「横須賀警察官発砲事件・損害賠償判決」に対する批判がネット上で広がっている。
もしかしたら「光市母子殺人事件の弁護団批判」のような集団ヒステリーが起きるかもしれない。
威嚇なしの警官発砲は違法、神奈川県に約1千万賠償命じる : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
2ちゃんねるのスレッドやあちこちのブログを見て回ると、ほとんど誰もが賠償を命じた判決を批判罵倒している。もちろん、気に入らない判決を批判すること自体は構わないのだが、困るのは彼らの批判に事実の裏づけがなく、思い込みを元にして想像に想像を重ねていることだ。はっきり言って妄想に近い。
私の言う「事実」とは、マスコミの伝える情報の断片のことではない。読売の記事はまだ長いほうだが、それでも600字にも足りない。これで「その時その場所で実際に何が起きたのか」わかるはずがないではないか。私が知りたいのは確かな情報、真実に限りなく近い事実だ。想像ばかりの非難罵倒はノイズでしかない。
「ありえないほどひどい判決だ、トンデモだ」と批判する人たちのおもな主張を箇条書きにして反論する。
1 ・ 「発砲は正当防衛だ」
被告の神奈川県(県警)自身が正当防衛の主張をしていない。少なくともそのようには報道されていない。
実際に正当防衛として発砲したのであれば隠す理由はなく、むしろ積極的にアピールするはずだ。
2 ・ 「切迫した危険があった」
「正当防衛」論の根拠として、「パトカーに何度も車をぶつけたのだから非常に危険だ、撃たれても当然じゃないか」という主張が見られる。だがこれも思い込みの産物でしかない。マスコミ報道は「何度も車をぶつけた」と伝えているけれど、「そのときの速度は何Km/hだったか」書いていない。これでは危険性の判断などできるはずがない。時速40Km/hだったかもしれないし、時速5Km/h(歩く早さ)だったかもしれない。
「車をぶつけた!危険だ!」と決め付ける人たちは「40Km/h」に近い想像をしているのだろうが、それには何の根拠もない。
仮に危険がそれほど大きかったのであれば、なぜ殺人未遂や暴行罪で起訴されなかったのか。やはり公務執行妨害相当の危険しかなかったと考えるほうが自然だ。
3 ・ 「威嚇射撃の必要はなかった」
確かに、警察官等けん銃使用及び取扱い規範および警察官職務執行法 「第七条」によれば「人に向けて撃つ前に必ず威嚇射撃をせよ」とする規定はない。その意味において「威嚇射撃の必要はない」ということはできる。
だが、その前に「警察官職務執行法 第七条」において「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。」と定められている。
繰り返す、「合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。」のである。現場の警官はとっさに「威嚇射撃は不要」と判断したのだろうが、横浜地裁は客観的な状況から「威嚇射撃こそが合理的に必要」だと判断した。現場の判断は尊重されるべきだが、裁判所が下した判決はそれ以上に重い。日本は法治国家なのだから。
3 ・ 「威嚇射撃している余裕はなかった」
訴訟で県側は、「発砲前に何度も警告しており、やむを得ない措置だった」と主張した。
何度も(他の報道によると5回)声をかけて警告するひまがあったのだから、威嚇射撃ができなかったとは信じられない。銃を上に向けて引金を引くのにどれだけの時間がかかるというのか。ホルスターから出すところからはじめても3秒、すでに抜いていれば1秒でできる。
4 ・ 「威嚇射撃の流れ弾のほうが危険だ」
言い訳にすぎない。
真上に向けて発砲すれば、流れ弾が第三者に当たる確率はほとんどない。
中近東で祝い事のとき空に向けて何十発も実弾を撃ちまくる様子をテレビで見た人は多いはずだ。あれほど撃っても実際に流れ弾でケガをする人はまれだ(ゼロではないけれど)。事件当時の報道によると、原告男性が追い詰められた袋小路は「横須賀市不入斗町3丁目付近の市道」だという。
横須賀市不入斗町3丁目 - Google マップ
航空写真で見るかぎり、周囲は二階建て程度の家が立ち並ぶ住宅地である。これなら真上から10度や20度斜めにそれても民家に飛び込む危険はないだろう。
5 ・ 「威嚇射撃なしの発砲以外に容疑者を制止する方法がなかった」
これも想像にすぎない。
