玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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聖火リレーと「警察のお仕事」

2008年04月28日 | 日々思うことなど
長野の聖火リレーはとりあえず無事に終わったようだ。
「フリーチベット・チーム」も「加油中国チーム」(松沢呉一氏の命名による)も日本国憲法で保障された表現の自由を謳歌したのはたいへん結構なことだ。ただ、一部にはヘイトスピーチや暴力行為が見られたことは残念である。

さて、フリーチベット・チームが長野県警の警備の不公平さを批判している。

長野県警さんって一体…:FREE TIBET
なんと。

中国人は優遇処置されてたそうですね。

かなりビックリ。

日本人を守りもせず、中国人ばかり擁護して一体どうするつもりなんだい、日本の警察さん。

世界最低の国、日本(転載)
出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。

警察の言い分。

「危険だから」

じゃあ、何で中国人はいいんだ?

「......ご協力お願いします。」

は?

それやらせじゃん。

中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

『聖火リレーin長野』スタート&ゴール地点状況まとめ - 想像力はベッドルームと路上から
チベット国旗、ないしはチベット弾圧に反対するメッセージボードなどを掲げる事、あるいは「チベット支援者だと思われる人物」の行動制限は、スタート地点・ゴール地点双方でかなり厳しく行われていました。

フリーチベット・チームの不満は心情的には理解できるけれど、私は長野県警のやり方がひどいとか許せないとは思わない。むしろよくやった、ご苦労様でしたと言いたい。

そもそもフリーチベット・チームの方々は警察に何を期待していたのだろう。
あまりにもナイーブすぎる。最初から事情がわかっていてあえて警察を批判してみせるならまだしも、どうやら純粋に怒っている人が多いようでびっくりする。
長野県警の仕事は治安を守り長野市主催のイベントを無事に終わらせることである。抗議が平和的に行われると確信できる状況でない以上、抗議側の行動規制を行わざるをえない。エクストリーム聖火リレーにおいてフリーチベット・チームは攻撃側であり、加油中国チームと警察は防御側である。最初から利害が対立している。

警察は治安維持のためのお役所である。警察の方針を決めるのは警察官僚、つまり役人だ。役人の処世術は事なかれ主義であり、責任を取らされることを何よりも恐れる。フリーチベット・チームのほとんどが日本人であるのに対し、加油中国チームは中国人ばかりだ。バックの力がぜんぜん違う。

フリーチベット・チームに本気で肩入れする有力政治家や大物財界人がいるとは聞いたことがない。砂のごとき市民の集まりであり、彼らの機嫌を損ねても後で上のほうから叱られることはない。せいぜい一部のマスコミとネットが騒ぐくらいだ。
逆に加油中国チームの後ろにはオリンピックに国威発揚を賭ける中華人民共和国が付いている。彼らの機嫌を損ねてしまい「不当弾圧だ」「差別だ」と騒がれると外交問題になる。外務大臣が謝らされたり警察庁長官が責任を取らされる羽目になるかもしれない。そうなると長野県警はたっぷり油を絞られる。お役人である警察官僚がそんな事態を望むわけがないし、フリーチベット・チームの正義のために泥をかぶる覚悟などあるはずもない。

今回は「フリーチベット・チームv.s.加油中国チーム」だったが、他の場合でも警察は同じような対応をするだろう。
オーストラリアから「捕鯨反対チーム」が来日して日本人の「鯨食わせろチーム」と衝突しそうになれば警察は「お客さん」である捕鯨反対チームを守って鯨食わせろチームを抑圧する。アメリカから「原爆投下の正当性を主張する歴史家グループ」が来日して「被爆者・反核運動グループ」と衝突しそうになれば警察は後者を押さえ込む。警察のお仕事とはそういうものであり、政治的な「正義」とは無関係だ。

結果として長野県警は加油中国チームの好き勝手にさせたわけだが、それが中国人たちの望む結果につながるとは思えない。

『聖火による市中引廻の刑』~晒されているのは中国という国家の特異性 - 木走日記
 中国という国を語るときにはいろいろな意味でその13億という巨大な人口、頭数の多さを無視しては語ることができないのでありますが、世界各国で大量の留学生を動員して沿道を五星紅旗と中国人で埋め尽くしてしまうという、このような頭数を利用しての聖火を独占するかのような集団行動は、中国政府は意図していないでしょうが、これでは世界の人々の反感は買っても、中国への理解を深めることはないでしょう。

 まったくの逆効果なのであります。

 まさに『聖火による市中引廻の刑』であります。

 そして引廻され「みせしめ」にされているのは、まさに中国という国家の特異性なのであります。

木走氏の意見に完全に同意する。
加油中国チームは思いきりONE CHINAを叫び愛国心を高揚させ満足して長野を後にしたのだろうが、それを見る日本人の目は決して暖かいものではない。むしろ異様さと恐れを感じて「引いた」人が多いはずだ。
かのテサロニケ大先生は「政治戦は中国側の圧勝で右翼側の完敗だった。」と満足しておられるが、あの方の予言が当てにならないことはご存知の通りである。

参考記事

自分の感覚としては、「棲み分け」は(すべきではなかったけど)やむなしだった - sjs7のブログ
そりゃあ理想論として「棲み分け」なんていうのは、対話促進*2というデモの精神から外れることだし、良くないのもわかるんですが、じゃあ誰か怪我したり騒動が起こったときあんたたち責任取れるの?というのが、警察の言い分でしょう。僕も、それについては警察に同意します。少なくとも傍観者としてみてる分には今回の警察はグッジョブだった。

長野聖火リレー現地レポート:TBN -Today's Best News-
一部の中国人が日の丸を持ち、日本人の若者たちの間に真の人権意識を持った人が現れ、遠い長野まで来て、冷たい雨の中でフリーチベットと叫び続けた人がいたのを見れたことは収穫でした。

【読みもの】黒子の部屋 ≫ お部屋1474/長野観光ガイド●スタジオ・ポット/ポット出版
地元の人たちはどう感じていたかと言えば、五星紅旗だらけになってしまったことの反発もあると同時に、リレーに反対する「フリーチベット・チーム」に対する反発も強くて、「どっちもウザい」と感じている人がもっとも多かったように思え、私自身、地元の人に怒られました。すんません。両方のチームを代表して謝ってきました。
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「善光寺が発した静かな怒り」 …?

2008年04月22日 | ネタとか
2ちゃんねるや右のほうのブログでこんなコピペが増殖している。


「善光寺が発した静かな怒りは、世界の全仏教徒のみならず宗派を超えた
 宗教指導者が身を切るほどの警告となった」@CNN(アメリカ)

「ZENKOUJIは一滴の血も流さず、一個の石(投石?)も用いずに最大級の
 デモンストレーションを成し遂げた」@NBC(アメリカ)

「日本の対中外交の勝利をもたらしたのは、政治家ではなく若き僧侶だった」@F2

「2000年の時を越えて、遠い東の国にBuddismの精神が変わらず受け継がれている
 ことをZenkojiはこれ以上にない方法で示した。我々は、我々と同じ価値観を
 共有する日本国民と日本の仏教界に強い尊敬と親しみの念を覚える。」@IDN(インド)

「物静かで政治的な主張をしないことで知られる日本が動いた。拡声器もプラカードも
 用いないその静かな抗議の声はしかし、どんな喧騒よりも深く強く世界の人々の心に
 届くに違いない。」@BBC(イギリス)

「聖火リレーのボイコットを表明したその日も、Zenkojiは静かだった。その日、
 Zenkojiの境内で取材を続ける私は、全身にしみこむ鐘楼の深く低い音に思わず
 立ち尽くした。憎しみや悲しみを洗い流すこの聖なる音色が1300年にわたり
 受け継がれていることは世界の奇跡である。」@AE通信(オーストラリア)

「聖火リレーは皆で楽しんでやるものだと思うんですけど…残念ですね」@福田康夫(日本)

善光寺が発した静かな怒り - Google 検索

ネタの臭いがプンプンするのだが、真面目に受け取る人が多いようだ。
以前にも同じようなことがあったのを知らないのだろう。そのときも右のほうの純情な人たちがたくさん踊らされた。

アインシュタインの予言 - Wikipedia
アインシュタインの予言(アインシュタインのよげん)とは、アルベルト・アインシュタイン(1879年 - 1955年)の発言として流布されている約300文字程度の言葉。近代日本の驚くべき発展を賞賛し、来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるであろうと予言している。さらに、そのような尊い国を作っておいてくれたことを神に感謝する、と続く。ただし、アインシュタインがこのような趣旨の発言をした例は一例も存在しないとする論証が2005年に提出された。

