玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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エクストリーム「子ども手当て」申請(その2)

2010年04月26日 | 日々思うことなど
前の記事では軽く取り上げたけれど、エクストリーム「子ども手当て」申請の実例が現れたことは決して笑い事ではすまない問題である。といっても、「数十人とか数百人単位の偽装養子がまかり通って日本人の財産がごっそり奪われる!日本はもう終わりだ!」みたいな与太話ではない。


尼崎市で「タイに554人の養子がいる」と申請したX氏だが、彼が提出した書類は本当に真正なのだろうか。タイ(「養子」の母国)および韓国(X氏の国籍)で正当な親子関係と認められているのか。報道を見る限り、その点はまだ確認されていないようだ。
私はたぶん偽造書類だろうと思っている。外国での養子手続きがどのように行われるのか知らないが、東南アジアでは子どもの人身売買が深刻な問題になっており、一度に(あるいは数年かけたのかもしれないが)554件という養子手続きが認められるとは信じがたい。書類が偽造であれば、X氏の行為は文書偽造および詐欺未遂に当たり、告発されたら金額と社会的影響の大きさから言って実刑を免れないだろう。

考えにくいことだが、書類はすべて真正であり、タイと韓国でX氏と養子たち(554人!)の親子関係が完全に認められていたとする。この場合はどうなるだろう?
2ちゃんねるあたりでは「書類が本物なら何百人分でもつべこべ言わず払うべき」みたいな意見が見受けられるが、煽りで言ってるのでなければまったくどうかしている。法律や行政をコンピューターゲームと勘違いしているのではないか。ゲームならどんなチート(ズル、騙し)をやってもお咎めなしに利得が得られるが、現実社会はそれほど甘くない。いや、ゲームであってもネットゲームなど他のプレーヤーや管理人がいれば極端なチートは顰蹙を買い、やがて禁じられる。
現実社会の法律と行政は一般的な常識や正義感を裏切ってはならない。少なくともそういう建前になっている。「554人分の子ども手当て申請で年間8.600万円ゲット」なんて濡れ手に粟みたいな話が簡単に認められるはずがない。もしもX氏が提訴したら尼崎市や国が「申請拒否の正当性」を主張して受けて立つのは間違いないし、裁判所も決して甘い判決は出さないはずだ。
…と思うのだが、実を言えば地裁あたりでは法律を教条的に解釈したおかしな判決が出ないとも限らない。とはいえ、それほど心配する必要はないだろう(ちょっと無責任)。

X氏の554人の養子の正当性を認めなければ外交問題になると言う人もいるが、心配しすぎだろう。そもそもタイや韓国で(他のどの国でも)「554人の養子を取って日本の手当て獲得をねらう男」が応援されるなんてことは考えにくい。むしろ「恥知らずだ」「何を考えて当局はこんな大量の養子を認めたのか」と批判する意見のほうが多くなるのではないか。
とはいえ、かのアニータ事件のときのチリのようにX氏がヒーローとしてもてはやされる可能性もある。外国の文化はそれぞれである。そして、もちろん日本には日本の文化、日本の常識がある。
タイや韓国の世論がどうであろうと、尼崎市と日本政府は「554人の養子などという無茶は日本では認められません」と押し通せばよい。それこそ文化の違い、常識の違いである。イスラム教徒が「母国では妻を4人持つことが許されている」と主張しても日本では認められないのと同じことだ。

今回は「554人」という極端な数だから「子ども手当て」支給適用外の判断に迷うことはないが、仮に5人、10人、15人、20人…の場合ならどうだろう。
厚生労働省のQ&Aで「母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人については、支給要件を満たしませんので、子ども手当は支給されません。」と書いてあるのを引き合いに出して「49人なら認められるはずだ」などと言う人もいる。冗談としては面白いけれど(いや、どうかな)、本気で言ってるならマニュアル脳にもほどがある。「50人」という記述は数字そのものではなく「非常識な(監護・生計の同一が成り立たないと推定できる)大人数」と置き換えて読むべきだ。
とはいえ、認定の基準である「監護」と「生計の同一」をどうやって確認するのかといった具体的な判断は地方自治体の職員にかかっている。厳しい担当者なら5人分の確かな申請でも根掘り葉掘り質問され、いいかげんな担当者なら10人分の偽装申請でもスムーズに認められるかもしれない。グレーゾーン(と呼ぶのも真面目な子沢山の外国人に失礼だが)の扱いがどうなるのか、政府・厚生労働省も地方自治体・現場の職員も「やってみなければわからない」というのが本音だろう。「子ども手当て」批判派が不正受給の横行を心配する理由は確かに存在する。


私がエクストリーム「子ども手当て」申請問題でいちばん心配しているのは、仮にX氏の「544人の養子」が実在した場合に多額の子ども手当てが容易に支払われることではない。その可能性はゼロに近い。そうではなくて、X氏が期待した支給を得られないことでタイにいるとされる「養子」がどういう扱いを受けるのか、ということだ。
X氏が本当に善良で裕福な篤志家であれば、子ども手当ての有無に関わりなく養親としての義務を果たすだろう。その場合はさほど心配することはない。心優しい人たちが民間で支援運動を行うだろうし、場合によっては全額ではなくても「子ども手当て」支給が認められることもあるだろう。
だが、X氏が濡れ手で粟をもくろんだ見通しの甘い詐欺師だった場合は大いに心配だ。それこそ「養子」を金のために利用し、過酷に扱う心配がある。元はといえばメチャクチャな大量養子を認めたタイ(と韓国)が悪いのだが、人権問題として日本も知らん顔はできない。
「怪しい申請は拒否された、よかったよかった」で済ませていい話ではない。X氏の544人の「養子」が実在するのか、X氏の意図はどこにあるのか確認する必要がある。事件の続報が待たれる。



以下は余談。
2ちゃんねるなどでは「形だけでも書類がそろっていれば何十人、何百人という申請でもそのまま認めるべき」「窓口での申請拒否は違法だ、人治主義でけしからん」みたいな極端な意見が目立つ。しかもそれが「子ども手当て」を無駄遣いだの亡国だのと批判する側から出てくるのに驚かされる。法の抜け穴を塞ぐのではなく、ネズミが通る程度の穴をがんばってゾウが通れる大きさに広げているようだ。
おそらく極論を叫ぶことで世間の関心を引き付け、「子ども手当て」を批判する味方を増やすつもりなのだろう。そしてそのやりかたは効果的だと認めざるを得ない。だが、「極論を叫んで煽ったもの勝ち」という手法は、それこそ2ちゃんねるで批判されてきたマスコミやノイジーマイノリティ(「サヨク」「人権派」「フェミ」)のやりかたと同じではないか。まったくうんざりしてしまう。
こんにゃくゼリーによる窒息事件が起きたとき「危険だ!許せない!販売禁止にすべき!」と主張した人たちと、「子ども手当て」の問題点(確かにいろいろと問題はある)をデマや極論を振りかざして糾弾する人たちといったいどこが違うのだろうか。むやみと大げさで客観的なリスク評価が存在しない点で見分けが付かないほどそっくりだ。どちらもヒステリー一歩手前というか、むしろヒステリー状態に近づく・演じることを楽しんでいる。
「草食系男子」が増えたなどといわれているが、ネットでは極論絶叫系が花盛りだ。いや、リアルでは自分を殺しておとなしくしている(そうすることを強いられている)ぶん、ネットでは極論を振りかざし怒りを叫びたくなるのかもしれない。
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エクストリーム「子ども手当て」申請競技

2010年04月25日 | ネタとか
エクストリーム「子ども手当て」申請競技の暫定チャンピオンあらわる。

子ども手当:韓国人男性が554人分申請 孤児と養子縁組 - 毎日jp(毎日新聞)
 兵庫県尼崎市に住む50歳代とみられる韓国人男性が、養子縁組したという554人分の子ども手当約8600万円(年間)の申請をするため、同市の窓口を訪れていたことが分かった。市から照会を受けた厚生労働省は「支給対象にならない」と判断し、市は受け付けなかった。インターネット上では大量の子ども手当を申請した例が書き込まれているが、いずれも架空とみられ、同省が数百人単位の一斉申請を確認したのは初めて。【鈴木直】

尼崎市のX氏はまちがいなく勇者である。男は度胸、なんでもやってみるのさ!という思い切りが素晴らしい。
そしてとんでもなく非常識な愚か者か、常識を超えたキレ者のどちらかに違いない。すらすらと申請が通ると思っていたなら馬鹿だし、役所が渋っても法律論と駆け引きで突破できる能力があるなら大したものだ。無理だと思うけど。

2ちゃんねるやはてなブックマークを見たら、「以前のデマ騒ぎのとき『500人なんて大量申請はありえない』と言ってたやつらは反省しろ」みたいな意見がちらほらあった。2ちゃんねるはともかく、ブログで「500人なんてありえない」と書いてた人はどれくらいいたんだろう、自分は見た覚えがないが、と思って「子ども手当て デマ ありえない」で検索してみた。



…え、もしかして反省を迫られてるのは俺なのか!?


