玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

給油継続だっちゅーの

2007年10月31日 | 日々思うことなど
福田総理と民主党・小沢代表が国会で会談した。

小沢代表「協力できることは協力」、首相と初の党首会談 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 福田首相(自民党総裁)と民主党の小沢代表は30日午前、国会内で初の党首会談を行った。

 首相は、インド洋における海上自衛隊の給油活動を継続するための新テロ対策特別措置法案について「協力して欲しい」と要請した。

 小沢氏は「特措法は認められない」と反対した。ただ、小沢氏は「一般論として協力できることは協力する」と語り、政府・与党との協議に柔軟に対応する考えを示した。


会談の内容はどうでもいいのだが、というと語弊があるけれど、イデオロギー抜きに判断すれば日本にとって給油活動継続以外の選択はありえないので(雪斎先生のおっしゃるとおり)この会談は結局「小沢氏がゴネるのを福田氏がどうやってなだめすかすか」ということでしかない。「世論も給油継続に固まりつつあるんだから政争はいい加減にしてくれ」(日経世論調査で継続賛成47%・反対35%)というのが正直な気持である。

…で、何が気になったかというと小沢氏の口癖である。

TBS NEWSi 密室での党首会談に憶測や疑問の声 より書き起こし

「何で密室での会談なの?
 総理から、お話し合いをしたいちゅうから、あー、それをじゃ、あの…
 二人で話(はなし)すんのは嫌だって言うわけ?変でしょ?」

顔が怖いとか口調が偉そうだとかは小沢氏の個性としても、「~という」と言うべきところがだらしなく流れて「~ちゅう」になるのが気にいらない。ひどく横着な感じがする。成金マダムが上品な言葉を使おうとして「~でございます」が「~ざあます」になるのと同じくらいみっともない。
もしかしたら岩手県では「~ちゅう」という言い方が普通なのかもしれないが、私のように(他人の)言葉遣いにうるさく重箱の隅をつつき揚げ足を取りたがる小姑根性の有権者もいるのだから、小沢氏は口の動きを節約するよりきれいな言葉遣いに気をつけたほうがいいと思う。

小沢氏とは全然関係ないが、10年ほど前に「だっちゅーの」で一世を風靡したパイレーツのエピソードをひとつ。

西本はるか - Wikipedia
見かけによらず教養があり某クイズ番組で首相や当時の主要政党の党首の名前を一致させるクイズに全問正解した事がある。

意外といえば意外だけど「教養」というほどのことか?
…と思って自分でもやってみたら公明党代表の顔と名前を思い出せなかった。パイレーツに負けた。(公明党代表は太田昭宏氏です)

体験談と武勇伝

2007年10月26日 | 日々思うことなど
自分で人生の修羅場を経験したくはないが他人の壮絶な体験談は面白い。

 ハムスター速報 2ろぐ ここ1週間で起きた修羅場
 ハムスター速報 2ろぐ ここ1週間で起きた修羅場 完結
 ハムスター速報 2ろぐ ここ1週間で起きた修羅場 後日談

「デブでだらしない妻」に浮気された「冷静な夫」の物語。
元のスレッドでもまとめサイトのコメント欄でもはてなブックマーク()でも「面白い!」「>>1はいい奴だ」と賞賛されている。

だが私にはちっとも楽しめなかった。

これは修羅場の体験談というより一種の「武勇伝」である。
>>1の「こんな修羅場でも冷静な俺様」という自己愛が鼻につく。自分を持ち上げるために(元)妻を戯画化するやりかたがあざとい。何が朝青龍だ、「ぶもおおおおおおおおおおおおお」 だ。(元)妻を笑いものにして恥じない>>1は浅はかな下衆野郎としか思えない。
この手の「>>1の自分自慢」スレでは最後にネタばらし(「釣られた奴乙」)をするかスレ住人に突っ込まれてボロボロになるのが2ちゃんのお約束だと思っていたら「後日談」でも「カッコいい俺様」のままなので呆れた。
どこまでナルシストなんだ、お前はキムタクか?
>>1もひどいが自慢話に付き合わされて喜んでいる読者もおめでたい。

こういう話は「妻の浮気をネチネチ責めてたら今度は自分の浮気がバレた、調子に乗った俺バカスwwwwwwwww」といったオチを付けるのが正しい。そうであれば私も「>>1は馬鹿だなあ、でも人間ってこんなものだよな」と拍手したのに。

日本SFの50年

2007年10月22日 | テレビ鑑賞記
最近「SF」という言葉を聴くと旧友にめぐり合ったような懐かしい気持になる。

21世紀を夢見た日々~日本SFの50年~
世界中の若者を魅了するアニメやマンガ、ゲームなどのジャパニーズ・サブカルチャー。その源流をたどって行くと、戦後独自の発展を遂げた日本のSF文学に突き当たる。この夏、横浜で開かれた大規模なSFの国際大会でも、日本のSFにあらためて注目が集った。

日本にSFのファンクラブが生まれて50年。伝説的なSF作家たちのグループ、「SF作家クラブ」が結成されて45年。星新一、小松左京、筒井康隆、手塚治虫など、SF作家クラブのメンバーは、文学の枠にとどまらず多方面で縦横の活躍を果たし、黄金の60年代と呼ばれるようになる。鉄腕アトムやウルトラシリーズなどがそこから生まれていった。彼らが育んだSFの「遺伝子」は、70年代半ばから音楽、映画、小説、アニメへと、さまざまなジャンルに広がり、世紀末を挟んで「オタク文化」の豊穣な世界を作り上げて行った。

高度成長期の日本に生まれ、半世紀を経て世界に認められるようになった、日本SF。その50年にわたる歴史をたどりながら、育まれた遺伝子がどのように発展し現代日本文化を生み出したのかを浮き彫りにする。