アルベルト・アインシュタインと日本
アインシュタインの予言について

「善光寺が発した静かな怒り」コピペは99%ネタ・ジョーク・作り物・捏造だと思う。
私は英語もフランス語もヒンディー語もドイツ語も読めないので原典探索はしていない。
語学力と暇な時間があり物好きな人が検証してくれることを願う(ひとまかせ)。
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スジガネ入り

2008年04月19日 | 日々思うことなど
味噌汁の味は飲んでみなければわからない。
トマトの味噌汁(南野陽子おすすめ)とか牛乳入り味噌汁というのがあって案外おいしいらしい。
私は飲んだことないけれど、「まずいに決まってる」と決め付けたくない。

asahi.com:「駄作」「労作」…右翼系団体の活動家ら「靖国」試写会 - 社会
2008年04月18日21時09分

 上映中止で話題の映画「靖国」をめぐり、主に右翼系団体の会員向けの試写会が18日、東京都新宿区のライブハウス「ロフトプラスワン」で開かれた。試写後、参加者らは「駄作」「労作」「靖国を理解していない」「反日とは思えない」など賛否の意見を交わした。

 主催側のロフトによると、全国から活動家ら約150人が集まった。試写する機会を設けたいという右翼・民族派団体幹部らの要望や相談を受ける形で企画したという。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ方をされていたから」と説明した。

 2時間の試写の間、会場は静寂そのもの。国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも、何の声もあがらなかった。

 試写後は、会場で活発な意見が交わされた。文化庁の公的助成に納得できず「返還を求める訴訟を起こす」という声が出ると、「我々も助成を受けて親靖国映画を作って反論すればいい」。「別になんということもない作品なのに、メディアが注目をあおった」との意見もあった。

 同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的というイメージは違う。だれもが(映画を)見もせず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ(勝負)。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。

 一水会の鈴木邦男顧問は「試写会を開き、建設的な議論ができたのはいいことだ」と話した。

気持ちのいいニュースである。
一部で「反日的」とされた映画を右翼の方々が真剣に見ていろいろな意見を交わした。
「大事なのは表現者同士のガチンコ(勝負)」と語った河原氏に共感する。
山本七平が「スジガネ入り」とそうでない人たちについて書いた文章を思い出した。

Amazon.co.jp: ある異常体験者の偏見 (文春文庫): 山本 七平
一日一冊読書日記 : ある異常体験者の偏見/山本七平

 私は、「スジガネ入り」といわれる人びととは気が合う。もちろん偽者のスジガネ入りはこまりものだが、本物は実に気分がよい。スジガネ入りの共産党員でも、スジガネ入りの創価学会員でも、断固たる自由主義者でも、骨の髄までのカトリック教徒でも、また出世主義者でも、マイホーム主義者でも、拝金主義者でもよい。
 そういう人たちはみな、自分の主義で明確に自分を律し、各々自分の「主義を生きている」。そういう人はみな、不思議に「律せず律せられず」であり、そうであるが故に、お互いに違う尺度の共通項を見つけようと、愉快に話を進められるからである。
 ところがこれが、いわば「毛沢東の言葉を権威として引用して他を律しながら」「毛沢東主義をもって自らを律しない」タイプの人は非常にこまる。なぜこまるかというと第一、騒々しい。
 なぜ騒々しいか。理由は簡単である。本物の主義者は、その主義で自分を律しており、自らが存在する限りそこに主義があるから、生涯沈黙していても平気なのである。黙って『赤旗』を配布しつづけた七十何歳かの無名老党員がおり、この人からは忘れたころ電話がかかってくるが、彼もそういった一人である。
 もちろん私と彼とは考え方も生き方も違うが、いつ話をしても実に気分がよく、何を話してもお互いに何か安心感がある。ところが自らはその主義に生きず、自分は、たとえば出世主義とか商業主義とかいったような他の基準で平然と生活しながら、それとは関係ない別の主義、たとえば毛沢東主義などで他を律しようとする者は、律することをやめた瞬間にその主義は消えてしまうから、自己の存在を示し、かつ自己の奉ずる本当の主義を隠すために、否応なしに、その主義を一つの権威の如くに振りかざして他を律せざるを得なくなる。
(p112-113)


 自分がその「主義を生きる」気がはじめからないなら、だれでも、どんな過激なことでもいえる。日共が拒否した主義を平然と権威としてふりかざすことも出来るし、軍人がぶったまげるような誇大妄想狂的超大軍国主義を売ることも当然に出来るわけである。
(p117)


「スジガネ入りとは気分よく話ができる」というのはわかる気がする。とはいえ、私はスジガネ入りの犯罪者とか差別主義者とかカルト信者と安心して話はできない。彼らの危険な考え方に影響されてしまいそうな自分が怖いのだ。
それはともかく、「靖国 YASUKUNI」の試写会に集まった右翼の多くはスジガネ入りなのだろう。自分の主義主張が堅固で負けるつもりがないから「大事なのは表現者同士のガチンコ(勝負)」と言える。
右翼が真剣に「反日」映画を見たのだから、次は左翼が「歴史修正主義」の映画「南京の真実」を見る番だ。
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幻の謝罪要求

2008年04月19日 | 「水からの伝言」
一度は収束したかに見えた左のほうの「水からの伝言」騒動が最近またくすぶり始めた。その火種は二つある。
一つは布引洋氏ニケ氏による「水伝批判は某組織の陰謀」という妄想。
そしてもう一つが水葉氏(消失したブログ「keep changing !」)による「批判派の(連合赤軍の「総括」のように)しつこい謝罪要求が問題だ」とする意見。
最初の陰謀論についてはあまりに馬鹿らしいので批判する気も起きない。kojitakenさんの突っ込みにおまかせする。
水葉氏による批判のほうは気になった。
「水伝」批判派がぶいっちゃん氏にしつこく謝罪を求めたり「らんきー」一派を「総括」しようとしたことなどないからだ。

どうしてそんな誤解が生まれたのか調べてみようと思い、以前に作ったリンク集を利用して「騒動」に関わったブログを読み返した。面白かったけど徹夜になった。
結論から言えば、すべては幻だった。

以下、各記事とコメントから「謝罪要求」「悪意認定」に注目し時系列を整理して引用する(敬称略)。




らんきーブログ 明けましておめでとうございます
01.02 16:41  ニケ      「私から見ると悪意を感じますね、わざわざURLを紹介して
                  エントリー上げてるなんて・・・」
01.02 22:57  たんぽぽ   「バカにしたのではないです。批判(まちがいの指摘)をしたんです」
                 「べつにわたし、気に障ってもいないですよ。」
01.02 23:48 ぶいっちゃん 「はいはい、よくわかりました。」
01.03 04:34 ニケ      「言い訳に隠した「悪意」があるとしか思えませんね。
                  謝罪することをお勧めします。」
01.04 23:11 ぶいっちゃん (たんぽぽに対して)「貴方のコメントは削除しました、
                  今後掲載しませんので、あしからず。
                  来ないで下さいというのはそういう事です。」

たんぽぽのなみだ~運営日誌: 水からの伝言(3)
01月06日 かつ・Anti-Ranky・kojitaken ニケの煽り行為を批判

らんきーブログ 水の話だけに水掛け論か?(笑) 【言葉の力】
01.06 15:08  ニケ 「「総括」という言葉も思い出してしまう危険な雰囲気でした。
             そのうちに「内ゲバ」が始まらなければいいがと・・・(笑)」

たんぽぽのなみだ~運営日誌: 水からの伝言(4)
01月08日 05:06 なみだちゃん 「たんぽぽさんはアク禁までされたのに、全く謝罪なしに
                     話の方向を180度変えちゃうってどういうことお?」
01月08日 23:31 たんぽぽ   「こうした場合、わたしのことはだまって無視するだけで、
                    釈明も謝罪もなんにもないと思います。」

らんきーブログ 色々な人に支えられて・・・ 【感謝と反省】
01.11 01:15 ぶいっちゃん 「例え、私が100正しくとも、子供に頭ごなしに言っても素直に
                  聞かないこともある。無理強いして「わかったか!謝れ!」と
                  言っても反発心だけが残るかもしれません。」
01.11 08:06 水葉      「何年も前に書いたものに対しても全てに責任を持ち、釈明や
                  謝罪の義務を課せられるのなら、もうブログに戻らなくてもいいや、
                  という気持ちにさえなったり・・・。」