別に言い訳する必要はないのだけれど、誤解されると嫌なので以前の記事を再録する。

「子ども手当て」とデマ
はてなブックマークでデマの存在を知ったとき、ブクマ件数はまだ一桁だったと思う。自分もブックマークして「デマに決まってる」と否定コメントを書こうかと思ったけれど、「ブクマ件数を上げてかえって注目度を上げる・デマの拡大に手を貸す」のも嫌だなと思って無視するほうを選んだ。そのときは「バカらしいデマだからブクマが50くらいで収まるだろう」と思ったのだが甘かった。
なぜバカらしいデマなのかといえば、590人分の申請についてはともかく(無茶なことを企む勇者あるいはバカは常に存在しうる)、役所が疑いもせずただちに受理するなんてことがありえない。「お役所仕事」なんて言葉もあるように、役所というのは細かい書類の不備にケチつけたりもったいぶって引き伸ばしたりして申請がすらりと通らないのが普通である。生きるのにどうしても必要な生活保護でさえ難癖付けて認定を渋るのがお役所の体質だ。それなのに7670000円(!)という大金を支給する決定が即断即決なんてバカらしいにもほどがある。私が銀行で「一億貸してくれ」と言ったら即座に融資が決まる、というのと同じくらいありえない。


ご覧の通り、「590人といった大量申請はありうる」「それがただちに受理されることはありえない」と書いてある。
そして、尼崎市役所と厚生労働省は私の予想どおり怪しい大量申請の受付を拒否した。実を言えば、お役所仕事の通例として「いったん預かる、しばらく調査して(あるいは調査したふりをして)その後で受付拒否の返答をする」という形になると思っていたから今回のスピード拒否はちょっと意外だった。尼崎市役所と厚生労働省はよくやった。
「裁判に訴えれば韓国人男性が勝つんじゃないか」みたいな意見もちらほら見られるが、そんなことはない。裁判と机上の法律論(空論)とは違う。厚労省のQ&Aにもちゃんと書いてある。

子ども手当について 一問一答
母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人にも子ども手当は支給されますか。母国で50人の孤児と養子縁組を行った外国人については、支給要件を満たしませんので、子ども手当は支給されません。

子ども手当については、児童手当の場合と同様に、父又は母が子どもを監護し、かつ生計を同じくすること等が支給要件となっており、支給要件に該当することについて個別に市町村の認定を受ける必要があります。
「監護」とは、養育者が子どもの生活について通常必要とされる監督や保護を行っていると、社会通念上考えられる主観的意思と客観的事実が認められることとなっており、養育者と子どもの間で定期的に面接、連絡が行われている必要があります。
 また、「生計を同じくする」とは、子どもと親の間に生活の一体性があるということです。基本的には子どもと親が同居していることで認められます。しかしながら、勤務、修学等の事情により子どもと親が別居する場合には、従前は同居しているという事案が確認できるとともに、生活費等の送金が継続的に行われ、別居の事由が消滅したときは再び同居すると認められる必要があります。
 子ども手当の実施に当たっては、このような支給要件について確認を厳格化するなど、運用面の強化を図ることとしました。上記の支給要件に照らせば、ご指摘のような事案については、支給要件を満たしません。

日本の裁判所は行政よりの判決を出しがちだし、「法律の穴を付いて私欲を満たす」ようなやり方を嫌うからX氏のように常識を超えた大量申請が認められる可能性はない。
…たぶん。
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津田大介氏と「素直になれなくて」

2010年04月18日 | ネット・ブログ論
たまたま津田大介氏のtwitterを見たら、話題のドラマ「素直になれなくて」について議論されていた。
なんだか面白かったのでまとめてみた。twitterアカウントを持っていればtogetterで簡単にまとめられるのだが、私はtwitterをやってないので全部手作業でコピペした。たぶんアカウントを取る10倍か100倍くらい手間がかかってる(バカだ)。
青い字が津田氏の発言で、黄色の斜体はそのほかの人たち。
@とかRTとか見づらいので、そのまま読めるように全部開いてある。



素直になれなくての第一回見終わった。なんだ面白いじゃん! 俺的には全然あり。傷付いた俺の心を癒せるのはあのドラマだけだよ……。
 tsuda

北川悦吏子がツイッターにハマり始めたのはツイート見てると確か4話とか5話あたり書き始めたくらいだったと思うので、もまえらあんま叩くばっかりはやめた方がいいと思います。最初から色眼鏡で見てたら最後まで色付いたままでしか見られないよ。
 tsuda

いやーでも今までテレビドラマとかでインターネットがどれだけ酷い扱い受けてきたか振り返れば、 #sunanare なんて相対的にマシな方じゃない? 別にあれで一般の人がツイッターに悪印象持ったとしても、ツイッター全体に対しては大して影響ないと思うけどな。
 tsuda

いちおうこのタイミングで告白しておくと、俺はロングバケーションも愛していると言ってくれもビューティフルライフも見たことないので、実は初北川脚本ドラマを見たという……。
 tsuda


申し訳ないですが90年代の感覚を未だにお持ちなんだなーと。
 mitohitomi6


最低だった00年代に比べれば90年代最高じゃないですか。
 tsuda

この流れはバラエティ番組の1コーナーでミニ四駆が適当に扱われて激怒してる小学生に似てる。みんなナイーヴだなぁ( ;^ω^)
 Atomium2011


あはは。単にドラマとしての稚拙な部分の指摘をネットとメディアの対立構造とかまで結びつける必要はないよね。
 tsuda

津田氏はドラマ化に一枚噛んでるから擁護するんジャマイカ、という色眼鏡はなくもない。けどまあ基本的にどーでもいい。TLでみんなの呟き読んでるだけでおなかいっぱい。私は私の世界を行く。
 coprolite


いやー「監修やってくれ」って頼まれたら喜々としてやったし、ツイッター上でやること報告したんですけどね……。
 tsuda

最終的には同じ船に乗ってるんだから、メディア人同士でケンカしてる場合じゃねえだろ。
 tsuda

今7話の脚本書いてるとかなのに、寧ろその程度で取材もせず脚本を書くプロ意識の低さがどうかと。
 huitaine


取材も何も彼女、めちゃくちゃツイッターやってますけど……。
 tsuda

どうでしょ?仕事のネタにするほど、やってはいない(寧ろ、勘違い)な気がしますが
 Ginzi_IT


ツイッターに「正しい」使い方なんてないんだから「勘違い」って表現はどうかと思いますよ。
 tsuda

ツイッターに対して「たかがシステム」って言うのは言い得て妙だと思うけど、正確には「たかがシステム、されど使ってる人たちを好きになるちょっとステキなシステム」ってことなんだろうね。
 tsuda

TVでやったのが「正しい」になるのです。
 adelie


いやーそんなにツイッター弱くないでしょ。あと、あのドラマはツイッターを紹介する様々なメディアのOne of themでしかないし。
 tsuda

ツイッターの使い方教えてくれって言われても困る。せいぜい教えられるのは、特徴つかみやすくするために100人フォローしろってことくらい。だから俺は「ツイッターの伝道師」でも「ツイッターの第一人者」でも「Mr. Twitter」でもないよ。単なるツイッター厨。
 tsuda

黙っていた方がいいかと。火消しや擁護なら、いまさらだし、予定調和なら注目集めの視聴率稼ぎだし。言ってなにかかわる?好転する?悪いことにしかならないときには、沈黙が吉。
 k1numata


言うことで変わることもあるよ。
 tsuda

必死さが伝わってきて痛々しいですよ。
 arinosusumu


必死という言葉の意味をよく理解していらっしゃらない方みたいですね。
 tsuda

無知ですいません。痛々しいは合ってますか。
 arinosusumu


それはあなたの感情の話ですから。
 tsuda

変わること"も"ある。今のタイミング、あなたの築いたポジション。いまさらの擁護は不自然。火消しと取られれば、状況は悪化だ。
 k1numata


今更も何も昨日の朝、俺録画見て面白いって書いてるんだけど……。
 tsuda

あ、今朝だ。失礼。
 tsuda

そういう間違いは、こういうメディアでは軽率で痛いね。twitter やネットの特性を知るあなたなら、今朝のビデオの感想にことさらこだわる理由もないはずですし
 k1numata


