マスコミや「識者」に「富田メモ」についての馬鹿げた言葉が多すぎてホトホト辟易する。
もちろん朝日が立花隆や小沢一郎に遅れをとるはずもない。
asahi.com:靖国とA級戦犯 天皇の「心」をどう読むか
「メモ」が公表された後、反靖国論者から一斉に吹き上がった「総理は大御心に従え」論である。
カーティス教授や立花隆の言っていることと内容に違いはない。
ドラえもんに甘えるのび太の姿を思い出した。若宮氏の言論人としての矜持は一体どこにあるのだろう。
もちろん天皇が絶対の時代ではないし、天皇にも首相にも「それぞれの思い」があってよい。
この一行に私は呆れ果てた。
「それぞれの思い」は「あってよい」ものではない。人間の一人一人にそれぞれの思いがあるのは当然、いや必然なのだ。「あってよい」という表現は「あってはならない」という考えかたの裏返しにすぎない。全体主義者が恩着せがましく「違いがあってよい」と許可する姿はグロテスクだ。
もちろん朝日が立花隆や小沢一郎に遅れをとるはずもない。
asahi.com:靖国とA級戦犯 天皇の「心」をどう読むか
「メモ」が公表された後、反靖国論者から一斉に吹き上がった「総理は大御心に従え」論である。
カーティス教授や立花隆の言っていることと内容に違いはない。
昨年5月、北京の清華大学で学生たちに話をしたときのこと、ある学生が激しい口調で私に質問した。若宮氏はこの体験で「昭和天皇のお気持」を自分に都合よく利用する快感に目覚めたらしい。
「小泉首相は靖国神社に参拝していますが、かつて中国人を虫けらのように扱い、ひどい目に遭わせた軍国主義の指導者たちに手を合わせ、感謝の祈りでもささげているのか」
これにはさすがに唖然(あぜん)とした。「いくら何でもそうではない」と説明したが、彼に納得の様子はない。そこで思わずこう付け加えた。
「首相はともかく、A級戦犯が合祀(ごうし)されて以来、天皇陛下が一度も参拝していないのをご存じですか」
その瞬間、何と拍手が起きた。約200人の聴衆のうち十数人だったかも知れないが、これで教室の空気が一変した。首相が立てる波風を、まるで天皇が和らげているようだった。
ドラえもんに甘えるのび太の姿を思い出した。若宮氏の言論人としての矜持は一体どこにあるのだろう。
もちろん天皇が絶対の時代ではないし、天皇にも首相にも「それぞれの思い」があってよい。
この一行に私は呆れ果てた。
「それぞれの思い」は「あってよい」ものではない。人間の一人一人にそれぞれの思いがあるのは当然、いや必然なのだ。「あってよい」という表現は「あってはならない」という考えかたの裏返しにすぎない。全体主義者が恩着せがましく「違いがあってよい」と許可する姿はグロテスクだ。