玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「あの人は首相になる前と退陣後は靖国神社に参拝したことがなく」…?

2007年12月31日 | 政治・外交
大晦日に書くようなことじゃないけれど、どうしても気になったのでkechack氏のブログにコメントした。

現総理も前総理も「KY」なのが問題ではない。 - Munchener Brucke
小泉純一郎はよく「信念の人だ」と言われるが、決してそうではない。あの人は首相になる前と退陣後は靖国神社に参拝したことがなく、在任中に迎合参拝していたに過ぎない。


小泉氏が首相就任前・退陣後に靖国を「参拝したことがない」と断定されてますが、どういった根拠によるものでしょうか。

そのような説が広まっていることは承知しておりますが、小泉氏あるいは身近な人間からの一次情報として聞いたことがありません。ネット等で目にする「小泉は靖国に行ってない」説は二次情報の受け売りと根拠のない思い込みばかりです。
「参拝していない」説の一次情報としては、栗本慎一郎氏がインタビューで語った例があります。

【週刊現代 2005/12/24号 巻頭記事】 栗本慎一郎 : 「パンツをはいた純一郎」(全文) 三国荘

「小泉に『一緒に行こうぜ』と誘ったのですが、彼は来ない。もちろん、靖国参拝に反対というわけでもない。ではなぜ行かないのかといえば『面倒くさいから』だったのです。」

栗本氏の証言が事実だとして(疑っているわけではありません)、明らかなのは「小泉氏が栗本氏の誘いを断った」ことだけです。「面倒くさいから」と言ったのは小泉本人なのか、それとも栗本氏が誘いを断られた理由を想像しただけなのかさえはっきりしません。
仮に小泉氏本人の言葉だとしても、本心なのかどうかわかりません。「あなたとは一緒に参拝したくない」という意味で言ったのかもしれません。小泉氏は基本的に単独行動を好む性格ですし、インタビューで明らかなように小泉氏は栗本氏とぜんぜん気が合わないようですから。


私自身は小泉氏は総理就任以前から靖国参拝を続けていたと考えます。
以前、共同通信が「首相は初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日に靖国神社に参拝してきた。自民党総裁選以来の「参拝公約」は首相の自然な思いの表れだった。」と伝えています。小泉氏の行動と整合性があり充分に信用できる報道だと思っております。

◇連載企画「首相靖国参拝の波紋」
若い命を戦争の犠牲にした特攻隊員への首相の思い入れは、並々ならぬものがある。特攻隊員の遺稿集を読み返しては涙を流し、元特攻隊員を描いた映画「ホタル」のビデオをわざわざ取り寄せた。「当時十六、七歳だった(特攻隊の)若者がこれだけのことを考えているんだよなあ」。首相はここ数年、特に特攻隊員に対する自分の思いを熱っぽく語っていた。

 首相は初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日に靖国神社に参拝してきた。自民党総裁選以来の「参拝公約」は首相の自然な思いの表れだった。


私のほかにも「小泉は靖国参拝していない説」が通説とされることに異議を唱えるブログを見つけました。

小泉首相の就任前の靖国参拝はなかったろう論 - 水たまり
また、「あった」証拠は異なる新聞社の(おそらく政治部の)2名の記者による記事と国会議事録なのに対して、「なかった」証拠は単なる狭い範囲の個人的経験でしかありません。したがって、相当強い根拠によって前者が偽であることが示されない限り、小泉首相の就任前の(ほぼ毎年の)参拝はあっただろうと考える方が自然です。


Baruさんの論法は妥当なものであると思います。
ちなみに、今年の8月15日に小泉氏は靖国神社に行ってます。
「就任前、毎年のように行っていたかどうか」は疑う余地がありますが「退陣後」参拝しているのは明らかです。

小泉「再登板」構想 [日刊ゲンダイ]

終戦記念日の8月15日に“一番乗り”で靖国参拝した小泉前首相。放列を敷いたカメラの前を無言で進み、大いに存在感をアピールした。

もういくつ寝ると

2007年12月27日 | ネット・ブログ論
最近は飯を食うのも面倒なのですっかりブログを放置していた。
特に理由はなく、単なる怠け癖である。

いくつか記事を書きかけたけれど、途中で面倒になって放り出してしまう。
身の丈にそぐわないご立派な意見を書こうとすれば力尽き、くだらないことを書きかけては途中で白ける。
雄々しくもブロガーの使命(って何だそりゃ)を果たすつもりがいつのまにかビデオを見たり、あるいは数独をしたり。ほんの30分ほど頭の体操をしたつもりが3時間たっているから恐ろしい。あらためて脳の衰えを知る。

そんなことはどうでもいいのだが、というかこのブログ自体が今は何よりも鬱陶しいので、年末と正月にかこつけてしばらくの間コメントとトラックバックの受付を事後承認制にする。スパムの管理もできない(しない)体たらくでは「言論の責任を負う誠実なブロガー」どころか「ブロガー失格」である。

