玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

検証された「カストロコピペ」

2009年04月11日 | 日々思うことなど
以前「善光寺コピペ」デマのときお世話になった"Red Fox"岩谷さんが「カストロ前議長WBC日本チームを祝福」コピペについて検証してくださった。本当にありがとうございます。

Red Fox 「カストロ議長、WBC日本チームを祝福…?」 2ちゃん発の怪文書アゲイン

あちらにコメントを書き込もうとしたら、何回やってもいくら書き直しても「禁止キーワードが含まれています」とはじかれてしまう。仕方ないのでこちらで記事を書いてトラックバックすることにした。



岩谷さん検証ありがとうございます。たいへんお疲れ様でした。
善光寺コピペに続いてまたお世話になってしまいました。

今回の「カストロコピペ」は善光寺コピペに比べればまだ無邪気というか、笑って許せる範囲ではあります。
善光寺コピペのときは「圧迫されているチベット人をネタに愛国オナニーをする」ようなおぞましさを感じて腹が立ちましたけれど、カストロコピペの場合は「日本が優勝した」のも「キューバに勝った」のも「カストロ議長が日本チーム(特にイチロー)を高く評価した」こともぜんぶ事実ですから、「別にインチキでもいいじゃないの」という気持が起こらないこともありません。

…が、だからこそ恐ろしいとも言えます。
はっきりしたインチキやデタラメなら見分けることもさほど難しくありませんが(本当にそうかな?)、まぎらわしくて「まあいいか」と思わせるデマはデバックされることなく流通しつづける可能性が高い。放置しておくと(大げさな言い方ですが)社会全体のメディアリテラシーと倫理が下がります。やはり見すごすわけにはいかない。…といっても、今回も私は何もできませんでしたが。

それにしても、「外国人の日本絶賛」デマは感染力が強いですね。「アインシュタインの予言」しかり、善光寺コピペしかり、そして今回のカストロコピペ。たしかに日本をほめてくれる外国人は多いのですが、日本人が作った「日本絶賛」コピペは何か臭いが違うのです。発想が日本人的というか、日本ヨイショに特化されすぎているというか。「読んでスーッと頭に入る、気持よくなる」有名外国人・外国メディアの日本礼賛コピペはソースがはっきりするまで眉につばをつけて読んだほうがいいようです。

「騒ぐな」と 騒ぐ人たちの 騒がしさ(その3)

2009年04月09日 | 政治・外交
これが3回目の記事で最終回(の予定)。

なぜ自分が今回の北朝鮮ロケット問題で「『騒ぎすぎだ』と騒ぐ人たち」が気になるのか、不愉快なのか。
つらつらと(というかぼんやりと)考えてみると、「ニセ科学批判批判」する人たちの姿を思い出すからだと気がついた。
「ニセ科学」「ニセ科学批判」「ニセ科学批判批判」という言葉はまだ一般的ではないので(とくに最後の一つは)、ご存じない方はこちらの記事をお読みください。

 「ニセ科学」入門
 ニセ科学批判まとめ %作成中 - 「ニセ科学批判」批判 FAQ

あらかじめ断っておくと、「北朝鮮のロケット(ミサイル)を批判すること」と「ニセ科学を批判すること」とはまったく関係がない。片方に強い関心がありもう片方には無関心な人もいるだろうし、両方関心がある人もいるだろう。
私が似ていると感じたのは、それぞれに対して「批判の批判」を行う人たちの態度だ。どちらも「騒ぎすぎだ」と言いたがる。「そんなことよりも ~ のほうが問題だ」とお説教する。「別の意図がある、悪意を持って『敵』を貶めているだけだ」と勘ぐる。まったくうんざりさせられる。
他の人はどうか知らないが、私が北朝鮮のロケットを問題視したりニセ科学を批判するのは「これはヤバい、放置すればやがて自分の安全が脅かされる」と感じるからだ。だからこそMDの盾をかざす政府と自衛隊を支持し、ニセ科学批判する人を応援するのである。それなのに「騒ぎすぎだ」などとケチをつけられると「自分に害をなす(可能性が高い)連中の味方か」と警戒し怒りをおぼえてしまう。たぶん「騒ぎすぎ」論者に悪意はないのだろうけれど。



