玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

お前はなぜ飛ぶのだ。お前はなぜ飛ばないのだ。

2008年03月20日 | 日々思うことなど
なんだか変である。ちょっとおかしい。
いや、変だと感じる自分のほうがおかしいのか。

誰かに「太陽が昇れば夜が明ける」とか「犬が西向きゃ尾は東」と言われたらどうしますか。
大真面目に「気付かなかった」と感心したり「そんなことはわかってる!」と怒ったりするだろうか。
たいていの大人は笑うか「だから何?」と適当にいなすだろうと思う。
それなのに、「よく生きるにはわずかな勇気が必要だ」というわかりきったことを書いたブログが700以上のブックマークと70以上のトラックバックを集め、賛否両論・侃侃諤諤・喧々囂々の大騒ぎを起こしている。
どうも解せないのである。

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
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70のトラックバックを読むだけの、めったにないお仕事です。 - Attribute=51
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日本人は、いや「はてな」ユーザーは生真面目な人が多いと実感した。いや、痛感した。
集まったトラックバックやコメントをざっと眺めてみたけれど、真面目に感心したり感動したり納得したりする人や、怒ったり批判したり罵倒したりする人ばかりである。私のようにguri_2氏をGTO神や25歳金無し君や阿部さんと並べて笑う人はほとんどいない。
「要は、勇気がないんでしょ?」という挑発的なタイトルの記事はどう見ても煽りである。読者にチキンレースを「やらないか」と誘っている。度胸に感心したり「やってやろうじゃないか!」といきり立つ人が多くてなんだか疲れる。

ポジティブな生き方は結構なものだ。だが同時に滑稽でもある。

アクセルを踏むと走り出す。一度やってみなよ。 - 玄倉川の岸辺

GTO神の「アクセルを踏むと走り出す、マジで。ちょっと感動。」
25歳金無し君の「一度やってみなよ。」「マジでお勧め。」
阿部さんの「男は度胸!なんでもやってみるのさ」

これらのポジティブな名言を見たときほとんどの人は笑うはずだ。
馬鹿馬鹿しくて素直に可笑しいのである。
GTO神も25歳金無し君も阿部さんも、世間の常識からはちょっと(どころではなく)ずれている。
GTO神はAT・NAの愛車が最強最速だと信じてるし、金無し君は怪しげなオンラインカジノの広告で、阿部さんはノンケでも構わず食ってしまい特殊プレイに積極的なホモだ。彼らは非常識だけどポジティブだ。ポジティブだけどずれている。
もしかしたら、事なかれ主義が横行し「KY」などという言葉が流行る日本では世間の常識から外れないと自分らしくポジティブには生きられないのかもしれない。彼らの滑稽さは勇気であり強さでもある。
笑わせたり笑われたりすることで固定観念を揺さぶり、殻を破って心をしなやかに自由にする。滑稽は結構だ。
だから私はGTO神を崇拝し、金無し君を愛し、阿部さんになら抱かれてもいいと憧れるのだ。
畏れ多くも神々の真似をしてGTOを買ったりオンラインカジノに金をつぎ込んだりハッテン場に行ったりはしないが、「ちょっと感動」「一度やってみなよ」「なんでもやってみるのさ」という名言は胸に刻み込まれている。つらいときにそっと呟いて勇気と笑いを思い出す。一度やってみなよ、マジでお勧め、である。

そんなGTO教徒の私から見て、guri_2氏の「要は、勇気がないんでしょ?」という記事は絶望的なまでに滑稽味が足りない。読者を笑わせるどころか反省させたり怒らせたりしている。笑いで人に自由と勇気を与えるGTO神のありがたい教えではなく、信徒を威圧して「積極的な」生き方を押し付ける邪悪なポジティブ教に魅入られているようだ。たいへん嘆かわしい。


急に話は変わるが、4年ほど前にGTO教徒が作ったとしか思えないような素晴らしいドラマがあった。
「お前はなぜ飛ぶのだ。お前はなぜ飛ばないのだ。」は坂口憲二が演じた宇宙飛行士・秋山のセリフである。

