぶさ」の打ち上げや「イトカワ」への着陸、そして困難が相次いだ長い帰還のあいだ報じられるニュースを見ては感心したり期待したりちょっぴりがっかりしてきたけれど、有体にいって7年間あいだ私は「はやぶさ」のことを大して気にしてなかった。それなのに、クライマックスのおいしいところだけ横取りして「感動した」「泣いた」とアピールするのは図々しい気がする。今はただ、「はやぶさ」を信じて導き続けたJAXAの人たちに感謝したい。


さて、それはそれとして(「プロゴルファー花」のコーチのまね)。
感動的な「はやぶさ」の帰還に対して熱かったり冷たかったりいろいろな反応がある。

Togetter - まとめ「なぜマスゴミは「はやぶさ」の快挙を伝えないの?ネット民大勝利!!みたいなの」
NHK『はやぶさ』中継せず国民激怒! NHK「さすがに限界かも知れません」 ロケットニュース24(β)
NHKが『はやぶさ』の地球帰還の様子をリアルタイムで放送しなかった件について、NHKがインターネットユーザーたちに激怒されている。コミュニケーションサービス『Twitter』(ツイッター)にNHK公式アカウント(ID: NHK_PR)があるのだが、そこで他のユーザーからボコボコに文句を言われているのである。

[drawr] すこっち - 2010-06-13 12:35:13
はてなブックマーク - [drawr] すこっち - 2010-06-13 12:35:13

上の二つは「マスコミは『はやぶさ』に冷たすぎるんじゃないか」というもの。そして下の二つは「ネットでは『はやぶさ』が擬人化されて見る者の熱い涙を誘っている」というもの。
一見すると「冷たさ」と「熱さ」で対照的だが、私には一枚のカードの表と裏のように思える。宇宙空間における日陰の極寒と太陽光にあぶられる側の灼熱のように。

どちらも「はやぶさ」が無人機だからこそ起きる現象だ。
マスコミ的には宇宙飛行士が乗った有人機のほうがずっと「絵になる」。野口さんや山崎さんのようなわかりやすいヒーローやヒロインがいてくれたら、感動的な人間ドラマで視聴者や読者の興味を大いに盛り上げることができる。だが無人機の場合はなかなか難しい。小惑星探査機という視聴者・読者が見たこともない「モノ」に興味をひきつけるのは面倒である。「かぐや」の場合は馴染み深い月のクローズアップ映像を送ってきたことで親しみがわくが、「はやぶさ」が訪れた小惑星「イトカワ」は高性能の望遠鏡を持つ天文ファンであっても見ることさえ困難だ。
(…と、ここまで書いて14日の報道ステーションを見たら、冒頭から10分以上を割いて「はやぶさ」の偉業を称えていた。なんだ、ちっとも冷たくないじゃん。まあ、感動の渦に飲み込まれた人たちからすれば物足りないだろうし、仮に「日本独自の有人宇宙船」だったとしたら「はやぶさ」の何倍、何十倍も熱い報道がなされたと思うけれど)

逆に、オタク的想像力が豊かな人たちにとって無人機であることがかえって便利だ。
人間の顔がないぶん、空想美少女の姿を重ね合わせる「萌え」擬人化がやりやすい。すでにこんなフィギュアさえ作られている。

ねとらぼ:お帰り、はやぶさたん! 擬人化フィギュア発売 - ITmedia News
 「一生に一回の“お使い”を終え、地球に帰ってくるはやぶさたんを、みんなで祝福しようではありませんか」――青島文化教材社は、6月13日に地球に帰還する予定の小惑星探査機「はやぶさ」擬人化キャラをモチーフにした「擬人化フィギュア はやぶさたん」を10月に発売する。



 人工衛星を萌えキャラ化して紹介する書籍「現代萌衛星図鑑」に登場する、はやぶさ擬人化キャラがモチーフで、青い髪に黄色い服を着た女の子が、背中に太陽電池パドル、イオンエンジン、サンプラーガン、各種センサーを背負っている。高さは約14センチ。同書著者のしきしまふげんさんが商品化に協力した。

いやはやなんとも。

私自身はというと、「無人機だと盛り上がらない」という(?)マスコミにも「萌えキャラ化」大好きな人たちにも「何だかな」と感じる。わかりやすい人間ドラマを求めたり擬人化しないと「はやぶさ」の偉業に感動できないのだろうか。
…これまで大して関心なかったくせに偉そうなこと言ってごめんなさい。