たんぽぽのなみだ~運営日誌: 水からの伝言(8)
01月16日 00:23 たんぽぽ 「らんきーブログ」の1月11日エントリを見ても、
                  不特定多数の「多くの方々」に、謝罪してはいますが、
                  わたしのことは、とくに何も言っていないです。
                  (略)
                  これは実質的な、わたしに対する謝罪拒否と見てよいでしょう。
                  (略)
                  わたしにあやまるのは、だれかによる強制ということのようですが、
                  いまさらわたしに、頭なんか下げられない、ということなのでしょう。
                  (期待はしていないけれど。)



「悪意を感じる」と言い出してたんぽぽ氏への反感を煽ったのはニケ氏(01.02 16:41)
「謝罪することをお勧めします。」この騒動で初めて謝罪を要求したのもニケ氏(01.03 04:34)
「総括」「危険な雰囲気」「内ゲバ」と言い出したのもニケ氏(01.06 15:08)

ニケ氏の悪質な煽りが「らんきーブログ」の「空気」を決めた。

「無理強いして「わかったか!謝れ!」と言っても~」と言い出したのはぶいっちゃん氏(01.11 01:15)
「謝罪の義務を課せられるのなら」これは水葉氏の言葉(01.11 08:06)

批判派はそれまで一度もぶいっちゃん氏に謝罪を要求していない。ほのめかしてもいない。
「釈明も謝罪もなんにもないと思います。」(01月08日 23:31)
「わたしにあやまるのは(略)期待はしていないけれど。」(01月16日 00:23)
たんぽぽ氏はぶいっちゃん氏の謝罪をほとんど当てにしていない。

「謝罪の義務」はぶいっちゃん氏と水葉氏の合作による幻影である。
「しつこく謝罪要求するたんぽぽ氏」というイメージは水葉氏の作り出したモンスターであって、現実のたんぽぽ氏とは無関係だ。頭の中のモンスターに怒り、おびえ、連合赤軍まで持ち出して批判しようとした水葉氏は愚かとも哀れともいいようがない。
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野狐禅リベラルの後悔

2008年04月18日 | 「水からの伝言」
少し後悔している。格好つけすぎた。何様のつもりだ俺は。

身の程知らずにも「リベラル」(以下目障りなのでLと表記)について自分なりの考えを二回書いた(こちらこちら)。
書いたことが間違っているとか自分に嘘をついたとか思わないけれど、ずいぶん恥ずかしいことをしてしまった。後悔が入道雲のように湧きあがる。
自分はLについてろくに勉強したことがない。それなのになぜLを自称しているかといえば、中立を名乗るのはおこがましくて落ち着かず、左翼や右翼、保守主義や進歩主義を名乗るのは気が進まず、かといって個人主義を標榜するには稼ぎが足りず、あいまいで使い勝手がいい「リベラル」という言葉に引かれたというのが本当のところだ。
子供のころにケネディの伝記を読んで「Lってカッコいい!」と思い込んだのも原因の一つである。大人になって「ベスト・アンド・ブライテスト」を読みケネディ政権の内情に「…」という思い(どんな思いだ)を抱いたけれど、それでも「なんとなくL志向」は変わらなかった。
つまり私は自称L、なんちゃってL、付け焼刃L、気分だけL、知識も覚悟も鼻糞ほどの野狐禅Lであり、そんな奴の書いたL論もどきなど本来は人様のお目にかけるようなものではないのだ。

いまさら後悔しても遅いので、せめて誤解を防ぐためいくつか言い訳を並べる。

■ 宣伝ではない
リベラリストは「良心と理性に従って自由に考え、同時に他者の自由を尊重する。」なんてきれいごとを書いた。それは嘘じゃないけれどやっぱり嘘なのだ。禅宗のお坊さんがすべて仏陀と同じ悟りの境地に達するわけではないし、Lを名乗る人がみなそんなに立派であるはずもない。「そうだったらいいのにな」という話であり、それはたぶん夕食がカレーである確率と同じくらいだ。

■ 常に立派だったり正しかったりするわけではない
Lはときに独善的であり、現実から目をそむけ、浮世離れした理想を振りかざし、自己満足のため常識的な人たちに迷惑をかけ、知ったかぶりで恥を知らず、言いたいことを言って責任をとらず、興奮しやすくて考えが浅く、社会への要求は多いが納税額が少なく、無駄に疑い深いくせに騙されやすい。…と、思うことがよくある。
L派言論人・市民運動の具体的な行状についてはHALTANさんが何度も批判している。

躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌

リベラル・左派・市民運動系のダメさ加減についてはまじめに働いたり考えたりしている人ほど実感しているようだ。私はどうしようもない怠け者なのでよく知らないけれど。無能な働き者はなるべくおとなしくしてくれたほうが社会のために役立つ。

■ 集団でも運動でもない
身のほど知らずなL論を二回も書いたのはLを「集団」「運動」の問題として批判した文章に対する違和感からだった。私にとってLとはまず思想であり生き方の問題である。Lを仲立ちにした集団や社会運動はあって当然だが、それが全てではないはずだ。
「共闘」や「批判スキル」といった問題(それ自体は大事なことだ)をL論の本質のように語られると、政治論と称して選挙対策ばかりを聞かされたような嫌な感じがする。

■ そもそも自分はLなのか
自称Lを変えるつもりはないけれど、時と場合によって立場を変えている自分に気付く。
皇位継承については男系維持(伝統主義)、政治は小泉・麻生ファン(体制派)であり、憲法改正には前向きで、単純労働者の移民は受け入れるべきでないと思っている。どれも日本の(左寄り)正統派Lの人たちから顰蹙を買うのはまちがいない。
それでも「自分を曲げて大勢に合わせるのがLじゃないだろう」と開き直っている。ただのオポチュニストかもしれない。
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「所属する」リベラル、「なる」リベラル

2008年04月17日 | 「水からの伝言」
われながらしつこいと思うけれど、どうしても気になるので続きを書く。
「keep changing !」水葉氏の「リベラル」認識は彼女個人のものなのか、それともある程度一般的なものなのか。

実録 連合赤軍(追々記あり)|keep changing !
リベラルという狭い世界で、「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚かである。
リベラルブログが、今なおそういう世界であるというのなら、私はここを立ち去ることに未練はない。

前の記事で書いたように私は「リベラルという狭い世界」とか「「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚か」とか「リベラルブログ」から「立ち去る」といった考え方は完全な誤りだと思うけれど、どうやら私以外に水葉氏の言葉に異を唱えた人はいないようだ。
ということは、水葉式の「リベラル」論は意外なほど広く受け入れられているし、もしかしたらいわゆるリベラルな人たちの共通認識なのかもしれない。
なんてこった。
もしそうだとしたら「水からの伝言」の教育現場への広がりと同じくらい恐ろしいことである。
勘違いがこれ以上広がらないように声を上げなければいけないんじゃないか、という気がしてきた。

ちょっと先走ってしまったので具体的な問題に戻る。
「keep changing !」を読むと私には水葉氏の基本的な発想に違和感を感じることが多い。

週刊金曜日3/14号あとがきに「水騒動」が!(追々記あり)
水騒動であぶり出された様々な問題・・・共闘のあり方や連携の仕方、感情論や非科学的な主張への批判スキルの向上、あるいは内ゲバの回避などは、「サヨク」全体が抱えている「課題」だと私は思っている。

「様々な問題」の並べ方が興味深い。
まず「共闘」「連携」、次に「批判スキル」「内ゲバの回避」。運動論ばかりで「ニセ科学に引っかかる無用心・愚かさ」「根拠のある批判を受け入れない頑なさ」を批判していない。

実録 連合赤軍(追々記あり)
たんぽぽさんを擁護した側の人たちは、逆に、

「共闘幹部の間違いを指摘したたんぽぽさんが『総括』させられている!」

・・・と受け取っているんだよね。

たんぽぽさんが、幹部に楯突いた反乱分子として「粛正」されようとしている、これはおかしい、連合赤軍と同じ轍を踏んではいけない、とまで思ったかどうかはしらないけれど、強権政治に対しての「勇気ある行動」としてたんぽぽさんを擁護したんだよね。つまりは、らんきーさんは森恒夫だった、と。

