玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

Musical Batonに便乗して南野陽子を礼賛する

2005年06月23日 | 日々思うことなど
「まったり」さんからMusical Batonというトラックバックを頂いた。
どうやら、音楽についての好みや何かを告白する企画らしい。
お誘いいただいたのはうれしいけど、音楽については無趣味といってもいいくらいだし自分の好みの歌手や曲を告白するのも恥ずかしいので今回は遠慮させていただこう、と思ったのだが。

偶然にも、6月22日は南野陽子デビュー20周年記念“ナンノ・ボックス”の発売日。私も20年来のファンとしてちゃんと予約して手に入れた。せっかくの偶然なので(何がだ)Musical Batonの本来の企画を勝手に少し曲げさせてもらって「南野陽子の曲についての4つの質問」に答えてしまおう。

Total volume of "NANNO's" music files on my computer
(今コンピュータに入ってる「南野陽子の」音楽ファイルの容量)
1.23 GB (1,322,141,444 バイト)
ファイル数 383 フォルダ数 23

うわあ、1ギガ超えてるなんて…

"NANNO's" Song playing right now(今聞いている「南野陽子の」曲)
「私の中のヴァージニア」

The last "NANNO's" CD I bought(最後に買った「南野陽子の」CD)
ナンノ・ボックス

Five "NANNO's" songs(tunes) I listen to a lot, or that mean
a lot to me(よく聞く、または特別な思い入れのある「南野陽子の」5曲)

「春景色」
ファーストアルバム"GELATO"の一曲目。熱心なファンに彼女の名曲を訊けば必ずこの曲の名前が挙がるはず。
「勝気さと、凛とした感じと、ちょっと後ろ向きのセンチメンタルと。南野陽子の全てがここにあるといってもいい。」

「Hello!Goodmoning」
5thアルバム"GLOBAL"のこれも一曲目。
実はこの曲、オーディオの目覚ましタイマーでよく利用しているのだ。

~ "Wake up now" ターミナルの混んだ ざわめきさえ
     ときめいてた遠い日々 "Hello! Goodmorning" ~

この歌いだし部分に限れば、確実に何百回と聞いていることになる。もしかしたら1000回越えてるかも。

「風のマドリガル」
「楽園のDoor」も名曲だけど、スケバン刑事の曲ではこの曲が一番好き。夏の明るさと淋しさを感じさせる。残念ながらテレビで歌ってるのを見た覚えがない。

「ムーン・ランデヴー」
セカンドアルバム"VIRGINAL"より。ボックスのライナーノートでナンノ自身も「助手席ソングではピカイチ」と書いているが、夜一人で運転しながら聞くと楽しくなったり淋しくなったり。

「12月、風の糸で」
冬をテーマにしたミニアルバム"SNOWFLAKES"より。このアルバムは名曲ぞろいで完成度が非常に高い。

とりあえず5曲を選んだが、他にもいい曲はたくさんある。「潔白(イノセント)」とか「優しいたそがれ」とか「黄昏の図書館」とか「リバイバル・シネマに気をつけて」とか、もう枚挙に暇がない。どれを選んでもよかったけど今の気分で。でも「春景色」だけはいつ選んでも必ず入るかな。

