玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「それぞれの思い」は「あってよい」ものではない

2006年07月31日 | 政治・外交
マスコミや「識者」に「富田メモ」についての馬鹿げた言葉が多すぎてホトホト辟易する。
もちろん朝日が立花隆や小沢一郎に遅れをとるはずもない。

asahi.com:靖国とA級戦犯 天皇の「心」をどう読むか

「メモ」が公表された後、反靖国論者から一斉に吹き上がった「総理は大御心に従え」論である。
カーティス教授や立花隆の言っていることと内容に違いはない。

 昨年5月、北京の清華大学で学生たちに話をしたときのこと、ある学生が激しい口調で私に質問した。

 「小泉首相は靖国神社に参拝していますが、かつて中国人を虫けらのように扱い、ひどい目に遭わせた軍国主義の指導者たちに手を合わせ、感謝の祈りでもささげているのか」

 これにはさすがに唖然(あぜん)とした。「いくら何でもそうではない」と説明したが、彼に納得の様子はない。そこで思わずこう付け加えた。

 「首相はともかく、A級戦犯が合祀(ごうし)されて以来、天皇陛下が一度も参拝していないのをご存じですか」

 その瞬間、何と拍手が起きた。約200人の聴衆のうち十数人だったかも知れないが、これで教室の空気が一変した。首相が立てる波風を、まるで天皇が和らげているようだった。
若宮氏はこの体験で「昭和天皇のお気持」を自分に都合よく利用する快感に目覚めたらしい。
ドラえもんに甘えるのび太の姿を思い出した。若宮氏の言論人としての矜持は一体どこにあるのだろう。

    もちろん天皇が絶対の時代ではないし、天皇にも首相にも「それぞれの思い」があってよい。

この一行に私は呆れ果てた。
「それぞれの思い」は「あってよい」ものではない。人間の一人一人にそれぞれの思いがあるのは当然、いや必然なのだ。「あってよい」という表現は「あってはならない」という考えかたの裏返しにすぎない。全体主義者が恩着せがましく「違いがあってよい」と許可する姿はグロテスクだ。

45年9月25日

2006年07月27日 | 政治・外交
報道ステーションのスクープ「終戦直後の米通信社による昭和天皇インタビュー」を見た。
新聞のテレビ欄では「憲法9条は昭和天皇の発案」とあり、視聴者の護憲感情を煽りまくるのかな?と警戒(期待?)していたけれど、案外おとなしい番組構成でよかった。VTRのあとの古館伊知郎と加藤解説員の会話はバカみたいだったけど、それはいつものことだ。

昨日のエントリでこんなことを書いた。

「憲法九条の改正を中心とした改憲案が国会で審議に入る。世論は賛成派と反対派に二分される。そのときある新聞社がスクープを流す。
「昭和天皇の新資料発見 憲法9条は天皇ご自身の発案」護憲派マスコミや政治家が「昭和天皇のご意思を重く受け止めろ」と主張、世論は大きく護憲に傾く。」


報道ステーションの内容や朝日の記事のことは知らなかったが、偶然にも同じような内容である。
といっても、それほど驚くことはない。「昭和天皇が憲法九条の元となるアイデアをお持ちだった」ことは以前何かの本で読んだ。おそらく昭和天皇の研究者にとっては常識(あるいは高い蓋然性がある)と思われていたのだろう。証拠によってそれが裏付けられたのはけっこうだが、スクープを名乗るほどの価値があるのかどうか。日経の「富田メモ」スクープと似たような構図だ。

古舘伊知郎と加藤解説員は憲法九条のアイデアを画期的なもののように驚いていたが、私には奇妙に見えた。
第一次大戦後には日本を含む15カ国により不戦条約が成立している。大戦争の後に厭戦気分が高まるのは当然のことだ。日本の政治家(というと語弊があるが)のうちでもっとも国際感覚に優れていたかもしれない昭和天皇が「新生日本は非武装国家として歩み始めるべきだ」と考えても不思議はない。