批判に感情的になったらんきーさんを「単なるガキ」だと捉えるか、森恒夫だと捉えるか、それで180度見解が変わったのだね。

どちらの見解をもったにせよ、サヨクと総括は切り離せないのか、というのは、私にはアタマをガーンと殴られたような気がした。

「批判派」のなかで「たんぽぽさんが『総括』させられている!」などと言った人はいただろうか。私には記憶がない。
正当な批判を受け入れない「らんきー」一派は愚かだ、不誠実である、という批判がほとんどで、「総括はけしからん」といった話は出なかったように思う。むしろ「『らんきー』一派が集団でいじめようとしたけれどたんぽぽさんが強い人なので返り討ちにあっている、馬鹿だねー」と呆れる人が多かった。
「サヨクと総括は切り離せないのか、というのは、私にはアタマをガーンと殴られたような気がした。」という水葉氏の感慨はただの勘違い、思い込みなんじゃないの、というのが私の正直な気持である。

「総括」を恐れ、「反知性的だと思われないこと」が最重要課題になれば、何もできない。

どうして総括という言葉にこだわるのだろう。間違ったら批判を受けるのは当たり前じゃないのか。私には正当な批判を「総括」という言葉で悪魔化して封じ込めようとしているようにさえ見える。
「「反知性的だと思われないこと」が最重要課題になれば、何もできない。」というのもよくわからない。水葉氏は反知性的な傾向自体は問題視しないのだろうか。水葉氏が反知性の人であればそれはそれでいいけれど(本当はよくない)、彼女の運動論的な考え方とは矛盾するように思う。知性によって他者の理と自分の利を適応させてはじめて運動が成功するのであり、「反知性でもいいじゃないか、にんげんだもの」というやり方ではあちこちから矛盾が噴出して空中分解するだろう。

切磋琢磨して、リベラルとしての言論の質を上げていくこと。それも大切なことであろう。しかし、私はそれが「仲間の切り捨て」に繋がる限り、無意味だと断じる。

だから、私は「指摘の仕方」にこだわった。
正論は、人の心に響かない。だから、それをいかに、血肉の通ったことばにするのか。
私はそれが、リベラルの最重要課題だと考えている。

まずは、身内で練習しなくてどうする。
身内にさえ感情的に拒絶される「知性的な論理」など、他の人たちに伝わるはずがないではないか。

リベラリズムと「仲間」「身内」という言葉を直結させるのに強い違和感がある。
そういう区別を超えるのがリベラルじゃなかったのか。たとえば「日本人は仲間で身内だけど外人は違う」といった発想はリベラルなのか。
「仲間」だ「身内」だとこだわる水葉氏に「リベラルはかくあるべし」と説かれても私には滑稽さしか感じられない。

どうやら水葉氏は「リベラル」という言葉にこだわっていても基本的には個人の思想より先に「共闘」「連携」「仲間」「身内」から考える人のようだ。それはそれでいいのだが、勘違いと思い込みでお説教されると妙な気持ちになる。「総括」という言葉にこだわる必要がないように、「リベラル」にもこだわらなくていいのに、と思う。
一度「リベラル」を脇において、自分の気持を運動論の問題として語ったらよほどすっきりするはずだ。体に合わない服を無理に着続ける必要はない。


「リベラルという狭い世界」という言葉から私は古代の宇宙観を連想した。亀が円盤を背負ってるあれだ。
中心があり明確な境界がある。世界の辺境には恐ろしい怪物が住んでいる。
現代の科学宇宙観ではそのようなわかりやすい図は否定されている。宇宙は永遠に膨張を続け、中心も境界もない。宇宙の中心を探すのは無意味だし、宇宙からはみ出すことを恐れる必要もない。私の思うリベラル宇宙もそのような形をしている。

「リベラルブログ界から立ち去る」という言葉は特に面白くてちょっと怖い。
リベラルという概念を「所属」あるいは「場所」の問題としてとらえているのだろう。そこに所属する人は「立ち去」ることができるし、場合によっては閉じ込められたり追放されたりするのかもしれない。水葉氏とそのフォロアーが「総括」という言葉にこだわり恐れるのは閉じた狭い世界のイメージにとらわれているからだ。
私の思うリベラルとは所属でも場所でもなく属性の問題だ。
人はリベラルに「所属する」のではなく「なる」ものだ。良心と理性に従って自由に考え、同時に他者の自由を尊重する。そういう生き方を身につけるのは難しいけれど、一度身に付けば消えることがない。
群れあってお互い同士で「あなたはリベラルだし私もリベラルだよね」と承認しあう必要はない。リベラルな考え方が身に付いた人はサークルに閉じこもる必要はない。むしろ自由に考え行動することを望むだろう。
もちろん必要があれば(あるいは単にそうしたければ)誰かと(リベラルであってもなくてもいい)力を合わせて仕事をすることはある。だが、群れることがリベラルの資格だったり目的だったりすることはない。

「リベラル」とは水葉氏の言うような「狭い世界」に所属することなのか。
それとも個人の生き方として「なる」ものなのか。
私は後者が正しくて前者は間違いだと思うが、水葉氏のリベラル論に私以外の批判が出ていないのを見ると不安になる。もしリベラルが「所属する」ことだとすれば私はそんなものになりたくない。グルーチョ・マルクスの「私は自分が入れるようなクラブには入りたくない」という皮肉を思い出す。
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「水伝」騒動とリベラリズム

2008年04月16日 | 「水からの伝言」
一度は収束したかに見えた左のほうの「水からの伝言」騒動がまたくすぶってきた。

keep changing !実録 連合赤軍(追記あり) 4月3日
逝きし世の面影:極左系に殴りこんだ解同系の仁義無き戦い『水からの伝言』 4月8日
陰謀論者による「水からの伝言」騒動の総括 - kojitakenの日記 4月9日
たんぽぽのなみだ~運営日誌: 極左対解同? 4月12日
たんぽぽのなみだ~運営日誌: 極左対解同?(2) 4月13日
:いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^ : 「水伝」を本当に論議するのでなく、自分の主張を補完するために利用する者達。恥を知れ! 4月14日

HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):思考のきっかけは、どこからでもいい(しかし、言っていいことと悪いことがある)。: 4月12日
HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):無敵の論理。または「jabberwockはひどい!」の方程式。 4月14日
HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):やっぱり、きちっと語っておこう。 4月15日
keep changing !:話が噛み合わないわけだよね。 4月15日

今回は「逝きし世の面影」のような極左(?)陰謀論系ブログも加わってますます面白さいがらっぽさを増している。
騒動の発端となった「らんきーブログ」の名前がないことを不審に思う方もいるだろうが、ぶいっちゃん氏はお仲間と楽しく政治活動ごっこに興じている。水伝問題を反省したようにも見えないが、(勝ち目がないと見て?)自分から蒸し返すつもりはないらしい。

私がいちばん不思議に思うのは「keep changing !」水葉氏の論調だ。一月から二月の水伝騒動で私が「中立・仲裁・「どっちもどっち」・竹内まりや(♪けんかをやめて)」派に分類したブログのほとんどはこの問題を継続的に取り上げてはいない。たぶん批判派の論理に正当性があることを認めるか、あるいは騒動が鎮静化したことに安心しているのだと思われる。そんななか水葉氏だけが「水伝騒動」問題について書き続け「らんきー一派」批判派への怒りを高めている。

それがなぜなのか、私なりにがんばって水葉氏の文章を読んでみたのだがどうもよくわからない。論理の筋道が見えず、理解も共感も難しい。なんとなくだが「みんな寛容に仲良くしてほしいという願いが伝わらなくて悔しい悲しい」という気持は想像できたが、それが水葉氏の本当に伝えたかったことなのかどうか。水葉氏はカウンセラーをお仕事としているそうで(「私はカウンセラーである」)、時には厳しく冷たいものになる論理や科学よりも感情と共感を大事にする人なのかとも思う。だが結局のところよくわからない。

基本的によくわかってないことを認めたうえで、わかった部分だけ批判する。
こういうやりかたに問題があることは知っているけれど、かといって見すごしておけない奇怪なことを水葉氏は書いているのだ。

実録 連合赤軍(追記あり)|keep changing !
リベラルという狭い世界で、「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚かである。
リベラルブログが、今なおそういう世界であるというのなら、私はここを立ち去ることに未練はない。

いやもうなんと言っていいか。
失礼ながら水葉氏は「リベラル」について完全に誤解している。

私は自分のことをリベラリストだと思う。いや、リベラルでありたいと願っている。
かといってリベラリズムについて真面目に勉強したことはない。勉強したことはないけれどなんとなくわかっている。そのわかりかたがそれほど外れていないだろうと自信を持っている。われながらあつかましい。
さて、そんな私から見て「リベラル」とはどういうことか。水葉氏の文章に反論する形で書く。