「はやぶさたん」のような擬人化(萌えキャラ化)を見ると、ハリウッド映画の「なんでも恋愛映画化」を連想してしまう。アカデミー賞を取った「タイタニック」とかラズベリー賞にノミネートされた「パール・ハーバー」とか。最近では「アバター」(未見)も異星人との恋愛が描かれてるらしい。うへえ。
船が大好きで恋愛映画が苦手なタモリは、「タイタニック」を劇場で見ずDVDで恋愛パートを全部飛ばして見たそうだ。その気持はよくわかる。私も伝説的な客船の勇姿と悲劇を期待して「タイタニック」を見に行ったらつまらない恋愛話ばかりなので睡魔に襲われたクチだ。ディカプリオも太めのおねーちゃんもどうでもいいからもっと船を見せろ!ブリッジを、機関室を写せ!と心の中で悪態をついたものである。

そう、私は「わかりやすい人間ドラマ」や「萌えキャラ」よりも、メカそのものや歴史的な事件のほうが好きなのである。
「人間ドラマ」「萌えキャラ」が多くの人に受け入れられ喜ばれていることは認めるけれど、食べ物で言えば甘味や脂肪分、化学調味料のように画一的でジャンキーな味付けみたいだ。「はやぶさ」の帰還は世界に誇れるすばらしい偉業なのだから、そのまま鑑賞し感動したほうがいい。ひとさまの好みに口出しするようで気が引けるが、どうしてもそう思ってしまうのだった。
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エクストリーム「子ども手当て」申請(その2)

2010年04月26日 | 日々思うことなど
前の記事では軽く取り上げたけれど、エクストリーム「子ども手当て」申請の実例が現れたことは決して笑い事ではすまない問題である。といっても、「数十人とか数百人単位の偽装養子がまかり通って日本人の財産がごっそり奪われる!日本はもう終わりだ!」みたいな与太話ではない。


尼崎市で「タイに554人の養子がいる」と申請したX氏だが、彼が提出した書類は本当に真正なのだろうか。タイ(「養子」の母国)および韓国(X氏の国籍)で正当な親子関係と認められているのか。報道を見る限り、その点はまだ確認されていないようだ。
私はたぶん偽造書類だろうと思っている。外国での養子手続きがどのように行われるのか知らないが、東南アジアでは子どもの人身売買が深刻な問題になっており、一度に(あるいは数年かけたのかもしれないが)554件という養子手続きが認められるとは信じがたい。書類が偽造であれば、X氏の行為は文書偽造および詐欺未遂に当たり、告発されたら金額と社会的影響の大きさから言って実刑を免れないだろう。

考えにくいことだが、書類はすべて真正であり、タイと韓国でX氏と養子たち(554人!)の親子関係が完全に認められていたとする。この場合はどうなるだろう?
2ちゃんねるあたりでは「書類が本物なら何百人分でもつべこべ言わず払うべき」みたいな意見が見受けられるが、煽りで言ってるのでなければまったくどうかしている。法律や行政をコンピューターゲームと勘違いしているのではないか。ゲームならどんなチート(ズル、騙し)をやってもお咎めなしに利得が得られるが、現実社会はそれほど甘くない。いや、ゲームであってもネットゲームなど他のプレーヤーや管理人がいれば極端なチートは顰蹙を買い、やがて禁じられる。
現実社会の法律と行政は一般的な常識や正義感を裏切ってはならない。少なくともそういう建前になっている。「554人分の子ども手当て申請で年間8.600万円ゲット」なんて濡れ手に粟みたいな話が簡単に認められるはずがない。もしもX氏が提訴したら尼崎市や国が「申請拒否の正当性」を主張して受けて立つのは間違いないし、裁判所も決して甘い判決は出さないはずだ。
…と思うのだが、実を言えば地裁あたりでは法律を教条的に解釈したおかしな判決が出ないとも限らない。とはいえ、それほど心配する必要はないだろう(ちょっと無責任)。