あなたにとって軽卒で痛いツイートしかできないかと思うので、どうぞ思う存分リムーブしていただければ^^
 tsuda

うーん懐かしいなこの感覚。ネットって楽しいね! ということで、MIAUの打ち合わせが終わったので落ちそうな原稿書きます!
 tsuda

なんだかなぁ。結局自分の主張の議論もできないできりすてるわけ?いくつかのリプライのなか、ワタシのツイートを選択したあなたの心境には、それなりの想いがあったと思いますが。
 k1numata

面白くないね。それなりのポジション持つ人が、自分の発言の意図を伝えきらないで、去っていくのは。責任とれないなら発言しない覚悟ってインターネットでは必要なんじゃない?あの脚本家も。
 k1numata


だからこの件については自分の主張は充分過ぎるほど自分のツイートでしてるから。それにあなたが納得できないってだけの話でしょ?
 tsuda

津田さんはきっとなんらかの形で協力してるからでは、と想像してます。
 arinosusumu


いや普通に何も手伝ってないから。自分が納得できないものを肯定する人がいた時になんで、「金もらってるからだ」とかそういう陰謀論的発想しかできないんだろう。
 tsuda

ドラマとしてあるいはtwitterをきっかけの題材としたものとして、どういうところがおもしろかったか欠如したまま、北川さんを擁護するようなつぶやきが多いとしか、理解できませんが?
 k1numata


「俺は面白いと思ったし、おまえらもあんまヒステリックに叩くのやめなよ。完結した作品ならまだしも完結した作品でもないのに」以上の意味はないですよ。っていうかあなたは俺が本当は面白いと思ってないのに、何らかの理由で面白いと言わされてるってことにしたいの?
 tsuda

津田氏は、twitter使ってる人が何故あの脚本家に怒ってるのか見誤ってると思う。結局、あの脚本家の人の、仕事に対する姿勢、視聴者に対する姿勢のあり方が問題な訳。
 shostakovich


いや怒りの理由がそこにあるのはわかりますがそこまで怒らなくてもいいじゃんっていう。
 tsuda

恋愛ドラマのスパイスである偶然男女が出会うきっかけに、ツイッターを使っただけで、別に「ツイッターのドラマ」を作ったわけじゃない。今怒ってる人たちは勝手に期待して勝手に失望して怒ってるように見えるんだよな。テレビ局の広報宣伝の問題はあるかもしれないけどそれも許容範囲じゃね?
 tsuda

『ついったーが出るってフレコミのトレンディドラマ』のはずだったのに、それ以前にドラマとしてアレだったという事実がガックリポイントなんでわ
 P_for_posh

そう?非難のポイントはそこじゃなくない?
 yasuyukima


怒ってるんじゃなくて、叩いてるってことなんでしょうね。そのトリガーは怒りじゃないかもしれないけど、向けられた方からすればネガティブな反応に見えますよね。もちろん仕方ない部分もあるんでしょうけど。
 tsuda

そこまで擁護しなくてもいいじゃんっていう。
 Uara54


擁護じゃなくて疑問。みんな余裕ないなーっていう嘆きでもある。
 tsuda

問題は、狙いと関係なく「ついったーのドラマとして」風評被害が発生していることだと思います。出会い系サイト扱い怖いです。
 elderalliance


ドラマの内容はデジタルガレージやツイッター本社もチェックしているはず。それでOK出てるし、風評被害というほどのことは起きてないと思うけどな。
 tsuda

「情弱」ってここ15年くらいネットで流行ってきた言葉の中で個人的に一番嫌いな単語かもしれない。自由闊達でどんな人ともつながれるのがネットの根源的ないいところなのに、ネットの側から自らそれを否定してる感じが特にイヤ。なるべく使わないようにしていきたい。
 tsuda



正直言って驚いた。
twitterの伝道師、日本を代表するエヴァンジェリストだと思っていた津田氏の言っていることは、twitterブーム(?)に対してかなり懐疑的な私でもよくわかる。津田さんっていい意味で常識のある人らしいな、私のようなボンクラにも優しくしてくれそうだと好感を持った。
それに対して、津田氏に「どうして擁護するのか」と疑問を寄せるのはともかく食ってかかる人はおっかない。なぜそんなにtwitterに感情移入するのか謎だ。ドラマに期待しすぎていたのか、あるいはテレビの影響力を敵視し恐れているのか。津田さんが過激なtwitter信者をなだめる教祖のように見えて少々お気の毒である。

「素直になれなくて」のことは、まあ基本的にどうでもいいのだが、津田さんの言葉で
「俺は『ツイッターの伝道師』でも『ツイッターの第一人者』でも『Mr. Twitter』でもないよ。単なるツイッター厨」
「『情弱』ってここ15年くらいネットで流行ってきた言葉の中で個人的に一番嫌いな単語かもしれない」
というのはとても好感が持てる。驕りも卑屈さもなくて素直に聞ける言葉だ。
特に、「情弱」という言葉はなるべく使いたくない、という感覚はつい先日私が記事にしたことと同じで、なんだかうれしくなった。

実はこれまで津田大介という人を遠目で見て胡散臭く思っていた。ススんでる自分を鼻にかけ、それこそ「情弱」をバカにするような嫌味な野郎なんじゃないか、ついでに金髪は似合ってないし、と大いに怪しんでいた。どうやら私の偏見だったらしい。
理由もなく疑ってごめんなさい。たぶん津田さんはいい人です。
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twitterドラマとネットとテレビ

2010年04月17日 | ネット・ブログ論
twitterを取り上げたドラマ「素直になれなくて」がネットの一部で話題になっている。
私はtwitterユーザーじゃないしドラマも見ていないが、「素直になれなくて」と脚本家を話題にして大いに盛り上がるブログやtwitterまとめ、はてなブックマークを読んだら「まだまだテレビはメディアの王様だ」と感じてしまった。

Twitterのドラマの実況TLだけを見ながら考えたこと - G.A.W.
 例のツイッターを題材にしたドラマだが、TLが無類におもしろかった。あのおもしろさはアニメのTLの比じゃない。

 俺がフォローしてる人は、基本的にはオタ趣味を持っている人が多い。ついったーやってる人の平均年齢は三十代くらいっていうけど、もしそうだとしたら、平均と比較して大学生の比率が高いと思う。ブログつながりで、はてなでブログやってる人もかなり多い。

 で、そんなTLがドラマの実況一色で染まった。

TL(タイムライン)とは | Twitterまとめサイト
TL (タイムライン)とは、文字通り、時系列でTwitterのホームページ上に、様々な人たち(自分がフォローしている人たち)の発言が流れてくるスペースのことを言う。

この時点で最初の勝負はテレビの完勝である。相撲で言えば立会い直後に怒涛の勢いで押し出し、くらいの勝ち方だ。

テレビ局、特に民放にとってありがたいのはリアルタイムで見てくれる視聴者である。というのも、録画して後で見るタイムシフト視聴者はCMを飛ばしてしまうからスポンサーにとっては広告効果がない。だから視聴率を調べるときに録画率は計算に入れない。
たとえツッコミ目当てだとしても、ドラマの評判が悪かったとしても、「TLが実況一色に染まる」くらい熱心にリアルタイム視聴してくれるtwitterユーザーはフジテレビにとっておいしい客に違いない。twitterで実況せずタイムシフト視聴(CM飛ばし)して感想を書くブロガーよりもずっとテレビ局の商売に貢献している。

ネット業界人の中には、「テレビは死にかけたオールドメディアだ、これからはネットの時代だ」などと煽る人がいる。そして、ネットの中でも最先端なのがtwitterというツールで、twitterユーザーは情報感度の高いイケてる人たちだ、みたいなプライドを持ちありがたいビジョンを布教したがる人もいる。
そんな痛い人は少数派だろうが(だと願いたい)、「オールドメディア」の仕掛けたtwitterドラマに手もなく乗せられて「TLが実況一色に染」まるありさまはむしろテレビの影響力の巨大さを証明している。これがすでに影響力を失ったメディア、たとえば新聞小説ならどうだろう。朝日で「twitterをネタにした新聞小説」が連載されたとしても、わざわざ読んで感想を書くtwitterユーザーはほとんどいないはずだ。