「リベラルという狭い世界で」

…ここでまず絶句してしまう。リベラルが「狭い世界」って!?
学校や地域のサークル活動じゃあるまいし。
リベラリズムは世界の広さを、人間の多様さを知り尊重するものではなかったか。リベラリストが集まるとき、それが物理的にあるいはコミュニケーション的に狭い範囲であったとしても、精神は世界へと広がっている。
理念はとりあえず措いて、実際の人数を問題にしても日本人でリベラルな考えを持つ人はたくさんいる。
根拠はないが国民の二割か三割、もしかしたら五割近くがリベラリズム(それがどういうものかよくわかってないとしても)を尊重し好意を持っているはずだ。左翼が嫌悪するネオリベラリズムをどう見るかは人によるけれど、仮にネオリベを除いたとしてもリベラルが「狭い世界」ということはありえない。
私がブログで取り上げた問題でいえば「実銃所持者」などは人数が少ない。それにしたって約17万人ほどいる。中規模の市の人口に匹敵する。ましてリベラリズム・リベラリストを狭い世界と呼ぶのは無理だ。
たぶん水葉氏は「お互いをリベラルと見なしてトラックバックを送りあう一群のブロガー」を指して「リベラルという狭い世界」と言ったのだろう。
「らんきーブログ」とかそういったあたり、ネットの左のほうでトラックバックを送りあって喜んでいる人たちの数はせいぜい三桁と思われる。それなら狭い世界と呼んでいいが、もちろん彼らはリベラルの代表でもすべてでもない。
「リベラルという狭い世界」だって?馬鹿にするのもいい加減にしろ!と言いたい。


「「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚かである。」

ここでもう一度絶句してしまう。
水葉氏にとっては「知性・論理<仲間割れの危険」なのだろうか。
これだけはっきりとムラの論理を明言されるとむしろ清清しささえ感じる。清清しさが一回りしてグロテスクだ。
「仲間割れ」を防ぐためには知性と論理にあえてこだわらない、というのはたしかにある種の知恵である。日本社会のあちこちで実際に行われて効果を上げている。昔から日本では「和をもって尊しとなす」国だ。みんな表面上だけでも仲良くしてニコニコできれば結構なことだ(ほんとうにそうか?)。
だが、リベラルな人たちが知性と論理を用いて論争したとしてそれが「仲間割れ」につながるからやめろ、というのは余計なお世話である。ボクサーがリングで殴り合ってるのを見て「ケンカをやめて!」と叫ぶのと同じくらい馬鹿げている。
リベラリスト同士で論争しているとき、それが「仲間割れ」になるから良くない、愚かだ、というのはリベラリストの考え方ではない。仮に抜き差しならない感情的対立が生じて絶交したとしても、二人がリベラリストであり続けるならば仲間なのだ。好き好んで付き合うことはやめても、相手に理があると思えばそれを率直に認めるのがリベラルである。
もちろんこれは理想論であって、実際はなかなかうまくいかないことが多いだろう。だが、「論争してもリベラルはリベラルだ」というのと「仲間割れを防ぐために論争をやめろ」というのとはぜんぜん違う。
ボクサーが勝っても負けてもボクサーであり続けるのと同じことだ。試合の最中に一人のボクサーが「俺、ボクサー辞めた」と宣言してそれでも相手から殴られ続けたら悲惨だが、水葉氏が言っているのはたぶんそういうことではないだろう。


「リベラルブログが、今なおそういう世界であるというのなら、私はここを立ち去ることに未練はない。」

すでに書いたように、水葉氏の見ている「リベラルブログ」はリベラリストの一部に過ぎない。いや、私の見るところ左のほうで仲良しごっこをしている「リベラルブログ」の多くはそもそもリベラルではない。「そういう世界」に無理してとどまる必要など何一つない。水葉氏がリベラルであるのならこだわることなく立ち去って好きな場所で自分の意見を書けばいい(書かなくてもいい)。
私の衷心からの忠告である。
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「靖国 YASUKUNI」と出演者の了承と「女性国際戦犯法廷」番組

2008年04月12日 | 日々思うことなど
右のほうで映画「靖国 YASUKUNI」を論じる人たちのなかで刀匠が「出演を了承していない」ことを問題視する意見がある(有村議員とかこちらのコメント欄とか)。

「靖国」出演の刀匠 「出演場面と名前を映画から削って」と明言 - MSN産経ニュース

できあがったドキュメンタリーに出演者が不満をぶつける。それを周囲が応援する。
どこかで見たような構図だな、と思ったら、NHKの「女性国際戦犯法廷」番組に対して「期待権」(自分の望むように番組が作られると期待する権利)を主張するVAWW-NET(バウネット)と左のほうの支持者にそっくりだ。

なぜNHKを提訴するのか VAWW-NETジャパン
VAWW-NETジャパンと代表の松井やよりが原告になり、NHKの企画内容に合意して取材協力したのに全く別の内容に変えて放送されて信頼(期待)利益を侵害されたこと、NHKがそのような番組内容改編の説明義務に違反したために損害を受けたこと、の2点を東京地裁に訴えます。

あちこちにブーメランが飛んでいきそうである。
刀匠に共感して「靖国 YASUKUNI」を批判する「右」のほうの人たちは、「NHKの企画内容に合意して取材協力したのに全く別の内容に変えて放送されて信頼(期待)利益を侵害された」バウネットに同情するだろうか。
逆に、バウネットを支持して「期待権」を裏切ったNHKを批判する「左」側の人たちは「靖国 YASUKUNI」の制作方法に問題ありと認められるのか。
味方の「期待権」ばかりを主張して考えの異なる相手の権利を認めないのであればダブルスタンダードである。

私自身は「靖国 YASUKUNI」問題でも「女性戦犯法廷番組」訴訟でも出演者の「期待権」を認める必要はないと思っている。
私にとっては「期待権」より表現の自由のほうがずっと大事だ。これは自分がブログを書いて表現者の端くれに連なっているからである。仮にネットが存在せず一般人に反論できる場所がなければ「期待権」の主張にもっと共感したかもしれない。

「期待権」というあやふやな権利は認められないが、出演者に明らかな損害が生じれば賠償を認めるべきだ。
悪質な捏造とか、文書ではっきりした契約を結んでおいて裏切るとか、あるいはプライバシーを侵害されたり経済的被害を被ったとか。ただし、私の見るところ刀匠もバウネットも心理的苦痛を被ったこと以上の具体的な損害はなさそうである。



参考記事
  その後の「靖国」:黒子の部屋
  ドキュメンタリーの中の「登場人物の了承」「取材先の了承」について:見えない道場本舗-シュルト応援団
  「期待権」って? - 番組構成師 [ izumatsu ] の部屋
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実銃所持者の意見

2008年04月10日 | 日々思うことなど
ブログ検索してみると先日の朝日「銃規制」社説に対する世間の反応はほとんど無きに等しい。銃規制ヒステリーが沈静化したのなら結構なことだ。
とはいっても、興奮が収まっただけで銃器と狩猟・射撃スポーツについての知識が広まったわけではないから、何か事件が起きればまた同じことが起きるだろう。

現実に所持許可を持ち狩猟・射撃を行っている人たちの意見を紹介する。
某掲示板の某スレッドからの引用。嫌銃派に乱入してほしくないのでスレッドタイトルとアドレスは伏せる。

744 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/02/25(月) 14:20:53 ID:p4v6lLs1
民主党、まだあきらめてはいないのかな。

http://www.matsui21.com/melma/08/167.html
> 昨年末に発行しましたメルマガで申し上げました
> 銃規制についての私見について、多くの読者の方々から
> 積極的に規制を行うべきという意見、
> 規制には慎重な検討が必要との意見など
> さまざまなご意見をいただきました。
>
> この場を借りて感謝・御礼申し上げます。
> 現在、私が担当する民主党内閣部門のもとに
> 「銃規制ワーキングチーム」
> (座長:山根隆治参議院議員、事務局長藤本祐司参議院議員)
> を設け、いただいたご意見を参考にさせていただきつつ
> 関係者の方々、専門家からヒアリングを
> 行わせていただいております。(すでに数回行っています)
>
> 政府・警察庁においても、
> 今年に入って大掛かりな一斉銃砲検査を行い、
> 問題点の把握と改善につとめているようですが、
> ワーキングチームでの検討を踏まえつつ、
> 民主党としても政策提言をまとめていくつもりです。


745 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/02/25(月) 16:47:38 ID:2NiEBqrX
744などの自分勝手な所持者、まだあきらめていないのかな。