私が意識してSFを読み始めたころ(嗚呼なつかしき昭和)、書店には星新一・小松左京・筒井康隆(いわゆる御三家)の作品がたくさん並んでいた。特に各社(早川・新潮・角川・中公)の文庫本が充実していて若年ファンにはありがたかった。
ところが最近は御三家を含めた日本SF、いや海外を含めたSF小説全般の棚がずっと狭くなっていて悲しい。なんだか80年代中ごろのレコード店を思い出す。CDが普及するにつれてアナログレコードの棚が狭くなっていきやがてほとんど消滅した。プロパーSF小説のあとを「継ぐのは誰か?」といえば涼宮ハルヒシリーズのようなライトノベルなのかもしれない。

そんな淋しい話はこれくらいにして、NHKが一時間半にまとめた「日本SF50年史」は懐かしかった。
私の実体験は「浸透と拡散」(70年代半ば)以後のことだが、それ以前のSF史は筒井康隆のエッセイなどで読んでいる。「宇宙塵」から「大阪万博・TOKON5」までの十数年は日本SF創世記であり神話時代の英雄譚といっていい。当時のSF作家は文壇から「子供だましのおとぎ話」と差別され一般社会から「頭のおかしな人たち」と偏見の目で見られがちだったが、それだけにかえって高い意欲と使命感を抱き団結していた。
当時のSF作家たちの親密な交流(いわゆる蜜月時代)、初期のアニメや特撮への協力、月着陸の特別番組、「未来学」、そしてクライマックスとしての大阪万博とTOKON5。どれもSF者の基礎知識だが、写真や動画を見せられ当事者の話を聞くとずっとリアリティがある。自分が生まれる前の話なのに懐かしく興奮する。SFファンの旧友(みんなどうしているだろう?)と山珍居に行ってみたい。エンチャン、ラオーバ、ヒーワン食べたい。

なんだかすっかり回顧モードになってしまったが、日本SFの豊かな資産をもとにした「世界中の若者を魅了するアニメやマンガ、ゲームなどのジャパニーズ・サブカルチャー」は私ごときが何も言わなくても果てしなく発達していくことだろう。まさに日本SFは世界に浸透し拡散しつつある。日本SFとその「子供たち」の未来に幸あれ。

初音ミクとセカンドライフ

2007年10月17日 | ネタとか
唐突だが、初音ミクとセカンドライフは似ている。

…いや、似てないかな、やっぱり。
ちょっと考えてみた。


初音ミクとセカンドライフの共通点

・ 技術的にとってもすごいらしい

・ 初めて見た(聞いた)ときの印象「…ふーん、すごいね」 (うわー、凄いっ!ではない)
・ どうやって遊ぶ(使う)のかよく分からない
・ 何が楽しいのか想像しにくい
・ 遊んでる人がうらやましいと思えない
*あくまでも個人的な感想です*


・ 社会を大きく変えるポテンシャルを秘めているらしい
・ すごさを理解できないと変化に乗り遅れるらしい

  テレビ関係者は「初音ミク」を侮ってはいけない (はてブ
  IT技術者は超保守的、セカンドライフへの無関心が持つ意味 (はてブ

・ 熱心な支持者がいるものの現状では「一部でブーム」に留まる

・ 既成メディアが将来のライバルとして恐れているらしい
・ メディアから「誤解」されると支持者は強く反発する

  「アッコにおまかせ」の初音ミク特集があまりにもひどくて大騒ぎに (はてブ
  今回のTBS初音ミク騒動について (はてブ

  Second Life“不”人気、7つの理由 (はてブ
  second lifeの7つの不人気に対する反論 (はてブ



初音ミクとセカンドライフの相違点

・ 初音ミクは萌え要素が高い

・ セカンドライフの萌え要素はマイナス


・ 初音ミクはオタク系個人ユーザーに支持される
・ セカンドライフはgeekと有名企業が支援する

・ 初音ミクはネットで支持されテレビバラエティーでおもちゃにされる
・ セカンドライフはマスコミでヨイショされネットで馬鹿にされる


結局、萌え要素以外の違いがよくわからなかった。

高校生自殺事件と集団献花

2007年10月16日 | 日々思うことなど
誰のため、何のための献花なのか。

J-CASTニュース : 2ちゃんねらー「薄気味悪い」 神戸新聞不思議なネット感覚
2ちゃんねらーの死者追悼は、軽い、ゲーム感覚、おまけに薄気味悪い。これだけ言われて黙っていられない「ねらー」は多かったようだ。神戸新聞が2007年10月11日のコラムで述べた感想を巡って、2ちゃんねるが祭り状態になっている。きっかけは、2ちゃんねるの有志が、飛び降り自殺した私立滝川高校(神戸市)の3年生の男子生徒を悼んで同校で献花したことだった。

ここで批判されている神戸新聞の記事はお世辞にもよく書けたものとはいえない。
なにより取材が浅い。飯田記者は個人的な違和感に立ち止まったままで「集団献花」参加者たちの心情を掘り下げていない。文章力も物足りない。「ゲーム感覚」という言葉はいかにもマスコミ的なステロタイプだ。実際に「これを見た住人」がそんな言い方をしたのだろうか。記者の創作ではないかと疑ってしまう。
結論の「いじめと容易に結びつくその薄気味悪さ」という断定に根拠が示されていない。読者は飯田記者の感じた「薄気味悪さ」を説明なしに突きつけられて戸惑う。彼がなぜそう感じたのか理解するのは難しい。「2ちゃんねる」や「はてなブックマーク」で酷評されるのも当然だ。

痛いニュース(ノ∀`):【神戸・高3自殺】“2ちゃんねるで集まり献花”に「ゲーム感覚か」の声…他人が集う違和感。ネット中傷。いじめに繋がる薄気味悪さ
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):【神戸・高3自殺】 “2ちゃんねるで集まり献花”に「ゲーム感覚か」の声…他人が集う違和感。ネット中傷。いじめに繋がる薄気味悪さ

