玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「フルスイング」第二話

2008年01月27日 | テレビ鑑賞記
以下は私信です。
HALTANさん、「フルスイング」ご覧いただきありがとうございます。

ワサビより効く「フルスイング」 - 玄倉川の岸辺

『フルスイング』って面白いのですか? - 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌
『フルスイング』第2話「逃げない」 - 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌

「なんであそこまで誉めるのか全く分からない」とおっしゃいますか。
酷いです。
傷つきました。
HALTANさんは血も涙もないおかしな人です。
謝ってください!


…と、責めたりはしません。
私も第二話を見ましたが正直言って特に感動しませんでした。よくできてましたが普通です。
涙の降水量を比べれば第一話は200ミリ、第二話は5ミリ、といったところです。土砂降りとにわか雨くらい違います。
それでも個人的には充分に楽しみました。剣道着のフッキー(吹石一恵)は凛々しかったし、田辺さん(徳永えり)は素朴でかわいかった。ピンで留めた前髪とちょっと太目の脚がいい感じです。

私が「今年最高のドラマ」と感激したのは、第一話があまりにも、異常に出来がよかったからです。
いえ、こういう言い方をすると実際にご覧になったときがっかりさせるかもしれません。出来がよかったというより私の「ツボにはまった」と言うほうが正しい。

第一話の中心は森君でした。クラスの後ろのほうの席に座っている長髪で暗い感じの男子生徒です。
ストーリーについては申しませんが、ありきたりの・ベタな・何十回も見たような学園ドラマの定番です。それでも手放しに感激したのは、森君の姿を見て「こいつは俺だ」と思ってしまったから。うかうかと感情移入してドラマ製作者に首根っこを捕まれました。あとは思うまま振り回されるだけです。
森君はある事情で心を閉ざし会話を断って自ら孤独を選びました。だがそんな自分に満足しているわけじゃない。自らを責め、運命を恨み、太陽の光を避けて日陰で過ごす。森君のいじけた表情に嫌悪を感じながら、どうしようもなく「こいつは昔の俺であり今の自分だ」と思いました。なぜそう思ったのかは書きません。痛いから。
「フルスイング」第一話では高さん(高林先生)が森君の心を暖め、こわばりを癒す姿が描かれました。まるで上手なマッサージ師が客の体を揉みほぐすように、です。見ている自分も心のツボを押されてヒイヒイ叫んでしまいました。とても人さまにお見せできる姿ではありません。バーチャルマッサージで凝りが取れるはずもないのですが、見終わったあとカタルシスを感じたのは確かです。

2ちゃん情報によれば、第一話をどこぞの動画サイトで見ることができるとかできないとか。
番組掲示板にはたくさん反響が寄せられてますから、遠からず再放送もされるでしょう。もし気が向いたらご覧いただき「あいつはこんなベタなドラマを見て泣くのか」と呆れてください。
私は山田太一ドラマと阿久悠の歌謡曲で育ったベタベタに通俗的な人間なのです。公言するのは恥ずかしいですが今さら変えられません。山田太一と阿久悠の影響を否定することは私の人生を否定することです!

…そこまで大げさに言うことじゃありませんね。駄文失礼しました。

恋の終わり、ブログの終わり

2008年01月26日 | ネット・ブログ論
突然だが、ブログを書くことは恋愛に似ている。

どちらも少し(あるいはたくさん)物狂いでなければ続けられない愚行あるいは偉業だ。
どこで愚行と偉業の違いが生まれるのかといえば、真剣と書いてマジと読むところの誠実さである。
傍から見ていてどんなにバカップルでも、お互いを本気で信じ自らの偽りに潔癖であれば、誰に恥じることもない立派な恋愛だ。
逆に、第三者が「素敵なカップル」と思っていても、打算を隠し自分と相手を騙し惰性に流されるようではどうしようもない。
恋の炎が消えブログへの情熱が失われても形式的に続けることは出来るが、それはただの生活だ。

私が恋について知っていることは人類が冥王星について知っているのと同じくらいである。
つまりほとんど何も知らない。2006年に探査機が打ち上げられ、2015年には冥王星に到達して観測を行う予定になっているが、自分が恋のすべてを知る機会はあるのだろうか。そんなことはどうでもいい。

恋よりはブログのほうをよく知っている。気が付けば三年のあいだブログを書いてきた。自慢じゃないがこれまでの人生で恋愛が続いた期間より長くデートした回数よりずっと多い。本当に自慢にならない。
なぜ時間と手間を費やし頭をしぼって文章を書くのかといえば、
 「伝えたいことがあり」
 「読者が受け止めてくれると信じている」
からだ。
好きな女性にラブレターを書くのと違わない。どちらも本気でなければつまらない。伝えたいことがなくても、相手を信じていなくても技巧だけで文章を書くことはできる。だが、そんなものはインクの付いた紙屑である。鼻紙か焚き付けにするほかない。残念ながらブログのhtmlを焚き付けにするのは無理だけれど。もちろんコメント欄に突撃して炎上させてはいけない。

本気でなければ屑というのは、このあいだ書いたカードの城のごときブログ集団を見ればわかる。彼らは二言目には「連帯」「共闘」を口にするが、その心根には偽善が潜み、嘘から目を背ける卑劣がある。彼らの間の「人気ブロガー」は「水伝がインチキなのは知っているが、そんなことはどうでもいい」「いい話だからいいじゃないか」と嘯き、取り巻きは異を唱えなかった。本気と嘘のけじめを見失った人たちがお互いを信じることはできない。


恋に終わりがあるようにブログにも終わりがある。
甘酸っぱく清々しい終わりもあれば、後味の悪い最後もある。

 あるブログの終焉
 蛇足と僅かな後悔

私が二つの記事で批判し罵倒したブログは「ハンサム」だった。
単にカッコいい(文章が上手)というだけでなく、人柄が誠実で魅力的だと多くの人たちから賞賛されていた。私には彼のどこがそんなに素晴らしいのかわからなかったけれど、木村拓哉が女性誌の人気投票で一位を続けている不思議よりはまだしも納得できた。
だが、ハンサムな彼のブログの終わらせ方は見苦しかった。
エキセントリックな一読者から悲鳴と紙つぶてをぶつけられると動揺した。ブログを消したかと思えば復活させ、ひどい目にあったと愚痴り、誠実さをアピールするかのごとく思い悩んでみせ、さんざん読者の同情をかき集めたあげく姿を消した。まるで二流の恋愛ドラマだ。

誰もが認めるハンサム男(谷原章介)が主人公である。彼が恋人の一部(あまたいる読者の一人)に幻滅して別れを告げたかと思うと「やっぱり君のことが忘れられない」と戻ってくる。彼女(大部分の読者)に「あなたはちっとも悪くない」「あなたは立派よ、正しいわ」と言わせ、ナルシズムを癒し自己評価を充電したあげく、書き置き一つ残さず消える。