むしろ私にとって印象深かったのは、アメリカ人記者と謁見した昭和天皇の腰の低さだった。
ニューヨーク・タイムズのフランク・クルックホーン太平洋支局長は「天皇のほうから握手を求めてきた」と書き残しているし、UP通信のヒュー・べイリー社長との謁見では「天皇みずから同席者を紹介し食事をともにした」そうである。
終戦の日まで、いや、いわゆる「人間宣言」まで日本国民にとっての現人神であった昭和天皇が、まるで愛想の良い外交官のように振舞っている。私は痛々しく感じるとともに、昭和天皇が日本と皇室を守ろうとした努力に思いを馳せる。先帝のなさったことを「必死の生き残り策」とか「権謀術数」「マキャベリズム」と呼ぶのは不敬もいいところだ。だが、そう言いたくなるほど昭和天皇は懸命に戦っておられた。

古館伊知郎のように「平和主義者」昭和天皇を礼賛するのは簡単なことだ。
だが、憲法九条が昭和天皇ご自身のお考えを基にしているとしても、「そうせざるを得なかった」時代状況を抜きにして無邪気に称賛することは私にはできない。
リアリズムと政治力と無私の心を兼ね備えていた「大政治家」昭和天皇に私は畏敬の念を抱く。

私は「昭和天皇の発言」を重視しない

2006年07月26日 | 政治・外交
正直言って、私には残念な結果だった。

asahi.com:次期首相の靖国参拝、反対60% 本社世論調査
 朝日新聞社が22、23の両日実施した全国世論調査(電話)で、次の首相の靖国神社参拝の賛否を尋ねたところ、反対が60%を占め、賛成の20%を大きく上回った。今年1月の調査では反対46%、賛成28%で、今回、反対が大幅に増えた。小泉首相が9月末までの任期中に参拝することについても反対が57%にのぼり、賛成29%のほぼ2倍だった。昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していた発言メモが明らかになり、首相参拝の是非を考える上で、この発言を「重視する」と答えた人は6割を超えた。
(中略)
 昭和天皇の発言については、小泉首相や次の首相の靖国参拝の賛否を聞いた後に質問した。発言を「重視する」は、「大いに」(24%)と「ある程度」(39%)を合わせて63%。「重視しない」は、「あまり」(21%)と「まったく」(12%)を合わせて33%。「大いに重視する」は年代が上がるほど高く、70歳以上では33%にのぼる。

 「大いに重視する」人では次の首相の靖国参拝に賛成が10%、反対82%だが、「まったく重視しない」人では賛成が32%と反対の35%と拮抗(きっこう)。天皇発言を重く受け止めるほど、首相の靖国参拝に反対する傾向が読み取れる。
「富田メモ」が報道される以前は参拝支持・容認派と反対派がほぼ拮抗していた。
「世論は10%くらい動くだろう」と予想していたが、実際は15~20%ほどの人たちが「富田メモ」によって意見を変えたようだ。
「富田メモ」を重視する人の割合は(希望的観測を込めて)30%ほどではないかと思っていたが、60%もの人が「重視する」と答えたのはショックだった。マスコミや政治家の「昭和天皇の思いを重く受け止めよ」という主張に影響された部分もあるだろうが、それにしても…
なにも参拝反対派が増えたことを悔しがっているのではない。「昭和天皇の意思を書いたとされるメモ」によって世論が簡単に動いたのが気持悪くて恐ろしいのである。これが逆に「『昭和天皇は靖国参拝を望んでいた』というメモが発見され世論が大きく賛成に動く」ということであっても、私の不愉快さに変わりはない。
ちなみに、私自身がアンケートに答えるとしたら総理の靖国参拝については「賛成」と「どちらでもよい」の間で迷い、「昭和天皇の発言(とされるメモ)」については参考にするが重視はしない(「まったく重視しない」)と答える。

私が「世論への影響は少ないだろう」と考えた理由は二つある。
  • 「昭和天皇が『A級戦犯』合祀に不快感を持っていた」という説は広く知られており、ある程度織り込み済み
  • 象徴天皇制を是とする国民は「首相は大御心に従うべき」という権威主義ではなく「天皇の意思が政治問題に直接影響を与えたり政争に利用されてはならない」という健全な常識に従うだろう
どちらの予測も甘かった。少なからぬ日本人が昭和天皇という複雑な人格についてよく知らず、政治の論理よりも感情を優先して判断するようだ。世論がときに不合理で感情的に動くのはわかっていたつもりだが(ほんの数年前に田中真紀子が「次期総理としてふさわしい」と言われていた!)、現実を見せつけられるとがっかりする。