だが私は飯田記者の感じた「薄気味悪さ」に共感する。

自分が遺族・学校関係者・近隣住民だとしたら、痛ましい事件の後で「2ちゃんねらー」という(ネットをあまり利用しない人には)正体不明の集団が献花にやってくると聞いたら怪しむだろう。残念ながらというか当然のことにというか、一般人(利用者以外)の「2ちゃんねる」「2ちゃんねらー」に対するイメージは良くない。犯罪予告やネット上の「祭り」を起こす怪しげなサイト・集団という印象が広まっている。「2ちゃんねるの名前を知っているが利用していない」人であれば集団献花を「何かの悪ふざけじゃないか」と疑うのも無理はない。

集団で行動したことで、献花自体が目的ではなく「運動」のための行動と思われたのかもしれない。運動といってもラジオ体操ではなく、「平和運動」や「労働運動」の運動だ。
良いことであっても集団として行動すると周囲に圧力を感じさせ嫌われることがある。たとえば「反戦」。平和主義を国是とする日本で国民が反戦の意思を表すことは良いことに違いない。だが「平和運動」となると左翼運動との結びつきやヒステリックな空想的平和主義者とイメージが重なり眉をひそめる人もいる。一人ひとりが皇室を敬愛するのは結構だが、右翼が集まると威圧的だ。一人のサッカーファンは微笑ましいがフーリガンは嫌われ者になる。献花に訪れる集団が他意(学校・地域への批判や自己宣伝)を隠しているのではないかと疑うことは可能だ。

2ちゃんねるや「運動」の悪印象とは別に、「自殺した生徒のための集団献花」という行動自体にも気味悪さを感じさせる理由はある。
ZARDの坂井泉水さんのように生前から有名な人が亡くなったとき多くのファンが集まるのはわかる。熱心なファンにとっては家族や友人と同じくらい大事な存在を失ったのだから。
警官が市民を守ろうとして殉職した場合に市民が感謝を捧げるのは自然だ。勇気と献身を褒め称えることはほかの警官の士気を高めることにもなるだろう。
交通事故の現場で道路の利用者が花を供えるのも不思議はない。ひとつ間違えば自分が被害者あるいは加害者になっていたかもしれない。事故から教訓をくみとり生かすのが生き残ったものの務めだ。
だが「自殺した生徒への集団献花」の場合、参加者は故人の生前を知っているわけではない。「死」そのものが彼らの関心の中心だ。献花の場所が彼が死を選んだ学校であることもその印象を強める。死の影はあまりにも濃く、前向きな意思(スターや殉職警官への感謝、交通事故防止など)が見えにくい。

集団献花の「正体不明」と「死の影」の悪印象を弱める方法はある。
便宜的に「いじめをなくす若者の会」といったものを作ればいい。集団献花参加者はその会に加入する。「いじめをなくす若者の会」がいじめ自殺に強い関心を持つのは当然であり、「献花によっていじめ撲滅の決意をさらに強める」という前向きな思いを表現することもできる。ただしこの場合「運動」への警戒感が強まるのはやむをえない。



ここまでは「今回の集団献花の方法」に問題がある、という視点で書いてきた。
だが私の本心は、今回に限らず自殺事件全般において「集団献花自体に問題がある」「見ず知らずの他人は献花を控えたほうがいい」というものだ。「死者への追悼を否定するのか」と批判されそうだが、私が問題と思うのは追悼の心情ではなく献花というイベントである。

自殺対策支援センターライフリンク 「いじめ自殺」報道のあり方
「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)

2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。

自殺に関する報道についてのお願い 日本臨床心理士会
2.自殺を美化もしくは正当化するような報道は遠慮されるよう希望します。
 たとえば「死ぬよりほかに道はなかった」「死によって○○を守った」というような報道は、自殺を美化したり自殺を正当化したりして、さらなる自殺を助長しかねません。

3.自殺を単純な因果関係で報道することに関して熟慮されるよう希望します。
 自殺は単一の原因から生じるものではなく、社会・環境要因や個人内の要因などが複雑に絡み合って発生する現象です。その複合性を無視して、ひとつの要因から自殺が起こったように断定して報道することは、自殺防止に逆効果であるばかりか、その予防策を阻害するおそれがあります。

いじめ自殺を防ぐために2006
自殺の連鎖とマスコミ報道

 マスコミ報道が自殺の連鎖を生んでいることは確かでしょう。しかし、だからといって報道しない方が良いのかといえば、もちろん違います。問題は、どのように報道するかです。

 まず、メディア側も、読者、視聴者の側も、大きな自殺報道は自殺連鎖を生む危険性が大きいことを自覚しなくてはなりません。

 自殺現場の映像を繰り返し放送する。自殺方法を詳しく報道する。遺書の内容も詳しく知らせる。これらは、自殺連鎖の危険性を増加させます。

 もっとも危険なのは、自殺を美化すること、あるいは自殺が「成功」したというような報道です。たとえば、自殺したことで、亡くなった子はみんなから同情され、いじめっ子は懲らしめられ、大人たちは深く反省したといったふうに、まるで自殺してよかったと言っているかのような報道は、とても危険です。

 諸外国では、自殺報道の内容に注意を払い、さらに大きな自殺報道をする場合には、必ず自殺予防の情報を付け加えることになっています。


引用記事は自殺報道が新たな自殺を誘発する危険性を警告している。
集団献花参加者はなにも自殺を美化することや報道されることを目的に献花を行ったわけではないだろう。だが実際のところ神戸新聞読売新聞神戸版J-CASTニュースが記事にしており、神戸新聞以外は献花を肯定的に伝えている。