まず間違いなく神奈川県警はそのように主張しているのだろうが、一般人には検証する手段がない。マスコミの断片的な報道を集めていくら想像力をたくましくしても、「事実」には近付けない。
その一方、横浜地裁は裁判における当然の手続きとして現場検証を行い、物証を集め、証人を呼んで一次情報を集めたはずだ。想像に頼っていくら「発砲は正当だ」「自分は警察を信じる」と叫んでも、裁判所の事実認定の積み重ねと法理論には太刀打ちできない。
どうしても判決に納得できなければ、判決文と公判記録を取り寄せて「何が裁判所によって事実と認定されたか」知り、その上でひっくり返す努力をしたほうがいい。どれほど想像を重ねて大声で「不当だ!」と叫んでも説得力がない。
6 ・ 「危険な覚醒剤中毒者が警官に抵抗したら撃たれても当然だ」
事件当時の報道によれば、追跡した時点ではあくまでも「自販機荒らしで手配された車の運転手」にすぎず、覚醒剤が発覚したのは逮捕後のようである。
7 ・「逃走を許せば凶悪犯罪を犯したかもしれない」
これこそまさに想像、空想、妄想である。ほとんど論じるに値しない。
仮に追い詰めたのが殺人犯とか強盗傷害といった粗暴犯であれば「絶対に逃がしてはいけないほど危険だ」と言ってもいいだろう。だが、実際に横須賀で撃たれたのは「自販機荒らしで手配中の車のドライバー」である。容疑自体が単なる盗犯であり、「手配車両に乗っていた=犯人」と決め付けることもできないはずだ。
警察が「万が一凶悪犯罪を犯すかもしれないから」という理由で発砲するようになったらメチャクチャである。怪しいと感じたらすぐに銃を突きつけるような警官はドラマの中だけで十分だ。ダーティーハリー(は好きだけど)やあぶない刑事気取りの警官はいらない。
8 ・ 「警官に抵抗しておいて損害賠償を請求とは盗人猛々しい」
仮に警官が何の罪もない市民を誤射したとする。下半身不随の賠償額として8000万円を要求するのは決して不当ではない。
横須賀の事件の場合は「撃たれた責任」のほとんどは原告側にあるとされた。だが警官の行動にも不適切な部分(威嚇射撃をしなかった)があり、裁判所は応分に責任を分けた。その結果認められた金額が約1150万円だ。たいへん論理的である。これを「けしからん、不当だ」と怒る人は責任と賠償について何もわかっていない。
9 ・ 「むしろ射殺すべきだった、外国ではそうしている!」
呆れてものも言えない。
「日本ヨハネスブルグ化計画」という言葉を思いついてしまった。「撃て、撃て」「殺せ、殺せ!」と煽り立てるバカは自分が法律と人権概念によって守られていることを知らない。中学校から、いや小学校からやり直せ!
以上、いささか長々しく書いてきたけれど、私の感じているのは徒労感と情けなさである。
そもそもこの事件でどうしても発砲が必要だったとは思えないし、発砲を熱烈に支持している人々は酔狂にもほどがある。
「お前らそんなにおまわりさんのピストルが好きか?」
権力の振るう暴力にカタルシスを感じる人たちは、いったいどれほどのストレスを溜め込んでいるのだろう。警官の銃口は決して自分たちに向くことがないと信じるおめでたさよ。
「銃はカミでもケガレでもない、物神信仰はやめてくれ!」
佐世保散弾銃乱射事件の後で起きた「日本社会に銃はいらない、全面禁止しろ」という世論と、今回の「警官の発砲は正義だ、批判は許さない」という声はたぶん同じカードの裏表だ。現実の銃を知らず、銃の適切な使われ方に何の興味もない。ただひたすら己の情念を銃にぶつけて怯えたり崇めたりするばかり。
ああ、とてもつきあいきれない。
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もしかしたら「光市母子殺人事件の弁護団批判」のような集団ヒステリーが起きるかもしれない。
威嚇なしの警官発砲は違法、神奈川県に約1千万賠償命じる : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
パトカーに乗用車を衝突させるなどして神奈川県警の警察官に発砲され、下半身不随になった横浜市の男性(31)が「発砲の必要性はなかった」として国家賠償法に基づき、県に約8080万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、横浜地裁であった。