「ナンノ・ボックス」さすがにCBSソニーに多大の貢献をした南野陽子の20周年記念だけあって気合の入った作りだ。¥23.000は「高いな~」と迷ったが、現物を見ると納得してしまう。安くしてしょぼい作りにされたら悲しいし。なんとアマゾンではユーズド価格が二倍以上の¥49,800(!)にもなっているのを見ると、ちゃんと予約して買ってよかったと思う。
ケースやCDなどのデザインもとても美しい。特に、ライナーノートと写真集の出来がすごい。上等なグラビア雑誌の表紙に使うような厚いアート紙を本文に、表紙にはさらに厚い紙を用いている。素手で触るのがもったいないくらいきれい。
ただ、すこし残念なこともいくつか。ライナーノートのアルバムジャケットの写真が8.5cm角と小さすぎ。せめてCDサイズ、できればLPサイズであってほしかった。そして、"VIRGINAL"の4曲目「ベルベット・シークレット」がなぜか「ベルベッ『ド』・シークレット」と表記されている。歌詞もまた同じ間違いがある。なんでこんなことになったのかわからないけど、「ド」じゃなくて「ト」ですよソニーレコードさん。
南野陽子の名曲の数々を作った萩田光雄・康珍花・小倉めぐみ・田口俊…といった人たちからのメッセージが良い。時にわがままと呼ばれた南野陽子の個性としっかり向き合い、本気で作ったからこそいくつもの名曲が生まれた。歌手もスタッフも自分の仕事に情熱と誇りを抱いていたことが伝わってくる。
十数年ぶりの新曲「最終(ラスト)オーダー」を聞いて、声質も歌い方もアイドル全盛期と変わらないのに本当に驚かされた。何なんだろうこの人は。どこかで不老不死の霊薬でも飲んだのだろうか?まさに永遠のアイドルだ。


Musical Batonの決まりでは5人にトラックバックすることになっているけど、あまりにも南野陽子な内容で恥ずかしいので同じナンノファンの佐倉純さんのところにだけトラックバックさせていただく。佐倉さんにはすでにMusical Batonが回ってるから意味ないかも。

ディベートじゃなくて「接待」だろこれは

2005年06月20日 | 政治・外交
BSディベート「日韓の課題 いま語りたい」

全然期待してなかったけど、暇なのでとりあえず半分くらい見た。

なんだこりゃ。

NHKでは「ディベート」という言葉の意味が世間一般と違ってるのか。
遠慮せず容赦なくフェアに言論を戦わせるのがディベートだと思ってたけど、NHK的にはお互い粗相のないよう気配りしまくって討論するふりをするのが「ディベート」らしい。こんな生ぬるいことやって何の意味があるんだか。
まるで日韓友好のポチョムキン村だ。

それにしても、よくもあれだけ冷静で物分りのいい韓国人を集めたものだと、その点ばかりは感心した。普通の(日本人の標準から見れば激情家の)韓国人であれば、日本人の韓国に対する率直な意見を聞かされれば半分は顔を真っ赤にして興奮し三分の一は怒って退席するのではないか。まあ、日本人出席者が遠慮しまくって当たり障りのないことしか言わなかったのかもしれないけど(前半を見ていないので単なる想像)。

番組の最後には「国と国とのあいだにはいろいろ摩擦や問題(歴史認識、竹島、北朝鮮etc)があるけど、国民が胸襟を開いて語り合えば日韓友好は実現する」みたいなことをピースボート臭い日本側出席者がちょっぴり自己陶酔しつつ(偏見入りまくり、ごめんなさい)語っていた。心優しい出席者と番組制作者たちは大拍手。…してないか。でも、心のうちではきっと拍手してたんだろう。
白ける。お為ごかしもいいところ。

日韓両国、両国民の間には理解しあえない心情、譲れない利害の相違があるということ。
過去の歴史にこだわれば、どうしたってお互い嫌いにならざるをえないこと。
このどうしようもない現実を踏まえ、その重さに呻吟しつつ「それでも日韓(韓日)友好は実現されなければならない」と思い込む狂気というか大勇猛心というか不退転の決意というか、不条理なまでに強い意思がないと和解とか友好なんて綺麗事を並べても嘘になるだけじゃないか。この番組のように、言いたいことを腹八分目に抑えて仲良しごっこをするのは問題の先送りにしかならない。
むしろ出席者が面罵しあい、果ては取っ組み合いの大喧嘩をして流血沙汰となり、お互い疲れ果てて床にへたりこんだあげく、なぜか自然に笑い声が上がりお互いの健闘を認め合う、みたいな少年ジャンプ風の結果になれば真の日韓友好を望むものとして(いや、冗談じゃなく)大いに心強かったんだが。