いじめに悩む少年少女がこれらの報道を見たとき「自分は今はいじめられているけれど、死ねばたくさんの人が花を供えて泣いてくれるんだ」と思いはしないだろうか。死ねば世の中に温かく受け入れられるという期待に心を動かすことはないだろうか。「自分の遺影」の前に多くの花が並ぶのを想像し、それを美しいと感じることはないだろうか。
「そんなことはありえない」「心配する必要はない」と言い切れる人は集団でも個人でも自殺者のため献花すればよい。
だが私は死神の誘惑を無視することはできない。自分が献花を行い、それが報道されることによって誰かが死に誘われる可能性を否定できない。だから私はこれまでも、そしてこれからも自殺者に「花を供える」ことはしない。
ここに書いたのはあくまでも自殺者への「生前は見ず知らずだった他人」の献花についてである。いくら心の冷たい私でも、家族や親戚、友人や地域住民が死者を悼むことまで否定はしない。だが、マスコミが葬儀のありさまを報道することには反対だ。自殺事件において「死者を追悼し慰める」行為が誰かにとって死の誘惑となりうるのだから。

私の散歩コースの途中に渓谷を渡る橋がある。橋の長さは約200メートル、高さは30メートルほどある。
半年ほど前、その橋で飛び降り自殺があった。それ以来橋の真中あたりの欄干に絶えることなく花と菓子などが供えられている。私はそこを通る時つい足を止め橋の下に目をやる。きらきら光る水面に見とれ、流れる水の冷たさ、川底の石の硬さを想像する。「ここで飛び降りれば確実に死ぬな」という思いが頭をよぎる。一瞬、背中に寒気を感じて足早に歩き出す。
普段はそれだけのことだが、ひどい鬱状態であれば立ち去りがたくなり身を乗り出して川に見入ったりするかもしれない。


今回の集団献花に参加した人たちの心情は私にはよく分からない。
幸運にもこれまでいじめの被害にあったことがなく、加害者にもならずにすんだためだろう。自殺しようとしたことはないし、自ら死を選んだ友人もいない。神戸の事件と自分との心理的距離は遠い。
もしかしたら献花参加者たちはいろいろな形でいじめを経験してきたのかもしれない。自殺を図ったり大事な人を自殺で失ったのかもしれない。そう考えると彼らの心情が想像しやすいが、実際のところどうなのかは知らない。

飯田記者は献花参加者の心情を「軽い」と書いているが、私はむしろ「過剰さ」を感じた。
「軽い」というと思い付きとか気まぐれといったことを連想するが、たぶん彼らの心はそういったものではないはずだ。真面目に心を痛めてやむにやまれず行動したのだと信じる。
私の感じている「過剰さ」とは、報道をそのまま自分の痛みとして受け取る純粋さ、気持をそのまま行動に移す決断、献花への疑問・批判に反発する意識、といったようなことだ。あるいは飯田記者が「いじめと容易に結びつく薄気味悪さ」と表現したのは私の感じた「過剰さ」のことかもしれない。

集団献花参加者と支持者の心情については「はてな匿名ダイアリー」の記事がよく伝えているように思う。

http://anond.hatelabo.jp/20071013041059
善い行いをしたくて献花に行った人はいないだろ。

理由は他にも色々あった。

献花に行った人は善意を周辺の人に感じてもらおうなんてことはまず思ってない。

正論を通したくて行った人なんてほとんどいないだろう。自分たちがおかしい事も承知だが、この出来事そのものに未消化の気持ちを抱えていた。

俺はこの話題を追っていたけれども、抗議や怒り、疑問、弔いの意味を持つ献花行動でもあった。

○○だからするな、気持ち悪い、間違っている、考えろ、遺族が、なんて気持ちはその前に対して糞の代わりにもならないと思っている。

今回のは見てて善い行いしたなぁという感じではなかった。人が自分たちの善意を感じてくれるかも全くといっていいほど考えてなかったよ。



善意の献花とかいらないから色々な事が渦巻く他の人の考えなんか自分のこの行為においてどうでもいい。そういう献花だったと思う。

人にどう見られるかを考えて献花した人はほとんどいないだろう。特にこの行為に批判的になるだろう人に対して自分たちがどう見られるかを気にしてなんてことはね。


地上に生きるあらゆる人々にどうか幸あれ。


参考記事
 文章力のなさに隠れた責任逃れ - 水平線以東
 献花はすればいい、だけど
 sokの日記: 滝川高校いじめ自殺事件と献花オフについて
 メディア ~2ちゃんねるで集まり献花、について~: John's Notes ~センザンコウを求めて~ β版
 髭暴社 - 秘芸ちよ - ネットにあるどこかのだれかの提案にリアクションする、という違和感

弁護人の職務

2007年10月15日 | 光市母子殺害事件
刑事裁判における弁護人(弁護士)の職務についての対話を2ちゃんねるより引用する。


光市母子殺害事件弁護団vs橋下弁護士 第8回口頭弁論
728 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:25:43 ID:eh6oomBp0
実際のところ、世間を気にするようになった今枝弁護士は、
「弁護人として」不適格と判断されたのかもな。
今枝弁護士の描く弁護士像はそりゃ理想的かもしれないが、
ボランティアで20人以上の弁護団という「特別待遇」だからこそ、
今回のような活動ができたわけで。
つねに一線にいる安田弁護士なんかにしてみれば、
弁護士がそこまでして当然と世間にとられるのは、
弁護人としての負担を増やすことになるから困るのだろう。

729 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:27:55 ID:ER4Jn5V80
>>728
法は社会秩序維持の為にあり
裁判が勝てばいいゲームじゃない

法学部でも教えてるだろ


731 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:30:46 ID:XIMacuLb0
>>729
考え方が逆
弁護士が被告の利益を守ることで、社会秩序が維持されるんだよ


733 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:35:34 ID:ER4Jn5V80
>>731
そんな事はない
罪に対して、妥当な罰を与える事も重要
ただ単に被告の利益になれば良いものじゃない