小林正裁判官(鶴岡稔彦裁判官代読)は「発砲前に威嚇射撃を行うべきで、適法な職務執行とは言えない」と述べ、県に約1150万円の賠償を命じた。
判決によると、2004年8月25日夕、横須賀署の巡査部長らのパトカーが、横須賀市内に停車中の男性に職務質問しようと近付いたところ、男性は車を急発進させて逃走した。路地に追い詰められた男性は、車をパトカーに繰り返しぶつけて脱出を図ったため、巡査部長は約1メートルの距離から男性の右肩を狙って発砲。右脇腹に命中して男性は下半身不随となった。男性は公務執行妨害と覚せい剤取締法違反などの罪で起訴され、07年8月に東京高裁で懲役2年、執行猶予4年が確定した。
訴訟で県側は、「発砲前に何度も警告しており、やむを得ない措置だった」と主張した。小林裁判官は、男性逮捕の必要性は認めたが、「拳銃で狙えた範囲は、男性の頭や胸などで、発砲には特に慎重であるべきだった。先に威嚇射撃を行う必要があった」と指摘した。
同県警監察官室は「関係機関と協議して今後の対応を決める」とコメントした。
2ちゃんねるのスレッドやあちこちのブログを見て回ると、ほとんど誰もが賠償を命じた判決を批判罵倒している。もちろん、気に入らない判決を批判すること自体は構わないのだが、困るのは彼らの批判に事実の裏づけがなく、思い込みを元にして想像に想像を重ねていることだ。はっきり言って妄想に近い。
私の言う「事実」とは、マスコミの伝える情報の断片のことではない。読売の記事はまだ長いほうだが、それでも600字にも足りない。これで「その時その場所で実際に何が起きたのか」わかるはずがないではないか。私が知りたいのは確かな情報、真実に限りなく近い事実だ。想像ばかりの非難罵倒はノイズでしかない。
「ありえないほどひどい判決だ、トンデモだ」と批判する人たちのおもな主張を箇条書きにして反論する。
1 ・ 「発砲は正当防衛だ」
被告の神奈川県(県警)自身が正当防衛の主張をしていない。少なくともそのようには報道されていない。
実際に正当防衛として発砲したのであれば隠す理由はなく、むしろ積極的にアピールするはずだ。
2 ・ 「切迫した危険があった」
「正当防衛」論の根拠として、「パトカーに何度も車をぶつけたのだから非常に危険だ、撃たれても当然じゃないか」という主張が見られる。だがこれも思い込みの産物でしかない。マスコミ報道は「何度も車をぶつけた」と伝えているけれど、「そのときの速度は何Km/hだったか」書いていない。これでは危険性の判断などできるはずがない。時速40Km/hだったかもしれないし、時速5Km/h(歩く早さ)だったかもしれない。
「車をぶつけた!危険だ!」と決め付ける人たちは「40Km/h」に近い想像をしているのだろうが、それには何の根拠もない。
仮に危険がそれほど大きかったのであれば、なぜ殺人未遂や暴行罪で起訴されなかったのか。やはり公務執行妨害相当の危険しかなかったと考えるほうが自然だ。
3 ・ 「威嚇射撃の必要はなかった」
確かに、警察官等けん銃使用及び取扱い規範および警察官職務執行法 「第七条」によれば「人に向けて撃つ前に必ず威嚇射撃をせよ」とする規定はない。その意味において「威嚇射撃の必要はない」ということはできる。
だが、その前に「警察官職務執行法 第七条」において「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。」と定められている。
繰り返す、「合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。」のである。現場の警官はとっさに「威嚇射撃は不要」と判断したのだろうが、横浜地裁は客観的な状況から「威嚇射撃こそが合理的に必要」だと判断した。現場の判断は尊重されるべきだが、裁判所が下した判決はそれ以上に重い。日本は法治国家なのだから。
3 ・ 「威嚇射撃している余裕はなかった」
訴訟で県側は、「発砲前に何度も警告しており、やむを得ない措置だった」と主張した。
何度も(他の報道によると5回)声をかけて警告するひまがあったのだから、威嚇射撃ができなかったとは信じられない。銃を上に向けて引金を引くのにどれだけの時間がかかるというのか。ホルスターから出すところからはじめても3秒、すでに抜いていれば1秒でできる。
4 ・ 「威嚇射撃の流れ弾のほうが危険だ」
言い訳にすぎない。
真上に向けて発砲すれば、流れ弾が第三者に当たる確率はほとんどない。