北朝鮮ロケット問題で「騒ぎすぎ」論を唱える人の多くは「左の先生方」と思われる。北朝鮮への敵意とミサイル防衛(MD)への支持(そして自民党政府への支持)が高まるのは左の先生方にとっては不快なことだから、その意味で「騒ぎすぎ」批判は合理的だ。
それなら「右の先生方」は何をしていたのかというと、大体はニヤニヤしそうになるのをこらえつつしかめ顔をしていたと覚しい。左の先生方とは反対に、北朝鮮のロケット(ミサイル)発射が国民の危機感を高めるのは彼らにとって望ましいことである。だが「怒れ!叫べ!踊れ!」とあからさまにはしゃぐといかにも下品であからさまだ。考えのある右の先生は冷静に(あるいは冷静を演じて)北朝鮮を批判する。
…はずなのだが、なかにはオッチョコチョイの先生もいる。

asahi.com(朝日新聞社):自民・坂本氏「日本も核を」 党役員連絡会で発言
 自民党の坂本剛二組織本部長が7日の党役員連絡会で、北朝鮮のミサイル発射について「北朝鮮が核を保有している間は、日本も核を持つという脅しくらいかけないといけない」という趣旨の発言をしたことが分かった。出席者によると、坂本氏は国連安全保障理事会で日米が唱える新たな決議の採択が難航していることにも「国連脱退くらいの話をしてもよい」との考えを示したという。

 坂本氏は8日、朝日新聞の取材に対し「日本は国際社会に対して国連を脱退するぞ、核武装するぞと圧力をかけるくらいアピールしないとだめだという例えで言った。現実に日本が核武装できないのは知っている。私は核武装論者ではない」と話している。

はっきり言ってアホである。たとえ話をすれば底なしのバカだ。
私はだいたい失言には寛容というか甘いのだが、これは庇う気にもなれない。「例えで言った」というけれど伝えられる発言は「そのまんま」である。これが「日本はもっと毅然としなければいけない、たとえば~」というのであれば「馬鹿げた例えだけど、真意は別にあるんですね」とも言える(甘いかな)。だが、坂本発言は真意と例えの距離がほとんどゼロである。これでは柳沢厚労相の「産む機械」失言のように「例えは不適切だが真意は問題ない」と弁解するのは無理だ。「例え」で持ち出した国連脱退論(論?)や核武装論(論??)はまさに論外である。坂本氏が弁解するならきっちりと否定しないと話にならない。



右側の先生方は「怒れ、騒げ、踊れ!」とけしかけたいのを我慢しており(あれでも)、左側の先生方は「騒ぎすぎだ」と説教する、というのが私の見方だが、中立的な(あるいは右寄りの)論調で「騒ぎすぎ」を戒めるものがある。


ひとつは「日本が騒ぐと北朝鮮にナメられる、金正日を喜ばせるだけだ」というもの。
なかなかもっともらしい話で半分同意する。逆に言えば半分は釈然としない。日本政府も日本人もそんなに騒いでないだろ、むしろ落ち着いている(マスコミを除いて)というのが私の意見である。
だいたい、「北朝鮮にナメられないために~しなければならない」という発想自体が北朝鮮中心ではないか。たしかにナメられないほうがいいけれど、「ナメられたくない、どうすればいいんだ」と神経質にしているとかえって馬鹿にされそうだ。一人前の大人なら人目を気にするより先に自分らしく堂々としていればいい。日本が「一人前の大人」かどうかはともかくとして。
さらに、「北朝鮮が日本をナメているのは『騒いでいるから』じゃないだろう」とも思う。政治的・経済的・軍事的に、必要があれば北朝鮮の喉元を締め上げるような力を持たないことこそが、傲慢な独裁者が日本を軽侮する原因ではないか。そして、そのようなあり方は戦後ずっと日本が歩んできた道そのものではないのか。「騒ぐとナメられる」とか「ナメられないために毅然としよう」という議論そのものが上っ面だけのものに思えてならない。


もう一つは、「日本にとって脅威なのはノドンであってテポドン(とその発展型)ではない」という説。

 どうせ北朝鮮問題は科学的なコンテキストで語られないよ
 科学的コンテキストで語られななくても半可通はやめろ

「テポドンよりノドン」に一理あることは認めるが納得もできない。下の批判記事のほうに同意する。
付け加えれば、今回打ち上げられたロケット(ミサイル)の一段目は新開発の大型ブースターだ。北朝鮮の核弾頭がどれくらい小型化されているかは誰にもわからないが、ノドンやテポドンで運べない大きさ(重量)があっても新型ブースターを使えば日本に打ち込むことが可能になる。簡単に「新型ロケット(ミサイル)は日本に関係ない」と無視するわけにもいかない。