暴論を承知で書くが、「『先帝の遺志』を記したメモ一枚で簡単に意見を変えるくらいなら、わかったような顔して賛成とか反対とか言う資格なし!そんな連中はずっと『わからない』『どちらでもよい』と答えてればいいんだよ!!」とさえ思う。
「昭和天皇の遺志によって少しでも影響を受けてはならない」とは言わない。数週間あるいは数ヶ月かけて「昭和天皇のお考え」を「自分の考え」の内に取り込んで意見が変わる、というのであれば何も問題ない。
だが世論の動きは軽すぎる。
 「昭和天皇は『A級戦犯』合祀に不快感をお持ちだったんだよ!」
 「それなら自分も靖国参拝に反対!」
これではあまりにも安直だ。紙に息をふっと吹きかけて裏返すくらいに軽い。自分自身の考えなど最初から無かったのではないかと疑う。

立花隆「天皇の意思と一般社会の意思がぜんぜん正反対に食いちがっているというならともかく、そうでなかったら、天皇の意思の方向にことは動いていくだろう」と書いていて、私は「そんなことがあるわけがない!」と強く反発した。
この世論調査を見て、立花の認識が正しかったのかと思う。
もしそうなら、数年後こんなことが起きるかもしれない。

憲法9条の改正を中心とした改憲案が国会で審議に入る。世論は賛成派と反対派に二分される。
そのときある新聞社がスクープを流す。
「昭和天皇の新資料発見 憲法9条は天皇ご自身の発案」
護憲派マスコミや政治家が「昭和天皇のご意思を重く受け止めろ」と主張、世論は大きく護憲に傾く。

と、そのとき有名総合誌が「昭和天皇秘話 『時機を見て改憲が必要』」なる爆弾記事を掲載。
改憲派マスコミと政治家が「改憲・防衛力整備は昭和天皇のお考えだ」と叫び、世論は一転して改憲へと動く…


想像しただけでも憂鬱になる。
まさかこんな馬鹿げたことは起きないはずだと信じたい。だが「昭和天皇の遺志を重視すると答えた人が60%」という調査結果は私を心配させる。どうか杞憂であってくれと願う。

こういうとき小泉総理の言葉は頼もしい。

昭和天皇発言メモ、首相「自らの靖国参拝に影響ない」
 小泉純一郎首相は20日、昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたことを記録した故富田朝彦元宮内庁長官の日記・手帳(富田メモ)に関連して、自らの靖国神社参拝への影響を「ありません」と強調した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

首相「世論調査の影響受けず」・靖国参拝
小泉純一郎首相は24日、本社などの世論調査で首相の靖国神社参拝に慎重論が増えていることについて「影響しない。靖国参拝を世論調査の支持率で決める必要ない」と述べた。次の首相に参拝継続を望むかどうかに関しては「個人の自由だ。(自民党総裁選の)争点になるとは思わない」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
天皇は天皇であり、自分は自分である。あくまでも別の人格だ。天皇を敬愛することは、「天皇の考えを自分の考えとする(しなければならない)」ことと同じではない。同様に、「みんな」の意見と自分の意見が違うのは自然なことであり、個人の意見を「みんな」に合わせなければならないと考えるのは全体主義だ。
小泉純一郎という人はよく変人と呼ばれるが、彼の個人主義・自由主義は真っ当だ。日本の総理大臣が当たり前のことを当たり前に言ってくれる人でよかった。

批判を歓迎します

2006年07月24日 | ネット・ブログ論
bluecamelさん、せっかく批判してくださったのだから、リンクしてトラックバックを送っていただければよかったのにと残念に思います。
私は批判は歓迎しますが陰口は嫌いなのです。



bluecamel氏が当ブログへのリンクを貼っていない理由はわからない。まさか「読者に読み比べてもらっては困る」という姑息な理由ではないだろう。もしかしたらリファラを参照されるのを嫌ったのか。ご安心あれ、gooブログ無料版にはアクセス解析は.全く付いていない。「bluecamelの日記 - 空疎な立花の感想文に「反論」をつけるバカを見て,壁の高さを想う」はテクノラティのブログ検索で「立花隆」を調べていて偶然見つけたのだ。