何も考えはないけれど、たぶんあと10日ほどはブログのことを思い出しもせずに南野陽子DVDボックス(買った後ほとんど見てない)と数独と読書(図書館の年末貸し出しを読みきらなければ)に時間を費やしそうな気がする。自堕落万歳。
こんなに怠け者でいいのだろうか。新年の朝日を浴びたら体が溶けてしまいそうだ。いやすでに脳は溶けている。

読者のみなさまどうかよいお年をお迎えください。

情報の信頼性と熱量

2007年12月15日 | 日々思うことなど
タフですばしっこいゴキブロガー(自称)の私は当然このニュースにも興味を持つ。

今度は“ゴキブリラーメン”騒動 元バイト学生書き込み、バーミヤン激怒 - ITmedia News
 吉野家の「テラ豚丼」、ケンタッキー(KFC)「ゴキブリ揚げ」と、外食産業を狙い打ちにした“サイバーテロ”があったが、今度は、中華系ファミレス「バーミヤン」で「ゴキブリラーメン」騒動が勃発(ぼつぱつ)した。都内の私大2年の男子学生(20)が、日記サイトに「ゴキブリのだしが効いたスープでラーメンを出していた」などと書き込んだのだ。関連サイトは“大炎上”している。

2ちゃんねるニュー速+のスレッドを見ると、さすがに人間は経験に学ぶもので、これまでの流言蜚語への空騒ぎとはいくらか雰囲気が違う。
ケンタッキーの「ゴキブリフライ騒動」では熱に浮かされたようにヒステリックな断言とKFC叩きばかり目立ったが、今回の「ゴキブリラーメン」では落ち着いて物事を考える人がいる。
いろいろな立場から「証言の信頼性」「内部告発の適切な方法」「実名をさらしてネットで悪ふざけする怖さ」「風評被害に対する企業の対応」「信用毀損罪・業務妨害罪の成立要件」「外食産業における一般的な衛生状態」「個人的なゴキブリ遭遇体験」が語られており、集団心理や集合「痴」ではなく集合知がはたらいていると言える。

ちょっと不思議なのは、「証言」自体を比べると「ゴキラーメン」のほうが「ゴキフライ」よりまだしも具体的で信頼性がありそうなのに、騒ぎの熱量は逆に低くなっていること。
Wikipediaによると、流言の発生条件として「大切なこと(重要性高)が嘘か本当か分からない(不確かさ極大)ときに、流言が発生する」そうである。「ゴキブリフライ騒ぎ」のときは信頼性がゼロに近いぶん妄想をたくましくして疑いと怒りに取り付かれた人が多かったのだろうか。
…いや、なにも難しく考える必要はない。きっと2ちゃんねらは単純に「飽きた」のだ。そして「26歳女性店長」に萌えるのに忙しかったのである。彼女がどんなルックスと性格の持ち主なのかわからないのに!

まさに人間は想像力で動く生き物である。人の心に強く働きかけるのは冷たい現実(リアル)よりも熱い現実感(リアリティ)だ(参考記事「リアルとかリアリティとか」)。現実と密着した動物と想像力で動く人間の違いは決定的だ(岸田秀の受け売り)。
それは凄いことだけれど、ちょっと、いやかなり怖いことでもある。

リアルとかリアリティとか

2007年12月13日 | 日々思うことなど
ブログ界の一部で「テキストのリアル・リアリティー」論が活発だ。

愛・蔵太のすこししらべて書く日記
  id:asianshore氏の文章テクニックに畏怖する
  まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは
  「この話はリアルだ」という場合の「リアル」について

しなちょうメルクマール - 熊手部 (bearhand)
  「テキスト慣れ」していないひとびと
  「テキスト耐性」はあるのか

Rauru Blog ≫ Blog Archive ≫ リアリティを構成するもの

飽きたら消すよ。
  すでに「リアル」と「虚構」は同義語だよね
  マークパンサーにリアルについて聞いてみた
  一般人のリアルとネットユーザーのリアル

リアルでなにが悪いか。 - 小野マトペの業務日誌(アニメ制作してない篇)


自分も少し前に「現実味と現実をごっちゃにするな」という文章を書いたのでこの盛り上がり(いまのところ「はてな」限定だが)はうれしい。

  玄倉川の岸辺 「真実味」と「真実」

残念なことに「リアル論」を語る人たちの誰も私の記事に言及してくれない。なぜだ!?正直言って悲しい。そもそも読まれてないのか。はてな市民じゃないからか。差別か仲間外れか。グレてやる!
…といじけたけど、読み返してみたらごちゃごちゃして出来の悪い文章なので仕方ないとあきらめた。私にはマークパンサーのように一言で本質を語る才能がない。悔しい。

  「まず、誰かの書いたテキストというのは全て創作です。」

かっこいい!正しい!!激しく同意!!!