あんなお行儀のよい人たちばかりじゃなく、サイバラとか根本敬とか高信太郎とかちゃんとした「韓国の理解者」を呼べばはるかに面白く実のある番組になったろうに。当然韓国側もそれに対応する濃い人たちを集めて。今からでも遅くないからリターンマッチで作り直してくれ、NHKよ。

死者の時間は止まっている

2005年06月11日 | テレビ鑑賞記
金曜ナイトドラマ「雨と夢のあとに」第9話

このドラマ、地方により週遅れでの放送となる。
該当地域の方、以下ネタバレがあるのでご注意のほどを。




暁子さんはやっぱり幽霊だったのか。
オープニングで朝晴と対になるような描かれ方をしているからもしかして?と思ってはいたが。
木村多江さんは幽霊役似合いすぎ。
美しさと色気と優しさと残酷さ、女性の特質が幽霊になってさらに純粋なものになっているような。
きれいで優しい女性、って何か計り知れないものがあって怖い。普通の女性でも男にとっては永遠に不可解なものがあって怖い。男の幽霊は何だか間が抜けてるが、女の幽霊は恐ろしい。丸山応挙の幽霊画も女ばかりだ。
暁子さんの「私の時間はもう止まっている」という台詞が特によかった。
生者の時間は終わりに向けて止められない強さと速さで流れるが、死者の時間は無限であり動きがない。
渓流が静かな湖に流れ込み動きを止めるイメージを頭に思い浮かべる。


急に話は変わるが、いわゆる「靖国神社問題」について「新しい戦没者慰霊施設を作るべきだ」という意見がある。左派の人たちに多く見られる意見だが、このあいだ読売新聞もそんな社説を書いていた。保守派にも一定の支持があるようだ。
私自身はその考えに特に反対はしないが、あまり意味のないことのような気もする。
はたして靖国に眠る霊たちが現世の都合で新居に引っ越してくださるのかどうか、非常に疑わしく思う。「靖国で会おう」と言い交わして戦死された英霊にとって時間はそこで止まっており、よそに移ってくれとお願いしても理解してもらえないのではないか。靖国の神官が宗教儀礼に則って御霊を勧請すればいいのかもしれないが、そうしてしまうと新慰霊施設がミニ靖国になるだけでますます無意味になる。
ときどき新聞の投書欄などに「小泉総理が靖国参拝を中止しても英霊は理解してくれるはず」という意見が載るが、どうも納得できない。基本的に霊というのは物分りの悪い存在であろうと思う。道路工事などで御神木を移動させようとして作業員が祟られる、なんて話がたまにあるが、力の強い霊というのはだいたいはそういうものだ。靖国のご神体は戦場で倒れた何百万という若者たちの霊である。その霊力の強さは日本最強であろう。現世の人間の都合で安易に扱えばどれほどの祟りがあるか、考えただけで空恐ろしい。

と、書いてはきたものの私自身は霊の存在をそれほど強く信じているわけではない。7割くらいの割合で「死んでしまえばそれですべて終わり」と思っている。逆に言えば3割は信じているわけだが。野球で3割打てば強打者なのだから、自分も「強く霊の存在を信じている」と言っていいのかもしれない。
はたして世の中の人たちはどれくらいの割合で霊の存在を信じたり信じていなかったりするのだろうか。多くの人が霊を信じていなければ新しい慰霊施設など不要だし、信じているのであれば現世の都合を霊に押し付けるのは身勝手で不遜な気がする。



急に話は戻るが、来週の「雨と夢のあとに」はいよいよ最終回。
雨と朝晴が幸せになってくれるといいな。朝晴は無理でも雨だけはなんとかして。
暁子さんも美しい姿をもう一度見せてくれるものと信じる。
すべての鍵はネックレスと蝶の標本にありそうな予感。

風見鶏とドン・キホーテ

2005年06月04日 | 政治・外交
A級戦犯の分祀か参拝中止を…中曽根元首相が講演
中曽根氏は、小泉首相の靖国神社参拝について「A級戦犯の分祀(ぶんし)が現実的な解決方法だろう」と述べた。その上で「分祀に時間がかかるなら、参拝をやめるという決断も一つの立派な決断だ」と指摘した。