「テレビからネット(twitter)」の影響力が大きいのは間違いないとして、ネット(twitter)からテレビに影響を及ぼすことはできるだろうか。間接的にはともかく、直接目に見えるような影響はほとんどゼロである。純粋にネット発のなにかをテレビがメインコンテンツとして取り上げるのはYoutubeをネタ元にしたバラエティくらいだ。twitterの「TLが実況一色に染」まるネットのテレビ依存とは好対照である。
テレビはネットのおいしい部分をつまみ食いするだけで、ネット原理主義者が期待するような「ネットの意見がテレビを変える」「ネットの存在がテレビを越える」現象は起きるとしてもまだまだ先だろう。


Twitterのドラマの実況TLだけを見ながら考えたこと - G.A.W.
 今回のツイッターのドラマが特におかしいことになってたのは、テレビとまったく関係ないやりかたで成長してきた「ツイッター」ってものを、テレビが、テレビの価値観で把握してネタにしちゃったからだと思う。あたりまえの結論でアレなんだけど、まあそれはいつものことか。

そう、いつものことだ。テレビの職業ものドラマとか、多少マニアックな趣味を題材にしたドラマは関係者から見たらたいてい噴飯ものである。「あるある」「わかってるな」よりも「ないない」「全然わかってない」という感想のほうがずっと多くなる。良し悪しはともかく、テレビドラマというのは基本的にはとことん通俗的なもので、非専門家・非マニアの一般視聴者のための暇つぶしだ。「ツイッターのドラマが特におかしいことになってた」と感じるのはtwitterに思い入れをもつ人たちだけだ。私に言わせれば自意識過剰もいいところである。ドラマ「素直になれなくて」の作り手たちは、これまで医療ドラマや警察ドラマ、鉄道マニアドラマやモータースポーツドラマを作ってきたのと同じように、視聴率獲得には熱心に、ドラマの(マニアの評価する)質はそこそこに番組を作っただけのことだ。

仮にtwitterドラマが「特におかしいこと」になるとすれば、それは未来から振り返ったときだ。twitterがそれこそエヴァンジェリストの期待するように大いに普及して社会のインフラになれば、10年後とか20年後の一般人が「あのドラマは変だったなあ」「今では考えられないよ」「あんなのを変に思わず見ていた自分たちは何もわかってなかったな」ということになる。
コンピュータが普及し始めたときは「巨大な中央コンピュータが世界を支配する」とか「プログラムが書けないとコンピュータ時代に乗り遅れる」みたいな、今から見ればトンチンカンもいいところのお話が受けた。パソコン通信とかインターネットも最初のうちは誤解されておかしなドラマが作られた。たとえば2000年に放送された「ネット・バイオレンス」もそのひとつだ。

ネット・バイオレンス~名も知らぬ人々からの暴力~ - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇
インターネット上の「匿名の暴力」に立ち向かう女性を描く。「雑誌記者の亮子(夏川結衣)は、バツイチのシングルマザー。心のよりどころは、インターネットを通じて同じ様な境遇の人々と意見交換することだ。ある日、ふとしたことから本名を明かして意見を投稿したところ、全国から個人攻撃を受けてしまう。亮子はその先鋒である「大阪ヨーコ」と名乗る人物に接触を図り、その正体を突きとめるため大阪に乗り込む。

野沢尚『ネット・バイオレンス』覚書にかえて★テレビドラマデータベース

2ちゃんねる過去ログ ネットバイオレンス(再)
超適当-「ネットバイオレンスが怖い人々」

ネット(匿名掲示板)に対してナイーブな野沢尚と、2001年にはすでにすれっからしだった2ちゃんねらーの温度差が対照的だ。ナイーブな野沢尚が2004年に自殺したことを思うと痛ましいが、それはそれとして現在のネットユーザーから見れば、「ネット・バイオレンス」は変だ、わかってない、逆に主人公のほうが怖い、みたいな感想を持つことが多いだろう。良し悪しはともかく、ネットユーザーは2ちゃんねるの存在に慣れ、「匿名の悪意」に対してタフになっている。

Twitterのドラマの実況TLだけを見ながら考えたこと - G.A.W.
 かつてはテレビ様の前で人は平伏するしかなかったんだけど、すでにこの世界には「テレビ様wwwww」っていう視点がある。テレビの人たちは、ツイッターがどんなものであるかは調べたかもしれない。そのうえで現実に即しないドラマを作っちゃっていいと思ったのかもしんない。ドラマはある程度は「典型」を視聴者に与えなきゃいけないんだけど、まだこの「典型」は押してけると思ったのかもしれない。

 だけど、その人たちは、きっと「テレビ様すげえ(笑)」っていう視点がネットにあることだけは知らなかったんじゃないかな。仮に知ってたとしても、そんなもん黙殺できるレベルのものだと思ったのかも。

好き嫌いは個人の勝手だが、それにしてもテレビとその作り手を馬鹿にしすぎだ。
テレビを批判し「あんなのものはくだらない」と切り捨てる見かたはそれこそテレビ放送が始まった50年前から存在する。「ネット以前はテレビ批判は存在しなかった」みたいな物言いはかえって視野の狭さを感じさせる。テレビの作り手たちはテレビ批判の存在に慣れているし、自分たちの提供する情報と娯楽のファーストフードが「グルメ」たちの批判とは関係なく売れつづけてきたことに自信を持っている。
もちろん、ネットによって普通の視聴者が「非テレビ的」な物の見方や「反テレビ的」な意見に接しやすくなったのは確かだろう。そして、テレビの視聴率が長期的に漸減しているのも間違いない。だが、「ネットに存在する反テレビ論の影響で視聴率が落ちた」と決め付けるのは早計だ。DVDにテレビゲーム、ケータイにネットと、テレビの市場を奪い合う暇つぶしが増えたこと、テレビの企画自体がマンネリ化したこと、不況で制作費がケチられたこと、など原因はいくつも考えられる。
「先進的な」ネットユーザーが「遅れている」テレビ業界を哀れむ、という構図はネット(twitter)に感情移入している人たちには好ましいものだろうが、「TLが実況一色に染」まるほど簡単にテレビの思惑に乗せられている姿を見ると茶番としか思えない。


参考
Twitterドラマに不満を持つのは、カーアクションを見て「俺はこんな危ない運転しねーよ」と不満に思うのと同じでしょ? - 倒錯委員長の活動日誌
eno blog: 『素直になれなくて』
ほんとあと 29時間半ぐらい素直になれそうもない - 大事なことなので(以下略)←略すな
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輝け、ぴかぴか新党!

2010年04月15日 | ネタとか
「総理にしたい政治家No.1」の舛添氏と、「国民的人気の高い」東国原氏が新党を作るとか作らないとか。

舛添・東国原氏、15日にも会談…新党視野か : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 自民党の舛添要一・前厚生労働相と東国原英夫・宮崎県知事が15日に、東京都内で会談することが分かった。


 東国原氏が13日夜、大阪市内で橋下徹・大阪府知事との会食後、記者団に明らかにした。東国原氏側からの申し入れだといい、参院選前の新党結成も視野に入れた動きだとの受け止め方も出ている。舛添氏は自民党執行部に人事刷新を求める一方、政界再編や新党も選択肢だとする立場を示してきた。国民人気が高い舛添氏と東国原氏の接近は注目を集めそうだ。

舛添さん、新党に含み「あらゆる可能性オープン」 : 参院選 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 自民党の舛添要一・前厚生労働相は14日午前、国会内で記者団に「体制を刷新しない限り、自民党は(参院)選挙で勝てない。あらゆる可能性はオープンだ」と述べ、新党結成に改めて含みを持たせた。

はあ、そうですか。日本のためにがんばってください。

さて、仮に舛添・東国原新党ができたとして私はちっとも期待しないし、もちろん支持もしない。なぜかといえば、舛添氏と東国原氏が人間的に信用できず嫌いだからである。東国原氏についてはわざわざ批判記事を書いたこともある。かといって、海のものとも山のものとも知れない新党をむやみと叩くのも大人気ない。舛添・東国原新党ができたら半ば無関心、半ば様子見、基本的には冷たい視線、ということになるだろう。

新党ができればまず必要になるのは党名だ。私ははてなブックマークで「党名はぴかぴか新党で決まり」とコメントした。書いたときはおふざけのつもりだったが、いかなる気の迷いか天の啓示か、だんだんと「いや、これはもしかして”有り”なんじゃないか?」という気がしてきた。うん、「ぴかぴか新党」悪くないぞ。いやむしろ、なかなかいいじゃないか!これは有りだよ!(と思っているのは私だけ)。