不実を要求する愚

2007年12月12日 | 日々思うことなど
嫌だ嫌だ嫌だといいながらまた書く。
こうなるとさすがに誰も信じてくれそうにない。ゴキブリ大好きブロガー、略してゴキブロガー(誤記ブロガー)と呼ばれても文句は言えない。いや、偏見を捨てて素直な目でゴキブリを見れば、連中はタフで機敏で黒くてピカピカしていてカッコいいではないか!自分にそっくりだ!!!
…ほとんどヤケである。

過去記事
 ケンタッキーと「ゴキブリの言葉」
 「真実味」と「真実」
 実験無用

今回のKFC風評被害事件についてネットでは「ゴキブリフライ事件の真偽は別にしてもKFCの対応に問題がある、叩かれて当然だ」という意見が多いようだ。
私は「何を言ってるんだろうこの人たちは」と呆れる。
彼らは自分の勘違いに気付かないのか、それともわかっていてわざと無茶を言っているのか。
前者なら脳ミソが不出来なのか、使い方を間違っている。
後者なら性格が曲がっている。言いがかりを付けるのを恥じない潜在的クレーマーだ。

そもそも、事の発端となった元バイトのmixiでの書き込み(告白)自体が信憑性のないものである。
後に本人が嘘と認めているし、物証も第三者の証言もない。「告白」が事実である可能性を僅かに支えているのは彼がKFCでバイトしていたことだけだ。元従業員の証言なら簡単に信用するのか。KFCが証人を集めて「KFCのキッチンにはゴキブリは一匹もいません」と言わせたら信じるのか。馬鹿馬鹿しい。
悪ガキの駄法螺を真に受けて大騒ぎする連中は馬鹿である。
空騒ぎを拡大再生産する手合いは件の少年と同じくらい軽薄だ。
疑心暗鬼に取り付かれて被害者をバッシングする輩は駄々っ子しか思えない。

「KFCは噂の真偽を調査し公表する義務がある」と息巻く人たちがいる。
彼らは本気で言っているのか、それともKFCを困らせたいだけなのか。そんな話が通れば、悪意の持ち主がいい加減な噂をばらまくことによって企業に風評被害のみならず「調査の義務」という二重のダメージを与えられることになる。嫌がらせのやり得だ。私はそんな世の中を望まない。流言蜚語は「事実無根」と一蹴すべきだ。KFCの対応は間違っていない。
「テラ豚丼」や一連の食品偽装問題ではビデオや物証、真剣な内部告発といった調査に値する理由があった。だが今回の事件には何もない。あるのは実体のない愚かしい不安だけだ。

「消費者が不安を感じているのだから、それをなだめるために形だけでも調査すべきだ」という意見もある。
私はこういう発想が食品偽装につながるのだと思う。実体を二の次にしてイメージばかり気にしている。そこに誠実さはなく、あるのは「誠実さを装う演技」だけだ。
KFCの社内や外食業界他社から「謝罪ポーズ・誠実演技が効く」という意見が出るのはまだしも理解できる。炎上コンサルタント(ってどんな仕事だろう?)の伊地知氏も「事実無根でも『ご心配をおかけした』と謝罪した方が沈静化は早まるだろう。」と言っている。「理屈は二の次、とにかく消費者を丸め込んでしまえばよし」というのは営利企業の本音かもしれない。

だが、消費者の側が流言蜚語に踊らされたあげく「とにかく形だけでも調査をしろ、謝れ」と要求するのは馬鹿げている。それは食品偽装の論理と同じだ。「実体はどうでもいい、良い商品イメージさえあればいい」と考える不実な企業と「実体はどうでもいい、謝罪ポーズを見せろ」と要求する愚かな消費者は双子のようによく似ている。

実験無用

2007年12月10日 | 日々思うことなど
嫌だ嫌だと言いながらもう一度書く。
いやよいやよも好きのうち、ということは絶対にない。

 ケンタッキーと「ゴキブリの言葉」
 「真実味」と「真実」

KFCの風評被害について、「ゴキブリフライ」を実験すべきだという意見があちこちで見受けられる。
実験すれば少年の最初の証言の真偽が分かると思うのだろう。
私は断然反対する。不愉快であり無意味だ。

不愉快であることはほとんどの方が同意していただけるだろう。
生きたゴキブリを捕まえて高温の油で揚げる、なんてことを楽しんでやる人は滅多にいないはずだ。

だが、残念ながら実験が無意味であることはなかなかわかってもらえない。
「無意味」と書いたけれど正確には「予想される成果は少ない」「ほとんど無意味」である。
実行すれば僅かな情報は得られるが「KFCゴキフライ事件」の真偽に決着がつくことは期待できない。

なぜそう言い切れるのか。
前にも書いたように、元バイト少年の「告白」に秘密の暴露はない。ちょっと想像力を使えば簡単に書ける内容だ(なにしろ三行しかない)。

 「ゴキブリって油で揚げてもなかなか死なない」
 「死んだかと思って出すと動きだす」
 「衣つけて圧力かけて揚げたら死んだ」

これらの描写を満たす実験を行うのは簡単だ。油の温度を下げればいい。
100度にすればいいのか、それとも50度に下げる必要があるのか、そこら辺のところは分からないが。
そういう実験をして、さて何が分かるのかと言えば、何もない。
特定の結果が得られるような実験をして、予想通りの結果が出た。得られる情報はほぼゼロだ。
「ゴキブリフライは可能であることが明らかになった」が、それは最初から分かっていることだ。問題なのは物理的に可能かどうかではなく、少年の「告白」の信憑性である。