最後は、「韓国やアメリカは『騒いで』いない、見習うべき」という意見。朝日新聞が外国人記者の意見として伝えて(言わせて?)いる。

 asahi.com(朝日新聞社):「日本は軍事的脅威に免疫ない」 駐日特派員の見方

ロケット(ミサイル)が国土上空を飛ぶのは日本であって韓国でもアメリカでもない。少々(どころではなく)無理なお説教である。それはともかく、国柄が違うのに簡単に見習っていいのか、慣れるのが望ましいのかという疑問がある。
アメリカのことは置いといて(といっても後で論じるつもりはない)、韓国の「落ち着き」について。あれは落ち着いてるんじゃなくて麻痺してるんじゃないか、北朝鮮の危険から目をそらしてるだけじゃないのかと思える。こういう言い方は今も臨戦状態にある(朝鮮戦争はあくまでも『休戦中』で終わっていない)韓国国民に失礼なのは承知しているが。
東京に来たばかりの外国人が震度2の地震を体験して顔を真っ青にして怖がっていたら、「地震に慣れた」日本人は笑っていいのだろうか。「落ち着けよ、これくらい慣れなきゃ東京で暮らしていけないぞ」と諭すべきなのか。そうする人は多いだろうし、私もやりそうだが、かといってそれが本当に正しいこととは思えない。関東地方は周期的に大地震に襲われる地域である。関東大震災からすでに85年が経ち、地下深くにかなりのエネルギーがたまっているはずだ。それが明日にも放出される可能性はゼロではない。プレート境界を震源とする関東地震の周期は200年以上といわれているが、安政の大地震のように非周期的な(?)地震も起こりうる。
「地震に慣れた」日本人がそれにふさわしい万全の地震対策を整えているかといえば、まったく心もとない。むしろろくに準備できていない家庭や企業のほうが多いのではないか。それでも「震度2くらいでは動じない、地震に慣れた」顔をするのは簡単だ。根拠はなくても「明日(来月・来年・10年以内…)大地震が起きるはずがない」「これまでずっとそうだったのだから」と決め込めばいい。
「地震に慣れた」日本人と小さな地震で顔を青くする外国人、はたしてどちらが健全なのか。慣れた日本人は「明日も大丈夫」と地震対策をせず、臆病な外国人は万全の防災対策を施す。外国人が「騒ぎすぎ」なのかどうか、誰に断言できるだろう。

「騒ぐな」と 騒ぐ人たちの 騒がしさ(その2)

2009年04月07日 | 政治・外交
まずはどうでもいいことから。
前の記事でなんとなく「北朝鮮の怪しいロケット」という言葉を選んだのだけれど、今思うとなかなか適切な言い方だった。「ミサイル」と呼ぶと左のほうから「勝手に決め付けるな、あれは人工衛星だ!」と怒られ、さりとて「(自称)人工衛星」と言えば右から「ミサイルと呼ぶのを避ける輩は北朝鮮におもねっている!」と叱られる。難儀なことだ。
北が何のつもりでロケットを打ち上げたのか知らないが、特に呼び方にこだわって議論する必要はないと思う。「人工衛星打ち上げ」だろうと「ミサイル発射」だろうと、どちらにしても「北朝鮮の大型ロケット実験」には変わりない。大型ロケット技術はほとんどミサイル技術と重なるから、北朝鮮のように軍事的恫喝を繰り返す独裁国家のロケット実験は安全保障上の脅威にほかならない。その意味で、「怪しいロケット」という呼び方は本質を捉えていて最も適切である。…というような気がするのですがいかがでしょうか(急に弱気)。


さて、前回の続き。
「北」の怪しいロケット問題で「『騒ぎすぎ』と騒ぐ人が騒がしい」と書いたのだけれど、考えてみると彼らが何に対してどういうつもりで「騒ぎすぎ」と言っているのかよくわからないのだった。直接聞いてみれば早いのだろうけれど、いろいろ面倒なことになりそうなので勝手に想像することにした。
「騒ぎすぎ」と批判されているのはたぶん以下の三つのうちのどれか一つ、あるいは二つ、たぶん全部であろうと思われる。


