玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

皇統派は「皇道派」ではありません

2006年02月16日 | 皇位継承問題
先のエントリにおいて「いわゆる『男系派』を『皇統派』、いわゆる『女系(容認)派』を『直系派』と呼びたい」と書いた。
自画自賛すれば、この呼び方は皇位継承をジェンダー論争に矮小化する危険から遠ざけ、また双方の勢力に中立的でもありなかなか良い方法だと思う。だが残念ながら一般的に使われてはいない。
Googleで検索してみると、それぞれのヒット数は
 「男系派」 約 15,500 件   「女系派」 約 9,110 件
に対して
 「皇統派」 約 122 件   「直系派」 約 127 件
にすぎない。

気になるのは、皇統派を皇「道」派と間違えて使っている例がいくつか見受けられたことだ(一例)。Wikipediaによる皇道派の定義を引用する。
皇道派(こうどうは)とは、天皇が神であるという説に基づき、当時の腐敗した財界や政界を直接行動(クーデターのような過激な運動も辞さない)で天皇親政による国への国家改造を目指していた大日本帝国陸軍内のグループである。皇道派はこれを昭和維新と称した。この思想は主に青年将校たちに広く支持されていたという。象徴的な人物は荒木貞夫。(⇔統制派)

私が現在のいわゆる「男系派」の呼び換えとして提案した皇「統」派はもちろん皇「道」派とは無関係である。
「皇位継承は歴史と伝統に基づいた方法で行われるべきだ」と主張するのが私の言うところの皇統派であって、国家改造などという革命思想の対極に位置する。「クーデター」を企んだり「天皇親政」という非現実的な主張をする輩を見たことがないし、もしそういう主張をするものがいれば強い批判を受けるだろう。もちろん私も批判する。

私の言うところの「皇統派」(いわゆる男系派)と昭和初期の「皇道派」はまったく違うのだが、文字では一文字だけ、発音を比べても「こうとうは」「こうどうは」と濁点の有無しか違わない。これではうっかり間違える人がいても無理はないし、悪意を持って両者を重ね合わせようとする動きが出てこないとも限らない。
ではどうするか、というと正直いっていい考えがない。
「男系派」「女系派」という呼び方はジェンダー論のようで良くないが、といって「皇統派」と言い換えても「皇道派」を思わせて悪いイメージを与えかねない。困った。何かいい呼び方はないものだろうか。

皇統派と直系派

2006年02月14日 | 皇位継承問題
皇室典範改正について、政府案に反対する勢力を「男系派」、支持勢力を「女系派」と呼ぶと「男尊女卑」「男女平等」「ジェンダーフリー」といった余計な要素が紛れ込んでしまいどうもよろしくない。
そこで、今後「玄倉川の岸辺」では、いわゆる男系派を「皇統派」女系派を「直系派」と呼ぶことにする。
私自身はまぎれもなく皇統派だが、直系派の考え方にも一理あることを認めるのにやぶさかでない。ロボット工学の専門家が座長としてまとめだけあり、機械的な長子優先は合理的な考え方である。また、現在の国民感情を重視している点は民主的だ。
だが、「合理的・民主的であること」を至上価値とすれば、そもそも世襲の天皇を戴く必然性がない。
私は断然「古代からの歴史と伝統」を選ぶ。
以前にも書いたが、私には直系派の主張は「果実を守るために果樹を切り倒す」ようなものとしか思えない。

以下は2ちゃんねる某スレッドからの引用だが、皇統派と直系派の考え方をうまくまとめてある。
最後の文章を含めて大いに同意する。
男系を維持すべし=皇統の正統性を守ることが大切
(特徴) 
◎ 天皇や皇室は日本文化の柱であり歴史と伝統を体現しながら継承する存在
◎ 天皇や皇族を個人崇拝するのではなく、皇室が継承している伝統や
  文化的精神的価値を崇敬の対象と考える
◎ 国家の基本コンセプト(国体)の問題として天皇のあり方を考える
◎ 正統性は確固たる歴史と伝統に由来する
◎ 比類のない皇統の伝統の重みこそ皇室の安泰に不可欠
◎ 象徴=国家の最高権威
◎ 権威(天皇)>国家権力の形こそ統治の安定につながる
◎ 理論型皇室像

 
女系でもいいじゃないか=今上天皇家の家系を守ることが大切
(特徴) 
◎ 今上天皇や皇室ファミリーに対する愛着や人気が皇室を支持の重要な柱
◎ 天皇存在の根拠は日本国憲法である
◎ 象徴天皇の機能や制度的役割を重視
◎ 今風の価値観に基づく皇室を志向
◎ 正統性は国民の支持(世論)に由来
◎ 継承者の数的安定=皇室の安泰
◎ 象徴=マスコット
◎ 国家権力>天皇(法定天皇)
◎ テレビ型皇室像