心優しい観客は「あんなに誠実な人がこんなやり方を選ぶのはよほど傷ついたからに違いない」と同情するのだろうが、私は「ナルシストのバカ野郎め、恥を知れ!!」と罵る。
谷原さん勝手に名前を使ってごめんなさい。



…と、ここまで勢い込んでキーボードを叩いてきたけれど、だんだん疑いが湧いてきた。
ブログと恋愛って似てるのか?似ている点より似てないことのほうがずっと多いんじゃないか?
なんで自分はこんなつまらないことを一生懸命書いたんだろう、不思議だ。何か勘違いをしていたとしか思えない。
ブログと恋愛が似ているとしたら、「勘違いで始まり、酔いが醒めて終わる」ことだけかもしれない。

ワサビより効く「フルスイング」

2008年01月24日 | テレビ鑑賞記
年が改まってからまだ一月もたっていないけれど、2008年最高のドラマは満場一致で「フルスイング」に決定しました。おめでとうございます。
…と、断言したくなるほどいいドラマである。

フルスイング | NHK 土曜ドラマ
  「教える」ことに人生の全てを捧げた一人の男がいました。打撃コーチ高畠導宏さん。七つのプロ球団を渡り歩き、落合、イチロー、小久保、田口を始め、30人以上のタイトルホルダーを育てた名伯楽は、還暦間近で福岡の高校の教師になりました。

  高畠さんは30年のコーチ人生で培った優れたコーチング力で、悩める思春期の子どもたちと現場の教師たちを大きく変えていきます。

  自ら、悩み、迷い、葛藤する姿をさらけ出す素敵さ。高みから何かを教えるのではなく、「生きる力」を伝えようとする熱意。「俺だけの先生」「私だけの先生」と子どもたちに思わせる「好きにならずにいられない」教師の姿がそこにありました。

  わずか1年でがんに倒れ、志半ばで逝去した新米教師「高さん」と、彼の思いを受け止め、成長していく子どもたちと教師たちの感動の実話をドラマ化します。

土曜9時は「世界ふしぎ発見」を見る(というかぼーっと眺める)のが習慣なのだが、NHKのドラマに吹石一恵が出るというのでおっぱい鑑賞のためにテレビを二画面表示にした。気がつくとネス湖の怪物はすっかりお留守になり、心は九州の高校に完全に引き込まれていた。

特に主演の高橋克実がすばらしい。
体温と人生経験を感じさせる厚みを持った人物像を作り上げている。だから生徒たちに「夢」の力を語っても嘘臭くならない。バラエティー番組でおちゃらけているイメージとは違い、包容力と優しさと強さを兼ね備えた「伝説のコーチ」になりきっている。モデルとなった高畠さんの指導を受けた選手が太鼓判を押すほどよく似ているそうだ。

本や映画の宣伝文句で最近(でもないか)やたらと「泣いた」「泣ける」が多い。私などは「そんなに泣きたきゃワサビでも舐めてろ」と普段バカにしているのだが、不本意ながら「フルスイング」を見て大いに泣いたことを認める。いや、むしろ開き直って「あれを見て泣かない奴はおかしい」とさえ言いたい。何にでもケチを付ける2ちゃんねるドラマ板でも絶賛されていた。珍しいことだ。
番組紹介(プレマップなどで流れるあれ)がまたよくできている。約五分とちょっとした長さだが、「フルスイング」に興味を持った方はぜひご覧ください。

  番組紹介 WindowsMedia形式

「水からの伝言」とカードの城

2008年01月23日 | 「水からの伝言」
野次馬と呼ばれても仕方ないが、左翼・リベラル系政治ブログ界の「水からの伝言」騒動はとても興味深い。
人間性や道徳について考える材料をたくさん与えてくれる。

 左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する
 たんぽぽさんと斉藤さん

以前「なぜこれが騒動の火種になるのか不思議」と書いたが、彼らは「批判の存在を否定せざるを得なかった」のである。大切なカードの城を守るために。

らんきーブログ 言葉の結晶

色んな言葉を発せられた水の結晶を見た事がある。
汚い言葉をかけつづけた水の結晶はひどいものだった。
「ありがとう」等の愛のある言葉はダイヤモンドのようにきれいな結晶になります。 
水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更というのは言うまでも無いでしょう。
思っているだけではなく、やはり口に出して言う事は大事な事なのです。
 ※「水の結晶 言葉」とかで検索すると画像も見られるサイトがいくつかありました。
(科学的には証明はされていないということらしいですが・・私的はそれはどちらでもいいことです) 

最後に
「ここまで読んで下さりありがうございました。皆様のお蔭様で今日も書く事が出来ました。
本当にありがとうございます」 
今日の記事は結晶にすると、どんな形になったでしょうか?

【追記:2008/01/07)
なお「水の結晶」の話しは科学的に完全に否定されています。
[参考]「水からの伝言」を信じないでください
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/


騒動の発端となる記事を書いた「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏は、どうやら「言葉が水の結晶(?)の形に影響を与える」という「水からの伝言」(以下『水伝』と表記)の主張を信じてはいないらしい。追記を見るかぎり「科学的に完全に否定されている」ことは理解しているようだ。
だが、ぶいっちゃん氏は「水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更」「科学的には~どちらでもいい」という主張を撤回していない。
ぶいっちゃん氏の現在の態度はつまりこういうことである。

 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

私にはインチキと嘘を「愛」という綺麗事の言葉で正当化しているとしか思えない。
要するに偽善である。自分を騙し、読者を騙し、共に愚者の楽園に向けて行進している。
バカバカしくも痛々しくて見ていられない。

ぶいっちゃん氏と仲間たちは何かといえば連帯・共感・応援・共闘・優しさ…といった「美しい」言葉を並べる。たぶん彼らは「水伝」の主張と同じく「人間の心と『美しい言葉』が直接的に対応する」と思いたいのだろう。だが、彼らがそれを心から信じることは決してできない。
ぶいっちゃん氏自身が「水伝」のインチキ性を知りつつ「水伝」の主張を肯定しているのである。そこには明らかなごまかし、知的・道徳的不誠実が存在する。彼が同じごまかしを用いてニセモノの「連帯」や「共感」を賞賛しないと誰が信じられるだろう。

「水からの伝言」は科学の偽ブランド商品だ。偽ブランド商品を作る連中が詐欺師なのは言うまでもない。
そして、偽ブランド商品をそれと知りつつ「いいものだ」と賞賛し、身につけるのを恥じない人の誠実さは疑われる。偽ブランド愛好家はインチキやごまかしに違和感を持たない人だ。彼らの甘言を信じることはできないし、一緒に仕事をするのは困難だ。

「水伝」がインチキであると知りつつ受け入れ、お互いを「応援」し「共闘」する人たちの道徳的退廃を見ると寒気がする。
嘘のレンガを偽善のシックイで固めた城に住むのは裸の王様だけで充分だ。政治性を自認するブログの書き手が裸の王様を真似るのは滑稽である。しかも、彼らの城はたんぽぽの葉を揺らす程度のそよ風にも耐えられない「カードの城」なのだ。