愛するために愛されたい
日本にある宇宙機関JASDAでスペースシャトルの打ち上げを目指す秋山達。途中、理沙が訓練中に山道を2キロも転げ落ちて怪我をしたり、星野がルナティックだったり、病気で死亡フラグが立っていたはずの宮田が火事で亡くなったり、それにより謎の男・ジョージ松岡が赴任してきたりと多少のトラブルもあったが、なんとかシャトルを打ち上げるところまでこぎつける。

一方、初回でビルから落ちたのになぜか生きている玲子が実はゴーストであったことが、途中の回のナレーションで唐突に視聴者に明かされる。玲子は自分が死んだことを知らずに、今までタンゴを踊ったりシャンパンを飲んだりと生活してきたのだ。そして亡霊となって現れた宮田のテレパシーにより、玲子自身も自分がゴーストという事を知るのであった。

そして最終回、色々あって急遽搭乗員となった秋山と星野はスペースシャトルに乗り込み宇宙へ。そこで秋山は宇宙空間に浮かび上がりながらタンゴを踊る巨大な玲子と会話をし、宇宙のかなたへ消えるのであった(その際、星野は脱出カプセルで射出する)。そして秋山と玲子はどこかの時代のどこかの星に生まれ変わり、恋人同士となるのであった。


深遠で哲学的、大真面目な愛と勇気と真実のドラマである。
そして見るものを爆笑させるとてつもない滑稽さがある。
ジョージ松岡とかタンゴとかシャンパンという単語を見ただけで笑ってしまう。柳葉敏郎の顔芸も西岡徳馬の日系アメリカ人ぶりも素晴らしかった。その中でも武田修宏の演技を超えた演技はすべての視聴者を感動させずにおかない。彼こそGTO神に愛された男だ。
「要は、勇気がないんでしょ?」などという低級な煽りにつきあうくらいなら「愛愛」を見ろ!と言いたい。笑いの神を目の当たりにして爆笑し自由と勇気を取り戻せ!!!

…だが残念ながら「愛するために愛されたい」はいまだにDVD化されておらず、見ようと思っても見られないのだ。なんてこった。
せめて「愛愛」愛にあふれたブログ記事で伝説的ドラマの素晴らしさを知ってほしい。

愛するために愛されたい:baddreamfancydresser-diary






JASDA職員・阿部高知さんからのメッセージ



宇宙旅行やらないか

アクセルを踏むと走り出す。一度やってみなよ。

2008年03月17日 | 日々思うことなど
皮肉でもなんでもなく、ポジティブ思考で積極的に生きることは素晴らしい。
それなのに、「みんなもっと勇気を出そう」と呼びかける文章を読んで生暖かい気持ちになってしまうのはなぜだろう。

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
友達はオレの顔をじっと見つめながら、一言、

「だせぇ」

と言いました。

ごちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん
彼は言います。

言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、

勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。

ナンパする勇気もないやつが、出会いがないとか言うんじゃない。


この記事ははてな方面で大いに反響を呼び、500以上のブックマークを集めている。

はてなブックマーク - 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

私はなぜか「2ちゃんねる」でしばらく前に流行った「神のGTO」コピペを思い出した。

頭文字ネ申

53 名前: 名無しさん@そうだドライブへ行こう 投稿日: 01/11/25 12:13 ID:CG0qFzoc

GTOのATのNA乗ってる。先月免許取得して中古探しに行ったら見た瞬間に即決した。
カッコイイ、マジで。そして速い。アクセルを踏むと走り出す、マジで。ちょっと
感動。しかもスポーツカーなのにATだから操作も簡単で良い。NAは力が無いと言わ
れてるけど個人的には速いと思う。ターボと比べればそりゃちょっとは違うかもし
れないけど、そんなに大差はないって店員も言ってたし、それは間違いないと思う。
ただ坂道とかで止まるとちょっと怖いね。ATなのに前に進まないし。
速度にかんしては多分ターボもNAも変わらないでしょ。ターボ乗ったことないから
知らないけどタービンがあるかないかでそんなに変わったらアホ臭くてだれもNAな
んて買わないでしょ。個人的にはNAでも十分に速い。
嘘かと思われるかも知れないけど東関東自動車道で140キロ位でマジで34GTRを
抜いた。つまりはGTRですらGTOのNAには勝てないと言うわけで、それだけでも個
人的には大満足です。