すでに書いたように、私は舛添・東国原新党(実現したとして)を支持するつもりはない。だが、仮に私が彼らの支持者だとしたら、あるいは舛添氏か東国原氏から依頼を受けたブレインだとしたら、「ぴかぴか新党」という党名は本命や対抗案は無理でも「穴」としては充分にイケると思うのである。二十年ほど昔にトマト銀行ができたときのことを思い出してわくわくする。「ふざけている」「人様のお金を預かる銀行としてありえない」という批判をものともせず、全国的に人気を集めた大成功を再現するのだ。

なぜ「ぴかぴか新党」がイケるのか、箇条書きにしてみる。
マーケティング業界の胡散臭さ慣習を尊重してカタカナを多用した。ルー大柴などと言ってはいけない。

抜群のインパクト

舛添氏と東国原氏のルックス、そして「ぴかぴか」という語感。
最高のマッチングであり、まさに一度聞いたら忘れられない。
アンフォーゲタブルである。


ともかくフレンドリー

一足先にできた新党「たちあがれ日本」はなにやら偉そうな語感で反感を買った。
逆に「みんなの党」は最初バカにされたが(私もバカにした一人だ)、ぐんぐん支持率を上げている。
真似するなら「みんなの党」のようにほんわり癒される脱力系だ。
レッツイージーゴーイング。


ひたすらフレッシュ

「ぴかぴかの新品」「ぴかぴかの一年生」と、「ぴかぴか」はとにかくフレッシュである。
いや、61歳(舛添氏)と52歳(東国原氏)のオジサンをフレッシュに感じさせる言葉はこれ以外にない。
まさにワンアンドオンリー。


そしてアンチ・イデオロギー

右翼だ左翼だ、保守だリベラルだと抽象的な政治用語に関心を持つ有権者は少ない。
とにかくぴかぴか輝いていれば衆目は集まるものだ。
若さに輝く小泉進次郎議員を広告塔として活用する自民党を見ればわかる。
ドントシンク、フィール!である。


オイルアンドウォーター、バット、ゼイアーブリリアント

舛添氏は東京大学を卒業し大蔵省に勤めたバリバリのエリート。
一方で東国原氏はたけし軍団から一念発起して早稲田に入り政治家を目指した庶民派。
水と油ほど違う二人の、誰にでも一目でわかる共通点は頭部の毛髪状況だ。
ブリリアントな二人は仮面ライダーWのように切っても切れないバディ(相棒)、正義のヒーローとなる。
無駄遣いする官僚を「カウントユアシン」(お前の罪を数えろ)と断罪すれば国民的スタンディングオベーション間違いなし。


うつむきがちな人々をエンカレッジメント

21世紀になってから、小泉・安倍・福田・麻生・鳩山と頭部がぴかぴかしていない総理大臣ばかり続いた。
福田氏はちょっと微妙だが、「額が広い」部類に入り宮沢氏や中曽根氏とは比べ物にならない。
頭髪に悩む人々にとってはちょっぴり淋しい時代が続く。
彼らが舛添氏と東国原氏率いる「ぴかぴか新党」の活躍を見れば「自分も輝こう」と大いに元気が出るに違いない。
ドントマインド、レッツシャイン!



…いかがだろうか。最初は疑った読者もだんだんと「もしかしたら有りかも」と思えてきたに違いない。
「ぴかぴか新党」、最初はふざけているように感じても一ヶ月もすれば誰も笑わなくなる。いや、「ぴかぴか」と聞くだけで人々の心に勇気がわいてくる。政治を輝かせ、希望を失いかけた日本に光をとりもどせるのは「ぴかぴか新党」だけだ。光れ、輝け、ぴかぴか新党!
ご清聴ありがとうございました。






以下は蛇足。
もちろんこの提案は8割がた冗談である(2割は本気かよ!とツッコんでください)。
「みんなの党」のように国会で存在感を示し支持率を上げられればいいが、ツートップの関係がギクシャクして人気が低迷するようだと「ぴかぴか新党」は笑いものにされる。舛添氏と東国原氏はどうでもいいが、巻き添えを食うだろう薄毛の人たちに申し訳ない。この文章はあくまでも冗談として、舛添・東国原新党が実現するなら真面目な党名を選んでおふざけなしに政治に取り組んでいただきたい。私は支持しないけど。
なお、この文章中では小党の成功例(いまのところは)としてみんなの党をだいぶ持ち上げたが、私自身は特にかの党に好意を持っているわけではない。

書いた後で検索してみたら、「新党かがやき」という提案もあった。こちらのほうがいかにもありそうで現実味がある。そのかわり、普通すぎて突破感がない。どうせならひたすらインパクトに賭けた「ぴかぴか新党」のほうがいい。
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いまこそ思い出す「ガソリン値下げ隊」

2010年04月14日 | 政治・外交
民主党って馬鹿じゃなかろうか、と思ったけれど、間違いを認めて正すのは良いことなのであえて言うまい(書いてるけど)。

民主党:参院幹事長「暫定税率を維持」…環境と整合性なく - 毎日jp(毎日新聞)
 民主党が昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだガソリン税などの暫定税率の撤廃について高嶋良充参院幹事長が参院選マニフェストに関する毎日新聞のインタビューに応じ、「野党時代に作った公約は、基本的に環境の観点から言えば整合性が取れていなかった」と述べ、11年度以降も税率を維持する考えを示した。


自民党政権だった二年前、当時の町村官房長官は「ガソリンの値段を下げればそれだけで日本の環境問題はそんな程度の取り組みなんだということになる。そのマイナス効果は計り知れないものがある」と批判し、高村外相も「日本が北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)を主催しようとしているとき、『ガソリン税を下げました、もっとガソリンを使いましょう』という態度でリーダーシップが取れるのか」と疑問を示している。
まったく正論だが、なぜか当時はやたらに批判された。

痛いニュース(ノ∀`):「“ガソリン税を下げてガソリンもっと使いましょう”という態度で環境問題に取り組めるのか」…高村正彦外相&町村官房長官
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「ガソリン税を下げてガソリンもっと使いましょうという態度で環境問題に取り組めるのか」…町村官房長官&高村正彦外相が強調

彼らが今どう思っているか知りたいものだ。
私自身、「ガソリン値下げ隊」のバカ騒ぎには大いに疑問を感じて批判記事を書いている。「だから言ったのに」とつぶやいても罰は当たらないだろう。

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「皇室デマ」と「皇室関連デマ」

2010年04月14日 | 政治・外交
昔からそうだと思うが、九重のうちにおわしますやんごとなきかたがたをめぐる怪しきお話、つまり皇室についてのデマに興味をもつ人は少なくない。
いわく、明治天皇はすりかえられた別人である。いわく、秋篠宮の実の母は別にいる。「皇室デマ」の多くは扇情的でおどろおどろしいが、それこそ荒唐無稽な話であり、まともな人が信じこむことはない。

そのものずばりの皇室デマは畏れ多いという気持もあって表で公言されることは少ないけれど、それとは別に「皇室関連デマ」というのもあって、こちらは畏れがブレーキとして働くことがないぶん広がりやすくて厄介である。
「皇室関連デマ」というのは、主に政治家が皇室に対して無礼なことを言った・やった・考えている、というデマである。皇室に仇なす逆賊、朝敵認定、みたいなものだ。今はともかく、明治憲法体制の頃にデマのため「朝敵」と認定された人はさぞひどい目にあったことだろうと想像できる。21世紀の今になっても「皇室関連デマ」はなくならない。このブログで以前にも取り上げたことがある。

「岡田質疑応答メモ」デマの下らなさ
踊る大捏造戦

標的にされたのは岡田外相だ。「天皇陛下の国会開会式でのお言葉は見直すべき」という発言(これは事実)が一部の右翼・保守派のあいだで「不敬」と受け取られ(私はそうは思わないが)、気の毒に岡田外相はデマの餌食にされた。デマを作ったのは誰でどういうつもりだったのか知らないが、喜んで、あるいは怒りに目がくらんでデマを広めた人たちは岡田外相のみならず皇室にも迷惑をかけている。右翼がみだりに不敬だの売国だのと騒ぎたてること自体がわずらわしいのに、デマとなればなおさらのことだ。


小泉元総理も「皇室関連デマ」の標的にされている。

きまぐれな日々 志の低い野合新党「たちあがれ日本」に議席を与えるな
新自由主義者と新保守主義者を分裂させたのは、2005年の「郵政総選挙」における小泉純一郎だった。新自由主義に特化してこの選挙に勝った小泉は、翌年には「皇室は最後の抵抗勢力だ」と発言して、「郵政総選挙」で小泉に自民党から追い出された平沼赳夫の激しい怒りを買ったといわれている。