 客観的に男系と女系の論拠を見るとこんな感じです。女系容認論は天皇の正統性を移ろいやすい現時点での国民世論の支持に置いていますが、「世襲制君主」の永続性を担保できる根拠であるかを考えると、将来的に皇室の廃止も睨んだ考えであることが伺われます。そもそも世襲身分の支持根拠を世論におくことは論理破綻しています。
 男系維持は、皇族に新たに男子が誕生するか、旧皇族を何らかの方法で皇族に復帰させなければなりません。男系男子の継承者さえ担保できれば、皇室の永続性は女系容認よりも安泰であると思われます。
 どちらにせよ皇室の根幹に関わることを決めるのにあの「有識者会議」では権威がなさすぎます。
また皇族方に対して問答無用の態度は許せません。
政府や国会が皇室と皇族方のご意見をよく伺った上で、慎重に審議して政府の責任で決めるべき問題です。

皇族に「黙れ」と命じる朝日社説

2006年02月02日 | 皇位継承問題
以前の「自民党総裁選で靖国参拝を争点にすべき」と主張した社説と同様、これも逆効果にしかならないだろう。

朝日新聞社説 寛仁さま 発言はもう控えては

朝日社説は「だれを天皇とすべきか。皇位継承は天皇制の根幹にかかわる問題だ。国民の間で大いに論議しなければならない」と主張しているが、私は国民が皇位継承問題に関心を持てば、必ずや「皇族の意見を尊重すべき」という意見が多数を占めることになると思う。
皇室を敬愛する日本国民の多くは朝日新聞と違って皇位継承問題で皇族に「黙れ」と命じるほど傲慢ではないはずだ。

そもそも「だれを天皇とすべきか(略)国民の間で大いに論議しなければならない」という発想からして変である。まるで「天皇を国民の人気投票で選べ」と主張しているように見える。
天皇を憲法の中でどう位置づける(あるいは位置づけない)のか、何を天皇の公的な職務とするかを決めるのは主権者たる国民の仕事である。
だが、皇位継承は配偶者選びと同様にまず何よりも皇室内部の問題であって、国民が勝手に決めてよいことではない。
皇族の率直な意見に国民と政治家は謙虚に耳を傾けるべきだろう。
聞いたからといって「必ず皇族の意思に従わなければならない」とは思わないけれど、「聞く必要はない」とか「黙れ」というのは無茶である。

参考リンク
■ 注文の多いゴルフ倶楽部 -- A.Yottiの日記 -- - 貴様らがきちんと伝えないからでしょ

関連記事
「誰から批判されたか」を隠す朝日社説

何を守るのか

2006年01月28日 | 皇位継承問題
「わかってないのはあなたのほうじゃないですか?」と突っ込みたくなるけれど。

asahi.com: 皇室典範改正案、自民内に慎重論 首相は反対派を牽制
政府が今国会への提出を予定している女性・女系天皇を認める皇室典範改正案について、自民党内で慎重論が強まっている。武部勤幹事長、久間章生総務会長、青木幹雄参院議員会長ら執行部が27日、国会内で意見交換し、「一度国会へ提出すれば修正は難しいので、慎重な対応が必要だ」との考えで一致した。
(略)
 一方、小泉首相は27日、「女系天皇を認めないという議論は、仮に(敬宮)愛子さまが天皇になられた時に、そのお子さんが男でも認めないということ。それをわかっていて反対しているんですかね」と述べ、慎重論を牽制(けんせい)した。首相官邸で記者団に語った。

「女系天皇」(*)を認めない人々(私を含む)はまさに「愛子さまが天皇になられた時に、そのお子さんが男でも認め」られないからこそ今回の皇室典範改正に反対しているのであって、小泉総理の発言はトートロジー(同語反復)でしかない。
まさか小泉総理が「反対派は『女系天皇に反対すること』の意味を分かっていない」と勘違いしているとは思えないので(多少の危惧はある)、この発言はもう少し別の意味に読み解くべきだろう。

私が勝手に解読した(妄想した)小泉発言の真意はこういうことになる。
 「愛子様が次の天皇になるのはほぼ間違いない」
 「国民感情がそれを望んでいるからだ」「男系・女系を理解して反対している国民は少ない」
 「数十年後、愛子皇太子(天皇)が出産されるころにはさらにその傾向は強まっているだろう」
 「民主主義国では国民の意思が絶対だ」
 「女系容認は時代の趨勢なのだから、反対派は無駄な抵抗をしないほうがいい(郵政反対派のようになりたくなければ)」