「自分は事故らないから規制に反対」じゃ世間は通らないよ。
社会への治安責任を果たしながら所持するとの健全な考え方でありたいものだね。


750 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/02/25(月) 18:29:48 ID:sVvjFn9l
>>745
賛成。

許可を受けた者が凄惨な事件を起こしてしまったからには
他人事で済むわけがないんだよな。
世間の批判、その後の対策は多少的外れであったとしても
甘んじて受けるのが大人の対応というものだ。

まあ銃を手放したくないガンオタが2ちゃんねるで駄々を
こねたところで何も変わらないんだけどね。



756 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/02/27(水) 15:06:08 ID:FKJVVwf1
>世間の批判、その後の対策は多少的外れであったとしても
>甘んじて受けるのが大人の対応というものだ。

アホw

現実を知らないバカ議員が、現実問題としてキチガイ猟銃事件に関し無意味な立法を企てることに警鐘を鳴らす事こそが、猟銃所持者としての「大人」の対応だろーが。


757 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/02/27(水) 20:23:29 ID:dcNI5/vU
何かにつけて安全のためとか、公共のためとか・・・。
それって社会主義者の常套句なんだよな。


783 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/03/10(月) 18:08:25 ID:i4+IgqzA
主要国の許可銃

日本30万丁(人口1億3千万)
英国500万丁(人口6千万)
独2500万丁(人口8千万)
仏600万丁(人口6千万)
スウェーデン300万丁(人口1000万)
スペイン500万丁(人口4千万)


日本でも散弾銃(馬込事件以前)に関しては入手の難しさが諸外国と大して変わらなかったが、
認知度が低いため所持数が圧倒的に少ない。
ただ、民主が提示した法案が通過すると、事実上銃器の所持が禁止。(世界初)
クレー射撃などの競技は大いに衰退するだろう。


790 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/03/12(水) 11:51:42 ID:ApUCwJhw
783>こうやって各国の許可銃の数みてくとアメリカが国民一人当たり1丁で
ドイツで3人に一人の割合で銃がある、フランスで10人に一人だ。
日本だけ極小で国民500人に一人の割合で銃がある訳でしょ
全然、銃社会じゃあないですね。クレー射撃もこれから衰退すると
ありましたが30年前から既に衰退してて主な銃器メーカーも倒産の憂き目に
あってこれ以上、どうしろというんだろうか?
あと民主党案って?共同保管案とか不審な所持者の一時保管じゃあなかったかな?
本当に銃器所持禁止法案?


795 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/03/14(金) 01:24:36 ID:MUDuhhjE
許可銃を締め付けるのは、増し締めするだけだから、
手っ取り早くやってる姿勢をみせるのにうってつけって事なんだろうが、
税金を払わない奴が居るからって、きちんと納税してる人の税率をアップして採算合わせようとするくらい理不尽だよな。
銃犯罪は暴力団などによる非合法な銃がメインだし。
銃の存在、使用目的、所持者全てが違法。
交通事故を起こしておいて相手射殺とか、シャブ喰って立て篭もりとか
勘違いで射殺とか、馬込クラスの事件がしょっちゅう起こってるが、
暴力団フィルターによって、社会に与えるインパクトが、
キチガイ市民による銃犯罪>暴力団による銃犯罪
みたいな変なバイアスかかってる気がする。
「暴力団が銃持っててもおかしくない」みたいな変な納得。
ところが市民が(キチガイでも)事件を起こせば、信じられないといわんばかりに、ワイドショーで騒ぐ。
暴力団だろうと卒業文集とか子供の頃の恥ずかしいエピソードをワイドショーで晒せと。


796 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/03/14(金) 05:13:11 ID:RazVWI/f
>>794
規制強化に合わせて許可銃犯罪も減ってるはず。
結局のところ、件数がゼロにならなければ、うるさい方々は満足しないんだよ・・・。



5 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/01/11(金) 18:14:29 ID:BCMiSw4Z
銃刀法改正案を発表している民主党へ意見を

長崎の事件を契機に、マスコミを中心にヒステリックな対応が目立ちました。
なんらかの規制強化を求める声が多くあがりましたが、残念ながら大部分が、
我が国の合法許可銃と射撃狩猟の現状を理解しているとは思えないものでした。
そのような雰囲気に迎合するかのように民主党は銃刀法改正案を打ち出しています。
その中でも共同保管案は、事実上「所持」の概念を否定するものです。犯罪抑止の
効果は限定的であると思われる上、自宅での練習の機会を奪うこと、十分な
メンテナンスの機会を奪うことは、競技や猟場において様々な弊害を呼ぶ可能性が
懸念されます。またこれは現行銃刀法の第十条の二(射撃技能の維持向上)及び
第十条の三(銃砲の構造及び機能の維持)に反するものでもあります。

問題なのは、これらの改正案が、十分な知識あるいは調査の上で立案されてはいない
という感じを強く受けることです。一時的な風潮への迎合、場当たり的で短絡的な
法改正というものは認められるべきではありません。
所持者自身が声を上げなければ、残念ながら一般市民にとってこの改正案は、なんら
否定するべきものではなく、このままの形で通ってしまう可能性があります。
所持しているからこそわかること、そのことを伝えるべきではないでしょうか。

民主党「ご意見はこちらへ」
http://www.dpj.or.jp/header/form/index.html

参議院議員 松井こうじメールマガジン「銃規制のあり方、国民の安全とは」
http://www.matsui21.com/melma/07/166.html
意見はこちらへ 松井こうじメールアドレス
mailto:info@matsui21.com


21 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/01/12(土) 15:09:15 ID:nw5kR5ug
おおむね以下のような主旨のメールを松井議員宛にメールで送りました。

●警察の裁量をもっと認めるべきとあるが、現行法の下でもかなりの裁量が
 認められており、地域による許可の難易やローカルルール等が存在する。
 混乱が見られる部分については、裁量より全国一貫した内容にすべきではな
 いか。
 
●影響の大きな法改正の前に、現行法とその運用の点検を行うべきではないか。

●共同保管案について
・場所の確保が困難である。
・犯罪抑止の効果については限定的である。
・集中保管は新たな盗難の標的となる可能性。
・手入れ、練習の機会を奪うことは様々な問題を生じる。
 1.銃刀法十条の二及び三に反する。
 2.練度の低下とメンテ不足による事故誘発の懸念。
 3.競技射手のトレーニングの機会を大きく損なう。

●日本の銃規制の実態と諸外国の実態を調査し、公表すべきではないか。
●所持の的確性を厳しく問うのなら、現在の許可制から人を対象にした
 ライセンス制への移行も検討の余地があるのではないか。
●射撃は世界的に見ても代表的なスポーツのひとつ。世界一厳しい規制を設け、
 それでもコントロールできないのは恥ずべきことではないか。
●狩猟や有害駆除の実態や社会貢献を正確に知るべき。
●ネガティブな側面しか報道されないマスコミによる、一般市民の偏ったイメージに
 迎合すべきではない。


40 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/14(月) 08:56:47 ID:E6/cavHi
横レスすまそね。
自宅保管が自己責任の自覚を促す!
その通り!
ただ、残念ながらそういう意識の所持者は佐世保のような事件はもともと起さない
んだよな、多分。

民主党案は共同保管のみが(テレビ屋がアフォオなこともあって)フォーカス
されているが、あの中で「警察への一時留置」をもっと容易に行えるように、
というのがあって、オレはこれはアリと思ってるんだよね。
佐世保の事案でも予め警察へは近隣の住民から「怖い」「危ない人」という
訴えが上がっていたんだし、その時点で仮留置していれば、、、、と。
まあ銃が使えなきゃ包丁でも何でも使って目的は遂行したんだろうけど、
少なくても銃が使われることはなかったかもしれない、と思うと、何とでも
口実をつけて持ち出せる(であろう)共同保管よりずっと実効性がある。

それにしても、えれぇ迷惑なヤローだよ、あのバカは!


84 名前:ピースマン[] 投稿日:2008/01/28(月) 01:41:16 ID:P+oFhiRV
ここも馬込予備軍ばっかだなぁ。

なんで今の日本で銃持ってなきゃならないの?