カーマニア以外の人に説明すると、GTOとは三菱GTOというスポーツタイプの車のこと。



ATは自動変速機(オートマチックトランスミッション)、NAは自然吸気エンジン(ナチュラルアスピレーション)を意味する。ATは運転が楽でNAは燃費が良いけれど、カーマニアにはマニュアルやターボエンジンと比べて鈍重だ、パワーが無いと見下されることがある。
「神のGTO」の面白さは、そんな車に乗りつつ「速度にかんしては多分ターボもNAも変わらない」と言い切り「(世界最速の量販車と呼ばれる)GTRですらGTOのNAには勝てない」と豪語する無邪気さにある。
「GTO神」の文章は2ちゃんねるで大受けし、たくさんの改造コピペが作られて一世を風靡した。私も大好きでいくつか作ったことがある。どれくらい受けたか知らないが個人的には大満足です。

GTO・AT・NAのガイドライン 5

GTO神はポジティブ思考だ。人生が楽しそうである。正直言ってうらやましい。
免許を取ってすぐ自分が惚れ込める車を見つけて即決し、スタイルと速さに大満足し、ついにはGTRより速いと言い切ってしまう。夜郎自大とか井の中の蛙とか貶すことは誰にでもできるが、これほどまでにカーライフを楽しんでいる人はそんなにいない。

GTO教の末端信者として信仰告白すれば、人生も車も自らの意思で「アクセルを踏」まないと走り出さないのである。逆に言えば、よほど調子が悪くないかぎりアクセルを踏みさえすれば力強く前に向かって走る。ちょっと感動。
アクセルを踏みもしないで前に進まないと嘆いてみても始まらない、感動できない、という教えは完全に正しい。宇宙の真理である。

だが、残念ながらGTO教はネガティブ思考の日本人を変えることはできなかった。それはなぜか。
日本社会は、いや日本の道路はやたらとあちこちで渋滞しているからだ。
自由にアクセルを踏んで走り出し感動を味わいたくても、車間距離10メートルでは不可能だ。流れに乗ってダラダラ走るほかない。自分の意思で前に進んでいるのかそれとも後ろから押されてるだけなのかわからない。やっとのことで渋滞を抜けても広い道にはスピード取締りが待ち構えている。狭い道は曲がりくねって危険だ。とかくに人の世は住みにくい。
日本人はへんに頭がよくて見栄っ張りだから「GTRですらGTOのNAには勝てない」と思い込むのは難しい。どうしても走る前から自分の実力を見極めてあきらめてしまう。うかつにGTR(断固害とも呼ばれる)と張り合って恥をかきたくない。つい右足から力が抜ける。
最近は特にガソリンが高い。アクセルを踏めば踏んだだけガソリンを消費する。車を走らせるには保険に入る必要があり、税金も払わなければならず、都会では駐車場代は家賃並みで、何かと物入りだ。それなら「無理して買う必要はない」「車なんかいらない」「アクセル踏んで走り出し『ちょっと感動』しなくてもいい」と思うのは自然なことだ。
GTO神のように無邪気に人生とカーライフを楽しめる人は幸福である。


GTO神の仲間のポジティブ神に「25歳金無し君」がいる。
有体にいえばオンラインカジノの広告なのだが、こちらのお告げもたいへん味わい深い。

■一度やってみなよ■ コピペ・AA元ネタ集 【Shining Award】
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで二倍になる。
金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。
ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧め。

「去年まで金無し君」だったのに「二年で350万貯めた」というのは矛盾じゃないかとつい思ってしまうが、そんなことを気にしているとポジティブに生きられない。断然無視するのが男らしい。
「一度やってみなよ。」という金無し君の教えは「アクセルを踏めば走り出す。ちょっと感動。」と同じくらい素晴らしい(しょーもない、とも言える)。人生もオンラインカジノも「金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。」のだ。未来にすばらしい楽しみが待っているのになぜあなたは(私は)ためらうのか?(「要は、勇気がない」からだ!)
ポジティブな生き方の妙諦とは
 「アクセルを踏めば走り出す。ちょっと感動。」
 「一度やってみなよ」「マジでお勧め」
である。

最後に日本を代表するいい男、阿部高和の名言を記す。



「男は度胸!なんでもためしてみるのさ」


ご清聴ありがとうございました。

「代理出産」禁止を支持する

2008年03月08日 | 代理出産問題
「代理出産を法律で禁止すべき」とする日本学術会議の最終報告書に安心した。
現実的に考えるとあまりにも問題が多すぎて原則禁止以外ありえない。
産婦人科医の方が起こりうる(実例が増えれば確実に起きる)問題点を具体的に書いてくださっているのでぜひ読んでほしい。