KFCのフライヤーで設定されている温度の油に入れたけれど、少年の描写と同じように「なかなか死なない」場合はどうか。
そのときは「告白」の信憑性が高まる。とはいえ、秘密の暴露と言えるほどの意外な情報ではない。「事件」が事実である可能性がいくらか高まるけれど決定的なものではない。
少年もKFCも事件の存在を否定している。それを突き崩すほどの強力な証拠能力はない。

次は油に入れられたゴキブリが即死した場合。
指が入れられるくらいの低温まで下げ、それでも即死するとしたら予想を超えていて驚く。
だが元バイト少年は「低温でも即死する」とは書いていない。そこに秘密の暴露はない。

高温で即死するのであれば完全に予想の範囲内だ。シロイさんの記事にも合う。
その場合、「告白」は信用できないことが確認されるだけだ。
事実だとすると「元バイト少年が粉飾して『なかなか死なない』と嘘を書いた」ことになり、事実でないとすると「そもそもゴキフライなどやらずに嘘を書いた」ことになる。
そのどちらなのか、実験は真偽を見分ける役には立たない。

明白な結論が得られるとしたら、誰にも予想できないような驚くべき結果が出たときだけだ。
それこそ「油に入れたゴキブリが巨大化する」とか「美しい緑色に変わりオレンジの匂いが立ち上る」とか。
この場合は「こんな驚くべき結果を見逃すはずがない」「軽薄な元バイト少年が『こんな凄いものを見たぞ』と自慢しないはずがない(mixiの書き込み自体が悪事自慢である)」のだから、少年はゴキブリを揚げなかった、事件は無かったと断言してもいいだろう。

はたして実験を行って驚くべき結果が出るだろうか。
やってみなければわからない、という人もいるだろうが、まぐれを期待して悪趣味な実験をする意味はないと思う。
KFCのフライヤーではないけれど、ゴキブリの油揚げは毎日行われている。東南アジアあたりでは昆虫をフライにして食用にするのは珍しくない。

タイ旅行(タイに行く) その2【昆虫】

そんな僕を恐怖のどん底に落としいれた、本日のメニューをご紹介しましょうかね。

・ イモムシの素炒め(体長3センチ~6センチくらいでコロコロしてます)
・ セミの丸揚げ(見事に繊細な羽まで残して揚げてある。体長5センチほど)
・ 蛾のフライ(揚げても色が変わらないので見た目は生のようです。これが一番でかい)
・ ゴキブリフライ(ちょっと大きめのゴキブリです。カラッカラに揚げてあります。)
・ タガメのフライ(青黒い色ででかいです。一応日本では天然記念物だよね?)
・ タマムシの丸上げ(揚げられてもピカピカしてつやがあります。)

以上6点でございます。

昆虫料理を楽しむ : 195 ゴキブリ4種の素揚げ

ゴキブリを揚げても特筆すべき変化はしないらしい。普通に揚げられて普通の昆虫フライになるようだ。日本のゴキブリと種類が違う可能性はあるが、そんなに大きな差はないだろう。



まとめると、

 ・ どうせたいした結果は出ない
 ・ 恣意的な実験結果で世論を誘導する手合いが出る可能性
 ・ わざわざやらなくてもゴキブリフライはあちこちで行われている

油の無駄、エネルギーの無駄、命の無駄。
バカバカしいから実験などやってはいけない。

「真実味」と「真実」

2007年12月09日 | 日々思うことなど
不快な話題なので何度も書きたくはないけれど、流言蜚語が横行し空騒ぎが続くのを見すごす気にもなれない。
ケンタッキーフライドチキンの風評被害問題についてこんな意見を見つけた。

バイト君は本当にゴキを油でカリッと揚げたのか? - オースペのブログ
俺このバイトの言うことはかなり信憑性が高いのじゃないかと思う。

まあ、実際油であげたことのある人もいるようだが、あくまで俺の推理で本当にあったことなんじゃないかと思うだけである。

まず、皆が固定観念として持っていることに、

・ゴキは熱湯をかけると死ぬ。
・ゴキは台所洗剤をかけると死ぬ

ということがある。
しかし、どちらも試したことのある俺は、これらが効果がないことを知っている。
熱湯はミニゴキには確かに効果があったが、成虫には動きをトロくするぐらいの効果しかなかった。
台所洗剤にいたっては、ミニゴキさえも倒せない。台所洗剤の有害性を過度に強調した完全な都市伝説である※1。
みんなゴキがこの程度で死ぬ弱い存在だと固定観念としてもっているならば・・・

ゴキが油の中で暴れまわるというのは、見たものにしか分からない真実味を感じる。

ちなみに、昔、彼女の家で油で揚げているときにハエが入ったときがあったが、油の温度は割と高かったはずなのに、しばらくバタついて暴れるところを目撃した。

注・引用に際して改行を詰めました


オースペ氏が何を信じようと勝手だが、こういう素直すぎる見方が広まるのは問題がある。
最初に言っておくが、私はゴキブリを油で揚げると即死するのかそれとも暴れまわるのか知らない。試したことはないし、実験する必要があるとも思わない。「事件」の有無とは無関係だ。それがわからない人が多いのは不思議である(このことは後で)。