トラックバックを送ってこないのは、たぶんbluecamel氏が反論を望んでいないからだろうと想像する。
この想像が当たっているかどうかはわからない。とりあえずbluecamel氏に反論するのはやめておく。面倒くさいし、対話してもぜんぜん楽しくなさそうだから。

読者諸賢には「bluecamelの日記 - 空疎な立花の感想文に「反論」をつけるバカを見て,壁の高さを想う」をお読みになったうえで「日本国憲法を否定する立花隆」を批判的に読み直してくださるようお願いする。
あのエントリは激昂して書き殴ったものなのでコメント欄やはてなブックマークで批判されていないのが不思議なくらいだ。bluecamel氏のような(あるいは別の角度からの)批判がもっとあっていい。

「批判を歓迎する」というのと矛盾するようだが、批判されて考えを変えるかというと多分そうはならないだろう。
私はカーティス教授や立花隆のような「自分で信じてもいない権威を人に押し付けようとする」論法が大嫌いなのである。虎の威を借る狐というか、汚らわしいエセ権威主義というか。
立花隆については、内心の自由の問題を勝ち負けとして見る心性の卑しさもたいへん不愉快だ。
もしどなたかが「カーティス教授や立花隆の文章の真意はこうで、彼らは決してエセ権威主義者ではない」と納得させてくだされば彼らへの批判(あるいは罵倒)を取り下げるのもやぶさかではないけれど、それはきっと難しいだろう。

日本国憲法を否定する立花隆

2006年07月23日 | 政治・外交
「日本共産党の研究」「宇宙からの帰還」の頃の輝きは今いずこ。劣化の止まらない立花隆がまたやらかしてくれた。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 - 第78回 靖国参拝論議に終止符 天皇の意思と小泉の決断
 昨日(7月20日)の日経新聞の大スクープ、

「A級戦犯靖国合祀
昭和天皇が不快感
参拝中止『それが私の心だ』」

にはビックリした。

昭和天皇が当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語ったことが富田氏のメモでわかったのだが、まさかこのような大資料が今日まで眠ったままでいようとは思いもよらなかった。

テレビが映し出した小泉首相の心の動揺
しかし、このニュースに接したときの政府当局者たちのうろたえようといったらなかった。

みっともないの一語につきた。一応何でもないようなふりをしてみせたが、内心の狼狽ぶりは隠しようがなかった。
(中略)
 しかし、セリフはいつもと同じだが、表情はいつもとちがっていた。異様にこわばった表情だった。あんな異様な表情の小泉首相の顔は、これまで見たことがない。もしかしたら、よくない病気にかかったのかもしれないと思うくらい、それは変な表情だった。

私には小泉総理の表情は全く普通に見えた。立花隆がいったいどこに「変な表情」を見てとったのか見当もつかない。立花氏は眼科に行って検査してもらったほうがいいのではないか。

靖国参拝反対は天皇の意思
 さて、昭和天皇の明々白々なA級戦犯合祀に対する不快感表明によって、一言でいうなら、靖国問題は、決着がついたといっていいと思う。

あの乱雑なメモのどこが「明々白々」なのかと不思議に思う。「昭和天皇の意思」(?)によって政治問題化した「靖国問題」の決着が付く、というのも訳がわからない。この人は日本国憲法を読んだことがないのだろうか?

天皇絶対主義の時代はとうに終わったとはいえ、天皇発言の持つ影響力はいまだに日本の社会においてきわめて大なるものがある。

天皇は自己の発言力の大きさを十分すぎるほど知っていたから、いまの天皇も、先代の天皇も、できるだけ自分の個人的な意思を表現しないようにしてきた。

戦後、天皇が意識して影響力を行使したことはない。天皇にはもちろん天皇個人の意思があるだろうが、天皇はそれを傍目から全く見えないように見事に隠してきた。しかしそれだけに、今回のように、個人的意思がたまたま外にもれ出してしまうときには、その意思がより一層の影響力を持ってしまうものである。天皇の意思と一般社会の意思がぜんぜん正反対に食いちがっているというならともかく、そうでなかったら、天皇の意思の方向にことは動いていくだろう。

日本国民の多くは立花隆より賢いので、「昭和天皇の意思」と「自分の考え」を切り分けていると思う(そう信じたい)。むしろ「公表を控えていた『ご意思』を引っ張り出して政治利用しようとする勢力」への嫌悪感のほうが強くなるはずだ。