偽善というテーブルの上に薄っぺらな「連帯」「共感」のカードで建てた城を守るには、真実を運んでくる風の進入を許さない鉄壁の守りが必要である。そして、彼らは見事にそれをやってのけた。たんぽぽさんの「非礼」をなじり、批判に聞く耳を持たず、お互いの連帯感を再確認してカードをさらに高く積み上げた。すでに頭の高さを超え、「TVチャンピオン」の決勝に残れそうだ。
なんという偉業、そしてなんという愚行!
眩暈と吐き気がする。

たんぽぽさんと斉藤さん

2008年01月20日 | 「水からの伝言」
左翼・リベラル系政治ブログ界の一部で起きた「水からの伝言」騒ぎを見ていて「まるで『斉藤さん』だな」と思った。
「斉藤さん」とは日本テレビ系列で水曜10時に放送されているドラマである。

斉藤さん 公式サイト
うるさかろうが、煙たかろうが、斉藤さんは正義の道をゆく。

悪いことを悪いと言って、何が悪い?
ムレない、へつらわない、絶滅珍種“NOと言える日本人”
斉藤さんに今、世の女性たちから大絶賛が寄せられています。

「KY」(空気読めない)という言葉がはやるように、いまの日本、何事もまわりの様子をみながら行動するのが無難で当たり前という風潮。そこに斉藤さんは斬り込みます。

「空気なんて読むな」
こんな「斉藤さん」のそばにあなたがいたら…
味方ですか?敵ですか?それとも知らんぷり?
このドラマは「斉藤さん」とそのそばにいてしまった人たちの物語です!

これでは斉藤さんが「女性たちから大絶賛」される完璧なヒロインのようだが、二話までのドラマでは「空気の読めない・自分勝手な・乱暴な・友達のいない」はぐれ者として描かれている。ヒロインというよりトラブルメーカー扱いだ(やがて状況が変わるのだろうが)。
下は原作マンガの書評の一例。

本とテレビと映画のブログ | 小田ゆうあ 斉藤さん
斉藤さんだって、好きでひとりでいるわけじゃない。友達だって、本当は
ほしいんです。でも、嫌われることより、ひとりになってしまうことより、
「悪いことを悪いと思えない人をほっとく方が怖い。そんな人たちばっか
の社会が、自分の子供の未来だなんて怖い」。そう言えるのが、斉藤さん。


Amazonの読者レビューでは賛否両論だ。

斉藤さんのような内部志向型(リースマン「群衆の顔」)の人間は幼稚園ママグループのような他人指向型の人たちには異常に見える。ヒロインであるはずの彼女がトラブルメーカー扱いされる(そして斉藤さん自身も半ばそれを受け入れている)描写にはリアリティーがある。プロットは変だけど(高校生が幼稚園児に嫌がらせするか!?)。

「水からの伝言」をめぐる今回の騒ぎでは、たんぽぽさんが「斉藤さん」の役回りである。
「『水からの伝言』は科学的にはトンデモであり道徳的にも問題だ」という正論を言ったことで「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏と彼の支持者たちから強い反発を受けた。

第1話
衝撃的な出会いが、若葉に強い影響を与えることになる。それは、ゴミ収集所で規則を守らない年配主婦に物申す、勇敢な女性の姿・・・そう、この人こそ、相手が誰でも「ダメなものはダメ!」と、ハッキリ物申す、『斉藤さん』こと、斉藤全子(観月ありさ)。面倒な事に巻き込まれたくないと去る若葉だったが、尊が入園する、こばと幼稚園で、息子・潤一(谷端奏人)を連れた斉藤さんと再会することになる。
斉藤さんは、こばと幼稚園でも、トラブルメーカー扱いされ、園ママ達からは敬遠されている。それどころか、身体中に刺青を入れるヤクザだとか、若い男と不倫しているとか、評判は散々。

そういえば斉藤さん、じゃなくてたんぽぽさんを「共産党の手先」であるかのように中傷したSOBA氏のような人物もいた。
幸いなことに、たんぽぽさんに味方するブロガーが続々と現れてそれぞれに論陣を張った。たんぽぽさん一人でも負けることはありえなかったと思うが、衆を頼んで威圧する手合いには数の力が効くのも事実だ。
馴れ合いと罵倒は得意でも対話と論争は不得手な「らんきー」一派はすっかりおとなしくなってしまった。そのかわり自称「中立」の人たちが「どっちもどっち」「批判の仕方に問題がある」とブツブツ言っている。

あっさり揉め事が収束したようで私のような野次馬には物足りないのだが、「らんきー」一派や自称中立の人たちはたんぽぽさんの正論に納得したわけではないだろう。被害者意識を溜め込んで、やがてどこかに噴き出すはずだ。
そのエネルギーが外部の敵に向くのか、それとも内ゲバになるのか、あるいは明後日の方向でトンデモや陰謀論に結びつくのか。予想するのは難しい。


ドラマの斉藤さんはどうなるのだろうか。
第二話の最後で友達が一人できたけれど、それ以上仲間が増える気配はない。しばらくは孤独な戦いが続きそうだ。
私はありきたりなハッピーエンドにしないほうがいいと思う。
斉藤さんの生き方・考え方が簡単に理解され園ママたちが喜んで仲間になる、なんていうのは都合が良すぎて嘘臭い。正論を通すのはほとんどの場合つらく苦しいことだ。自分も他者も傷つけるイバラの道である。だから、「真昼の決闘」のように苦味の利いたエンディングがいい。

真昼の決闘 - Wikipedia
ウィル・ケインはハドリーヴィルという町の保安官。彼は結婚したばかりで、その日を最後に退職する予定であった。そのウィルの元に、以前彼が逮捕した悪漢フランクが釈放され、正午の列車でハドリーヴィルに到着するという知らせが舞い込む。フランクは彼の仲間と共に、ウィルに復讐するつもりであった。

ウィルはエミイと共に逃げようとするが、思い直して引き返す。父と兄を殺された経験を持つクエーカー教徒のエミイは、正義よりも命の方が大事だと説得するが、彼の意思は固い。ウィルは仲間を集めに奔走するが、誰も耳を貸さない。判事は早々に町から逃げ出した。保安官補佐のハーヴェイは腕はいいが精神的に未熟な若者で、ウィルの後任に自分が選ばれなかった恨みと、かつてはウィルやフランクの恋人だった婚約者のヘレンとの因縁もあって協力を断る。酒場の飲んだくれ達はウィルよりもフランク一味を応援している始末。教会では意見が分かれて議論になるが、結局ウィルが町を去るのが一番良いという結論が出る。保安官仲間たちは居留守や怪我を理由に辞退する。結局一人も集まらないまま、フランクの乗った汽車が到着し、4人の悪党相手にウィルの孤独な戦いが始まった。