オースペ氏の意見の中心は
 「ゴキが油の中で暴れまわるというのは、見たものにしか分からない真実味を感じる。」
という部分なのだろうが、私には「だから何?」としか思えない。
ちょっとよくできた小説を読めば「真実味を感じさせる表現」はいくらでも見つけられる。それなら作者は実際に体験をしたのかというとたいていの場合そうではない。SFやファンタジーの書き手は宇宙や異世界に行ったことはなく、ミステリーや歴史小説の作家は人を殺したことも歴史的事実を目撃した経験もない。真実味ある表現が生まれるのは作家の「表現力」と読者の「共感力」の合作による。
「プロの作家は表現力があるからフィクションでも真実味を出せる(素人には無理)」「真実味を感じるのは真実だから」という反論が予想されるが、それはケータイ小説愛好家の「ケータイ小説は普通の小説よりリアルだ」という意見と本質的に変わりない。表現力が足りなくても読者の共感力があふれていれば充分なリアリティーが生まれる。「真実味を感じる」のと「真実である」こととは次元の違う問題であり、直結させるのは危険だ。
このあたりの問題はたぶんクオリアとか認知科学に関わってくるのだろうが、私にはよくわからない。茂木先生教えてください。とりあえず今は「リアリティ(真実味)とリアル(真実)は違う」「人間の認知力は限られており世界の実相を知るのは困難だ」と自分を戒めるだけだ。

直感的な「真実味」を地平線の向こうに蹴飛ばしたあとで初めて客観的事実について検討できる。
事実を追求する方法としては科学的手法あるいは法廷的手法が適切だろう。超自然的手法(神託とか超能力)を望む人はお好きにどうぞ。
科学的手法が使えれば望ましいが、もし「KFCゴキフライ事件」が事実だとしてもそれを科学で証明できそうな気がしない。物証は出ていないし、フライヤーは掃除され油を交換しているだろう。データを得るのは困難だ。となると、法廷的手法を用いるほかない。
…と、偉そうに言ってしまったが私は法律についても法廷の手続きについてもろくに知らないのである。以下は単なる素人の思いつきとしてお読みください。



さて、それでは「KFCゴキフライ事件」は法廷の検証に耐えられるのか。
元バイトのmixiにおける書き込みが真実を伝えるものと認められるのか。
私はとうてい無理だと思う。

補強法則 - Wikipedia
中世において「自白は証拠の女王」(Confessio est regina probationum)といわれたように、自白は刑事手続においてきわめて有力な証拠であり、その証明力は過大に評価されることが多い。このため、捜査機関はいきおい自白獲得に力を注ぐこととなる。

このような自白の性質が、自白獲得のための拷問など、人権侵害行為につながることがないよう、又、自白のみに偏した裁判がなされることがないように補強法則は設けられた。


この「事件」には被害者がいない。
ここで争われるのは「風評被害問題」ではなくゴキフライ事件の有無である。
KFCは「事件」の存在自体を否定している。店の客からも「ゴキブリのフライを出された」という被害届けは出ていないようだ。被害なき事件は存在しうるのか。

仮にKFCが大人の事情で被害を認めることを拒否しているのだとしても、罪体(犯罪事実の客観的側面)が存在しない。
具体的には「11種類のハーブを用いた特製の衣に包まれ、KFCで使われているショートニングによって揚げられたゴキブリ」という最重要証拠がない。殺人事件に例えれば死体が出ていないようなものだ。

北九州監禁殺人事件のように死体が発見されなくても殺人罪が認められることはある。だがそれは最重要証拠の不在を補うだけの証言や証拠があってのことだ。私の知るかぎり「KFCゴキフライ事件」については何も存在しない。

今のところ「事件」の証拠は元バイトの「告白」(mixiでの書き込み)だけだ。後に虚偽であり見栄を張ったものと本人が否定している。
日本国憲法38条3項によれば(いきなり話が大きくなる)「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」と定められている。とはいえ、本物の法廷ではないのだから堅いことは言うまい、当ブログでは「充分な信頼性があれば自白だけを証拠に有罪を認めうる」ことにしよう。
それではどんな場合に充分な信頼性があると認められるのか。

世の中には変な人がいて、やってもいない犯罪を「自分がやりました」と自首してくることがある。特にマスコミで大きく報道される事件では珍しくないらしい。目立ちたいだけだったり、頭がおかしかったり、あるいは刑務所に入り食事と寝場所を得るのが目的だったりする。
そんなとき警察は「自首してきたんだからこいつが犯人に決まってる」と素直に認めて逮捕する    …わけではない。
警察が狙うのはあくまでも真犯人であってニセモノには用がない。その見極めに使われるのが「秘密の暴露」だ。

秘密の暴露 - Wikipedia
秘密の暴露(ひみつのばくろ)とは、刑事事件等で、取調べの際に被疑者が捜査官の知らない事項を自白することであり、一般的に真犯人しか知りえない事実の事であり、その事実を裏付ける捜査の結果、事実に間違いない確証を得られればたとえ物的証拠や目撃証言が無くても「秘密の暴露」を行った者は有罪となる。ただ秘密の暴露は迫真性や具体性によって判断されるのではなく、事件との関連性において自白となるかが問われる。


