玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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靖国参拝を人権問題として考えてみる

2005年05月28日 | 政治・外交
中国や韓国が小泉総理の靖国参拝に抗議してくることについて「内政干渉」という人たちがいる。
そうだそうだ!と思いもするが何か違うような気もする。

そもそも小泉総理の靖国参拝は「内政」の問題なのか?という疑問がある。
中曽根総理のように公式参拝するのであれば政治の問題として扱われて当然だが、小泉総理は個人としての参拝を明言しており政治問題化しているのはむしろ参拝に反対する陣営だ。参拝に賛成、あるいは容認する側の人々が「内政干渉」という言葉を使うのはかえって反対派の術中に嵌るものになる。
内政干渉でなければ何なのか、といえばそれは「自由と人権の問題」だろう。
世界人権宣言第18条に
すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。

と書かれている。世界人権宣言が絶対の規範であると主張するつもりはないが、この条項は私には納得のいくものでありまた多くの人もそうお思いになるだろうと期待する。さて、世界人権宣言第18条を読み、そのあとで「靖国問題」を考えるとき、
「小泉純一郎の個人的な宗教行為を政治や経済の都合によってやめさせようとする」
ことが適切だと思えるだろうか。私には無理だ。
以前のエントリでも書いたが、どうしても小泉総理の靖国参拝が国益を損なう、あるいは憲法の政教分離規定違反で許せないとお考えの人たちは、「参拝をやめさせようとする」よりも「総理の地位を奪う」ことを主張してほしい。宗教の自由は譲れない人権だが、総理の地位は特権であり不都合があれば奪われても当然だ。個人の信条や宗教を他人が自らの都合によって曲げようとするのは不遜であり人権侵害につながる。私のような「自称」リベラルではなく世間一般でリベラルと認められている人たちが小泉純一郎の人権(宗教の自由)を気にしてなさそうなのは理解に苦しむ。彼らはもしかして「権力者は悪人であり、悪人に人権は認められない」と思っているのだろうか?いや、まさかそんなことはあるまい。

(追記)
「小泉は総理に就任する前は靖国参拝したことがない」という説がマスコミやネットで流れているようだが、私はそれを信じない。
共同通信
首相は初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日に靖国神社に参拝してきた。自民党総裁選以来の「参拝公約」は首相の自然な思いの表れだった。
と書いている。
共同の記事が間違っている可能性もあるが、私は小泉総理のこれまでの靖国参拝に対する姿勢を見れば充分信頼できると思う。(あいにくこの記事以外のよいソースが見つけられない。検索下手ですみません)
小泉純一郎が毎年靖国に参拝している理由は、なによりもまず彼自身の信念と宗教観によるものであり、「遺族会の票目当て」とか「中国・韓国の歴史認識カードの無効化」といった理由があるにしてもそれは副次的なものだと思う。

(追記その2)
すこしふしぎ:死んだらみんな神様仏様なのよ党宣言
今のところ実現は不可能でしょうが、面白いアイデアです。


靖国参拝問題を「思想・信条の自由」からお考えになっておられるuumin3さんの記事
総理大臣の私的靖国参拝
を大いに参考にさせていただきました、ありがとうございます。
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解けない問題は捨てたほうがいいのではないか

2005年05月27日 | 政治・外交
あちこちのブログを読ませてもらうと、「小泉総理は靖国参拝をやめろ」というご意見がかなり見受けられる。
そんなこと書いても無駄だからやめたほうがいいのではないか。
われながら余計なお節介だが。
小泉さんの立場になって考えてみよう。
総理になってから(というか、議員初当選以来)毎年続けてきた参拝をやめればこれまで支持してくれた保守層からは臆病者、裏切り者と罵られ、さりとて参拝反対派が急に支持に回るはずもなく、あたら長期政権が失速し不時着するばかりである。そんな惨めな最後を晒すくらいなら、抜き打ち解散して「『靖国参拝する小泉』を信任しますか」と国民に信を問うほうを選ぶだろう。それが小泉流である。…ような気がする。たぶん。
さらに推測を重ねると、小泉さんにとっての重要度は  郵政民営化>靖国参拝  だろうから、郵政法案と参拝中止のバーターなら乗るかもしれない。でもそんな状況は考えにくいし、その場合もやはり解散という賭けに出て一挙両得を狙いそうだ。
小泉総理は政権が続くかぎり靖国参拝を続けるし、もし靖国問題で追い込まれたら解散するか辞任するだろう。