それに対して、小泉首相が、

「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」

として、あくまで靖国参拝を貫くか、といえば、そうはならないと思う。

天皇の意思としてこれだけ明確なものが出てきた以上、国民の大多数は「A級戦犯合祀に反対」「A級戦犯がまつられている靖国神社への首相の公式参拝反対」の声が圧倒的多数派になるのは、時間の問題だと思う。

立花隆は「日本国民の心は戦前の『臣民』と同じだ」と思っているのだろうか。ずいぶん戦後民主主義を馬鹿にした話だ。私は全く同意できないし、思想信条の自由を常識としている日本人は「天皇の心は天皇の心だ。それに対するに私の心が正反対の方向を向いていてもそれはそれでかまわないではないか」という考え方を当然のこととして受け止めるだろうと思う。

敗北感に打ちのめされた小泉首相
(中略)
 参拝した場合、中国や韓国からの反発を招くという程度のことであれば、小泉首相は平気の平左で、そんなものは無視しただろう。しかし、自分のプランに対する主たる反対者が亡くなった天皇の言葉ということになると、小泉首相としても、それに対抗しようがない。

それを平気に踏みにじることもできないし、相手との折衝で抜け道を見つけることもできない。要するに、対抗手段がないのである。

これが小泉首相が敗北感に打ちのめされた理由だろう。

「亡くなった天皇の言葉」に内閣総理大臣が「対抗しようがない」というのが仮に事実だとして(私は認めないけれど)、それをさも嬉しそうに囃し立てる立花隆の異常さに慄然とする。この人は小泉憎さのあまり象徴天皇制を捨てて明治憲法に回帰するつもりなのだろうか。
立花隆は個人の内心の自由に何の価値も認めていないようである。大御心の前に内閣総理大臣は恐懼して従うのが当然であり、「昭和天皇のご意思」に背いて靖国神社に参拝するのは逆賊だといわんばかりだ。狂信的な右翼でなければ言えないような天皇絶対化思想を(たぶん自覚なしに)主張する立花隆は全くどうかしている。

私は小泉総理と同じく、靖国参拝は個人の心の問題であり参拝するかどうかは自由だと考えている。
もし小泉総理が「昭和天皇のご意思」に影響を受け参拝しないことを選ぶならそれはそれでいい。「昭和天皇と自分は別だ」として参拝するのも自由だ。どちらにしても「敗北」したわけでも「勝利」したわけでもない。
立花隆のように内心の自由の問題を「勝った、負けた」でしか判断できない輩は汚らわしい俗物である。

関連ブログ
 セカンド・カップ はてな店 - 梅雨の間の怪談
 [リスクマネジメント No. 33]富田朝彦メモと立花隆の正体 - 猫ジジイのたわごと
 JIBUTARE: 冷静な議論の土壌に腐った液体
 らくがき2.0:靖国参拝論議に終止符 天皇の意志と小泉の決断
 綾川亭日乗 - 立花隆氏がさっそく「富田メモ」をふまえて熱弁をふるっておられる
 bluecamelの日記 - 空疎な立花の感想文に「反論」をつけるバカを見て,壁の高さを想う

極右の亡霊を嘲う

2006年07月21日 | 政治・外交
発言した人が馬鹿なのか、それとも日本人を馬鹿にしているのか。
どっちなのかは知らないが、実に下らないことを言うものだ。

asahi.com:「天皇参拝せぬ靖国に首相が行く矛盾」 カーティス教授
<ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授(政治学)の話>

 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯の合祀に強い不快感を示していたことが明らかになったことの意味は大きい。靖国神社参拝問題が、外国にいわれて問題になったのではなく、もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった。

 A級戦犯を合祀することは戦争を肯定する象徴的な意味がある。外国から見てもおかしいし、日本の天皇から見てもおかしいということだ。天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している。

 天皇の発言が明るみに出たことによって、国内問題としての靖国神社参拝問題がもっと議論されるのではないか。

 戦中戦後を通じて天皇だった昭和天皇が「天皇陛下万歳」を叫んでなくなった兵士がまつられている靖国神社の参拝をやめるほど、A級戦犯合祀にこだわっていた。天皇の言葉を次の総理候補も真剣に考えて、靖国神社問題の新しい解決のあり方を考えるべきだ。


「昭和天皇が~意味は大きい。~もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった」
日本国憲法では、天皇は政治に口を出す立場ではない。
「内閣の助言と承認」に基づいて国事行為を行い、政治に規制される立場である。
「天皇の意思」を理由に靖国の政治問題化を煽るのは憲法の精神に反している。
もし天皇が「A級戦犯合資賛成」だったなら、カーティス教授は「天皇の意思を尊重せよ」と言うのだろうか。まさか!