1 マスコミが騒ぎすぎ

確かにマスコミは騒いでいた、らしい。
らしい、というのは私が最近あまり(ほとんど)テレビのニュース・ワイドショーや新聞を見ていないので、実際どうだったのかよく知らないのだ。「北」のロケット騒動のずっと前から(覚えている限りでは年金未納騒ぎの頃から)、マスコミと「世間」がつまらない問題で空騒ぎするのにあきれて真面目に見るのを避けるようになった。今積極的に見ているのはBSニュース「きょうの世界」だけである。落ち着いた雰囲気が好ましく、なによりもキャスターの丁野奈都子さんが素敵すぎてたまらない。
…それはともかく、「北のロケット問題でマスコミは騒ぎすぎだ」と言われたら「まあそうなんでしょうね」と答えるけれど、「でも、日本のマスコミはずっとそんな調子でしょう」と付け加えずにはいられない。記憶に新しいところでは、「麻生総理が定額給付金を受け取るかどうか」などという国民生活にまったく関係ないゴシップがあたかも大問題であるかのように騒いでいた。まったく理解の外である。
それと比べたら「北」の怪しいロケット問題は大いに騒ぐに値する。短期的には(万一の自乗くらいの確率だけど)日本人の生命財産が損なわれる可能性があり、長期的には安全保障上の頭痛の種だ。いたずらに不安をあおる必要はないが(残念ながらそのような報道は多かったらしい)、「北」の怪しいロケット問題をある程度の重要問題として伝えるのはむしろあたりまえである。


2 国民が騒ぎすぎ

何も調べたわけじゃないけれど、自信を持って断言する。ロケット騒動で「騒いだ」日本国民は1%もいない。
たしかにニュース番組が取材に行けばカメラの前で眉をひそめて「怖いですね」とは言うだろう。あるいは世間話で「嫌ですね」「まさか本当に落ちてこないよな」と言い合いもするだろう。だが本心からそう思っているかどうかは疑わしい。怪しいロケットによる被害を本気で心配する人が多ければ、東北地方で疎開騒ぎとか迎撃ミサイル(PAC3)の誘致合戦とか起こりそうなものだ。そんな話はまったく聞かない。
怪しいロケットを利用して何らかの目的で騒ぎ立てる手合いもいただろう(主に「右」のほうで)。だがそれはロケット問題の騒ぎというより「煽り屋問題」と呼ぶほうが適切だ。右の煽り屋が騒いだとして、それに踊らされた国民は私の見る限りほとんどいない。拉致問題のように実際に嘆き悲しむ被害者がいれば扇動も効果的だが、(今のところは)「杞憂」のようなロケット問題で空騒ぎするほど日本人は暇ではない。

ここまで国民のあいだで「騒ぎ」は起きていないと書いたが、それは「ロケット問題は何の影響も残さない」ということを意味しない。
特に大騒ぎもせず、半ば社交辞令として「テポドン怖いですね」と言い合う人たちが今回の事件に何を見たか。国際社会の制止を無視し、日本が危ないからやめてくれと言っているのに嫌がらせのように怪しいロケットを飛ばし、東北地方の人々に多少の不安と迷惑を与え、誰にも観測できない「人工衛星」を大成功だと言い張る北朝鮮という国の浅ましい姿だ。軍事独裁国家への静かな不安と怒りは確実に高まった。
ロケット問題で「国民は騒ぎすぎだ」とありがたくも説教する(主に左のほうの)先生方は、伏流水のような不安と怒りの存在を正しく認識しているのだろうか。どうもそうは思えない。不安と怒りから目をそらし、中身のない「騒ぎ」だけがあったのだと信じ(それこそが幻である)、「騒ぎ」を批判し否定すれば不安と怒りも消えうせると思っているのではないか。
表層的な「騒ぎ」を叩いて満足する(そして本質から目をそらす)のはもちろん「左の先生方」だけではない。去年暮れから今年はじめ「派遣村」を叩いた「右の先生方」にも同じような心理が見える。派遣村を「敵」の扇動による騒ぎ、一回限りの事件とみなして「騒ぎすぎだ」「騒ぐな」と批判する。派遣村の本当の問題は目に見えるテント村よりも「なぜ彼らはそこに集まったのか、集まらざるを得なかったのか」ということなのに、「騒ぎ」を叩いて終わらせることで満足してしまう。「炎が消えたら火事は消えた」と思い込むようで、まことに危うい。一度炎が消えても瓦礫の下に火種と燃える材料があれば、いつでも激しく火の手がよみがえる。