だから、小泉総理の靖国参拝が国益を損なっている、許せないという人は
「参拝やめろ」ではなく「小泉辞めろ」「衆議院を解散しろ」と主張したほうがいい。そのほうがよほど明快であり建設的だ。
「参拝はしないほうがいいけど、いま小泉を辞めさせたくはない」とお考えの人は、「ああいう人だからしょうがない」とあきらめて、次の首相に靖国参拝しない人が選ばれるよう期待し努力するのがよろしかろう。たとえば民主党の岡田さんとか自民党の加藤さんとか。
世論調査で「次の総理には誰がいいか」を問うと必ず靖国参拝を明言する安倍さんが他を大きく引き離してトップになるのだから、どうも参拝反対派はエネルギーの向けどころを間違えているような気がする。安倍さんが総理になったらまた参拝反対論を叫ぶのだろうか。他人事ながらうんざりするほど非効率的なやりかただ。
まるでテストで難しい問題を解くのにこだわって易しい問題を失う融通のきかない生徒のよう。以前の記事“幸運な人に学びたい”で「幸運な人は要領がいい」というようなことを書いたが、参拝反対派は「一枚一枚写真を数える人」なのではないか。
参拝反対派は「小泉の靖国参拝阻止」という解けない問題は捨てて、「小泉辞任」「靖国に参拝しない総理の選出」を目指すべきであろう。

ちなみに、私自身は小泉支持で靖国参拝も好ましく思っている。
しかし今後、靖国参拝をよしとしない人(たとえば岡田さん)が総理になったとしてもその人に参拝を無理強いするつもりはない。私は自称リベラルなので宗教の強要(「参拝しろ」と「参拝するな」両方)は嫌いなのだ。その辺のことはまた別の機会に。

■関連記事
木走日記:靖国参拝問題~大局的見地に立って考える(3)
Dr.マッコイの非論理的な世界:首相の靖国神社参拝・反対者を説得できるか?
uumin3の日記:靖国と宗教
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匿名・無名論争に参加しない理由

2005年05月26日 | ネット・ブログ論
ネットにおける匿名・実名について最近あちこちのブログで語られている。

すちゃらかな日常 松岡美樹:匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?
むだづかいにっき♂:続々・匿名はやっぱり推奨しないのです
若隠居の徒然日記:水清くして 魚棲まず

最初に身も蓋もないことを言ってしまうと、この問題には誰もが納得するような「唯一の正しい答え」なんてものはないのだろうと思う。いや、世の中のほとんどの問題はそういうものなのかもしれない。だけど、ああだこうだと多くの人が真剣に論じ合ううちに自ずと状況に応じた最適解が浮かび上がってくるはずだから、関心のあるブロガーは大いに論じていただきたいと思う。

なんだか他人事みたいな書き方だが、私自身としては特に新しい材料が出たわけでもなし、いまさら匿名・実名論も…という気がしている。私自身の最適解をすでに持っているようなつもり(本当に持っているとは言わない、ちょっとズルいけど)でいるのだ。その最適解(のようなもの)とは何か?というと自分で考えたわけではなく先人による考察を読んで「なるほどなるほど」とうなずいただけの安易さである。私が何を言ってもどうせ受け売りにしかならないので特にひとさまに意見を言う気になれないのである。
読者の皆様にぜひ読んでいただきたいのがこちら