代理母に関するトラブルシューティング|ポンコツ研究日記~悩める産婦人科医のブログ~

そもそも「代理出産」とはマスコミ好みの美談にできるような甘い代物ではない。
依頼者の「強い欲望」と代理母の「身体的・精神的リスク」そして全国民が負担する社会的コストがぶつかりあうキナ臭い話である。依頼者の願望ばかり伝える情緒的な報道は狼の仔を子犬と偽って売りつけるようなものだ。それを知らない、あるいは危険から目を背けた情緒的な「代理出産」賛成・容認論には意味がない。
鴨下委員長をはじめとして誠実に「代理出産」の問題を検討し倫理的・社会的に適切な報告書をまとめてくれた学者の方々に感謝する。

「代理出産」営利目的には刑罰を…学術会議が最終報告書 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 代理出産の是非を検討してきた日本学術会議の「生殖補助医療の在り方検討委員会」(委員長=鴨下重彦・東京大名誉教授)は7日、代理出産を「生殖補助医療法(仮称)」で禁止し、営利目的で代理出産を行った場合は依頼者を含めて刑罰の対象とすべきだとする最終報告書をまとめた。

 過去にも法制化を求める厚生労働省の報告書が出されたことがあり、学界の総意といえる今回の報告書を受けた具体化への動きが、今後の焦点となる。

 受精卵を第三者に託して出産を依頼する「代理出産」の実施については、依頼を受けた代理母や生まれた子供の身体的・精神的負担が大きいと判断し、外国で代理出産を行っている現状に歯止めをかけるため、新たな法律で禁止すべきだと決めた。

 特に、金銭の授受などが絡む営利目的で代理出産が行われた場合は、依頼者と仲介者、医師の3者を刑罰の対象とした。出産を請け負った代理母は、「妊娠・出産を負担した被害者」などの理由で対象から外した。

 一方、現時点では代理出産に関する医学的情報が不足しているため、公的機関の厳重な管理のもとで代理出産を試行することは、例外的に考慮されてよいと指摘した。産婦人科医や小児科医、法律家、心理カウンセラーなどで構成する機関が、〈1〉依頼する女性に子宮がない〈2〉代理母が他からの強制を受けていない――など、厳しい条件のもとで試行する場合に限る。試行で問題が出た場合には、その時点で全面禁止にする。

 また、海外などで実施された場合の親子関係については、代理母を法的な母とするが、依頼夫婦と養子縁組することは認める。

 この問題に関し舛添厚労相は同日、「立法府で早めに議論することが必要。各国会議員が、自分の哲学に基づいて、考えをまとめる時期にきている」と話し、法制化に向けた早期の国会での議論が必要との認識を示した。

 同検討委は、法相と厚労相の要請を受け、代理出産の是非を中心に昨年1月から計17回にわたり審議を行ってきた。

(2008年3月7日23時35分 読売新聞)


国会議員の方々は「学術会議はなぜ世論(過半数が容認)に逆らう原則禁止を結論としたのか」真剣に考えてほしい。倫理的・医学的・社会的問題が大きすぎるからだ。
いわゆる「代理出産」(私は寄生出産と呼ぶ)は「子供を産めない女性がかわいそう」「当事者が同意していればいいじゃないか」といった安っぽい情緒だけで認められるようなことではない。仮に認めるとしても「代理出産を認めることによって生じる新たな犠牲者」の存在を覚悟し、社会的コストを冷静に計算した上でなければならない。気分を良くさせる「美談」ばかり見ていたら現実に裏切られるのは目に見えている。
自民党の野田聖子議員(私はこの人が大嫌いだ)は「どこが問題なんでしょうか!? 誰に迷惑をかけるわけでもないのに」などとお気楽なことを言っている。なんという無責任、想像力の欠如だろう。野田氏のような人が政治家として、不妊治療を受ける女性の代表面して大きな影響力を持っているのが恐ろしい。