3 日本政府と政治家が騒ぎすぎ

たぶんこれが一番の主眼なのだろう。世の中に一家言ある先生方にとって政府批判・政治家批判ほどの好物はないのだから。だけど私には無理やりな「ためにする批判」としか思えない。
私の知る限り今回の事件で責任ある立場の政治家が過激で攻撃的な問題発言をしたということはない。そんなことがあれば朝日新聞をはじめとしたマスコミが好んで取り上げそれこそ「大騒ぎ」して、2ちゃんねるで「またマスコミのバカ騒ぎか」と叩かれ、私も気付いていたはずである。逆に茶化すような発言(「ミサイルが見えたら『ファー』って言う」)ならあったけれど、これは「騒ぎすぎ」論者にとっては好ましいたぐいの問題発言と思われる。実際意外なほど批判されなかった。
過激な言動とかではなく「弾道ミサイル破壊措置命令」を発令したこと自体がけしからん、ということなのだろうか。「平和を愛する」方々が軍事的な事柄をケガレとして嫌うのはわかるけれど、これも無理な言いがかりだろう。
世界のどこかの国(イギリスでもタイでもアルゼンチンでもいい)を仮に日本列島の位置に移動させたとする。そこに今回の北朝鮮ロケット事件が起きる。賭けてもいいが、よほどの北朝鮮友好国(そんなものあるのか?)でもないかぎり、政府は「危険だからやめてくれ」と要求し、国民は不安を感じ、北朝鮮に対する怒りと反発が強まることは間違いない。もみ手して「衛星打ち上げですか、結構なことですな。わが国の上空を飛ばしたいとおっしゃる。ああどうぞどうぞ、大歓迎です」などと言うはずがない。なにしろ軍事独裁国家北朝鮮の、技術的に不安だらけの、正体不明の自称「人工衛星打ち上げ」である。そんなものを信用できるお人よしの国民がどこにいるだろう。
北朝鮮の怪しいロケットが自国の領空を勝手に通過するとなれば、その国の政府は国民に万一の場合に備えて関係各機関(軍隊も含む)に対応を命じ、国民に情報を提供し注意を呼びかけるのは間違いない。つまり今回の日本政府の対応と同じだ。日本にはさいわいミサイル防衛システムがあり、落下物を撃破する能力がある。「弾道ミサイル破壊措置命令」でミサイル防衛の盾をかざすのは当たり前で、やらなかったら間抜けである。
「アメリカも韓国も騒いでいないのに日本だけが騒いでいる」という類の批判はまさに笑止だ。怪しいロケットが飛ぶのは日本の上空であって韓国やアメリカ(やその他の国)ではないのだから、日本がいちばん重大視するのは当然ではないか。


「日本は騒ぎすぎ」という意見が何を意味しているのか考えてみたけれど、マスコミ批判以外は無理やりなこじ付けとしか思えなかった。難癖をつけるには「騒ぎすぎ」とか「毅然とした態度を示せ」とかいった空疎な言葉はまことに便利である。なんだか立派なことを言ったようでいい気分だし、具体性がないから反論されるおそれも少ない。一般国民を批判するのは鬼門だが(そうでもないのかな?)、政治家の悪口はほとんど全国民共通の娯楽だ。かくして「日本は(政府は・政治家は)騒ぎすぎだ」というありがたいお説教があちこちで聞かれることになる。
「騒ぎすぎ」批判が一定の説得力あるものとして受け入れられる日本は、やはり静かで平和な国だ(今のところは)。

「騒ぐな」と 騒ぐ人たちの 騒がしさ(字余り)

2009年04月04日 | 日々思うことなど
今日は北朝鮮の怪しいロケットは飛ばなかったようで、いっそこのままやめてくれたらいちばん結構でありますが、まあたぶん数日中に打ち上げるんでしょう。各方面で対応させられる方々にご同情申し上げます。

そんでもって、何よりも鬱陶しいのはミサイル祭りだか人工衛星祭りだかに乗じて騒いでる方々。
はっきり言えば主に左のほうの先生方のことだ。「政府は(日本人は)騒ぐな!」と主張するお方がいちばん騒がしいんだから始末に負えない。まあ、よくあることではありますが。かの北朝鮮も「静かに平和に暮らしているわれわれを米帝とその手先が挑発している」と主張しているようだし。
私がぼけーっと新聞テレビ世間の雰囲気をながめてみても、普通の日本人の誰も騒いでなどいません(左右の「論客」以外は)。
まあ、民放のニュース番組はそれなりに危機感とか日本政府叩きを煽っているようではありますが、映像に映し出される東北の町の様子は平穏無事で、取材を受ける人の表情にも必要以上の緊張や不安は見られない。今回のロケット騒動で実際の被害が出る確率はほとんどゼロなので(松浦さんも杞憂と書いている)、緊張の必要量はほとんどゼロ(ただし厳密にはゼロじゃない)です。
それにもかかわらず左の大先生がたは「日本政府と日本人は騒ぎすぎ!危険がないならそもそも何もするな!迎撃準備なんてもってのほか!」と主張しているようだ。なかには日本が北朝鮮に宣戦布告したんだと断言する方までおられる。