実名と匿名の意義についてITビギナーと対話してみる

ネットにおける匿名・実名の得失について対話形式で非常にわかりやすく書かれている。
ちょっとだけ引用してみると
ネットの世界で重要なのは「誰が言ったか」じゃないんです。「何と言ったか」なんですよ。その意味で、発言に肩書きのフィルターがかかってしまうことを避け、純粋に発言内容だけに重点を置くためには、実名よりも匿名のほうがいい、ということです。
そして、「大人の対応」というより「誠実な対応」ができるかどうかは、その人の実社会での「躾」の問題だけです。

うーん、ヤスツさんいいこと言うなあ。
私自身、実生活を公表してもプラスになることは何もないので、匿名推奨論はとてもわかりやすく共感できる。論理的にはどうかというと私の頭ではなんとも断言できないが間違ってはいないように思う。やはり一般人のネットでの発言は匿名か仮名(ハンドルネーム)が基本であり、よほどのメリットがなければ実名を公表する意味はない。実名を明かすことを推奨したり要求する人たちに対して私は素人に危険な投資を勧める人たちを見るのに似た危惧と僅かな嫌悪を感じる。彼らは野暮であり無責任だ。
日本人は万葉集の昔から匿名・無名のひとびとが詠んだ歌の価値を認めてきたのだから、ネットに詠み人知らずの言論が出回ったとしても何の不思議もない。自分の名前をひけらかさない日本人の奥ゆかしさを私は嫌いではない。
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鏡の国の中国

2005年05月25日 | 政治・外交
副首相帰国は「靖国」が理由、中国認める
中国外務省は当初、呉副首相の帰国理由について「緊急の公務」と発表したが、孔報道局長は「私は言っていない」と述べた。その上で、靖国問題への「甚だしい不満」を表明した23日夜の段階での外務省報道官談話が、「(帰国に関する)中国の正式な立場だ」と繰り返し説明。実際に「緊急の公務」があったのかどうかについては最後まで確認を避けた。

つくづく文化の違いを感じる。
自分から会談を申し込んでおいてドタキャン、理由について嘘の説明をし、翌日それを撤回。すべての責任は日本にあると宣言。
すごい、凄すぎるぞ中国外交。かつてゴステロ様の悪役ぶりに惚れた私は孔泉報道局長の厚顔ぶりに見とれてしまった。いかんいかん。
ここまで身勝手なことができるのは昼ドラかマンガの悪役くらいかと思ってたら、国家としてやってしまうんだな中国は。
もし日本の政治家がこんなまねをしたらどうなるか。
「言うべきことも言わずに逃げ帰るとは無責任極まりない」
「ドタキャンだけでも無礼だがあまつさえ嘘の言い訳をするとは何事か、恥を知れ」
左右も与党野党も関係なく「無責任で卑怯な行い」について批判の嵐が巻き起こるのは必定。
それなのに中国では無問題、いやそれどころか完全に適切な行動であり非はすべて日本にあることになるらしい。
中国ってのはもしかしてアリスの鏡の国なのか。日本で正しいことは中国では正しくなく、その逆もまた然り。
彼らが「未来志向で」と言えば、それは「中国の決めた『正しい歴史認識』を守れ」という意味。
「ODA打ち切りに反対しない」は「未来永劫ODAを続けろよ」ということ。
ぜんぶ逆の意味で考えると素直に腑に落ちる。

とするともしかして中国政府の「靖国参拝反対」も本心は逆だったりして。
まさかそんなことはないか。      …いや、もしかして?
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挑発には冷笑で返そう

