憲法も知らず、政治と皇室のデリケートな距離感も知らず、小沢一郎という政治家はいったい何なのだろう。
小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回 - MSN産経ニュース
「憲法を知らず」前の会見で威勢のいい国事行為論をぶちあげたことはまあいい(いや、ちっとも良くはないが)。
私自身も憲法をよく知らないし、過ちを認めて撤回するのは潔い。とはいえ、小沢氏の国事行為論を支持した人たちはハシゴを外された思いだろう。ちょっぴり気の毒だ。
だが、「政治と皇室のデリケートな距離感を知らず」政権をとったら天皇陛下を好き勝手に利用できると思い込んでいるのは恐ろしい。政治と皇室、皇室と政治の関わりは謙抑的でなければならない。「使えるカードはなんでも使う」のが政治だとしても、皇室は気軽に使えるカードではない。憲法上の問題、国民の理解、これまでの慣習、そういったものをクリアしてやっと「皇室カード」を(多少は)政治的に使うことができるのである。
最悪なのが「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」と繰り返したことだ。なんなのだろう、この思い上がりは!無神経というか不遜というか、人として最低だと思う。
天皇陛下が生々しい政治的発言をなさらないことは誰でも知っている。誰かが「天皇陛下は喜んで会見してくださるはずだ」と言おうが「きっぱり断りたかったに違いない」と断言しようが、「それは違う、私の考えはこうだ」とは明らかにできないお立場だ。その天皇陛下に勝手に成り代わって自分の意見を述べる、国民に押し付けるというのはたいへん卑劣で傲慢なことだ。
歴史的に見ても、権力者が「大御心を忖度」して自らを正当化するのは危険だ。あまり激しい言葉は使いたくないが、天皇制ファシズムの萌芽を感じてしまう。小沢一郎は統帥権を振りかざす軍人が国政を壟断した昭和初期を再現させたいのか。
そのあたりのことは宮島理氏が厳しく批判している。
小沢一郎の幼稚なデモクラシー観:フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997
まことにその通りでなにも付け足すことはない。
憲法も知らず、政治と皇室のデリケートな距離感も知らない小沢一郎という政治家は危険だ。
小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回 - MSN産経ニュース
民主党の小沢一郎幹事長は21日午後の定例記者会見で、天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見を「国事行為」と論じていた点について、「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回した。
そのうえで小沢氏は「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」と述べ、外交要人とのご会見も、内閣の助言と承認に沿って行われるべきとの考えを示した。
また、「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」と述べた。
「憲法を知らず」前の会見で威勢のいい国事行為論をぶちあげたことはまあいい(いや、ちっとも良くはないが)。
私自身も憲法をよく知らないし、過ちを認めて撤回するのは潔い。とはいえ、小沢氏の国事行為論を支持した人たちはハシゴを外された思いだろう。ちょっぴり気の毒だ。
だが、「政治と皇室のデリケートな距離感を知らず」政権をとったら天皇陛下を好き勝手に利用できると思い込んでいるのは恐ろしい。政治と皇室、皇室と政治の関わりは謙抑的でなければならない。「使えるカードはなんでも使う」のが政治だとしても、皇室は気軽に使えるカードではない。憲法上の問題、国民の理解、これまでの慣習、そういったものをクリアしてやっと「皇室カード」を(多少は)政治的に使うことができるのである。
最悪なのが「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」と繰り返したことだ。なんなのだろう、この思い上がりは!無神経というか不遜というか、人として最低だと思う。
天皇陛下が生々しい政治的発言をなさらないことは誰でも知っている。誰かが「天皇陛下は喜んで会見してくださるはずだ」と言おうが「きっぱり断りたかったに違いない」と断言しようが、「それは違う、私の考えはこうだ」とは明らかにできないお立場だ。その天皇陛下に勝手に成り代わって自分の意見を述べる、国民に押し付けるというのはたいへん卑劣で傲慢なことだ。
歴史的に見ても、権力者が「大御心を忖度」して自らを正当化するのは危険だ。あまり激しい言葉は使いたくないが、天皇制ファシズムの萌芽を感じてしまう。小沢一郎は統帥権を振りかざす軍人が国政を壟断した昭和初期を再現させたいのか。
そのあたりのことは宮島理氏が厳しく批判している。
小沢一郎の幼稚なデモクラシー観:フリーライター宮島理のプチ論壇 since1997
相変わらず何もわかっていない。ビジネスや地方自治レベルの規制は可能な限り緩和していくべきだが、天皇や国家統治に関わるルールは次元が違う。法律の条文だけを絶対視して、慣習、慣例、法解釈を無視する姿勢こそが「いつか来た道」なのである。
戦前も、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」という条文を絶対視した軍部および軍部の後押しを受けた国会議員によって、統帥権干犯問題が起こり、天皇機関説が捨て去られ、議会政治は死んだ。天皇の“お気持ち”が勝手に作られ、政治は超法規的に進み、統制経済と一億総玉砕の道を歩むことになった。
法律の条文だけを絶対視して、慣習、慣例、法解釈という法の支配を無視する姿勢こそが、結果的に法律をなきものにする超法規的政治につながったのだ。
今回は、軍部ではなく民主党が暴走するのではないか。そういう不安があるからこそ、小沢幹事長への批判が強まったのである。
最初は宮内庁への対抗心で熱くなっただけかと思ったが、相変わらずの発言を見ていると、小沢幹事長は自分こそが一般意志を体現していると信じているようだ。その驕りから、国家機関としての天皇への敬意を示さず、単に天皇を道具として扱うような、旧軍でもここまであからさまにしなかった態度をとっている。
選挙による一般意志が暴走した悪しき前例は、ナチスだけでなく世界的にいくつも見られる。また、民主党内には、見かけは国会議員だが、中身は「革新官僚」や「青年将校」の劣化コピーのような人たちが結構いる。今回の「天皇の政治利用」が、新たな全体主義デモクラシーの兆候でないことを心から祈るばかりだ。
デモクラシーの暴走を止められるのは、法の支配を象徴する君主と、その意味を知る自立した国民である。
まことにその通りでなにも付け足すことはない。
憲法も知らず、政治と皇室のデリケートな距離感も知らない小沢一郎という政治家は危険だ。