 日本が北朝鮮に宣戦布告した件について - media debugger
 はてなブックマーク - 日本が北朝鮮に宣戦布告した件について - media debugger
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…はあ、そうですか。
リンクを貼っておいてなんだが、この記事はあまりにも電波の出力が高すぎて読めなかった。ざっと眺めただけでクラクラする。F-15とかSu-27とかの大型戦闘機が地上でレーダーを使うと人間を焼き殺せるそうだが(電子レンジに入れられたのと同じ)、実になんとも物騒である。

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|  電波が強すぎます。. |
|__________|

             /
           //ビビビビビィィィ!!!
    どかーん!  _
       从";从 /||__|∧,
      (( ; ;"、; :(O´Д`)
     ((;";从.")と ))  ))つ
     `;Y ;"、 Y ノ ノ ノ
          (_ノ、_ノ

春先には陽気の加減でちょっとばかり頭がのぼせ上がる人がいて、なにもこの方がそうだとは申しませんけれど、まあなんというかそのお大事になさってください。解毒のために松浦さんの記事のリンクを貼っておきます。

近づく「テポドン2」打ち上げ | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉


むやみと心配したり騒いだりする必要はない(「騒ぐな!」と大騒ぎするのも含めて)けれど、かといって日本政府が何もしないわけにもいかない。私が政治家や政府高官、自衛隊幹部だったら「数兆円の税金を費やしたミサイル防衛システム、今使わずにいつ使う(準備をする)のだ!」とクシャナ殿下(「風の谷のナウシカ」)の真似をするに違いない。使わないともったいないとか税金の無駄だと批判されたくないとかいう保身もあるけれど、もちろんそれだけではない。
「超高空からの落下物(人工衛星であれミサイルであれ)に対応できる手段があるのに使わない」ということは、一種のサボタージュであり「日本政府は国民を守る気がないのか」と誤解されてしまう。かといって「人命や財産に被害が及ぶ確率はほとんどゼロなので何もしないほうが経済的です」という説明で国民が納得するとも思えない。科学的には合理性がない(とされる)BSE(狂牛病)の全頭検査をいまだに続けているのが日本である。確率的な「安全」よりおまじないのような「安心」を求める国民性だ。私はそれが本当に望ましいことだとは思わないけれど、かといって麻生総理が説明すれば「なるほどそうなのか」と広く納得が得られるとはまったく考えられない。
そもそも断りもなく人の頭の上に怪しいロケットを飛ばす北朝鮮は失礼至極である。実にけしからん国だ。失敗して落ちてくるなら迎撃くらいしないと収まりがつかないし、日本の面目が丸つぶれだ。…と、いきなり感情論を並べるようだけれど、こういう素朴な怒りは決して無視できるものではない。「左」の方々が望むように日本政府が「何もしないで指をくわえて眺める」ようであれば、フラストレーションがたまってかえって世論が右側に傾くだろう。
「日本は北朝鮮の好き勝手を許さない」という姿勢(ポーズ)を見せ付けることはやはり必要なのだ。

結局どこまでも芝居でありごっこ遊びのようなものである、いまのところは。
…と言い切ってしまうと真剣にレーダーを睨み迎撃準備を整えている自衛官にたいへん失礼なのであらかじめお詫びする。あなたがたの真面目な献身を疑うわけではありませんが、レトリックとしてこういう言い方をします。
さて、ガチでがんばっている(はずの)自衛隊を除いた一般国民の心情としては、今回のロケット騒動は「鬱陶しいなあ、しょうがねえなあ」以上のものではない。核武装宣言した北朝鮮がロケット(ミサイル)発射能力を向上させるのも鬱陶しい、マスコミが煽るのも鬱陶しい、左の先生方が「騒ぐな!」と大騒ぎするのも実に鬱陶しい。静かにしてくれ、俺は平和に暮らしたいんだ。かといって何もしないわけにもいかない政府や関係筋の事情もわかる。責任ある大人の立場はいろいろ面倒なのである。まったくしょうがない。
鬱陶しくてしょうがなくて、結局どうしたものかと考えると、別に何もしなくていいことに気付く。もともと日本に被害が出る確率はほとんどゼロなので、発射宣言が出たときにあわてて避難する意味はない。かといって北朝鮮批判や日本政府批判で大騒ぎしても、本人が満足するだけである。もののわかった人ならアホらしくてやってられない。
何もしなくていいのならことさら悩んだり恐れたりする必要はない。よかったよかった。私のような怠け者には大助かりだ。真面目に職務に励んでいる人たちを信頼し、余計な負担をかけないようにあわてず騒がず見守ればいい。日本の春は(今のところ)平和である。