「天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している」
いったい何を言ってるんだろうかこの人は。天皇は国民の宗教行動を規制する存在ではない。この人の言っているのは戦前の「大御心に逆らう奴は国賊だ」と同じだと思う。そんな極右の亡霊みたいなことをよく恥ずかしげもなく主張できるものだと呆れてしまう。
昭和天皇もご今上も、まさか国民に対して「あの神社に参拝するな」などと命令なさりはしないと私は信じている。もし天皇がカーティス教授のような専制君主的な発想を持っているとしたら(ありえない仮定だけれど)、そのとき私はためらわず憲法を改正し共和制をとるべきだと主張するだろう。

カーティス教授とやらの腐れ右翼のような馬鹿げた話の後では、小泉総理の言葉がほんとうに清々しく感じられた。

昭和天皇メモ:小泉首相「靖国参拝に影響ありません」-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

 ◆富田朝彦元宮内庁長官のメモに関する小泉純一郎首相と記者団とのやりとり

--どう受け止めるか。

 ◇これは心の問題だから、陛下(昭和天皇)もさまざまな思いがおありだったと思う。

--合祀後、天皇が参拝していないが。

 ◇それぞれ人の思いがあるから、私がどうこう言う問題じゃない。

--天皇が参拝できる状況の方がいいのでは。

 ◇それぞれの心の問題だから。参拝されてもいいし、しなくてもいいし。自由ですから。

--追悼施設としてどのようなものが理想的か。

 ◇なかなか結論が見えにくい。

--首相自身の参拝に影響があるか。

 ◇これはありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人が、あの方が行かれたからとか、良いとか悪いとかいう問題でもないと思う。

--これからも行くか。

 ◇心の問題ですから。行ってもいいし、行かなくてもいいし、誰でも自由ですね。

--A級戦犯分祀に対する考えは。

 ◇一宗教法人に対して、あああるべきだ、こうあるべきだと政府としては言わないほうがいい。議論は結構です。

この人のこういうところが好きだ。
権威を振りかざしたりおもねったりしない。自分の内なる基準に従い、律せず律せられず。
「保守」を名乗る人からよく「小泉は保守ではない」と批判されるが、小泉純一郎という人はリベラルな平和主義者だと思う。

「従属意識」のありか その2

2006年07月20日 | 政治・外交
“「従属意識」のありか”の続き。
どうしてBigBang氏や藤原新也、大江健三郎といった人たちの「小泉総理グレースランド訪問」批判がこんなに不快なのか考えてみると、どこかの国の文化を愛好することを「従属意識」や「○○コンプレックス」に結びつける安易さが嫌なのだった。

たとえば台湾の李登輝・元総統は22歳まで「日本人」だった。親日派として知られる彼が日本を訪問したとき日本語で短歌を詠んだらそれは「日本への従属意識の表れ」なのだろうか。
そんな風に考えるのは馬鹿馬鹿しいことだ。
ドイツのメルケル首相は旧東ドイツ地域の出身である。仮に彼女が少女の頃からソ連(ロシア)の映画スターのファンだとして、サンクトペテルスブルグサミットのついでにそのスターの記念館に行ってはしゃいだらそれは「ロシアコンプレックス」なのか。
そんなことを言うのは下らない。
もしそんなことを本気で主張する者がいるとしたら、頭の悪い右翼だろう。
外国文化を愛好することを政治的な「従属」や個人的な「コンプレックス」に直結させるのは本当につまらないことだ。