この話自体は前から知っていたけれど、それこそ怪しい話であり、まともな人はデマとして相手にしないと思っていた。ところが、kojitakenさんのように(私と考え方は違うけれど)議論に対して誠実なブロガーまでが真に受けているのを知ると捨てては置けない。
いや、「kojitakenさんがデマを真に受けた」と書くのはもしかしたら言い過ぎかもしれない。文脈をたどれば、小泉不敬発言(デマ)を真に受けたのは平沼氏で、平沼氏が激しく怒ったという話も「~といわれている」と真偽をぼかして書いてあるから「kojitaken氏自身はデマを信じていない」と読むこともできる。とはいえ、全体的には肯定的で「小泉不敬発言」がデマだと明記していないから、「子ども手当て590人申請」デマを受け売りした人たちとやっていることに変わりはない。

「小泉不敬発言」はデマだと断じてきたけれど、実を言えば「これはデマである」と確認できるはっきりした証拠は持ち合わせていない。あくまでも私の考えだ。だが、「岡田外相不敬発言」や「子ども手当て590人申請」と同じく、常識的に考えればとてもありえない話なので確証がなければデマと決め付けてさしつかえない。立証責任は「デマではない」と主張する側にある。

少し調べてみたところ(といってもgoogleで検索しただけだが)、このデマの火元は旧皇族出身の竹田恒泰氏のようだ。

皇室典範議論の行方4~皇室は最後の抵抗勢力!? - 竹田恒泰日記 - Yahoo!ブログ
いった小泉総理は、皇室に対するどのような思想に基づいて女系天皇を成立させようとしたのでしょうか。
 その答えは、私が懇意にしている自民党のある国会議員から知らされた情報に見出すことができます。
 秋篠宮妃御懐妊が発表される直前の、皇室典範改定問題が最も激しく議論されていた最中の平成18年1月、小泉総理が自民党幹部と会合を持った際に、総理は

「今国会で皇室典範改正案を必ず上程する。典範改正は構造改革の一環だ」

と述べたあと、少し声を潜めて、静かに、しかし力強く

「皇室は最後の抵抗勢力」

と言ったというのです。
 さらに、その場にいた自民党幹部の一人が

「では、皇室典範改正法案が国会で否決されたらまた解散ですか?」

と聞くと、総理はかすかににやけた表情を見せ、大きく片手を挙げ、何も答えずに退席したため、その場に居合わせた自民党の国会議員たちは、「皇室典範改正」を覚悟したといいます。
 小泉総理は平成17年に郵政民営化の是非を問う「郵政解散」を断行し、圧倒的な勝利を収めたばかりでした。
 もし秋篠宮妃御懐妊がなく、国会で皇室典範改定法案が否決されたなら、日本の憲政史上前例のない、女系天皇の是非を問う「皇室解散」が現実のものになっていた可能性があったことになります。

なんというか、その、えーと。
率直に感想を言えば「ゲンダイかよ」みたいな、あからさまに怪しい「お話」である。竹田氏が嘘をついているとは言わないが、又聞きを鵜呑みにして触れ回るのはうかつとしか思えない。竹田氏がどれほど「懇意にしている自民党のある国会議員」を信じていたとしても、読者にとっては正体不明のミスターXにすぎない。周知のように小泉元総理は平沼氏を初めとする「真性保守」の政治家からは憎まれている。竹田氏と懇意にしているのはおそらく皇統護持(男系維持)を望む「真正保守」の政治家だろう。ミスターX氏が小泉憎さのあまり話を作ったり歪曲した可能性は高い。

話の構造としては「岡田外相不敬発言」(デマ)と変わらない。「天皇は植木職人になるべき」と「皇室は最後の抵抗勢力」はショッキングさとありえなさで同レベルだ。こんな話を真に受けるほうがどうかしている。
どちらの話も「完全な密室での内輪話」ではなく「記者懇談会」「党の会議」での発言とされている。気心の知れた少人数の同志ならともかく、記者やら政敵のいる場で皇室をことさらに敵視するような発言をする保守政治家がいたらよほどの馬鹿か頭がおかしい。岡田外相や小泉元総理を憎む人には「天皇は植木職人になるべき」や「皇室は最後の抵抗勢力」という言葉も「いかにも言いそうだ」と思えるのかもしれないが、私はそんなことを鵜呑みにするほうがどうかしていると思う。

仮に小泉元総理が自民党の会合で「真性保守」から不敬とみなされるようなことを言ったとして、私がありそうに思えるシナリオはこうだ。

小泉
悠久の昔から続く皇室はこれまで何度も大きな変革をとげてきた。明治維新では肉食など洋式の生活を取り入れ、戦後には「人間宣言」や皇太子殿下ご成婚で国民との距離を縮めている。新憲法制定からすでに60年、皇位継承問題が行き詰らないうちに勇気を持って皇室典範改正に取り組むときだ。


議員X
女帝・女系を認める皇室典範改正には保守派からの批判が強い。あせって強行すれば皇室に傷を付けることになりかねない。


小泉
もたもたして時期を失えばそれこそ必要な改革もできなくなる。選挙で大勝した今こそ千載一遇の好機だ。やみくもに皇室の改革に反対する人たちは郵政民営化に反対した抵抗勢力と同じで、世論と時代の流れに逆らっている。

こういう話ならいかにも「小泉なら言いそうだ」と思えるし、政敵の「真性保守」が「小泉は『皇室は抵抗勢力』と言った」と歪曲するのもありうる話である。もちろん、これは単に私の想像であって、実際にそんなことがあったのかどうか何も知らないけれど。
ついでに言っておくと、竹田氏のブログから引用した最後の部分、「女系天皇の是非を問う『皇室解散』が現実のものになっていた可能性」というのはまさに噴飯ものである。郵政選挙でさえ「国民の生活と関係があるのか、小泉の道楽だ」みたいな反発もあったのに、皇室典範改正というそれこそイデオロギー的な問題で政治空白を作り選挙に打って出ても勝てるわけがない。「抵抗勢力」を仕立て上げて血祭りにする小泉劇場は桶狭間の合戦のようなもので、同じ手が二度と使えないのは勝った本人がいちばんよく知っている。


さて、ここまでは「皇室関連デマ」で政治家を批判するくだらなさについて書いてきたけれど、ある一人の政治家がデマがどうのという次元を超えてしまった。もちろん、民主党の小沢幹事長のことだ。
小沢氏が「天皇の外国要人接遇における一ヶ月ルール」破りの元凶と目されていたとき、小泉元総理や岡田外相のように「皇室関連デマ」の槍玉に挙げられる可能性は高かった。もしも小沢氏が「一ヶ月ルール破り」について弁明しなければ「小沢幹事長が『天皇は権威のシンボルでしかない、言うことを聞かなければ木像に取り替えてしまえ』と言った」みたいなデマが流れ、私は「ベテランの保守政治家がそんなこと公言するはずないだろ」と否定したはずだ。ちなみに、「天皇を木像に替えろ」というのは太平記に描かれている高師直(足利尊氏の家臣)の言葉である。
ところが小沢氏はデマが流れる前に機先を制して(?)会見を行い「一ヶ月ルール破り」について釈明した。そのときの態度と言葉は私の想像をはるかに超えていた。絵に書いたような傲慢無礼逆ギレである。あまりにも凄かったので記事を6本も書いてしまったほどだ。

宝剣で大根を切る
「仕分け」と「一視同仁」
自縄自「爆」の鳩山政権
政治主導という名の「政治無能」
天皇陛下の政治利用を危惧する
卑劣で傲慢な小沢一郎

小沢氏自らこれほどの醜態を見せてくれたら、デマが流れる余地はなくなる。画期的なデマ予防法というか、見事すぎるオウンゴールというか。時として現実は想像をはるかに超える。
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「大統領の強い思いが、この悲劇につながったのでしょうか」

2010年04月11日 | 政治・外交
失言叩きのようなことはしたくないが、ちょっとこれはひどい。

Twitter / 鳩山由紀夫
昨晩は、ポーランド大統領機墜落、緊迫するタイ情勢などへの対応に追われました。「カチンの森事件」の追悼式典への大統領の強い思いが、この悲劇につながったのでしょうか。あらためて、ポーランド大統領をはじめ亡くなられた方々に追悼の意を表したいと思います。