X氏の554人の養子の正当性を認めなければ外交問題になると言う人もいるが、心配しすぎだろう。そもそもタイや韓国で(他のどの国でも)「554人の養子を取って日本の手当て獲得をねらう男」が応援されるなんてことは考えにくい。むしろ「恥知らずだ」「何を考えて当局はこんな大量の養子を認めたのか」と批判する意見のほうが多くなるのではないか。
とはいえ、かのアニータ事件のときのチリのようにX氏がヒーローとしてもてはやされる可能性もある。外国の文化はそれぞれである。そして、もちろん日本には日本の文化、日本の常識がある。
タイや韓国の世論がどうであろうと、尼崎市と日本政府は「554人の養子などという無茶は日本では認められません」と押し通せばよい。それこそ文化の違い、常識の違いである。イスラム教徒が「母国では妻を4人持つことが許されている」と主張しても日本では認められないのと同じことだ。

今回は「554人」という極端な数だから「子ども手当て」支給適用外の判断に迷うことはないが、仮に5人、10人、15人、20人…の場合ならどうだろう。
厚生労働省のQ&Aで「母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人については、支給要件を満たしませんので、子ども手当は支給されません。」と書いてあるのを引き合いに出して「49人なら認められるはずだ」などと言う人もいる。冗談としては面白いけれど(いや、どうかな)、本気で言ってるならマニュアル脳にもほどがある。「50人」という記述は数字そのものではなく「非常識な(監護・生計の同一が成り立たないと推定できる)大人数」と置き換えて読むべきだ。
とはいえ、認定の基準である「監護」と「生計の同一」をどうやって確認するのかといった具体的な判断は地方自治体の職員にかかっている。厳しい担当者なら5人分の確かな申請でも根掘り葉掘り質問され、いいかげんな担当者なら10人分の偽装申請でもスムーズに認められるかもしれない。グレーゾーン(と呼ぶのも真面目な子沢山の外国人に失礼だが)の扱いがどうなるのか、政府・厚生労働省も地方自治体・現場の職員も「やってみなければわからない」というのが本音だろう。「子ども手当て」批判派が不正受給の横行を心配する理由は確かに存在する。


私がエクストリーム「子ども手当て」申請問題でいちばん心配しているのは、仮にX氏の「544人の養子」が実在した場合に多額の子ども手当てが容易に支払われることではない。その可能性はゼロに近い。そうではなくて、X氏が期待した支給を得られないことでタイにいるとされる「養子」がどういう扱いを受けるのか、ということだ。
X氏が本当に善良で裕福な篤志家であれば、子ども手当ての有無に関わりなく養親としての義務を果たすだろう。その場合はさほど心配することはない。心優しい人たちが民間で支援運動を行うだろうし、場合によっては全額ではなくても「子ども手当て」支給が認められることもあるだろう。
だが、X氏が濡れ手で粟をもくろんだ見通しの甘い詐欺師だった場合は大いに心配だ。それこそ「養子」を金のために利用し、過酷に扱う心配がある。元はといえばメチャクチャな大量養子を認めたタイ(と韓国)が悪いのだが、人権問題として日本も知らん顔はできない。
「怪しい申請は拒否された、よかったよかった」で済ませていい話ではない。X氏の544人の「養子」が実在するのか、X氏の意図はどこにあるのか確認する必要がある。事件の続報が待たれる。



以下は余談。
2ちゃんねるなどでは「形だけでも書類がそろっていれば何十人、何百人という申請でもそのまま認めるべき」「窓口での申請拒否は違法だ、人治主義でけしからん」みたいな極端な意見が目立つ。しかもそれが「子ども手当て」を無駄遣いだの亡国だのと批判する側から出てくるのに驚かされる。法の抜け穴を塞ぐのではなく、ネズミが通る程度の穴をがんばってゾウが通れる大きさに広げているようだ。
おそらく極論を叫ぶことで世間の関心を引き付け、「子ども手当て」を批判する味方を増やすつもりなのだろう。そしてそのやりかたは効果的だと認めざるを得ない。だが、「極論を叫んで煽ったもの勝ち」という手法は、それこそ2ちゃんねるで批判されてきたマスコミやノイジーマイノリティ(「サヨク」「人権派」「フェミ」)のやりかたと同じではないか。まったくうんざりしてしまう。
こんにゃくゼリーによる窒息事件が起きたとき「危険だ!許せない!販売禁止にすべき!」と主張した人たちと、「子ども手当て」の問題点(確かにいろいろと問題はある)をデマや極論を振りかざして糾弾する人たちといったいどこが違うのだろうか。むやみと大げさで客観的なリスク評価が存在しない点で見分けが付かないほどそっくりだ。どちらもヒステリー一歩手前というか、むしろヒステリー状態に近づく・演じることを楽しんでいる。
「草食系男子」が増えたなどといわれているが、ネットでは極論絶叫系が花盛りだ。いや、リアルでは自分を殺しておとなしくしている(そうすることを強いられている)ぶん、ネットでは極論を振りかざし怒りを叫びたくなるのかもしれない。
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「子ども手当て」とデマ