ヘレンはハーヴェイにも町にも愛想を尽かし、エミイを連れて汽車に乗ったが、銃声が鳴り響くと、エミイは飛び出して戻っていった。ウィルは建物に隠れながら応戦し、2人を倒したが、肩を撃たれてしまう。そこへエミイが来て1人を撃ち倒すが、フランクに捕まってしまう。フランクは彼女を人質にとってウィルを誘い出すが、エミイが抵抗してひるんだ隙にウィルに撃たれる。住民が集まるなか、ウィルはバッジを投げ捨てると、エミイと共に去っていった。

代理出産は「使い捨て出産労働」

2008年01月19日 | 代理出産問題
どうやら「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶべきだと思っている)を原則的に禁止することを勧告する報告書が出るようだ。代理出産には重大な社会的・倫理的問題があると思ってきた(カテゴリ「代理出産問題」)私にとっては朗報である。

asahi.com:代理出産「依頼者も罰則」 学術会議報告案
 日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」(鴨下重彦委員長)は18日、代理出産を原則禁止したうえで、営利目的で行った場合、依頼者や実施した医師、仲介者に刑罰を科す法律をつくるべきだとする報告書案をまとめ、公表した。ただし、研究などで例外的に代理出産を認めることも検討課題として残した。

 委員会は、政府の依頼を受けて設置された。報告書案に対し、委員の中には異論もあり、3月末の最終報告まで議論を続ける。

 代理出産をめぐっては、日本産科婦人科学会が指針で禁止している。しかし、法律はなく、長野県内のクリニックで50代後半の女性が娘夫婦の子を代理出産したケースや、海外で依頼する例が明らかになっていた。

 タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さん夫妻が米国の女性に代理出産を依頼し、双子が生まれたが、東京都品川区が出生届を受理せず、訴訟になった。最高裁は昨年3月、民法上、夫婦との親子関係は認められないとの判決を出す一方、法整備の必要性を指摘していた。

 18日にあった委員会では、「遺伝的なつながりがない子宮の中で育つ子どもへの影響はどうなのか」「第三者の体を生殖の手段として使っていいか」など、解禁に慎重論が多く、原則禁止の方向でまとまった。

 さらに、学会の指針や国の行政指針では強制力がないことから、法整備の必要性を強調。営利目的での実施には、「依頼者のほか、あっせん仲介業者、妊娠に携わった医師を処罰の対象にすべきだ」との意見が大勢を占めた。日本人が、国外で実施するケースについても「処罰することになろう」としている。

 一方で、医師に罰則を科すことに、委員から「国民の意識調査で、半数が認めている行為を罰していいものか」と疑問の声もあった。

 また、子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。将来、国の管理下で行う臨床研究のような形で例外的に実施し得るのかどうかなどを、今後の課題とした。

 委員会は3月末まで審議を継続し、国に最終報告する予定だ。法整備に向けた議論はその後、国会にゆだねられることになる。委員会のメンバーには「自分たちは考え方を示した。これからは国会が決めなければ、今回の報告も全く意味はなくなる」という声が多い。

 ただ、03年に厚生労働省の審議会が代理出産禁止の方針を打ち出した時は、国会で「一律に禁止していいものか」との異論が出て議論が進まず、うやむやになった経緯がある。

 今回も、与党議員の中には「個人の価値観で意見が分かれる事案で、法制化は容易ではない」「ねじれ国会で、どこまで議論にのぼるのか」の指摘もあり、法整備への道のりは不透明だ。


基本的に異論はないので、報告書案がそのまま学術会議の勧告となり国会で速やかに立法されることを望む。

記事中で気になったことが一つある。

子宮がない場合など、代理出産でしか血縁のある子を持てない女性もいる。「『産む権利』を、国として禁止していいのか」などの意見もある。

子供がほしくても自分で産めない女性はたしかにお気の毒だ。
だが代理出産は「産む権利」ではなく「他者に産ませる」ことである。依頼者側が「産む権利」を言うのはおかしい。
仮に「代理母志望」の女性たちが「自分以外の誰かの子供を産んであげる権利」を言うのであればわかるが、記事はそういう意味には読めない。あくまでも依頼者側の視点だ。

代理出産問題をめぐる報道や世論には朝日の記事に見られるような視点の偏りが多い。
代理出産を「させたい側」の意見や感情ばかりで、「引き受ける側」のことをほとんど無視している。
依頼者は身体的リスクを負わずに子供を手にする。
代理母は時に命の危険さえある出産リスクを冒すのに子供を抱くこともできない。

このごろ派遣労働とかワーキングプアといった問題が話題になる。
「企業が労働者を使い捨てにするのはよくない」というのが社会的コンセンサスのようだ。
それならなぜ代理出産を容認する世論が過半数を超えるのか。私には不思議でならない。
「代理出産」とは端的に言って依頼者が女性を「出産労働力」として使い捨てにすることだ。
子供という果実は依頼者が取り、代理母は身体的精神的負担を引き受けて自己満足を得る。
これが本当に正しいことなのか。美談としてもてはやしていいのか。

依頼者の欲望を「産む権利」と勘違いするのは、滑稽なだけでなく犯罪的な過ちである。

英文スパムコメントが来ない(…と思ったらまた来た)

2008年01月19日 | ネット・ブログ論
今年になってから毎日20~30ほど押し寄せていた英文スパムコメントが昨日からぴたっとやんだ。
gooからの告知はないけれど、どうやらスパムフィルタが改良されたようだ。
よかったよかった。

ちょっとおっかなびっくりですが、コメント設定を「事前承認」から「公開」にしました。


ぬか喜びだった。
またスパムコメントが大量に襲来するようになったので事前承認制に戻します。
残念です。

左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する

2008年01月19日 | 「水からの伝言」
ネット界の片隅でちょっとした揉め事があった。
きっかけは「たんぽぽのなみだ~運営日誌」たんぽぽ氏と、「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏の間で起きた「水からの伝言」をめぐる論争だ。

2006.03.09 らんきーブログ 言葉の結晶
色んな言葉を発せられた水の結晶を見た事がある。
汚い言葉をかけつづけた水の結晶はひどいものだった。
「ありがとう」等の愛のある言葉はダイヤモンドのようにきれいな結晶になります。 
水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更というのは言うまでも無いでしょう。
思っているだけではなく、やはり口に出して言う事は大事な事なのです。

2007年12月29日 たんぽぽのなみだ~運営日誌: 水からの伝言
こんなのを見つけました。
ずばり、「水からの伝言」を、信じていらっしゃるエントリですよ。
 (中略)
あたりまえのことですが、水には、人間の声を聞く耳も、
文字を読む眼もないし、人間のことばを解釈する脳もないです。
水がことばの意味を理解して結晶のかたちを変えるなど、
あるはずもないなんて、自明としか言いようがないです。
 (中略)
ひとつは、科学に道徳を求めるのが、根本的にまちがいということです。
科学とは、自然現象がどうなっているか、
客観的に理解するための学問であり、人間がどう生きるべきか、
といったことに、回答を与えるものではないです。
「水からの伝言」が教育で使われると、科学とはこういうものと、
あやまった科学観まで、蔓延することにもなるでしょう。