たぶん日本人のほとんどは「A国の文化を愛好する」ことと「A国への従属意識・コンプレックスを持っている」ことを区別するだろうと思う(そう願う)。だが、なぜか「小泉総理のプレスリー愛好」については違うらしい。私はそこに批判する人たち自身のアメリカコンプレックスを見てしまう。
もし仮に「プレスリーに音楽的価値はない、崇拝しているのはアメリカ人だけ」とか「小泉総理は本当はプレスリー好きではないのに、ブッシュに媚びるためはしゃいでみせた」といったことが事実なら「アメリカコンプレックス」や「従属意識」を批判されても仕方ない。だが、まさか批判している人たちもそんなことは言わないはずだ。プレスリーは20世紀を代表するスーパースターの一人であり、「ロックンロールの帝王」と呼ばれている。小泉総理のプレスリー好きは筋金入りで、銅像を立てるときの発起人に名を連ねたり自身の選曲でCDを出したりしている。

「スーパースターの熱烈なファンがゆかりの地を訪れて大喜びした」だけのことに「従属意識」を感じる人たちのほうがよほどみっともないと私は思う。

「従属意識」のありか

2006年07月18日 | 政治・外交
左翼も右翼も大好きな「アメリカ従属論」。
私はあまり興味ないのだが、どうしても語りたい人は「政治的・経済的現実としてアメリカに従属している」ことと「強い従属意識を持っている」ことを分けて考えたほうがいいと思う。

BigBang: ギブ・コイズミ・チョコレート
僕の幼い頃のアメリカは「ララミー牧場」であり、「ローハイド」であり、「コンバット」であり「奥様は魔女」であった。米国への圧倒的な憧れとまではいかない世代だが、それでもやはり、ホームドラマに映る米国一般家庭の食卓や台所のまぶしさは、今でも忘れない。

給食には臭い脱脂粉乳(GHQがかつて日本の栄養不良児童を救ったあの脱脂粉乳である)が並び、優勝するとJALパックの憧れのバッグが手渡されされる、クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった。


まして小泉首相である。 とは思う。


幼い頃、貧しい日本の社会から見上げた圧倒的豊かな米国の姿は、この人の脳裏を生涯去らないのであり、正直な人物であるだけにそれを隠そうともしない。決定的な貧しさと卑屈さ。それはある面では彼だけではなく、日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識であり、若者には単に「みっともない」「かっこ悪い」小泉首相のパフォーマンスも、年配になるほど見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけるのである。

私は「コンバット!」と「奥様は魔女」を再放送(再々放送?再々々放送?)で見た世代である。たぶんBigBang氏は私より5~10歳年上なのだろう。「ローハイド」は見た覚えがない。脱脂粉乳も飲んだことがない。「クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった」というのもいまひとつ実感がない。「えーっ、信じられない!」と叫びはしないけれど。

私は小泉総理がグレースランドではしゃいでいる姿を見て「みっともない」とも「見てはいけないものを見てしまった」とも思わなかった。単に「中学生のころから憧れていたスターの家を訪問できてよかったね」「あれだけ大喜びすればブッシュ大統領やアメリカ国民ももてなし甲斐があるだろう」と微笑ましく感じただけである。ちなみに、2ちゃんねるの「小泉エルビス邸を訪問」スレッド(dat落ち)での反応も「小泉よくやった」が7割、「みっともない」3割程度であった。

あの無邪気な喜びようから「日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識」を感じてしまうほうがむしろ格好悪いと思う。自分のコンプレックスを他人に投影しているだけのように見える。

私が「嫌だな、みっともないな」と思ったのは先日亡くなった橋本元総理のパフォーマンスだった。

橋本元首相死去:真の愛国者だった カンター元米通商代表(元記事リンク切れのためキャッシュ)
 自動車交渉が大詰めを迎えた95年6月、カンター氏が橋本氏を「タフ・ネゴシエーター(手ごわい交渉相手)」と評し、剣道有段者の橋本氏に竹刀を贈ったことは、日米摩擦を象徴する一幕に。竹刀の握り方を教えてくれと言うカンター氏の手を取りながら、橋本氏が竹刀の先を自分ののど元に当てて一本取られるしぐさをする場面もあった。

橋本氏がどういうつもりだったのか知らないが、私には竹刀を喉に当てておどけてみせるしぐさは強いアメリカへの媚びに見えた。子犬が強い犬に脅かされると恭順の意を示そうと仰向けに横たわるが、橋本氏のやったことはそれに似ている。どうせパフォーマンスをするのなら、振り下ろされた竹刀を奪う「真剣白刃取り」をやればよかった。