2005年05月24日 | 政治・外交
呉副首相、小泉首相との会談中止 「緊急の公務」と帰国

小泉に靖国参拝の意思を翻意させられないとみて尻尾巻いて逃げたな。
ゲンメイして無視されれば中国国内で共産党の権威が失墜し愛国者たちの怒りが「弱腰」胡錦涛に向かう。火中の栗を拾う価値はないと見たのは合理的な考えではある。いっそのこと靖国で言いがかりつけるのをすっぱり諦めればいいのに。無理か。
わざわざドタキャンの形を取ったのは挑発するつもりだったのだろう。
挑発といっても二通りの意味がある、怒らせるという意味と、悪女が男を翻弄するように熱を上げさせるという意味と。
中国が狙ったのは両方だろう。右翼が「侮辱された」と怒って大使館などに嫌がらせをすれば被害者の立場を押し出し、左翼や媚中派が「中国様の機嫌を損ねてしまった」とおろおろすれば気を持たせたりそっけなくしていいように操る。
どちらにしてもやりかたが見え見えで、目の肥えた観客はちっとも燃えないし萌えないのだが。

近年になって中国外交の質が低下したのか、それともネットの普及と北朝鮮問題・中国反日デモなどにより日本人の外交に対する見識が高まったのか、このごろ「したたかな中国外交」なんて言葉を聞くことが少なくなった。胡錦涛という人はどうやら外交センスに乏しいらしく、小泉首相・町村外相という日本の強力タッグにたじたじの態である。ちょっぴり胸がすく思い。
小泉首相が何度も言うように、日本の戦後60年の平和と繁栄と民主主義は世界に誇れるものだ。
驕らず、恐れず、阿ねないで堂々と日本の主張を述べれば、朝日が昇れば夜の闇が逃げていくように中国の一方的主張は力を失うだろう。というとまるで右翼や保守派のようだが私は「自称リベラル」である。満州事変以降、終戦までの日本のやりかたはまずかったし大いに反省すべきだと思っている。だが、自由と民主主義の国がその反対の国から歴史認識や慰霊のやり方について一方的に指図されるのはどう考えても変だ。

小泉さんは「(会談中止の理由は)わからない。野党の審議拒否が伝染したのか」と言っていたがちょっと物足りない。表情はいつものようにいたずらっぽい笑みをたたえていて良かったのだが。すっかり中国のやり方を読んで呑んでかかってるな。
町村さんは「最低限の国際的マナーは守ってもらいたい」安倍さんは「日本の多くの国民は非礼との気持ちを抱くかもしれない」と素直な反応。悪くはないが面白みがない。こういうときにはやはりあの人、福田元官房長官のコメントが聞きたかった。彼ならばきっと
「外交を急にキャンセルして帰国せざるを得ないとは、中国国内にはたいへんな問題がおありなんですね。よくわかりませんがお気の毒なことです、フフフ」と皮肉を利かせてくれたに違いない。
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小泉総理は郵政解散の夢を見るか?

2005年05月22日 | 政治・外交
賢き人のすなる政治予測といふものを、莫迦もしてみむとて、するなり。
いや、森田実さんとか予測を外しまくっていても「政治評論家」を名乗って商売ができるのだから素人が適当なこと言っても罰はあたるまい。
多分あたらないと思う。
あたらないんじゃないかな。
ま、ちょっと覚悟はしておけ。

郵政民営化特別委を設置…民主、社民は本会議欠席
ストライキですかそうですか。
郵政特別委員会の審議拒否ならまだしも、全委員会の審議を拒否とはどういうことだ。ふてぇ野郎どもだ。
「国民は許さない」と民主党議員が愛用する言葉を真似して使いたくなるがここはぐっとこらえて「俺は許さねえ! 認めねえ!!」とジャギ様のように叫ぶぞ。
「ファイト」の優の登校拒否には感情移入してしまうが民主党の審議拒否には納得いく理由がぜんぜん見つけられない。国会議員の商売は国会で議論することだろう。党内の意見をまとめられず、さりとて国民には自民党と対決する姿をアピールしたいという助平根性を捨てることもできず、結果として行き着いたのが小沢さんの愛用する欠席戦術だったというふうに見える。