なぜこれが騒動の火種になるのか不思議だが、たんぽぽさんの指摘に反発したり怒ったり謝罪を要求したりする人たちがいて面白いえらいことに。
「水からの伝言」問題(正確には『水からの伝言』受容批判問題)について発言したブログを並べてみる。
(リンクの後ろに●が付いているのは追記分)


■ 「水からの伝言」受容批判

たんぽぽのなみだ~運営日誌 (たんぽぽ氏)
  水からの伝言       http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html
  にせ科学への反論    http://taraxacum.seesaa.net/article/76180449.html
  水からの伝言(2)     http://taraxacum.seesaa.net/article/76690014.html
  水からの伝言(3)     http://taraxacum.seesaa.net/article/76691306.html
  水からの伝言(4)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77077559.html
  水からの伝言(5)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77472139.html
  水からの伝言(6)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77657453.html
  カチカンの多様性の濫用 http://taraxacum.seesaa.net/article/78325950.html
  水からの伝言(7)     http://taraxacum.seesaa.net/article/78755258.html
  水からの伝言(8)     http://taraxacum.seesaa.net/article/78756539.html
  水からの伝言(9)     http://taraxacum.seesaa.net/article/79492272.html
  水からの伝言(10)    http://taraxacum.seesaa.net/article/80444093.html ●
  水からの伝言(11)    http://taraxacum.seesaa.net/article/80612831.html ●
  水からの伝言(12)    http://taraxacum.seesaa.net/article/81130572.html ●

デザイン夜話 (sivaprod氏)
  「共感」という「ものがたり」 http://sivaprod.exblog.jp/7929855
  全ての感情は等価である。 http://sivaprod.exblog.jp/7940070

Chromeplated Rat (pooh氏)
  見慣れないリファラ    http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-11
  確かな根拠を求めること http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-13-2
  「ものがたり」を選ぶこと http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-15

nagonaguの日記 (nagonagu氏)
  空気の底で     http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080114#1200274906
  影との戦い     http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080115#1200427364
  超えてゆけそこを http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080117#1200540037
  バベルの混乱   http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080120#1200811078

遠方からの手紙 (かつ7416=http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/PledgeCrew氏)
  「水伝」 の話から考えたこと                     http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801050000/
  問題を分けられない人たち                     http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801070000/
  「価値観の多様性」 と批判への不寛容               http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801120000/
  問題がこじれるのはしばしば周囲の人間のせいだったりする http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801130000/
  すべての行為は 「政治的」 である                 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801160000/

黒猫亭日乗 (黒猫亭=黒猫亭とむざう氏)
  今更ではあるが http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_a933.html
  心の外      http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html

アルバイシンの丘 (papillon9999氏)
  ブログ社会もムラ社会(追記あり) http://papillon99.exblog.jp/7280246/#7280246

きまぐれな日々 (kojitaken=古寺多見氏)
  擬似科学と政局主義からの訣別を!            http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-544.html
  馬鹿に屈してはならない                    http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-547.html
  「雑談日記」 は 「自民党TBP」 からパージされたが... http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-548.html
  お玉おばさんから当ブログへの批判コメントのご紹介  http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-549.html
  「水からの伝言」をめぐるトラブルの総括          http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-551.html
kojitakenの日記
  コメント欄炎上は誰が招いたか? http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080104
  陰謀論者たちがまだ蠢いている  http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080120/1200800305

かめ? (gegenga氏)
  「言語」を用いた表現行為について  http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/51273223.html

Gazing at the Celestial Blue (碧猫氏)
  RE;謎の独り言(再追記有) http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-357.html

HERIKUTSUなる日々(by jabberwock) (jabberwock氏)
  「論理的でありたい」人と「共感性を重んじる」人の「議論」。 http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51178134.html
  「議論の批判」と「個人の批判」。                 http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51183325.html
  敵は誰か?:または「ムラが嫌いでネットに来た私」と「ネットにムラをつくりつづける人々」。
  http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51184371.html

くりずの雑感 (くりず氏)
  自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々 http://kurizu.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_0074.html
  つぶやき http://kurizu.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_1861.html

いわれも無き罪によって無実のmiracleさんは13年間檻の中に閉じ込められていたのであった (miracleさん)
  水から伝えられたのは馬鹿の見分け方 http://miraclemiracle.seesaa.net/article/78238849.html
  篩 http://miraclemiracle.seesaa.net/article/79060859.html

Living, Loving, Thinking (SUMITA=sumita-m氏)
  陰謀理論批判(メモ)       http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080112/1200165144
  「水伝」問題についてあれこれ http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080115/1200402676

vanacoralの日記 (vanacoral氏)
  石根氏とか「ゼリ幸」氏とかと同レベルな左派系ブロガー  http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080106
  これで文字通り水に流せる…と思います           http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080108
  ぶいっちゃん氏、愚痴る                     http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080114
  ごめん、kojitaken様、こればかりは同意できん       http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080117

Non-Fiction(Remix Version) (うちゃ氏)
  上善如水 http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-747.html

躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌 (HALTAN氏)
  信じることの満足と、信じないことの不愉快と http://blog.seesaa.jp/tb/75373760

NOBODY:PLACE (is=konaze氏)
  論拠を選ぶセンスとか http://www.nobodyplace.com/mutter/2008/01/20/031625.php

good2ndの日記 (good2nd氏)
  疑似科学、批判、道徳 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080120/1200799001

Apes! Not Monkeys! (Apeman氏)
右翼もすなる疑似科学といふものを、左翼もしてみむとて…  http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080120151831/index.html


■ 「水伝受容批判」に対する反発・批判

らんきーブログ (ぶいっちゃん氏)
  言葉の結晶                        http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-116.html
  明けましておめでとうございます            http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-766.html
  水の話だけに水掛け論か?(笑) 【言葉の力】   http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-767.html
  共闘が共倒とならない為に・・・             http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-768.html
  色々な人に支えられて・・・ 【感謝と反省】      http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-771.html
  考える事は果たして自由か?  【脳内掃除日記】 http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-772.html

携帯版雑談日記(徒然なるままに、) (SOBA氏)
  日共の、政治系ブロガー教育大作戦が開始された模様?(笑)直観ですがね。たたき台にされた人気ブログはたまらんなぁ、。(笑)
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_96c5.html
  きっこさんが携帯版にコメントしてくれました。しかし、何が何だかで唖然(笑)TB元携帯版雑談日記が重いと苦情が来たからとか
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_80c3.html
  『「自民党TBP」 からパージ』の言い回しもあれですが、バナーをはってる人への侮辱は見逃せません。しかも御自分はまだバナーを
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/tbp_ccd0.html

喜八ログ (喜八氏)
  ぶいっちゃんと共闘する http://kihachin.net/klog/archives/2008/01/rankeyblog2.html

人工樂園 (池野 土左衛門氏)
  【声明】「らんきーブログ」との連帯を表明します http://niphonese.jugem.jp/?eid=369

世の中を騒がすニュースとOLの妄想 (newsol氏)
  「水からの伝言」騒動に一言 【いらだちをコントロールする大切さ】 http://lovenews.exblog.jp/7934008

いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^ (ニケ=pierrot_789氏)
  お正月早々と批判を受けた<(_ _)>        http://nikemild.exblog.jp/6917717/
  探索開始^^;                     http://nikemild.exblog.jp/6927681/
  科学とは、科学的とは?             http://nikemild.exblog.jp/6934614/
  いつもこの人の言うことに感心しています。   http://nikemild.exblog.jp/6952666/
  馬鹿と賢者を見分ける目を持ちましょう(笑)  http://nikemild.exblog.jp/6954056/
  裁判官と死刑執行人と弁護士(自己弁護w)の役割が出来るなんて素晴らしい!(爆) http://nikemild.exblog.jp/6977916/
  「陥穽と」いう言葉がある                 http://nikemild.exblog.jp/6989397/
  震災被害者への思いと、今日は“うれしい”ご報告。 http://nikemild.exblog.jp/6998251/
  「工作員モドキ」の怒り(笑)              http://nikemild.exblog.jp/7035076/
  「電脳仮想空間」その一                http://nikemild.exblog.jp/7035086/
  和平の方法も、撤退の方法も知らず、戦いを仕掛けた○○○○○! http://nikemild.exblog.jp/7035004/
  「水伝騒動」について考える。第一幕の終わり?^^  http://nikemild.exblog.jp/7091804/ ●

■ 中立・仲裁・「どっちもどっち」・竹内まりや(♪けんかをやめて)

「猫の教室」 平和のために小さな声を集めよう (眠り猫氏)
  最近の政治ブログ界の論争を憂う http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/77934585.html

わんばらんす (ココロ氏)
  敵は本能寺にあり!・・・「大同小異」でいきませんか? http://wanbalance.blog75.fc2.com/blog-entry-594.html

瀬戸智子の枕草子 (瀬戸智子=せとともこ=ともやん氏)
  水伝アレコレからみていくべきものは http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_af8c.html
  他山の石                  http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_7f2d.html
  ブログでの討論とは  追記あり    http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_f0a1.html

keep changing ! (水葉氏)
  戸惑いと悲しみと・・・ http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10065138221.html
  「論理」と「感情」   http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10065908256.html
  「共感」の立ち位置 http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10066347486.html

dr.stoneflyの戯れ言 (dr.stonefly氏)
  「ブログで連帯は可能なのか?」…運動とは情か原則か http://dr-stonefly.at.webry.info/200801/article_4.html
  「問題は終息しない」…感情からの解放、論理からの解放 http://dr-stonefly.at.webry.info/200801/article_5.html

みんななかよく (kuroneko=kandanoumare氏)
  いいお話なら聞きたいねえ http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10065146672.html

愚樵空論 (愚樵氏)
  ブログって、繋がってるってことでしょ http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-87.html

お玉おばさんでもわかる 政治のお話 (お玉おばさん=お玉氏)
  水の話は信じてないけどさ。 http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-177.html
  (無題)             http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-182.html
  真の敵に怒りを向けよ 1  http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-184.html

SIMANTO BBS (simanto114氏)
  最近の政治とブログが変だよ http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-151.html

そいつは帽子だ! (gon氏)
  緩衝地帯という言論の場 http://teagon.seesaa.net/article/78873229.html

パフィンのたはごと (northpuffin=パフィン氏)
  論理的であるということ http://blog.livedoor.jp/northpuffin/archives/50844724.html

根拠なき「逃げ得」論の無責任 その2

2008年01月14日 | 日々思うことなど
ここ数日あちこちの検索エンジンで「逃げ得」について書かれたブログを探して読んでいる。

福岡 飲酒 逃げ得 - Google 検索

正直言って「読む価値があった」と思うものはほとんどない。
判で押したように被告人と福岡地裁の判決に怒りをぶつけて「このままでは逃げ得だ!」「逃げ得を許すな!」と叫ぶばかり。「けしからん!」「許せない!」と叫ぶだけなら小学生にもできる。
福岡飲酒運転事故の裁判において「本当に被告人が逃げて得をしたのか」とか「なぜ福岡地裁が世論に逆らうような『軽い』判決を出したのか」といった具体的な問題について考える人は少ない。残念なことだ。

多くのブログを見て、「逃げ得」論に具体的な根拠がないことに驚いた。
「事故の後で被告人が逃走を図った」「アルコール検査をごまかそうとした」ことは福岡地裁の認める事実である。
そして「懲役7年6月」という判決が世間の期待より軽かったのも間違いないだろう。
だがこの二つの事柄に因果関係があるのか考えた形跡のあるブログはほとんどない。来年には裁判員制度が始まろうというのに、こんなことでいいのだろうか。なんだか恐ろしくなる。

あらためて言うまでもないが、裁判においては因果関係の立証が最も重要である。
「行為A」が「結果B」の原因だからこそ、被告人Aは事件Bの責任を負い処罰される。
因果関係が問題になる例を挙げてみよう。

AがBを殺そうとして飲物に毒を入れた。
実はBには心臓の持病があり、毒入りの飲物に手を伸ばした瞬間に発作が起きて死亡した。

このような場合、被告人Aに殺人罪を適用できるか。
もちろん無理である。Aが殺人の意図をもって毒を混入したのは事実だが、Bはそれを口にしていない。Aの毒とBの死の間に因果関係がない。Aを殺人罪に問うのは無理だ(殺人未遂は成立する)。
素朴な正義感の持ち主が「殺そうとしたこと・相手が死んだことは事実なのだから、細かいことを言わず殺人罪を適用しろ」「これでは逃げ得だ」「裁判所は毒殺を認めるのか」と叫ぶかもしれない。感情的にはわからなくもないが、非論理的な主張である。



福岡の飲酒運転事故の場合、「被告人が逃げようとしたこと・アルコール検査をごまかそうとしたこと」と「『軽い』判決」の間に因果関係があれば逃げ得説が成立する。だが、私の知る限りそのような事実はない。
福岡地裁の判決要旨を見てみよう。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ◆危険運転致死傷罪の成否についての裁判所の判断】
 被告は相当量の飲酒をした上で乗用車を運転し、本件事故を起こした。当時、被告が酒に酔った状態にあったことは明らかである。しかし被告はスナックを出て、事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった。

福岡地裁が危険運転致死傷罪の適用を見送ったのは、被告人の事故当時の運転能力を総合的に判断したためである。特に「事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった」という認定が効いている。もちろん被告人が「逃げる」以前の行動だ。仮に被告人が事故後に逃走を図ろうと図るまいと、水を飲もうと飲むまいと、危険運転致死傷罪は適用されなかった可能性が高い。
逆に被告人は僅かに300m「逃げた」ことにより自ら罪を重くしてしまった。