2010年04月07日 | 日々思うことなど
当たり前のことだけれど、デマは良くない。
意図的にデマを流すのは悪いことだし、気付かずに引っかかった人は情けない。特に、デマを受け売りして広めてしまった人たちは大いに反省すべきだ(参考)。

子ども手当「外国人に590人分支給」 「まったくのデマ」で騒ぎに (1/2) : J-CASTニュース
 子ども手当について、在日外国人が母国にいる養子などを多数申請するのではと、ネット上で疑念が広がっている。神奈川県川崎市のある区役所ではアジア系の人が590人分の支給を受けるとの書き込みまであった。しかし、この区役所では、「まったくのデマ」と否定している。

590人分支給の書き込みがあったのは、2ちゃんねるのスレッド上で2010年4月3日朝のことだった。

「川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてた アジア系の人いた さすがに別室に連れてかれてた どうなったんだろう」
川崎市高津区役所、問い合わせは数十件も

ブログでも紹介の書き込み 4月1日から申請手続きが始まった子ども手当では、母国に子どもがいる在日外国人でも、要件を満たせば支給が受けられる。子どもは、養子でも婚外子でもOKだ。これが、一部報道やネット上で、たくさん養子を作るなどしてどんどん税金が国外に持ち出されるのでは、との危惧になっている。

高津区役所のケースは、それを現実に見たというのだ。

2ちゃんでは、極端な人数のため疑問視する声が出たが、書き込んだ人は、それを否定。段ボール箱の半分ぐらいになった書類を窓口に置いて、「ショルイアリマス」と流ちょうな日本語で言っていたという。さらに、最初の書き込みから2時間後には、区役所の人に聞いたところ、手続きは順調に終了したと聞いたと報告。困った顔だったとしたものの、即日の審査で支給が成立したらしいと明かした。

これらの書き込みは、ブログにも取り上げられて、ネット上で波紋を呼んだ。これに対し、高津区役所のこども家庭課では、アジア系の人の訪問そのものも含めて「まったくのデマです」と否定した。何件も問い合わせがあったといい、困惑している様子だった。


この件に限らず、感染力の強そうなデマを見つけたときどうすればいいのか、なかなか難しい問題だ。受け売りでデマを広めるのは最低として、単に無視すればいいのか、きっちり批判する必要があるのか迷うことがある。「子ども手当て」デマについて私は最初「無視する」ほうを選んだけれど、今になって思えば間違っていたかもしれない。

はてなブックマーク - 川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてたアジア系の人いたニートな2ちゃんねらー日記

はてなブックマークでデマの存在を知ったとき、ブクマ件数はまだ一桁だったと思う。自分もブックマークして「デマに決まってる」と否定コメントを書こうかと思ったけれど、「ブクマ件数を上げてかえって注目度を上げる・デマの拡大に手を貸す」のも嫌だなと思って無視するほうを選んだ。そのときは「バカらしいデマだからブクマが50くらいで収まるだろう」と思ったのだが甘かった。
なぜバカらしいデマなのかといえば、590人分の申請についてはともかく(無茶なことを企む勇者あるいはバカは常に存在しうる)、役所が疑いもせずただちに受理するなんてことがありえない。「お役所仕事」なんて言葉もあるように、役所というのは細かい書類の不備にケチつけたりもったいぶって引き伸ばしたりして申請がすらりと通らないのが普通である。生きるのにどうしても必要な生活保護でさえ難癖付けて認定を渋るのがお役所の体質だ。それなのに7670000円(!)という大金を支給する決定が即断即決なんてバカらしいにもほどがある。私が銀行で「一億貸してくれ」と言ったら即座に融資が決まる、というのと同じくらいありえない。
「子ども手当ては鳩山内閣の目玉政策だから」役人は恐れ入って盲判を押すだろう、と思う人もいるかもしれないが、実際に申請を受け付けるのは地方自治体である。市役所や町役場の職員は「国会で鳩山由紀夫が決めたのだ」と聞いても別に恐れ入ったりはしない。彼らは普通の国民(内閣支持率は約30%)の一人であり、地方公務員であって民主党政権の下僕ではない。ことさらにサボタージュもしないだろうが、特に張り切って民主党政権に忠義を見せるはずもない(「小沢王国」の岩手県あたりではどうか知らないが)。
民主党政権・鳩山内閣を信用できない人が多いのは仕方ないが(私もその一人である)、地方公務員をみだりにバカにしたデマを流すのは間違っている。