738 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:39:32 ID:XIMacuLb0
>>733
裁判やることで妥当な罪が決まるんであって、はじめから「これが妥当な罪」だなんて
決まってるわけじゃない
だから、弁護士も検察もとにかく裁判に全力を尽くすことが重要なんだよ
それが妥当な罪を決めることになり、ひいては社会秩序を維持することになる


742 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:42:46 ID:ER4Jn5V80
>>738
だから減刑ゲームじゃないんだよ

今枝プログ<「書いて欲しいだろ」
今枝も、まったく同じ疑問を持ってるだろ
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490


743 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:46:10 ID:XIMacuLb0
>>742
誰も減刑ゲームだなんて言ってないよ
弁護士は刑を軽くしようとする、検察は厳罰に処そうとする
それを裁判官が総合的に判断することで妥当な罪が決まるんだよ
あなたの味方は単純で一面的すぎるんだって

744 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:47:17 ID:ER4Jn5V80
>>738
弁護士も疑問に思うことを
私は疑問に思わないと言ってまで
減刑ゲームするのは、社会秩序の維持からはなれ
妥当な罰を与えるとは言えないんだよ


745 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:50:08 ID:XIMacuLb0
>>744
それは論点がずれてるよ
罪の重さを決めるのは弁護士じゃなくて裁判官だから、弁護士が減刑を求めたからって
おかしいことにはならない
そもそも、はじめから「妥当な罪」なんてモノが決まってるなら裁判する意味ないじゃん

746 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:55:06 ID:ER4Jn5V80
>>743
根拠のない発言、可能性の低いものは
弁護士だからと許される物ではない
裁判官の判断を惑わすだけだ


747 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:55:52 ID:tfdgvxxm0
>>745
 そう,人間は神ではないから絶対に動かない真実とか妥当な結論に到達することはできない。
しかし,利害相対立するものに真摯に事実を競わせてより真実に近づくことができるというのが
長年にわたって築きあげてきた裁判制度の骨格なんだよね


748 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:56:50 ID:tfdgvxxm0
>>746
 根拠がない可能性が低いって誰が決めるんだ?

749 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:58:26 ID:BchcjDM50
>>747
その為には手続きを保障して主張漏れがないように・・・
という方針じゃなかったっけ?今枝さんは。
死刑に相当するような事案だけに。

750 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:58:30 ID:XIMacuLb0
>>746
被告人が言ってるなら仕方ないじゃん
訴えられてる本人は、あくまで被告人であって弁護人じゃないんだから
被告人の言うことは尊重しないといけない

被告人にしてみれば、自分の生死が関わってるのに自分の考えを
主張できないなんておかしいし、それじゃ真実が明らかにならないだろう


752 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:59:38 ID:ER4Jn5V80
根拠が無くても私も信じられると言うならそれは妥当だが
今枝ちゃんは、自分も違うと思ってたとプログで言っちゃってるわけで
それは、正当な弁護とは言えない

>>748
弁護人、そう思う場所には触れなけばいいだけ



753 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:00:11 ID:eNdqEnO50
>>746
裁判官の有罪心証を惑わすのが弁護人の仕事ですが・・・

754 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:01:06 ID:XIMacuLb0
>>752
根拠がないって弁護士が勝手に判断して、被告人の主張を握りつぶしたら
その方が問題だって

755 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:01:42 ID:ER4Jn5V80
>>750
弁護人は被告に絶対服従ではないよ
意思の賛同は、弁護士個人の問題

757 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:03:06 ID:ER4Jn5V80
>>754
>>根拠がないって弁護士が勝手に判断して、被告人の主張を握りつぶしたらその方が問題だって
主張はさせれば良いじゃん
賛同してやる必要はないけど


759 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:03:49 ID:tfdgvxxm0
>>755
 賛同という問題ではない。
被告の主張を握りつぶすことはできないと言っているんだ。

762 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:05:19 ID:tfdgvxxm0
>>757
 言わせるだけ言わせて,自分は知りませんなどと言うことはできない。それは,被告人を
見捨てたことになる。

764 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:05:46 ID:XIMacuLb0
>>757
主張はしても賛同する必要はないって、、
法廷で被告人が主張したことを、弁護人が「私は被告人の主張に賛同できません」
って言うのか?
そんな弁護人は訴えられると思うけど

767 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:11:26 ID:ER4Jn5V80
>>被告の主張を握りつぶすことはできないと言っているんだ
だから主張はさせればいい
私は疑問に思わないと言う必要はない
現に疑問に思ってるんだから

769 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:14:43 ID:ER4Jn5V80
>>764
何も言わずに、妥当な部分のみ弁護すればいいんじゃない
もしくは、可能性は低いし私も賛同しかねるが確固たる意思を持って主張してる以上
裁判官に判断をゆだねますと言えば良いだけ


770 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:22:11 ID:BchcjDM50
>>769
みんな吃驚しちゃってるんじゃないか?w
それじゃあ検察が反対すれば時には
「私もそうかもしれませんと思いますが、被告は反対の模様です」って言うのか?w

771 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:25:05 ID:ER4Jn5V80
>>770
弁護を降りれば良いじゃないか


787 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:44:19 ID:519iRWIf0
>>769
分かりやすいように解説

・ 弁護人て誰のために活動するの?
  → 被疑者被告人の利益のため(無罪獲得、量刑を軽減させるため)
・ 弁護人は誰にどういう義務を負っているの?
  → 被疑者被告人に誠実義務を負っている。
・ 世間に対する道義的な説明義務は?
  → 誠実義務に勝る「道義的義務」なんてあるわけない。
・ では、被告人はやっていないと言っているけど、弁護人は証拠から
  やっていると判断。色々説得したが被告人は意見を変えない。
  国選弁護人の場合、辞任はできない。第1回公判で被告人は
  犯人性否認、弁護人は意見陳述で「全面に認める」「一部認める」
  といえるか。
  → 言ってはいけない。言ったら誠実義務違反で100%懲戒になる。
    留保は事情によってはありだが、最終弁論までに被告人が見解を
    変えない場合は、弁論では当然被告人の意見に沿うようにする。
    有罪弁論なんてしたら100%(ry
・ 逆に、被告人が認めているのに、弁護人が否認できるか?
  → 例えば、前科10犯の被告人がやってないのに捜査段階で誘導される
   ままに自白、面倒くさくなって公判でも意見を変えない場合であっても、
   弁護人は証拠から無罪と思えばそのように意見陳述できる。
   理由は、被告人の利益になるから。実際そうやって、一部無罪になった
   事例を知っている。