 ひき逃げの犯行は、酒気帯び運転の発覚を恐れて逃走を図ったもので、その動機は身勝手かつ自己中心的で、酌量の余地はみじんもない。友人に促されるまで事故現場に引き返そうともせず、市役所職員の身分を失いたくないとの自己保身から、友人に身代わりを頼み、浅はかにも水を飲めば飲酒検知の数値が低くなるのではないかと考え、友人に水を持ってきてもらうなどしている。被害者のことなど全く考えることなく、自己保身に汲々(きゅうきゅう)としており、ひき逃げの犯情も誠に悪質である。

「逃げ得」どころか被告人は「自己保身に汲々」「誠に悪質」と厳しく指弾され適用可能な法律による刑期の上限を言い渡されている。逃げずに救助活動をするか、それが無理でもおとなしくしていれば情状酌量が付いたかもしれない。
被告人にとって「逃げ得」どころか「逃げ損」だ。

福岡の事件のことはこれくらいにしておく。検察は控訴する方針だそうであり、高裁で新しい事実が明らかになるかもしれない。


根拠薄弱な「逃げ得」論が広まるのを見て私が恐ろしく思うことは二つある。

・「事実A」と「事実B」を簡単に因果関係で結びつけてしまう危うさ
因果関係についてはすでに書いたがもう一度念を押しておく。
人間の脳には「因果関係ジェネレーター」とでも呼ぶべき機能が備わっているそうだ。事実Aと事実Bの心理的距離が近ければ「AとBのあいだには因果関係がある」と思い込んでしまう。それを利用した商売はどれも繁盛している。たとえば怪しげな健康食品、開運グッズ、血液型性格診断など。どれも「因果関係の思い込み」を巧みに利用している。
ワイドショーを信じて健康食品を買い「効いた」と信じるのはある意味ほほえましい。だが裁判でいいかげんな因果関係をもとに判断されてはたまらない。それこそ冤罪や逃げ得が多発する。「逃げ得」論を叫ぶブロガーの正義感は結構だが、まず事実と論理を重んじてほしい。

・逃げ得を煽る副作用に気付かない愚かさ
こんなことを言いたくはないが、世の中はさもしい人間ばかりである。もちろん自分もそうだ。
「濡れ手で粟」「お買い得」が嫌いな人は少ない。たぶん人間の心の原始的な層に「得」を求める回路がある。
交通事故を起こしてしまったとき、「時間を戻して事故をなかったことにしたい」と誰もが思う。そんなとき「逃げ得」という言葉が頭に浮かんだらどうなるか。混乱し機能低下した脳が「逃げれば自分にとって事故をなかったことにできる」と思わないだろうか。私には自信がない。
「これでは逃げ得だ」と叫ぶのは同時に「こうすれば逃げ得だよ」と宣伝することでもある。飲酒運転するようなドライバーはもともと順法意識は低いから、「逃げ得」の誘惑は特に効くだろう。
逃げ得になるような法の欠陥があれば指摘するのは当然である。だが、思い込みだけで逃げ得論を吹聴するのはそれこそ単なる宣伝、いや、法秩序を破壊する扇動だ。まともな人間であれば扇動の手助けをしてはいけない。


参考リンク
 「逃げ得」説の流布は許されない犯罪助長行為である! - 碁法の谷の庵にて - 楽天ブログ(Blog)
逃げ得説を振りまく人たちこそ、かえって逃走を助長しているということには、彼らは感づいていないのでしょうか。

 「ひき逃げが増えたのは飲酒運転が厳罰化して逃げ得になったから」というのは本当か? - TERRAZINE
世論なんてものは、情報操作でどうにでもなるのさ。

いいように操られたくなかったら、元ソースに当たる。これが絶対条件。

 PBI - 交通行政監察官室

根拠なき「逃げ得」論の無責任

2008年01月12日 | 日々思うことなど
悪いことをしたあげく「逃げ得」を狙って実行する奴は悪質だ。
そして、必要もないのに「逃げ得」論を吹聴する手合いは無責任である。

福岡の飲酒運転による死亡事故の判決が「世間」の期待したほど重くなかったので「これでは逃げ得だ」「裁判所が逃げ得を推奨するようなものだ」といった意見が出ている。

福岡 飲酒 逃げ得 - Google 検索

Googleで検索すると一万件近くがヒットする。
誰が言い出したのか、自然発生的なものか、「逃げ得」説は多くの人の心を動かしたらしい。
怒っている人たちの気持もわかるけれど、私はこの事件で「逃げ得」を言い立てるのは逆効果であり無責任だと思う。

そもそも人間社会では、と話はいきなり大きくなる。
人間の情報収集能力と認識力に限界があるのは物理的事実である。
神様か仏様でもなければすべての事実を知り確証を得ることはできない。
どんな事件でも事故でも、犯人が逃げて逃げて逃げまくり、証拠隠滅してバレなければ「完全犯罪」「逃げ得」になるのはどうしようもない。何も他人事ではなく、ほとんどの人は大なり小なり事件・事故・イタズラをやらかして「バレずにすんだ」経験があるはずだ。たとえば子供のころのイタズラ、学生時代のカンニング、会社では出張経費のごまかし。本人にとってはラッキーだが周りから見れば「逃げ得」そのものである。
身も蓋もないことを言えば、人間社会の根本原理として不可避的に「逃げ得」が組み込まれている。
それを大っぴら認めてしまうとモラルに悪影響をあたえるので、常識を持った大人は必要以上に「逃げ得」論を吹聴しないものだ。
「逃げ得」を否定する言葉として「天網恢々粗にして漏らさず」というのがあるが、これは事実というより「そうだったらいいのに」という願望でしかない。


今回の福岡の事故の場合、「逃げ得」論がネットで約一万件も出てくるのはずいぶん多い。
最初にも書いたけれど、判決に納得できない人が「悪質な犯人に対して甘すぎる」と怒る気持はわかる。だがその怒りを表すのに「逃げ得」という言葉を使う必要が本当にあるのだろうか。

私は素人なのでよく分からないが、福岡地裁の判決で危険運転致死傷罪が適用されなかったのは検察の主張に確証が得られなかったためらしい。日本の裁判は証拠主義であり、刑事裁判の基本は「疑わしきは被告人の利益に」なのでやむをえないことである。
それでは確証を得られなかった理由が被告人が「逃げた」ためだったかというと、そうとは言えない。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 ◆危険運転致死傷罪の成否についての裁判所の判断】
 被告は相当量の飲酒をした上で乗用車を運転し、本件事故を起こした。当時、被告が酒に酔った状態にあったことは明らかである。しかし被告はスナックを出て、事故現場まで車を走行させてきた間に、アルコールの影響によるとみられる蛇行運転や居眠り運転をしたことはなく、衝突事故等も全く起こしていなかった。

 さらに、被告が当時、現実に道路や交通状況等に応じた運転操作を行うことが困難な心身の状態にあったかどうかについて見ると、スナック前の駐車場を出発後、事故を起こして停車させるまでの約8分間、左右に湾曲した道路を道なりに進行し、その途中の交差点を左折したり右折したりし、幅員約2・7メートルしかない道路でも接触事故等を起こさず、車幅1・79メートルの車を運転していた。