持たせなきゃ銃の事故や犯罪起きないのに。



87 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/28(月) 10:36:49 ID:FL3l4+Mk
世の中に「絶対に必要不可欠なもの」なんてほとんどないしな
狩猟銃の事故で死ぬ人より餅で死ぬ人のほうがずっと多い
知り合いにそれを理由に餅規制を本気で主張している大の餅嫌いがいる




今気がついたが、銃と餅ってPCの画面で見るとなんとなく似てるな


88 名前:名無しの与一[] 投稿日:2008/01/28(月) 13:29:28 ID:pJxkDks9
>>84
銃が人を殺すんじゃないんだがな。人が人を殺すんだがな。
どんな危険な物でも扱う人間次第なんだがな。
君の考えだと包丁も登録制にしなきゃいけないな。包丁使った犯罪がどれだけ多いかわかってる?
100円ショップで簡単に人殺しの道具が買えるわけだよ。実際に100円ショップで包丁を何本も買って無差別にきりつけた事件もあったな。
許可銃より刃物による事件のがはるかに多くはるかに危険かわかるか。


89 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/28(月) 18:31:49 ID:dAuYNLRG
>>84
基本的に何でも自由に出来る社会が実は一番平和なんだよ。
一見耳に心地よい少数派への弾圧orプロパガンダが、いつの間にか全体主義に移行していったのは
過去の歴史から見ても明らかでしょ。
同性愛、不倫、婚前交渉、性風俗、思想・・・・。
法の支配を失った民主主義下で政治的プロパガンダにこれらを利用すれば、
ファシズム体制なんて簡単に復活しうる。
そもそも昔に比べたら猟銃犯罪なんて規制強化によって年々減ってきてる。
犠牲者の冥福を祈る気持ちは忘れてはならないが、長崎市長射殺事件や警官による
ストーカー射殺事件の方が政治的には遥かに重大だよ。


107 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/28(月) 22:42:15 ID:wW5o9De9
ガンコントロールというか、凶器になるものがあってもそれを使用しない道徳性や
自らを律ることが出来ずにして何が文明国家か、という気もするがな


108 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/28(月) 23:00:08 ID:JU43ydn2
ま、否定する人間って自分の興味ないものは一切認めようとしないところがあるからしょうがないんじゃないかい。
野球好きなヤツはサッカーを毛嫌いしたりその逆もまたあったり。
プロレスは嫌いだけどK1とかプライドは好きだ とかその逆とかさ。

自分にとって不必要なものはすべて否定・拒否するってのは最近の日本人の中に多い風潮でもあるからしょうがないっちゃしょうがない気もするが。

所持許可を与えられた13万人の中の極々極一部のキチガイによって引き起こされた事件でも銃を持ってる人はすべて犯罪者だ という目でしか見れないちょっと偏見に満ちた頭(きっともとから差別意識の強い人)だから何を言っても無駄だと思うよ。
そんなキチガイは世間にはごまんといるのにそれすらに目を向けないで銃にだけ固執する訳が俺にはわからんけど。

むしろ合法的に銃を所持してる人のが安心だと思うのだけどな。
非合法に所持してるヤクザや一般市民がどれだけいるかもわからないで許可銃にだけ親のカタキのように敵意を向けるのはどうかとおもうよ。


111 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 00:29:32 ID:LksS8cAq
野球のバットやゴルフクラブが武器であると思ってる人は、まずいないと思う。
しかし、時として武器となり得ることを、ほとんどの人は知ってるはず。
平和な日本においての銃も同様な道具であるはず。純粋な武器としての銃は
この国では一般市民の所持は認められていないのだし。
しかし、銃に関して一般市民はあまりにも無知。銃が武器ではないという情報は、
ほとんど届かない。マスコミから届くのは事件事故ばかり。そこが問題。
「武器は不要」という主張は、非常にわかりやすく常識的ですらある。反論の
入り込む余地はないほど明白なものに見えているはず。したがって反論はすべて
変質的な銃器愛好家の屁理屈でしかなく、おそらくどんな正論も通じない。

一般市民が競技射撃について、どれほどの知識を持ってるんだろうか?
オリンピックの種目であることくらいは知っている人はいるだろうが、ほとんど
何も知識はないと思う。少なくとも自分の周囲ではそんな感じ。

平和な国における銃というものについてのイメージがなく、銃=武器という単純な
認識が一般的であることが、最大の問題じゃなかろうかと思う。


112 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 00:37:52 ID:fRpLjkrl
佐世保事件の時のニュー速+のスレでも
「銃は人殺しの道具。よって不要」
の大合唱だったもんな。
そこで思考停止してるから議論すら成立しない。


113 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 08:20:27 ID:BEOSIaNb
>>111
> 銃が武器ではないという情報は、
> ほとんど届かない。
あほかw銃は武器だろうが。
銃は生き物を殺すために作られたんだよ。
事実、銃を使えば指一本で人を殺せるし、時には
その気がないのに誤って人を殺してしまうこともある。

バットやクラブと同様というには銃は殺傷力がありすぎるんだよ。

世界中の軍に使われたり、平和に過ごしたい国民に嫌われたり
アレなオタクに好かれやすいのも銃が普通の道具に比べて
殺傷力がありすぎるからだ。

はっきりいって、その程度の意識もない奴に許可を受ける資格はないと思うな。



114 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 10:17:31 ID:bu+04z6W
少なくともメーカーは競技用の銃を武器と思って
作ってはいないと思うけど。
DT10とかMX8とか、ありゃ武器か?

銃器は単純に道具であり、それをどう運用するかは持ち主次第。
自動車だって運用によっては危険だから免許制なんでしょ?
銃器も運用によっては危険だから許可制になっているわけだ。

今回の件はマスコミの印象操作が大きく影響しているよな、
もし、射撃界に若くて明朗快活な話題性のある選手が
出現すれば、真っ先に「~王子」とかいって囃し立てるに
違いないw


115 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 11:49:17 ID:gIaj6JhC
>>114
間違いないww
マスゴミはそういうの好きだからな。視聴率さえ取れれば何をしてもいいと考えてる業界だし。
射撃のオリンピック代表がアイドル並に可愛い子やジャニーズ系ならマスゴミの報道がどんなのかスゲー興味深いな。


132 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/30(水) 15:13:38 ID:8HQ7bQ24
>>113
君が銃が武器だと思って所持しているのなら、かなり問題だと思うけどな。
まさに「銃は人を殺さない~」という文言が当てはまる話だね。
道具は使う人の心次第。君が武器だと思って銃を所持すれば、その銃は武器になる。

そもそも軍用銃以外は、武器として製造はされていないし、そのような使い方を
想定もしていないはず。それぞれ使用目的に応じて特化した形状や構造を持っている。
それを一からげにして「武器」というのは、かなり妄想っぽい。君自身が
「アレなオタク」じゃないかという気さえしてしまう。

およそスポーツというものを考えてみれば、その出自に血なまぐさいものを持つものは
少なくない。それを洗練しルールを設け、平和的に競うことのできるものにしたのは
誇るべきことじゃないのかね。


143 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/30(水) 20:42:04 ID:TdLD873x
同じこと言わせるなよなー。
バットやクラブと同様というには銃は殺傷力がありすぎるっていったろ。
世界中の軍に使われたり、平和に過ごしたい国民に嫌われたり
アレなオタクに好かれやすいのも銃が普通の道具に比べて
殺傷力がありすぎるからだ。
はっきりいって、その程度の意識もない奴に許可を受ける資格はないね。



146 名前:名無しの与一[sage] 投稿日:2008/01/30(水) 21:04:35 ID:8HQ7bQ24
>>143
そもそも武器だと思って所持している君には所持の資格はないと思うが。

この問題は、言葉の定義の問題でもなければ殺傷力の問題でもない。
心の問題だと思うけどね。そもそも馬込容疑者の問題はなんだったの?
散弾銃?迷彩服?彼の心の問題じゃなかったのかな?
君が銃を武器だと考えているその背景には、人の殺傷に用いるという
隠れた意識があるわけで、それが心の病で顕在化するとき、馬込容疑者の
ような事件を引き起こすという推測もできるのじゃないかと思うけど。

そもそもほとんどの所持者は、自分の持っている道具で人を撃つなど、
考えもしないことだと思うよ。もちろん甘い考えで扱えば危険な道具で
あることは自覚しているが、それは銃に限ったことではない。車も甘い
考えで運転すれば重大な事故を招く可能性がある。そういうことは、
社会の中には決して少なからずあるわけで、銃を扱うときだけ求められる
ものでもないしね。

ともかくほとんどの所持者の心には銃が武器であるという認識はないと思うよ。
武器だと思って銃を扱う人に握られたとき、その銃は武器になるんだよ。
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朝日「銃規制」社説の馬鹿らしさ