「「カチンの森事件」の追悼式典への大統領の強い思いが、この悲劇につながったのでしょうか。」って。
鳩山総理はポーランドとポーランド国民に対して欠片ほどの悪意も持っていないと信じるけれど、それでもこの言い方は「大統領の強い思いが悲劇的な運命を呼び寄せた」とか「ロシアへの怒りや恨みが自分に跳ね返った、自業自得だ」という風にとられても仕方がない、たいへんに無礼な表現だ。
「(故人の)強い思いが~につながった」という言い方は、基本的に「いいこと」に対して用いるものである。
「五年前に亡くなった前社長の強い思いが新工場の建設につながった」とか、「亡き母の思いがメダル獲得の原動力となった」とか。悲劇的な飛行機事故と「ポーランド大統領の強い思い」をつなげるのは無礼きわまる。

鳩山氏の言いたかったことは想像できなくもない。たぶん「運命の蹉跌」とか「思いを実現する間際に倒れる悔しさ」みたいなことを表現したかったのだと思うけれど、逆にとんでもなく無礼な表現になってしまった。
これが高校生・大学生とかギリギリ20代前半の社会人ならまだしも、生まれも育ちも何不自由ない63歳のいい大人、しかも内閣総理大臣がこれほどまでに無礼な失言をするとフォローのしようがない。頭を抱えるばかりだ。
せめて私個人の気持として故カチンスキ大統領はじめ飛行機事故で亡くなられた方々とポーランド国民におわび申し上げる。本当に申し訳ありません。
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「情弱」という言葉

2010年04月08日 | ネット・ブログ論
「子ども手当て」のデマにひっかった・騒いだ・広めた人たちを「情弱(情報弱者)」と笑いものにするブログを読んだ。

これが情弱かw - 北沢かえるの働けば自由になる日記
2~3日前から「これが情弱かw」って言うネタが続いていて、頭を抱えている。

まぁ、子ども手当に関連した、一連のデマ騒ぎなんだが。

「川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてた アジア系の人いた。さすがに別室に連れてかれてた どうなったんだろう」

 → http://togetter.com/li/12774

「ザイール大使館員の付き添いのもと、ザイール政府発行の正式証明書を持ったザイール人10人位で子供の合計200人以上登録していったそうだ」

 → http://togetter.com/li/12911

……上の火元は2ちゃんで、下も2ちゃんらしいがさぁ。

ちょこっと調べれば、そう簡単に申請が通らないのはわかるし、罰則もあるし。さらっと読んだだけでもおやっと思う点があるんだが、今回はTwitterが拍車をかけて、ものすごい勢いで広がったようだ。

上は、松沢呉一さんがわざわざ電話して確認をしたぐらい広まってしまい。

下は、明らかな間違いがあるんだが広がってしまい。指摘しておくと、ザイールという国名はもう使われていないので。

驚いたのは、「こういう可能性があるから、デマと思ったが伝えた」という言い訳もあって、ツィッターというシステムが、こういうときには悪い方に働きやすいってのは、予想がついていたんだが、ひどいね。というか、甘くない? 顔出ししているも同然なのに。

「Twitterは情弱をあぶり出す」ってどこかで見たんですが、名言だw


デマは腹立たしいし、今回のデマに引っかかった人たちははっきり言ってちょっと(かなり・ひどく)間抜けだと思うので、彼らが笑いものにされるのも当然だと思う。とはいえ、笑われた人たちが「二度と笑われたくないから慎重に情報を見定めてデマに引っかからないようにしよう」と思ってくれるのか、それとも「笑いものにされた」ことを根に持って一層かたくなになるのか、なんとも言えない。
実例としてこんなことがあった。

このっ、バカ共が!: 松浦晋也のL/D
 そりゃね、中国が神舟7号で宇宙遊泳をやると聞いた時からそんな連中が出るんじゃないかとは思っていた。

 しかし、これはいったいどうしたことか。


 「公式MAD」「絶対泡アル!!?」 「 ×神舟7号○コント7号?」 「水中船外作業?」「中国のMADのクオリティは異常?」などなどひどいタグが付いている。

 が、これが水中のシミュレーション画像に見えるなら、君らの目は節穴で、君らの脳は空っぽだ。まったく情けない。この、バカ共が!

中国の発表した宇宙遊泳映像が捏造だ、というデマを喜んで囃し立てた人たちを科学ジャーナリストの松浦氏が「この、バカ共が!」と叱りつけた。私自身「捏造疑惑」騒動はバカらしいにもほどがあると辟易したし、宇宙開発に情熱を注ぐ松浦氏が卑しいデマに怒る気持はよくわかる。だが、「バカ」呼ばわりに反発した人たちが素直に聞く耳を失い、説明を受け入れなくなるという残念な(しかし当然の)事態が起きた。もしも松浦氏が「この、バカ共が!」という言葉を自制していれば、反発や摩擦がだいぶ減ったと思われる。
とはいえ、「このっ、バカ共が!」という強烈なタイトルによって多くの人の関心を集めることができたから(はてなブックマークは500を超えている)、「バカ」たちとの摩擦以上のメリットがあったのかもしれない。ちょっと意味は違うが、「悪名は無名に勝る」という格言もある。


愚かしい行動をした人たちを「笑いものにする」「バカ呼ばわりする」ことの是非は簡単に決められないが、それとは別に北沢かえる氏の「情弱」という言葉の使い方、笑いものにするやり方には違和感を覚える。
私自身は使ったことのない言葉だが、「情弱」は「情報弱者」の略語に違いない。「情報弱者」の辞書的な定義はこうだ。

情報弱者【じょうほうじゃくしゃ】の意味 - 国語辞典 - goo辞書
パソコンやインターネットなど情報通信技術の利用について,困難を抱える人の総称。情報通信環境から離れている人(地方住民・低所得者など)や,操作が困難な人(高齢者・障害者など)をさす。通常利用者との社会的格差が生じると指摘されている。

どこにも侮蔑され笑われるような要素はない。「情報通信技術の利用について,困難を抱える人」は基本的に社会の同情や支援の対象でこそあれ、自称情報強者がバカにしてストレスを発散するオモチャではない。
私の思うところでは、「情報弱者」は「身体障害者」や「知的障害者」と同じく「ハンディキャップ」のカテゴリーに属する存在であり、彼らをみだりに笑いものにしたり蔑むのは人間として卑しいことだ。2ちゃんねるあたりでは「知的障害者」が「池沼」(ちしょう=知障)と略されて罵倒語に使われているが、あくまでも名無しとして恥を捨てているからできることであり、外に持ち出すと大いに顰蹙を買う(2ちゃん内でも顰蹙ものだと思うが)。

池沼とは (チショウとは) - ニコニコ大百科
概要
知的障害者 → 知障 → 池沼

と言っても実際に知的障害を持つ人のことを指して使用されることは少なく、一般的な社会の常識・倫理から著しく外れたことを行う人間に対して投げかけられることが多い。

そのためこの言葉は暗に知的障害者に対する差別的なニュアンスを含んでおり、知的障害というハンデに負けずにがんばっているまともな人たちにとっては一緒にされていい迷惑である。

使用に際しての注意
上記のようにそもそもこの言葉自体あまり好ましくないものだが、もしどうしても使いたい場合には、あくまで匿名性の高いネット上だからこそ普及している言葉であることを忘れてはいけない。

万が一真面目なフォーラムやリアルで「うはwwあいつマジ池沼www」などと口走ったりすれば、常識や倫理を疑われるのはあなた自身ということになるだろう。


私は別に言葉狩りをしたいわけではない。
北沢氏が「情弱」という言葉に強い思い入れがあるとか、あるいは他に代えがたい効果があるからこれからも罵倒語として使い続ける、というのであれば「ご勝手にどうぞ」と申し上げるだけだ。
それならなぜこんなことを書いているのかといえば、たぶん北沢氏は「情報弱者を『情弱』と略し(本来の意味とは別の使い方をして)笑いものにするのは知的障害者を『池沼』と略して罵倒語に用いるのと大差ない」ということに気付いておられないのだろうと思うからだ。デマを批判する立派な記事に「情弱」を笑う表現はそぐわない。
私は「デマに引っかかった・踊った・煽った人たちを笑うな」と言っているのではない。笑うのはちっとも構わないが、彼らは辞書的な意味での「情報弱者」ではないし、「情弱」とレッテルを貼って笑いものにするのはイラクで民間人を撃った攻撃ヘリと同じようにひどい誤爆としか思えないのである。
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「子ども手当て」とデマ