さて、「KFCゴキフライ事件」において元バイト少年の「告白」に秘密の暴露はあるのか。
mixiの書き込みを見てみよう。

テラ豚丼に対抗して、ケン○ッキーゴキブリ揚げのゆとり登場まとめ@wiki - 現在までの状況
ってかね、ゴキブリって油で揚げてもなかなか死なないんだよー



死んだかと思って出すと動きだすからね



衣つけて圧力かけて揚げたら死んだけど


たったこれだけである。
どこに秘密の暴露があるのか、どこに「見たものにしか分からない真実味」があるのか。
そんなものはありはしない。
「ゴキフライ」を思考実験すると、高温の油に入れられたゴキブリの運命は

・ 即死する
・ 即死はしないがしばらくすると死ぬ

二択である。他の結果は現実的にありえない。
SFなら「油に入れると巨大化するスーパーゴキブリ」を書いてもいいが、現実世界でそんなことが起きると信じる人はいないだろう。
さて、仮に元バイトの少年が「ゴキブリを揚げたとホラを吹いてやろう」と思ったとき、「入れたらすぐに死んだ」と書くのか、それとも「油で揚げてもなかなか死なない」と書くのか。浅はかな仲間内のウケを狙って創作するなら後者を選び派手に暴れさせるほうが面白い。
元バイト少年の「告白」に秘密の暴露は存在しない。仮に再現実験をして「なかなか死なない」が事実と判明しても、である。二択で選べて想像で簡単に装飾できる選択肢が「真犯人しか知りえない真実」であるはずがない。


一方ではこんな話もある。

アイツは嘘つきだ、と経験者は語る。 - wHite_caKe
なんかね昔、私は弁当屋でバイトをしていたんですけどね、ある日いつものようにフライヤーの前で山ほど唐揚げを揚げていたら足元をカサカサッって何か走ってね、目を落としたらそこにゴキブリがいてね次の瞬間、やつがこちらの顔めがけて飛んできてね……なんであいつらってすぐこっちに向かって飛んでくるの?

とにかく飛ばれた私が思わず

「そおい!」

とか言いながらのけぞってよけたら、ゴキブリの野郎、そのまま高温の揚げ油の中に飛び込んでいっちまいやがってね。

そしたら、

「ジュワジジッ!」

みたいなすごい音がして、ゴキブリは一瞬でキツネ色にからりと揚がってしまったのですよ。びっくりした。完全に揚がってレアな部分なんて微塵もなく、水分がとんだせいかさくさくと軽い仕上がりになっていました。いやもちろん食べてないけど。

色んな食材を揚げたことがありますが、あんなに瞬間的にからっと揚がるものってそうはありません。


シロイさんの話が本当の体験談なのかどうか私は知らない。疑っているわけではないが単純に「事実を知らない」のである。私はシロイさんでも弁当屋の店長(その場に居合わせたとされる人)でもない。シロイさんの話を裏付ける証拠を持たない。誰かに「シロイさんが某弁当店でゴキブリをフライにしたそうですが、それは事実ですか?」と聞かれたら「彼女がブログに書いたのは読みましたが、それが体験談なのか創作なのか知りません」と答えるしかない。ゴキブリが瞬時にカラッと揚がるのか、それともなかなか死なずに暴れるのか知らない。ゴキブリの種類や油の温度によって違いが出そうだ。どちらでもいい、別に知りたくもない。
事実かどうか、ではなく「真実味」について言えば、私にとって元バイト少年よりはシロイさんの文章のほうがずっと真実味がある。状況設定も描写も自然である。一皿百円じゃない回転寿司のイクラと同じくらい本物っぽい。
だが、「真実味」と真実は次元が違うことを私は知っている。描写が地味だから信用できるとか、あるいは逆に派手だから本当だろうとか、そういう素直な思い込みは危険だとわかっている。自分が全てを知ることはできず、「実感」は時に大間違いすること(特に恋愛方面では)を代償を払って学んできた。

私は血液型性格診断も、「水からの伝言」も、「鏡の法則」も、ケータイ小説の「リアルさ」も、そして元バイト少年の書き込みも信じない。信じるに足りる根拠がないからだ。素直な人たちが「これはリアリティがある、だから本当のことだ、リアルだ」と力説すればするほど眉に唾をつける。

だからいつも私の眉毛は濡れていてちょっと臭いのである。

ケンタッキーと「ゴキブリの言葉」

2007年12月07日 | 日々思うことなど
「流言蜚語」という言葉がある。「蜚」という漢字の意味はゴキブリだそうである。
まさにゴキブリ並みに馬鹿で下品な元バイトの駄法螺のせいでケンタッキーフライドチキン(以下KFC)が大いに迷惑を被っている。