かつて菅直人と鳩山由紀夫が手を組んで民主党を結成したとき、私はずいぶん期待したものである。だが、羽田孜が合流したり党首選でゴタゴタやクーデターのような騒ぎが起きたり、鳩山氏が失脚した原因のはずの自由党との合併を菅氏がシレッとして実現させてしまい「クラッシャー」小沢氏が加わるのを見ているうちにどんどんと
「これは違う」「こんなものを見たかったのではない」という思いばかりが膨らんだ。
最近は大きな選挙のたびに議席を増やしているようだが、私の期待度は反比例して減るばかり。
別に小沢さんに恨みがあるわけじゃないが、彼が加わってからの民主党はどうも変だ。今は21世紀なのに80年代の匂い。政治手法が逆に古臭くなってる。審議拒否なんて手法、社民や共産のような弱小政党ならともかく「政権準備政党」を名乗る民主党がやるべきこととは思えない。ひたすら情けない。

民主党のどうしようもなさは今に始まったことではないが、問題は小泉が悲願の郵政民営化実現に向けてどう動くかだ。
私は最近「郵政解散」するんじゃないか思い始めている。いや、公明党も解散には反対していることだし冷静に考えればありそうにないことだが、小泉の類稀な政治的勘が「ここはすべてを賭けて打って出るとき」とささやいているのではないか、三度目の、そしてこれが最後と覚悟を決めていた総裁選出馬の時のように。
世論調査では、自民党の支持率は36%なのに対し民主党は12%とトリプルスコアで勝っている。このまま民主党が駄々をこね続ければ国民の民主党に向ける目はさらに厳しくなりそうだ。まあ、もしも「抜き打ち解散」ともなると野党もマスコミも党利党略だ身勝手だと批判するだろうから風が自民党に吹くとは限らないのだが。
でもやらないかなあ解散。面白いぞ、ってわれながら無責任な言い草だが、一般国民が政治的意思を明確に表せるのはなんといっても総選挙である。郵政民営化という大問題について国民の信を問うのは決して間違っていると思わない。

このあいだ競馬で史上最高倍率の配当があったそうだが、それにあやかって私も万馬券を狙ってみようか。
素人の無責任と蛮勇をもって、「小泉は抜き打ち解散する」とここに断言する。
外れたらごめんなさい。すでに逃げ腰。
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「雨と夢のあとに」を見てゴステロ様と斉藤由貴を思い出す

2005年05月21日 | テレビ鑑賞記
金曜ナイトドラマ「雨と夢のあとに」

今回で第一章終了。来週からはちょっと趣向が変わった第二章になるようだ。
一度は朝晴(沢村一樹)の愛情を疑い、自分が金銭的にも負担になっていると感じた雨(黒川智花)は月江(杏子)と一緒に住むことを選ぶが、夜中に訪ねてきた朝晴のつらそうな作り笑顔を見て「自分がおとうさんと呼べるのはおとうさん(朝晴)だけ」と気付く。
降りしきる夜の雨の中での親子抱擁はなかなか美しかった。
とりあえず、朝晴と月江のあいだの親権争いはカタが付いたようだ。
月江も一度は手に入れたかわいい娘を簡単に手放すとはずいぶん人がいい、と思ったらどうやら第二章では一段と娘への執着をパワーアップして帰ってくるらしい。左遷されたシャアが昇進して戻ってくるみたいなものか。
いや、もっといい例えがあった。
蒼き流星 SPTレイズナー
敵軍のSPT(モビルスーツみたいなもの)パイロット、ゴステロ様(どうしても様を付けずにいられない)は一度は撃墜されて行方不明になるのだが、後半の第二部にサイボーグ?として再登場、とんでもなく凶悪なブチ切れ方を見せてくれたものである。カッコ良かったなあゴステロ様。素晴らしい名セリフもたくさんあった。
「自分の血の沸騰する音を聞きながら死ね!! 」
「じっくりといたぶってやる…ヘビの生殺しのように!!」
「俺は人殺しがだぁ~い好きなんだぁ!!」
「クソッ!!影も形も無いようにしてやる!!」
「の…脳が痛えぇぇぇぇ!!」
「脳がはちきれそうだぜぇ!!」
「俺の何処が気に入らねぇんだぁ~!! 」
「約束ってのはなぁ…する時より、破る時の方が刺激的で面白れえんだぜぇ~!! 」
「お前の弟は俺の体を…お前は俺の心をズタズタにした!!今度は俺がお前達姉弟をズタズタにしてやる!!」
「勝利はじっくりと味わうものだぁ!! 」
「簡単に死ぬなよ!!いたぶる楽しみが無くなるからなぁ~!!」
 