簡単に言えば「時代の趨勢」「国民感情」をバックにした脅しである。

小泉総理や「女系天皇」容認論者の意見にも一理はある。
皇室に男子が40年間生まれていないのは事実だし、国民の多くが「愛子様を皇太子に」と望み、「男系・女系」の違いを理解している人は少ない。そして日本国憲法第一条にはこう書いてある。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
皇室の地位は国民感情に支えられている。国民感情が「女系容認」なのだからそれに乗っかるのが楽だし、無理がない。
「有識者会議」のように「皇位の安定した継承」を至上価値として判断すれば、「女系天皇」に反対する理由は何もないように見えてくる。


私に言わせてもらえば、彼らは真に守るべきものを見失い、完全に本末転倒している。
「現在」と「未来」のみを考えれば「万世一系の皇統」にこだわるのは無意味なことだろうが、皇室の存在は「過去」(歴史)なしにはありえない。はるか歴史以前の昔、建国神話の霧の中から生まれ現在まで途絶えることない皇統こそが皇室の尊さを維持し伝える芯である。現在の皇室・皇位を守るため過去千数百年続いてきた万世一系を断ち切るのは「果実を守るために果樹を切り倒す」ような愚かしい行いとしか思えない。
歴代すべての天皇の父親を遡ると必ず神武天皇(の伝説)に直結するというこれ以上ない血筋の明快さと正当性こそを守るべきであって、「日本国憲法に定められた皇位」を「安定的に継承」するため「女系天皇」を認めようというのは無茶苦茶な話だ。

 万世一系が絶たれれば神話との結びつきを失い天皇とは別のものになる。そのため「女系天皇」と括弧に入れる。

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2005年10月26日 | 皇位継承問題
皇位継承問題のニュースを見聞きするたびに憂鬱になる。

■ asahi.com: 女性・女系天皇論議に学者らがコメント
女性・女系天皇に反対する学者らによる「皇室典範問題研究会」(代表・小堀桂一郎東大名誉教授)は25日夜、「民間の学識者の意見を顧みる余裕もなく、現皇族のご意見を聴こうともせず、しかるべき政治家の意見にもあえて耳をかそうともしない、そのかたくなな姿勢を見ては、この会議にはかかる重大問題を議する資格は無いと断ぜざるを得ない」などとするコメントを発表した。
(中略)
「皇室典範を考える会」の会員で、ノンフィクション作家工藤美代子さんの話「議論の進め方があまりにも性急すぎる。「女系」を認めるか、認めないかの問題と思われがちだが、もっと幅広く議論すべきだ。儀式一つとっても、女系天皇を認めてしまうと立ちゆかなくなる可能性さえある。将来、女性天皇の結婚や結婚相手の問題など、想定される課題も多い。皇室の方々や旧皇族の人たち、様々な歴史観を持つ方など幅広く各界、各層の意見を聞いて最終報告を作るべきだ」


左側の人たちから「ネット右翼」などとレッテル貼りされているブロガーの中でも、この問題に関心を持つ人は少ないようだ。
私に言わせてもらえば、どんなにタカ派的・愛国的な主張を並べていても、皇室を尊崇し純正なる皇統を護持することに至高の価値を見出さなければ、それは和気清麻呂や北畠親房の魂を受け継ぐ「正しい日本の右翼」ではない。
別に「愛国者=右翼」である必要はないのだけれど。
そういえば、私自身の政治的スタンスは自称「リベラルの現実派」ではなかったか。
こと皇位継承問題になると私は頑固な右翼、神話を現代に生かし続けたいと願うロマンチストになる。
たぶん中学生のころから「日本の歴史」全24巻(だったかな?)の飛鳥時代から平安時代ばかり繰り返し読んできたせいだろう。皇位をめぐる争いの数々、有間皇子や大友皇子の悲劇に胸を痛めたものだった。だが、今にしてみると皇位争いするほど皇統男子が多いことをむしろ羨やましく思う。