 また、事故直前、被害者が乗ったRV車を間近に発見すると、急ブレーキをしてハンドルを右に急に切り、衝突回避措置を講じている。さらに、事故直後、車が反対車線に進出していることに気づくと、あわててハンドルを左に切り、車線を戻していることが認められる。これらの事実はいずれも、被告が道路や交通状況等に応じた運転操作を行っていたことを示すもので、当時、正常な運転が困難な状態にはなかったことを強く推認させる。

 他方、事故直前に相当時間にわたって脇見運転を継続したという事実は、当時正常な運転が困難な状態にあったのではないかと疑わせる事情と言えるものの、脇見運転を継続していた区間はほぼ完全な直線走路である上、車道幅員は約3・2メートルと広かったこと、被告にとっては通勤経路で通り慣れた道であったこと、交差点を左折してから進路前方を走行している車両は見えなかったことからすると、脇見をしやすい状況にあったと言える。

 また、脇見運転の継続中も蛇行等をした形跡はなく、車を走行車線から大きくはみ出すことなく運転していたと認められるから、漫然と進行方向の右側を脇見していたとはいえ、進路前方に対する注意を完全に欠いてしまっていたとまでは言い切れない。

 そして何より、脇見運転の前後で現実に道路及び交通の状況等に応じた運転操作を行っていたことを併せ考慮すると、脇見運転の事実をもってしても、正常な運転が困難な状態にあったと認めるには足りないと言うべきである。

 さらに、事故前後における被告の言動中には、酒に酔っていたことをうかがわせる事情が存在する一方で、被告がいまだ相応の判断能力を失ってはいなかったことをうかがわせる事情も多数存在する。しかも、事故の48分後に実施された呼気検査の結果において酒気帯びの状態にあったと判定されていることからすれば、酒酔いの程度が相当大きかったと認定することはできない。

 以上を総合すれば、事故当時、被告がアルコールの影響により正常な運転が困難な状態にあったと認めることはできない。


福岡地裁は「危険運転致死傷罪」で規定された「正常な運転が困難な状態」について総合的に判断している。アルコール検査の数値はあくまでも多くの要素のうちの一つにすぎない。
「逃げ得」論は被告人が「逃げ」て「水を飲んだ」ことがアルコール検査の数値を下げたとしているようだが、それには大いに疑問がある。
被告人が事故後「逃げた」のは距離にして300mだという。

車転落事故で飲酒追突の福岡市職員逮捕…長男死亡、犠牲3人に : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 事故は対向車線を走っていたタクシー運転手らが通報。今林容疑者は事故後、すぐに車を停車させず、逃走しようとしたが、約300メートル走ったところで車が故障した。

 署員が駆けつけた時は徒歩で現場に戻っており、「自分が運転していた」と申し出た。


アルコール検査をごまかすため飲んだ水は最大4リットルであり、水を口にすることは警官も認めていたという。

「今林被告は飲酒運転20回」公判で友人証言 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 幼児3人が犠牲になった福岡市東区の飲酒運転追突事故で、危険運転致死傷罪と道交法違反(ひき逃げ)に問われた同市東区奈多3、元市職員今林大(ふとし)被告(22)の第2回公判が19日、福岡地裁=川口宰護(しょうご)裁判長=で開かれ、事故直後、今林被告から身代わりを依頼されて断り、現場まで水を運んだ友人男性の証人尋問があった。

 男性は「警察官が『そろそろ飲酒検知を始める。水を飲むならうがいぐらいにして』と今林被告に話した。『水を飲むな』とは言わなかった」と証言した。

 男性は「2リットルのペットボトル2本に水道水を満タンに入れて運んだ。(今林被告は)少し目が充血していた。酒のにおいがしたが、ふらついて歩いてはなかった」と述べた。


「300m」と「(最大)4リットルの水」がはたしてアルコール検査の数値を下げるのにどの程度役立ったのか。私は医学知識がないのでわからないが、ほとんど効果はないだろうと思っている。
「300m車を走らせて歩いて戻る」ことで稼げる時間はどれくらいかといえば、せいぜい10分だろう。実際のところ「署員が駆けつけた時は徒歩で現場に戻って」という状況であり、逃走は時間稼ぎのためにはまったく役立っていない。むしろ逃げたためにひき逃げの罪が加わり、「逃げ得」どころか逆の結果を生んでいる。
「(最大)4リットルの水」はどうか。劇的にアルコール検査の数値を下げる効果があるのか疑わしい。本当に効果があれば先人によって実践され広まっているはずだ。効果は皆無ではないにしても気休め程度ではないか、というのが私の考えである。被告人を検査した警官が水を口にするのを止めなかった点から見ても、水を飲んでも数値はそれほど下がらないことが推測できる。むしろ裁判官に対して「検査をごまかそうとする悪質さ」を印象付けて逆効果だった。

飲酒追突3児死亡事故・福岡地裁判決要旨 : ニュース特集・なくせ飲酒運転…福岡3児死亡事故 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 ひき逃げの犯行は、酒気帯び運転の発覚を恐れて逃走を図ったもので、その動機は身勝手かつ自己中心的で、酌量の余地はみじんもない。友人に促されるまで事故現場に引き返そうともせず、市役所職員の身分を失いたくないとの自己保身から、友人に身代わりを頼み、浅はかにも水を飲めば飲酒検知の数値が低くなるのではないかと考え、友人に水を持ってきてもらうなどしている。被害者のことなど全く考えることなく、自己保身に汲々(きゅうきゅう)としており、ひき逃げの犯情も誠に悪質である。


こうして自分なりに具体的に考えてみると、今回の福岡飲酒事故裁判において被告人の「逃げ得」は成り立っていないと思う。「逃げた」ことも「水を飲んだ」こともアルコール検査の数値を下げて危険運転致死傷罪の適用を避ける効果があったとは考えられない。
「逃げ得」論を叫ぶ人たちは「数値が0.25mg/Lと低かったのはおかしい、犯人が逃げて・ごまかしたからだ」と考えているのだろうが根拠薄弱である。むしろ警察の検査方法に疑問を抱き批判すべきだ。たとえば「40分後の検査は遅すぎる」とか「検査が不十分ではないか」とか。
あるいは地裁が危険運転致死傷罪の適用を避けた判断を批判するのも結構である。だが、被告人の行動が罪を逃れるために「正解」であるかのような印象を与える「逃げ得」論を叫ぶ必要はない。


具体的な「逃げ得」の事実がないのに声高に「逃げ得」論を叫ぶのは逆効果であり無責任だ。
逆効果というのは頭と良心の弱い人たちが「逃げ得」論を真に受けて「じゃあ俺も逃げてやろう」と思うこと。
無責任というのは、結果的に愚か者を煽って「逃げ得」意識を広めてしまうこと。
仮に福岡地裁の判決が完全な間違いだとしても(私は今のところそう思っていないが)、批判する人たちは「逃げ得」という不必要に劣情を煽る言葉を使わずに「法律の構造的欠陥」や「警察・検察の捜査手法」「裁判官の判断の是非」について具体的に語ってほしい。