 

789 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:46:45 ID:ER4Jn5V80
>>787
だから答えなければ良いんだよ
責任能力で争ってるんじゃないんだからさ


791 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:48:50 ID:519iRWIf0
>>789
じゃあ、冒頭手続の意見陳述は沈黙、証拠意見も沈黙、
弁論要旨は提出せずってこと?

職務怠慢で100%懲戒w


793 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:50:04 ID:BchcjDM50
>>791
「降りる」んでしょうな。

794 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:51:04 ID:519iRWIf0
>>793
私選は降りられるが、国選は裁判所から解任されないと降りれない。


821 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 00:09:11 ID:3KP4rQ6W0
>>791
誰も引き受けないほど
酷い被告ならそれ仕方ないんじゃないの?
弁護士だけ無責任に吼えるだけで良いって方がおかしい




827 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 00:57:19 ID:CPBxUd4K0
>>821
酷い被告人でも必要的弁護事件なら絶対弁護人がつく。
誰かが引き受けなくてはならない。
弁護人は貴方のような無責任な外野とは違うんだよ。
そして被告人がどんな主張をしようと被告人の防御権を保護し、
唯一の見方になるのが弁護人。
刑事訴訟法は、適正手続を確保するためにそういう制度を置いている。
刑事訴訟法に文句があるなら改正活動でも何でもして下さい。
でも、制度の理念に従って活動する弁護人を、無知な人間が
不相当な手段で叩くことなど認められない。


826 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 00:44:51 ID:+yrsSw/q0
>>787
横レスですが良ければ教えてください。

・では、被告人はやっていると言っている。弁護人も証拠から
 やっていると判断。色々話している内、犯行前後の事情に関して
 被告人はびっくりぎょーてんの主張を始めた。初めは眉唾だったが
 じっくり聴いている内、信じることはできるようになった。しかし
 それをそのまま公判で主張することは、却って被告の不利益になるの
 ではないだろうか、裁判官の心証を悪くするのではないだろうか・・
 と迷う疑う・・というようなケースはありますか? あれば、どうするの
 でしょう?

829 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 01:16:43 ID:CPBxUd4K0
>>826
「信じることができるようになった」のには、
何らかの理由があるはず。
客観的証拠と被告人の主張が符合するとか、
被告人の供述に迫真性があり信用性が高いとか、
被害者の供述の信用性が低いとか、
もしくは新証拠を収集できたとか。

その理由に従って訴訟活動(証拠の提出、P提出の書証を
不同意、証人尋問、被告人質問その他)を行い、
最終弁論で自分が信じることができた理由を述べる。

もし、被告人の主張が「それもありえるかも」レベルで、
証拠を精査するとその主張を立証しきれるかどうか分からないときは、
その旨正直に本人に伝える。最終的な判断はあくまで被告人にある。

被告人の主張が「全然ありえない犯人性否認」なら、
最初は自分が「ありえない」と思う理由(客観証拠と符合しない、
被告人の供述の不合理さ等)を述べて、その主張を維持するとどういう
不利益があるかということを、徹底的に説明する。
それでも納得しなかったら、私選なら降りると思うが、国選なら原則
被告人の主張どおりに主張する。但し、そこに上手い具合に情状にも
なりうる事実ももぐりこませる。そこらへんは技術。


833 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 01:54:56 ID:3KP4rQ6W0
>>827
結局、宅間の弁護は誰も出来なかったじゃねぇか
安田魔人なら出来たとでも?
寝言は、弁護を受ける意思の無い被告を弁護する方法でも考えてから言え
絶対、弁護が必要だが
出来ない物は仕方ないんだよ


855 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 09:31:40 ID:/CDv4ptA0
>>833
 宅間の事件もちゃんと弁護人が付いて,弁護しています。

一 弁護人らの主張の要旨
 弁護人らは、判示第一及び第二の殺人、殺人未遂等の犯行(以下、これらを「附属池田小学校事件」という。また、本項におい
ては「本件」または「本件犯行」ということがある。)の当時、被告人は心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張する。

                                                      大阪地裁平成15年8月28日判決より

856 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 09:34:20 ID:Xi+16pzj0
結果、宅間は死刑。


858 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 09:49:54 ID:5CEidZsp0
>>855
単発で話の流れも読まずレスしてるけどハァ?
>>被告人がどんな主張をしようと被告人の防御権を保護し、
>>唯一の見方になるのが弁護人。
被告の主張は死刑でいいなんですよ?
どの辺が被告の味方なの?
>>心神喪失もしくは心神耗弱の状態
「もう、ええからさっさと死なせてくれや、貧乏ばっかりで詰らん人生やったわ」
どの辺が被告の味方なの?



859 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 10:04:16 ID:/CDv4ptA0
>>856
弁護人が,言い分を尽くして死刑なら良いんじゃないですか?