想像力が足りない、あるいは自分に都合のいい想像しかしない人は信用できない。そういう人がいくら「大丈夫、問題ない」と言っても半分に割り引いて聞いたほうがいい。私にとっては「Because It's There」春霞氏がそういう人である。

Because It's There 代理出産に関する、近時の解説記事を紹介~読売新聞「生命を問う」(4月22日連載開始)より
すでに代理出産を認める結論は決定事項のようです。そうなると、日本学術会議は、代理出産を肯定する論理の提示と実施要綱を決定することが役割となるのでしょう。本来は、白紙の状態で議論してもらうはずだったのですが、政府によって結論が決められているのですから、学者の存在意義とはなんだろうかと空しい感じにもさせられます。

このような政府の意向は、代理出産否定派の方にとっては残念でしょう(苦笑)が、代理出産賛成の立場としては、実施条件にもよりますが少しは安心できるものといえそうです。

春霞氏は「日本学術会議は、代理出産を肯定する論理の提示と実施要綱を決定することが役割となるのでしょう」と都合のいい想像をして「学者の存在意義とはなんだろうか」とお節介を焼いたり「苦笑」したりしていたが、今回の最終報告書という現実に裏切られた。自業自得である。私は苦笑はしない、嘲笑する。
私も以前は「春霞氏は頭のよさそうな人だから断言にはそれなりの根拠があるのだろう」「特別な情報を知りうる立場にあるのかな」と一目置いていたが、完全に見損なっていた。今の私の評価は「春霞氏は都合のいい情報だけを信じて広める人」である。もちろんそんな人の主張する「自己決定権による代理出産容認論」も信用に値しない。

ダメな美談

2008年03月01日 | 日々思うことなど
たいていの人は「いい話」「美談」が好きだ。
心温まるエピソードを聞いて笑ったり泣いたりしてカタルシスを得る。
それは何も悪いことじゃないけれど、残念ながら世間で流通する「美談」には少なからずダメなものが混じっている。
「ニセ科学」の真似をして「ニセ美談」と呼ぼうかとも思ったが、それだと「事実を偽っている」という意味になる。私が問題にしたいのは「仮に事実であっても、多くの人が感動しても、それでも問題がある『美談』」だ。
とりあえず「ダメな美談」と呼ぶことにする。

とはいっても、考えてみればたいていの美談にはどこかしらダメな部分がある。
「不良少年が人助けした」とか「事故が起きて勇気ある人が人命救助した」という話は美談だ。だが「いいことしても不良だろ」とか「そもそも事故が起きたのが問題だ」と批判することはできる。あまり厳しく言うと「美談なんて世の中には存在しない」ということになってしまう。それではやりすぎだ。

世の中で美談として通用している物語を批判するのはなかなか難しい。
具体的には「代理出産」とか「募金を集めて海外で心臓移植」とかいった話だ。
「そもそも美談じゃない」と一刀両断にしてしまうと、美談を好む人たちは自分の価値観を全否定されたように感じて反発する。二分法は美談好きと美談嫌いの間の溝を深め対立を先鋭化させる。これではまずい。
「美談」と「ダメな話」のあいだに「ダメな美談」という区分を作れば、美談好きと美談嫌いが落ち着いて話ができる。「美談にもダメな部分がある」「ダメな話だけど美談の部分もある」と認め合えば「どこがダメなのか、どこが美談なのか」語り合えるはずだ。

…と考えてはみたけれど、美談好きな人たちは「ダメな美談」というアイデアを受け入れないような気がしてきた。
「ここはいいけれどここはダメだ」という分析はきっと彼らの好みに合わない。「いい話なんだから細かいことにケチを付けるな」と言いそうだ。彼らは基本的に「気分を悪くする事実」よりも「気持よくしてくれるお話」のほうが好きなのである。ひとたび美談として認識したら批判的な雑音は耳に入れない。やりすごせるうちはやりすごし、ダメな事実を認めざるを得なくなってようやく考えを変える。そのときは「純真な自分を騙した奴は許せない」とばかりにかつて賞賛した「美談」の主役を厳しく非難する。
最近の例で言えば、ボクシングの亀田一家を持ち上げたのも、彼らが誰の目にもごまかしようがないほど醜い正体を表したときバッシングしたのも、美談好きで裏切りを許さない純真で善良な日本人である。


参考記事
 漬物倉庫(嘘): 『批判を批判する人』を整理