こちらの「ゴステロ語録 2004年8月12日(木) 13時05分42秒」より引用させていただきました)
うーん、最高にイカスぞゴステロ様。
…おっとっと、いかんいかんレイズナーじゃなくて「雨と夢のあとに」の話だった。
まあ、ゴステロ様はともかく第一章と第二章に分ける話の作り方はレイズナーに似てる(強引)。
レイズナーの場合、第一部はグラドス軍(異星人)に襲われ火星で孤立した少年少女が独力で地球に戻るまでを丁寧に(かったるく)描いた「銀河漂流バイファム」のような佳作だったが、低視聴率のためテコ入れされた後半はまるで「北斗の拳」のような様式美あふれる悪役が活躍する痛快活劇に変貌した。一つのシリーズで二つの味が楽しめるお得な作品である。私はお子様でもわかりやすく楽しめる第二部のほうが好きだ。
「雨と夢のあとに」も、予告を見るかぎり来週からの第二章は第一章よりもショッキングでエキセントリックなお話になっていきそうな気配である。私の予想では「幽霊よりも生きた人間のほうが恐ろしいこともある」というような話になるんじゃないかと思うが、さてどうなることか。何にしても黒川智花ちゃんと木村多江さんをたくさん見せてくれたらそれだけで幸せな私だ。
「雨と夢のあとに」は美少女と大人の女性が一度に鑑賞できるお得な作品なのだ。あ、その他にも「血のつながらない親子の情愛」とか「幽霊の悲哀」「死者との友情」「謎の隣人」といった要素も盛りだくさん、ついでに幼い恋愛も(これは余計な気もするが)描かれるようで、ますます楽しみである。

それにしても、黒川智花の顔立ちや雰囲気は往年の斉藤由貴に似ている。
小手先の技ではなく、登場人物を自分の思いの力で現実化し憑依させるような演技、見つめられると吸い込まれそうな大きな目の力。斉藤由貴は独特の感性を持ち耽美的でちょっと「痛い」ところがあったが、黒川智花はとても健康的に実力派女優への道を進んでいるようで安心して見ていられる。「魔性の女」なんかにならないでね智花ちゃん。
黒川智花主演のリメイク版「スケバン刑事」を見てみたい気もするけど、あのお話を今やったらお笑いになりそう。残念。
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つらい、重い、でも続きが見たい

2005年05月19日 | テレビ鑑賞記
前のエントリ“グレープフルーツのようなドラマ「ファイト」”の続きです。

「ファイト」NHK連続テレビ小説

泣いた。いや、泣かされた。いや泣いた。いったいどっちだ。
もう自分でも何だかわからないくらい本仮屋ユイカちゃんの演技に涙。
こんなに中身が詰まって重いドラマ(褒めてます)、朝とか昼休みに見たら仕事や勉強が手に付かないだろうなあ。私は録画して夜に見ているので問題ないけど、それにしても視聴者にもヒロインにもつらい展開が続く。