2008年04月07日 | 日々思うことなど
なにもわかってないのに、いや、わかってないからこそ簡単に「規制を強化しろ」「社会から排除しろ」と言えてしまう。
ネット規制問題などがいい例で、多くのネットユーザーが怒ったり批判したり絶望したりしている。
ネットユーザーは何千万人もいるから「わかってない人たちの考えることは合理的じゃない」という声がたくさん集まるが、マイナーな趣味の場合は「何も知らない人」の比率が圧倒的に高くて反論の存在は無視されがちだ。

朝日新聞が4月6日の朝刊にこんな社説が載った。

猟銃の所持―保管施設で厳しく管理を asahi.com:朝日新聞社説
 狩猟や射撃競技のために猟銃や空気銃を持つ人たちへの規制は、これまで甘すぎたということだろう。

 警察庁が銃刀法の改正へ動き出した。銃を持つための許可要件を厳しくしようと検討している。

 きっかけは昨年12月、長崎県佐世保市のスポーツクラブで37歳の男が散弾銃を乱射し、2人の命を奪った事件だ。「こんな男になぜ所持を許可したのか」という批判が高まった。

 日本には約32万丁もの猟銃や空気銃がある。こうした許可銃による殺人と殺人未遂事件は、昨年までの5年間だけでも19件起きた。東京の医師宅でライフル銃が暴発し、2歳の子が亡くなった痛ましい事故も記憶に新しい。

 銃刀法の猟銃規制は30年近くにわたり、抜本的な改正がなされなかった。所持を認めない欠格事由は、薬物中毒や住所不定、銃を使って重大な犯罪を起こした場合などに限られていた。

 この欠格事由を広げるのが、めざす改正の大きな狙いだ。

 新たに加えようとしているのは、ストーカーをした人や配偶者への暴力が明らかになった人、銃を使わなかったとしても凶悪な罪を犯した場合などである。こんな人に銃を持たせていいはずはない。

 経済的に破綻(はたん)した場合や自殺の恐れがある場合も所持を認めない。そんな案も検討されている。

 ただ、許可要件を厳しくするだけで十分とはいえまい。銃を使った過去の事件のすべてが欠格事由を広げていれば防げたとは思えないからだ。

 そうだとすれば、銃や弾を今のように個人で管理するのではなく、使うとき以外は決められた場所に保管する方法に変えたらよいのではないか。銃が日ごろ手元になければ、カッとなって使うような危険は小さくなる。

 警察庁もこの方法を検討したが、現時点では難しいとして見送る方針だ。今ある保管業者だけでは3万丁しか預かれないといった理由からだ。

 だが、市民の不安をそのままにしておくわけにはいかない。まず弾だけでも、猟友会や射撃団体などの責任で保管することを考えた方がいい。そして銃を厳重に保管できる場所を少しずつでも増やしていって、いずれは保管施設での管理を義務づけるべきだ。

 佐世保の事件のあと、全国で5千人以上が銃の許可を自主的に返納した。「近隣とのトラブル」「高齢」などを理由に、警察が返納を説得した例もあった。いったん許可しても、その後に犯罪を起こす恐れが出てきたら、それを見逃さない態勢が必要だ。

 暴力団が隠し持つ違法な銃はもちろん厳しく摘発すべきだが、許可を得た銃も一歩間違えば凶器になる。

 その怖さを忘れずに危険の芽を摘んでいきたい。


書き出しの一行で早くも著者の不見識がはっきりする。
「狩猟や射撃競技のために猟銃や空気銃を持つ人たちへの規制は、これまで甘すぎたということだろう。」
何を根拠に?どういう基準で?
日本の銃器規制が世界で最も厳しいレベルであることを知っているのか?
厳しい規制のおかげで銃器による犯罪・事故発生率は国際的に群を抜いて低い。

日本の銃器情勢(pdf)によれば人口10万人当たりの銃器使用殺人事件数は

  アメリカ -------- 6.24
  フィリピン ------- 3.61
  カナダ --------- 0.60
  オーストラリア --- 0.36
  ドイツ ---------- 0.21
  イギリス -------- 0.13

  日本 ---------- 0.03
                  (1997年:国連が実施した「国際銃器情勢に関する調査結果」より)
である。
治安の良好な先進国と比較してもまさにぶっちぎりの低さだ。カナダの20分の1、ドイツの7分の1.イギリスの4分の1である。
この統計を見てそれでも朝日は「狩猟や射撃競技のために猟銃や空気銃を持つ人たちへの規制は、これまで甘すぎたということだろう。」などと書けるのか。
寝言は寝てから言え、である。

「民間所持銃器の共同保管」という考えは民主党の銃刀法改正案と同じだ。たぶん社説の著者は狩猟・射撃スポーツの現状や現在の銃規制について何も知らず、「社説ネタに困った日の埋め草」として適当に書き飛ばしたのだろう。銃所持者や業界関係者の意見を聞いたり、本や雑誌・ネットで情報を集めたとも思えない。

民主党による銃刀法改正案の無意味さについてはこちらの記事で徹底的に批判されている。

佐世保乱射事件から1ヶ月:Shooting Tips
政府自民党が、慎重に銃規制を検討しようとする中、民主党はあっという間に具体的な案を掲げたのである。
 すばやく規制案を掲げることで、民主党が国民生活の安全を守ろうという姿勢を見せたかったのだろうか。しかし、あまりにも早くに打ち出された規制強化案を見ると、法を改正することの重み、その影響と重要性を、全く理解していないのではないか疑ってしまう。

 民主党の案が、どの程度まで現実的で、国民の安全に寄与するものなのかどうかを考えてみよう。

一言でいえば「素人の思いつき、人気取りだけの愚案」ということだ。

朝日とは対照的に、地方紙はちゃんと銃器が使われる現場を取材し銃所持者の意見を聞いている。

県内「合法銃」事情:読者と記者の交差点 - 佐賀新聞
 「有害鳥獣駆除が大変になるんじゃないかな」。銃所有者に規制強化が進んだ場合の影響を尋ねたところ、そんな答えが返ってきた。
 有害鳥獣による県内の農作物被害は昨年度が約5億6300万円。猟友会などによる駆除数はイノシシが9758頭、カラスが4067羽。カラスは銃でしか駆除できないという。
 「高齢化が進み、会員数も減少の一途。さらに佐世保事件で世間の目が厳しくなって…。鉄砲撃ちはいなくなりますよ」。猟友会のメンバーはため息交じりに語った。
 狩猟やスポーツとして昔から社会にあった銃。規制強化の議論が一方的になってはいけない。
 だが銃は使い方を間違うと大変な凶器になる。佐世保事件のような犯罪への悪用はもちろん、東京では手入れ中に暴発して子どもが亡くなるなど、危険と隣り合わせであることを肝に銘じておきたい。
 「銃イコール悪という見方が広がるのが残念」とある銃所有者。それを払拭(ふっしょく)するためにも厳格な許可審査はもちろん、銃を持つ者として重責を自覚した行動が求められる。(梶原幸司)

「狩猟やスポーツとして昔から社会にあった銃。規制強化の議論が一方的になってはいけない。」
この一行だけでも梶原記者と佐賀新聞に拍手を送りたくなる。
朝日社説の「パンがなければお菓子を食べればいいのに」風に浮世離れした銃規制強化社説とは雲泥の差だ。


いくつかのブログで銃規制にハイテクを導入すべきだという意見を読んだ。

民主党の銃刀法改正案への提言 - ブログ作家 東村田 昭 の備忘録
銃刀法を改定し、警察署や射撃場、銃砲店に原則として銃を共同保管し、且つその銃にGPSを取り付け、追跡可能な状態とするのだ。

これだけでは必要十分な条件ではないので、持ち出し申請者に行動表を提出させ、その行動位置を緯度経度に変換し、パソコンに入力し、自動追跡するのだ。

当然、予定からずれた位置に移動すると自動警報が発生するシステムを構築したらどうだ。


銃規制について - arkanalの日記
1)全銃器にGPS設置を義務付ける。自宅保管から移す場合は事前に管理センターにメール送信することも義務。

2)全銃器に指紋等の生態認証ロックを義務付け、許可権者以外の使用不能にする。

3)全銃器に安全装置解除時には銃眼の視野にカメラが起動するように義務付ける。

4)上記1)~3)は警察のコントロールセンターで遠隔モニタリング可能にしておき、異常感知時には使用不能の命令を受信すると銃器の発砲を不能にするように銃器に受信システムを備え付ける。

正直に言って私にはコストに見合う効果が期待できると思えない。もし意味があるとすれば
「銃所持のコストを押し上げて返納者を増やす」
「無知による銃規制強化ヒステリーを鎮めるための気休め」
くらいだ。
そういう効果を狙っているのであれば何も言うことはない。
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