>>858
 被告人が死刑を望んでも,被告人の正当な利益を保護する弁護人は死刑回避の主張をしなければならない。
精神の病気のせいで,死刑を望んでいることもあるからね。

 身代わり犯人の場合だとわかりやすいだろ。被告人が罪を認めても,弁護人は証拠との矛盾を指摘して無罪
を主張することは許される。というか,しなければならない。


私は職業倫理に則り誠実に職務を遂行する弁護士を尊敬し応援します。

「橋下弁護士を応援します」

2007年10月11日 | 光市母子殺害事件
「わかりやすく」「熱い」主張で人気を集め、光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求を扇動した(支持者は「方法を紹介しただけ」というが私にはそうは思えない)橋下弁護士。
私は彼の弁護士としての誠実さを全く評価できない(*)のだが、橋下弁護士を応援する人は世の中にずいぶん多いようだ。

橋下 応援 - Google 検索

  橋下 応援 に一致する日本語のページ 約 202,000 件

橋下弁護士を応援するブログをいくつか見たところ、弁護士と被告を同一視したり、「弁護士が国民を見下している」と怒っていたり、弁護団のやり方が「人として許せない」と憤慨している人が多いようである。
応援ブログの雰囲気が何かに似ていると思ったら、2005年2月にライブドアがニッポン放送株を買収しようとしたころの「ホリエモン応援団」だ。あのときはフジサンケイグループのみならず「ライブドアが買収したら出演拒否」と報道されたタモリや中島みゆきに怒りをぶつける善良なホリエモンファンがたくさんいた。

玄倉川の岸辺 タレントにはファンを大事にする義務がある     …のか?
玄倉川の岸辺 愛を要求する根拠

当時のホリエモンファンの声。

どこまでもやるにきまってるじゃーん♪|仮想的現実な日々
堀江さんがどこまでやるかって?
どこまででもやるにきまってるじゃーん♪

見た目はアホだが、彼はそれほどアホではない。
必ず『Plan B』を持っている。

大御所たちにがっかり|仮想的現実な日々
ファンを一番大事にしなければいけないのは出演者ではないのか?

経営者が変わったからといって番組を降りる、そんな決断をする人にファンがつくのか?
がっかりするだけじゃん?

どれほど自分に自信を持っているのか知らないが、視聴者をなめるのもほどほどにしておいた方がいい。

絶対しっぺ返しを食らうぞ!

何もかもみな懐かしい、というかなんというか。
あのころ暑かった熱かったホリエモンファンたちは今どうしているのだろう。

ホリエモン 応援 - Google 検索

  ホリエモン 応援 に一致する日本語のページ 約 448,000 件

ヒット数は多いけれど最近の記事は少ないようだ。



ついでに最近話題になったり物議をかもした人たちについて「応援」検索ヒット数を調べてみた。

福田康夫 応援 に一致する日本語のページ 約 477,000 件

  キャラクターが地味なわりに「応援」ヒット数が多いのは総裁選の影響か。

小沢一郎 応援 に一致する日本語のページ 約 271,000 件

  政権を本気で目指すには「応援」が足りない気がする。

安倍晋三 応援 に一致する日本語のページ 約 636,000 件

  ヒット数は多いけれど皮肉や批判がたくさん混じっていそう。

麻生太郎 応援 に一致する日本語のページ 約 449,000 件

  熱烈なファン多数。麻生さんの強みであり心配なところでもある。

朝青龍 応援 に一致する日本語のページ 約 592,000 件

  マスコミでは批判ばかりだがネットではかなり応援されている。

沢尻エリカ 応援 に一致する日本語のページ 約 1,770,000 件
エリカ様 応援 に一致する日本語のページ 約 568,000 件

  クククッ、圧倒的じゃないか、我が軍は…




番外
河村たかし 応援 に一致する日本語のページ 約 36,200 件

  人望なさ過ぎて笑った。さすがたかし、がんばれたかし。

煽る弁護士、勇気ある弁護士

2007年10月03日 | 光市母子殺害事件
橋下弁護士が「世間」に光市事件弁護団への懲戒請求を煽った番組である「たかじんのそこまで言って委員会」の掲示板で興味深い議論が行われている。

たかじんのそこまで言って委員会|大会議室 橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴

懲戒請求の“総本山”だけあり、最初のうちは「弁護団けしからん」「世間と常識が許さない」「懲戒請求は当然」という雰囲気だが、一人の勇気ある発言者によって次第に流れが変わってきた。
Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2007/09/12 (Wed) 21:58
  名前:すちゅわーです 年齢:35歳 性別:女

  私は大阪で弁護士をしています。
弁護士の意見は、おそらく100人中、99人までが、橋下弁護士の行ったことに対して憤りを感じるでしょう。
なぜなら、彼の行ったことは、弁護士としての最後の砦になる良心までなくしたことになるからです。
弁護士の良心というのは、例え世界中の人たちがバッシングしても、被告人、依頼者の正当な利益を守ることにあります。


大阪(奇しくも橋下弁護士と同じ)の弁護士「すちゅわーです」さんが弁護士の職務、法廷のルール、憲法の規定、日本は法治国家であり「世間」至上主義は人治につながる危険があること、懲戒請求には責任が伴うことなどをていねいに説明している。
あえて言ってしまうが、ほかの人の意見は後にして「すちゅわーです」さんの発言だけ抽出して読むことをお勧めする。とても勉強になるし、論理的で上手な文章を読むと自分の頭の中が整理され賢くなったようで気持ちいい。

もちろん「たかじん委員会」掲示板に書き込むことで「すちゅわーです」さんに個人的な利益は生じない。ギャラが発生することも名前が売れることもない。それでも「敵地」に乗り込んで責任感と良心から長文を書き続ける「すちゅわーです」さんの勇気と誠実さに敬意を抱かずにはいられない。
弁護士として、それから「人として」立派なのは橋下弁護士のような無責任な煽り屋ではなく「すちゅわーです」さんのような人だ。