中近東で祝い事のとき空に向けて何十発も実弾を撃ちまくる様子をテレビで見た人は多いはずだ。あれほど撃っても実際に流れ弾でケガをする人はまれだ(ゼロではないけれど)。事件当時の報道によると、原告男性が追い詰められた袋小路は「横須賀市不入斗町3丁目付近の市道」だという。
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航空写真で見るかぎり、周囲は二階建て程度の家が立ち並ぶ住宅地である。これなら真上から10度や20度斜めにそれても民家に飛び込む危険はないだろう。
5 ・ 「威嚇射撃なしの発砲以外に容疑者を制止する方法がなかった」
これも想像にすぎない。
まず間違いなく神奈川県警はそのように主張しているのだろうが、一般人には検証する手段がない。マスコミの断片的な報道を集めていくら想像力をたくましくしても、「事実」には近付けない。
その一方、横浜地裁は裁判における当然の手続きとして現場検証を行い、物証を集め、証人を呼んで一次情報を集めたはずだ。想像に頼っていくら「発砲は正当だ」「自分は警察を信じる」と叫んでも、裁判所の事実認定の積み重ねと法理論には太刀打ちできない。
どうしても判決に納得できなければ、判決文と公判記録を取り寄せて「何が裁判所によって事実と認定されたか」知り、その上でひっくり返す努力をしたほうがいい。どれほど想像を重ねて大声で「不当だ!」と叫んでも説得力がない。
6 ・ 「危険な覚醒剤中毒者が警官に抵抗したら撃たれても当然だ」
事件当時の報道によれば、追跡した時点ではあくまでも「自販機荒らしで手配された車の運転手」にすぎず、覚醒剤が発覚したのは逮捕後のようである。
7 ・「逃走を許せば凶悪犯罪を犯したかもしれない」
これこそまさに想像、空想、妄想である。ほとんど論じるに値しない。
仮に追い詰めたのが殺人犯とか強盗傷害といった粗暴犯であれば「絶対に逃がしてはいけないほど危険だ」と言ってもいいだろう。だが、実際に横須賀で撃たれたのは「自販機荒らしで手配中の車のドライバー」である。容疑自体が単なる盗犯であり、「手配車両に乗っていた=犯人」と決め付けることもできないはずだ。
警察が「万が一凶悪犯罪を犯すかもしれないから」という理由で発砲するようになったらメチャクチャである。怪しいと感じたらすぐに銃を突きつけるような警官はドラマの中だけで十分だ。ダーティーハリー(は好きだけど)やあぶない刑事気取りの警官はいらない。
8 ・ 「警官に抵抗しておいて損害賠償を請求とは盗人猛々しい」
仮に警官が何の罪もない市民を誤射したとする。下半身不随の賠償額として8000万円を要求するのは決して不当ではない。
横須賀の事件の場合は「撃たれた責任」のほとんどは原告側にあるとされた。だが警官の行動にも不適切な部分(威嚇射撃をしなかった)があり、裁判所は応分に責任を分けた。その結果認められた金額が約1150万円だ。たいへん論理的である。これを「けしからん、不当だ」と怒る人は責任と賠償について何もわかっていない。
9 ・ 「むしろ射殺すべきだった、外国ではそうしている!」
呆れてものも言えない。
「日本ヨハネスブルグ化計画」という言葉を思いついてしまった。「撃て、撃て」「殺せ、殺せ!」と煽り立てるバカは自分が法律と人権概念によって守られていることを知らない。中学校から、いや小学校からやり直せ!
以上、いささか長々しく書いてきたけれど、私の感じているのは徒労感と情けなさである。
そもそもこの事件でどうしても発砲が必要だったとは思えないし、発砲を熱烈に支持している人々は酔狂にもほどがある。
「お前らそんなにおまわりさんのピストルが好きか?」
権力の振るう暴力にカタルシスを感じる人たちは、いったいどれほどのストレスを溜め込んでいるのだろう。警官の銃口は決して自分たちに向くことがないと信じるおめでたさよ。
「銃はカミでもケガレでもない、物神信仰はやめてくれ!」
佐世保散弾銃乱射事件の後で起きた「日本社会に銃はいらない、全面禁止しろ」という世論と、今回の「警官の発砲は正義だ、批判は許さない」という声はたぶん同じカードの裏表だ。現実の銃を知らず、銃の適切な使われ方に何の興味もない。ただひたすら己の情念を銃にぶつけて怯えたり崇めたりするばかり。
ああ、とてもつきあいきれない。
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「据物撃ちなら誰でもできる」
「凶悪犯を射殺しろ!」