とはいうものの、昔から花に嵐のたとえあり、月に群雲、人間万事塞翁が馬。
今は何もしない(できない)でいいとしても、本当の「有事」が永遠に起きないという保証はない。そのとき「こんなこともあろうかと思って用意しておいた」と頼もしいことを言ってくれる、真田さん(「宇宙戦艦ヤマト」)のような人が表れてくれることを祈る(結局ひとまかせかよ!)。

謎の飛行艇と「2乗3乗法則」

2009年04月02日 | ネタとか
きのうはエイプリルフール。
円谷プロの特設サイトを楽しみにしていたのに、サーバーが重すぎてほとんど見られなかったのが悲しい。メトロン星人の陰謀に違いない。
それはともかく、「エイプリルフールネタだったらよかったのにね」という残念な記事がこれ。

特集:生かせ!知財ビジネス/逆説理論で“開発” 宙に浮く飛行艇 - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE
 世界が栃木県の片田舎で生まれた発明に大きな注目を寄せ始めた。驚異の飛行艇が現れた。

 その飛行艇は両翼がない。魚のマグロが3本寝たような形状である。ほとんど滑走することなく垂直に近い角度で上昇し、180度旋回や横転を瞬時にこなす。圧巻は、空中停止。そのままゆっくり下降して着陸できるが、上昇や直進を再開することもできる。まるで水中を泳ぐ魚のように自由自在。見た者誰もがUFOの実在を信用するようになる。

 ≪全く新しい航空理論≫

 飛行艇の名は「ベルシオン飛行艇」だ。栃木県に研究施設を持つベンチャー、グローバルエナジーが開発した。

 視察に訪れた航空理論のある専門家は目の前で見ていながら信用せず「どういうトリックを使っているのか」と声を荒げた。

 通常の航空理論は機体に備わった両翼の上下間で、機体が直進滑走する際に発生する気圧差により揚力を発生させ、空中へ舞い上がる方式であるからだ。直進速度が落ち揚力が減少すると失速して墜落する。だが眼前の機体は空中停止し、両翼がないのだ。

 開発者の鈴木政彦会長は「空気をつかむ、という新しい考え方で飛んでいる。正統な航空理論を学んできた方は自己否定になるため信じないが」と笑う。

 “空気をつかむ”とは、両サイドの胴体で空気を逃がさないように空気抵抗を作り“抵抗の反作用で浮く”ことだという。例えば、水泳は水をつかんで後方へ押しやる時の反作用で体を前へ進める。空気中も同じ。空中停止はさながら立ち泳ぎだ。

 

 同社は実は、回転時に発生する負のトルクがなく、微風時から回転し騒音もない「ベルシオン式風車」で知名度を上げつつある。現在、関連のベルシオンパワー(杉崎健COO)が事業化を進めており、大手コンビニが環境対策の一環で広島県呉市内の店舗で導入テストを始めている。ゆくゆくは各店舗の使用電力を風力発電で補う構想だ。

 ≪外国企業が殺到中≫

 鈴木氏は「最初開発したのはベルシオン式風車の方。従来の風車理論とは逆説の位置にあり、学界から批判された。従来の風車は航空理論から生まれたもの。つまりベルシオン式風車の力学を証明するには、飛行艇の開発が必要だった。逆説の正しさを証明したかったのだ」と語る。

 飛行艇の情報はやがて口コミで伝わり、各国から視察や交渉申し込みが現在、殺到している。米、独、印、中、東南アジアや中東諸国の企業や研究所、政府関係者だ。「知的財産権交渉が中心となるので、各国で知的財産権を確立しておくことが課題。世界で500件以上を出願する予定で、著名な米国知財弁護士であるヘンリー幸田先生と相談し、戦略的に進めている」とする。

 一方、国内組の出足は遅い。鈴木氏は「権威も実績もないベンチャーが日本で認めてもらうには、海外で認めてもらうことから始めなくてはいけないことが分かった。残念なことだが仕方ない」と、ため息をもらす。