職業倫理と「人としての倫理」

2007年10月03日 | 光市母子殺害事件
橋下弁護士のブログを読んであきれた。

橋下徹のLawyer’s EYE : 原告今枝弁護士へ

思い付きを並べた散漫な長文で、引用しようにもどこを選べばいいか迷う。
橋下弁護士の考え方が端的にあらわれた一行だけ引用しよう。

簡単に言うと、「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずあるだろう」と。

私はこれを読んで「なるほど橋下氏が弁護士失格と言われるわけだ」と納得した。
たぶん多くの人が「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずある」という橋下氏の言葉に何の問題も感じないだろう。私は職業倫理と「人としての倫理」を対立させる誤解(あえて誤解と言い切ってしまおう)が「世間」の感情的な弁護士批判の元になっているように思う。
(余談だが「人としての倫理」という言葉はちょっとおかしい。「人」の倫理のほかに「ライオンとしての倫理」とか「電車としての倫理」とか「山としての倫理」が存在するだろうか。「人として」などと大げさにせず「基本的な倫理」とか「社会倫理」でいいはずだ。「人として」を強調するのは「批判する奴は人間失格」という決め付けが隠れているようで嫌な感じがする)


「プロフェッション」という言葉がある。
…と書いてはみたものの、実は私自身プロフェッションの意味について充分に理解しているわけではない。以前ある本でプロフェッションの特質について書かれているのを読み「なるほどそういうことか」と感心したのを覚えているが、その本が誰が書いた何という本だったのかどうしても思い出せない。ネットや図書館で少し調べてみたものの、あの本ほど納得できる説明は見つけられなかった。
だから、以下に書くのは素人の手探りである。

プロフェッションの歴史的発展
 プロフェッションの概念は、西欧社会の中でどのように形成されてきたのであろうか。語源的には、プロフェッションは、プロフェス(Profess)--信仰を告白する--という言葉から派生したものであって、非常に宗教的ひびきをもった言葉である。また沿革的にも、初期のプロフェッションは教会と強い結びつきがあったといわれる。
(中略)
初期のプロフェッションは教会の強い影響のもと大学の中で育ってきたのであり、中世ヨーロッパの大学は、それゆえにプロフェッションのための訓練所でもあったのである。このことは、当時の大学が、一般に神学(Theology)・法学(Law)・医学(Medicine)、の三つの学部から成っていたこと、そして当時のプロフェッションが、聖職者・弁護士・医師に限られていたことによっても知ることができよう。


第18回日司連中央研修会 基調講演法律家としての倫理
倫理的な法律家とは、「プロフェッションのあり方について、見識を持ち、正しい法実践をすることのできる法律家」だという。そして、プロフェッションとは、「学識に裏付けられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的奉仕活動を行い、よって社会全体の利益のために尽くす職業」のことを言う。


弁護士という職業は誕生したときから神と自らの良心への誠実を誓うプロフェッションだった。プロフェッションの根本は高度な専門知識と厳しい職業倫理である。職業倫理は「人としての倫理」を無視したものではない。聖職者のプロフェッションも弁護士のプロフェッションも医師のプロフェッションも、人としての倫理をはみ出すものではなくむしろ素朴な倫理観を専門知識と良心によって深めたものである。
たとえば聖職者は信仰を通じて世の中のために善行を行う。神は善であり、神の命じることは善である。もし彼が「神が悪を命じる」ことがあると信じるようになれば聖職者でいられないだろう。
同じように弁護士も法秩序の正義と弁護士の職業倫理を信じなければ職務を果たせない。職業倫理を守り、それを高めることによって正義が実現されると確信しなければ誠実な弁護はできない。そもそも「悪人(と世間からみなされる被告人)の味方となり代弁する」刑事弁護人の仕事は職業倫理と責任感の助けなしには困難だ。

ところが橋下弁護士は、弁護士の職業倫理が「人としての倫理」とは別に存在していると思っているようだ。(「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずあるだろう」
もし弁護士の職業倫理が基本倫理に反したものであるなら問題だが、もちろんそんなことはない。橋下弁護士が「世間」に光氏母子殺害事件弁護団への懲戒請求を煽る根拠に利用した「弁護士倫理規定」を読んでも「人として」許せないようなことは書かれていない。弁護士の職業倫理が「人としての倫理」を基にしているのは当然であり、それはパンなしのトーストが存在しないのと同じだ。

橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護団の手法に倫理的問題があると考えているなら、まず弁護士倫理規定を用いて批判すればよかった。第一条には「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と祉会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。」とあり、「過度の情報公開が被害者家族の基本的人権を侵している」といった批判をすることは充分可能だ。「『社会正義の実現』のために世間に対して説明責任を果たせ」という批判だってできなくはない。
あるいは橋下弁護士が「弁護士倫理と『人としての倫理』の間に容認できないズレや矛盾がある」と考えるなら、彼がすべきなのは弁護士倫理を基本倫理に沿うように改めることだ。橋下弁護士が引用した佐藤彰一教授はそのようなことを言っているのだろう。具体的な改善案がどんなものになるかわからないが、理にかなうものであれば弁護士からも「世間」からも歓迎されるはずだ。

だが橋下弁護士は弁護士倫理の向上・改善を呼びかけるより、弁護士倫理を(一時的に?)放棄して「人としての倫理」に従えと叫ぶ。
彼のいう「人としての倫理」とは「世間」や「空気」のことだろう。弁護士倫理に畏れを抱かず、世間に媚びるのを邪魔する障害物とみなしているようだ。橋下弁護士の文章からは弁護士の職責の重さ、職業倫理の厳しさが感じられない。私が「弁護士失格」と感じたのは彼が「自分が弁護士であること」「弁護士倫理を守ると誓ったこと」を忘れた無責任な弁護士批判をしているからだ。
職業倫理を軽んじるものは誠実な職業人とはいえない。「信仰告白」を語源としたプロフェッションであればなおさらのことだ。橋下弁護士が「弁護士倫理など二の次でいい、人としての倫理のほうが大事だ」と考えるなら、バッジを外して一般の道徳家として生きるほうが彼自身にも依頼者にも幸せだろう。