小泉総理がグレースランドで見せたのは、橋本元総理のような「強いアメリカに媚びる」姿ではない。単に憧れのスターの真似をしただけのことだ。もし彼がビートルズファンならリバプールで大はしゃぎしていただろう。小泉純一郎という人間の素直さ、あるいは子供っぽさを笑うのはけっこうだが、アメリカ従属がどうとかいうのは変である。
仮の話で例えるなら「相撲愛好家として知られるシラク大統領が相撲部屋を訪れて四股を踏んでみせた」ようなものだ。単なる個人のファン心理であって、そこに国民全体のコンプレックスまで読み取ってしまうのは無理がある。

小泉総理のエアギターや金縁サングラスに「強烈な米国への従属意識」を感じる人の中にこそ強い劣等感が存在するのだろう。
私は「見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけ」たくなる。

関連記事 「従属意識」のありか その2

北朝鮮ミサイル乱射で、勝者と敗者は?

2006年07月14日 | 政治・外交
どうやら北朝鮮ミサイル問題について国連安保理は日米の制裁決議案と中露の非難決議案のあいだのどこかで折り合いが付きそうである。まずはけっこうなことだ。

以下は2ちゃんねる某スレッドからの引用。
285 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 19:19:45 ID:hJlahE0O

ttp://www.strategypage.com/htmw/htwin/articles/20060714.aspx
North Korean Missile Victories
July 14, 2006

ストラテジー・ページ:北朝鮮ミサイル乱射で、勝者と敗者は?
By Harold C. Hutchison

北朝鮮が7機のミサイルを乱射した事件の勝者と敗者が、今や明確になった。勝者はアメリカ、日本、副次的に台湾で、敗者は北朝鮮、韓国、中国である。

テポドン2は1分も飛行せずに故障して破壊されたが、これは北朝鮮のミサイル技術に重大な疑念を抱かせるもので、北朝鮮のミサイル商売に悪影響があり、アメリカのミサイル防衛に時間的猶予を与える。テポドン2の失敗で、アメリカは従来以上に積極的に、経済・外交・政治圧力を北朝鮮にかけることが出来る。この事件を契機に、対策をかねて日米同盟が更に強化されることになった。

日本は1998年のテポドン1と同じく、戦後の時代にあって稀な国家安全保障上の危機を経験し、防衛力の見直しや強化の機運が生まれた。北朝鮮のミサイルの脅威に対抗すべく日米同盟が更に強化され、これは何よりも台湾にとって朗報である。アメリカの第7艦隊は充分強力であるがそれに加えて日本の海上自衛隊がスクラムを組む体制が出来つつあり、この連合は世界無敵である。

敗者の筆頭は勿論北朝鮮の金正日である。テポドン2失敗でインターネットには金正日を笑いものにする様々な作品が飛び交っていて人気絶頂の道化師のようである。北朝鮮最大の輸出品であるミサイルの信用失墜は大きなショックである。

敗者の第二は韓国で、北朝鮮に無定見に追従するアンチアメリカの政府に疑問が呈されている。そうした韓国政府の態度が在韓米軍撤退を早めかねない。敗者の最後は中国なのだが、中国の失ったものは甚だ大きい。中国は北朝鮮を指導・管理する能力が殆ど無いことを露呈した。これは駐米関係にも悪影響を及ぼす要素である。そして、先に述べたように台湾への軍事侵攻を考えるにあたって今や中国は第七艦隊と自衛隊の連合軍を想定しなくてはならない。この体制では中国側には勝利のチャンスはゼロである。

China now faces the prospect of not just facing the Seventh Fleet should the situation with Taiwan degenerate into a war, but the Japanese Maritime Self-Defense Force as well.
China might have an outside chance against one of those maritime forces, but against both,
the chances are virtually zero.

現実的・中長期的に見ればたぶんそういうことである。
例によってマスコミや野党は「小泉外交の失敗」を叫ぶだろうけれど、いくらなんでも無理じゃないかと心配してしまう。
アンチ小泉からアンチ安倍にシフトしつつある世に倦む人は「安倍晋三と麻生太郎の無能な強硬外交の失敗である」と断じておられるけれど、いつもながら本当にユニークなものの見方だと感心する。「金正日の無能な強硬外交の失敗」という発想はなぜか出てこないらしい。