 また、「個人の信念以外に、国家的にどういう影響を持つか考えなければならない」として、日中、日韓関係への大局的判断が必要との認識を示した。

「分祀」が可能なのか、また参拝中止の是非を論じるのは今はやめておく。
この発言は中曽根氏と小泉総理の人柄の差を表していて面白い。
かつて「風見鶏」と呼ばれ、田中派の強大な力に正面から逆らわず、いやむしろお互いに利用しあう関係を作りマスコミから「田中曽根内閣」とまで呼ばれた中曽根氏。
橋本氏を相手に「勝算なし」と見られた総裁選を戦い、勝ったあとは実力者・野中氏を追い落とし、国会答弁でシレッとした顔で「ドン・キホーテは好き」と語る小泉総理。

もしかしたら政治的に賢明なのは中曽根氏のほうなのかもしれない。
だが、今の私は雪斎さんから「狂」と呼ばれた小泉さんを好ましく思う。日中・日韓関係の正常化は、靖国参拝で一点突破した後に初めて可能になるのだろうという直感がある。
小泉さんが風車に立ち向かうとしたら、サンチョ・パンサにはなれないにしてもせめて傍らで声援を送りたい。
風車と思いこんでたら実は山賊の隠れ家だったりして。そんなことはないか。

小泉総理の「靖国問題」国会答弁を支持する

2005年06月03日 | 政治・外交
「A級戦犯のためでない」靖国参拝問題で首相答弁
小泉首相は2日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝に対し、A級戦犯の合祀(ごうし)を理由に中国などが反発している問題について、「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意と感謝の意を表したい。そういう気持ちから参拝しており、特定の個人のために参拝してはいない」との見解を明らかにした。

 そのうえで、「私は『戦没者に対してどのような追悼をするか、ほかの国が干渉すべきではない』と言っている。『内政干渉すべきではない』とは言っていない」と述べた。

 さらに、首相は「首相の職務として参拝しているのではない。私の信条から発する参拝について他国が干渉するべきではないと思っている」と語り、職務としての参拝ではないことを強調した。今年の参拝については「いつ行くか適切に判断する」と改めて答弁し、参拝することを前提に時期を検討する考えを示した。

個人的にはいちいち納得できることばかり。小泉総理と私の靖国参拝についての考え方はほとんど同じではないかとさえ思う。

■A級戦犯のために参拝しているのではない
これは、「靖国神社の主張する歴史観に同意するつもりはない」という意味であろう。志位共産党委員長への答弁で「私は戦争への痛切な反省を表明している。靖国神社を参拝することが靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい」とも言っている。
私も、長期的には東京裁判史観は改められるべきだとは思うが、今の時点でこれまでの政府見解を大転回するのは無謀だと考えるので「歴史認識と戦没者の慰霊は別問題」「『靖国参拝=政府の歴史認識の転換』ではない」と表明するのに賛成。

■「内政干渉すべきではない」とは言っていない
「内政干渉」と言ってしまうと「小泉純一郎個人の靖国参拝を政治問題化する」ことを望む反対勢力の思惑に乗せられることになるのでよろしくない。賢明な発言。

■首相の職務として参拝しているのではない
政教分離規定を厳格に解釈する人たち(実は私もそうなのだが)からのクレームを排除する適切な発言。しかしながら「公式参拝」を求める人たちからの批判を受けることになるだろう。

■いつ行くか適切に判断する
行くのか行かないのか、あいまいにしておくと勝手に解釈されて混乱が生じるおそれがあるので態度をはっきりさせたのは正しい。イラク人質事件のとき「自衛隊は撤退させない」と明言した対応と同じ。その反面、「いつ」については明らかにしなかったが、これは小泉自身いつ行くかまだ決めかねているのだと思う。特に8月15日にこだわってはいないだろうが、国連常任理事国入り問題が前倒しされれば行く可能性もある。本命は秋の例大祭だろう。