 「今夏、人が乗れるグラスファイバーかカーボン製の長さ5、6メートルの実機を作成し試験を許可してくれるどこかの湖上で飛ばしたい」と鈴木氏。最初に乗って飛行するのは「もちろん自分だ。機体が大きくなるほど空気をつかめ、安定して飛べるはず」と少しも恐れていない。

 歴史上の大発明家と変わらぬ、旺盛な開拓者精神がそこにはある。(知財情報&戦略システム 中岡浩)


はてなブックマーク - 特集:生かせ!知財ビジネス/逆説理論で“開発” 宙に浮く飛行艇 - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE

まあそのなんというか。
逆説の航空理論って何なのか、鈴木政彦氏がどういうお方なのか、グローバルエナジーがどんな会社なのか、まったく存じませんけれど(面倒なので調べてない)、「機体が大きくなるほど空気をつかめ、安定して飛べるはず」ということだけは絶対にありえない。
それこそ「水からの伝言」レベルのナンセンスである。締めの名セリフがトンデモだから記事すべてが胡散臭くなり「エイプリルフールネタじゃないのかこれ」と思ってしまう。いや、本当にエイプリルフールのネタ記事ならよかったのに。

なぜ「機体が大きくなるほど空気をつかめ、安定して飛べるはず」ということが絶対にありえないのか。
「逆説の航空理論」が何なのはともかく、空気を利用し地球の重力に逆らって飛び上がるのには違いない。であれば、未来永劫いつまでも絶対確実に「2乗3乗の法則」からは逃れられない。

「2乗3乗の法則」とは何か。名前はいかめしいけれど、小学生でもわかる簡単なことだ。
よく飛ぶ模型飛行機ができたので、設計図を10倍に拡大して自分が乗れる実機を作ろうとする。
そのとき胴体の長さと幅、そして翼の長さと幅も10倍になる。当然、平面図つまり翼の面積は10×10=100倍になる。
ところが、三次元の物体の本当の大きさは「体積」であり、高さ方向の係数がかかる。これも10倍だから10×10×10=1000倍だ。
結果として「翼面積は100倍、体積(=重量)は1000倍」の鈍重なシロモノができあがり、これではまともに飛べない。
飛行機はムクの塊じゃないから体積そのまま重量が増えるわけではないけれど、それにしても「巨大化すれば重量がかさみ、相対的に翼面積が減少して飛ばすのが難しくなる」のは避けられない。これこそが飛行機の発明以来たくさんの技術者を悩ませてきた「2乗3乗の法則」だ。
さらに追い討ちをかけると、エンジン(推力)にも2乗3乗の法則が効いてくる。
プロペラやジェットエンジンの推力を決めるのは前方投影面積だ。要するにたくさんの空気をつかまえて後ろに押し出せば強い力が出る。だからといってそのまま大きさを倍にすると、前方投影面積は4倍なのに体積は8倍となり、推力重量比が低下してしまう。まったく困ったものだ。

要するに、空を飛ぶものは小さければ小さいほど楽であり、大きければたいへん苦労するのだ。
チョウはお気楽にふわふわ空気の中を漂っているけれど、ジェット旅客機は何キロも必死に滑走路を走らないと飛び立てない。これこそが冷厳な物理学(2乗3乗の法則)に支配される航空機の姿だ。
「ベルシオン飛行艇」の理屈は知らないけれど、実験映像を見る限り「驚異の飛行艇」は長さ1メートル程度の小さいものだ。チョウやハエがホバリングしても誰も驚かないように、この大きさの模型飛行機がホバリングするのは簡単だ。極論すれば、ちょっと強力なエンジンがあれば機体の設計など大して影響がない。
鈴木氏の言うように「機体が大きくなるほど空気をつかめ、安定して飛べる」実機が軽やかに飛んでみせたら私も大いに感心するが、革命的に強力なエンジン(ミノフスキー融合炉とかS2機関とかシズマドライブ)ができない限り絶対無理だ。

先日の毎日新聞のフリーエネルギー記事(幻影随想: 毎日新聞がフリーエネルギー詐欺に引っ掛かっている件について)もそうだけれど、大手マスコミの記者でも科学部以外はびっくりするほど科学的常識が抜けている。私のようなド素人でも「えーと、ネタだよねこれ? …違うの?」と呆れてしまうくらいだ。
しっかりしてくださいよまったく。