登校拒否をした優(本仮屋ユイカ)に両親が学校に行くよう説得する、その言葉が
「学校へ行く一番の目的は、友達を作ることだ」
うわあ、友達との関係に悩んで学校に行けなくなった優にその言葉はきつい。もちろん両親に悪意は全くないのだが、いや悪意がないからこそ、心の生傷に塩をすりこんでいるようなものだ。
自罰的性格らしい優は両親の目を見つめ返すこともできず、下を向いて目に涙をためるばかり。
自分に向かってつぶやくように「…ともだちは…ひとりでいいよ。信頼できる友達がひとり、いればいい。…だれを信頼すればいいの? ……」大粒の涙がいくつもこぼれる。

・゜・(ノД`)・゜・。 ウワァァァン

これはつらい。自分のことのようにつらい。
いや、自分には優に重ねあわせる体験がいくつかあるのだ、書くつもりはないけど。現在進行形のものもある。
優の表情、態度、言葉のすべてがまるで自分のことのように感じられてしまう。
誰かを信じるためにはまず自分を信じなければならず、自分を信じられなければ誰も本当には信じられないんだよなあ。それがわかっていても、自分ひとりの力ではどうにもならないこともある。
助けようとする人がいても、その人の気持に応えられない自分がますます嫌になったりする。自縄自縛。

優の行動や態度が甘えている、未熟だという批判はできる。
だが、高校一年の少女ならこれくらいの純粋さや弱さがあったほうがむしろ健全じゃないかとさえ思う。これまで優が見せていた頑張りや優しさを思えば、一時的な(だと願いたい)心の怪我を責めるのはかわいそうだ。
演じているのが自然な演技力とさわやかさを持つ本仮屋ユイカだからこそ、という面もある。もし演技が未熟だったり容姿や雰囲気が暑苦しい女の子であったら、これほどまでに感情移入はできなかっただろう。ユイカちゃんうますぎ。華がないのが玉に瑕だと思っていたが、むしろ華がないからこそ真の女優への道を約束されているのかもしれない。

参考リンク NHK朝ドラ:「ファイト」私評 by O-yumiko
O-yumikoさんの書いてくださる「あらすじ」からセリフ書き起こし部を引用させていただきました、ありがとうございます。
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辛口料理の後は甘いデザートが食べたくなる

2005年05月18日 | ネット・ブログ論
酷評するヤツに守ってもらいたいルール|Don’t lose your temper
現実的な提案かどうかはさておき、俺がやってもらいたいのは、物事を批評するとき、最後に「自分が好きなものを列記する」ということを基本的なマナーにすることだ。

なかなか面白いアイデアだと思う。
でも普及し定着するかどうかはちょっと疑問。
酷評の後で急に自分の好きなものを並べるのは文章の流れとして難しそうだから。
一つの文章じゃなくて、別な文章として書くのならいいかも。

私の好みとして、ひたすらワルグチ(批判・罵倒・恨み言などを総称してここでは「ワルグチ」と呼ばせてもらう)ばかり並べたブログはあまり好きになれない。ワルグチと楽しいことや好きなことを書いた記事がバランスよく含まれていると読んでいて安心できる。ワルグチ率が7割を超えるとちょっと読むのがつらくなってくる。かといって、ワルグチが全然ないと生ぬるくて物足りない。我ながらわがままである。
芸のあるワルグチならそればかり読んでも充分楽しめるのだが、プロの芸人や物書きでなければなかなかその域まで罵倒芸を高めるのは難しかろう。ビートたけしなんかは実に罵倒芸の名人である。あ、毒蝮三太夫なんて人もいたな。あれはワルグチというよりお客との馴れ合いかもしれない。

かくいう私自身はどうなのか、最近の10エントリをポジティブ(好き・楽しい)とネガティブ(ワルグチ)に分けて10点満点で評価してみた。文章の出来ではなく、文章に込められた気持がどれくらいポジティブか(ネガティブか)の評価である。