2010年04月07日 | 日々思うことなど
当たり前のことだけれど、デマは良くない。
意図的にデマを流すのは悪いことだし、気付かずに引っかかった人は情けない。特に、デマを受け売りして広めてしまった人たちは大いに反省すべきだ(参考)。

子ども手当「外国人に590人分支給」 「まったくのデマ」で騒ぎに (1/2) : J-CASTニュース
 子ども手当について、在日外国人が母国にいる養子などを多数申請するのではと、ネット上で疑念が広がっている。神奈川県川崎市のある区役所ではアジア系の人が590人分の支給を受けるとの書き込みまであった。しかし、この区役所では、「まったくのデマ」と否定している。

590人分支給の書き込みがあったのは、2ちゃんねるのスレッド上で2010年4月3日朝のことだった。

「川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてた アジア系の人いた さすがに別室に連れてかれてた どうなったんだろう」
川崎市高津区役所、問い合わせは数十件も

ブログでも紹介の書き込み 4月1日から申請手続きが始まった子ども手当では、母国に子どもがいる在日外国人でも、要件を満たせば支給が受けられる。子どもは、養子でも婚外子でもOKだ。これが、一部報道やネット上で、たくさん養子を作るなどしてどんどん税金が国外に持ち出されるのでは、との危惧になっている。

高津区役所のケースは、それを現実に見たというのだ。

2ちゃんでは、極端な人数のため疑問視する声が出たが、書き込んだ人は、それを否定。段ボール箱の半分ぐらいになった書類を窓口に置いて、「ショルイアリマス」と流ちょうな日本語で言っていたという。さらに、最初の書き込みから2時間後には、区役所の人に聞いたところ、手続きは順調に終了したと聞いたと報告。困った顔だったとしたものの、即日の審査で支給が成立したらしいと明かした。

これらの書き込みは、ブログにも取り上げられて、ネット上で波紋を呼んだ。これに対し、高津区役所のこども家庭課では、アジア系の人の訪問そのものも含めて「まったくのデマです」と否定した。何件も問い合わせがあったといい、困惑している様子だった。


この件に限らず、感染力の強そうなデマを見つけたときどうすればいいのか、なかなか難しい問題だ。受け売りでデマを広めるのは最低として、単に無視すればいいのか、きっちり批判する必要があるのか迷うことがある。「子ども手当て」デマについて私は最初「無視する」ほうを選んだけれど、今になって思えば間違っていたかもしれない。

はてなブックマーク - 川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてたアジア系の人いたニートな2ちゃんねらー日記

はてなブックマークでデマの存在を知ったとき、ブクマ件数はまだ一桁だったと思う。自分もブックマークして「デマに決まってる」と否定コメントを書こうかと思ったけれど、「ブクマ件数を上げてかえって注目度を上げる・デマの拡大に手を貸す」のも嫌だなと思って無視するほうを選んだ。そのときは「バカらしいデマだからブクマが50くらいで収まるだろう」と思ったのだが甘かった。
なぜバカらしいデマなのかといえば、590人分の申請についてはともかく(無茶なことを企む勇者あるいはバカは常に存在しうる)、役所が疑いもせずただちに受理するなんてことがありえない。「お役所仕事」なんて言葉もあるように、役所というのは細かい書類の不備にケチつけたりもったいぶって引き伸ばしたりして申請がすらりと通らないのが普通である。生きるのにどうしても必要な生活保護でさえ難癖付けて認定を渋るのがお役所の体質だ。それなのに7670000円(!)という大金を支給する決定が即断即決なんてバカらしいにもほどがある。私が銀行で「一億貸してくれ」と言ったら即座に融資が決まる、というのと同じくらいありえない。
「子ども手当ては鳩山内閣の目玉政策だから」役人は恐れ入って盲判を押すだろう、と思う人もいるかもしれないが、実際に申請を受け付けるのは地方自治体である。市役所や町役場の職員は「国会で鳩山由紀夫が決めたのだ」と聞いても別に恐れ入ったりはしない。彼らは普通の国民(内閣支持率は約30%)の一人であり、地方公務員であって民主党政権の下僕ではない。ことさらにサボタージュもしないだろうが、特に張り切って民主党政権に忠義を見せるはずもない(「小沢王国」の岩手県あたりではどうか知らないが)。
民主党政権・鳩山内閣を信用できない人が多いのは仕方ないが(私もその一人である)、地方公務員をみだりにバカにしたデマを流すのは間違っている。

さらにこのデマは「ザイール大使館員」が登場する形に進化して広まった。私はデマは嫌いだけれど、「ザイール大使館員」を付け加えた人はなかなか気が利いていると思った。もちろん、かつてザイールと呼ばれた国は現在「コンゴ民主共和国」と名前を変えており、「ザイール大使館」など世界のどこにも存在しない。「頼朝公ご幼少のされこうべ」みたいな話でナンセンスな面白みがある。


さて、松沢呉一氏をはじめとした有志が川崎市高津区役所に確認してくれたおかげでデマであることが明らかになり、次第に沈静化した。だが、いまだにあきらめ悪くデマの残り火を燃やし続けようとする人もいる。

何でもありんす: 【政治】 2ちゃんねるの「子ども手当、590人分申請の外国人が」は「まったくのデマ」…他の自治体も「窓口、通常と変わらない」
外国人への憎悪を煽る者たち

「『590人申請』がデマかどうかはどうでもいい、子ども手当ての制度的欠陥のほうが問題だ」とか「デマであっても多くの人に問題を知らしめた意義がある」とかなんとか。お前らバカか、ふざけるのもいいかげんにしろ、と怒りが湧き上がる。
デマに引っかかって受け売りしたり、あまつさえデマを肯定したりすれば子ども手当てを批判する人たち全体の信用を損ない足を引っ張ることになぜ気付かないのか。「デマ上等!」と嘯きつつ「自分たちの意見を信じてくれ」と叫んでも笑われるだけだ。
民主党が「永田メール事件」を起こしたとき「メールは偽でも疑惑は真実だ」という謎のエルメス理論を唱えた河村たかし議員(現在は名古屋市長)は当然のごとく笑いものにされた。仮に原発反対運動家が放射能漏れ事故のデマを流して「原発の危険性を訴えるのに意味があった」と開き直ったら誰もが呆れるだろう。敵にデマを流して混乱させるのは立派な(?)謀略だが、味方にデマを流して煽るのはまったく愚かなことだ。


これまで「子ども手当て590人申請」デマを批判してきたけれど、さりとて私はべつに現在の子ども手当て制度を支持しているわけではない。絶対反対ではないけれど、懐疑派あるいは否定派である。「子ども手当て」はまぎれもなくバラマキ政策である。逼迫する国家財政のなかでなぜこんな途方もないバラマキをするのか、選挙目当てではないのかと大いに疑問をもつけれど、ばらまいた結果として世の中の景気が良くなったり出生率が劇的に向上したりすれば文句はない。まあ、そうなる可能性はせいぜい20%くらいだろうと思うけれど。
バラマキが海外(在留外国人)にも流れる点が批判されるが、これも程度問題であり、仮に子ども手当てが大いに実効を上げれば(私は信じていないが)数百億とか海外に流出したとしてもコスト的には問題がないといえる。とはいえ、「仕分け」パフォーマンスが大受けしたように日本人は「無駄」を大いに憎むから、「海外へのバラマキは無駄だ」「民主党政権は信用できない、税金なんてバカらしくて払いたくない」という世論が高まるのも無理はない。

海外流出を批判するのであれば、「養子が100人」とか「590人」とか極論やデマを使って煽るよりも、「10人分の申請があったときどのように審査するのか、金目当ての偽装養子を見分けられるのか」という現実的な問題を地道に訴えるほうがいい。
国籍法騒ぎのときは「偽装認知の怪」という記事で「そんなこと実際にやる奴はほとんどいないだろう」と断じたけれど、子ども手当てを期待した養子(偽装養子)は充分にありうる、むしろ起きなければおかしいくらいだと思っている。
国籍法改正の場合は外国人の立場で考えてみても偽装するメリットが無かった。日本国籍の価値は抽象的だし、実子でないのに実子として届けるのは明らかな嘘だ。「メリットが薄くて後ろ暗い」のだからわざわざやる意味がない。
だが子ども手当ては違う。少なからぬ現金をもらえるし、「親戚や知人の子どもを養子にする」のは悪いこと(偽装)ではなく人助けのいいことだ、と正当化できる。「はっきりした実利があり罪悪感もない」のであればやりたがる人は多いだろう。
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