さらにこのデマは「ザイール大使館員」が登場する形に進化して広まった。私はデマは嫌いだけれど、「ザイール大使館員」を付け加えた人はなかなか気が利いていると思った。もちろん、かつてザイールと呼ばれた国は現在「コンゴ民主共和国」と名前を変えており、「ザイール大使館」など世界のどこにも存在しない。「頼朝公ご幼少のされこうべ」みたいな話でナンセンスな面白みがある。


さて、松沢呉一氏をはじめとした有志が川崎市高津区役所に確認してくれたおかげでデマであることが明らかになり、次第に沈静化した。だが、いまだにあきらめ悪くデマの残り火を燃やし続けようとする人もいる。

何でもありんす: 【政治】 2ちゃんねるの「子ども手当、590人分申請の外国人が」は「まったくのデマ」…他の自治体も「窓口、通常と変わらない」
外国人への憎悪を煽る者たち

「『590人申請』がデマかどうかはどうでもいい、子ども手当ての制度的欠陥のほうが問題だ」とか「デマであっても多くの人に問題を知らしめた意義がある」とかなんとか。お前らバカか、ふざけるのもいいかげんにしろ、と怒りが湧き上がる。
デマに引っかかって受け売りしたり、あまつさえデマを肯定したりすれば子ども手当てを批判する人たち全体の信用を損ない足を引っ張ることになぜ気付かないのか。「デマ上等!」と嘯きつつ「自分たちの意見を信じてくれ」と叫んでも笑われるだけだ。
民主党が「永田メール事件」を起こしたとき「メールは偽でも疑惑は真実だ」という謎のエルメス理論を唱えた河村たかし議員(現在は名古屋市長)は当然のごとく笑いものにされた。仮に原発反対運動家が放射能漏れ事故のデマを流して「原発の危険性を訴えるのに意味があった」と開き直ったら誰もが呆れるだろう。敵にデマを流して混乱させるのは立派な(?)謀略だが、味方にデマを流して煽るのはまったく愚かなことだ。


これまで「子ども手当て590人申請」デマを批判してきたけれど、さりとて私はべつに現在の子ども手当て制度を支持しているわけではない。絶対反対ではないけれど、懐疑派あるいは否定派である。「子ども手当て」はまぎれもなくバラマキ政策である。逼迫する国家財政のなかでなぜこんな途方もないバラマキをするのか、選挙目当てではないのかと大いに疑問をもつけれど、ばらまいた結果として世の中の景気が良くなったり出生率が劇的に向上したりすれば文句はない。まあ、そうなる可能性はせいぜい20%くらいだろうと思うけれど。
バラマキが海外(在留外国人)にも流れる点が批判されるが、これも程度問題であり、仮に子ども手当てが大いに実効を上げれば(私は信じていないが)数百億とか海外に流出したとしてもコスト的には問題がないといえる。とはいえ、「仕分け」パフォーマンスが大受けしたように日本人は「無駄」を大いに憎むから、「海外へのバラマキは無駄だ」「民主党政権は信用できない、税金なんてバカらしくて払いたくない」という世論が高まるのも無理はない。

海外流出を批判するのであれば、「養子が100人」とか「590人」とか極論やデマを使って煽るよりも、「10人分の申請があったときどのように審査するのか、金目当ての偽装養子を見分けられるのか」という現実的な問題を地道に訴えるほうがいい。
国籍法騒ぎのときは「偽装認知の怪」という記事で「そんなこと実際にやる奴はほとんどいないだろう」と断じたけれど、子ども手当てを期待した養子(偽装養子)は充分にありうる、むしろ起きなければおかしいくらいだと思っている。
国籍法改正の場合は外国人の立場で考えてみても偽装するメリットが無かった。日本国籍の価値は抽象的だし、実子でないのに実子として届けるのは明らかな嘘だ。「メリットが薄くて後ろ暗い」のだからわざわざやる意味がない。
だが子ども手当ては違う。少なからぬ現金をもらえるし、「親戚や知人の子どもを養子にする」のは悪いこと(偽装)ではなく人助けのいいことだ、と正当化できる。「はっきりした実利があり罪悪感もない」のであればやりたがる人は多いだろう。
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「非実在青少年」とクロマグロと捕鯨問題