グレープフルーツのようなドラマ「ファイト」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★★★★★★
礼儀を守らないと「正しい」言葉も叩かれる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●●●●●●●●
幸運な人に学びたい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★★★
「叩く人」と「叩かれる人」が実は似ていることもある ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●●●
悪党は悪党として自ら貫くのが潔い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★★★★★★★★
想像力のない人間は馬鹿である ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●●●●●
荒れるブログの作り方」を「真性引き篭もり」から学ぶ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★★
COOL BIZ(新・省エネルック)に矜持を与えるにはどうすればいいか考えてみた。・・・ ★★
日本の特権。それに気付かない危険。そして、恋は盲目。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●●
2ちゃんねらーが語る「アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ」 ・・ ★


合計 ★(ポジティブ)=22  ●(ネガティブ)=18 

もちろん自分で自分の文章を評価するのだから客観性のカケラもない。でも、まあこんなものかと。
「幸運な人に学びたい」はかなりのご好評を頂いた「楽しい」記事だが、ほとんど引用文なので低めの点にした。藤井隆への嫉妬(ネタ半分)をワルグチと評価したためでもある。
自分で言うのも何だが、それなりにポジティブとネガティブのバランスが取れているのかな、と思う。
ネガティブの点数のほうが高くなるかと思ったが案外そうでもない。怪優・松重豊と、かわいい黒川智花ちゃん本仮屋ユイカちゃんのドラマがポジティブの点数を押し上げてくれたおかげである。

このエントリに点を付けるとすると、それなりに楽しんで書けたから★★★かな。
やはり文章は楽しんで書くのが一番いい。腹を立てて書くとそのときはいいが後で嫌な気分になる。
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グレープフルーツのようなドラマ「ファイト」

2005年05月17日 | テレビ鑑賞記
「ファイト」NHK連続テレビ小説

歴代のNHK朝ドラのなかでもかなりの低視聴率だそうである。
そうだろうな、と思う。なにしろ朝ドラにしては話が重い。
ヒロインの父親は契約先の大企業とトラブルを起こし家業のバネ工場を閉鎖、母親は弟をつれて温泉場で仲居として働き一家は離れ離れに。本人も友達との関係が行き詰まり登校拒否(になるらしい)。
とても気軽に見ていられないドラマなのだ。

しかし私はこのドラマが好きである。
登場人物たちの人格造形がしっかりしている。みな少し真面目すぎ、善人すぎるような気もするがNHKのドラマなんだからこれくらいでいい。真面目な善人たちが一生懸命悩み、気を使いあったり優しい気持を見せたりする姿は見ていてつらいけれどさわやかだ。
まるで苦味のきいたグレープフルーツのような味わいのドラマである。
「僕の生きる道」以来、私は橋部敦子さんの脚本のファンである。ヒロインの本仮屋ユイカちゃんはかわいらしく演技も安心してみていられるし、脇役の俳優たちや馬さえもいい表情を見せてくれている。地方都市に住むごく平凡な女子高生と家族の、どこにでもありそうな不幸や幸せを描いてこれほどまでに充実したドラマを作り上げるスタッフの技量にひたすら感心する。派手な設定をでっちあげれば面白いドラマになるというものではないのだ。別にキムタクドラマの悪口を言うつもりはないけど。そもそも見てないし。
辛口批評やただのケチ付けが多い「2ちゃんねる」でさえも、先週の「玉子焼き踏み付け」事件の回(5月12日放送)は絶賛されていた。まあ、2ちゃんねるで好評なドラマはえてして視聴率が低いものなのだが。

このドラマについては、毎日ていねいにあらすじと感想を書いてくださっているO-yumikoさんのサイトと公式サイトyahoo ! 特設サイトを見ればすべてわかるといっていい。
毎日ちょっとだけ泣いたり笑ったりしてカタルシスを感じたい、と思う人がいたら、途中からでもぜひご覧になることをお勧めする。
いいドラマですよ。
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