「ケンタでゴキブリ揚げた」mixiに虚偽書き込み男子が謝罪(産経新聞) - Yahoo!ニュース
 「日本ケンタッキー・フライド・チキン」(東京都渋谷区)の千葉県内の店舗でアルバイトしていた高校3年の男子生徒(17)が、インターネット上の自分の日記で「店内でゴキブリを揚げた」と虚偽の書き込みを行い、同社に謝罪していたことが6日、分かった。同社では「事実無根であり得ない話。きわめて迷惑している」(広報室)としている。
 同社によると、男子生徒は5日未明、会員制コミュニティーサイト「mixi」の自身の日記に「(吉野家の豚丼の騒動が)おもしろすぎでしょ。バイトしてればそんなことやっちゃうよねー。ケン○ッキーでゴキブリ揚げてたムービー撮ればよかった」などと書き込んだ。
 この記述などを見て、ネット掲示板「2ちゃんねる」で「気持ち悪い」などと話題が沸騰。同社にも「本当なのか」などの問い合わせが相次いだ。
 男子生徒は5日夜、学校の教員や保護者を同伴して、アルバイトしていた店舗を訪問し、「仲間内で見えを張った。こんなに騒ぎになると思わなかった」と謝罪したという。男子生徒は有名私大の付属高校に通っているという。

「ゴキブリ揚げた」mixi日記は「事実無根」 ケンタッキーに「本人が謝罪」 - ITmedia News
  はてなブックマーク

痛いニュース(ノ∀`):「“ゴキブリ揚げた”は事実無根。ありえない」 ケンタッキー広報激怒…元アルバイト少年が保護者、教員同伴で謝罪
  はてなブックマーク

日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社 ネット投稿に対する当社の対応について
  はてなブックマーク

この件について私はKFCに同情する。完全な被害者であり、対応にも落ち度はないと思っている。
別にKFCの利害関係者でも熱心なファンでもない。KFCの宣伝する「11種類のハーブ」について疑念を抱いているが、それはそれ、これはこれである。

「絶対やったに決まってる」とか「やった可能性が高い」とか「KFCの否定は信用できない」と思っている人たちはどうか落ち着いてほしい。何かを事実と認めるにはそれなりの根拠が必要だ。ゴキブリフライを事実と認めるに足りる証拠はあるのか。浅墓なガキによるmixiでの書き込み(本人は後に「見栄を張った」と言っている)以外に何もないのではないか。
吉野家の「メガ豚丼」騒ぎのときはビデオがあったが、今回はどうか。物的証拠は何もない。本人以外の裏付け証言もない。客観的実体は何もなく蜃気楼のような「事件」である。むしろ事実と信じるほうが難しい。「物理的に可能なこと」と実際に行われたことはイコールではない。証言すなわち事実ではない。
ネット利用者の多くはメディアリテラシーが高さを自認しているが、2ちゃんねるなどで多くの人がお調子者の法螺(現時点ではそうとしか思えない)を真に受けて大騒ぎしているのを見ると情けなくなる。「永田メール」のときの民主党前原執行部の恥さらしを思い出す。

おそらく騒いでいる人たちの多くは心の底から事実だと思っているわけではなく、「もし本当なら大変だ」という気持なのだろう。それはわからなくはないが、「もし本当なら」の検証を二の次にして「大変だ」に心奪わるのはどうかと思う。事実をおろそかにした心配は杞憂とか空騒ぎの類であって、はっきり言ってみっともない。
数年前に著名な言論人とブロガーが対決した「空白の10分間」騒ぎというのがあった。

小泉訪朝における空白の10分間事件 - Wikipedia
Irregular Expression: 西尾幹二のソース ロンダリング「空白の10分間」

西尾幹二氏・中西輝政氏という保守派の大物が三流メディアの書き飛ばしを真に受けて「もし本当なら大変だ」と大騒ぎし、gori氏をはじめとするブロガーに厳しく突っ込まれた。批判に耐えかねた西尾氏は陰謀論めいた主張をするようになり心ある読者を呆れさせた。


「事件」の実在性云々より「KFCの対応」を批判する声もある。
「説明責任を果たせ」「誠意を見せろ」というやつだ。私はこの手の意見にもあまり賛成できない。
そういうことを言う人は、何をどうしたら説明責任が果たされ誠意が示されたと認めるのだろうか。あまり具体的に考えているようには見えない。仮にKFCが大々的に調査し客観的資料を公表しても重箱の隅をつついてケチを付けそうな気がする。もちろんこれは私の偏見である。
そもそも元バイトの証言による「ゴキブリフライ事件」は単なる思い付きのいたずらでしかない。仮に事実だったとしても(私は信じてないが)具体的な証拠は残っていないだろう。社員や他のバイトに見つからないようにやるだろうし、揚げたゴキブリを保管してはいないだろう。だとしたら事件について大掛かりな調査をするだけ無駄である。

最近話題になった食品偽装問題では、会社の命令あるいは黙認のもとに継続的に偽装が行われていた。作業にかかわる人間は多く物証も残る。これなら調査によって事実が明らかにできる。だが、「ゴキブリフライ」のように一回限りのいたずらの有無をどれほど調査しても意味のある結果は期待できない。むしろ「KFCではそんないたずらが日常的に行われているのか」といった憶測を呼び会社のイメージダウンにつながりかねない。
「事実無根」と言下に否定したKFCの対応は正解だ。たぶん内部では店舗の衛生状態やバイト従業員の採用や教育について厳しく見直されるだろうが、「疑心暗鬼に取り付かれた人たち」への言い訳のために誠実ぶる必要はない。