2010年03月26日 | 日々思うことなど
これまで「非実在青少年」問題については「よくわからないし、自分にはあんまり関係ないし」「反対運動している人たちの姿が人権擁護法や国籍法改正反対運動に似ていてなんだかな」と思って近づかないようにしていた。だが、一度興味を持って議論を追ってみるとなかなか面白い。面白い、などと言うと真面目に反対運動している人から怒られそうだが、べつに茶化すつもりはない。
そして、自分が思っているようなことはたいてい誰かが先に書いていることも知った。

表現規制、こんにゃくゼリー、ゾーニング - 趣味のWebデザイン
非実在青少年周り。 - Scott’s scribble - 雑記。
色々と調べて回って思ったこと - 怒頭流のゴロ巻き日記
人は見たいものしか見ず、信じたいものしか信じない - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
目的を失念するネット - 俺は此処に居る
表現規制反対派に厨しかいない理由 - 無貌断片
非実在論争と敵意の行方 - はてな匿名ダイアリー
【愚痴】非実在青少年なんちゃら関連がうざい【ガス抜き】 - 2ちゃんねる同人板

これまでもネット上の政治運動(人権擁護法反対運動や国籍法反対運動など)の多くが悪い意味でオタク的だと思っていた。オタクは悪い、と言っているのではないので誤解なさらぬように。どんなものでもそうだが、オタクにもいい面と悪い面があって、政治運動とオタク的心情を組み合わせると悪い面が出やすいらしい、という程度のことだ。もともとオタクの人たちは政治運動に向いてないんじゃなかろうか。突き詰めてて熱中する傾向がかえって視野を狭くするとかなんとか(ただの思い付きです)。
児童ポルノ規制や「非実在青少年」問題は、現在のオタク界で大きな割合を占めている「萌え系」というかロリコン・ペドフィリア趣味の人たちを直撃したようだ。大げさに言えば「自分たちの存在を全否定された」ように感じてしまい、反対運動の激しさとオタク性がますます高まった。まことに無理からぬことである。無理からぬことではあるけれど、おまいら必死すぎ、少しもちつけ。

さて、前の記事では「非実在青少年問題は地中海産クロマグロ漁獲規制問題に似ている」と書いたけれど、ざっと反対運動周辺を見渡してみるとむしろ捕鯨維持派から見た「捕鯨問題」の構図を重ねている人が多いように思う。

地中海産クロマグロのアナロジー
 ・ 基本的には天然資源の利用問題である
 ・ 「非実在青少年」問題における天然資源とは「善良な市民」の寛容さ
 ・ 乱獲で資源が枯渇すると業界が破滅し消費者も損をする
 ・ 限られた資源を大切に、そして資源を増やす努力をしましょう
 ・ 輸入マグロの大量消費(萌えオタ文化の興隆)は近年急激に起きたこと(参考)なので軋轢が生じるのは必然


捕鯨問題のアナロジー
 ・ 規制派(禁止派)は資源問題を大義名分に宗教的・文化的価値観を押し付けている
 ・ 鯨食(オタク趣味)は立派な文化であり、ケチをつける人たちは偏狭だ
 ・ 資源の枯渇は誇張されており、むしろ「食害」が問題である
 ・ この場合の「食害」とは「善良な市民」によるオタク差別・表現規制
 ・ 鯨食文化(オタク文化)は日本古来の伝統なので保護されるべき


もちろん、捕鯨問題のアナロジーが生まれるのはそれなりのわけがある。実際に規制派の中には偏狭さをむき出しにして「聖戦」を戦っているつもりの人もいる。頭カチカチの保守派の思い通りに規制が行われたら大惨事になるだろう。仮に規制が必要だとしても、規制される側も納得できるよう慎重に行われるべきだ。だが、反対派がカチカチの保守派の鏡写しのようにイデオロギー化して極論を叫ぶようになると、普通の人たちはついていけない。結果として多数派の形成に失敗し、かえってオタク界への偏見を強めることになりかねない。
とはいえ、徳保隆夫さん(「趣味のWebデザイン」)も指摘しているように、「絶対に多数派にはなれない者の抵抗というのは、むしろこれが正解」らしいので、よそ者がとやかく言っても聞いてもらえないだろう。結局は行くところまで行ってなるようになる。あまり楽しい話ではないけれど。
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