小泉総理の靖国参拝問題については「信教の自由、基本的人権を守れ」という主張をした私だが、こと皇位継承については「男女平等などしゃらくさい、断固として男系を維持すべき」という考えである。読者には大いに矛盾しているように思われるかもしれないが、私にとって総理大臣は一般国民と同列の「一時的に権力を預けられたタダの人」なのに対し天皇は「古代より連綿と続く歴史と文化を体現する日本の象徴」であってまったく別次元の存在なのだ。
車に例えると総理大臣は実用車であって、数年ごとに好みと予算に合わせ気軽に乗り換えればよく、家族構成が変わればスポーツカーからミニバンに乗り換えるのも自由である。だが、天皇(皇室・皇統)は世界でただ一台の貴重なクラシックカーである。世界に数台しかないブガッティ・ロワイヤルよりもはるかに古く比べ物にならないほど貴重な存在だ。部品供給に不安があるからといって現代の車のエンジンに乗せかえるなどということが許されていいはずがない。
どうしても現代の路上を走らせるのが困難であれば、文化財を破壊する蛮行を犯すよりもいっそのことナンバーを外して静かに博物館で眠らせるべきである。それが文明人のやり方だ。

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■ 皇位継承問題と「不滅の法灯」

皇位継承問題と「不滅の法灯」

2005年10月09日 | 皇位継承問題
皇位継承問題について考えると憂鬱になるのでなるべく避けていたのだが、事ここに至っては逃げているわけにもいかない気がする。

女性天皇容認の方向強まる 皇位継承順位に2案
政府の「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大学長)の第12回会合が29日午後、首相官邸で開かれ、現行の「男系男子」維持のため、旧皇族の復帰や養子によって継承資格者を拡大する方法は制度上、問題があることを確認した。これにより11月をめどにまとめる最終報告で女性天皇や女系天皇が容認される方向が強まった。

私は世間では少数派の男系維持論者である。
神話と伝説によれば2665年、歴史的にも千数百年のあいだ続いてきた男系による「万世一系」の物語をいま生きている人間の都合で断ち切ることを不遜だと思う。別に「男」系だから価値があるというのではなく、もし皇室の血統が女系であれば「女系を守れ」と主張しているだろう。太古より一筋に続く血統が皇室に尊厳を与え、尊厳ある皇室こそが日本の歴史を貫く芯である。

私はリベラルを自称しているが、こと皇室問題に限ればガチガチの保守派だ。「男女平等」だの「国民の理解」だのしゃらくさい限りであって、皇室は超然として古来の伝統を守り続けていただきたいと願っている。
とはいえ、現代の民主主義・大衆社会では私の願うような形での皇室の存続は難しそうだ。おそらく国民の9割がたは男系と女系の区別も知らず、「愛子さまが天皇になればいいじゃない」と気軽に考えている。保守派が「正しい」皇室観を急速に広めるのは困難だろう。大衆は半径5メートルの日常性にどっぷりと漬かり、神武天皇以来の皇統とか天壌無窮の神勅といった浮世離れした概念にロマンを感じるのは私のような変わり者くらい。これも美智子さま御成婚以来の「皇室の世俗化・タレント化」の避けがたい帰結というべきか。私は天皇皇后両陛下のお人柄を敬愛するが、それとは別に「平民を皇室に入れる危険性」を説いた当時の保守派の意見にも一理あったと思わざるを得ない。
私にとっては2600年のあいだ男系により続いてきた「皇統」こそが崇敬の対象であって、現在生きておられる皇族の方々のお人柄や国民の人気といったものは極論すればどうでも良いことである。仮に天皇陛下や皇族のお人柄がすぐれず国民から人気がなかったとしても、皇統さえ未来の日本に引き継げればきっと大丈夫だという確信がある。しかし、国民のほとんどは皇統を意識せず現在の皇室のかたがたのことしか考えていないらしい。

悠久の伝統を考えるとき思い出すことがある。
延暦寺には最澄の開山以来いちども絶やされたことのない「不滅の法灯」が存在する。
実はこの法灯、信長の焼き討ちのさい一度消えてしまったのだが、山形の立石寺に分灯されていた法灯を分けることにより再び「最澄のともした灯」を復活させている。これこそが伝統を守る文化であり古人の知恵というものだ。
「現在の皇族に男子がいなくなったから、2600年の歴史を切り捨てて女系を容認する」という「皇室典範に関する有識者会議」の考えかたは、途絶えた法灯をそこらへんの火打石を使って付けるようなものだ。そんなことをすれば「開山以来受け継がれた法灯」という神秘性を失いほとんど無価値になる。皇統の灯りは旧皇族という分灯を種にして古代から未来に続く火をともし続けるべきである。

「思うて学ばざれば則ち殆し」の記事が私の考え方とほとんど同じで非常に共感させられた。皇位継承問題に関心をお持ちの方も、そうでない方もぜひお読みください。

●女系天皇に反対します
●おまえらホントに有識者か?
●女系天皇反対に、心強い動き
●天皇の正統性