調査の必要性についてはニセ科学「水からの伝言」に対する「検証実験要求」に通じるものがある。
もちろん「食品業界の従業員はいたずらをしない」というのは「水が言葉に反応することはありえない」と同じくらい厳密に証明されているわけではない。だが、どちらも社会における健全な常識として維持されるべき概念だと思う。争う余地のない明白な反例が表れれば真剣に調査しなければならないが、おっちょこちょいの法螺を真に受けて大騒ぎするのはむしろ有害だろう。

「水からの伝言」が事実でないというためには、実験で確かめなくてはいけないのでは?
科学者の側で実験をして確かめないでも、「水からの伝言」が事実でないと言いきれるのだという話を聞いて、「実験に対しては、実験をして反論するのが、科学というものではないのか?」と疑問に思われる方もいらっしゃるようです。それはまったくの勘違いで、科学というのは、そういうものではありません。
この話は蛇足かもしれないと思うのですが、やはり、このような疑問をもつ方がいらっしゃる以上、少し説明しておこうと思います。

科学の世界では、何か新しい考え方が本当かどうかが問題になるときには、新しい説を提出している科学者に、説得力のある証拠を提出する責任があります。 新しい説を信じない科学者が、無理をしてまで、反対の証拠を出す必要はないのです(もちろん、自分の研究の方向とうまく一致するなら、反対の証拠を出す場合もあります)。

kikulog:「水からの伝言」と反証問題

さて、もうひとつの「反証実験が不要なわけ」(というより、無駄なわけ)として、どんな反証実験をしたところで、信じている人を説得できるわけではないということがあります。mixiの「水伝」コミュで「どのような反証実験ができたら、信じるのをやめますか」という質問を投げたことがありますが、意味のある提案はありませんでした。
「信じていない人たち」からは多くの提案があるのですが。ここではっきり言っておきますが、「信じていない人」の提案なんか、なんの役にも立ちませんよ。信じている人の気持ちは信じている当人にしかわかならないのですから。
もっとも、信じていない人が「どうしても反証実験をしろと命令されたら、こんな実験をすればいいのかなあと考えている」という意見を集めてみるのはそれはそれで面白いかもしれませんね。
 
というわけで、ここでもう一度(何度目かな)きいてみたいと思います。"「水からの伝言」は事実である"と信じているかたで、"こんな実験ができたら、「水からの伝言」は嘘だと納得する"という提案があれば、ぜひお知らせください。あるいは、今は信じていないがかつては信じていた、というかたで、"こんな実験があればよかったのに"という提案でもいいです。信じてる人はあまりこれを読んでないと思うので、後者のほうが可能性があるかもしれませんね



ここまでは「ゴキブリフライ事件は真に受ける価値のない法螺である」という前提で書いてきたが、それならどういう場合であれば私が「ありうる」と認めるのか書いてみよう。
まず物証の存在である。「メガ豚丼」のようなビデオ、あるいはゴキブリフライの実物が出てくれば「これは本物だ」と誰もが認める。もちろん私だって怖気をふるう。
次は本人以外の証言。複数のバイト仲間や従業員が「そのようないたずらが行われているのを見た」と言ったり、学校の友達がゴキブリフライを見せられて「これ、バイト中に作ったんだぜ」と自慢されたとか。
物証や証言がなくても、本人があまりにも異常であれば実際にやった可能性は高まる。たとえば妄想性人格障害など。
あるいは「店でいじめられて復讐の機会をうかがっていた」といったことがあれば嫌がらせとしてやる奴がいるかもしれない。清酒の始まりは慶長5年に「下男が叱られた腹いせに濁酒のなかに灰汁を投込み、偶然に生まれたのが最初」という伝承もある。
だが、今回の場合はそのような情報はまったく伝わっていない。今のところは「お調子者の馬鹿が法螺を吹いた」以上の何かがあるとは思えない。そう考えるのがオッカムの剃刀に適い、経済的で合理的だろう。


もちろん疑う心は大事である。
光市母子殺害事件の裁判で「弁護人のやりかたはおかしいのではないか」と疑ったり、今回の事件で「KFCの対応は問題があるのではないか」と疑うのは結構なことである。健全な疑いは適度な運動のように精神を強くする。だが、無茶なハードトレーニングが体を壊すように過剰な疑いは精神の健康を傷つけてしまう。
恐怖や怒り、恐れといった感情は非常に強いものだから、疑いがそれらと結びついたときに客観的事実を知ることをおろそかにして「強い疑いそれ自体が疑いの根拠」という状態に陥ってしまうことがある。それは健全な精神状態ではない。盲信が愚行に結びつくように、がむしゃらで頑固な疑い(「盲疑」とでも呼べばいいのか)に取り付かれた人は危なっかしい。
人間の知力や知ることのできる情報には限りがある。今回の事件でも全ての人が完全に納得するような調査を行うことは不可能だろう。怒りを燃やし疑いに取り付かれた人は他者を糾弾するばかりではなく「自分は何を求めているのか、どうすれば納得するのか、それは常識に沿うのか、現実的に可能なことなのか」自分に問い直してみてはどうだろうか。